ATEM 西日本支部事務局
大阪工業大学
井村誠研究室
e-mail: makoto.imura@oit.ac.jp

映像メディアと英語

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 (2016.2.1~)

【執筆担当】(2020年)

1月   倉田誠 2月   松井夏津紀 3月   井村誠
4月   Ken Poon 5月  小野隆啓 6月   ルッケル瀬本阿矢
7月   藤倉なおこ 8月   松浦加寿子 9月   金田直子
10月   福井美奈子 11月   飯田泰弘 12月   吉川祐介

【校閲担当】衛藤圭一・飯田泰弘・吉川祐介

>> 過去の記事はこちら

2020年3月3日

投稿者:井村誠(大阪工業大学)
タイトル:口語英語に見られる破格構文

次は映画『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』(Star Wars: The Rise of Skywalker, 2019)の主役を演じたデイジー・リドリー(Daisy Ridley)が、記者会見で出演の感想を述べたものです。

Going into it I could never have imagined what this would have been, and it feels really momentous to be part of this. It’s also a strange thing to divide “Star Wars” from our lives over the past six years cos it’s such a big chunk of anyone’s lives. But I think working in a place where you feel really good and really safe to make mistakes, try again ... that you feel good, that you can laugh, that you can cry, it’s really wonderful, and I’m really, really glad that I’ve had that experience with all these people in this amazing legacy.
(初めの頃は、どんなものになるのか想像もできませんでした。今では、この作品に参加したことは本当に重大なことだと感じています。それに、この6年間の私たちの人生を、『スター・ウォーズ』と切り離して考えることなどできません。誰の人生にとっても、ものすごく大きな部分を占めているからです。(撮影現場は)本当に心地よくて、安心して失敗できたり、やり直したりすることができて…気分が良くて、笑えるし泣ける、そんな場所で働けるのは、とてもすばらしいことです。このすばらしい伝統作品で、ここにいる皆さんと一緒にそんな経験ができて、本当に、本当にうれしいです。
(NHKラジオ「ニュースで英語術」2020年1月10日放送分)

この発話(英文)のうち下線部は破格構文(anacoluthon)と呼ばれるもので、文法的には誤りとされますが、口語英語では一般的に見られる現象です。先ず、I think以下の主部(working in a place where…)を直接受ける述部がなく文が完結しないまま、途中でこれまでに述べたことをまとめてitで受け、it’s really wonderfulと収束させています。次に、途中から現れる3つのthat節も撮影現場の雰囲気を意識の流れに任せて言い連ねただけのもので、構文上の統語的機能を特定することができません。I thinkの目的節ではないでしょうし、placeを修飾する同格節とするのも無理があります(thatではなく関係副詞whereなら結束性が保てますが)。あるいはmake mistakes, try againの結果節と考えることはできなくもないですが、やはり並列的に心に思い浮かんだことを述べていると考える方が自然でしょう。

このように非文法とされる破格構文を正規の教育の中でお手本とすることはあまり考えられませんが、ただ一方で文法的正確さにがんじがらめになっている日本の英語教育が、学習者の発話産出の大きな障害になっていることも事実です。そもそも文は書き言葉の単位であり、「破格構文」という用語を口語英語に当てはめること自体に無理があるとも言えます。Quirk et al. (1985)では発話を構成する単位として音調単位(tone unit)という概念を提唱していますが、書き言葉の論理とは別に、単に「非文法」や「破格」では片づけられない話し言葉の論理というものが存在すると思います。

Filmore (1979) は、発話の流暢性(fluency)について以下の4要件を挙げています。

(1) The ability to talk at length with a minimum of pauses.
(2) The ability to package the message easily into “semantically dense” sentences without recourse to lots of filler material.
(3) The ability to speak appropriately in different kinds of social contexts and situations, meeting the special communicative demands each may have.
(4) The ability to use language creatively and imaginatively by expressing ideas in new ways, to use humor, to make puns, to use metaphors, and so on

つまり流暢さとは、一定の長さの意味のある発話を、淀みなく、状況に応じた適切な形で、創造的に行えることであるというわけです。口語英語に見られる破格構文は、意識の流れに任せて自由に一定の長さの発話をするための一種の方略と考えられないでしょうか。こうしたことはあえて真似をして学習するようなものではないかも知れませんが、多くの生きた英語に触れ、また実際に英語を使う中で自然に理解できるようになるものだと思います。外国語としての英語をマスターする上では最後の試練とも言える「ネィティブの壁」の1つかも知れません。

Filmore, C. (1979). On Fluency. In C. Fillmore, D. Kempler., & W.S. Wang, (2014). Individual Differences in Language Ability and Language Behavior. pp.85-101, Saint Louis: Elsevier Science.
Quirk,R., S. Greenbaum, G. Leech and J. Svartvic. (1985). A Comprehensive Grammar of the English Language. London and New York: Longman.


2020年2月7日

投稿者:松井夏津紀(京都外国語大学・非)
タイトル:「丁寧にするためにとりあえずpleaseをつけておこう」の間違い

誰かに何かをお願いしたいとき、どのような表現を使っていますか。例えば、駅への行き方を教えてもらいたいとき、Please tell me how to get to the station. というようなpleaseを使った文を使ったことはないでしょうか。日本人は「please=どうぞ~てください」と習うため、「please=丁寧な依頼表現」であるという解釈をしている人が多く、そのためpleaseを多用しがちだそうです。しかし、pleaseという語には命令や指示を和らげる働きはあるものの、pleaseを添えるだけでその文が丁寧な依頼文になるわけではありません。

次のセリフは、『ウォーキング・デッド』の悪役ニーガン(レザージャケットを着て、有刺鉄線を巻いたバットを持った残虐な人物)が部下のサイモンに威圧的な態度で言うセリフですが、この場面では学習者があまり気にしていないpleaseを使う際の重要な要素を観察することができます。

Negan: Who the hell do you think you’re talking to? Are you confused about who we are? Are you confused about who is in charge? Are we backsliding, Simon? Please, tell me we’re not backsliding.(俺を誰だと思ってる?俺たちを勘違いしていないか?誰がボスだか分かっているのか?以前に逆戻りするか?教えてくれ、俺たちは逆戻りするのか?)<00:08:58>
『ウォーキング・デッド』(The Walking Dead, Season 8, Episode 5, 2017)

実は、pleaseが使われるときは、言われた人には言われた内容を行う義務があるという前提があるそうです。つまり、pleaseを使って何かを頼むときは、頼む側が相手にそのことを頼む権利があると考えている場合なのです。ニーガンが部下のサイモンに使っているpleaseには「どうぞ~てください」というような丁寧さのニュアンスはなく、むしろ相手が「言われたことをする義務がある」ということを示しています。(ちなみに、このあと、サイモンはWe’re not backsliding.(俺たちは逆戻りしない)<00:09:25> と、ニーガンに言われた通りのことを言っています。)
刑事ものの映画やドラマを見ていると、警官や捜査官のセリフにpleaseが使われていることがよくありますよね。次のセリフは文末にpleaseが添えられている例です。

Cop: Ma’am, you need to get back in your car, please.(車に戻ってください)<00:15:00>
『デスパレートな妻たち』(Desperate Housewives, Season 1, Episode 2, 2017)

Lisbon: Police. Philip Handler? May we speak with you, please? (警察よ。ちょっと話があるの)<00:13:53>
『メンタリスト』(The Mentalist, Season 1, Episode 3, 2010)

