
ATEM 関西事務局
京都女子大学外国語教室
横山仁視研究室
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2012年05月05日
タイトル: 移動方向を表す単語について
投稿者: 濱上桂菜(京都外国語大学 非常勤)
up, down, in, out, across,
in(to)などは、中高では副詞的な意味があると教えられる方向を示す表現です。今回は、映画“Finding Nemo”『
ファインディング・ニモ』(2003)を使ってこれらの表現の活用方法を少し考えてみましょう。方向を示す表現を使用しようとする時に、一般的な英語学習者はgoやcomeなどの単純に移動を表す動詞を最初に思い浮かべるのではないでしょうか。
(1) We go out…and back in. <00:06:41>
「出て…もう一度入る。」
しかし、方向を示す表現は、移動の様態を色濃く表す他の動詞と用いることも多々あります。
(2) Now swim up the tube and out. <00:49:58>
「じゃあ泳いでチューブを上がって、出るんだ。」
(1)の例のgoとは違い、(2)のswimの類の動詞はどのような方法で移動するのかも表し、その後に起こるupとoutがその方向性を明確に表していることがわかると思います。注目していただきたいのは、(2)では、動詞は1つですが、日本語で表現するときは、「泳いでチューブを上がる、そして泳いで出るんだ」というように、「上がる」「出る」というもう一つの動詞を補って表現する必要があります。よって、(3)の例では、日本語では次々と動詞rollを補って、方向表現を前から順番に解釈していかなければいけません。
(3) “Then we’ll roll ourselves down the counter, out the window, off
the awning, into the bushes, across the street, and into the
harbor!” <00:39:34>
「それから転がってカウンターから降りて、窓から出て、日よけから離れて、茂みに入り、通りを横切って、そして港に入るんだ!」
今回挙げた移動方向を表す単語はそれぞれなじみ深いものですが、英語学習者の多くの方には、移動動詞以外の動詞と組み合わせたり、副詞的表現のみを連続で使ったりする発想にはなかなか至りません。また英語と日本語では表現方法に少なからず差があることにもなかなか気がつきません。皆さんも次回から映画をご覧になるときは、ぜひ、これらの方向を表す表現がどんな風に用いられているのかチェックしてみてくださいね。
2012年05月05日
タイトル: ハリウッド映画の中の日本人
投稿者: 上田聖司(八尾翠翔高校)
「日本人がハリウッド映画の中でどのように描かれているか?」この問いは日本人として興味のあるところです。みなさんはハリウッド映画の中の日本人俳優というと誰を思い浮かべますか。「ラストサムライ」(2003)を皮切りに「バッドマンビギンズ」(2005)をはじめ、アカデミー賞視覚効果賞の「インセプション」(2011)にも出演している渡辺謙は最も名の知られた日本人でしょう。「ラストサムライ」で渡辺はトム・クルーズと堂々と英語で話しています。
”Many of our customs seem strange to you. The same is true of
yours.”<0:43:08>
「日本人の習慣はお前には奇妙に思われるかもしれない。だが、お前たちの習慣にも同じことがあてはまる。」
”Not introducing yourself is considered extremely rude, even among
enemies.” <0:43:27>
「自己紹介しないのは、非常に失礼なことと思われる、たとえ敵同士であっても…」”Nathan Algren.”「ネイサン・オルグリンだ。」
このシーンでは、当初、渡辺のゆったりした口調がオルグリン役のトム・クルーズの早口な話し方とかみ合っていないように感じられますが、最後には渡辺の答え方がトム・クルーズの速さにあってくるように仕組まれています。渡辺は、このあと、”Sayuri”(2007)(原作はArthur
Golden “Memories of a
Geisha)にも出演していますが、彼の英語は、タイミング、感情移入ともにすばらしい出来を見せています。
80年代にブームを起こし、最近ではウイル・スミス制作のリメイク版もあるThe Karate
Kid(1984)では、日系2世のコメディアンPat
Moritaがミヤギ老人という日系人を演じています。中村雅俊らが出演するアメリカ映画American
Pastime(2007)でも、ミヤギ老人と同様の日系人収容所生活を経験する日系人の生活が描かれていますが、日系人たちが英語と日本語を切り替えながら話す「コード・スイッチング」と呼ばれる話し方がそのままセリフとしてでてきます。ハワイ生まれの日系人俳優Seth
Sakaiとアメリカ人たちのやり取りです。
”Will you get that ball for us?”「ボールを取ってくれないか。」
”Oh, sorry. No English.”「すみません。英語わかりません。」
”Get the ball, pick it up, throw it back
here.”「ボールを取って、拾い上げて、投げ返してくれよ。」
”Ano, eigo wa damedesu. kusokurae.”<0:34:05>「あのう、英語はダメです。くそくらえ。」
Seth
Sakaiが演じる老人は明らかに英語が話せるのです。でも、アメリカ人のいいなりになるのがいやでわざと日本語で返事をしています。実際のコード・スイッチングは、文や単語の単位だけでなく、語幹と語尾変化の間でも見られ、詳しい研究がされています。(東 照二
「社会言語学入門」 研究社 1997)
アメリカ映画の中の日本人といえば、”Breakfast at Tiffany’s”(1961)でMickey
Rooneyが演じる眼鏡に出っ歯、カメラが印象的な「ユニヨシ」がステレオタイプですが、渡辺謙やテレビドラマ”Heroes”(2006-2010)のMasi
Okaの活躍で日本人がハリウッド映画で、「奇異・特異」な存在ではなく、日常的で普段の存在になってきているように思われるのです。
(参考)
- 村上由美子 「イエローフェイス」 朝日選書 1993
- 洋画・洋楽の中の変な日本人・がんばる日本人 by Mr.Yunioshi
- http://www.yunioshi.com/index.html (accessed on 30th April, 2012)
2012年05月05日
タイトル: 映画で学ぶ「コックニー」
投稿者: 田中美和子(京都ノートルダム女子大学 非常勤)
かつては粗野で無教養な印とされた「コックニー」と呼ばれる地域英語は、価値観や社会の在り方とともに変化し、新しい付加価値が与えられるようになってきました。以前、ロック歌手が意図的にコックニーで話して、あたかも労働者階級の出身のようなポーズをとっていましたし、またサッカーの花形選手が、隠そうともせずコックニーでインタヴューを受けています。近年、BBCにも標準英語を話さないアナウンサーがいるそうで、それは関西の地方局に関西弁で堂々と話すアナウンサーがいるのと、少し似ていると思います。ここでは、今でもロンドンを訪れると必ず耳にするコックニーを、昔の映画の中に見てみたいと思います。
『マイ・フェア・レディ(My Fair
Lady)』(1964)は、ロンドンの街角の花売娘イライザが、ヒギンズ教授によって仕込まれてレディーになるという物語です。ヒギンズ教授は、コックニーを話すイライザに、六ヶ月で「公爵夫人として通用する英語」を身に付けさせます。では、イライザの発音矯正のため、ヒギンズ教授の授業で用いられたフレーズを、2つ取上げてみましょう。コックニーでは、[ei]の代わりに[ai]と発音します。その母音矯正の練習文です。
(1) HIGGINS: The rain in Spain stays mainly in the plain.<1:04:08>
(ELIZA: The rine in spine sties minely in the pline.)
また、コックニーには、発音が難しい子音を、より単純な他の音に替えたり、脱落させたりする傾向があります。2つめのフレーズは、語頭の[h]の脱落を矯正するものです。イライザの台詞では、本来必要な語頭の[h]が脱落し、不必要な[h]が挿入されています。
(2) HIGGINS: In Hertford, Hereford, and Hampshire, hurricanes hardly
ever happen. <1:05:03>
(ELIZA: In ’ertford, ’ereford, and ’ampshire, ’urricanes ’ardly
hever ’appen.)
イライザは、息の出方をバーナーの炎の揺れで、口の形を鏡にうつして確認し、何度も反復練習をします。そして最後には、美しい英語を身につけ幸せになることが暗示されます。
方言とは面白いものだと思います。関西弁では、ペットショップの前の会話で、「あれ、ちゃうちゃうちゃう?」「え~、ちゃうちゃうちゃうんちゃう?」というのがありますが、関西出身の方は、意味がおわかりですよね。
2012年04月02日
タイトル: コメディー映画のツッコミどころ
投稿者: 成田修司(京都外国語大学他 非常勤)
アメリカのコメディー映画にはその非現実性に目を見張るものが沢山あります。もっと平たく言うと、よくぞここまで馬鹿馬鹿しい映画を作るものです。例えば『僕らのミライへ逆回転』(2008)は、レンタルビデオ店が商品のビデオを誤って全部消してしまったために、店員が自分で映画を取り直すという、いわゆる「ありえねー」設定になっています。その中でもアルファベットの特質を活かした笑いの取り方を見てみましょう。
店主のフレッチャーは留守の間、従業員のマイクに店を託します。出発の日に駅まで見送りに来たマイクに彼は、(友人の)「ジェリーを店に入れるな」と忠告するタイミングを逃します。思い出したのは列車が走り出してからです。ドア越しに声は伝わらないとわかると、水滴で曇っている窓ガラスに指でこう書きます。
KEEP JERRY OUT <0:11:25>
ところがホームのマイクはガラスの反対側から普通に読もうとしています。我々観客のツッコミどころはここです。この場合逆方向に読まなければいけない事に、マイクが気づかないはずありません。店に戻ったマイクはフレッチャーの文字を紙に何枚も書き出しますが、PEEK
YOUR EDGE TUO(お前の端も覗け)<0:11:38>等、ナンセンスな解読しかで
きません。(字幕は先に出た「ジェリー立ち入り禁止」をもじって、「リージェ・イリタ・キンタ」となっています)結局マイクは解読に失敗し、「フレッチャーは字が書けない」という結論に達します。なんでやねん!
その夜マイクとジェリーは発電所を破壊しに出かけます。フェンスにかけたハシゴを登った瞬間に警備員が巡回に来て、二人は動きを止めます。この時ツナギ服に描かれたカモフラージュの絵柄が、ハシゴ段の位置やフェンスの網目・DANGER
HIGH
VOLTAGEという掲示板が半分など、細部まで背景と完璧に一致します。そうです!次のツッコミどころはここです。こんなツナギを用意するには周到な下調べと、相当な手間暇が必要です。この服を用意したジェリーは「たまたま」このタイミングで見回りに見つかる事を、どうして最初から知っていたのでしょうか?
そして動きを止めている間マイクの目に「たまたま」フェンスのKEEP
OUTの掲示板が入ります。そこで先程書いたメモの1枚をポケットから取り出して裏がえすと、KEEP JERRY
OUT<0:15:31>と読めるではありませ
んか。ここにもツッコミましょう!何で同じ単語が都合よく目の前にあるんですか?だいいち、さっき着替えた服に、どうしてこのメモが入っているんですか?しかもテキトーに何通りにも書いたのに、どうしてこの1枚はこんなに裏から読み易いんですか?それから油性ペンで書いたとして、ここまではっきり裏写りするんですか?
どうでしょうか?この映画全体に見られるこの「あり得なさ」はリアリズムの失敗ではなく、いくつ見つけられるかという観客への挑戦です。コメディー映画を語学教育の素材として見る時にセリフの表面的な意味にとらわれ過ぎて凝ったシーンを見逃す、なんてことはないようにしたいものです。実際私もこのコラムを書くため何度も見直して初めて気づいたシーンが沢山あります。ここぞという「ボケ」を見つけたら、みんなでツッコミを入れるのも映画の楽しい学習方法の一つではないでしょうか。
2012年04月02日
タイトル: ハリウッド映画で耳にするヘブライ語
投稿者: 松井夏津紀(チュラーロンコーン大学(タイ王国))
ハリウッド映画界にはユダヤ系の映画監督や俳優が多く存在します。映画やドラマでも登場人物がユダヤ系である設定はめずらしくありません(Sitcom
“Friends”の主要人物6人の中でもRossとMonicaがユダヤ系という設定でした)。そのため、映画やドラマの中でユダヤ教の伝統行事であるBar
mitzvah(男子が13歳になったときに行われるユダヤ教のユダヤ教の伝統行事であるBar
mitzvah(男子が13歳になったときに行われるユダヤ教の成人式、女子の場合は12歳でBat
mitzvahが行われる)の場面やユダヤ教の結婚式の場面が見られることもあります。欧米ではユダヤ系の人はめずらしくありませんので、自らがそうでなくても、ある程度ユダヤの文化や習慣などに馴染みがある人が多いようです。例えば、子供のころユダヤ系の友人のBar
mitzvahに呼ばれたことがあるというような人もいるでしょうし、kippa(敬虔なユダヤ教徒の男性かぶる小さな帽子)をかぶっている学生を大学のキャンパスで見かけることもあるでしょう。また、クリスマスシーズンにはクリスマスではなく、Hamukkah(ハヌッカー祭)を祝うというようなユダヤ教の年中行事の存在も知っているでしょうし、humus(中東で食べられるヒヨコ豆のペースト)のような食べ物にも馴染みがあるでしょう。
登場人物にJewishが出てくる映画やドラマの中では、宗教行事の場面が出てくるだけではなく、ヘブライ語を耳にすることもあります。Bar
Mitzvahやユダヤ教式の結婚式の場面で、Mazal tov! (=Mazel tov /má:zl
tó:v/ Congratulationsの意)という祝いのことばを聞いたことはないでしょうか。また、乾杯のときのLehaim!
(=Lechaim /ləxá:jɪm/ Cheersの意)
という表現はどうでしょうか。Sabbathのようなヘブライ語からの借用語として入ってきて変化したものではなく(ヘブライ語ではתשַׁבָּ
“shabbat”)、現代ヘブライ語で使用されている語彙や表現も映画で使われていることがあります。
アダム・サンドラー主演のコメディー「エージェント・ゾーハン」You Don’t Mess with the
Zohan(2008)は、主人公がイスラエルの諜報員という設定ですが、この映画ではヘブライ語の単語が混じった英語やヘブライ語風にアレンジしたことばや中東アクセント風に発音された英語が満載です。
Zohan:Danny, that looks good. You’re gonna be a hit at your bar
mitzvah.〈00:02:42〉
のように、bar mitzvahのような英語の辞書でも見られる語も出てきますが、次のような完全なヘブライ語も出てきています。
Zohan:It's all b’seder. 「大丈夫だ」〈00:22:47〉
B’sederは all
rightやOKという意味のヘブライ語ですが、このような簡単なヘブライ語は、「ありがとう」ということばが日本語だと認識できる欧米人がいるように、ユダヤ系の人々が身近な存在である欧米人ではb’sederがヘブライ語だと認識できる人も少なくないかもしれません。「エージェント・ゾーハン」は極端な例ですが、Jewishの文化や習慣、また英語にも入ってきているヘブライ語の多少の知識があれば、ハリウッド映画の詳細を更に楽しむことができる機会が増えるのではないでしょうか。
2012年04月02日
タイトル: 「日本語字幕翻訳と英語」
投稿者: 河野弘美(京都外国語短期大学)
『トレインスポッティング』は2008年にアカデミー監督賞を受賞したイギリス人監督ダニー・ボイルの大ヒット作品です。本作はスコットランドで破滅的な人生を送っていた若者達が方向に迷いながらも未来に向かって一歩一歩進んでいく話です。傷つきながらも成長を遂げる若者を後押しする内容のため、人生の岐路に立つイギリス人大学生の部屋には『トレインスポッティング』のポスターが今も昔もつきものです。そんな『トレインスポッティング』のオープニングを飾る主人公レントンのセリフは本作を代表するセリフで、現実逃避しながら生きている若者への強いメッセージとなっています。そのセリフを紹介しつつ、日本語字幕翻訳に隠された匠の技を2つ紹介しようと思います。
Choose life. Choose a job. Choose a career. Choose a family, choose
a XXX big television, choose washing machines, cars, compact disc
players, and electrical tin openers.
Choose good health, low cholesterol and dental insurance. Choose
fixed-interest mortgage repayments. Choose a starter home. Choose
your friends.<00:00:34>
(翻訳)
人生で何を学ぶ? 出世、家族、大型テレビ、洗濯機、車、CDプレイヤー、電動缶切り。健康、低コレステロール、医療保険、固定金利の住宅ローン、マイホーム、友達。
本作を見るたびに最初のセリフChoose life.を「人生で何を学ぶ?」とした日本語字幕翻訳家の素晴らしさに感激します。choose
lifeは「人生を選ぶ」あるいは「人生は選択だ」と翻訳してしまうところですが、そこは字幕翻訳家という職業がある由縁。本作を通して「人生を理解」してゆく主人公の成長が示唆されているかのごとく意味深い翻訳になっています。
日本語字幕翻訳上のルールに1秒間4文字という一般的なルールがあります。そのルール泣かせな本作のオープニングは、短時間に多くの言葉が詰め込まれています。もちろんすべてを日本語字幕にすることは出来ません。そこで、本作ではchoose
の翻訳が省かれ、a job とa career
が「出世」に生まれ変わり、蔑み語と「電動缶切り」が省略され、「医療保険」の「医療」が字幕上省略されています。
上記2点以外にもまだまだ多くの字幕翻訳技術が隠されていますが、最初のわずか数十秒の間に字幕翻訳家としての腕の見せ所が多く存在する作品にであうと映画の内容以上に字幕翻訳技術も勉強でき大変得をした気分になります。
2012年03月05日
タイトル: 新しい夢物語―『魔法にかけられて』のハッピー・エンディング
投稿者: 奥村真紀(京都教育大学)
古今東西、おとぎ話は「みんな幸せに暮らしましたとさ、めでたし、めでたし」という言葉で終わります。でも、それはあくまでもおとぎ話。現実の世界は、そんなに甘くありませんよね。
美しいジゼルはおとぎの国で、一目で恋に落ちた王子様と次の朝に結婚しようと約束します。まるでおとぎ話のよう!しかし、おとぎ話の常道で、王子様には意地悪な継母がいて、彼女は魔法の井戸にジゼルを落としてしまいます。ジゼルが落ちてきたのは何と現代のニューヨーク。幸せな結婚を夢見ていたジゼルが出会う人たちは、現在のアメリカの離婚率からは当然ですが、離婚経験者や調停中のカップルばかり。ジゼルは最初、離婚と聞いて思わず泣き出してしまい、周りの人からあきれられてしまいますが、彼女の前向きな素直さや楽観主義は次第に周りの人々にいい影響を与えていきます。
一方、おとぎの国では、ジゼルを助けようとした王子様が、彼女を追いかけて井戸に飛び込んでしまいます。王子様がジゼルを見つけるかもしれないと思うと魔女はいてもたってもいられず、腹心の部下のナサニエルに、絶対に王子様にジゼルを見つけさせてはいけないと命令します。彼は次のように返事をします。
Nathaniel: He shan’t, Your Majesty! I swear it!
(絶対にさせませんよ、女王様。誓います。)<0:37:23>
未来をあらわす助動詞 shall は、このように二人称・三人称を主語にすると、「私は彼(彼女、あなた)に
0させる」(否定形は「させない」)という話し手の意志をあらわす表現になります。同じ映画で、ジゼルを食べようとする怪物トロルが走っていくのを止めようとする王子様の言葉もこの使い方です。
Prince Edward: You shall not prevail, foul troll!
(お前には勝たせないぞ、ずるいトロルめ!)<0:05:39>
おとぎの国でただひたすら愛を信じてきたジゼルは、現実の世界では王子様ではなく、現実主義者のロバートを愛していることに気づきます。自分の気持ちを知ったジゼルはもう、助けを待っているお姫様ではありません。魔女にさらわれたロバートのために敵に立ち向かい、彼と力を合わせて魔女をやっつける、自分の意志を持った女性になっているのです。80年以上に渡って夢物語を届けてきたディズニーは、今までのおとぎ話を適度にパロディー化しながら、このような現代の新しいヒロインを21世紀に作り出したのです。
2012年03月05日
タイトル: 映画の日本語字幕と吹き替えについて
投稿者: 佐藤弘樹(FM京都α-stationパーソナリティー・京都外国語大学 非常勤)
映画『フォレストガンプ』(1994)は、アカデミー賞の作品賞をはじめ、監督賞(ロバート・ゼメキス)、主演男優賞(トム・ハンクス)を含む6部門受賞に輝き、当時
Gumpism (フォレストガンプ的人生観)なる新語まで生まれ、本編中に何度も登場する以下の台詞は流行語になりました。
Life is like a box of chocolates. You never know what you’re going
to get.
「人生はチョコレートの箱のようなもの。食べてみるまで中身はわからない」 <00:03:38 >
世の人々が、ちょうどバブル経済がはじけて、行く末を見失いかけた時にこうした映画が登場するのも単なる偶然とは思えない気もします。
さて、洋画の日本語字幕は、最初から終わりまでそれだけを読んでも内容が理解できるように作られているといわれ、必ずしも個々の英文の正確な翻訳とはいえない場面があります。この映画「フォレストガンプ」の後半で、エビ釣り漁船の船長となったフォレストをベトナム戦争時代の上官だったダン中尉が訪ねる場面が出てきます。ダン中尉はベトナムの戦場で瀕死の重傷を負いフォレストによって助け出されますが、両脚を切断し車椅子の生活を余儀なくされています。場面は船で港に戻ってきたフォレストを車椅子のダン中尉が岸で出迎えます。二人のやり取りをまずは日本語の字幕で見てみましょう。
<01:32:17>
フォレスト:「ダン小隊長! こんな所で何を!」
ダン:「海で運試しをしたくてね」
フォレスト:「脚がないのに?」
少し意味が不明瞭でしょうか。続いて日本語の吹き替えを見てみます。
フォレスト:「ダン中尉!どうしたんですか」
ダン:「いや、ちょっとデッキを歩いてみたくてね」
フォレスト:「脚がないのに歩くんですか?」
日本語字幕よりは分りやすくなりましたが、英文は以下の通りです。
Forrest : “Lieutenant Dan, What are you doing here?”
Dan : “Well, thought I’d try out my sea legs.”
Forrest : “Well, you ain’t got no legs, Lieutenant Dan.”
ここでは sea legs の訳し方がポイントになっています。sea legs
は「ゆれる船内をよろけずに歩く能力」という意味から「船に慣れること」という意味です。つまりダン中尉はフォレストの船の乗組員になるために彼に会いに来たのですが、彼にはその言葉の意味がわからずlegsだけに反応してチグハグなやり取りになっているわけです。英語がわかれば映画は二倍楽しめるというわかりやすい一例でしょうか。
2012年03月05日
タイトル: インドと英文学
投稿者: 荘中孝之(京都外国語短期大学)
映画の中で詩や小説の一節が使われるのは、めずらしいことではありません。例えばピューリツァー賞にも輝いたインド系アメリカ人作家、ジュンパ・ラヒリ原作の映画『その名にちなんで』(The
Namesake, 2006)には、次のような場面があります。アメリカで博士号取得を目指すインド人青年アショケとのお見合いの席で、同じくインド人のアシマは、父親に勧められて英語ができることを示すため、ある詩の一部を暗誦します。それはイギリスのロマン派詩人ウィリアム・ワーズワースの代表作、「水仙」(“The
Daffodils”, 1804)の冒頭です。
I wander’d lonely as a cloud
That floats on high o’er vales and hills,
When all at once I saw a crowd,
A host of golden daffodils,〈00:08:40〉
おそらく彼女は学校で、英語や英文学の教育をしっかりと受けてきたのでしょう。しかしそこにはちょっと複雑な背景があります。
ご存知の通りインドは、20世紀半ばまで長らくイギリスの植民地でした。もちろんインド人はもともと英語が話せませんし、キリスト教徒でもありませんし、英国の風俗や習慣も知りません。そこでイギリス人は1835年、「野蛮で劣った異教徒を文明化する」ため、英語を使って英文学を学ぶことをインド人に義務付けたのです。しかしその頃、本国イギリスではまだ英文学の教育は行われていませんでした。彼ら自身が学ぶべきはギリシャやローマの古典であり、自国文学など学問に値しないと見なされていたのです。つまり英文学とは19世紀前半のインドにおいて、植民地支配の一端として誕生した学問であったのです。その後、大英帝国は人口の増大や貧困層の拡大、移民の流入といった様々な要因によってあえぐことになります。そこでようやく「イギリス生まれの野蛮人を再文明化する」ために、インドで確立した英文学がイギリスに持ち込まれることになったのです。それはインドで英文学教育が始まって以来、半世紀近く経過した頃でした。それからさらに一世紀以上たった今、映画を使って懸命に英語を学び教える我々も、また違ったかたちで植民地的構造の中に取り込まれているのでしょうか。
2012年02月07日
タイトル: need/wantの後に続く要素
投稿者: 小野隆啓(京都外国語大学)
動詞の補部(complement)、つまり目的語の位置にどのような要素が現れるかは、その動詞によって決まっています。高校の英文法で学ぶ、finishの後には動名詞(gerund)、つまり~ing形が来て、decideの後には不定詞(infinitive)が来ると習います。一般にneedやwantの後には不定詞が続くと思われていますが、~ing形が来ることがあります。しかも、単に~ing形が来るのではなく、まるで
“Jane is tough to
please.”「ジェーンは喜ばせるのが難しい」などの難易構文(tough-construction)のように、~ingの部分には他動詞が現れ、意味的にその目的語となる要素が、文全体の主語になるという構文があります。以下の例は、Harry
Potter and the Chamber of
Secretsに出てくるもので、「あの魔法の杖は取り変える必要がある」という意味です。
(1) That wand needs replacing, Mr. Weasley. <0:47:00>
主語であるthat
wandはreplacingという他動詞の意味上の目的語です。まるで、replacingの目的語が移動してneedの主語になったように思わせる構文です。ですので、この構文の~ingの位置に出てくる動詞は、他動詞でなければなりません。このような構文を遡及的名詞構文(retroactive
nominal)と言います。
この構文を取る動詞には、needの他に、want, use, merit, bearなどがあります。以下にその例を示します。
(2) a. My smart phone wants repairing.
b. My room needs a thorough picking up.
c. John could use a good looking at.
d. These ideas merit some working on.
e. This problem bears a good deal of thinking about.
(2b, c, d, e)などからもわかるように、この構文の~ing形は、名詞であるので、それを修飾する形容詞などが付くことができます。また、(2c,
d, e)などから分かるように、前置詞の目的語が主語の位置に現れてもいいのです。難易構文とよく似た特質を持った構文です。
2012年02月07日
タイトル: 映画で学ぶ「隣接応答ペア」
投稿者: 横山仁視(京都女子大学)
英語の会話力を身につけたいと考えている学習者にとって映画のセリフは、コミュニケーション能力育成のための格好の材料と言えます。今回は、「隣接応答ペア(adjacency
pair)」に着目してみましょう。これは対話を成立させている組合せの最小単位を表し、一般的に連続(隣接)して起こる一対の対話のことを指します。
映画のセリフを見ていると、私たちが中学・高校で学習した形式的な応答の仕方とは異なった表現に出会うことがよくあります。実際のコミュニケーションのやり取りにおいては、必ずしも私たちが学校で習った言い回しが使用されるとは限りません。逆の見方をすれば、相手の表現に対してこういう返答もあるのだという表現の豊かさを映画のセリフは教えてくれます。つまり、対話を成立させるための術(バリエーション)が隠されているのです。次の『ユー・ガット・メール』(1998)の台詞(1)(2)(3)のA-Bは一対のペアであり、対話の最小単位を作っています。
(1) A: My dad gets me all the books I want.(欲しい本はパパが全て買ってくれるの)
B: Well, that’s very nice of him.(優しいパパね) <00:25:30>
(2) A: Do you still want to meet me?(今でも私に会ってみたいと思ってる?)
B: I would love to meet you. Where?
When?(ぜひ会いたいよ。それで、どこで、いつ?)<00:57:55>
(3) A: And I’m so honored that you’d want to be with me because you
would never be with anyone who wasn’t truly
worthy.(こんな僕を選んで付き合ってくれて光栄に思う。だって君はつまらない人間は相手にしない人だから)
B: I feel exactly the same way.(そんな、私のほうこそ光栄に思ってる)<01:20:55>
AとBの話者が隣接応答ペアのルールを守りながら、会話が一定の方向へと進展するためにお互いが協力していることがわかります。別の見方をすれば、一定の会話が成立するには、話し手と聞き手がお互いに協力し合うことが必要であり、そこには会話が成立するために隣接応答ペアという最小単位が存在しなければならないとも言えるかもしれません。
映画のセリフを通じて、相手のセリフにはYes /
Noやuh-huhだけではなく、会話が次へとつながるように、短くても文章で返答できる会話力を身につけたいですね。
2012年02月07日
タイトル: 映画『カーズ』
投稿者: 藤本幸治(京都外国語大学)
本作品は、うぬぼれ屋の天才レーサーが田舎町での暮らしを通して、愛や友情の大切さに気づく様を描いたアニメーション。擬人化された車のキャラクターたちが活躍します。
近年、若者に車が売れないそうですね。公共交通機関が発達した日本では当然の事かもしれません。もちろん、憧れるような車を作れないメーカーにも問題があると思います。フェラーリやポルシェは、すぐには買えなくても「いつかはきっと」という夢を持たせてくれた時代が、かつてはありました。
この映画では、レーシングカーのマックィーンですら、”Holy Porsche!! She’s gotta be from my
attorney’s office.”<00:33:43> と言って、サリー(ボルシェ911
カレラ)には感嘆します。(ポルシェは日本では医者の車のイメージという日米の差を示すおもしろい台詞ですね。)サリーも劇中で自らをこう讃えます。I
create feelings in others they themselves don’t
understand.”<01:47:30>
(they以下の節は、feelingsを修飾するのでしょうか、あるいはothersなのでしょうか?!)
子どもの頃に憧れたミニカーも大人になると、どんどんとその憧れが消え失せていきます。夢を見る事の大切さを伝えるからこそ、Disneyの映画はかくも広く、世界中の多くの人々に愛されているのだと思います。
便利さだけでは、人は幸せになれない。それと引き換えに大切な何かをあなたは失っていませんか。映画『カーズ』はそんな問いを私たちに投げかけています。
”Spero che il tuo amico si riprenda. Mi dicono che siete fantastici.”
(I hope that your friend recovers. I was told that you are
fantastic)<01:46:50>
フェラーリにこう言われてはたまりませんね。Luigi と Guido のリアクションも最高です(笑)!いや~、わかるなあ、その気持ち。
2012年01月01日
タイトル: 文末焦点と句動詞の語順
投稿者: 倉田 誠(京都外国語大学)
「文末焦点の原則」とは、情報的にウェイトを持つ要素を文末に置く操作を指します。この操作は句動詞のような目的語と不変化詞(副詞)の語順が入れ替え可能な表現にも頻繁に見られるものですが、注意が必要な点もあります。
(1a)と(1b)の2つの文は学校文法では同じ意味と教えられますが、実は(1a)は文末にあるa
flowerに焦点があり、(1b)は不変化詞のbackに焦点があるという意味で違いがあります。この焦点化された語句の違いにより、その前後の文の適格性に差が生じる場合も多々あります。
(1) a. Max brought back a flower. 「マックスは一輪の花を持って帰ってきた」
b. Max brought a flower back.
(2) a. *Max brought back it. (*は不適格な文を指す)
b. Max brought it back.
例えば、直後に“Oh, yes, I know which one it
was.”という花に言及する返答をスムースにつなげられるのは、(1a)のみとなり、不変化詞backに焦点がある(1b)につなげると違和感を残します。また(2)は花を代名詞のitに置き換えたものですが、(2a)の文が不適格なのは、文末の位置に情報価値が低いとされる代名詞のitが来ているからです。このような句動詞の文末焦点の例は、映画でも多く見られ、基本的に例文(1)と(2)同様の原則に沿っています。下記は『レインマン』“Rain
Man”(1988)からのセリフです。
Charlie: It’s not important. What matters is who I’m
with.「場所なんてどうでもいい。誰といるかが問題だ。」
Dr. Bruner: You have to bring him back,
Mr. Babbit. Do you understand
me?「バビットさん、彼を連れて帰ってきなさい。わかったかね?」<00:40:38>
太字下線の動詞(bring)+代名詞(him)+不変化詞(back)という語順が示すように、情報価値の高くない代名詞には焦点はなく、不変化詞backにあるのが理解できますね。ただし、この原則には次のような反例のように思えるものもあります。『A.I.』“Artificial
Intelligence”(2001)からの動詞(bring)+不変化詞(back)+代名詞(her)という興味深い例です。
Blue Fairy: Dearest David, when you are lonely, we can bring back
other people from your time in the
past.「デビット、寂しい時には、過去からお母さん以外の人を甦らせてあげますね。」
David: If you can bring back other people, why can’t you
bring back her?「他の人を生き返らせることができるのに、なぜママだけはダメなんだ!」<02:05:30>
上記の(2a)の例と矛盾しているようですが、文末の代名詞のher(母を指す)に並々ならぬ強勢を置いていることがわかりますので、是非DVDをご確認ください。
句動詞の文末焦点の結論としては、音声的に強勢を置くことで、通常は情報価値が低いはずの代名詞であってもその情報価値は上がり、例外的に文末焦点の位置に持ってくることができるのですね。
2012年01月01日
タイトル: son of a bitch の複数形
投稿者: 井村誠(大阪工業大学)
スウェアリング(罵り言葉)のひとつであるson of a
bitchは、文字どおりには「淫乱な女(メス犬)の息子」という意味ですが、「最低な野郎」のような意味の名詞、あるいは腹立ちまぎれに「ちくしょう!」と叫ぶときの間投詞として、映画ではかなりよく耳にする言葉です。さて、この言葉の複数形はどうなるのでしょうか?次はThe
Rainmaker(パラマウント1997)からの一節です。
Rudy: The insurance company made an offer to settle.
Mrs. Black: What kind of offer?
Rudy: $75,000. They figure that's what it's going to cost to pay
their lawyers to defend the case.
Mrs. Black: Oh, son-of-a-bitches think that they
can just buy us off huh?
Rudy: That's exactly what they think.
<00:47:43>
保険金が支払われなかったために充分な治療ができず、息子を白血病で失ったMrs.
Blackは、保険会社を訴えます。弁護士のRudy(マット・ディモン)は、保険会社が示談に持ち込もうとしていることを告げますが、それに対してMrs.
Blackは、「あの連中は、私達を買収できると思ってるのね」と答えます。ご覧のとおり son of a bitch の複数形は sons of
a bitch でも、sons of
bitches でもなく、son-of-a-bitches となっています。ひとかたまりの語句ですから、ハイフンでつなげて語尾に-sが着くわけですが、その前に不定冠詞の
a があるので面白い語形になっています。(なお、同じ映画の中で sons of bitches という形も使われています。)
これに関連して面白いのが、ジョニー・ディップの出世作でもあるEdward Scissorhands(20世紀フォックス
1990)です。ハサミ(scissors)は通常複数形で用いますが、シザーハンズという名前の中では単数形になっています。複合語の中で単位が単数形で用いられることにも似ていますね(例:an
828 meter building)。
タブー語や罵り言葉の語法について興味のある方は、『英語のスウェアリング』(高増名代著 開拓社 2000)や『思考する言語(下)』(S.
ピンカー著、幾島幸子・桜内篤子訳 NHKブックス 2009)などをご参照下さい。
2011年12月06日
投稿者: 藤枝善之(京都外国語大学・短期大学)
タイトル: 家族の思い チャーリーとチョコレート工場 Charlie and the Chocolate Factory(2005年)
生きていく上でお金が大切なのは言うまでもありません。最低限のお金がなければ、空腹を満たすことさえできないのですから。しかし、家族の誰かが生活のために夢を、千載一遇のチャンスをあきらめようとしていたら?自分は飢えてでも愛する者の夢を叶えさせてあげたい-それが家族の思いというものではないでしょうか。
イギリスの町はずれに住むバケット家は、絵に描いたような貧乏一家。小学生のチャーリー、父、母、二組の祖父母が、今にも倒れそうなボロ家で身を寄せ合うようにして暮らしています。夕食は一皿のキャベツスープだけという生活。育ち盛りのチャーリーは、毎日お腹が空いて仕方ありませんでした。
そんなチャーリーの何よりの楽しみは、もうすぐやってくる誕生日。この日には、お菓子作りの名人、ウィリー・ウォンカの板チョコを買ってもらえるのです。そのウォンカのチョコレート工場はこの15年間人の出入りがないのに、世界的人気商品を毎日出荷しているという不思議な工場でした。ある日、驚くべきニュースが新聞のトップを飾ります。ウォンカ氏が、謎に包まれたそのチョコレート工場に、ゴールデン・チケットを引き当てた5人の子どもを招待するというのです。世界で5枚しかないその金色のチケットは、ウォンカの板チョコの包み紙の中に隠されています。各地で次々に発表される当選者たち。しかし、年に一度しかチョコレートを買えないチャーリーがその幸運を手にする可能性は、まずありません。しかし何ということでしょう、チャーリーは最後のゴールデン・チケットを引き当てるのです!喜びに沸くバケット一家。しかし、いざチョコレート工場に行く準備をという段になって、チャーリーが言います。「やっぱり行かない。500ドルでチケットを買いたいという人がいたんだ。家にはお金が必要でしょ」一瞬、みんな黙り込んでしまいます。その時、ジョージおじいちゃんがチャーリーを傍らに呼び寄せ、おもむろに言って聞かせます。
“There’s plenty of money out there. They print more every day. But
this ticket… there’s only five of them in the whole world… and
that’s all there’s ever going to be. Only a dummy would give this up
for something as common as money. Are you a
dummy?”「お金なんてものは、世の中にたんとある。毎日印刷されとる。しかしな、このチケットは、この広い世界にたった5枚しかないんじゃ。これから印刷されることもありゃせん。お金みたいなありふれた物のためにこれを手放すなんて、バカじゃ。お前は、そのバカか?」<0:32:30>
祖父が孫に与えた励ましの言葉。貧乏の辛さをおくびにも出さず、「お金なんてありふれた物」と、毅然と言い放つところが素敵です。
本作品の原作はロアルド・ダールが1964年に発表した同名の児童小説ですが、映画では家族愛というテーマを強調する新しいエピソードが加えられています。ウィリー・ウォンカが子どもの頃、父親の愛を充分受けられなかったためにトラウマを抱えるという設定や、最後にチャーリーの手引きでウィリーが父親と和解するという話は、原作にはありません。また、今回採り上げたシーンも映画のオリジナルです。ティム・バートン監督は、この映画で理想の家族像を描きたかったのでしょう。
2011年12月06日
投稿者: 吉川裕介(佛教大学・非常勤)
タイトル: 様々な強意表現
たとえば、The children broke the vase into
pieces.「子供たちが花瓶を粉々に壊した」のような文は、「行為と結果」を表し、このような構文は結果構文と呼ばれます。今回は、この構文を使って行為の甚だしさを強調する使い方を紹介します。まず、レイ・チャールズの伝記映画である『Ray/レイ』(2004)のとある場面を見てみましょう。
Billy: I’m gonna have to put some glasses before he scares somebody
half to death. (サングラスをかけさせないと。客をひどく怖がらせてしまうぞ。) <00:05:55>
これは幼少期に視力を失ったレイに対するセリフです。結果を表す述語to
deathは実際に死に至る解釈にならず、動詞scareの程度を強調する強意句として用いられています。普通、恐怖のあまり実際に死に至ることはまずありえません。日本語では「死ぬほどびっくりしたよ!」などの表現に相当します。様々な動詞に付けることができ、場合によっては大好きな人にI
love you to
death!(めっちゃ好きや!)と言うこともできます。他にも、『南極物語』(2006)に使われている強意表現で次のようなものがあります。
Jerry: Now that you scared the hell out of me, can we go home?
(ホントに冷や冷やしたよ。さぁ帰ろう) <00:29:44>
このthe hell out
ofという表現も強意句の一種で、本来の「地獄」という意味は擦り切れてしまっています。興味深いのは、表現規制に厳しいことで知られるディズニーの映画でもこのような一見すると下品と思われる表現が使用されていることで、このthe
hell out
ofという表現が日常的に使われていることを物語っていますよね。このような強意表現を意識することで、日頃の会話に一つパンチの効いたアクセントを付け加えることができるのではないでしょうか。
このような表現は『映画で学ぶ英語学』(くろしお出版)にたくさん掲載されていますので、是非ご一読下さい。
2011年12月06日
投稿者: 藤倉なおこ(京都外国語大学)
タイトル: 原作と映画 ――The Notebook, 2004(邦題:「きみに読む物語」)
映画を観た後、「原作と違う!」と思ったことはありませんか?ここで紹介する映画は、原作では自立し毅然と自分の人生の最期をまっとうした女性が、映画では夫に依存する悲劇のヒロインとして描きかえられてしまった例です。
映画、The
Notebookは、2004年にアメリカで公開されヒットしました。同名の原作は米国の作家、ニコラス・スパークスのデビュー作です。小説、The
Notebookは小さな町の高齢者施設に入所している80歳を超えた男性が、同じく入所している79歳の女性のもとに毎日かかさずNotebookに綴られた物語を読み聞かせに通っているというところから始まります。物語はある男女の十代からの恋愛、出会い、別れ、再会が描かれています。小説の最後で実は男性とその女性は夫婦で、物語は彼らのことを綴ったものだということが明らかになります。女性の名前はアリー、男性はノア。アリーはアルツハイマー病でノアが夫であることを忘れてしまっています。
小説のアリーは聡明で自信に満ちた有名な画家です。彼女はアルツハイマー病と診断されてからも毅然としています。夫に迷惑をかけないために施設への入所を決め、Notebookを綴りました。病気で記憶をなくしてもこの物語を読み聞かせてほしい、きっと二人のことを思い出すからとNotebookを夫に託します。しかし、映画のアリーは病気になすすべもなく、ただノアから庇護される弱い女性として描いています。
小説ではアリーの最期にノアがキスをすると アリーは“Oh, Noah … I’ve missed
you.”「ノア、会えなくてさびしかったわ。」とやさしくささやき、ノアを自分の愛する夫であると認識します。Notebookを読み聞かせてくれたら、“…
in some way I will realize it’s about us. And perhaps, just perhaps,
we will find a way to be together
again.”「二人のことだと思い出すわ。そしたらきっと、きっとまた二人が一緒になれる方法を見つけ出せるわ」と約束したとおり、アリーはノアの腕の中に戻ってきます。それは、“intelligence,
confidence, strength of spirit,
passion”「知性、自信、精神の強さ、情熱」のすべてを備えもったアリーが自ら手にした彼女の人生の完結でした。
しかし、映画は違います。映画のアリーは、最後までただ夫に依存する弱い妻です。そしてノアは、どこまでも“patriarchal”「家父長的」な守護者として描かれています。映画ではノアがアリーの病室を訪ねこのような会話が交わされます。
Allie: I didn’t know what to do. I was afraid you were never going
to come back.
「どうしたらいいかわからなかったの。あなたがもう二度と戻ってこないかもしれないと思って怖かったわ。」
Noah: I’ll always come back. 「必ずきみのそばに戻ってくるよ。」
Allie: What’s gonna happen when I can’t remember anything anymore?
What will
you do? 「何も思い出せなくなったら、どうなるのかしら。あなたはどうする?」
Noah: I’ll be here. I’ll never leave you.” 「ここにいるよ。きみを絶対に一人にしない。」
なぜこのように原作と映画は違っているのでしょうか。映画、The
Notebookをヒットさせるためには、観客に最も親しみがあり、最も受け入れやすい「メロドラマ」に仕立てる必要があったのでしょう。映画でノアは守護者、アリーは恐ろしい「老い」に翻弄される美しい犠牲者です。アリーの苦しみと老いの衰えを強調し、その末路の悲惨さを女性はみんなこうなるのだとでも言うように映像で伝え、より劇的に犠牲者となるアリーを描いています。小説のように自立した高齢の女性が毅然と最期をまっとうし、夫は自らの老いにもとまどいながら彼女の傍らにいるというのでは、ヒットしないということなのでしょう。たとえそれがベストセラーであったとしても。しかし、ここで危険なのは映画製作者が意図的にアリーという女性を加工し、その過程で単純な“ageist”「高齢者差別的」
かつ
“sexist”「性差別的」な女性高齢者のステレオタイプにはめ込んでいることです。こうして商業的な成功のために時に映画は、女性や老いについての人々の偏見をそのまま定着させ、広げ、存続させる役割を果たしてしまってはいないでしょうか。
2011年11月04日
投稿者: 横山仁視(京都女子大学)
タイトル: 「動き」と「方向性」を表す前置詞と副詞
前置詞や副詞が動詞の後に付くことによって、その動詞に「動き」と「方向性」を与えることがあります。特にこれらが映画のセリフや小説に使用されると、読み手や聞き手が、人や物の移動をリアルな映像としてイメージすることができます。
以下は、映画『アポロ13』(1995)のあるシーン。宇宙飛行士が月面着陸前の宇宙船内を移動している場面です。
(1) JACK: Well, folks, let’s head on down to the lunar excursion
module. Follow me. Now, when we get ready to land on the moon…Fred
Haise and I will float through this access tunnel…into lunar module.
<00:47:30>
(それでは続いて着陸船の中を案内しましょう。こっちだよ。月面着陸の準備が整うと、フレッド・ヘイズと僕はこのトンネルを抜けて着陸船の方へ移動します。)
(2) JACK: Okay, we’ll head back up the tunnel now and back into the
Odyssey. <00:48:23>
(それじゃ、そろそろトンネルを抜けて、オデッセーに戻りましょうか。)
(1)では、今いる船体(オデッセー)から浮遊してトンネルを通り、別の船体(月着陸船)へと入っていく「動き」を、また(2)はその帰り道の「動き」を表しています。この二つの台詞を聴くと、ある場所から新しい場所へ宇宙飛行士がどのように移動するのかを、リアルなイメージとして思い描くことができますね。
2011年11月03日
投稿者: 中山 麻美 (立命館大学・非常勤講師)
タイトル: 助動詞doの強調用法
学校文法では、助動詞のdoは原形動詞(主動詞)の直前に置かれて、その主動詞の行為を強調することがあると説明され、そのようなdoは「強調のdo」と呼ばれます。しかし実際は、動詞の行為を強調するのではなく、直前に出てくる文章の否定的な意味を打ち消し、動詞の表す事実を強く主張する役割があります。
ジュリア・ロバーツ主演で実話に基づいている『エリン・ブロコビッチ』(2000)の映画に出てくる助動詞doの働きを実際に見てみましょう。離婚し、貯金も尽きかけたエリン・ブロコビッチが強引に弁護士事務所のアシスタントとして働き始めることになります。そして大企業の工場が有害物質を垂れ流しにしている事実を突き止めます。その後遺症に苦しむ住民たちに訴訟を起こすよう説得し、ついに問題の大企業と交渉の場を持ちます。訴訟に持ち込ませないように和解金を提示してくる大企業の顧問弁護士に向かって発せられたのが、以下のエリンの言葉です。
Erin: They may not be the most sophisticated people, but they do
know how to divide.
「この人たちは教養は大してない人たちかもしれないけど、割り算の仕方くらいは知ってるわよ。」<01:22:33>
その提示された金額が十分なものではなく、エリンは怒りをあらわにします。彼女は住民のことを無知だと思っている弁護士の心理をうまくつき、住民は和解額が不適切であることはお見通しだと断言します。素晴らしい交渉戦術です。つまり、この文では助動詞のdoを使い、butの前の文に含まれた否定の意味を打ち消し、事実を強く浮き立たせているのです。またこの強い肯定の意味は音声的にも現れており、助動詞のdoを文中で最も強く発音されます。この助動詞のdoを映画の中で見つけることができたら、話し手の心の動きが分かり、さらに台詞の奥行きを感じることができるでしょう。
このように学校文法ではあまり教えてくれない英語学をもっと知りたい人には、『映画で学ぶ英語学』(くろしお出版)がお勧めです。
2011年11月03日
投稿者: 中井英民(天理大学)
タイトル: 「映画、インビクタスに見るWorld Englishesの一例」
2011年10月に行われたラグビー・ワールドカップは、ニュージーランドの優勝で終わりましたが、1995年のラグビー・ワールドカップは、南アフリカで開催されました。この大会での同国の優勝を描いた感動作『インビクタス』(クリント・イーストウッド監督)では、アパルトヘイトの終焉直後に選ばれた黒人大統領のネルソン・マンデラ氏が、これまでの差別と抑圧の歴史を乗り越え、黒人に白人と団結することの大切さを訴えます。
黒人で占める国家スポーツ評議会は、アパルトヘイトの象徴だった白人中心の南ア、ラグビーチームの名前とチームカラーの廃止を決めますが、マンデラ大統領が乗り込み、見事な演説で黒人たちに怨讐を乗り越えようと説得します。
This is no time to celebrate petty revenge. This is the time to
build our nation using every single brick available to us.
(今は卑屈な復讐を果たす時ではない。使えるレンガはすべて利用して、我々の国家を築く時なのだ。)
<00:43:28>
さて、「国際語としての英語」の発音を研究するジェニファー・ジェンキンス氏は、「もはやアメリカやイギリスの英語を真似る必要はない」とし、英語のリズムと考えられてきた「強勢リズム」を否定し、「音節リズム」でも良いと述べています。事実World
Englishesの研究では、アフリカで話されている多くの英語は「音節リズム」をとると報告されています。「インビクタス」ではこの南アフリカ英語の(少し間延びしたように聞こえる)特徴を、マンデラ大統領を演じた俳優、モーガン・フリーマンが見事に再現しています。映画を通じて様々な「世界の英語たち」にも親しんでみてください。
2011年10月07日
投稿者: 福田 京一(京都外国語大学)
タイトル: 「英詩と映画」
映画の重要な場面でしばしば詩が使われる時があります。60年代初めアメリカの高校生の愛と性を扱ったElia Kazan監督の青春映画の傑作Splendour
in the Grass(『草原の輝き』1961年)では、表題にもなっています。作中、愛するBud(Warren
Beatty)が級友の女性にこころ移りしたのを知ったDeanie(Natalie
Wood)は授業中、物思いに沈んでいるとき、突然先生から指名されて、William Wordsworth,"Ode on
Intimations of Immortality from Recollections of Early
Childhood"の次の一節を読まされます。
"Though nothing can bring back the hour / Of splendour in the grass,
of glory
in the flower;/ We will grieve not, rather find / Strength in what
remains behind;"
そして、詩人は "splendour in the grass"と"glory in the
flower"によって何を表現しているのか、と質問されます。Deanieは混乱しながらも、やっと次のように答えます。
"Well, I think it has some…. Well, when we're young, we look at
things very
idealistically I guess, and I think Wordsworth means that…that when
we grow
up… that we have to forget the ideals of youth, and find strength…"
彼女は、失恋の痛手を乗り越えねばならないというせっぱ詰まった思いをこの一節の中に読み込んだのでしょうか。だから、ここの"Strength"は、おそらく"strength
to accept things as they
come"と続けるつもりではなかったのでしょうか。とにかく、彼女はここで心神喪失の状態になり、それ以後精神病院で1年半を過ごすことになります。
病気が癒えた彼女が結婚を前に、Budとの気持ちを整理するために彼に会いに行きます。結婚をして、牧場で働く彼とその家族に会って何もかも納得したDeanieは、帰りの車の中で友人Hazelから,"Deanie,
honey, do you think you still love
him?"と尋ねられます。それに対して、彼女は何も言わず、心の中で"Though nothing can bring
back…"とつぶやくのです。このラストシーンでの"Strength"は何を意味するのでしょうか。Wordsworthは生きる力とか勇気を言っているわけではありません。では、苦しみを乗り越えて、いま新たな生活に旅立つDeanieは、数年前に教室で読んだこの一語に同じ意味を見いだしていたのでしょうか。さて、皆さんはどう考えますか。
ちなみに、この映画の台本は劇作家William
IngeがKazanのために書き下ろしたものです。Ingeは友人の質問のあと、詩のつぶやきではなく、次のように続けています。
D: I don't know. He's a totally different person to me now.
J: What do you mean?
D: I'd always worshipped Bud like he was a god. But all this time
he's been
a man, hasn't he? Like other men all over the world, trying to
get along.
私は、Kazanがこれを詩に変更して良かったと思っています。
2011年10月07日
投稿者: 三村 仁彦(関西学院大学大学院研究員、京都外国語大学・非)
タイトル: 「動画サイトで楽しむスターのインタビュー」
このコラムを楽しみにしておられる皆様には、お気に入りの俳優・女優が、少なくとも一人や二人はいらっしゃることでしょう。そういったお気に入りのスターのインタビューが、今はYouTubeなどの動画サイトで手軽に視聴することができます。出演した作品の裏話はもちろん、スクリーン上では見られない素顔を垣間見ることができ、ファンとしては嬉しいものです。
もちろん、そこで話されている英語はウィットに富むものも多く、英語学習者にとっては、生きたフレーズを学ぶうえでの有効な手段の一つと言えるでしょう。また、英語学の観点から見ても、興味深いものも少なくありません。
下記はイギリス人女優Emma Watsonが、アメリカのトークショーに出演した際の抜粋です(動画はリンク先へ)。Harry
Potter作品のシリーズを通して主要キャラクターのHermione
Grangerを演じている彼女は、以前アメリカの有名大学に在籍していたことがありますが、その当時に経験した、ちょっとした「言葉の壁」について話してくれています。
YouTube(http://www.youtube.com/watch?v=EtM_ILeTzQw)
<0::53>
You know, I find day-to-day there are things that I'm unable to
communicate. I really needed a, uh, what I would call a plaster, the
other day. I was bleeding, quite heavily. And, uh, I was running
around, saying, "Wait guys, please. I really need a plaster. I
really need a plaster," and they just … had no idea what I
was talking about. And, uh, honestly it took five or six minutes to
work out that what I wanted was a Band-Aid.(斜字体は筆者)
<試訳>
そうねえ、「うまく伝えられない物事がある」って毎日思い知らされるわ。つい先日のことだけど、私がplasterって呼ぶものがすぐに必要になったの。ひどく出血してしまってね。だから走りまわって、「みんな、ちょっと待って。plasterが必要なの。plaster持ってない?」って言ったわ。でも、みんな私が何を言ってるのかさっぱりわからないの。おおげさじゃなく、私がほしいのはBand-Aidだってみんなが気づくのに5~6分かかったのよ。
アメリカ英語とイギリス英語では、音声や語彙の面で異なる部分があるという事実はよく知られています。後者については、米/英で「一階」がfirst
floor/ground floorであったり、「エレベーター」がelevator/liftであったりすることが有名ですが、「バンドエイド」がBand-Aid/plasterと異なっていることはあまり知られていないのではないでしょうか。ちょっとしたことではありますが、こういった知識を、世界的なスターの口を通して学べるのは、一映画ファンとしても、一英語学習者としても刺激的で嬉しいものです。インターネットが生活の一部となっている現代では、楽しく英語を学べる手段として、このような動画サイトを利用するのもよいのではないでしょうか。
ちなみに、上記の動画では、もうひとつのエピソードが紹介されています。やや大人向けの内容になりますので、ここで詳細を明かすことは控えさせていただきますが、興味のある方はぜひリスニングにチャレンジしてみてください。
なお、こういった動画では、当然字幕などはついていないのが普通です。視聴して楽しむには、ご自身のリスニング力のみが頼りとなりますが、そこにまだ自信のない方は、よく知っている映画が話題になっているインタビューから始めてみてください。背景知識が助けとなって、聴き取りが比較的しやすくなりますよ。
2011年09月13日
投稿者: 飯田 泰弘(大阪大学大学院博士後期課程)
タイトル: 「映画で学べる様々なニックネーム」
映画の中では、特定の地域に付けられた様々なニックネームを聞くことができます。たとえばアメリカのニューヨーク市にはBig
Appleという愛称があり、シカゴの場合はWindy Cityという愛称を持っています。また、ロサンゼルスはCity of
Angelsとも呼ばれ、『バイオ・ハザードⅣ アフターライフ』(2010)では、壊滅状態になったロサンゼルスの街を見た主人公が
"City of Angels…."<00:29:16>と嘆くシーンがあります。
ここで余談ですが、「ロサンゼルス(Los Angeles)」という名前は、スペイン語でthe angelsを表すlos angeles
に由来していますので、この都市名の場合は「天使(angel)」の複数形の語尾が、特別に-esになることに注意してくださいね。ですから、数年前にアナハイムからロサンゼルスに本拠地を移したMLB球団の「ロサンゼルス・エンジェルズ(The
Los Angeles
Angels)」のスペルでは、都市名の方はAngeles、チーム名の方はAngelsと、語尾が異なっています。MLB中継を見るときは是非チェックしてみてください。
さて、地域だけではなく、その地域出身の人々を指すニックネームも映画では確認することができます。この種の有名なニックネームとしては、インディアナ州出身の人を指すHoosierというものがあります。このニックネームの語源には諸説あるのですが、『ザ・ホワイトハウス シーズン4 エピソード1』の会話でも確認することができます。ここでは、政府の職員であるトビーが、地元の少年にHoosierが何を意味するか尋ねています。
Toby: What's a Hoosier? 「フージャーって何のことだ?」
Tyler: A Hoosier is someone from Indiana.