上記の例の場合、警官は職務上、女性に車に戻るよう促す権利があり、言われた女性は車に戻る義務があると考えられます。また、リズボン捜査官も職務上、フィリップ・ハンドラーという男性と話をする権利があり、またその男性はそれに応える義務があると考えられます。これらのセリフの例からも、pleaseを添えることにより、口調は丁寧になるものの、相手に伝えている内容は「依頼」ではなく「指示」であることが明確にわかります。

中学生のときに学習した「誰もが知っている簡単な表現」は、知っていると思い込んでいるために、大切な用法や意味を見落としているということが結構あるように思われます。簡単だと思っている単語や表現こそ、もう一度調べてみた方がいいかもしれませんね。


2020年1月30日

投稿者:倉田 誠(京都外国語大学)
タイトル:「“I’m calling X…”はTOEIC L&Rでは正解を指す談話標識!」

本拙稿はビジネスシーンでよく使われる “I’m calling X…”という表現パターンを知ることは学習者の言葉の引き出しを増やすだけでなく、TOEIC L&RのPart 3やPart 4で頻出する問題に効率よく対応できる即効性があることを述べます。“I’m calling X…”のXは変数で、to do, about, because, in response to, in regards to等々が導く語句や節が生起し、その後に続く談話はそのX以下の内容に絞られます。

下記の(1)のやり取りは『ミセス・ダウト』で主人公のダニエルが、元妻のミランダが新聞に出した「家政婦募集」の広告について電話をしているシーンです。ダニエルは離婚によって離れ離れに暮らすことになった子供たちと再び生活を共にするために、住み込みの家政婦として潜り込むことを企てます。声優を生業にしているダニエルは七色の声を操る才能を持っていますので、このシーンでも地声を見事に女性の声に変えます。しかも米語ではなく、イギリス英語で貴婦人のごとく話すので元妻も完全に騙されます。

(1)
Miranda: Hello.(もしもし)
Daniel: Hello. I’m calling in regards to the ad I read in the paper. (もしもし、新聞で読みました広告に関してお電話をさせていただいているのですが、、、)
Miranda: Yes, well, would you tell me a little bit about yourself?(あっそうですか、では少し自己紹介していただけないでしょうか?)
Daniel: Oh, certainly, dear. For the past fifteen years, I’ve worked for the Smythe family of Elbourne, England. That’s Smythe, not Smith, dear.(もちろんですわ、私はここ15年間、イギリスのエルボーンのスマイズ家に仕えてまいりました。スミス家ではなく、スマイズ家ですわよ、あなた。)<00:30:59>『ミセス・ダウト』(Mrs. Doubtfire, 1993)(太字下線は筆者)

太字下線を施したダニエルの“I’m calling X…”の文によって、家政婦募集側のミランダはその直後のセリフで単刀直入に相手の家政婦としての経験を問う話に入ります。このように“I’m calling X…”は、ビジネス上の電話で相手と話を始める時に使う定型表現ですが、明確な談話標識の役目を果たします。つまり、この表現内やその直後には要用の情報があります。

ATEM会員の有志が集った「資格試験英語研究SIG」がTOEICの新形式テストの公式問題集6冊と旧形式テストの公式問題集6冊に掲載されている計12冊(24テスト)を調査した結果、48回の“I’m calling X…”の生起をPart 3とPart 4に確認しました。つまりこの表現は1テストあたり2回お目にかかる頻出の定型パターンです。上掲の公式問題集の計24テストの頻度はPart 3が25件で、Part 4が23件と生起頻度で拮抗しています。パターンの内訳は“I’m calling X…”の変数のXがto doが18回と最も多くなっています。それ以外ではbecause(11回)、about(10回)、その他(9回)となっており、そのほとんどにおいて“I’m calling X…”の部分の情報が問われています。下記の(2)はPart 4のテレメッセージの問題ですが、お約束通りその部分が問われています。

(2) (Questions 74 through 76 refer to the following telephone message.)
Hi Ms. Goldberg, it’s Henry. Since you're out of the office today, I'm calling to report on how the meeting with the production team went. We started off by talking about your idea to use a less expensive manufacturer in another state for our watches. And the team did bring up one problem. Right now, it takes only one day for our products to get from the factory to the local retail stores. If we go with a new factory, then shipping could take a lot longer. Anyway, could you call me back so we can discuss it more?

74. Why is the speaker calling?
(A) To ask for assistance with a fund-raiser
(B) To schedule a factory inspection
(C) To confirm the details of a renovation
(D) To report on a recent meeting *
(公式TOEIC Listening & Reading問題集5, Test 1, Part 4:太字下線は筆者)

生産部との会議の結果を上司に報告するテレメッセージですが、冒頭の太字の“I’m calling to…”の情報を採取さえすれば、情報価値が高い要用が理解できます。そして必然的にその部分に関する設問が来る可能性が高いわけです。上掲の問題も正にそのパターンとなり、自信を持って選択肢(D)を選べます。

このような知見を前掲の研究SIGが開発した、“An Amazing Approach to the TOEIC L&R Test”(成美堂)に満載しました。このテキストはTOEIC L&R テストのデータを活用して編んだものです。他にもTOEIC L & Rで頻発する様々な談話標識を散りばめていますので、是非ご一読ください。


2019年12月30日

投稿者:蘒寛美(京都産業大学)
タイトル:丁寧にお断りしましょう

私たちは日々、知人や友人などから誘いや依頼を受けたりしますが、断らないといけない場合もあります。今回は英語における丁寧な断り方をみていきましょう。
どんな断り方にも“No”だけというのは、コミュニケーションや人間関係の観点からいってふさわしくありませんね。必ず「残念」という気持ちを伝えましょう。その方策として、一般的にはI’m sorry, but ~ やI’m afraid ~などの前置きをすると言われますが、以下では、その他の決まり台詞とともに、どのように使われているかをメディアのなかから拾ってみます。
I wish I could, but ~ は、仮定法を使っての表現となります。「そうしたいのですが、難しい」という意味です。下の病院での会話では、移植が必要な妹のために、リストに名前を載せてほしいと医師のBellに依頼するのですが、断られてしまいます。

Nick: If you don’t help her, she will die...please. (助けないと命を落としてしまいます…お願いします。)
Dr. Bell: I wish I could. (残念だが無理だ) <00:19:36>
『レジデント』(The resident season2 episode22, 2018)

次に、I’d love to, but ~は、上記I wish I could.の表現とニュアンスがよく似ています。後にはI can’tが続くことが多く見られます。そして、副詞のunfortunately も断るときに便利に使えます。

Man: I’d love to, but….unfortunately, I can’t.(そうはしたいのだが、無理です。)<00:00:22>
『電撃』(Exit wounds, 2001)

Man1: Before we go back, we’d like you to come for drinks Friday.(帰る前に金曜日、一緒に飲もう。)
Man2: Oh, I’d love to, but I can’t. I made other plans.(そうしたいのですが、予定をいれていて。)
<01:08:07>
『理由』(Just cause, 2005)

断りの表現とともに、断る理由を添えるといいでしょう。例えば、I’ve got to go. I have other engagement.がよく使われます。
その他にも、即答せずに、考える余裕や返事の先延ばしをリクエストすることもできます。
Let me think it over. Let me give it a thought. (じっくり考えさせてください。)
How about a raincheck? (延期ではどうでしょう。)

どんな勧誘や誘いにも相手を傷つけることなく断るのは容易ではありませんが、できるだけ相手の気持ちを大切にして断りの意向を伝えるのが大切ですね。


2019年12月15日

投稿者:田畑圭介(神戸親和女子大学)
タイトル:句動詞 go off について

英語にA light bulb goes off in my head.という慣用的な表現があります。TED (https:// www.ted.com/)の中では次のように使われています。

And a light bulb went off, (そしてひらめきました) <00:08:06>
(TED: Jeff Skoll at TED 2007, My journey into movies that matter)