「フージャーというのはインディアナ州の人のことだよ」<00:36:18>
では、国のニックネームとしてDown
Underというものがありますが、これはどの国を指すかご存知でしょうか?そう、答えは南半球にあるオーストラリア(またはニュージーランド)です。しかし『アナライズ・ユー』(2002)では、イタリア系マフィア役のロバート・デ・ニーロが、
Down Underの意味がわからず、"Down under what?"「何の下?」と聞き返してしまいます<00:49:49>。
映画を見る際には、その物語がどの国や街を舞台としているかにも注目して見てみると、その地域独特の言い回しや表現を知ることができて楽しいですよ。
2011年09月13日
投稿者: 近藤 嘉宏(京都経済短期大学・非、京都成章高校・非)
タイトル: 「映画と英語と多読」
知的障害のため7歳程度の知能しか持たない父親のSamが一人娘のLucyにベッドで物語を読み聞かせている場面 (I am Sam.
00:18:05) 。
Sam: And I will eat them here and there. I will eat them anywhere. I
do so…I do so like green eggs and ham. Thank you, thank
you, Sam-I-am.
Sam: One more time?
Lucy: Yeah.
Sam: Okay. Green Eggs and Ham by Dr. Seuss. And I will eat
them here and there. I will eat them anywhere. I do so…I do so like
green eggs and ham. Thank you, thank you, Sam-I-am. One
more time?
Lucy: Daddy, it's my first day of school tomorrow. I don't want to
be too sleepy.
読む力を上げるのに効果がある方法の一つに、多読(extensive reading)がある。この場面で取り上げられているGreen
Eggs and Ham by Dr. Seuss も有名なリーディング入門用の絵本である。Lucy
の父親思いの性格が、この場面から見て取れる。
この場面のすぐ後で、少しレベルの高い本を読み聞かせようとするが、Samには難しすぎて読めない場面がある。私たちも自分のレベルにぴったり合った、または自分のレベルよりも少し上のレベルの本に挑戦し続けることが、練習を続けていく秘訣だと分かる。この場面でも、Lucyの父親思いの優しい気持ちに触れることができるので、ぜひ自分で確かめてほしい。
映画を観て面白いと思ったら、そのシナリオを読んでみよう。いっそう面白さが倍増することだろう。スクリーンプレイ社から多くのシナリオが詳しい解説付きで出版されている。
そのシナリオが少し難しいと感じたら、多読用のgraded
readerを読んでみよう。初級レベルから段階的に様々な種類のものが発行されている。Rain Man(Penguin
Readers Level 3 1200 headwords)やTitanic!(Level
3)などいろいろな映画のリライト版が出版されている。映画が好きになり同時に英語力も向上し、一石二鳥である。それでもまだ少し歯がたたないと感じる人には、Just
like a movie(Cambridge English Readers Level 1)、Does he
love me?(Foundations Reading Library 300 headwords)、Goodbye,
Mr Hollywood(Oxford Bookworms Library Stage
1)がお薦め。このレベル1やStarterレベルの��にとても面白いものをたくさん見つけることができる。
2011年09月12日
投稿者: 北本 晃治(帝塚山大学)
タイトル: 「『レオン』における"No women, no kids."を巡って」
映画『レオン』(1994)では、タイトルそのものとなっている主人公のレオン(ジャン・レノ)は、迅速、確実に仕事をこなすニューヨークで一番の「殺し屋」です。現場に登場すると、彼は開口一番、"No
women, no
kids."と高らかに宣言して、何らかの人間関係の泥にまみれた野郎どもを、あっという間に次々と射殺して、さっさと姿をくらましてしまいます。そのスピードと迫力に私たちは思わず息を呑んで引き込まれてしまうのですが、 この"No
women, no
kids."というのは、レオンの職業上の倫理コードで、女子供に対する殺しの依頼は受けないし、現場でも絶対に殺さないという意味の宣言となっています。この言葉は、「殺し」という非情の世界にありながら、レオンの心根の優しさを示すもので、どのような依頼でも受ける普通の殺し屋とは一線を画すものであることを意味しています。
さて、ここまでが映画の中で表面から見える"No women, no kids."の意味なのですが、ここに隠された意味を探ってみましょう。
この映画の主要な登場人物は、レオンの他にあと3人います。それは、飲食店を装いながら、レオンに殺しの仲介を行っているトニー(ダニー・アイエロ)。家族を皆殺しにされて、レオンのアパートに助けを求めてやって来る少女マチルダ(ナタリー・ポートマン)。麻薬捜査官でありながら実は麻薬中毒者で、マチルダの家族を平気で殺すなど、職権を乱用して甘い汁を吸っているスタンスフィールド(ゲイリー・オールドマン)です。
レオンは成り行き上、偶然マチルダを助け、奇妙な共同生活に入っていきます。そして、レオンが殺し屋だと知ったマチルダからの「(依頼されれば)誰でも殺すのか?」との質問に、"No
women, no kids. That's the rules."
<00:37:40>と答えています。ここではそれ以上の詳しい説明はありませんが、この言葉は映画の展開を考える上で大変重要な鍵となっています。
それは、"No women, no
kids."「女子供は殺さない、関わらない」というモットーで仕事をしてきたレオンのもとを訪れたのが、正に、「女でかつ子供」のマチルダだったからです。そしてその結果、レオンは直観的に敬遠していた麻薬捜査官のスタンスフィールドと関わりを持つことになり、自らの命と引き換えに、マチルダの願い(家族の仇を討つ)を実行することになります。
ここでレオンとスタンスフィールドのそれぞれの特徴について見てみましょう。
(レオン)
1.悪の組織(殺し屋)の中の善人
2.女、子供(未来の命の可能性)は殺さない。
3.ミルク(母子一体感、全能感の象徴:体を養う液体)を飲む。
4.トニー(殺しの仲介人)に利用されている
5.マチルダに愛されている
6.スタンスフィールドに殺される
(スタンスフィールド)
1.善の組織(警察)の中の悪人
2.女、子供でも、命乞いする者を殺すことに悦びを覚える。
3.麻薬(母子一体感、全能感の象徴:体を蝕む粉末)を飲む。
4.トニー(殺しの仲介人)を利用している
5.マチルダに憎まれている
6.レオンに殺される
どうでしょうか?まるで陰陽の大極図のように、両者が全く正反対の相対する存在であることが分かるでしょう。
レオンにとっての"No women, no
kids."とは、職業上の倫理コードであるのと同時に、「女」で象徴される感情の世界と、「子供」で象徴される未来の明るい可能性とは関わらないことで、非情の殺し屋の世界で生きていくための「安全弁」ともなっていたのですね。「感情」に流されたり、「未来の明るい可能性」を夢見ていたのでは、決して勤まらない「仕事」だというわけです。この映画の面白いところは、その避けて通ってきたものが、まるでベートーベンの「運命」のように、マチルダとなってあちらからノックして舞い戻ってきたこと。そしてその結果、自らの影であるスタンスフィールドとの出会いが必然のものとなったというところにあるように思います。レオンはそのことで、これまでのような、直観的に可能な仕事のみを選択しクールに立ち回る有能な殺し屋ではいられなくなり、「他者の死」と「自らの死」が重なり合う究極の危機へと追い込まれていってしまいます。悲しい結末ではありますが、孤独のなかで暮らしていたレオンにとって、自分の命よりも大切な愛すべき存在を見つけられたことは、何よりの救いであったことでしょう。
皆さんもこの映画を通して、これまで当たり前として考慮することのなかった自らのコード(取り決め)や、不意に自分の人生に働きかけてくる人や物事の隠された意味について、改めてじっくりと考えてみられてはいかがでしょうか。
尚、この映画の関連事項を『元気がでる!
映画の英語 ~この台詞で人生が変わる~』(藤枝善之編著、近代映画社、2009年)にも書いておりますので、よろしければ、そちらの方も合わせてご一読下さい。
2011年08月13日
投稿者: 平井 大輔(近畿大学)
タイトル: 「動詞の用法を変える接頭辞out」
"The Hours"『めぐりあう時間たち』(2002)に、以下のような表現が出てきます。
Laura: It's a terrible thing, Miss Vaughan, to
outlive your whole family.
(ヴォーンさん、家族に先立たれるのって、辛いものですよ。)
このセリフの中で、outliveという動詞が使われています。この単語を分解して見ると、その面白さが分かります。outliveは、2つの部分に分解することができます。すなわち接頭辞の"out"と元来の動詞"live"です。皆さんご存知の通り、liveは本来そのあとに直接目的語を取らない自動詞です。だから、
*She lived her mother.
という英語は文法的ではありません。しかし、接頭辞outを自動詞liveに付けることによって、自動詞が他動詞化され、outlive
~は「~よりも長く生きる」という意味になるのです。
このoutは、非常に比較的生産性が高く様々な自動詞につけることができます。他にも、"Stand by
Me"『スタンド・バイ・ミー』(1986)にも同様の例がみられます。
Gordie: You only outweigh him by 500 pounds, fat
ass!" <00:29:00>
(お前は、アイツより500ポンド太っているだけじゃないか、このデブ。)
outがweighに付いて「~よりも重さがある」という意味になっていますね。
2011年08月05日
投稿者: 井村 誠(大阪工業大学)
タイトル: 「Phatic Communion(交話機能)」(GRAN TORINO 2008)
親しい間柄での挨拶や、軽妙な会話のやりとりは、しばしば字句どおりの意味を失って、もっぱらお互いの関係がつながっていることを確認する働きを担っていることがあります。人類学者のマリノフスキー(Bronislaw
Kasper Malinowski 1884-1942)は、このようなことばの儀礼的あるいは社交的使用をphatic
communion(交話機能)と名付けました。
グラン・トリノ(ワーナー
2008)でWalt(クリント・イーストウッド)が、馴染みの散髪屋で髪を切ってもらった後に、主人のMartinと交わす会話はこんな具合です。
Martin: There. You finally look like a human being
again. You shouldn't wait so long between haircuts, you cheap son of
a bitch.(ほーら、ようやくまた人らしく見えるようになったろ。あんまり間を空けんなよ、このドケチ野郎。)
Walt: Yeah. Well, I'm surprised you're still
around. I was always hoping you die off and they'd get somebody in
here who knew what the hell they were doing. Instead you just keep
hanging around like the doo-wop dago you
are.(ああ、しかしおめぇもよくまだ生きてんな。早ぇとこくたばっちまって、誰かもうちーとまともに仕事ができる奴が替わってくれりゃいいのによ、まったく。いつもぶらぶらしやがって、このイカれたラテン野郎。)
Martin:
That'll be ten bucks, Walt.(お代は10ドルだ、ウォルト。)
Walt: Ten bucks. Jesus Christ, Martin. What are
you, half Jew or something? You keep raising the prices all the
time.(10ドルだと?おったまげたな、マーチン。いったい何モンだ?ユダヤ人のなりそこないか?いっつも値上げばっかりしやがって。)
Martin: It's been ten bucks for the last five
years, you hard-nosed, Polack son of a
bitch.(5年間ずっとかわってねぇよ、この石頭のポーランド野郎。)
Walt: Yeah, well, keep the change.(まぁいいや、釣りはとっとけ。)
Martin: See you in three weeks,
prick.(3週間後にまたな、おたんこなす。)
Walt: Not if I see you first,
dipshit.(気が向いたら来てやるよ、クソガキ。)
Martin: (chuckles)(クスクス笑う)
DVD Time <00:30:56>~<00:31:36>
言葉は悪くても、二人が互いに信頼し合っていることが伝わってきます。この映画には、他にもスウェアリング(罵り言葉のスラング)や、移民に対する侮蔑的呼称がたくさん出てきます。移民の国アメリカを理解するには、必見。
2011年08月05日
投稿者: 松田 早恵(摂南大学)
タイトル: 「運命の人―Twilightシリーズの中の刻印」
かつて、ある芸能人が発した「会った瞬間ビビビッときた」という言葉が流行語になったことがありますが、4巻からなる「トワイライト・サーガ」シリーズの3作目『エクリプス』(2008)にはさらに強い「運命のビビビッ」が出てきます。それが、"imprint"(刻印)と呼ばれるもので、人狼(shape-shifter)であるジェイコブ・ブラックが原作では次のように説明しています。
It's not like love at first sight, really. It's more like... gravity
moves... suddenly. It's not the earth holding you here anymore, she
does.... You become whatever she needs you to be, whether that's a
protector, or a lover, or a friend. Stephenie Meyer
(2008) Eclipse Chapter 8, p.176
(一目惚れとは違うんだ。突然引力がシフトするというか・・・地球にではなくて彼女に引っ張られる。自分は、保護者だろうが、恋人だろうが、友達だろうが、彼女が求める通りのものになる。)
一方、映画『エクリプス/トワイライト・サーガ』(2011)では、以下のようなセリフになっています。
Jacob: Imprinting on someone is like... like when you see her,
everything changes. All of a sudden, it's not gravity holding you to
the planet. It's her. Nothing else matters. You would do anything,
be anything for her. <00:22:45>
(誰かにインプリントするっていうのは、彼女を見た瞬間に全てが変るっていうことなんだ。突然、引力にではなく彼女に繋ぎとめられる。他のことはどうでもよくなる。彼女のためなら何でもするし、何にでもなれる。)
ある種、動物的本能とも言える(狼なので当然か・・・)この「ビビビッ」とその後の無償の愛(selfless
love)、永遠なる忠誠(eternal loyalty)を皆さんはどう思われますか?
最終的に、ジェイコブは誰に"imprint"するのでしょうか?最終章の『ブレーキング・ドーン』は、『ハリーポッターと死の秘宝』のように前編・後編に分けて公開されるようです(日本公開は未定)。それまでに結末がお知りになりたい方は、是非Breaking
Dawn (Stephenie Meyer, 2010)をお読みください。
2011年07月19日
投稿者: クレイグ・スミス(京都外国語大学)
タイトル: "Shane and Non-Verbal Communication: creating a place for
reflection"
The film Shane is a monumental Western movie in many ways. The
script was a wonderful tool for Shane's actors. It is true that the
words of the script are very important, but it is much more than the
words of Shane which capture the hearts and minds of its viewers. We
do not say we 'listen' to films; we say that we 'watch' films. The
words are brought to life not only by the actors' speaking skills
but also by their expressive body language, one type of non-verbal
communication. The sets, the lighting, the costumes, the camera
work, and the ways scenes are planned by scriptwriters and directors
are among the many aspects of non-verbal communication which help us
understand film stories. There is a well-known actors' maxim: 'Don't
just say it. Show it.'
Joey, the young son of a farming couple, is the principal observer
of Shane. Joey is our representative and we watch the film through
his eyes. Indeed, in every scene observers are present on the
sidelines but we are always especially aware of Joey, a child in the
midst of learning some very important lessons about his society. He
listens to the words of the adults but most importantly he watches
carefully, and critically, every detail of what they do. Indeed,
Shane, to an unusual degree, is energized by observation, and thus,
the film's non-verbal communication is rich.
The first and last scenes frame the film's message with Shane's
arrival and departure in a similar setting and in a similar manner.
The Teton Mountains that the telephoto camera lens bring in close
and high above the actors symbolize the permanence and power of the
natural world and man's temporary fragile presence. However, our
main interest is in our own place in the world and Joey dominates
both scenes as Shane's interactive observer.
In the first scene Joey's father, Joey's mother, and Joey who calls
attention to Shane, all silently watch Shane's long slow arrival.
The parents' domestic tasks and dress, typical of their farming
roles, contrast with Shane's apparently aimless travel on the open
range and his cowboy clothing. Shane's life style is highlighted
when we see him framed by the antlers of a deer. There is a
suggestion that although he may be free for the time being, he is a
hunted man.
Shane greets Joey by pointing out the central, not marginal, and
active, not passive, role of Joey as observer.
Shane: Hello boy. You were watching me down there for quite a spell,
weren't ya?
Joey: Yes, I was.
Shane: You know, I like a man who watches things going around. It
means he'll make his mark some day.
As Shane says, Joey's understanding of his society does grow and the
last scene is more about Joey than Shane. As Shane rides away,
probably seriously injured, into the mountains, Joey's face fills
the screen and Shane confirms Joey's personal growth and his
readiness to take part in his family's life as well as his parents'
need for Joey's support:
Shane: You go home to your mother and father and grow up to be
strong and straight. And, Joey... take care of them, both of them.
Shane seems to be saying that he will never return because his help
as a sort of unofficial policeman will no longer be needed. In a
regulated society it is clear that policemen only use their guns in
a very controlled manner to protect society. Shane's role as a
gunslinger is not as clear. In response to Joey's admiration of his
skill and achievements with his gun, Shane makes an ambiguous
comment:
Shane: A gun is as good or as bad as the man using it.
This meaning of this statement is shown in non-verbal terms in the
climatic shoot-out scene. The actors Alan Ladd and Jack Palance who
play the two gunslingers, look so similar that they appear to be two
aspects of a single character. Indeed, they seem more like brothers
than enemies. They are dressed in similar fashion, and they move in
similar ways with almost identical timing and skill. At first, it is
not even clear which man wins the gunfight.
Moral ambiguity defines their roles as killers. Shane may be a
reluctant killer but the killing has gravely wounded his own spirit
and he has sacrificed the chance to have a family life like Joey's.
Both men are strong silent cowboys who do not talk of their past,
nor of their future. They are men of few words with gravelly voices,
who rely mainly on non-verbal communication. By revealing in words
no more than the slightest suggestions of their feelings, we can see
in their actions the essence of their manliness.
Shane is a movie that does not just happen to its viewers in the way
a roller coaster ride happens to its passengers.
Shane provides an opportunity for its audience to participate in the
making of its meaning. Non-verbal communication sets the slow
thoughtful pace of the film in its scenes which are like portraits
of the society it describes.
Watching Shane with its quietness and opportunities for sustained
concentration gives us time to reflect on important aspects of life.
We are distracted, and at times overwhelmed, by some films which
have more information than we can take in comfortably. It seems
socially useful to immerse ourselves in a movie like Shane that
allows us enough space and time for reflection.
Shane creates a place of stillness in its non-verbal communication
that encourages its audiences to think seriously about making
responsible decisions in a world that sometimes seems scary and
unmanageable.
2011年07月03日
投稿者: 倉田 誠(京都外国語大学)
タイトル: 「映画における性差撤廃の表現」
世界各国で差別のない言語表現(political correctness:
PC)に変えようという動きが活発になってきています。英語の性差に関する表現もその一つであり、初期は男女に別々の職業名を与える、ジェンダーフェアーな表現方法(例:chairman⇒chairman
& chairwoman)に治まろうとしました。しかし後に、男女に関係なく使える、ジェンダーフリーな表現方法(例:chairman⇒chairman
& chairwoman⇒chairperson or
chair)に移行させようという動きになり、現在もマスメディアを巻き込んだ言語工作が行われています。そのような表現方法の移り変わりに関する興味深い一例が、"13
Going on 30"『13 LOVE 30
サーティンラブサーティ』(2004)という映画に観られます。ジェンダーフェアーな職業名を使って、マットが彼女であるウェンディーを知人に紹介しようとすると、ウェンディーが間髪入れず、ジェンダーフリーな職業名でマットの表現を訂正しているシーンです。
Matt: Wendy's an anchorwoman.「ウェンディーはアンカーウーマンなんだ。」
Wendy: Anchorperson. I do the weather for WWEN in
Chicago.「アンカーパーソンって言ってよ。私、シカゴのWWENでお天気コーナーを取り仕切っているの。」<00:45:03>
ご存じの通り、アメリカを筆頭に英語圏の国々では20世紀後半から性差別を廃し、男女の平等性を職業名に反映させる努力を始めました。しかし、英語の場合は一筋縄ではいかない場合も少なからずありました。というのは、英語の職業名の多くは-manという男性を表しているように見える接尾辞(例:anchorman、businessman、cameraman、chairman、congressman、policeman、etc)を伴っていたからです。語源的には、この-manは男性の意味ではなく、「人間の総称」として用いられていたのですが、社会からの反発は強く、ジェンダーフリーな表現にするために、-personや他の形式(例:
policeman→police officer, fireman→fire fighter,
cameraman→photographer)への変更を余儀なくされてきました。そんな一例が"Random
Hearts"『ランダムハーツ』(1999)という映画に観られます。国会議員であるケイが脅迫してきている相手に釘を刺そうとするシーンでのセリフですが、表現がcongressmanやcongresswomanではありません。また中立的と思われがちなcongresspersonでもなく、他に類を見ないa
member of Congressというジェンダーフリーな表現方法です。
Kay: Do you know what happens when a member of Congress accuses you
of harassment?
「国会議員が嫌がらせ行為であなたを訴えたら、どういうことになるか分かっているの?」<01:01:50>
実は、この『ランダムハーツ』には、このジェンダーフリーなa member of Congress以外にも、ジェンダーフェアーなa
congresswomanも<00:31:51>で出てきます。社会言語学的な性差の表現にご関心がある方はご覧ください。
このような英語学の諸分野に関する実例が『映画で学ぶ英語学』(くろしお出版)には、満載です。またこの本は『英語教育』(大修館書店)9月号の書評コーナーでも扱われる予定です。乞う、ご期待!
2011年07月03日
投稿者: 山本 五郎(広島大学)
タイトル: 「映画で語彙学習」
映画を観ていると「ん?今のなんて言った?」ということがよくあります。そんな時は英語の音声特徴や語彙表現などを学ぶ絶好のチャンス。気にせずにストーリー全体を楽しむのも大切ですが、時には集中して英語力を伸ばしたいものです。今回は語彙に注目してセリフを2つ選んでみました。どちらの表現もさらっと分かればかなりの実力です。
Arthur: Son, we done here, so why don't you go find your mommy,
a'ight?(もうここはこれで終わりだ、ママを探しに行ったらどうだ、わかったか?)
Evan: I don't know where she is.(どこにいるか分からないんだ)
Arthur: Good, that's just great.(よし、そりゃよかった)
Uh, cops show up around six. Tell them you're
AWOL.(6時ごろ警察が見回りにくる。AWOLだって言っとけ)
They'll send you back where you come from.(警察が来たところへおまえを連れ戻してくれるよ)
---August Rush(2007)『奇跡のシンフォニー』<Ch.9. 00:30:43>
もう一つ見てみましょう。
Fairy Godmother: You'd better have a good reason for dragging us
down here, Harold.(ちゃんとした理由があってこんなところに呼び出したんでしょうね、ハロルド)
King: Well, I'm afraid Fiona isn't really warming up to Prince
Charming.(申し訳ないんだが、フィオナはチャーミング王子のことはあまり乗り気じゃないようだ)
Prince Charming: FYI, not my fault.(FYI、僕のせいじゃないよ)
Fairy Godmother: No, of course it's not, dear.(もちろん、そうじゃないわ)
---Shrek 2(2004)『シュレック2』<Ch.13. 01:02:11>
AWOL(エイウォル)とFYI(エフ ワイ
アイ)の意味はとれたでしょうか。AWOLは、「無断欠席、無断外出」を意味し、もとはabsent without
leaveからできた単語です。Be動詞+AWOLやgo+AWOLのような形で使います。FYIは、「ご参考までに」という意味で、もとはfor
your informationです。セリフの例にもあるように通例文頭で使います。
これらのように、構成する単語のかしら文字を並べて作った単語のことを頭字語と呼びます。英語では、AWOLのように一つの単語として発音するものをacronym(アクロニム)、FYIのように各アルファベットを一つずつ読むものをinitialism(イニシャリズム)と呼びます。
頭字語は別段珍しいものではなく、scuba(スキューバ)、radar(レーダー)、laser(レーザー)などもアクロニムです。DVD、CDなどのイニシャリズム
は日本語にも浸透していますね。それぞれどんな単語から構成されていてどういう意味を持つのか興味がある方は英和辞書で調べてみてください。
ちなみに、もともと頭字語ではないのに後付けで単語を集めて頭字語のような意味を持たせたものを、作り方が逆ということでbackronym(バックロニム)と呼ぶことがあります。例えば、自動車メーカーのFord社は創設者であるヘンリー・フォードの名前からついていますが、これに'First
on Race Day (レースの日は一番)'や'Fix or Repair Daily(毎日修理)'のような単語を当てはめるものです。
映画のセリフで聞き慣れない単語はひょっとしたら頭字語表現なのかもしれませんね。セリフの中でどのような頭字語が使われているのかもう少し見てみたい方は、『映画で学ぶ英語学』(倉田誠編・くろしお出版)をご一読下さい。
2011年06月05日
投稿者: 石川 弓子(大阪大学)
タイトル: 「副詞と比較級が同時に表れる文」
比較級を作る時は、動詞の語尾に-erをつけます。例えばsmartの場合、(1a)のようにsmarterになることは中学校で習いますね。比較級にしたい語が長い時は、(1b)のように、その語の直前にmoreを挿入することもまた、中学校で習うことです。
(1) a. John is smarter than Bill.
b. John is more intelligent than Bill.
では、下記の(2)の文を比較級にする時はどうすれば良いでしょうか?
(2) John is amazingly smart.
答えは2通りあります。1つ目は「賢さ」を比較する方法で、(3a)のようにsmartに-erをつけます。もう1つは「驚くべき賢さ」を比較する方法です。この場合、
(3b)のようにamazingly smartを1つのまとまりとみなし、intelligentの場合と同様に、前にmoreを挿入します。
(3) a. John is amazingly smarter than Bill. (驚くほどに、ジョンはビルに賢さで勝っている。)
b. John is more amazingly smart than Bill.