この表現は「頭の中でアイデアがひらめく」「はたと納得がいく」といった意味を表します。このフレーズが慣用的な言い回しであることは容易に理解できますが、ここで用いられている句動詞のgo off自体はどのような意味を持つことになるのでしょうか。go offは、主語が電灯のときにはHalf the lights went off. (電灯の半分は消えた)といった意味になります。a light bulb goes offが、電球が「消える」の意味だとすると、「頭の中で電球が消える」→「アイデアがひらめく」という因果関係になりますが、このつながりはどうもしっくりきません。
 またgo offは次のような意味でも用います。

In Omagh, bomb went off, (オマーでは爆弾が爆発しました) <00:12:02>
(TED: Jason McCue at TED 2012, Terrorism is a failed brand)

ここでのgo offは「爆発する、破裂する」という意味になりますが、頭の中で電球が破裂する出来事は、肯定的なものではなく、否定的なイメージが強く感じられます。「アイデアがひらめく」のは肯定的な出来事ですので、go offが「消える」あるいは「破裂する」といった否定的な意味だとは考えにくいところがあります。

このgo offの意味をはっきりさせるためにロングマン現代英英辞典(https://www.ldoceonline.com/jp/dictionary/go-off)を参照したところ、go offは全部で10の意味を持つことがわかりました。その中で今回のgo offに該当しそうな意味は、わずかな可能性のものを含めて、explode「爆発する、破裂する」、make a noise「鳴る」、stop working「停止する、消える」の3つだけでした。思い悩んだ挙句、結論がでませんでしたので、3つのうちのどれに該当するのか、知人のイギリス人に尋ねてみることにしました。彼の感覚として、問題のgo offはexplodeに相当するが、イメージとしてはカメラのフラッシュのようにピカッと光る感じだそうです。TEDの中には確かにa flash of insight(直感のひらめき)といった表現もあり、英語では「アイデアがひらめく」=「ピカッと光る」関係が成立していることがうかがい知れます。

We have this very rich vocabulary to describe moments of inspiration. We have the kind of the flash of insight, the stroke of insight, ...(アイデアが生まれる瞬間を表現する言葉は豊富にあります。「閃光が走る」「脳天を打つ」...)<00:03:30>
(TED: Steven Johnson at TED 2010, Where good ideas come from)

問題のgo offはexplode「爆発する、破裂する」やstop working「停止する、消える」の意味ではなく、explodeから派生したflash「ピカッと光る」の意味だということがその後の他の英語母語話者への調査から裏づけられました。

知人のイギリス人は、補足として、a light bulb goes offは「ピカッと光る」だけでなく、make a noise「鳴る」の意味を合わせ持つこともあると教えてくれました。このnoiseは電子レンジの「チン!」に相当するような音で、Ding! A light bulb went off in my head.といった表現もあるそうです。「鳴る」と「ピカッと光る」が結合したこの文では、何かの出来上がりを示す音と共にアイデアがパッと浮かんだ様子が表現されています。

実際のところ、go offのような多義の句動詞は、他にもたくさん日常的に用いられています。こうした句動詞は、多義性ゆえの柔軟性を持ち合わせる英語表現だと言えます。日常化した句動詞に着目し学習することで、日常会話力のさらなる向上が期待できます。


2019年11月15日

投稿者:飯田泰弘(岐阜大学)
タイトル:「有名人の名前を活用した比喩表現」

今回は人名を使った比喩に注目してみます。学校では、Yamada Hanakoのように最初を大文字で書くように習う人名ですが、特に世界的な有名人の場合は、前に冠詞のa/anを置いて「~のような人」という比喩表現にすることが可能です。その人の「イメージ」と結びつけることで、別の人物の特徴を述べるということです。学習参考書では、He wants to be an Edison in the future.(彼は将来エジソンのような発明家になりたい)のような例文が紹介されており、下の映画のセリフでも人名が上手く活用されています。

(1) Hjelmstad : Well, as long as there’s a Tojo and a Hitler there, we have to keep on fighting.
(東条やヒトラーのような奴がいる限り、俺らは戦い続けるんだ)<01:33:20>
『ウインドトーカーズ』(Windtalkers, 2002)
(2) Edwin : In our field, she was an Einstein! Me? I’m just...Edwin Jenner.
(僕らの分野では、彼女はアインシュタインだったんだ。僕はただの...エドウィン・ジェンナーでしかない)<00:36:19 >
『ウォーキング・デッド』(The Walking Dead, Season1, Episode6, 2010)

しかし興味深いことに、この「イメージ」はいつも同じとは限りません。たとえば、(2)の「アインシュタイン」の場合は、まず最も一般的なイメージは「現代物理学の父」と評される世界的な物理学者、すなわち「天才」ではないでしょうか。しかし彼の名が「馬鹿なやつ、愚か者」のような、人をけなす表現として使われることがあります。
(3)は、軽犯罪をした男が「何かの罪になるの?」と呑気に刑事に尋ねたあとの発言です。(4)は、ビルの上から敵兵の死体が落ちてきて「何だこりゃ!?」と驚く新人兵士に、上官が自軍のスナイパーの援護射撃だと教えるシーンです。

(3) Jack : Do me a favor and take Einstein here down to the pen.
(頼むから、このアインシュタインを下の部屋に入れておいてくれ)<00:23:30>
『FBI -失踪者を追え!-』(Without A Trace, Season1, Episode7, 2005)
(4) Soldier : That was your overwatch, Einstein. Thank him later.
(お前の見張り役が助けてくれたんだ、アインシュタイン。あとで礼を言っておけ)<00:29:20>
『アメリカン・スナイパー』(American Sniper, 2014)

いずれも、当然なことを理解していない相手に対して「そんなことも分かってない天才さん」のように、皮肉として「アインシュタイン」が使われているのがわかります。

また同じ人名でも、時代とともにその「イメージ」が変わる場合もあります。(5)は電話交換手の女性が、急に警察関連の電話が増えたことに気づき、怒りながら上司に理由を問うシーンです。最後の文の意味がわかるでしょうか?

(5) Turley : They’re shutting down the police band. All calls will be coming through this
switchboard.
(警察無線が停止したんだ。今後、電話は全部この交換台を通ることになる)
Wanda : And, I’m gonna marry Donald Trump! <00:48:48>
『ダイハード 3』(Die Hard: With a Vengeance, 1995)

この文を直訳すると「じゃあ、私はドナルド・トランプと結婚するわ!」ですが、これでは話がチンプンカンプンです。おそらくこのセリフは、映画公開時の1990年代には大企業家として(のみ)有名だったトランプ氏を引き合いに出し、「私は大金持ちと結婚してこんな仕事やめてやる!」という意味で発せられたように思われます。

しかし、このセリフを2019年のいま聞くと、どうでしょう?トランプ氏は大統領としてのイメージが強くなり、少なくとも映画公開時と同じ解釈にはならないと思います。有名人が持つ「イメージ」が時代により大きく変化し、比喩表現の機能も変わる興味深い例だと思います。
最後に余談ですが、同じ『ダイハード3』には、道で急な割り込みをした女性ドライバーに対し、主人公が次のように発言するシーンがあります。

(6) John : Jesus Christ! Who do you think you are, lady? Hillary Clinton?
(おい!何様だ?ヒラリー・クリントンのつもりか?) <01:12:27>

これは映画公開当時、大統領夫人だったヒラリー・クリントン氏の(夫を押しのける?)存在感を感じさせられるセリフです。まさかこの2人が映画の20年後、2016年の大統領選で争うことになるとは誰も想像できなかったでしょうね。


2019年11月01日

投稿者:深津 勇仁 (学習院女子大学・非)
タイトル:『グラン・トリノ』に見る親子関係のあり方

2009年公開のアメリカ映画『グラン・トリノ』(Gran Torino, 2009) はクリント・イーストウッド監督、主演作品の中でも特に、アメリカ社会における移民問題や経済問題といった社会問題に焦点を当てた作品です。『グラン・トリノ』に見られる男らしさに関しては2018年9月の記事で書きましたが、今回はさらに主人公と隣人達のやりとりを通じてアメリカ社会の親子関係について見ていきます。

主人公のポーランド系米国人コワルスキー(イーストウッド)は、隣人のアジア系移民のタオとスーの二人と愛車であるグラン・トリノを巡るトラブルを契機として急速に仲を深めていきます。コワルスキーが自身の実の息子や孫達とは疎遠になる中で、タオやスーを介して米国の親子関係構築のプロセスが垣間見えます。

コワルスキーの愛車を盗もうとして失敗したタオは、罪滅ぼしのために彼に無償で奉仕することになります。その過程でコワルスキーは、タオの将来について話し合います。一連の会話でキーワードとなるのが「車」と「仕事」です。コワルスキーによると米国人男性の会話は、冒頭の挨拶に始まりこれらのキーワードを中心に展開していくそうです。コワルスキーはタオに米国人男性の会話の仕方をレクチャーするため、馴染みの理髪店にタオを連れていき店主と会話の練習を始めます。

Martin: Start with “Hi” or “Hello.” (まずは「こんにちは」から始めてみれば)
(中略)
Kowalski: “Sir, I’d like a haircut, if you have the time.”(すみませんが時間があれば散髪をお願いできませんでしょうか)
Martin: Yeah, be polite, but don’t kiss ass. (そうだ。丁寧に、だが媚は売るな)
Thao: Excuse me, sir. I need a haircut, if you ain’t too busy. (すみません。お時間がありましたら散髪をお願いできますでしょうか) <01:13:16>
『グラン・トリノ』(Gran Torino, 2009)

米国では父親が息子を顔馴染みに紹介する過程で簡単な挨拶や礼儀といった所作を教えるようです。また、会話に困ったら「車」と「仕事」といったキーワードを上手く活用しながら話題を展開していくようにコワルスキーはタオに助言します。
次にコワルスキーはタオに建設の仕事を紹介するために建設現場に連れていき、現場責任者であるケネディに紹介します。ケネディとタオの実質的な面接の場でこれまでの訓練の成果が発揮されます。

Kennedy: You speak English? (英語はしゃべるのか)
Thao: Yes, sir. (はい、そうです)
Kennedy: Were you born here?(米国生まれか)
Thao: You bet.(もちろんです)
Kennedy: You got a vehicle?(車は持っているのか)
Thao: Not at the moment. Taking the bus for now.(今はないので、バスできます)<01:16:47>
『グラン・トリノ』(Gran Torino, 2009)

このように受け答えを細かくハキハキと端的にまとめることで、タオは無事に建設現場の職を得ることに成功します。この時の会話でタオは、車の修理代を業者に水増しされたことを持ち出して場を和ませます。コワルスキーの助言が功を奏した形となり、タオは建設現場で働き始めます。コワルスキーとタオの間に血縁的な親子関係は無いものの会話の練習や仕事の斡旋等で細かな助言を父親が息子に与えています。コワルスキーは教会での告白で、自身の子供達と終止疎遠であったことを後悔していると述べています。隣人のモン族のタオやスーに自身の子を投影して接する様子からアメリカの親子関係のあり方が垣間見えます。

同作品は米国人の男性の基本的な会話例や振る舞い方が作中で細かく描写されているため教室での会話練習等、英語教育の観点からも役立つと思います。


2019年10月5日

投稿者:小林敏彦(国立大学法人小樽商科大学)
タイトル:英語ニュースのディクテーションによる持続的語彙増強

本稿では、スマホのPodcast(ラジオ番組をスマホで聞くアプリ)を活用したNHK WORLD-JAPANの英語ラジオ放送のディクテーションを紹介します。ディクテーションを発展させ協働学習を重んじ、能動的にタスクを行うことで学習者が自分の英語力の弱点を発見する教授法として、Wajnryb (1990)が提唱するDictogloss があります。Preparation / Dictation / Reconstruction / Analysis and Correctionの4ステップにさらに私はステップを足して、10ステップのディクテーション教授法および学習法を日々実践していますが、本稿では紙面関係から、さまざまな恩恵がある中で、語彙の増強(ボキャビル)について書きます。

英語の母語話者の平均的語彙力(数)は、数え方にもよりますが、大体4~5万程度、それに対して日本人英語学習者の実用英検1級取得者やTOEICやTOEFL ITPを満点近く取った上級者でも1~2万程度と憶測します。はるかに日本人英語話者の語彙力が少なく、これが実はリスニング力の大きな妨げになっていることをあまり指摘する人はいません。

心理学では、記憶のプロセスは、「記銘 = Imprinting」「保持 = Retention」「想起 = Recall」の3つのフェーズに分類されます。単語を覚えるコツとして、三番目の想起に関して、何度も接する頻度が高い語彙ほど保持されることが強調されますが、一番目の記銘もたいへん重要です。すなわち、初めて見聞きした時にいかに印象深く記憶に刻むかということです。映画鑑賞中に覚えた会話フレーズや単語は、音声、画像、コンテキストがあり、視覚と聴覚に訴えられ、記憶に深く刻まれ、何年経っても忘れないものです。リーディングで不明語彙を見つけた瞬間に辞書で意味を調べるよりも、文脈から時間をかけて意味を推論した語彙が定着します。同様に、ディクテーションでは、何度も聞いて、聞き取ろうと悪戦苦闘した末に提示された語彙項目は深く記憶に刻まれると考えられます。

NHK WORLD-JAPANは、毎日午後2時20分ごろと午後8時ごろに14分ほどのNHKラジオで放送されます。パソコンやスマホからも聞くことができます。自然な速度で国内外の最新のニュース原稿を読み上げます。最初にトップストーリが45秒間に3つ読まれますが、連続して朗読されることが少ない三番目のニュースを書き取ってもらいます。私は自分の授業とKEG(KOBA English Gym)と勉強会でも活用しています。だいたいワンセンテンスの10秒程度の長さですが、何度も繰り返し、もうこれ以上聞いてもわからないと判断した段階でスクリプトを見て、聞き取れなかったり間違ったりした原因を特定してもらいます。音声認識ができなかったのか、語彙の不足が原因か、いずれかを判定します。何度聞いてもわからなかった部分の正体が明らかになった瞬間に強い記銘が起きると考えられます。さらに記録し、外交、軍事、経済などといった、ニュースジャンル別など各自の方法で体系的に語彙を整理するように指導します。毎日聞き続ければ、Japan and the US have stuck a final agreement in their bilateral trade negotiations. (NHK WORLD-JAPAN 2019年9月26日)のような英文を聞いても、冠詞aやnegotiationsの語尾の微妙な音声も聞き取れるようになります。さらに語彙力が高まることで書き取れる単語も増えて、英語の音声を聞き取る力の上達が自分の目で確認でき、学習モチベーションが維持され自律的英語学習が持続されると期待できます。

この学習法を3年間継続している私のゼミ生は、TOEIC Listening& Reading Testが525点(2016年7月30日受験)から940点(2019年7月27日)、TOEFL ITPが467点(2016年12月3日受験)から600点(2019年5月25日)まで向上しました。今後この学習法を卒業後に持続して受験しスコアが入手できれば、また他の学習者の縦断的データが入手できれば、この学習法の効果が立証されるでしょう。

参考文献
Wajnryb, R. (1990). Grammar Dictation. London: Oxford


2019年9月26日

投稿者:山本五郎(法政大学)
タイトル:「はかなく美しい」モノは「もろくて価値がない」?