(ビルも驚くほど賢いが、ジョンはそれ以上に驚くほど賢い。)
また、(3a)はジョンの方が賢いことしか述べておらず、ビルが賢いか否かは分かりませんが、(3b)は、和訳が示すように、両者が驚くほど賢いという意味を含んでいます。
では、次のセリフは(5a)、(5b)のどちらを意味するか考えてみましょう。
(4) Harry Potter and the Goblet of the Fire 『ハリーポッターと炎のゴブレット』(2005)
<00:40:17>
Rita: So tell me, Harry,… about to compete against three
students,... vastly more emotionally mature than yourself...
(セリフが長いため一部省略)「ねぇ、ハリー、自分よりずっと情緒的に成熟している3人の(年上の)生徒と競争することについて、どう思っているのか話してよ。」
(5) a. 情緒的面では、ハリーよりも競争相手の成熟度が勝っている。
b. ハリーも情緒的に成熟しているが、競争相手の方が情緒的な成熟度が勝っている。
emotionally matureにmoreが付いているので、答えは(5b)です。emotionally
maturer(またはemotionally more
mature)であれば、(5a)の意味になります。ハリーは過酷な経験を通じて、同級生よ��も情緒的に成熟していると思われるので、ハリーと競争相手の双方が情緒的に成熟しているという意味を含む表現がしっくりきます。
では、次のセリフは何を比較しているのでしょうか?
(6) G.I. JANE 『G.I.ジェーン』(1997) <00:03:07>
Reporter: And what about those that say women aren't suited for all
jobs, they're physically weaker?
「女性が(軍の)仕事に向いていないと言われているのは、身体的に(男性よりも)弱いから ですか?」
weakが比較級になっているので、「弱さ」を比較しています。このセリフは裏を返すと「男性は身体的に頑強なので、その仕事に向いていると考えられている」ことを意味しているため、「(女性だけではなく)男性も身体的に弱い」という意味を含むmore
physically weakに置き換えると、矛盾が生じます。
このように、比較級と副詞が同時に表れている文を解釈する時は、注意が必要です。このような言葉の謎に興味を持たれた方は、是非『映画で学ぶ英語学』(倉田誠編・くろしお出版)をご一読下さい。
2011年06月05日
投稿者: 田中 美和子(京都ノートルダム女子大学・非)
タイトル: 「名詞から動詞への転移」
英語の名詞由来の動詞(denominative
verb)は、名詞がその形のまま動詞として用いられます。このように、名詞が形を変えずに動詞に転換するという現象は、他の言語にはあまり見られない英語の特徴だと言えるでしょう。
例えば、telephone (=give a call)「電話をする」、fax (=send a
fax)「ファックスを送る」、email(=send an email)「メールをする」、また最近ではGoogle(=search
for information on Google)やFacebook(=contact on
Facebook)も動詞として使われるようになりました。
これらの表現は映画の台詞にも見られます。『メイド・イン・マンハッタン(Maid in
Manhattan)』(2002)と『40男のバージンロード(I Love You, Man)』(2009)から、見てみましょう。
Ty: Why did they break up? (なぜ別れたの?)
Marisa: Who? (だれが?)
Ty: Simon and Garfunkel. (サイモンとガーファンクルだよ。)
Marisa: You got me. You can google it at school.
(さあね。学校でネット検索してみたら。)
--- Maid in Manhattan : <00:03:18>
これは、マリサが息子のタイを学校へ送っていきながら、親子で交わす会話です。ここからは、小学生たちが日常的にインターネットで調べ物をしていることもわかります。
次は、留守録を再生させる場面です。仕事関係のメッセージの中に混ざって、友人からの個人的なメッセージが流れます。
Tag: Best of luck with Sydney, if you're not still together, you
can Facebook me. (シドニーとお幸せに。もし別れたら、僕にフェイスブックで連絡して。)--- I Love You,
Man : <01:31:14>
フェイスブック(Facebook)はソーシャル・ネットワーキング・システム(SNS)の1つで、実名を使って交流するという特徴があります。
そして今、京都市環境政策局では"DO YOU
KYOTO?"を合言葉に、エコ活動の輪を広げていくプロジェクトを行っています。KYOTOが、京都議定書に因み、「環境にいいことをする」という意味の動詞として用いられているのがわかりますね。
2011年06月05日
投稿者: 横山 仁視(京都女子大学)
タイトル: 「話し手の視点と和訳」
映画『ユー・ガット・メール』(1998)に次の対話があります。イタリック体の箇所はどんな和訳が考えられるでしょうか。
ウェイター: Can I get you something?
キャスリーン: No, no. He's not staying.
ジョー: Mochaccino, decaf, nonfat.
キャスリーン: No, no. You are not staying.
ジョー: I'll stay here until your friend gets here. Gee, is he late?
<01:01:55>
ジョー(トム・ハンクス)とキャスリーン(メグ・ライアン)はインターネットのチャッ���������知り合います。ジョーのハンドルネームはNY152で、キャスリーンはa
shop
girl。ジョーは全米チェーンのFox書店を経営する社長の御曹司。一方、キャスリーンは親の代から続く街角にある小さな書店の店主です。お互いに同棲相手がいますが、チャットを通じて恋に落ちて行きます。そして、お互いに会ったことのない二人はとうとう喫茶店で待ち合わせをすることになります。上記の対話は、ジョーがキャスリーンにバッタリ出会ったふりをし、空いている席に座ろうとするシーンです。
文法的にも語彙的にも何も難しいものはありません。ここで考えて欲しいのは次の3点です。
①主語、つまり、誰が誰に言っているセリフなのか。
②話し手の気持ちを考える。
③stayの意味を考える。
最初のキャスリーンのセリフはウェイターに、2つ目はジョーに言っているセリフです。キャスリーンが待ち合わせをしている相手は、今、目の前にいるジョーではなくチャット相手の別の男性です。そんな人と待ち合わせをしているキャスリーンにとっては、ジョーは邪魔な存在です。今すぐにでも帰って欲しいと思っているはずです。そうしたキャスリーンのジョーに対するイライラした気持ちが感じ取れるはずです。また、動詞stayに対して「彼は滞在していない」「あなたは滞在していない」と和訳する人はいないでしょう。場所を表す副詞句がありませんね。つまり、stayにはto
remain in a place rather than leaveの意味があることを知ってさえいればいいのです。
ここでは、キャスリーンの視点から、「この人すぐ帰るから」「帰ってちょうだい(このまま居座る気なの?)」、と和訳に気持ちを反映させる工夫をしたいものです。
映画のセリフを和訳することは、状況依存によるところが大きいと言えます。コミュニケーション・ギャップが生じてしまう理由は、誤った文法や語彙の取り違え、不正確な発音といったことだけによるものではありません。読み手や聞き手は、書き手や話し手の気持ちを正しく理解することで初めてコミュニケーションが成立するのです。そのためには、平易な英文であっても、誰が誰にどんな気持ちを伝えているのかを意識することが大切です。文法・語彙はその人の気持ちを代弁してくれる役割を担っているのです。
2011年05月23日
投稿者: 藤枝 善之(京都外国語短期大学)
タイトル: 「『シェーン』が表す思想」
西部劇の名作『シェーン』。この映画は、第26回(1953年度)アカデミー賞において作品賞などの主要部門の受賞は逃しましたが、半世紀を経た今日では、映像文学として当時の受賞作以上に高い評価を得ています。何よりもまず、その人物造形が巧みです。登場人物それぞれのキャラクターが際立っているだけでなく、本作は、彼らを通して、アメリカ人が持つ典型的な思想のいくつかを垣間見せてくれるのです。2010年12月28日の本欄のコラムで、この映画の粗筋と「暴力」に対する思想を紹介しました。今回は、「時代」に対する考え方を見ていきます。
この映画の基本的思想は、開拓農民たるジョーが代弁しています。
JOE: This is farmin' country, a place where people can come and
bring up their families.(ここは開拓地だ。誰でも入植できて家族を養える土地なんだ)
ジョーは、政府を全面的に信頼し、無条件で開拓を「良きもの」と見ています。また、西部は常に変化し、進歩するという素朴な発展史観の持ち主でもあります。時代の変化を基本的に良しとするその考え方は、アメリカの国民思想とも言えるでしょう。世界は進歩し、時代は良き方向に変わっていく。その流れを妨げてはならない。だとすると、シェーンたちガンマンは歴史の流れを妨げる邪魔者でしかありません。この映画はシェーンにどんな役割を与えているのでしょうか。それは、自らを犠牲にして新しい時代を招き入れる「殉教者」ではないでしょうか。ちょうど、キリスト教のイエスが、旧約から新約へ時代を転換させるために十字架の上で犠牲になったように。
映画の終盤、シェーンはライカー一味と対決しますが、その時の遣り取りには、真に名台詞と言える珠玉の言葉が並びます。
SHANE: You've lived too long. Your kind of days are
over.(お前は長く生き過ぎたんだ。お前の時代は終わった)
RYKER: My days? What about yours, gunfighter?(俺の時代が? そういうお前はどうなんだ?)
SHANE: The difference is, I know it.(お前と違って、俺は分かっているよ)
ライカーとシェーンは、共に腕っ節を頼りに自分の力で西部を生きてきた、同じ種類の人間です。しかし、そんな時代は終わった、とシェーンは言います。自分の時代の終焉を理解しつつ、さらにそれを徹底的に終わらせるためにシェーンは突き進みます。対決にかろうじて勝利したシェーンは、ジョーイに別れを告げます。一緒に家に帰ろうと懇願するジョーイにシェーンは言います。
SHANE: A man has to be what he is, Joey. You can't break the
mold.(人には器がある。それを壊すことはできないんだ)
いくら新しい時代の価値観を理解していたとしても、一度殺人に手を染めれば流れ者から定住者への、またガンマンから農民への変身は不可能に近く、また新しい時代を招く歴史の流れを邪魔することになりかねません。この台詞は、時代に合わせて自分を変えていけない不器用な男の悲哀を表すと共に、シェーンに時代の殉教者としての役割を全うさせようという、この映画の「思想」を語っているのかも知れません。
藤枝善之(ATEM理事・関西支部長)
2011年05月07日
投稿者: 藤本 幸治(京都外国語大学)
タイトル: 「アンストッパブル」に考えるtoo…to構文」
So that 構文(A)とtoo…to~構文(B)の書き換えは、高校英語の定番。そこで、例文AをBに書き換えてみましょう。
A. Tom spoke so fast that I could not understand him.
B. Tom spoke too fast to understand.
となりますね。皆さんも不思議に思ったことはありませんか。Bではなぜ目的語のhimを削除しなければならないのか?これは、to
understandという述語の前に音声形式を持たない主語が存在していると考えられるからです。たとえば、Tom is too young
to
drink.という文の場合、これは実は単文ではなく、複文なのです。そして、各述部が示す若いのも、お酒を飲むことが出来ないのも各々の主語のTomとなりますね。では、Bに主語を入れるとどうでしょう。あら不思議、
C. Tom spoke too fast for me to understand him.
と言うことができるのです。ところが主語を入れないと、to
understandの主語は音声形式を持たない主語となってしまい、Tomを示してしまいます。そうTom understands
himという解釈になり、himはTom以外の人を指してしまいます(cf. Tom understands himself.)
では、さらに、例文Cでhimを削除することは出来るのでしょうか?
時速100キロ以上で走る超大型の無人貨物列車、早く止めないと大事故になってしまう!そこに立ち向かう勇気ある二人の男たちがいた。実話に基づく映画『アンストッパブル』の劇中この不慮の暴走列車事件を伝える速報テレビニュース!
"The engineers, they say, made an error in controlling the train.
Before leaving the locomotive, he intended to apply the independent
brakes. And by the time he realized his mistake, the train was going
too fast for him to climb back on."
さて、どうしてこのような省略が可能なのでしょうか。彼らが電車を止めるが先か、あなたがこの答えを見つけるのが先か!?「アンストッパブル」に考えてみましょう。
2011年05月07日
投稿者: 上田 聖司(大阪府立八尾翠翔高等学校)
タイトル: 「『ドリームズ・カム・トゥルー』2006から学ぶ語彙学習法」
単語の中には、よく使用される語とそうでない語がありますが、ある研究によると、2000語程度の英文の単語を平均すると、そのうち50%から75%くらいが各英文中で一度しか使われていないそうです。つまり、使用頻度の低い単語のほうが圧倒的に多いのです。したがって個々の単語の記憶をするよりも、学習方法に焦点をあてたほうが効率よく学ぶことができると言えます(I.S.P.Nation,1990)。
『ドリームズ・カム・トゥルー』(Akeelah and the
Bee)は全米スペルコンテストで黒人の女の子が勝ち抜いていくストーリー。映画の中では主人公AkeelahがLarabee教授や周りの人たちに助けてもらい、苦労しながらスペルを覚えていくシーンがいくつも出てきます。単語カードで覚えるだけでなく語源から覚えたり、縄跳びでタイミングをとりながらなめらかにスペルを言う練習をしたりします。
Akeelahのコーチ役、Larabee教授の部屋には、Marianne Williamsonの次のような言葉がかかっています。"Our
deepest fear is not that we are inadequate."「われわれが一番恐れるのは自分の無力さではない」
"Our deepest fear is that we are powerful beyond measure."
「一番恐ろしいのは、われわれが計り知れない力をもっているということだ」。"We ask ourselves 'Who am I to
be brilliant, gorgeous, talented and fabulous?"
「頭脳明晰にして華麗、才能にあふれ驚嘆の人物に自分はなれるのだろか」。 "Actually, who are you not to
be?" 「実際、なれないわけがない」。 "We were born to make manifest the glory of God
that is within us. " 「われら自身の内なる神の栄光を世に示すために生まれたのだから」。(00:40:28-
00:40:58)
そしてコンテスト当日、最後の問題となります。それは、"pulchritude"(容姿端麗)という語。Akeelahは語源とともに答えます。
"It's derived from the Latin word 'pulcher,' meaning beautiful,
isn't
it?"(その語は、ラテン語の美しいという意味のpulcherに由来する語ですね)"P-U-L-C-H-R-I-T-U-D-E,
Pulchritude."(00:46:56-00:47:15)
この物語は、現在のアメリカの貧困、格差、教育などの問題を背景にしながらもお互い切磋琢磨しながら育っていく子供たちを描いた佳作となっています。また、シナリオを元に書かれた同名のペーパーバック(NewmarketPress,
2006)もありますので、興味のある方はご一読下さい。
2011年04月09日
投稿者: 松井 夏津紀(Chulalongkorn University, Thailand)
タイトル: 「映画の台詞でもよく耳にする描写述語」
英語では形容詞句や名詞句を使って、文の主動詞が表す行為に伴う主語や目的語の一時的な状態を表すことができます。このようなS+V(+O)+A/N構文は描写構文と呼ばれ、A/Nの部分は主動詞に対して二次述語(描写述語)と呼ばれます。描写構文の描写述語は、意味的に様態を表す副詞に似ています。しかし、様態副詞が主動詞の表す行為が「どのように」行われたのかという様態を表すのに対し、描写述語は行為が「どのような状態で」行われたかという状態を表します。例えば、
"Matt drove a car
drunkenly."という様態副詞を用いた文ではMattが実際に酔っているかどうかということは問われず、ただ酔っ払い運転みたいな運転をしたということが述べられます。一方、
"Matt drove a car drunk."という描写述語を用いた文ではMattが実際に酔っているということが含意されます。
描写構文は特別な構文ではなく会話でも非常によく見られる構文で、映画の台詞にもよく出てきています。『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(2008)の主人公ベンジャミンは老人として生まれ、年を取るにつれて若返っていくのですが、ベンジャミンは
"I was born old." <00:49:37>
という台詞を使って自分が生まれたときの様子を語っています。この台詞ではoldという形容詞が使われていますが、描写述語に名詞句が使われているものもよく耳にします。例えば、『キル・ビル2』(2004)では、
"Superman didn't become Superman. Superman was born Superman."
「スーパーマンはスーパーマンになったんじゃなくて、スーパーマンとして生まれたんだ。」<01:46:10>
というSupermanが描写述語になっているユニークな例も見られます。
次に、『トロピック・サンダー 史上最低の作戦』(2008)の例を見てみましょう。俳優のTuggが、自分が知的障害者を演じたとき、普段の生活でも常にその役になりきっていたというときの台詞で「歯を磨くときでもバスに乗るときでもそうなりきっていた」というものです。
I mean, I brushed my teeth retarded, I rode the bus retarded.
<00:42:21>
通常、retardedは一時的な状態にはなり得ませんが、Tuggが演技派の役者であるという背景があるので、この構文が成り立っています。一方、この台詞に対して同業者のKirkは
次のような台詞を言っています。
You went full retard, man. Never go full retard. You don't buy that?
Ask Sean Penn, 2001, I Am Sam. Remember? Went full retard? Went home
empty-handed. <00:44:10>
「お前は完璧にやりすぎた。完璧に演じちゃだめだ。"アイ・アム・サム"のショーン・ペンに聞いてみろ。見ただろ?完璧に演じて、手ぶらで帰宅だ。」とempty-handedを使って、ショーン・ペンが何の賞ももらえなかったということを表しています。描写構文を使うと長々とした複文でなくすっきりとそのときの様子が表せます。
描写構文のその他の例は、構文や現象を映画の台詞に出てくる例を挙げて説明した『映画で学ぶ英語学』(倉田誠
編、くろしお出版)という本の中でも挙げています。書店でお見掛けになられたら、是非、お手にとってご覧ください。
2011年04月05日
投稿者: 河野 弘美(京都外国語短期大学)
タイトル: 『選挙』(『Campaign』) 2007年 監督:想田和弘、「英語字幕で英語の学習」
まもなく統一地方選挙が始まります。行方が大いに気になるところでありますが、選挙というと思いだす映画があります。それは『選挙』(『Campaign』)です。『選挙』は日本が舞台の日本語の映画ですが、2007年2月開催のベルリン国際映画祭を皮切りに海外での評価が高く、多言語による字幕が作成され多くの国で上映されてきたすぐれた邦画です。日本の題名は『選挙』ですが、海外では『Campaign』として知られています。
『選挙』はその名の通り選挙の裏事情をリアルに映し出したドキュメンタリー映画です。ナレーションが一切使用されていないため、日常生活上で見聞きする実際の行動や会話が映画の素材となっており、視聴者が理解しやすい設定となっています。日本語を聞きながら耳にした表現は英語でどのように言うのだろう?という疑問が即解決できるのが英語字幕のいいところであり、邦画の英語字幕を英語教育に大いに活用できる利点であると思います。
本編の内容はさかのぼること2005年、主人公の山内和彦氏が当時の小泉首相率いる自由民主党からの要請をうけ川崎市の補欠選挙に突如立候補し、素人が初めての選挙戦に挑む話です。東京都民であった山内氏は急きょ神奈川県川崎市へ引っ越し、市議会議員の立候補者名簿に名を上げます。山内氏のように選挙地区とは無関係だった人が立候補することを「落下傘候補」(字幕:parachute
candidate)といい、映画の中でも山内氏が自分のことをそう呼んでいます。山内氏の応援をしにかけつけた自民党の大物政治家の「大物」を英語字幕ではbig-shots、「改革を進める」という表現の英語字幕はI'll
advance reform. や I'm committed to
reform.と、政治にまつわる英単語やフレーズが全編を通して学べます。
また、政治の世界で使用されている伝統的な言葉の一例として、候補者の奥さんのことを「妻」(字幕:wife)とは呼ばず「家内」(字幕:housewife)と呼び、日本語と字幕英語をそれぞれ照らし合わせながらそれぞれの単語の微妙な意味の違いを理解することが可能となります。
上記以外にも、政治に関連した沢山の有益な英語の表現や単語が『選挙』の中につまっているので、英語字幕を付けてぜひ観賞してみてください。
2011年04月03日
投稿者: 成田 修司(京都外国語大学他・非)
タイトル: 「意図的誤解によるユーモア・センス」
海外の映画やドラマを観ていると、相手の言葉を誤解したふりをして、わざと文脈にそぐわない応答をすることがあります。例えば次のシーンは、1987年に始まったアメリカの古典的ホームコメディ「フルハウス」です。コメディアンのジョーイを好きになったコリーナは、彼に恋人がいるか探りを入れます。
Corinna: Joey, . . . Your girlfriend must adore
you.(あなたの彼女はあなたにゾッコンね)<ep8. 14:12>
Joey: Oh, I don't have a girlfriend. (いや、彼女なんかいないよ)
Corinna: You're not seeing anybody? (付き合ってる人いないの?)
ここでジョーイはbe seeing
someone(特定の異性と付き合う)という慣用表現を無視して、わざと「会う」と文字通りに解釈します。
Joey: Well, sort of. I'm seeing the dentist next
Wednesday.(まあ、いるかな。水曜日に歯医者と会う)
もちろん資格試験的に考えると、このような「とんちんかん」な応答ではイカンとされています
ジョーイらしいユーモアにすぐ気付いたコリーナは、合わせて話を進めます。
Corinna: Well, if things don't work out between you and the dentist,
maybe you and I could get together.
(じゃあ、もし歯医者との恋がダメになったら、私達がデートしましょう)
この殺し文句にメロメロになったジョーイは、これ以上じらし切れなくなります。
Joey: Well, Dr. Hoffman's pretty cute, but he is married. So pick a
time.
(ホフマン先生はとても可愛いけど、彼は結婚してるんだ。だからいつでもOKだよ)
歯医者は男だから、既婚未婚の関わらず恋愛対象にならないというのがこのジョークの「オチ」。ここはつまり「僕も君が好き」と言っているようなものです。感情をそのまま伝えるだけが生きた英語ではなく、むしろこんな笑えるセリフにこそ語学を学ぶ醍醐味があります。真面目過ぎるとしばしば批判される日本人が取り入れたい会話テクニックの一つです。
これ以外にもユーモアの手法は多様ですが、特に「フルハウス」等のテレビシリーズは1話の実質20分にエッセンスが凝縮されて、お手本となるウィットの効いたセリフを探すのに事欠きません。
2011年03月05日
投稿者: 佐藤 弘樹(FM京都α-stattionエアーパーソナリティー、京都外国語大学(非))
タイトル: 「I don't know.」
1988年の映画『レインマン』は、アカデミー賞主要4部門(最優秀作品賞・監督賞・主演男優賞・オリジナル脚本賞)を獲得した珠玉の名作であるのみならず、自閉症を世に広く知らしめた功績でも特筆されるべき作品です。
物語は、事業に失敗して破産寸前のチャーリー(トム・クルーズ)が、父親の死をきっかけにそれまで存在すら知らなかった自閉症の兄レイモンド(ダスティン・ホフマン)と徐々に心を通わせていくふれあいを描いたヒューマンドラマです。
この映画の中で自閉症のレイモンドは I don't know.
(初出<00:23:04>、これ以降も何度も出てきます)というセリフを何度も繰り返します。
彼のこのセリフは、短く平板で文全体の抑揚は無視して発音されます。その違和感を、日本語訳の吹き替えでは「わかんない」と表現しています。(字幕では「わからない」となっています。)この簡単な英語
I don't know.
を日本語に訳す際には無数の日本語が考えられますが、「わからない」「わかんない」「わからん」「わかりません」「わからないです」「さぁね」等の中で、子供の幼さを感じさせるのは「わかんない」であり、成人男性がそれを連発する事によって作中の人物描写をより精緻なものにしていると思います。
また、一人称代名詞の I
もチャーリーは「俺」、レイモンドは「僕」、チャーリーの恋人スザンナは「あたし」と吹きかえられています。「わたし」ではなく「あたし」という女性言葉であることに注目したいですね。
邦画の傑作「寅さんシリーズ」で寅さんは自分の事を、冒頭の自己紹介では「わたくし」(生まれも育ちも葛飾柴又)と言い、ふだんは「俺」「あっし」「おいら」を使い分け、マドンナに恋すると「僕」に変わります。こんな芸当ができるのも、人称表現が多彩な日本語ならではの事であり、相手が赤ん坊でも大統領でも、先生でも先輩でも後輩でもみんな
You で済んでしまう英語では You
がどのニュアンスで発話されているかを考えながら映画を見るのも日本語と英語両方の勉強になるでしょう。
ちなみに、アニメ「クレヨンしんちゃん」では、母親は自分のことを「ママ」と呼ぶのに対して、しんちゃんは自分の事を「おいら」と言います。この落差の可笑しさを英語で表現するのは至難の業ですね。
2011年03月05日
投稿者: 奥村 真紀(京都教育大学)
タイトル: 「英国国教会と女王の苦悩ー『エリザベス』」
英国のエリザベス女王の父王を描いた映画、『英国王のスピーチ』がアカデミー賞を受賞し、また4月にはウィリアム王子の結婚式も予定されていて、何かと話題に上がっている英国王室。現在のエリザベス二世も人気のある女王ですが、今から500年くらい前の女王、エリザベス一世は英国では大変人気のある女王の一人です。1998年にアカデミー賞にノミネートされ、衣裳デザイン賞を受賞した『エリザベス』は、英国の繁栄の基礎を作ったこの女王を描いた映画です。
時は16世紀。英国王ヘンリー八世の離婚問題が原因���、王は英国で信仰されるべき宗教を、ローマ法王を中心とするカトリックではなく、英国王を中心とする英国国教会にすると定めます。しかし、ヘンリー八世の亡き後、王位を継いだのは女王メアリ。真っ赤なカクテル、「ブラディ・メアリ」の名前のもとになった女王ですが、彼女のお母さんは熱心なカトリックだったので、彼女も熱心なカトリック教徒で、国教会の信徒を弾圧します(その激しい弾圧から、カクテルの名前「流血のメアリ」がついたと言われています)。しかし彼女には子どもがなく、女王の周りでは跡継ぎをめぐる陰謀が渦巻いています。周りから、王位継承権を持つ腹違いの妹、エリザベスは国教会派の人物なので始末するべきだと説得されたメアリは、エリザベスを呼びつけます。<00:17:31>
E: Madam, you are not well. (陛下、お加減がすぐれないのですね)
M: They say this cancer will make you Queen-but they are wrong! Look
there! It is your death warrant. All I need do is sign
it!(みんな私のこのできもののせいでお前が女王になると言うのだよ。でもそうはさせない!ご覧!お前の死刑許可証があるわ。私は署名するだけでいいのよ)
E: Mary, if you sign that paper you will be murdering your own
sister.(メアリ、あなたがその書類に署名されたら、自分の妹を殺すことになるのですよ)
最初、従順な臣下として、「陛下」と呼びかけるエリザベスが命の危機に際し、姉である女王を「メアリ」と名前で呼んでいることが、その距離感を絶妙に表していますね。その後、メアリに「もし自分が死んだら、カトリック教徒を保護して欲しい」と頼まれたエリザベスは次のように言います。<00:17:53>
E: When I am Queen, I promise to act as my conscience dictates,
(エリザベス:女王になったら、私は自分の良心が命じるままに行動します)
"If?"ではなく、"When?"を使っていることに注目。メアリの死と自分の即位が、条件ではなく、近い未来に確実に起こるとエリザベスが確信していることが分かります。
英国国教会を国教として定め、絶対君主として栄光を築いたエリザベス一世。その時代の光と闇を描きながら、国王として生きることを選ぶ一人の女性の栄光と苦悩を見事に表現した、素晴らしい映画です。
2011年03月05日
投稿者: 荘中 孝之(京都外国語大学)
タイトル: 「イカとクジラ The Squid and the Whale(2005年)」
ねえ君、希望なんか全くないなんて言わないでおくれ。僕たち一緒だと立っていられるけど、バラバラになったら倒れてしまうんだよ。
Hey you, don't tell me there's no hope at all. Together we stand,
divided we fall. <00:06:03>
ウォルト(ジェス・アイゼンバーグ)
偶然聞いた歌が、「今の自分の気持ちを代弁してくれている」、と感じた経験はおそらく誰にでもあるでしょう。この映画に登場する青年ウォルトも多分、そんな風に思いながらこのフレーズを、あるメロディに乗せて歌ったのです。しかしそれにはちょっと問題がありました・・・。
これはある家族の物語です。ウォルトは父バーナード、母ジョーン、そして弟のフランクと、ニューヨークの隣、ブルックリンに暮らす一見ごく普通の高校生。しかしこの家族、どこか変です。父は"元"人気作家で、母は"今"人気作家。そして夫婦のあいだはすでにぎくしゃくしており、二人はある時、ついに離婚を決意します。
でもそれからがまた大変。バーナードとジョーンはjoint
custody、つまり二人で共同して親権を持つ方法を選びます。ウォルトがそのことを友だちに話すと、それを聞いた彼が"Joint
custody blows. . . . It's
miserable."(共同親権は最悪だよ。あれは惨めだね。)と言うように、子供たちはそれから親の勝手な都合に振り回されていきます。
弟のフランクはそのストレスからか、幼くして酒に走り、学校で問題を起こし、父親に反抗します。兄のウォルトは恋人にも、そして母親にも素直になれません。親の離婚で一番傷ついているのは子供たちなのです。そんな時ウォルトの学校で、あるコンテストか開かれます。そこで彼は両親を前に、自分で作ったものだと言って、上記のフレーズが含まれた曲を、どちらかというと陰鬱なメロディに乗せて歌うのです。
ウォルトはコンテストで見事優勝し、賞金の100ドルを手にします。そしてその歌を聞いた誰もが皆「いい曲だったよ」と褒め称えます。ところが両親は後日学校に呼び出され、それがイギリスのロックバンド、Pink
Floydの曲であることがわかったと告げられます。これはplagiarism、剽窃や盗用と呼ばれる行為で、教育の現場でなくとも絶対に許されないことです。
当然賞金は返さなければなりませんし、ウォルトは精神的に問題ありということで、カウンセラーのところへ行くよう勧められます。しかし"Can
you feel me?"(僕を感じる?)"Would you touch me?"(僕に触れてくれないか?)"Can you help
me?"(僕を助けてくれよ?)というフレーズが繰り返されるこの歌は、ウォルトの痛ましい魂の叫びでもあったに違いありません。
ちなみに"Together we stand, divided we fall."という部分は、"United we stand,
divided we fall."(団結すれば立ち、分裂すれば倒れる。)という諺をもじったものです。その諺も元々は、John
Dickinson(1732-1808)というアメリカの政治家がアメリカ独立戦争を鼓舞するために作ったThe Liberty
Songの一節、"By uniting we stand, by dividing we
fall."に由来します。ウォルトはこのフレーズを歌いながら、家族も一緒だとなんとかやっていけるけど、バラバラになってしまったらお終いじゃないか、と両親に訴えたかったのかもしれません。
2011年02月07日
投稿者: 近藤 暁子(奈良工業高等専門学校)
タイトル: 「Aging is Growth」
アメリカで最も影響力のある女性の一人オプラ・ウィンフリーが原作に感動して映像化したTuesdays with
Morrie(1999年)には生きること、死ぬこと、人を愛すること、人生をどう生きるかについて考えさせてくれる多くの名言が散りばめられています。その中から、教え子のミッチからの若い時に戻りたいと思わないかという問いかけに答える場面があります。
Morrie: Aging isn't just decay, you know. It's growth. <00:27:00>
「年をとるってのはただ衰えていくことじゃないんだよ。成長することなんだよ。」
Mitch: How come nobody ever says 'Gee I wish I were old'?