どの言語でも,単語の意味が時代の流れの中で変わっていくことは珍しいことではありません。
映像メディアでもよく耳にする英単語で,最近使われ方が変わってきた単語のひとつにsnowflakeがあります。

snowflakeは,snow(雪)とflake(かけら)から成る複合語(compound word)で,文字通り「ひとひらの雪,雪片」という意味の名詞です。(雪のように白くてかわいい花をつける「スズランスイセン」をさす場合もあります。)

空から舞い落ちる雪のひとひら一片は,一見同じようでもどれ一つとして全く同じものがないため,よい意味で個性を表す語として用いられてきました。

エドワード・ノートンとブラッド・ピットが主演して大きな話題となった20世紀末のハリウッド映画である「ファイトクラブ」では,次のようなセリフでsnowflakeが使われています。

A member of Space Monkeys: “You are not a beautiful and unique snowflake. You understand me? You are the same decaying organic matter as everything else.”
(おまえは価値があるオンリーワンのsnowflakeなんかじゃない。わかるか?おまえは老い衰えていく他の奴らと同じだ)<01:42:45>
『ファイトクラブ』(Fight Club, 1999)

上記の例では,朽ち果てていくものと対比させて,他の誰とも違う「個性」という意味でsnowflakeが使われています。

ところが,最近のメディア英語のsnowflakeの使われ方を見ていると,好ましくない意味が強くなっており,「打たれ弱い世間知らず」を表すことが多くなってきました。例えば2019年9月12日付のPortsmouth News誌では,様々な娯楽施設を備えた大学の学生寮に関する問題について,次のような投書を紹介しています。

… why on earth do these halls have to have these creature comforts? And why are students (or their parents) paying for them? Is this why they are often called snowflakes?
(いったいどういうわけで学生寮に贅沢な設備が必要なのだろうか。なぜ学生(やその親)はそんなものにお金を払うのだろう。最近の学生をsnowflakeと呼ぶのはこういったことが理由だろうか。)

また,同日付のWestern Morning News誌では,頼りない政治家を嘆いてTodays Politicians are ‘Snowflakes’(今の政治家はsnowflakeだ)という見出しの記事を載せています。9月16日付のTime誌でも,自分の殻に閉じこもってしまい難しい課題に直面することができない学生が最近多いという世間の認識への反論として,The Resilience of Snowflakes(snowflakeのたくましさ)という記事を載せています。

いずれもsnowflake(s)が「世間知らず,未熟者,打たれ弱い人」などの意味として使われているものです。経験や実力が十分ないのに自己評価の高い大学生を表すcollege snowflakesや若い世代全体を揶揄するsnowflake generationなどのフレーズもかなり定着してきています。

時には,precious(大事な,貴重な)のような形容詞を伴ってよい意味での個性を表すこともありますが,最近ではネガティブな意味として使われることも多くなっているのです。

メディア英語でsnowflakeという単語を聞いたり読んだりした時には,どちらの意味で使われているのか間違えずに理解したいものです。


2019年9月8日

投稿者:金田直子(京都女子大学・非)
タイトル:映画で見る現代アメリカの差別意識

近年、世界的に人種問題やLGBT、社会的マイノリティをテーマとする映画が大きな注目を集めるようになってきました。前オバマ政権下から人種をめぐる議論が幾度となく喚起され、人種差別撤廃の気運が高まっているように見えます。しかしながら、公に議論されればされるほどに、表立っては見えない私たちの潜在意識にある差別意識がさらに見えにくく根深くなってきてはいないでしょうか。

映画『ゲット・アウト』(Get Out, 2017)は、米国における黒人に対する人種差別を扱っていますが、わかりやすい加害者VS被害者や、制度的な差別を描く、という構図ではありません。本作では、加害者側である人権擁護者のリベラルエリートが深層意識に持つ、黒人に対するねじれた劣等感や差別意識を描き出しています。

例えば、若いアフリカ系アメリカ人の写真家Chrisと彼の白人のガールフレンドのRoseが両親の元へ挨拶に向かう道中で鹿を撥ねてしまい、駆けつけた警察官から職務質問を受けるシーンでは、運転していたRoseだけでなく助手席にいたChrisも身分証明証の提示を要求されます。警官の言うことを聞いてすみやかにIDを渡そうとするChrisを制止し、Roseは頑なにIDを渡す必要はないと抗議をします。アメリカでは野生動物を車で撥ねたことで、警察官が助手席にいた人のIDを要求することはまれです。IDを渡そうとする冷静なChrisと比較して声を荒げるRoseが対照的に描かれています。

実家に到着した2人はRoseの両親に歓待を受けるのですが、事あるごとにChrisが黒人であること、つまり黒人という存在が米国において異質であるという考えをさりげなく(時に直接的に)連想させるようなフレーズが用いられます。例えば、Roseの父Deanは自身の祖父が素晴らしい陸上選手でありながら、優秀な黒人アスリートに惜敗した話をします。その黒人アスリートを褒め称えた直後に、Deanがキッチンにいる黒人の使用人達を紹介します。

Dean: Boy, but I hate the way it looks. ((黒人の使用人を雇っていることに対して)でも人の目は気になるよ)
Chris: Yeah, I know what you mean.(はい、お気持ちはわかります)
Dean: By the way, I would have voted for Obama for a third term If I could.
Best president in my life. Hands down.(ところで、オバマに3期目があれば投票していたよ。最高の大統領だったね。素晴らしい活躍をしたよ)
<00:18:47>

また両親の友人の集まりの席では、友人たちがChrisに対し必要以上に黒人であることや肌の色などを話題にするシーンが数多く出てきます。
Man: Fairer skin has been in favor for the past, what, couple of hundreds of years? But now the pendulum has swung back. Black is in fashion.
(白い肌が好まれたのはこの200年ほどか。だが流行りというものは振り子のように行ったり来たりと繰り返すものだ。時代は黒だよ。)<00:43:40> 

アメリカで生を受ければ同じアメリカ人であるはずなのに、事あるごとに活躍した黒人選手や大統領の話や身体的特徴、そして肌の色を話題に出されることで、Chrisの孤立感がさらに際立つのです。このChrisが感じる恐怖心は後に監督・脚本を勤めたJordan Peele監督が「米国では非白人でいること自体がホラーである」と述べています。(Asahi Shimbun Globeプラス, 2017)あえて上に挙げた例のようなシーンをちりばめることで、黒人として生きる恐怖心や孤独感を表現しているのです。

日本も近年異なる人種や文化、性的志向についてオープンになろうとしています。しかし表に見えるわかりやすい差別や政策的な差別だけでなく、私たち自身が気がつかない深層意識にある差別・偏見に目を向けることも大切なのではないでしょうか。様々なバックグラウンドを持つ人達が共存できる社会の実現を目指したいですね。


2019年8月19日

投稿者:福井美奈子(京都産業大学)
タイトル:Ladies and Gentlemenは何処へ?のその後

昨年7月に本コラムの『Ladies and Gentlemenは何処へ?』で、呼びかけ表現であるLadies and gentlemenがpolitical correctnessを意識した措置として一部廃止されつつあることを記載しましたが、その後の動きを追ってみました。

まずは、今年の第91回アカデミー賞授賞式で、呼びかけ表現であるLadies and gentlemenがどのように使用されるのかに注目しました。授賞式は、ホストに決定していたKevin Hartが、同性愛に関する過去のツイートが問題となりホストを辞退したため、残念ながらホスト不在のまま行われました。そこで、各プレゼンターを紹介するテレビ局のナレーターとプレゼンターの発言に注目してみました。

ナレーターは、ほとんどのプレゼンターをPlease welcome, 〇〇.(〇〇はプレゼンターの名前)と紹介していましたが、作品賞のプレゼンターであるJulia Robertsを含む5組のプレゼンターには、Ladies and gentlemen, please welcome, 〇〇.と紹介しており、Ladies and gentlemenの使用を避けている様子は見られませんでした。

興味深いのは、作品賞のノミネート作品である『ボヘミアン・ラプソディー』(Bohemian Rhapsody, 2018)のプレゼンターであるMike MyersとDana Carveyです。彼らは、ナレーターによってLadies and gentlemenとともに紹介された後、彼ら自身もLadies and gentlemenを使用しています。多くのプレゼンターの中で、Ladies and gentlemenを使用していたのは、彼らのみでした。

1. Ladies and gentlemen, please welcome, Mike Myers and Dana Carvey.(皆さん、Mike MyersさんとDana Carveyさんをお迎えします)
2. It’s our pleasure to introduce a Best Picture nominee that celebrates the life of Freddie Mercury through the genius of Queen’s music. Ladies and gentlemen, Bohemian Rhapsody!(作品賞候補をご紹介します。Freddie Mercuryの生涯をQueenの天才的な音楽で彩った作品です。皆さん、Bohemian Rhapsodyです!)
(YouTube: Oscars 2019 - Dana Carvey and Mike Myers introduce BOHEMIAN RHAPSODY - 24/02/2019, 2019)

以上のことから、本年度においては、ナレーターやプレゼンターによるLadies and gentlemenの使用を避ける動きは見られませんでした。アメリカで最も視聴者数が多い番組の一つであると言われているアカデミー賞授賞式が、今後political correctnessを意識する動きとなるのか、さらに注目したいと思います。

ところで、ニューヨーク州立都市交通局(MTA)は、2017年11月3日、車内放送などにおけるジェンダーに配慮した表現を使用することを職員に指令しました。これにより、Ladies and gentlemenの使用を廃止しましたが、これについても現地で調査を行いました。

調査期間は、2019年3月10日からの13日間です。ニューヨークの地下鉄において車掌が車内放送を行うのは、駅到着時の駅名をアナウンスする時と、イレギュラーな事態(日本では考えられないのですが、突然次の駅が終点となったり、電車が急行になったりする場合など)が発生する時です。駅名のアナウンスには“Carroll Street, Carroll Street. Next stop, Bergen Street.”のように、呼びかけ表現が使用されることはありません。一方、イレギュラーな事態の発生をアナウンスする場合には、呼びかけ表現が使用されます。このようなことからイレギュラーな事態のアナウンスに注目してみると、Ladies and gentlemenが使用されることはほとんどありませんでした。代わりに必ず使用されていたのは、Hello, everyone.やAttention, passengers.です。ただ、ニューヨークの地下鉄で聞かれるアナウンスのうち、あらかじめ録音されていた音声においては、Ladies and gentlemenが使用されていました。

Woman: Ladies and gentlemen, this is the Manhattan bound L train.(皆さん、これはマンハッタン行きのL路線です)

この録音メッセージは、プラットフォームで3分おきぐらいに流れるもので、イレギュラーな事態を伝える車内放送よりも耳にする頻度が高いメッセージです。確かに車内放送でLadies and gentlemenを聞くことはほとんどありませんでした。しかし、車内放送よりも耳にする頻度が高いメッセージが存在していることを踏まえれば、ニューヨークの地下鉄が、胸を張ってジェンダーに配慮しているとは言えないのではないかという印象を受けました。


2019年8月15日

投稿者:松浦加寿子(中国学園大学)
タイトル:猫に関する英語表現―A Street Cat Named Bob

今や世界は空前の猫ブームですが、猫は好きですか。猫が好き、さらに音楽も好きな方におススメの映画があります。それは、『ボブという名の猫 幸せのハイタッチ』(A Street Cat Named Bob, 2016)です。ロンドンでミュージシャンを目指すも夢破れてホームレス同然の主人公ジェームズが薬物に溺れ、生きる目的を失っていたときに一匹の野良猫と運命的な出会いをします。彼らの前に立ちはだかるさまざまな困難や試練を二人で乗り越えていく姿を描いており、実話を基にした感動的で心温まる映画です。映画に登場する猫のボブはボブ本人が演じていて、彼の仕草の愛らしさや “high five”(ハイタッチ)する姿に癒されることは勿論ですが、演技力の高さが素晴らしいです。筆者も自宅で元ストリートキャットを飼っていますが、ハイタッチはできない代わりに手をかざすと必ず手に頭突きをしてくれます。この映画は単に可愛い猫映画にとどまらず、薬物中毒や貧困問題、家族関係といったシリアスな社会問題を扱っている点も見どころです。今回は映画に登場する猫に関する英語表現を取り上げます。

まず、ジェームズが野良猫の飼い主を探す場面で、茶トラの猫は “ginger cat”と呼ばれています。まさしくショウガ色ですね。

James: Got a little ginger cat down here if anyone’s looking for it.(茶トラの猫を預かってます!)<00:19:00>

上述した台詞の続きで、ジェームズは飼い主が見つからない茶トラの野良猫に次のように話しかけます。

James: So what number life are you on?(猫は九つの命を持ってるんだろ) Apparently, I’m on the ninth. <00:19:07>

台詞の下線部分は “A cat has nine lives”(猫には九つの命がある)という諺に由来しており、猫の類まれな運動神経やたくましい生命力から容易には死なないという意味で使われています。猫を神として崇拝していた古代エジプトでは、三位一体の神が三組揃ってできる数字が「9」であり、「九柱神」と猫を結びつけて考えるようになったようです。また、歴史を遡るとシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』にもこの諺を借用している例が見られます。ロミオの友人マキューシオがティボルトとの決闘の際に、Good King of Cats, nothing but one of your nine lives,…(猫王よ、お前の九つある命の一つを所望したい…)と叫び、ティボルトを殺害しようと決闘に臨んでいます。ジェームズの台詞に再び戻りますが、二文目の台詞 “Apparently, I’m on the ninth.”は、ジェームズは九つ目の命と発言していることから翻訳すると「僕は崖っぷちだよ」といったところでしょうか。薬物中毒で売れないミュージシャンの悲哀が伝わってきます。さらに、この映画のキャッチコピーには“Sometimes it takes nine lives to save one”と表記されていることからこの諺が英国の文化に定着していることがうかがえます。

ボブのおかげで人気が出てきたジェームズは人々から “sir”の敬称をつけて呼ばれることを喜んでいるように、猫のボブに対してもさまざまな呼び方をして楽しんでいるように見えます。次の二例は、ボブが行方不明になった場面と無事戻ってきた場面です。猫も家族の一員なので人に対する呼称や敬称と変わりません。

James: …Bob. Oh, mate, where are you? (ボブ どこに行ったんだ)<01:17:37>

James: Bob! Bob... Hey! Hey, mister. Where have you been, hey?(ボブ 帰ってたのか。いったいどこにいたんだ。)<01:21:06>

ボブが遊んでいる時は、愛嬌を込めて次のように呼ばれています。

James: …Stop fishing. Good morning, monster. Hello, mate. Caught any fish yet?(釣りは終わりだ。おはよう モンスター。魚はいたか?)<01:33:19>