「じゃあどうして誰ももっと年をとったらいいのになんて言わないのかな。」
Morrie: Because this culture worships youth. Me, I don't buy it.
I've had my time to be 22, This is my time to be 78.
「だって、世間はなんでも若いのがいいって思ってるだろ。私はそれは全くいいことだと思わないね。22才の時もあった。でも私は78才の今を生きてるんだからね。」
Mitch: So, you were never afraid of getting old?
「じゃあ年を取ることは怖くないの?」
Morrie: Oh, the fear of aging. You know what that reflects you,
Mitch? Lives that haven't found meaning.
「あぁ、老いへの恐怖のことかい。ミッチ、何がそれを表しているかわかるかな?それってのは人生の意味を見つけられないことなんだよ。」
世の中、何でもかんでも若いことが美しい素晴らしいと賞賛され、逆に老いることのネガティブな面ばかりが取り上げられる傾向にあります。人々の思考もそのようにコントロールされていますが、年を取ることは成長すること、そして若いときは良かった、若い時に戻りたいと思うより、生きている今の時間を意味のあるものにすることが大事だとモリー先生は説いています。彼は年を重ねることは学ぶ機会を得る事ととらえて人生を楽しむことが大事だと、そして人生に目的があり意義を見出せるなら年を重ねることのポジティブな面を享受できるのだと教えてくれているのではないでしょうか。
2011年02月07日
投稿者: 飯田 泰弘(大阪大学大学院博士後期課程)
タイトル: 「声にならないおもしろさ―看板の文字にもご注目!―」
映画のセリフ が英語を深く学ぶ上で役立つ 素材になることは言うまでもありませんが、映画に登場する看板や標識にも、非常におもしろい
ものがあります。ユーモアを利かせたものとして日本でも、踊った赤ちゃんの絵の横に「赤ちゃんがのっています」と書かれた車のステッカーを見かけますが、『リーサル・ウェエポン4』(1998)では、激しいカーチェイスの後、犯人の車と同じく大型トレーラーと衝突した主人公の車の前には、このカーチェイスのオチとして次のようなステッカーが映ります。
If you can read this, you are TOO close!
(この文字が読めたら近づきすぎ!) <01:17:20>
また同じ看板表現でも、時代設定が昔の映画ではその時代を反映する表現が出てきます。日本語の別れのあいさつ、「さようなら」が「左様ならば」に由来しているのと同じく、英語のGood-by(e)という表現は、God
be with
you「あなたに神のご加護がありますように」という表現から来ています。GodがGoodになり、beがbになり、withが消え、youがy(e)になったということです。ここで、なぜyouがy(e)という表記になるかというと、昔の英語では「あなた」が「ye」だった時代があるからです。つまり、God
be with yeだったということですね。
映画『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』(2003)、主人公のジャック・スパロウがある港に入港するシーン。彼が到着した港の入り口には、ミイラになった海賊が3体つり下げされており、「海賊たちよ、この港に来るとこうなるぞ」という見せしめがなされています。そして、その下にあるのが次の文字が書かれた看板です。
Pirates Ye Be Warned
(海賊たちへの警告) <00:09:37>
海賊が幅を利かせている時代が舞台の映画ですから「あなた、お前」にあたる単語としてyeが使われていてもおかしくないですよね。Good-byeの最後のeの存在が確認できる、おもしろいシーンだと思います。今や、映画のセリフ
はすぐ手に入る便利なサイトやソフトがある時代ですが、「音」にならない看板などの表現は、ぜひ
、映画をスクリーンのすみずみまで観ながら味わってみてください。
時代を反映するといえば、よくハリウッド映画は近未来を予言すると言われます。10年以上前の映画『ディープ・インパクト』(1998)には(1970年代以降のハリウッド大作ではおそらく初めて)黒人の大統領が登場し、近い将来の米国大統領像を予感させますが、その大統領が地球に隕石の衝突の可能性を初めて発表した際、大騒ぎになったテレビ局では次のようなセリフが出てきます。
Paris, London, Tokyo, Tel Aviv. I want everybody.
(パリ、ロンドン、東京、テルアビブ。全てに連絡して) <00:28:24>
一方、『ディープ・インパクト』から約10年後の映画『サロゲート』(2009)では、人間の生活を全て代行してくれる人型ロボットが米国で一斉に停止した際、テレビのアナウンサーはこう述べます。
Paris, London, Beijing, all reporting the same thing.
(パリ、ロンドン、北京からも同様の報告が届いています) <01:23:52>
この10年間で、ハリウッドが見る主要都市の優先順位では、東京が北京にぬかれた、とうがった見方をしてしまうのは私だけでしょうか?
2011年02月07日
投稿者: 倉田 誠(京都外国語大学)
タイトル: 「話をすり替える談話辞 speaking of A」
会話の談話の流れや方向性を決める第一の要素はその発話の内容ですが、その方向性をクリアに示す標識のようなものがあります。そのようなことばの標識を「談話辞」と呼びます。例えば、文中に"by
the
way"と出てくると、それまでの情報の流れが完全または多少変わるのだなと、聞き手は判断しますね。今回はそのような談話辞の1つである、"speaking
of A"に焦点を当ててみます。
多くの学習英和辞典には、"speaking of
A"という談話辞は「Aのことだが、Aといえば」という意味が載っているだけで、使い方の記述は全くありませんので、なかなか使いこなせないですね。でも実は、"speaking
of A"という談話辞は、相手の発話情報の一部を利用して、新たなトピックに転換させる時に使う「話題のすり替えの標識」なのです。Cast
Away
『キャスト・アウェイ』(2000)<00:15:33>で具体例を見ましょう。主人公のチャック(トム・ハンクス)は、婚約者のケリー(ヘレン・ハント)の実家で彼女の親戚とクリスマスディナーを食べます。その場で、チャックは彼が勤務する世界最大の宅配会社である、Federal
Express社の最新技術管理システムについて雄弁に話をします。チャックの話し相手は、ケリーの叔父のモーガン。姪のケリーと結婚しないチャックに少し焦��感を覚えていたモーガンは、チャックが流暢な話の中で、「融合」という意味でmarriageという語を使った瞬間に、原義である「結婚」の話題にすり替えます。Chuck:
It's a perfect marriage between technology and systems
management.「それは技術とシステム管理の完璧な"融合"です。」 Morgan: Speaking of marriage,
Chuck, when are you gonna make a honest woman out of
Kelly?「チャック、"融合"といえば、いつになったらケリーと"いっしょに"なってくれるんだ?」姪の幸せを願う叔父モーガンの機転がきいた話題転換術ですね。
上記のような英語学の様々な知見を映画の用例で説明する、『映画で学ぶ英語学』(くろしお出版)という本をATEM関西支部の有志で書きました。全国の大手の書店に陳列されていますので、お手にとってご覧ください。
2011年01月13日
投稿者: 小野 隆啓(京都外国語大学)
タイトル: 「二重目的語と前置詞」
英語には、動詞の後に2つの目的語が現れる構文があり、二重目的語構文と呼ばれます。これは、中学校の英文法で学ぶことで、基本五文型で言うとSVOOの第4文型です。例としてはgiveのような動詞がよく上げられ、John
gave me a book.の ような文です。この間接目的語meを前置詞句で置き換えると、John gave a book to
me.のように前置詞toが出てきます。では、次の例はどうでしょう。
Malfoy: You lost me my servant! <02:25:22>
この英文は映画Harry Potter and the Chamber of
Secretの最後の方に出てきます。ハリーがうまく策を使って、ドビーという奴隷のように扱われていた召使いエルフをマルフォイ家から救い出した後で、激高したマルフォイ氏がハリーに向かって言う言葉です。この場合のmeは前置詞を伴わせて書き換えるとfrom
meになります。つまりYou lost my servant from me. で、「きさま、俺様から召使いを奪っkqwqwkたな」のような意味です。
giveで作られる二重目的語構文を前置詞toを用いた与格構文(Dative
Construction)に変換することを与格交替(Dative
Alternation)と呼びますが、この言い方をすれば、上のlostの場合は、奪格交替(Ablative
Alternation)とでも呼ばれるものです。このような交替に は、ほかにも前置詞forで交替させる受益者交替(Benefactive
Alternation)があります。例えば、Cut me some.という例文です。一見、この文は変な意味に思えませんか?「私を
切る?someの意味は「少し」?」。この文の場合、隠れている前置詞はforなのです。Cut some(piece of cake)for
me.の意味になります。ほかには、前置詞withで交替 させる随伴格交替(Comitative
Alternation)があります。例えば、She played John three games of
chess.のような例文です。この場合のJohnはwith
Johnの意味で、「彼女はジョンとチェスを3ゲームした」というような意味です。二重目的語の間接目的語、前置詞を思い浮かべてもらうと、結構興味深いものがあります。
2011年01月06日
投稿者: 井村 誠(大阪工業大学)
タイトル: 「『次へ渡す』(Pay It Forward)」
恩を受けたら、恩返し(pay it
back)をするのが普通ですが、その代わりに他の恵まれない人たちや、助けを必要としている人たちに救いの手を差し伸べるというアイデアはいかがでしょうか。
両親は離婚、母親はアル中、「世の中なんか最低だ!(The world
sucks!)」と思っている少年の心をとらえたのは、社会科の先生が言った「世界は変えられるかもしれない」という言葉でした。シモネット先生は、生徒たちの1年間の課題として黒板に次のように書きました。
"Think of an idea to change the world --- and put it into ACTION!"
(世界を変えるアイデアを考えてみよう-そして、それを行動に移せ!)<00:10:11>
この課題に対して、トレバーが考え付いたのが、Pay It
Forward(次へ渡す)というアイデアです。トレバーは、クラスのみんなに次のように説明します。
Trevor: That's me. And that's three people. And I'm going to help
them, but it has to be something really big...something they can't
do by themselves. So I do it for them...then they do it for three
other people. That's nine. And I do three
more....(ここに僕がいて、他に3人の人がいます。僕は3人の役に立つことをします。でもそれは何か大きなことでないといけない…彼らが自分ではしようにもできないことです。だから僕がそれを彼らのためにしてあげて、そして彼らはまた別の3人の人に同じようにする。そうすると9人になります。そしてまた3人にやれば…)<00:33:04>
こうしてトレバーは、彼の周りにいる人たちを助けようとしては失敗を繰り返しますが、「小さな勇気で世界が変わる」というメッセージは少しずつ広がっていきます。
この感動的な作品Pay It Forward(2000年、Warner Bros.)と楽しいNight Museum
(2006年、Twentieth Century Fox)を併せて2本の映画を題材とした大学英語教科書STEP UP WITH
MOVIE
ENGLISH(金星堂、2010)を、昨年刊行しました。英語の苦手な学生が(1)興味を持ち(Intriguing)、(2)やる気を出し(Motivating)、(3)学習習慣を身につける(Habit-forming)ための工夫が凝らしてあります。どうぞご参照ください。
→出版物の案内
2010年12月28日
投稿者: 藤枝 善之(京都外国語短期大学)
タイトル: 「『シェーン』の名台詞を味わう」
映画『シェーン』は、"Shane! Come
back!"のセリフで有名な西部劇の名作です。その対訳本(ATEM関西支部の有志が訳と解説を担当)が、先日スクリーンプレイから出版されました。ここでは、その中に出てくる名台詞の一つを味わってみることにしましょう。
ワイオミングの山裾の荒野を馬で旅する男、シェーン。彼はある農地を横切ろうとしてそこで生活するジョー・スターレットとその妻マリアン、息子のジョーイと知り合います。スターレット一家と開墾に従事する他の入植者たちは、大規模な牧場を経営するライカー兄弟とその手下から様々な嫌がらせを受けていました。シェーンは請われるままに、しばらくスターレット家に滞在して農作業を手伝うことになります。ある日、シェーンが銃の扱い方をジョーイに教えていると、銃声を聞きつけたマリアンがやってきて非難します。それに対してシェーンは、
SHANE: A gun is a tool, Marian. No better and worse than any other
tool, an axe, a shovel, or anything. A gun is as good or as bad as
the man using it.(銃はただの道具だよ、マリアン。斧やシャベルなんかと同じだ。使う人によって良くも悪くもなる)
マリアンは、"We'd all be much better off if there wasn't a single gun left
in this valley, including
yours."(あなたのものを含めて、もし銃が一つもなければ、この土地はもっと暮らしやすくなるでしょうに)と言うほど徹底した平和主義者なのですが、暴力を使って開拓農民を追い出そうとするライカー兄弟の企みに対してはなす術がありません。結局は、彼女が望む平和を実現するためにシェーンの暴力が必要になります。自らの危険を顧みず、ライカー兄弟と対決して射殺したシェーンのおかげで、開拓村の平和が確保されるのです。すなわち平和は、自らを犠牲にするヒーローの正当な暴力によって獲得されるわけです。銃と暴力とヒーローに対するアメリカ人の考え方が垣間見えるシーンではないでしょうか。
2010年12月03日
投稿者: 平井 大輔(近畿大学)
タイトル: 「本当の主語は?」
映画『ハリー・ポッターと賢者の石』(2001)に以下のようなセリフが出てきます。
(1) Oliver: Quidditch is easy enough to understand. <01:03:44>
このセリフは、ハリー・ポッターにQuidditchという競技の説明をしてる時に出てくるもので、「クイディッチのルールは分かりやすい」という意味で使われています。しかし、この英文の主語は何でしょうか?
英文をみれば、Quidditchであることは簡単に分かるのですが、意味をよく考えてみると本当にそうでしょうか?
意味上では、Quidditchは、不定詞節内の他動詞understandの目的語であり、(2)のような文とほぼ同じになります。
(2) It is easy enough to understand Quidditch.
つまり、「Quidditchが簡単」なのではなく、「Quidditchを理解することが簡単」なのです。このような文の形容詞には、難易を表す形容詞や快・不快を表す形容詞が現れ、難易構文(tough-construction)と呼ばれ、ちょっと特殊な構文なのです。
さらに、『エターナル・サンシャイン』(2004)ではこの構文に似た文で、(3)のような文もあります。
(3) Mary: That was beautiful to watch, Howard, like a surgeon or a
concert pianist or something.(鮮やかな手さばきね。外科医とか、ピアニストみたい。)<01:09:24>
この場合、beautifulなのは英文の主語である"That"で、(2)のようにitを主語にした文には書き換えられません。このような構文には、話し手の主観をあらわす形容詞が現れます。映画には、このような構文が多く出てきます。
2010年12月03日
投稿者: 横山 仁視(京都女子大学)
タイトル: 「マリアンの心理を読み解く未来進行形-『シェーン』(1953)」
この映画の舞台は緑麗しいワイオミングの高原です。ジョー・スターレットは仲間世帯とともに開拓農民として妻マリアンと息子ジョーイの3人で暮らしています。ある日、旅人シェーンがこの地を訪れ、一家の元で生活を始めることに。そして、かねてより利害の反する牧畜業者ライカーとその一味たちとの間で繰り返される土地をめぐるもめごとに巻き込まれていきます。
次はマリアンが夫のジョーに言ったセリフです。難解な語彙もなく、日常的にごく普通に使われる表現です。しかし、マリアンがこのセリフをどんな気持ちをこめて発話したのかを考えると、彼女の心の内を覗いてみたくなります。
MARIAN: Joe…Hold me. Don't say anything. Just hold me
tight.(ジョー、私を抱きしめて。何も言わずに、強く抱きしめて。)<00:47:40>
この場面は、シェーンとジョーがグラフトンの酒場でライカーの手下たちを相手に大暴れをした後、家に戻り傷の手当てをマリアンにしてもらっているシーンに続いています。マリアンはシェーンに対する気持ちの高まりを断ち切るかのように、寝室から様子を見に出てきた夫のジョーに「何も言わず、強く抱きしめて。」と言います。一人息子のジョーイは「母さん、僕、シェーンのことが好きなんだ。シェーンのことが父さんと同じくらい好きなんだ。いいよね。」と子供らしい素直な純真な気持ちを母マリアンに打ち明けます。こうした純朴な気持ちを伝えることができる子供らしさとは対照的に、大人として、それも夫をもつ身として理性を保とうとする毅然としたマリアンの切ない気持ちが伝わってくる場面です。「私が愛してるのはジョー、あなただけよ、愛してるわ。」と言わんばかりに、シェーンに惹かれる心の揺れを断ち切るために、夫への愛を自らに言い聞かせる手段としてこのセリフが代弁していると言えるのではないでしょうか。マリアンのシェーンへの気持ちを表しているセリフはこのシーンに始まったことではありません。それは次のセリフにも表れています。
MARIAN: He'll be moving on one day, Joey. You'll be upset, if you
get to liking him too
much.(ジョーイ、シェーンはこの土地からいなくなる人なの。シェーンのことが好きになったら、別れが辛くなるだけよ。)<00:30:05>
実は、このセリフは「ジョーイ、シェーンのことをあまり好きにならないでね。」と母マリアンが息子のジョーに諭している場面に続いています。シェーンは近い未来にこの土地を離れて行く人。それは彼の意志ではなく何らかの都合で。そう思いたいマリアンの気持ちを自ら無意識に使い分けた未来進行形と単純未来形が彼女の辛い心理面を表している場面です。ジョーイへの忠告が実は自分自身への警告でもあったのかもしれません。
ATEM関西支部有志執筆による名作映画完全セリフ集『シェーン』(2010年11月30日発売、株式会社フォーイン、スクリーンプレイ事業部)が発売されました。是非、上記シーンを映像と音声を通してマリアンの心の内を読み取ってみてください。
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2010年11月12日
投稿者: 倉田 誠(京都外国語大学)
タイトル: 「英語に『班長』が使われる!?」
普段の日常生活にあふれるカタカナ英語を見ていると、英語が一方的に日本に流入しているような印象を受けますが、逆に英語化している日本語も少なくありません。sushi(寿司),
sumo(相撲),geisha(芸者)など日本の文化を代表するような語句はもちろん,Sony(ソニー),Toyota(トヨタ),Nintendo(任天堂)のような国際的な日本企業名も英語でそのまま使われています。また、意外な単語が借用語として英語に受け入れられているケースも少なからずあります。中でも興味深い例の1つとして"Dinosaur"
『ダイナソー』(2000)<00:29:32>で見られる次のセリフに注目してみましょう。Eema: Kron, the herd's
head
honcho.「クローンさ、この群れのリーダーなの」このセリフでは草食恐竜の群れを率いるリーダーのことを「班長」と呼んでいます。おもしろいですね。スペリングは米語的にアレンジされていますが、まぎれもなく、あの「班長」なのです。このhoncho
という借用語は、何も珍しい表現ではなく、"24 Season 5 Episode 10"(2006)<00:38:17>
でも、Christopher: So who is the honcho over at CTU now?(現在のCTU
のキャップは誰だ)のように使われています。
皆さんも英語のleader, head, captain, chairperson, boss,
president等の単語の同義語として、このhonchoを加えてお使いください。
ATEM関西支部は執筆活動が盛んな支部です。上記のコラムは、2010年12月刊行予定の『映画で学ぶ英語学』(くろしお出版:倉田誠監修)の中に掲載されている囲み記事"That's
a
Take!"の一部を修正加筆したものです。ちなみに、この囲み記事は、ATEM関西支部の新役員でもある山本五郎先生と倉田の共同執筆です。
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2010年10月17日
投稿者: 田中 美和子(京都ノートルダム女子大学・非, 京都橘大学・非)
タイトル: 「人生の楽しみ方―"Summertime"『旅情』(1955)と"Eat, Pray,
Love"『食べて、祈って、恋をして』(2010)」
『旅情』は、キャサリン・ヘップバーン演じる独身のアメリカ人女性ジェーンが、イタリアのヴェネチアで、骨董屋の主人レナートと恋に落ちる話です。一番の見所は、ヘップバーンの演技の絶妙さでしょう。真面目で、プロテスタント的なジェーンは、男性と話す時は、とても不器用な様子で、見ている側の笑いを誘います。でも、恋が始まってからは、美しく輝きだし、まるで別人のようです。ペンションの女主人フィオリーニは言います。
フィオリーニ: In Italy, you sit down to eat, and you eat a meal. In Paris,
you sit down and what do you eat? A sauce. And in America, Mr. Bac,
Mac, whatever it is, he sits down and what does he eat? Pills, only
pills.(イタリアでは本物の食事ができるわ。フランスはソース。アメリカでは、錠剤だけでしょ。)<00:18:47>
つまり、食べることは生きることなのですから。栄養剤だけではつまらない。人生の楽しみ方についてのイタリア人からアメリカ人へのメッセージです。
『食べて、祈って、恋をして』(2010)でも同じです。ニューヨークに住むバツイチのリズは、イタリア・インド・インドネシアへと旅行をします。健康な食欲を失っていたリズは、かの地イタリアではみごとに食べ物と恋に落ちます。美味しそうなナポリのピザをぺロリと食べ、"I
'm having a relationship with my
pizza."(ピザと付き合っているの)と言い放つシーンは圧巻です。アメリカ人は、50年たっても、人生の楽しみ方はイタリアで学びたいようです。
2010年10月13日
投稿者: 藤枝 善之(京都外国語短期大学)
タイトル: 「シェーンは死んだのか?」
シェーンとライカ一味との対決場面ではほとんど傷らしい傷も受けずにシェーンが勝利し、ジョーイ少年に別れを告げて馬で悠然と去っていく-これが映画『シェーン』のラストシーンを観た筆者の最初の印象でした。しかし、西部劇ファンの間では「シェーンは深手を負っている」との説が以前から囁かれていたようです。某雑誌によると、映画評論家の白井佳夫氏はその説を友人の脚本家、倉本聡氏から聞き、1983年夏に「シェーン」のビデオが発売されるやいなや、問題の場面を何度もチェックしたそうです。その結果、
映画を観た時には見逃していた以下の事実が分かったと言います。「この決闘でシェーンが左肩の、それも心臓に近い部分を撃たれたのは確かです。
というのは、この後でジョーイ少年が『血が出てる。
けがをしたんだね』という場面が出て来るんです」「ラストシーンを子細に見ると、シェーンの左手がだらりと下がり、深手を負った様子がよくわかる。
おまけにシェーンが向かって行く先は、画面を止めてみると、十字架の並んだ墓地なんです」。この白井説を一歩進める形で展開しているのが、映画『交渉人』の主人公クリスです。彼は、シェーンが馬に乗って山に向かう時にはすでに死んでいる。シェーンが馬上で前屈みになって、ジョーイの呼び声にも振り返らないのがその証拠だ、と言います。さて、シェーンはライカ一味とのガンファイトで撃たれたのでしょうか?そして、馬上のシェーンは本当に死んでいるのでしょうか? このシーンのシナリオを見てみると、「シェーン、危ない!」とジョーイが叫んだ後、"Shane
turns quickly, ducks behind the bar and shoots Morgan who falls
through the rafters to the saloon floor. Shane walks out of the
bar."とあり、シェーンが撃たれたとは書いていません。しかしその後、ジョーイが "It's bloody! You're
hurt!"と言っているので、シェーンはどこか撃たれたのでしょう。しかし、撃たれた部位は白石が主張する左肩ではなく、腹部だと思われます。映画では一瞬、敵に撃たれたシェーンが腹を押さえて前のめりになるシーンが映るのです。しかも原作には、"I
noticed on the dark brown of his shirt, low and just above the belt
to one side of the buckle, the darker spot gradually
widening."「ベルトの留め金の上横にある点、彼のシャツの焦げ茶色よりもっと濃いシミがだんだん拡がっていくのに僕は気づいた」"The
stain on his shirt was bigger now, spreading fanlike above the belt,
. .
."「今や彼のシャツに付いたシミは、ベルトの上の所で扇のように拡がってさらに大きくなっていた」と書かれているので、間違いないでしょう。では、馬上のシェーンは生きているのか、死んでいるのか? これは明確な手がかりがないので、観る人の想像に任せるしかないようです。
2010年08月26日
投稿者: 中井 英民(天理大学)
タイトル: 「Dyslexia(難読症)を知っていますか? In Her Shoes(『イン・ハー・シューズ』、2005)とThe
Reader(『愛を読む人』、2008)」
米国Time誌(2003年9月8日号)のカバーストーリー、「Dyslexia(難読症)を乗り越える -
ようやく科学が解明したこと」から、Dyslexiaについて驚愕の事実を知りました。本誌によると、一部の人たちの脳では、文字→音韻転換→単語認識→自動化→文の意味理解、というプロセスがうまく働かないことからDyslexiaがおこるそうです。英語のような綴りと発音が一致しない言語では極めて顕著で、なんとアメリカの小学生の最大20%がDyslexiaであると報じています。日本の場合は「カナ」という音韻とほぼ一致する音節文字があるおかげで、Dyslexiaの率は小学生の1%程度だと紹介しています。Dyslexiaは知能と関係がなく芸術的な才能を持つ人に多くいるそうで、例えばDyslexiaを克服したトム・クルーズがDyslexiaの子どもたちの支援活動をしていることは有名です。
さて、映画『イン・ハー・シューズ』は、弁護士をする賢いけれど生きるのが不器用な姉(トニー・コレット)と自由奔放だけれど頭が悪く社会の落ちこぼれの妹(キャメロン・ディアス)の和解の物語です。また生きることが難しい違ったタイプの二人が、それぞれの幸せを見つけていく物語です。この映画を観るときDyslexiaのことが分かっていなければ、苦悩する妹マギーの心情を本当に理解することはできないでしょう。マギーは姉と喧嘩して家出し、それまで存在を知らなかった祖母の働く養老院に転がり込み、そこで退職した盲目の大学教授にDyslexiaであることを見破られます。彼から読むことを学んだマギーは、自信にあふれた新しい自分へと再生していきます。
老人: …, you might as well read to me.((それなら)私に本を読んでくれ)
マギー: I'm kind of a slow reader.(読むのが遅いの)
老人: Perfect. I'm a slow listener.(構わん。私は聞くのが遅い)
マギー: (読み始める)The …art …of …losing …(あきらめて)You know, I should just get
back to work. (仕事があるから)
老人:What is it, dyslexia?((どうしたんだ)読書障害か?)<01:13:25>
(訳は字幕のまま。カッコ内は投稿者加筆)
第81回アカデミー賞(2009年)で主演女優賞を受賞したケイト・ウインスレットが出演した『愛を読む人』でも、Dyslexiaは物語の中心となるテーマでした。第二次大戦直後のドイツで、15歳のマイケルは年上のハンナと恋に落ち情事を重ねます。8年後、法学生となったマイケルが傍聴した裁判で見たのは、戦時中ナチスに加担した罪を問われるハンナでした。彼女は自分の「秘密」を隠し通すため、罪を認めてしまうのです。文字が読めないことがいかに大変なことで、その「障害」に苦しむ人が多く存在することを知れば、これらの映画をより深く鑑賞することができるでしょう。
2010年08月04日
投稿者: 佐藤 弘樹(FM京都α-stationパーソナリティー、京都外国語大学(非)
タイトル: 「映画は時代と供に」
映画『ランボー/最後の戦場』には次のセリフが出てきます。
John Rambo : Live for nothing, or die for something. Your call.
(無駄に生きるか、何かのために死ぬか。お前が決めろ。) <00:48:35>
シルベスター・スタローン主演の1982年『ランボー』は、1985年の『ランボー/怒りの脱出』、1988年の『ランボー/怒りのアフガン』、2008年『ランボー/最後の戦場』まで合わせて4作作られましたが、このシリーズは映画が世の風潮を受けて作られ、実社会の反映であることを証明しています。
最新作「ランボー/最後の戦場」が、娯楽映画としては描写がリアルすぎるのも、イラクやアフガニスタンでの対テロ戦争を遂行するアメリカ国民が、戦争を悲惨な現実として捉えていることに他ならないと思います。
第1作の『ランボー』」の原作はデヴィッド・マレルの小説『一人だけの軍隊(First
blood)』です。原題のFirstは第一級、bloodは兵士を意味し、映画中では"draw first
blood"「相手に先に出血させる」というランボーのセリフがあります。
当時のベトナム帰還兵に冷たいアメリカ社会への警鐘と言う社会的メッセージを込めて作られましたが、興行的には中規模のヒットに終わり、以降非現実的な超人が大暴れする漫画的な作風へと変わっていきます。
最新作『ランボー/最後の戦場』はミャンマーMyanmarが舞台になっていますが、映画の中ではビルマBurmaという旧国名が使われます。つまり現軍事政権を認めない立場を映画の中で表明しているわけです。日本政府はいち早く軍政を承認しましたが、国の呼び名一つをとってもYour
call(お前の決断)であるわけです。
2010年07月20日
投稿者: 倉田 誠(京都外国語大学)
タイトル: 「頭韻は文学のみの技巧ではない!」
頭韻(alliteration)という技巧は文学や詩の世界のみではなく、私たちの身の回りに散在しています。同じ音を一定間隔で連続させると、口調の良さと耳触りの良さが生まれ、聞き手の記憶に残す効果があります。ディズニーキャラクターのMickey
Mouse & Minnie MouseやDonald
Duck & Daisy
Duckはその好例ですし、PCのCMコピーの"Intel
Inside"や"Kit
Kat"というチョコレートの名前は頭から離れませんね。また、ことわざの"Money
makes the mare to
go."「地獄の沙汰も金次第。」や"It takes two
to
tango."「喧嘩両成敗」を始め、金言といわれる表現には頭韻を使ったものが多いのです。
この頭韻の技巧は、英語の直喩表現にも少なからず使われています。その一例を下記の映画のセリフで観察してみましょう。"Patch
Adams"『パッチ・アダムス』(1998)では、主人公が天使の恰好で、ある入院患者の前に登場するシーンがあります。患者の前で「死」に関する語句を羅列し、最後に直喩表現でしめます。直喩表現以外の単語も見事なくらいに、全てが「d音」で統一されています。Patch
Adams: "…deceased, demised,
departed and defunct. Dead as a
doornail."「没する。隠れる。他界する。死滅する。つまり、不帰の客となる。」<00:50:57>
dead as a doornail以外でも、blind as a
bat「���く見えていない」、cool as a
cucumber「とても冷静な」、 fit as a fiddle「ピンピンとした」、good as
gold「とても親切な」、green as grass「鮮やかな緑の」、
mad as a March
hare「とても乱暴な」なども全て映画のセリフとして確認されている直喩表現です(ATEM関西支部映画英語データベース)。皆さんも英会話で上記のような直喩表現を使えたら、proud
as a peacock「とても誇らしげな気持ち」になれますよね。
2010年9月25日(土)に開催されるATEM関西支部大会(於:近畿大学)では、このような「映画と英語学」のインターフェースのみならず、「映画と文化」についても様々な興味深い情報を入手できます。乞うご期待!
2010年06月30日
投稿者: 西川 眞由美(摂南大学)
タイトル: 「イギリスから見たアメリカ--『ムッソリーニとお茶を』(Tea with Mussolini、1998米)」
第二次世界大戦前夜のフィレンチェが舞台のこの映画は、マギー・スミスやジュディ・デンチなど女優陣の豪華さとフランコ・ゼフィレッリ監督が作り出す映像の美しさで私たちを魅了してくれます。また私生児ルカと彼を深い愛情と教養を持って育てる英国婦人達の心温まる物語としても名作ですが、イギリス人のアメリカに対する複雑な思いも垣間見ることができます。
例えば、戸外でアフタヌーンティーをしているときに、富豪のアメリカ女性のエルサが豪華な車で現れると、元英国大使の未亡人へスターは、
"Americans."(アメリカン人め)<00:21:31>と言ってため息をつきます。また、エルサが幼いルカに大きなクリームパフェを食べさせているのを見て、"Look
at that ridiculous American monstrosity they've given the child. . .
They can even vulgarize ice cream."(なんて巨大なものを子供に与えるのかしら. .
. アイスクリームまで俗悪化してしまうのね)<00:24:04>と非難するのです。
一方で、収容所のラジオからアメリカ参戦のアナウンスが聞こえた瞬間、彼女達は肩を抱き合って喜び、安堵します。「これで大丈夫、アメリカが救ってくれるわ!」と言わんばかりに。その後、近くのホテルに移った彼女らは自分達のホテル代を払ってくれているのはエルサであることを知ります。私生児ルカの養育費を払っているのも、実はエルサだったのです。
度重なる大戦の後、大英帝国として世界を君臨したイギリスが、圧倒的な経済力を誇るアメリカに覇者の座を譲りました。その若く稚拙な文化を軽蔑しながらも、エネルギーに満ち溢れた新しい強大国アメリカの力を頼らざるを得ない複雑な気持ちを、素敵なLady達が英国の誇りとともに見事に見せてくれる映画です。
2010年05月01日
投稿者: 藤倉 なおこ(京都外国語短期大学)
タイトル: 「トスカーナの休日 ―新しい「家族」のかたち―」
この映画の原作「イタリア・トスカーナの休日」は、ダイアン・レイン演じる主人公のフランシスが、イタリアで築いた新しい「家族」にささえられながら離婚の傷心から立ち直る物語です。
作家のフランシスは、夫の浮気が原因で離婚します。「いつかまたきっと幸せになれるよ。」という弁護士の言葉など耳に入りません。彼女を見かねた親友パティは、自分とレズビアンのパートナーが行くはずだったトスカーナ行きのチケットを譲ってくれます。そしてフランシスはトスカーナで築300年の家を衝動買いするのです。この家で結婚式をしたい!この家に家族が欲しい!という彼女。家の改修に来たポーランド移民の個性派ぞろいの3人組。工事の合間、フランシスは彼らに腕によりをかけて手作りの料理をふるまい、家族のように大きなテーブルを囲みます。隣の大家族はオリーブの収穫に彼女を招待し家族同然に食卓に受け入れます。彼女のすさんだ心は癒されていきます。
そこに妊娠したパティが現れます。人工受精で妊娠したものの結局、パートナーに去られてしまったのでした。パティ、赤ちゃん、フランシスと一緒に暮らし始めます。
一方、改修に来た内の一人は隣の娘と恋に落ちるのですが、彼女の親に移民で家族がいないような男に娘はやれないと結婚を猛反対されます。するとフランシスは、"I'm
his family!"と誇らしげに父親の前で宣言します。少年はフランシスの家で盛大な結婚式を挙げます。
家族とはいったいなんでしょうか。"family"の語源はラテン語の"familia"(家の使用人)です。一緒に暮らす者という意味で、そもそも血縁関係はありませんでした。この映画は、必ずしも血縁で結ばれていなくても、そこには家族のような関係が存在しうるということ、新しい「家族」のかたちを教えてくれます。
2010年03月22日
投稿者: 近藤 暁子(奈良工業高等専門学校)
タイトル: 「The Pursuit of Happyness(『幸せのちから』)にみるアメリカ」
実在の人物をもとに描かれたこの映画の主人公クリスはホームレスから投資会社を立ち上げ億万長者になるという、アメリカンドリームを実現しました。彼を成功に導いた最大の理由は、どんなに絶望的な状況にあっても、死に物狂いで努力したこと、自分の可能性を信じたこと、これにつきます。
タイトルのThe Pursuit of Happynessはアメリカ独立宣言の「The pursuit of
happiness(幸福の追求)」のもじりで、それが示されているクリスのつぶやきに以下があります。
"It was right then that I started thinking about Thomas Jefferson on
the Declaration of Independence and the part about our right to
life, liberty, and the pursuit of happiness. And I remember
thinking, how did he know to put the pursuit part in there? That
maybe happiness is something that we can only pursue and maybe we
can actually never have it. No matter what. How did he know
that?"(この瞬間に私はトーマス・ジェファーソンのことを考え始めた。彼は独立宣言書にこう書いた。人間には生きる権利、自由になる権利、幸福を追い求める権利があると。このとき私は思った。なぜ彼は幸福にだけ追い求めると加えたのか。もしかしたら、幸せとは追い求めることしかできないものなのかもしれない。実際に手に入れることはできないのかもしれない。どうやっても。彼はなぜそれを知っていたのか。)<00:31:17>
「この国には幸福を求める権利は与えられていても、幸福は保証してもらえるわけではない。」アメリカンドリームというよりも、アメリカ資本主義に対してどのように考えるかというメッセージがあるように感じられます。能力のあるもの、チャンスをつかめるものにはすばらしい国なのでしょう。でもすべての人間が幸せになれることを約束してくれる国ではないのです。でもそれに気づいていない人が少なくはないのではないでしょうか?
2010年02月13日
投稿者: 北本 晃治(帝塚山大学)
タイトル: 「意味解釈における文脈と文化」
このシリーズの一番初め(2006年05月08日掲載)に、藤枝先生が『タイタニック』の中で、船が沈没した後に展開されるジャックとローズの対話を取り上げて解説しておられますが、ここでは、同じシーンからジャックのせりふの方に焦点を当てて、再度考えてみたいと思います。
ジャックは、自らは海水の中にありながら、船の破片の上にローズを上がらせて、海水の直接的な冷たさから彼女の身を守っています。ローズは、周りの人々が息絶えてしまった様子に"It's
getting quiet."と力なくつぶやきますが、ジャックはこの言葉に鋭く反応して、次のように言うのでした。"It's just
gonna take them a couple of minutes to get the boats organized. I
don't know about you, but I intend to write a strongly worded letter
to the White Star Line about all
this."(あと数分でボートの準備が整うからね。君がどうするかは知らないけれど、僕は、今回の件について、ホワイトスターライン社に強い抗議文を書くつもりだ。)<02:49:43>
文の意味はそれが置かれている文脈によって大きく変化します。ここでジャックは、ローズを何とか救いたいという一心から、気力の失せかけたローズを懸命に励まそうとしています。しかし、救命ボートへの言及は分かるとしても、瀕死の状態から船会社へ「抗議文を書く」というところは、普通に考えればジャンプが大きすぎるように思われます。するとこの言葉には、言外の意味があると考える必要があります。それは指摘した文脈「ローズの気力への刺激」ということになるでしょう。ここでは、生存後のビジョンの提示⇒それを示す強さとユーモア(余裕)が自分にはある⇒自分の言葉を信じてがんばれ!という言葉とその発信源への信を促すジャックの意図があり、そのことはこの後に続く一連のセリフの中にも見て取れます。
それでは、その始まりがどうして船会社へ「抗議文を書く」ということになるのでしょうか。このような状況で第一に考えるべきこととしては、日本人的感覚ではかなり違和感があるところでしょう。ここで作用しているのは、人間間の関係性においては、それが愛であれ、要望であれ、抗議であれ、それらをきちんと言葉にして相手に伝えることが重要であるとする、その文化的文脈であるということに気づくことが大切です。日本文化では、人間関係における表立った言語的対立を回避し、一体感や全体性に向けた「包む作用」に価値が置かれがちですが、神の裁きは、物事の是非を切り分けるための明確な言語化(つまりは「切断作用」)の後にやってくる、という西洋的価値観が理解できれば、このような文化差から生じてくる「違和感」も、納得されるものとなってくるように思います。
2010年01月24日
投稿者: 倉田 誠(京都外国語大学)
タイトル: 「What's X doing here? 言外の意味しかない構文的イディオム」
What's X doing
here?という表現は、変数Xの部分に無生物主語が代入されるという風変りな構文的イディオムです。表面上は「Xがここで何をしているのですか」という疑問文ですが、話し手が「本来あるはずのないXがここにある」と考えていることから、「Xが邪魔である→どけろ!」といった意味が生じます。更にストレートにいうと、この表現を用いると文字通りの解釈はなくなり、上記のような命令文の意味のみが相手に伝わるのです。2例ほど映画からのセリフをご紹介します。1例目は"Ghost"『ゴースト』(1990)<00:08:40>からのシーンを取り上げます。主人公のMollyが、同棲中の恋人Samに向かって、"Sam,
what's this chair doing
here?"(サム、この椅子はここで何をしているの?)と発しています。Mollyはこのように発話することで、自分が苛立っていることを表しているだけではなく、Samにその椅子を間接的に片付けてくれと伝えています。またこの構文は"Titanic"『タイタニック』(1997)<02:07:34>にも"What's
this luggage doing here? Get rid of
it!"(トランクなんか載せるな!邪魔だから、どけろ!)というセリフで登場しています。タイタニックが沈みつつあるシーンで、数が限られた救命ボートに自分の荷物を載せた乗客に向かって放った、客船乗務員の怒りにあふれた表現です。矢継ぎ早にGet
rid of itも付け加えていますね。
ご存じの方も多いと思いますが、ATEM関西支部は執筆活動が盛んな支部です。実はこの項目は少し形を変えて、「英語学と映画」をモチーフにした近刊本(くろしお出版)に掲載されます。新進気鋭の関西支部会員である衛藤圭一先生と私、倉田が担当しています。乞うご期待!
→出版物の案内
2009年10月11日
投稿者: 平井 大輔(近畿大学)
タイトル: 「目に見えないものが見える!!」
映画Field of Dreams(『フィールド・オブ・ドリームズ』)(1989)には次のセリフがあります。
Ray Kinsella: Something's going to happen at the game. I don't know
what. But there's something at Fenway Park. I got to be there with
Terence Mann to find it out.
(この試合で何かが起こるんだ。何かわからないけど。しかし、フェンウエイパークで何かあるんだ。それを観にテレンス・マンとそこへ行かないといけないんだ。)<0:43:50>
このセリフで非常に興味深いのが、冒頭の"Something's going to happen at the game. I don't
know what."というセリフです。我々はこのセリフをどのように理解しているでしょうか? "what"の後ろに何か見えますか?
実はこのあとには省略されている英語があるのです。この文を省略せずにすべて書き出すとすれば、以下のように理解していることが分かります。
Something's going to happen at the game. I don't know what is going
to happen.
ただ単に"what"で終わっているのではなく、意味的にはそのあとに上のような文が続いていることを私たちは(少なくとも英語母語話者は)正しく理解しているのです。このように、言葉には目に見えているものだけが存在するわけではないのですね。それを理解できる力ってすばらしいですね。
映画は、このような省略されている英語を発見し、そこに何が隠されているのかを考える機会を与えてくれる最高の材料でもあるのです。映画で言葉力を試してみませんか?
2009年08月24日
投稿者: 横山 仁視(京都女子大学)
タイトル: 「表現のcultural literacyを知る楽しさ」
アメリカ英語をよく観察してみると、今日でも使われている表現の中には北米先住民の習慣を色濃く残しているものがあります。
bury the hatchet (=forget old differences and make
peace)「仲直りをする、和睦する、戦いをやめる」はその一例です。この表現はアメリカ先住民の戦いの習慣を反映しているもので、敵が戦うことをやめる印として、トマホーク(北米先住民の戦闘・狩に用いる石[鉄]おの)を文字通りに地中に埋めたと言われています。対照的な表現にdig
up the hatchet (=argue about an old
disagreement)「古いけんかを再び始める」があります。また、turn down
(=reject)「(申し出など)を断る」もまた興味深い表現で、その由来は植民地時代にさかのぼります。当時、恥ずかしがり屋の若い男性が女性に求婚する際に"courting
mirror"「求婚用の鏡」(ガラスの上に装飾を施した18世紀の木枠つきの小型鏡で、求愛の習慣的贈物だったことからこう呼ばれる)の鏡の面をテーブルの上にして置き、相手の女性がその鏡を覗き込みほほ笑むと求愛を受け入れたことを表し、逆に、鏡を裏返しにすると求愛を断ったとされています。
こうした表現は映画の台詞にも見られます。『ワーキング・ガール』(1988)と『評決』(1982)から見てみましょう。
TESS: Look, you, maybe you can fool these guys with this saint act
you've got down, but do not ever speak to me again like we don't
know what really happened. You got
me?(いい加減にしてよ。もっともらしい口きいて、他の人は騙せても私には効かないわよ。何が人生は積極的につかむよ。)
KATHARINE: Tess, this is business. Let's just bury the hatchet.
Okay?(テス、これはビジネスよ。済んだことは忘れましょう。いいわね。)
TESS: You know where you can bury your hatchet? Now get your bony
ass out of my sight!(忘れるもんですか。消えてよこのギスギスだぬき。)---Working Girl:
<01:39:11>
KEVIN: We've been going for four years, now. See, four years my wife
has been crying herself to sleep. What they did to her
sister!(4年面倒を見ている。4年だぞ。女房は4年間泣き暮らした。姉があんなことに。)
GALVIN: Look, I swear to ya, I wouldn't turn down the offer if I
thought I couldn't win the case.(分かってくれ。私には勝つ自信がある。)
KEVIN: What do you mean, what you thought? I am a working man,
trying to get my wife out of town. Now we hired you and I am paying
you!(自信だと?俺は安月給取りだが、正規にあんたを雇った。)---The Verdict: <00:49:00>
2009年9月26日(土)に帝塚山大学(学園前キャンパス)で開催されるATEM関西支部第7回大会では、このような言語や文化に関する情報交換も盛んに行われますので、是非ご参加ください。
2009年06月13日
投稿者: 倉田 誠(京都外国語大学)
タイトル: 「悪くなるdevelopについて」
日本人英語学習者の多くが正しく使えていない動詞の一つにdevelopがあります。この動詞は古フランス語起源で、語源はde(脱却させる)+velop(筒)というものです。中学校で習うenvelope「封筒」という単語がen+velopから造られていることは、想像に難くないでしょう。英和辞典等ではdevelopは「<能力・産業など>を発達させる、発展させる」や「<資源・産業など>を開発する」という意味が強調されていますので、「何かをよくする」という意味の動詞であると誤解している日本人学習者が多いようです。しかしながら、developには「<病気>を発病する」という悪くなる用法や「<フィルム・写真>を現像する」という善悪という尺度では測れない用法もありますね。そこで再度語源の意味を「筒状(velop)のものから出す(de)→見えない状態から見える状態にする→顕在化させる」と認識すると、「善悪にかかわらず、何かが際立つ」という中核的意味になります。上掲の「<フィルム・写真>を現像する」という意味は、現像液につけると文字通り「被写体が浮き出てくる」というイメージが出ますよね。ちなみに、現像液はdeveloperといいます。developの意味的ロジック通りですよね。
下記は「悪い方向」に顕���化しているdevelopの用��ですので、��考に���てください。スペース��関係上、���回は3例しか上げられませんが、2009年9月26日(土)に帝塚山大学で開かれるATEM関西支部大会では、このような英語学に関する情報交換も盛んに行われますので、乞うご期待!
①Deep Blue Sea 『ディープ・ブルー』(1999)<00:05:17>
Susan: 200,000 men and women develop Alzheimer's each
year.(20万人の人々が毎年、アルツハイマー病を発症しているのよ。)
②Big Daddy 『ビッグ・ダディー』(1999)<00:43:52>
Julian: Layla, if you don't come over to Sonny's apartment
tonight…there's a good chance I'll develop a stutter. P-P-P-Please
don't do this to me.
(ライラ、今晩ソニーのアパートに来てくれなかったら、僕は吃るようになってしまうと思う。どっ、どっ、どっ、どうかそんな目にあわさないでくれよ。)
③The American President 『アメリカンプレジデント』(1995)<00:44:41>
Leo: But you've spent a lot of time over the years telling me the
trouble with the environmental lobby is that we don't understand the
fundamental truth that politics is perception. This is a bad time to
develop
ignorance.(君は環境陳情の工作をする上で、政治上の臭いものに蓋をするようではだめだと力説してきたじゃないか。今回のことも蓋をしていてはだめだよ。)
2009年01月09日
投稿者: 松田早恵(摂南大学)
タイトル: 「幸せの尺度」
『ウェイトレス~おいしい人生のつくりかた』(Waitress)には様々な人生模様が描かれています。主人公のジェナは、自己本位で暴力的な夫アールから逃れたいと思っているのですが、結局彼の言うことには逆らえず、"Absolutely."(その通りよ)を連発します。そして、不運にもアールの子どもを妊娠してしまうのです。そんな彼女に優しく接するのが、新しく着任してきた若き産婦人科医、ポマター先生です。お互いに家庭があるとは知りつつ、2人はどんどん魅かれ合っていきます。
そんなある日、ジェナはウェイトレス仲間のベッキーと店長カルの不倫現場を目撃してしまいます。自分のことを棚にあげてベッキーを責めるジェナ。でもベッキーにはベッキーの思いがあります。ベッキーには寝たきりの夫がいるのですが、夫と別れること=見捨てることはできないと言うのです。
ジェナは店長カルに次のように聞きます。
JENNA: Are you happy? I mean you call yourself a happy man?
(あなたは幸せ?自分のことを幸せだって言える?)
CAL: Well, if you're asking me a serious question, I'll tell you.
Happy enough. I don't expect much. I don't give much. I don't get
much. I generally enjoy whatever comes up. That's my
truth.(真面目に聞いてるんなら答えてやるよ。十分幸せだよ。期待もし過ぎず、与えることももらうこともほどほど。大抵、成り行き任せを楽しんでいる。それが俺の本音さ。)<01:05:38>
一方、もう1人のウェイトレス仲間ドーンは、第一印象が悪かった(ストーカーされていた)相手との結婚を決めます。
DAWN: He got to me…He's so passionate. He writes me these
spontaneous poems…He's not pretty, but he grows on you…I've found
someone who loves me to death and I AM
happy.(気持ちが届いたのよ。すっごく情熱的で、即興の詩を作ってくれるの。男前じゃないけど、段々好きになってくるのよ。私のことを死ぬほど愛してくれる人を見つけて、私はし・あ・わ・せ!)<00:58:00>
いろいろな生き方に触れて、ジェナ自身も自分の人生を見つめ直します。赤ちゃんが生れた日、ジェナが下した決断とは?ネタばれするので、後は映画でご確認くださいね。
※余談:このDVDにはPie Recipe
Book(パイ5種のレシピブック)が付いていたのですが、私が是非作ってみたいパイは、Falling in Love Chocolate
Mousse Pie(恋するチョコレートムースパイ)です。Earl Murders Me Cause I'm Having an
Affair
Pie(不倫でアールに殺されるパイ)もおいしそうですが、材料のブラックベリーがちょっと日本では手に入りそうにないかもしれません。
2008年10月16日
投稿者: 小野 隆啓(京都外国語大学)
タイトル: 「Thisの意味のThat」
『ハリーポッターと賢者の石』(Harry Potter and the Philosopher's
Stone)の中に次のような会話のシーンが出てきます。
Harry: Hagrid, what exactly is that?
Hagrid: That? It's. . . .
Ron: I know what that is! But, Hagrid, how did you get one?
<01:39:48>
このシーンは、Hagridがドラゴンの卵を暖めて孵化させようとし、そろそろかえる頃なので机の上に卵を置きます。Harry, Ron,
Hermioneの3人は机を囲み、卵は彼らの目と鼻の先にあります。そのような状況で上のセリフが出てきます。この中のHarryとRonのセリフの中の二つのthat、日本語に訳してみるとどうしても「あれ」ではなく、「これ」と訳さないと日本語の場合おかしいですね。「ハグリッド、これって一体なーに?」、「僕これが何か知ってるよ。でも、ハグリッド、どうやって手に入れたの?」のようになりますね。つまり、使われているのはthatなのに意味的にはthisなのです。
同じ映画の中の終わりの方にも、同じ用法のthatが出てきます。これは、ハグリッドが一角獣(unicorn)の血を指ですくって、それをHarry達に見せているところで出てきます。
Harry: Hagrid, what is that?