この映画の原作者であるジェームズ・ボーエンは怪我をした野良猫ボブを助けたことで逆に救われて幸せを掴むことができました。最後に友人ベティがジェームズに送ったアドバイスで締めくくりたいと思います。

James: … “start by mentioning that everyone gets a second chance.” “But... but not everyone... Manages to take them”.(“誰にでもセカンドチャンスは訪れる”。“でもそれを逃してしまう人が多い”)<01:35:40>


2019年7月26日

投稿者:北本晃治(帝塚山大学)
タイトル:才能の二面性
 
皆さんは自分が持っているある特性が、他の人たちとは大きく異なっているために、悩んだり孤独な感覚に襲われた、という経験はないでしょうか。この「ある特性」には、ハンディキャップや病理も考えられますが、見方によっては、それらは才能の必然的な属性である場合も多いように思われます。

『アナと雪の女王』はそのことを象徴的に表現している物語だとも解釈できるでしょう。手から放射される魔法であらゆるものを凍らせてしまう力を持ったエルサは、幼いころにはそれを使って、妹のアナと楽しく遊んでいたのですが、不注意からアナの頭に怪我をさせてしまいます。その魔力を恐れた王(姉妹の父)は、アナを老賢者(Pabbie)のところに連れていき、どうすればよいかについて、以下のような相談をします。

Pabbie: Your Majesty. Born with the powers or cursed?(陛下、魔力は生まれつきか、それとも呪われたのか?)
King: Born. And they’re getting stronger. (生まれつきだ。どんどん強くなっている)
Pabbie: You are lucky it wasn’t her heart. The heart is not so easily changed, but the head can be persuaded. (心でなくてよかった。心は簡単には変えらない。しかし頭の方は何とかなる)
King: Do what you must. (何でも適切な処置をしてくれ)
Pabbie: I recommend we remove all magic, even memories of magic to be safe.... But don’t worry, I’ll leave the fun. She will be okay.(すべての魔法を取り除こう。魔法の記憶さえも。心配はいらない。楽しさは残しておく。大丈夫だ)
Young Elsa: But she won’t remember I have powers? (じゃあ、アナは私に魔力があることさえも覚えていないの?)
King: It’s for the best. (そのほうがよいのだ)
Pabbie: Listen to me, Elsa, your power will only grow. There is beauty in it. But also great danger. You must learn to control it. Fear will be your enemy. (よくお聞き、エルサ。お前の力は大きくなっていくのみだ。そこには美しさもあるが、同時に大きな危険も存在する。お前はそれをコントロールすることを学ばなければならない。恐れは敵だ)
King: No. We’ll protect her. She can learn to control it. I’m sure. Until then, we’ll lock the gates. We’ll reduce the staff. We will limit her contact with people and keep her powers hidden from everyone... including Anna.(いや、我々がエルサを守るのだ。彼女はコントールできるようになるにちがいない。それまでは門を閉ざし、世話人を減らそう。彼女が人々と接触する機会を最低限に抑え、皆に彼女の魔力を隠すのだ。アナにもな)<00:06:47~00:08:10>
『アナと雪の女王』(Frozen, 2013)

先に述べたように、幼いエルサとアナの間では、エルサの魔力は素敵な遊びの方法でした。しかし、アナが傷ついたことをきっかけに、このような相談を経て、その力はまるで体にできた腫物のように人目から隠されてしまいます。ここでのやりとりから分かるのは、一見ネガティブに論じられているエルサの魔力をめぐる二面性(両義性)です。それらは、“Born”と“cursed”、“head”と“heart”、“beauty”と“danger”、“control”と“Fear”というそれぞれペアとなった言葉に集約されています。まず、エルサの力は「天賦」のものであって、決して「呪い」によるものではないことが分かります。そしてそれが引き起こす可能性のある事故として、「頭」のレベルの傷と「心」のレベルの傷が存在することが指摘され、前者は対応可能だが、後者は正すことができないものとされています。ここでの会話では、幼い姉妹が遊んでいる時に生じたアナの「頭」の傷が問題であり、その解決策が提示されますが、それはエルサやアナを本質的に救うものでありませんでした。二人を本当に救う奇跡的な展開は、物語の後半で生じます。それには、魔力のために孤立したエルサを城に連れ戻そうとした時に受けた、「心」のレベルの傷を持つアナの命がけの働きによって、エルサの中に潜在していた真の能力が引き出されることが必要でした。それによってエルサの天賦の魔力は、最後に人々に恵みをもたらすものへと開花するのでした。しかしながら、元々この能力の属性として考えられていたのは、「美しさ」も認められるが、「危険なもの」であり、「制御」できなければ「恐怖」の対象となってしまうという固定的な認識でした。

エルサの魔力をある才能のメタファー(隠喩)だと考えると、この物語には才能の持つ二面性と、それが開花するための困難な道のりが示されているようにも思われます。それはある時期、周りの人々に理解されず孤独となる可能性も高いのですが、エルサにアナがいたように、よき理解者に恵まれることで、大きく展開していくともいえるでしょう。皆さんも、まずは、自分の中で否定的に考えている特性の裏側を、一度見つめ直してみてはいかがでしょうか。


2019年7月15日

投稿者:藤倉なおこ(京都外国語大学)
タイトル:「困ったときのおんな頼み― “The League of Their Own”」

かつてアメリカに女性選手がプレーする野球リーグがあったことをご存知ですか?それはAll-American Girls Professional Baseball League (AAGPBL)と呼ばれ、1943年から1954年まで存在していました。

1939年に始まった第二次世界大戦には男性の多くが兵士として駆り出され、メジャーリーグのプロ野球選手も例外ではありませんでした。そのため試合ができず、地方の球場は倒産の危機に直面します。戦争が終わって男性選手たちが帰ってきてもこのままでは、野球リーグが成り立たなくなると一計を案じた当時のシカゴ・カブスのオーナー、フィリップ・K・リグリーは、ジェネラル・マネージャーに相談します。そこで発案されたのが女性リーグを作ることでした。リーグには全米とカナダから加わりたいと何百人もの女性が集まりました。女性リーグは成功を収めます。しかし、兵役を終えた男性選手がメジャーリーグに復帰し始めると、女性リーグは経営不振などで廃止されてしまいます。一方、男性のリーグは見事に復活しました。結局、女性選手たちは、男性選手がいない間のつなぎとしての扱いでしかありませんでした。以下のセリフはそれを端的に表現しています。

Ira Lowenstein: This is what it’s going to be like in the factories, too, I suppose, isn't it? “The men are back, Rosie, turn in your rivets.” We told them it was their patriotic duty to get out of the kitchen and go to work; and now, when the men come back, we'll send them back to the kitchen. (工場でもきっと同じことが起きるんだな。「ロージー、男たちが帰ってきたから、工具を返すんだ」って。愛国者の勤めだからと言って彼女たちを台所から引っ張り出して働かせておいて、今、男たちが帰ってきたらまた台所に送り返すのさ。)
Walter Harvey: What should we do - send the boys returning from war back to the kitchen? (どうすりゃいいのさ。戦争から帰ってくる男たちを台所にもどすのか?)<02:04:17>
『プリティ・リーグ』(A League of Their Own, 1992)

米国では戦争中に男性がいない間、たくさんの女性たちが家の外に出て会社や工場で働きました。しかし、男性が戻ってくると女性は家庭を守るべきものとして、労働市場から追い出され、家庭に再びかえされました。日本でもバブル期に労働力が足りなくなると、女性の雇用促進が図られました。また人口が減少してくると「男女共同参画」、「女性の職業生活における活躍の推進」が政策になりました。