Hagrid: What we're here for. See that? That's unicorn blood, that
is. …<01:44:40>
Harryのセリフのthatはここでは「あれ」でもなく「これ」でもなく、「それ」が一番しっくり来ます。「ハグリッド、それなーに?」でしょう。でも、その後のハグリッドのセリフの中にあるthatは、ハグリッド自らがその指に一角獣の血をつけているのですから、「おれたちゃ、ここに何しに来たんだ?これが見えないか?これは一角獣の血だぞ。」のように「これ」でないとおかしくて「あれ」や「それ」ではだめですね。
これらの例からthatにthisの意味を表す用法があることがわかります。thatは空間的に遠くにあるものを指す場合に使われるのが一般的です。でも、thatには「心理的に遠いものを指す」場合があるのです。上の例はどちらも「空間的にはthisの範囲にあるが心理的に遠い存在」なのでthatが用いられているのです。ドラゴンの卵も一角獣の血も、たとえそれらが目の前にあっても、そんなものは今までHarryは全く見たことも聞いたこともないので心理的に遠い存在なのです。そのためたとえ空間的にはすぐ近く、手の届くような位置にあってもthatが用いられているのです。
『プラダを着た悪魔』(The Devil Wears Prada)の中のthatも同じです。
(⇒7月19日掲載の「話題化(topicalization)」(倉田誠先生)をご参照ください!)
Nigel: Who's that?(これ、誰?)
Emily: That I can't even talk about.(話す気にもならないわ。)<00:04:58>
最初のNigelのセリフはAndyのすぐ隣で発せられたものです。すぐ隣ですから、日本語なら当然「これ」を用いますからthisを用いる所だと思いますよね。ところが実際にはthatになっているわけです。ファッション界の先頭を行く雑誌Runwayで勤務するNigelにとってAndyの服装は全くファッションとは言えないようなひどいものに映ったのでしょう。なので自分とは「心理的に遠い」存在だということでthatを使っているのです。
この「Thisの意味のThat」は、一般の辞書の中にも書いてあるものもあるのです。ですが、上のようなしっくり来る例が示されておらず、やはり距離的に遠いもののことしか出てきていません。映画の英語、やはりとても役に立つ教材だと言えますね。(以上のことを知れば、最初に紹介したセリフのハグリッドの応答、"That?
It's. . . ."
の部分のThat?となっていること、特に疑問詞が付いていることの意味もわかってくるはずです。日本語訳ではその微妙な感覚は消えてしまっています。どうぞ、考えてみてください。)
2008年10月02日
投稿者: 石川 保茂(京都外国語短期大学)
タイトル: 「『ニューヨークの恋人』 Kate & Leopold」
おかしな研究者スチュアートは時空の裂け目をついに発見し、1876年のニューヨークにワープします。しかしそこで生粋の英国紳士レオポルドに不審な行動を見とがめられ、あとを追われて橋から落下します。一人で現代のニューヨークに戻ってきたはずが、なんとレオポルドまで一緒に。アパートの階下に住む「元」恋人のケイトが出入りして、レオポルドを彼女の仕事の企画に起用、大当たりとなります。まさに絵に描いたような紳士的行動をとるレオポルドに、いつしかケイトは魅かれ、レオポルドもケイトに魅かれていきます。しかし、現代になじめないレオポルドとケイトの仲はぎくしゃくし、その傷心を抱いたままレオポルドは過去の世界へと帰ってしまいます。レオポルドのおかげもあって念願の昇進を果たしたケイトは、いよいよその発表パーティの就任挨拶の時を迎えます。しかしケイトの弟チャーリーが、1876年の写真にケイトが写っているのを発見し、チャーリーとスチュアートはケイトに、レオポルドのいる過去に行くよう説得します。でもスチュアートのことばを信用していないケイトは全く耳を貸しません。その時に「元」恋人のスチュアートが何とかケイトをレオポルドの世界に行かせようと、ケイトに向かって言ったのがこのセリフです。
STUART: Maybe I was supposed to find you help your guy Leopold.
(本当の恋人レオポルドを君が探し出せるように助けるのが、僕の運命だったと思うよ)
決して幸せとは言えなかったケイトと「元」恋人スチュアートの仲。しかしこの二人の恋人関係がなければ、ケイトとレオポルドもまた結ばれることもなく、二人の人生は平行線のままで交わることはなかったのです。人生とは、何と異なもの、粋なものなのでしょう。
2008年09月11日
投稿者: 井村 誠(大阪工業大学)
タイトル: 「心に刻みたいセリフ『ロッキー・ザ・ファイナル』(2006)」
Rocky: It ain't about how hard you hit. It's about how hard you can
get hit andkeep movin' forward.<01:03:34>
人生にとって大切なことは、どれだけ打つかではなく、どれだけ打たれるかということであり、そして打たれても、打たれても、前へ進もうとすることである…
『ロッキー・ザ・ファイナル』を観ていて、素直に感動した言葉です。It's about
~は、口語英語によく見られる表現で、しばしばIt's not about ~. It's about
~.のように対句で用いられ、「肝心なことは~ではなくて、~だ。」のような意味になります。前置詞aboutの面白い用法のひとつですね。60歳を過ぎてなおも闘おうとするロッキーを息子のロバートは止めようとします。しかしそれは父への思いやりからではなく、自分が笑いものにされるのが嫌だったからです。そんな息子へ放った父の言葉は、やっぱりロッキー・パンチ!
Rocky: I'll tell you something you already know. The world ain't all
sunshine and rainbows. It's a very mean and nasty place. And I don't
care how tough you are, it will beat you to your knees and keep you
there permanently if you let it. You, me, or nobody is gonna hit as
hard as life. But it ain't about how hard you hit. It's about how
hard you can get hit and keep movin' forward. How much you can take
and keep movin' forward. That's how winnin' is done!
2008年09月01日
投稿者: 奥村 真紀(京都教育大学)
タイトル: 『結婚の可能性-Miss Potter-』
皆さんがおそらく一度は目にしたことのある『ピーターラビット』の絵本は、20世紀初頭の英国で、ビアトリクス・ポターによって生み出されました。当時、良家の女性が結婚もせずに仕事をもつのははしたないことと見なされていました。婚期を逃しかけている娘に、次々とお見合いを押しつけてくる両親をふり切りながら、彼女は自分の絵本を出版してくれる出版社を見つけ、その編集者ノーマンと次第に親しくなります。ノーマンには同じく独身の姉、ミリーがいて、ビアトリクスは彼女とオールドミス同志の親しみを深め、何でも打ち明けられる親友となるのです。そして、彼らを招いたクリスマス・パーティー。突然のノーマンのプロポーズに驚きつつ、自分の愛に気付いたビアトリクスは返事をする前にミリーを見つけて相談します。ノーマンと自分が結婚してしまったら、ミリーが一人になってしまう、と気遣うビアトリクスに対し、ミリーはこう言います。
You have a chance for happiness, and you're worrying about me? I
wouldn't worry about you, if…if someone came along who loved me and
whom I loved. I'd trample my mother.
(あなたは幸せになるチャンスを得たのに私のことを気にしているの?私はあなたのことなんか気にしないわよ、もし・・もし私を愛してくれる人がいて、私がその人を愛してい���ら。ママだ���て踏みつけて行くわ。)
ミリーの使う仮定法は��彼女が置かれ���いる状況がどれほど厳しいかを如実に表しています。出生率や戦争その他で「女が余っていた」この時代、小説や映画にたくさん出てくるオールドミスになる女性は珍しくありませんでした。幸せを得ようとする親友と別れる時のミリーの寂しげな顔が、彼女の内面をよく語っています。
2008年08月19日
投稿者: 坂本 季詩雄(京都外国語大学)
タイトル: 「『ホートン、ふしぎな世界のダレダーレ』と日本文化」
2008年7月12日に公開された映画『ホートン、ふしぎな世界のダレダーレ』は、Horton Hears a
Who!という絵本を原作としています。実はこの作品は日本文化と繋がりを持っているのです。
配給会社、日本二十世紀フォックス社は、プロモーションで何とかこの作品をもり立てようとしました。その現れの一つがスースとこの作品と日本の繋がりの強調です。同志社女子大教授だった中村貢氏が、1953年に京都を訪れたドクター・スース夫妻をもてなしました。そして、配給会社がこの点を宣伝に利用したのです。こうして、この映画のパンフレットには、原作が「ドクター・スースが日本を訪れた際に中村氏と出会い、また日本の文化に接するうち、彼独自のイマジネーションが大いに刺激され、その結晶として生まれた」と記されることになったのです。
確かな証拠はないですが、 "A person's a person, no matter how
small"(どんなに小さくても、ひとはひと)という、この作品でのキーフレイズは、日本文化との関連性を感じさせます。ホートンは小さな世界
"small speck of
dust"(ほこりのかけら)に住むWho達(ダレダーレ達)に気がつき、彼らの存在をジャングルの住民に知らせます。彼の声に最初は誰一人耳を傾けませんでしたが、ダレダーレ達自身が大声を上げて存在をジャングルの住民に分からせるのです。日本へ来る前、自作『5000本の指』の映画化がうまくいかず、落ち込んでいたドクター・スースが、戦後間もない元敵国日本の異質な文化に触れて、新作Horton
Hears a
Who!のインスピレーションを得たとしてもふしぎはないように思われます。当時日本は国際社会に復帰しようとがんばっていたのです。スースや彼の作品については、私たちの訳した『ドクター・スースの素顔、世界で愛されるアメリカの絵本作家』彩流社刊に詳しいので、もっと知りたい人は読んでみて下さい。
残念だったのは、このようなスース作品が、公開初日に筆者と共に鑑賞したのが30人そこそこだったことです。『ホートン、ふしぎな世界のダレダーレ』を見ましょうと、私が大声を上げなければならないのです。
2008年07月19日
投稿者: 倉田 誠(京都外国語大学)
タイトル: 「話題化(topicalization)」
『プラダを着た悪魔』(2007)の最初の方のシーンで、主人公のアンディーがRunway社というファッション雑誌社に面接を受けに来ます。その場で、次のような短い会話があります。
Nigel: Who's that?(これ、誰?)
Emily: That I can't even talk about.(話す気にもならないわ)<00:04:58>
この会話ではナイジェルの使った指示代名詞のthatを、エミリーが自分のセリフの中では、目的語の位置から文頭位に移動させる「話題化」(topicalization)というおもしろい技法に変換しています。この会話技法は先行文脈における情報を旧情報としてとらえ、目的語に相当する語句を前置することによって、会話の流れをスムーズにする効果があります。このシーンでは、社風に全く合わないファッションで面接に来たアンディーの隣で、ナイジェルがいぶかしげに口パクで"Who's
that?"と言っています。それに対して、エミリーが指示代名詞thatをそのまま文頭に使い、"That I can't even
talk
about."と即答することにより、ナイジェルの懐疑的な気持に同調する意図を示しています。言うまでもなく、エミリーの台詞の一般的な語順は"I
can't even talk about that."というものです。
それにしても真横にいるアンディーを指差して、ナイジェルが使う"Who's
that?"は学校で習った指示代名詞thatの用法からは少し外れますよね。これについてはスペースの関係もありますので、次稿を担当される小野隆啓先生(京都外国語大学)にバトンタッチしたいと思います。乞うご期待!
2008年06月08日
投稿者: 田中 美和子(京都ノートルダム女子大学・非、京都橘大学・非)
タイトル: 「米国の街頭保険(streetsurance): F・コッポラ『レインメーカー』(1997)」
豊かだと思われている国アメリカには、日本のような国民皆保険制度がありません。そのため多くのアメリカ人は、個人で民間の医療保険に加入します。このようなアメリカの状況が『レインメーカー』の依頼人ブラック一家の存在によって表現されます。ちなみに、タイトルのレインメーカー(rainmaker)とは,主人公の弁護士Rudyが所属事務所に「お金の雨を降らせる人」であるという意味で用いられています。民間の医療保険に加入するブラックさんの息子Donny
Rayが白血病を発病しました。本来なら保険金で十分な治療ができるはずなのに、いろんな口実で何年も支払い拒否にあい、その間に病状はかなり進行してしまいました。事情を聞いたRudyの同僚Deckは、それは典型的な「週掛帳面型保険詐欺(debit
insurance scam)」だと言い放ち、次の様に説明します。
Deck: The blacks call it "streetsurance."(黒人たちはそういうのを「街頭保険」と呼んでいるよ。)<00:07:08>
「街頭保険(streetsurance)」とは、戸別訪問で保険を売り、毎週その家を訪問しては掛け金を直接徴収する保険を指します。特に、教育を受けていない低所得者層の人たちを対象にすると言われており、保険金の請求に対して保険会社はとにかく支払い拒否をし続けるのです。堤未果『ルポ
貧困大国アメリカ』(2008)やM・ムーア『シッコ』(2007)にもありますが、民間の医療保険はカバーする範囲をあらかじめ狭く設定している上に、街頭保険と同じように理由をつけては支払い拒否をするため、中流階級にも医療費がかさんで自己破産する人が珍しくないそうです。
2008年05月14日
投稿者: 藤枝 善之(京都外国語短期大学)
タイトル: 「神を証人として誓う。私は二度と飢えない!As God is my witness, I’ll never be
hungry again! - スカーレット・オハラ(ヴィヴィアン・リー)」
『風と共に去りぬ』(1939年)
舞台は南北戦争直前のアメリカ南部。主人公のスカーレットは、ジョージア州タラで大農園を経営するオハラ家の娘です。ある時、自分が思いを寄せるアシュレーがメラニーと結婚すると聞き、あわてて愛を告白しに行きますが、結局、振られてしまいます。たまたまその告白の場に居合わせたのが、社交界の不良男、レット・バトラー。これが二人の運命の出会いでした。北軍の南部侵攻が始まった頃、メラニーが出産します。彼女の世話をアシュレーから頼まれていたスカーレットは、乳飲み子と病気のメラニーを抱えて途方に暮れます。スカーレットたちは、レットの助けで、北軍の砲撃で炎上するアトランタをかろうじて脱出。馬車で生まれ故郷のタラを目指します。タラへの旅の途中で、愛郷心に目覚めたレットが突然、敗色濃厚な南軍に加わることを決意します。別れ際にスカーレットを強く抱きしめ、愛の告白をするレット。彼が去った後、スカーレットは、恨めしさと心細さで泣きながら、南軍兵の死体が散乱する道を馬車で進んでいくのです。やっとの思いでタラに帰ってみると、幸い家は焼かれずに残っていました。しかし頼りにしていた母は前日に病死。父はそのショックで抜け殻のようになり、屋敷は北軍の略奪で荒れ放題でした。そんな中でスカーレットは、家族や使用人たち、メラニーとその子どもを養っていかねばなりません。絶望と空腹に苛まれ、早朝農園に出たスカーレットは、荒れ���畑の中から泥まみれの大根を掘り出し、夢中でかぶりつきます。しかし、たちまち胸がむかついて吐き出し、惨めさに打ちひしがれます。ひとしきり泣いた後で彼女はゆっくり立ち上がり、天に拳を突き上げて、運命に挑戦するかのようにこう宣言するのです。
“As God is my witness… As God is my witness, they’re not going to
lick me. I’m going to live through this, and when it’s all over,
I’ll never be hungry again. No, nor any of my folks. If I have to
lie, steal, cheat or kill. As God is my witness, I’ll never be
hungry again!”
(神を証人として…神を証人として誓う。私は負けない。私は生き抜く。そしてその闘いが終わったら、私は二度と飢えない。そう、私の家族も。たとえ、嘘をつき、盗み、騙し、殺さなければならなくなっても。神を証人として誓う。私は二度と飢えない!)
この台詞にはGodという言葉が何度か出てきますが、信仰を持つ人にありがちな、神に頼り、神にすがるという態度は微塵も窺えません。この、自分だけを頼りに逆境を乗り越えようとするスカーレットの毅然とした姿勢は、恐慌の傷跡が残るアメリカ国民や、敗戦から立ち直れないでいる日本国民を大いに励ましたのです。特に、終戦7年目に本作品が公開された日本では、多くの人が戦中・戦後の飢えや焼け野原の体験を重ね合わせて泣きました。まさにこのシーンが、日本の高度経済成長の一つの原動力になったのかもしれませんね。
2008年03月03日
投稿者: 松田 早恵(摂南大学)
タイトル: 「『プリティ・プリンセス2:ロイヤルウェディング』の中のお伽話」
『プラダを着た悪魔』のアン・ハサウェイ主演のプリンセスシリーズ第二弾では、Rapunzelというおとぎ話(のパロディ)が登場します。原作は魔女によって高い塔に閉じ込められた美女Rapunzelのお話で、塔には高いところに窓が一つあるだけなので魔女は下から次のように呼びかけます。
Rapunzel, Rapunzel, let down your hair, so that I may climb the
golden stair.
(ラプンツェル、ラプンツェル、髪を垂らしておくれ。その金のはしごを登るから)
ある日、たまたま通りかかった王子(Prince
Charming)がそれを見て、魔女の居ない時に同じように呼びかけてみます。王子は無事に塔に登り、必然的に2人の間に愛が芽生えます。『プリティ・プリンセス2』では、明日他の人と結婚することになっているミア(アン・ハサウェイ)のところにニコラス(クリス・パイン)がやってきて、窓の下から次のように呼びかけます。
Rapunzel, Rapunzel, with hair so fine. Come out your window, climb
down the vine.
(ラプンツェル、ラプンツェル、美しい髪の人よ。蔦を伝って下りてきておくれ)
それに対するミアの答えはこうです。
The feat you ask, dear sir, isn't easy. And I won't respond to that
line. It's far too cheesy.
(そんな離れ業は簡単じゃないのよ。それに、そのセリフには答えられないわ。ダサすぎて)
でもそこに居合わせた友人のリリー(ヘザー・マタラーゾ)はミアの本心を見抜き、次のように聞きます。
Do you want a regular bachelorette party with 12 screaming girls or
do you want a stroll in the moonlight with your almost-Prince
Charming?
(キャーキャーうるさい女の子たち12人と普通の「独身さよなら」パーティがしたいの?それとも「ほぼ王子様」と月夜の散歩がいいの?
そして、結局ミアは蔦を伝って下りていくのですが、これがなかなかうまく行きません。そこで一言。
This really is more romantic in books.
(これって本当に本の方がロマンティックだわ)
2007年09月12日
投稿者: 中井 英民(天理大学)
タイトル: 「男女間の友情はあり得るか?『恋人たちの予感』より」
シカゴ大学を卒業したばかりのサリーとハリーは、仕方なく同じ車でニューヨークまで行きますが、二人の相性は最悪でまったく意見が合いません。まずはこの映画のテーマである「男女間の友情はあり得るか」でもめます。
Harry: Men and women can't be friends because the sex part always
gets in the way.
(男と女はセックスが邪魔して、友達にはなれないんだ)
Sally: That's not true. I have a number of men friends and there's
no sex involved.
(そんなことないわ。私にはセックスが絡まない男友達がたくさんいるわ)
Harry: No, you don't. You only think you do.
(いやいないね。いると思っているだけさ)
この映画では、その後二人の間に恋愛感情やセックス抜きの友情が何年間も続くのですが、でも結局は・・・。さて男女間の友情について、あなたはどう思いますか。私はいまも昔も、異性の親友はできると信じていますが。
この映画からもう一つ、よく聞く議論を紹介します。ハリーは親友のジェスに「性格のいい子だよ」とサリーを紹介しようとしますが、「だったら、その子は美人じゃないんだろう」とジェスは言い張ります。
When someone's not that attractive, they're always described as
having a good personality.
(そんなに美人じゃない女性のことは、いつでも「性格がいい」って表現されるんだよ。)
男でも女でも、「外見と気立て」は両立しないのでしょうか。
2007年06月30日
投稿者: 奥村 真紀(同志社大学・非、京都女子大学・非)
タイトル: 「「理想の愛」とシェイクスピアのソネット」
古いものを愛し、伝統を重んじることで知られているイギリス社会においては、古典的文学作品もまた愛されています。2007年3月に行われた調査では、イギリス人が「この本なしでは生きていけない」と思う本のトップに、19世紀の女性作家ジェイン・オースティンが選ばれました。また、イギリスの誇る大詩人シェイクスピアの作品も時を超えて愛されています。ジェイン・オースティンの『分別と多感』は『いつか晴れた日に』という邦題で映画化されていますが、分別に富んだ姉エリノアと、感受性の強い妹マリアンがそれぞれに愛と幸せを求める物語です。自己抑制のできるエリノアが我慢強く待つことで愛を得るのに対し、愛こそがすべてだと信じるマリアンは一目惚れした男性に裏切られ、絶望のさなかで、かつて彼と一緒に暗唱したソネットをつぶやきます。
"Love is not love/ which alters when it alteration finds, Or bends
with the remover to remove:"
(相手が心変わりをしたからといって変わったり、相手が心を移せば自分も移すような、そんな愛は愛ではない)
これをつぶやく激情的なマリアンを演じるのは『タイタニック』のケイト・ウィンスレット。傷ついた表情が秀逸です。映画で暗唱される、ネイティブの読む美しい英詩のリズムを堪能してみてください。
"To be or not to be; that is the question"(生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ)
これはハムレットのセリフですが、シェイクスピアのセリフはリズミカルでとても美しく、新聞や本のタイトルにもよく引用されます。ソネットというのは14行で書かれる愛の詩のことで、シェイクスピアはソネットの名手としても非常に有名です。17世紀に書かれたシェイクスピアのソネットは、21世紀のみなさんの理想の愛にも通じるものがあるのではないでしょうか?みなさんは、分別に富んだエリノアと多感なマリアン、どちらに共感しますか?
2006年05月06日
投稿者: 井村 誠(大阪工業大学)
タイトル: 「Boot Camp Song」
アメリカ映画では、軍隊の訓練で、隊列を組んで大声で歌いながら走っているシーンがよく出てきますよね。前から気になっていたのですが、いったいどんな内容の歌を歌っているのでしょうか?
リチャード・ギア主演の『愛と青春の旅立ち』(An Officer and a Gentleman, 1982 Paramount
Pictures)から、字幕を拾ってみました。
Flying low and feeling mean(低空飛行でぶちかまそう)
Spot a family by the stream(川のほとりに親子連れ)
Pickle a pair (Pick up a pear?) and hear them scream(ナシの実拾って悲鳴をあげた)
'Cause napalm sticks to kids(おれの落としたナパーム弾)
Family of gooks are sitting in a ditch(溝の中に親子連れ)
Little baby's sucking on momma's tit(ママの乳吸う赤ん坊)
Chemical firms don't give a shit(爆弾相手を選ばない)
That napalm sticks to kids(ナパーム一家を皆殺し)
明らかにベトナム戦争を茶化したものですが、なんともひどい内容ですね。軍隊では頑強な精神(grim
determination)を鍛えるために、わざと汚い罵り言葉が多用されるようです。
Lift your head and hold it high(頭を上げて胸を張れ)
The best in the regiment is running on by(精鋭小隊のお通りだ)
これなら勇ましい内容で、ジョギングしながら歌っても問題なさそうです。
2007年05月06日
投稿者: 石川 保茂(京都外国語短期大学)
タイトル: 「 「山羊的」な男を求めて:『ノッティングヒルの恋人』から」
「山羊的」男はなかなか見つかりません。「ライオン的」男があまりに幅をきかせるので自立たないのですが、「山羊的」男は決して内気なだけではないのです。人生の大事なポイントで,周りの意見を聞き自問し熟考します。
『ノッティングヒルの恋人』の女性主人公アナとの仲が悪化し落ち込むウイリアムに、友人のマックスが「完璧な」彼女を紹介した時も、
WILLIAM: ...to find someone you actually love, who’ll love you, the
chances are always minuscule.(愛せる人や愛してくれる人を見つけるにはチャンスは奇跡に近いんだ)
と言ってアナとの出会いを大切にします。では、「奇跡」とは何でしょうか。
ANA: ...and what am I doing with you?(一体私はあなたと一緒に何やっているのかしら)
二人の出会いは奇跡なのか、なぜ二人に起こったのか。恋人ならば皆この問にとらわれ、考え続け、そしてわからないのです。それでも答が欲しくて、まるでそこに答があるかのように相手の瞳を見つめます。そして二人はお互いの瞳の奥にそれを探し続けて一生を送るのです。
奇跡的な出会いが今街のあちこちで起きているはずです。あなたも街に出かけてみませんか。
2007年01月02日
投稿者: 元山 千歳(京都外国語大学)
タイトル: 「Brokeback Mountain (2005):パスしていいんですか」
「これ、ほんとにハリウッド映画なんだろうか」って、EnnisとJackのセックス・シーンを見たとき、ついつい口から出そうになった。Basic
Instinct(1992)でセックス・シーンは主流ハリウッド映画公認になってしまったけど、男同士ってことになると話はちがう。1963年のワイオミング州、夏のブロークバック・マウンティン、羊番として雇われたカーボーイ同士の愛の物語だ。そのときだけの事として関係が終わっていたら問題はなかった。巷に戻った二人は、妻子がいるにもかかわらず山での思いを断ち切れない。Ennis家の階段脇で、歯茎から血がでそうなほどキスしあう二人を、思わず見て呆然とするEnnisの妻Alma、そのひきつった表情を見て「これはヤバイ」と背筋を寒くするボクら。とにもかくにもアカデミー監督賞のAng
Leeは伝統と前衛の一線を<パス>してしまうことで知られていて、この映画にも、西部劇を<パス>し"gay cowboy
movie"などというサブ・ジャンル名がつけられてしまったりする。ご存じのように英語の<パス>にはpass
out(生と死の一線をパスする)やpassword(敵と味方の一線をパスするコトバ)などなどあるが、この映画における決定的英語は、事故で亡くなったJackの実家を訪れたEnnisに苦々しく吐く父親のセリフだ。Jackのヤツは連れ合いと別れてここで牧場をやりたがってたようだけど、そんなことは通用しないよ、と父親は言う。映画の英語はこうだ:
But, like most of Jack's ideas . . . never come to pass.
「マイッタ」って感じなんだけど、ともあれ、ときにゲイはへトロとして<パス>されて生活していることもある。だけど二人は同性愛者だと知られている。建国の頃、アメリカで同性愛は死刑か去勢にあたいする罪だったし、19世紀後半にあってそれは病気あるいは狂気だった。マサチューセッツ州をのぞきアメリカではまだ同性愛結婚は違法だ。Passover(過越祭)が思い起されもするが、<パス>かどうかはときに命にかかわる。厳しいメッセージを投げかける『ブロークバック・マウンティン』、アカデミー作品賞の最終審査に<パス>してもよかったのに。
2006年12月21日
投稿者: 朴 真理子(近畿大学)
タイトル: 「字幕で楽しむ英語」
『招かれざる客』では、白人女性ジョアナと黒人男性ジョンが恋に落ち、両家の両親に結婚の許可���求めます。ジョンの両親をジョアナ宅に呼び寄せはしたものの、異人種間の結婚は世間の大きな反感を買う(『音読したい、映画の英語』(P213「禁じられた結婚」参照)ということもあり、両家の両親の中でも、特にジョアナの父は「急ぎすぎではないか。」と訝り、結婚に急ぐ二人にブレーキをかけようとします。その後に続いたのが次のやりとりです。
ジョアナの母: I would like Ms. Drayton to see the view.(お母様に景色を見て頂きたいわ。)
ジョアナの父: View? What the hell are you talking about? What
view?(景色?一体何の話だ?)
ジョアナの母: From the terrace. Before it get too
cold.(テラスからのですわ。寒くなってくる前に見て頂きたいの。)
ジョアナの母には、結婚に不賛成気味の父親達から離れて、テラスに場所を移し、母親同士で率直な意見交換をしておきたいという気持ちがあったのでしょう。しかし、実際には、映画の日本語字幕では、次のとおりに訳されています。
ジョアナの母:「お母様の意見は?」
ジョアナの父:「何の意見?」
ジョアナの母:「お庭のよ。見ていただける?」
同じviewという語を「意見」と解釈し、また、I would like to see Ms. Draton's view.
であるかのように訳されているため、字幕からは、ジョアナの母親の繊細な配慮も、また、それに気づかない父の状況も伝わりにくくなっています。映画の味わい方のひとつとして字幕の意味に注意をしてみるのも楽しいのではないでしょうか。
2006年12月07日
投稿者: 藤枝 善之(京都外国語短期大学)
タイトル: 「明日に向かって撃て! Butch Cassidy and the Sundance Kid 1969年(アメリカ」)
舞台は、19世紀末のアメリカ西部。この映画は、ノスタルジックなセピア色の映像で幕を上げます。
数人の男が酒場でカード・ギャンブルに興じています。口ひげを蓄えた精悍な顔つきの男が一人勝ちをしている様子。「大した腕だな。この俺様でもお前さんのイカサマは見抜けねえよ」と、向かいの席のメーコンという男が、銃を腰にゆっくりと立ち上がります。「その金を置いて出て行きな」そこへ、愛想のいい中年男が近付いてきて、「今、出ていこうと思ってたところさ」と、口髭の男を連れ出そうとします。小声で、「やつは銃を抜くぞ。見てみろ、早撃ちに自信ありそうだ」中年男の説得はさらに続きます。
BUCH: I'm over the hill, but it can happen to
you.(俺はもう若くないが、お前もそうだろ)
「ありがたいご忠告だな」
とうそぶく口髭男に、
BUCH: Every day you get older. Now, that’s a
law.(人間毎日年を取るんだ。それが定めってもんさ)
中年男は、一触即発の両者を何とか取りなそうとしますが、結局あきらめます。「もうどうなっても知らねえぜ、サンダンス」
この「サンダンス」という名にメーコンの顔色がさっと変わります。それもそのはず、「サンダンス」といえば、西部中にその名を轟かせている早撃ちのガンマン、サンダンス・キッドに違いありません。そして相棒の中年男は、悪名高い銀行強盗団「壁の穴」を率いるブッチ・キャシディ。恐怖に包まれたメーコンは戦意を失ってしまいます。その直後、メーコンの目の前で見事なガンさばきを披露したサンダンスに、ブッチが言います。「だから俺達もう若くないって言ったろ」
この映画は、盛りを過ぎた無法者が、頑丈な金庫、列車、自転車などが象徴する時代の波に弾き出されて破滅していく姿を、叙情的な映像と音楽で描きます。主人公は「明日に向って」生きているつもりが、実は明日から拒絶されているのです。ブッチのセリフにあるover
the hillは、「最盛期を過ぎて」という意味ですが、主人公が年齢的に
もう若くないことを表しているだけでなく、彼らのライフスタイルそのものが時代から取り残されつつあることをも暗示しています。ユーモアと共にしみじみとした哀愁を感じさせますね。
2006年11月16日
投稿者: 東郷 多津(京都ノートルダム女子大学)
タイトル: 「クリスマス!といえば『あなたが寝てる間に』」
日本ではハロウィーンが終わると一足飛びにクリスマスがやってきます。師走でもないのになんだか11月から落ち着きません。ところでアメリカではクリスマスの定番の映画といえば、『素晴らしき哉、人生』、『34丁目の奇跡』、『クリスマス・キャロル』などがありますが、私のお気に入りの映画はこれです。
本物のクリスマス・ツリー、デコレーションした家、エッグノッグ、家族の名前入りの靴下、玄関の宿り木の下で男女がキスをするという習慣、そして家族写真。日本ではカップルで過ごす印象の強いクリスマスですが、欧米では家族��過ごす休日です。
クリスマス当日の仕事を押しつ��ら���た天���孤独���Lucyは、その朝、幸運��もあこがれの白馬���王子Peterから「メリー・クリスマス」と声をかけられますが、喜んだのもつかの間、ひったくりにあった彼は線路に落ち昏睡状態に陥ってしまいます。そして、命の恩人のLucyはなんとPeterの婚約者として家族に受け入れられてしまいます。ついに真実を話すLucyの言葉は家族の大切さを教えてくれます。
LUCY: I might have saved your life on the tracks that day. But you
know what? You really saved mine. You allowed me to be a part of
your family, and I haven't had that in a really long time. And I
just didn't want to let go of
that.(あの日線路であなた(ピーター)の命を助けたかもしれないけど、ねぇ、わかる?本当に助けられたのは私だったの。あたなは私を家族の一員にしてくれた。ずっとなかったから、手放したくなかったの。)<01:34:29>
2006年11月07日
投稿者: 西川 眞由美(摂南大学)
タイトル: 「皮肉と人間性―『Lion King』のScar」
映画では、登場人物の人間性を表す方法として特定の言語使用を用いることがあります。たとえば、『Lion
King』に出てくるScarの皮肉発話はその典型的な例です。ScarはPride
Landsに君臨する王Mufasaの弟として生まれ、自分より優れている兄に強い劣等感を抱いています。Mufasaには王位継承者の息子Simbaがいるのですが、ずるがしこいScarは常に自分が王座につく機会をねらっています。こんなScarの複雑な気持ちは、頻繁に出てくる彼の皮肉発話によく現れています。例えば、Mufasaに自分の息子Simbaが次の王になると宣言された場面で、内心では嫉妬で煮え繰りながら次のように言って王にへつらいます。
SCAR: Ohh, I shall practice my curtsy.(ひれ伏す練習をしよう。)<00:06:16>
さらに、幼いSimbaから彼が次の王になることを聞いた時にも、Scarは次のように心にも無いはなむけの言葉を述べます。
SIMBA: I'm going to be king of Pride Rock.(僕ね、王様になるんだ。)
SCAR: {Sarcastically} Oh goody.(良かったな。)<0:12:17>
偉大な王Mufasaを恐れるハイエナ達に、自分のことを仲間呼ばわりされ、自分への尊敬の念に欠けるその言葉に失望しながら、Scarは次のように言います。
SCAR: {Sarcastic} Charmed.(光栄だ。)<0:27:21>
このように、『Lion
King』では、MufasaとSimbaの正義感に満ちたまっすぐな性格が彼らの誠実な言葉で表されているのに対し、屈折したScarの性格をその皮肉発話がうまく表していると言えるでしょう。
2006年10月12日
投稿者: 田中 美和子(京都ノートルダム女子大学・非)
タイトル: 「スーパー・チーフ号~星の列車」
映画『ローマの休日』(1953)で、ジョーは、ポーカーを終えて家へ帰る途中、セプティミウス凱旋門で眠り込んでいるアン王女に出会います。夜空と古代ローマ遺跡フォロ・ロマーノの美しい白い建物とを背景に、ジョーがタクシーをとめてアン王女を送っていこうとする場面です。
Princess Anne: It’s a taxi.(タクシーだわ)
Joe: Well, it’s not the Super Chief.(安いから安心して)<00:21:23>
ジョーのセリフは、DVD字幕で「安いから安心して」と訳されていますが、文字通りの意味からは随分離れていますね。ジョーの言う“the
Super Chief”とは、一体何でしょうか。
アンは王女なので、おそらく一般のタクシーには乗ったこともないのでしょう。タクシーを見て、少し声をあげて興味津々な様子です。ジョーは、この時、まだ彼女が王女であることを知りません。
ジョーの言った「スーパー・チーフ号(The Super
Chief)」とは、シカゴとロサンジェルス間のサンタフェ鉄道を走る豪華寝台列車のことで「星の列車(Trains of
Stars)」とも呼ばれ、凄い人気があり、全盛期は1950年代までとされています。「星の列車」とは日本語で言えば「銀河鉄道」と言ってもよいでしょう。豪華な寝台列車にはロマンチックなイメージがあり、「安いから安心して」のように値段にだけに触れているのではありません。当時の憧れの的であったスーパー・チーフ号ではありませんよ、と言ったのです。日本語にするなら「そうさ、銀河鉄道というわけじゃないよ」など、列車のイメージを使った表現はどうでしょうか。
字幕では、限られた文字数で意味を伝えなければならないため、思い切った意訳がなされ、時には、それがセリフの解釈を狭いものにしています。字幕に頼らず、1つ1つセリフを解釈すると、映画をもっと深く味わえると思います。
2006年10月10日
投稿者: 佐藤 弘樹(FM京都α-stationエアーパーソナリティー /京都外国語大学(非))
タイトル: 「トムクルーズとラストサムライ」
ハリウッドスターの売り物は演技と醜聞(スキャンダル)とも言われる。最近、メディアを騒がせたトムクルーズもその一人。TVでの奇行と新興宗教の擁護発言からパラマウント映画が契約打ち切りを発表した。彼には学習障害(LD
: learning
disability)、失読症(Dyslexia)があり、出演作品のセリフは人に読んでもらって暗唱したとも言われている。彼が擁護発言を繰り返したのが、LDを克服するために学習したといわれる新興宗教のサイエントロジー(Scientology)である。また、彼はTVトークショーに出演してカウチソファーの上で飛び跳ねるなどの奇行も目立った。このため
jump the couch で「自制心を失って言動の見境がなくなった状態の決定的瞬間」という新語が流行ったりしたという。
現実社会では奇行の目立つ彼も銀幕ではさすがの名演技を見せてくれる。
アメリカ日本ニュージーランド合作のラストサムライ(2003)は、日本を舞台に日本人と武士道を偏見なく描いたハリウッド作品として注目を集めた。この中で渡辺謙が演じた「勝元」がこんなセリフを口にする。
Many of our customs seem strange to you. The same is true of yours.
(異国のしきたりは奇妙に思える、互いにな。)<00:43:11>
明治初期にこれほど流暢な英語を操る武士が実在したかどうかはともかくとしても、欧米文化と日本文化を優劣で描く事の多いハリウッド作品にあっては出色の台詞といえないだろうか。また今となっては現実社会と銀幕社会のしきたりの違いからバッシング(bashing)を受けるトムクルーズを諌める勝元のセリフとも聞き取れる。
2006年09月05日
投稿者: 横山 仁視(京都女子大学)
タイトル: 「ことば遊び -文字通りの意味と比喩的な意味-」
単語には、文字通りの(literal)意味と比喩的な(figurative)意味の両方の使い方があるものが数多くあります。この映画にもそうした単語が多く使われています。次は、APOLLO
13(1995)の映画の1シーンで、アポロ13号の打ち上げを見るために駆けつけたクルーの妻同士の会話です。
MARILYN: You're not just about to pop, are you?(急に産気づかないでね)
MARY: I got 30 days till this blast-off.(こっちの発射はあと1ヶ月よ)<00:30:15>
popという単語には「<物が>ポンと鳴る;飛び出す;はじける」という中心的な意味があり、自動販売機にお金を入れると品物が下の取り出し口からポンと勢いよく出てきたり、a
pop-up
book(飛び出す絵本)のようにページをめくると絵が浮き上がり飛び出す様子を表します。一方、blast-offは「(ロケットなどの)打ち上げ、発射」という意味を持つ単語です。この場合、この2つの単語にこうした使われ方があることを知らなくても、画面を観ていれば状況から何を言っているのか判断することは決して難しいことではありません。ついでに、rocketという語幹を含むskyrocketは「(価格などが)急上昇する」という意味があり、The
trade deficit has skyrocketed. やskyrocketing inflation(Longman Exams
Dictionary: Your Key to Exam Success, 2006)のように使われます。touch
downの句動詞も「<航空機などが>着陸する;(ボールを)タッチダウンする」の他にも実際の海外のメディアでは「<台風などが>上陸する」といった状況にも使われているのを耳にしたことがあります。
意味が比喩的に使われているセリフを探しながら映画を観るのも、表現力を増やす上で面白いものです。
2006年09月05日
投稿者: 坂本 季詩雄(京都外国語大学)
タイトル: 「"May the force be with you!"の意味を考えてみる」
6話あるスター・ウォーズ・サーガ全編に登場するのは、ロボットのコンビ、R2-D2とC-3POと不可思議な力「フォース」です。『エピソードV、帝国の逆襲』において、ルーク・スカイウォーカーはフォースを体得するため、ジェダイ・マスター、ヨーダの元で訓練を受けます。ヨーダはフォースが善悪両面を持っていること、フォースが全ての物質と人の間に生じるエネルギーであることをルークに伝えます。
サーガ全体を構想したジョージ・ルーカスは「宗教に関心を持たなくなった若者に、このフォースを"スピリチュアリティー"として考えてもらいたい」と言っています。東洋系の賢者の風貌のヨーダが語るフォース観には東洋思想の匂いがします。ルーカスはグローバライズしている現代では、様々な価値観を受け入れるのは当然で、そういう価値観に従いスター・ウォーズ・サーガを描いたとも語ります。さらにキリスト教的価値観だけでなく、仏教思想も取り入れたと認めています。
「色即是空、空即是色」という仏教の根本思想では、あらゆる物質的現象はとどまることなく移り変わり滅びるという過程にあるのだから、物事に拘泥せず、変化を自然な出来事として受け止めるように教えているようです。ルークも彼の父、ダース・ヴェイダーも愛する人の死を運命として受け入れなかったために、フォースのダーク・サイドに囚われました。フォースのライト・サイドにこだわり、紛争解決のため「交渉人」として奔走するヨーダ達、ジェダイも暴力的衝突しか生み出せません。現在、宗教的価値観の違いにより引き起こされる、世界各地で頻発する暴力の背景にも同じものがあるように思えます。
"May the force be with
you!"という言葉にどのような意味を見出せるのか、と考えながらサーガを見直すのも厳しい残暑の一興です。
2006年08月07日
投稿者: 小野 隆啓(京都外国語大学)
タイトル: 「a lotとthe lot」
Harry Potterシリーズもすでに第4作のHarry Potter and the Goblet of
Fireまで映画が完成し絶大な人気を集めています。原作者のJ. K.
Rowlingの英語はとても興味深い英語の側面を浮き彫りにしてくれます。
例えば、第1作のHarry Potter and the Philosopher's
Stoneの中で、HarryとRonがHogwarts行きの列車の中で初めて会って話している途中に、車内販売の魔女がやってきてAnything
off the trolley, dears?とHarryとRonにたずねます。Ronはランチを持っているのでNo, thanks.
I'm all
set.と答えます。でも、実はお菓子を買いたいのですが、Ronは7人兄弟の6番目。お小遣いは大切に使わなければなりません。なので、お菓子を買うのを我慢します。その表情をじっと見ていたHarryは次のように言います。
Harry: We'll take the lot.
さて、このthe lotという表現、どのような意味で使われているのでしょうか?a
lotであれば中学、高校で習いますから「多くの」という意味で、上のHarryのセリフは「いっぱいちょうだい」という意味になりますね。でも、ここはthe
lotなのです。a lot
ofで「多くの」の意味になることは、単に覚えますね。わざわざlotを辞書で引いて意味を確認した人はほとんどいないでしょう。でも、lotは「一山」とか「ひとかたまり」の意味なのです。a
lot of applesは「一山のリンゴ」なので、そこから「多くのリンゴ」となったのです。すると、the
lotと言うと、「その一山」と言うことになります。trolleyを見ながら「その一山、ちょうだい」と言うことは、結局「全部、ちょうだい」と言うことになります。つまり、Harryは買い占めてしまったのです。
この英語の部分、音声で聞くとthe lotと言っているのかa
lotと言っているのか、かなり聞き分けるのが難しいところです。でもnative speakerはちゃんとthe
lotと聞いていて、意味も「前部ちょうだい」だと思って見ていて、われわれ外国人はa
lotだと思って聞いていて、意味も「たくさんちょうだい」だと思って見ているわけです。解釈が違っていても映画全体の理解に支障はありません。でも、native
speakerと違った解釈をしているなんて、なんか、しゃくですよね。
2006年08月06日
投稿者: 倉田 誠(京都外国語大学)
タイトル: 「映画におけるカメレオン動詞のdo」
Bodyguard(1994)で、大統領のボディガードを専門としてきたフランクがレイチェルという超一流黒人歌手の護衛を依頼され、"I
don't do
celebrities."と言って断ります。「芸能人の護衛は引き受けない」という意味ですが、どうしてそんな意味になるのでしょうか?実は英語のdoという動詞は「カメレオン動詞」で、主語や目的語が持つ特色を吸収して意味に反映させる機能を持つのです。つまり、上記の文はフランクがボディーガードであることが前提で成り立つ文なのです。このdoのカメレオン的な振る舞いを満喫できる映画にMrs.
Doubtfire(1996)があります。家政婦の面接シーンで下記のようなdoを使った表現が、応募してきた女性の口からマシンガンのように飛び出してきます。しかし、これらは家政婦さんという前提がなければ意味不明ですよね。
"I don't do laundry. I don't do windows. I don't do carpets. I don't
do bathtubs. I don't do toilets and I don't do diapers. I don't do
washing. I don't do basements. I don't do dinners. I don't do
reading."
(洗濯はお断りです。窓拭きも、じゅうたん掃除もお断りです。風呂掃除も、トイレ掃除も、オムツ交換もお断りです。皿洗いも、地下室の整理も、夕食作りもお断りです。本の読み聞かせもお断りします。)
という意味です。応募してきた女性には「仕事をする気があるのか」と突っ込みたくなりますが、動詞doの「カメレオンパワー」を楽しむには最高のシーンでしょう。
2006年08月06日
投稿者: 奥村 真紀(ケンブリッジ大学客員研究員)
タイトル: 「ハリー・ポッターとイギリス英語」
全世界的に大ヒットしている、J.
K.ローリングの「ハリー・ポッター」シリーズ。映画ももちろん大成功を収めていますが、英語をよく聞いてみると、少し耳慣れないところがあるかもしれません。舞台がイギリスに設定されているため、私たち日本人が義務教育で習ってきたアメリカ英語とは違う、イギリスの発音を聞くことができるのです。もっとも顕著なのが主人公、Harry
Potterという名前の発音。アメリカ英語で発音すると、[o]は「ア」の音に近くなり、さらに強い母音と弱い母音に挟まれた[t]の音がlの音に近くなるので、ハリー・「パラー」のように聞こえます。しかしイギリス英語では「ポター」とはっきり聞こえてきています。
また、それぞれの登場人物が話している言葉もよく聞いてみてください。聞き取りやすい人物と、聞き取りにくい人物がいると思います。(例えば優等生のハーマイオニは、劣等生のロンよりもずっとわかりやすい英語を話すのが分かるでしょうか。)比較的バラエティの少ないアメリカ英語に比べて、イギリスではそれぞれの人が、出身地や階級に応じた英語を話します。BBC英語と呼ばれる、いわゆる標準語を話す人は国民全体の2%にすぎず、イギリスで生まれ育った生粋の英国人は、少し話しただけで相手の出身地域がだいたい推測できるそうです。日本と同じように方言が根付いているのです。そしてみんな自分たちの話す英語にとても誇りを持っています。最近ではBBCでも純粋な標準語はほとんど聞かれなくなりました。
発音だけでなく、単語や綴りもイギリスとアメリカではいろいろ違います。「ブリジット・ジョーンズ」や、「ハリー・ポッター」のシリーズで、是非イギリスの英語を聞き、文化に触れてみてください。
余談ですが、ロンドンのキングズ・クロス駅9と3/4番線にはカートが刺さっていて、いつも観光客が絶えません。

2006年07月06日
投稿者: 石川 保茂(京都外国語短期大学)
タイトル: 「『キューティブロンド』に見られる英語」
この映画は20代の女性を中心に話が展開しますので、恋愛や大学生活に関する表現が多く見られます。まず恋愛に関する表現です。
good enough for you (あなたにふさわしい)
steal back (恋人を取り返す)
break up (別れる)
dump(恋人を捨てる)
the one(本命)
などが使われています。大学生活に関する表現は、やっとの思いで合格したハーバード大学大学院の入学オリエンテーションで、エルが受付の男子学生に言うセリに、立て続けに出てきます。
ELLE : Social events, you know, mixers, formals, clambakes, trip to
the Cape. (社交行事ですよ。たとえば、合コン、ダンスパーティー、バーベキューパーティー、岬への旅行とかですよ)
このように、私たちが無意識のうちに使っている語句には、実は「言葉のジャンル」があるのですね。この映画の名せりふなど、詳しくは、『音読したい、映画の英語-心に響く珠玉のセリフ集』(株式会社フォーイン、スクリーンプレイ事業部/http://www.screenplay.co.jp/books/isbn4-89407-375-7.html)で解説されています。どうぞご覧ください。
2006年06月29日
投稿者: 井村 誠(大阪工業大学)
タイトル: 「I am Sam に学ぶ発信英語」
ネクタイの結び方を、英語で言えますか?
愛娘Lucyの養育権をめぐる裁判に出廷する前夜、弁護士のRitaは、別れた主人のスーツをSamに着せます。驚くかな、スーツはジャスト・フィット。でも、Samはネクタイの結び方を知りません。RitaはSamの後ろへまわって、優しくネクタイを結んであげます。
SAM: I wasn't exactly sure how to tie this. Does it look bad?
RITA: No. Very, very good.
RITA: Uh, cross over once. And loop this around. And up inside of
the neck. And then pull up on the skinny part.
SAM: Oh. Yeah.
このRitaのセリフですが、わずか4つのセンテンスで完璧に手順を説明しています。
1. Cross over once.(クロスさせて)
2. Loop this around.(輪をつくるようにまわして)
3. Up inside of the neck.(首の内側から上に通して [今度は外側で下に通し])
4. Pull up on the skinny part.(細い方を持って、結び目を上に引き上げれば出来上がり。)
この簡潔な説明の順序と、絶妙な前置詞の使い方には、舌を巻きますね。この結び方はplain
knotと呼ばれる最も簡単な結び方ですが、他にもWindsor
knotなどの結び方があります。詳しくは、http://www.studioselfit.com/os/point.shtml
などを参照してください。
2006年05月08日
投稿者: 横山 仁視(京都女子大学)
タイトル: 「載せたかったもう一つの名セリフ in The Bridges of Madison County」
『音読したい、映画の英語』(スクリーンプレイ社)に一押しで選びたかったセリフがある。『マディソン郡の橋』(1995)のロバート役のクリント・イーストウッドの次のセリフだ。Robert:
"I'll say this once. I've never said it before. But this kind of
certainty comes but just once in a
lifetime."(一度だけ言う。初めて言う言葉だ。これは生涯に一度の確かな愛だ)<01:46:55>
確かに声に出して読めば、音のつながりもよく一度で暗記してしまえる流れるようなリズムだ。中学生英語で十分、声に出して読みたくなる、パンチのきいた感情が凝縮されたセリフだけど、現実の世界ではなかなか恥ずかしくて声に出しては伝えられない・・・映画の名セリフとはそういうものなのかもしれない。ちなみに、あと2箇所気に入っているセリフがある。同じくロバートのセリフとフランチェスカ役のメリル・ストリープのセリフだ。
Robert: "…I look through the lens of my camera and you're there. I
start to write an article and I find myself writing it to you. It's
clear to me now…that we have been moving towards each
other…towards…those 4 days, all of our
lives."(カメラをのぞくとあなたが見える。記事を書き始めるとあなたを想って書
いている。僕らはあの4日間のために-お互いに出会うために生きて���たのす)<00:06:05>
Francesca: "I can't make an entire life disappear…to start a new
one. All I can do is try to hold on to both of us…somewhere inside
of me. You have to help
me."(新しい人生のために過去を消し忘れろと言うの?心の中の私たちを支えに生きてくわ。分かってちょうだい)<01:44:50>
まるでラブレターのオンパレードだ。でも、英語学習の基本は、セリフや語彙を暗記して、教室外の現実の社会状況の中でそれらを実際に使用してみようとさせる気を起こさせる英語に出会えるかが大切かも!?
2006年05月08日
投稿者: 倉田 誠(京都外国語大学)
タイトル: 「映画の"let...go"」
日常会話や映画でよく用いられるlet~goという動詞句の意味を煎じ詰め(せんじつめ)ましょう。goの基本的意味は「(現在地点から)離れる」です。またletは「その動きを妨げない」です。この2つを合わせた意味的イメージだけでとらえると目から鱗(うろこ)です。一部の映画で検証しますね。まず『トップガン』(1986)では、事故で死んだ相棒グースの亡骸(なきがら)を放さないマベリックに、水中処理兵が"You've
got to let him go,
sir."(放してください)といいます。その直後の場面では、落ち込んでいるピートに、主任教官のバイパーが同じ文で"You've got
to let him
go."(奴のことは忘れろ)といいます。邦訳は「放す→忘れる」と変わっていますが、イメージは同じですね。後者の「忘れる」という意味での用法が『キャスト・アウェイ』(2000)にも出てきます。無人島での四年余の孤独との闘いから逃れてきたチャックに対して親友のスタンが、「ケリーは飛行機事故で君を亡くしたと思っていたのだよ」という意味のセリフが"Chuck,
Kelly had to let you
go."となっています。そうかと思うと、『ファミリー・ゲーム』(1998)では離婚した父親に対して、双子の娘の1人が「あんなに素晴らしいママとどうして別れたの」という意味で、"I
don't know how you ever let her
go."といっています。また『ロッキー2』(1979)ではロッキーと再試合したいというチャンピオンのアポロに、トレーナーが"Let it
go! You're the
champ!"(やめておけ、チャンプはお前だ)と反対します。更に『めぐりあう時間たち』(2002)では、エイズに苦しむリチャードが恋人のクラリッサに、
"But now you have to let me
go."「もう死なせてくれ」といいます。最後に『クレーマー・クレーマー』(1979)では、主人公テッドの業績不振に業(ごう)を煮(に)やした社長のジムが、"Yeah,
I'm letting you go,
yes."(ああ、君には辞めてもらうよ)といいます。let~goは文脈によってコロコロと意味が変わるように見えますが、イメージは「その場から~を離れさせる」だけでOKです!このような表現の検索にはスクリーンプレイ社の「映語犬サク」が便利ですので、一度使ってみましょう。
2006年05月08日
投稿者: 藤枝 善之(京都外国語短期大学)
タイトル: 「"I love you." in Titanic」
映画『タイタニック』の終盤、主人公のジャックとローズの間で次のような興味深い会話が交わされます。タイタニックが沈没し、二人は羽目板につかまって、海を漂います。ジャックは、冷たい水に沈みそうになりながら、「僕は、船会社にこの事故について抗議文を送るつもりだ」などと言ってローズを励まします。寒さと疲労で意識が遠くなっていくローズが言います。
ROSE: I love you, Jack.
表向きは「愛してるわ、ジャック」ということですが、実は裏の意味があるんですよ。それは、「さよなら、ジャック」。次のジャックのセリフを読めば、それがよくわかります。
JACK: Don't you do that. Don’t you say your good-byes. Not yet. Do
you understand me?(そんなこと言うな。サヨナラなんて。まだ言っちゃダメだ。わかるね?)
英語圏の国(特にアメリカ)のカップルや親子は、日常生活の中で、別れ際によく“I love
you.”と言います。日本の夫婦なら朝、「行って来るよ」「行ってらっしゃい」と言う場面でも、アメリカの夫婦は “I love you.”
こんな文化なので、ジャックはすぐに、その裏の意味を悟ったのですね。では、特に別れ際でもないのにあなたがアメリカの異性から “I love
you.”と言われたら? これは愛の告白?
喜ぶのはまだ早い。たんに「ありがとう」程度の感謝を表していることも多いのです。言葉と文化は表裏一体。切り離して学ぶことはできませんね。