しかし、女性の就労はあくまでも派遣やパートといった非正規雇用が中心です。男性があくまでも主で女性は必要な時だけいればよいのです。

映画の原題“A League of Their Own”は、「彼女たち自身のリーグ」という意味です。英国の女性作家、バージニア・ウルフが1929年に書いた“A Room of One’s Own” (邦題「自分だけの部屋」)という批評がもとになっています。ウルフはこの中で女性が自由になるためには、経済的自立とカギがかかる自分だけのための部屋がなくてはならないと記しています。野球が得意だった女性たちは、野球リーグで収入を得ることで、自分たちの能力を発揮し活躍できる居場所を見つけました。しかし、それはつかの間でした。

この映画を撮ったペニー・マーシャル監督は、トム・ハンクス主演の『ビッグ』(Big, 1988)、ロビン・ウィリアムズ、ロバート・デ・ニーロ共演の『レナ―ドの朝』(Awakening, 1990)も監督しています。『プリティ・リーグ』を含め、この3本はいずれも大成功を収め、彼女は映画1本で1億ドル以上の興行収入を稼いだ初めての女性映画監督と言われています。それまであまり知られていなかった女性野球リーグの存在と選手たちの活躍を紹介した彼女の思いは、女性の居場所をと訴えた批評の題名になぞらえた映画の原題“A League of Their Own”から伝わってきます。


2019年6月25日

投稿者:井村誠(大阪工業大学)
タイトル:「主観的現実(Subjective Reality)」について

コンピュータが作り出す仮想現実に人間が支配される近未来を描いた映画『マトリックス』(The Matrix, 1999)に次のようなセリフがあります。

Morpheus: Have you ever had a dream, Neo, that you were so sure was real? What if you were unable to wake from that dream? How would you know the difference between the dream world... and the real world? (ネオ、確かにそれが現実だと感じる夢を見たことがあるかい?もしその夢から目覚めなかったらどうなる?どうやって夢と現実の区別がつくと思う?)<00:30:16-00:30:28>

例えが悪いかもしれませんが、崖から落ちそうな夢を見ているとします。必死にしがみついている手が滑ってその後は...。実際の死因は睡眠中の心筋梗塞であったとしても、その人にとっての主観的な現実は転落死だったということになるのではないでしょうか?

考えてみれば私たちは現実の世界においても、日常生活のかなりの部分を主観的現実(Subjective Reality)の中で生きています。具体的な事物や客観的な事実が歴然とそこに存在するとしても、それらを認識するのが意識である限り、私たちは主観を完全に離れて物事を見ることはできません。

『マトリックス』では、ハッカーのネオが脳にプラグを挿入され、コンピュータが作り出す仮想現実の世界(Matrix)に入り込み、人間を支配しようとするプログラムと死闘を繰り広げます。ネオを導くモーフィアスは次のように言います。

Morpheus: The Matrix is everywhere. It is all around us. Even now, in this very room. You can see it when you look out your window... or when you turn on your television.(中略)It is the world that has been pulled over your eyes...to blind you from the truth.(マトリックスはあらゆる所に存在し、我々を取り囲んでいる。いまこの瞬間、この部屋の中でも。窓の外を眺めている時も、テレビを見ている時も。それは真実から目を眩ませるために、我々の目を覆っている世界だ。)
Neo: What truth?(どんな真実だ?)
Morpheus: That you are a slave, Neo. Like everyone else, you were born into bondage... born into a prison that you cannot smell or taste or touch. A prison... for your mind. Unfortunately, no one can be... told what the Matrix is. You have to see it for yourself.(我々が支配されているという真実さ、ネオ。みんな目に見えない鎖につながれている。心の牢獄にね。残念なことにマトリックスが何なのかを誰も教えることはできない。自分で確かめるしかないんだ。)<00:26:39-00:27:41>

モーフィアスの言う「マトリックス」は「主観的現実」に置き換えることができると思います。主観的現実を操ることができれば、大衆操作が容易になるでしょう。仮想現実(virtual reality)、拡張現実(augmented realty)、人工知能(artificial intelligence)などが私たちの生活に入り込み、デジタル化が加速する現代においてその可能性(危険性)はますます高まっているといえます。

サイバー世界の中で様々な姿をとって襲ってくるプログラムに対してネオは苦闘しながらも彼らを打ち破る力を身につけていきます。それを可能にしたのは「選択」すること、つまりネオが何者にも縛られない心の自由を得たからに他なりません。主観的現実を自らコントロールすることによって、私たちは自分自身を縛る思い込みからも自由になることができます。つまりこの映画は、生きづらい時代を乗り越えて生き抜いていくための勇気を与えてくれる物語ととらえることもできます。


2019年6月1日

投稿者:小野隆啓(京都外国語大学)
タイトル:消えるif

英語の仮定法を高校で習うとき、従属接続詞ifを使わずに条件節を表す場合があることを学びます。例えば、「彼の手助けがなければ」のような条件節をif用いてIf it were not for his helpのように表現するところを、Were it not for his helpのようにifを用いない表現のことです。実際、映画で次のような例が見つかります。Harry Potter and the Chamber of Secrets (2002) <00:29:56>のSnape先生の台詞です。

I assure you that were you in Slytherin, and your fate rested with me, the both of you would be on the train home tonight.
(言っておく。もしお前たちがスリザリンの生徒なら、今夜この場で家に送り返している!)

明らかに疑問文の形を取っているわけです。英文法の規則としてこのような表現をそのまま学ぶことは、もちろんそれでいいのですが、仮定法と疑問文の間に何か関連があるのでしょうか?

もう一つ例を見てみましょうか。Harry Potter and the Half-Blood Prince (2009) <01:58:19>からで、ダンブルドア校長先生の台詞です。

Shall I tell you to hide, you hide. Shall I tell you to run, you run. Shall I tell you to abandon me and save yourself, you must do so. Your word, Harry?
(わしが隠れと言ったら、隠れるのじゃぞ。逃げろと言ったら逃げるのじゃぞ。わしをおいて自分を守れと言ったら、そうしなければならんぞ。約束できるかの、ハリー。)

7つに分断されたヴォルでモートの分霊箱を探しに行くのにダンブルドアがハリーに一緒に行くように言うところです。見た目には明らかに疑問文ですが、その後に主節のyou hide.やyou run.のようなものが続くので、仮定法だと気づかなければなりませんね。

次のような例、Harry Potter and the Chamber of Secrets (2002) <01:38:52>は、2つの文がつなげられたものと教えられます。

Dumbledore: Good evening, Hagrid. I wonder, could we ... ?
Hagrid: Of course. Come in. Come in.
(こんばんは、ハグリッド。よろしいかの?)
(もちろんでさあ。どうぞお入り下せえ。)

英語の場合、文の1番左側には、その文の種類を決める目に見えない要素があり、それが形を取る際に、ifの形を取ったり、疑問文の形を取ったりするわけです。つまり、疑問文と仮定法には共通する点があるのです。If it were not for his helpのような場合、これを疑問文の形で表現するWere it not for his helpを疑問文だと仮定し、「彼の手助けがないのですか?無いのなら・・・」のように解釈すると、しっくり来ることに少し驚きませんか?ちなみに日本語の場合は、動詞が後ろなので、文の種類を決めるものは文末に現れます。疑問文を作るときは、([彼は明日来るのです]+「か」)のように文末の動詞に「か」をつけます。

このように疑問文と仮定法には意味的にも文法的にも関係があるのです。ちなみに、このような操作は、歌にも現れます。1970年代の昔の映画ですが、「小さな恋のメロディー」(Melody (1971))には「若葉の頃」(First of May)という歌があり、英語のことをあまり知らなかった頃は下に示すcome First of Mayが何なのか全くわからなかったものです。

But you and I, our love will never die.
But guess we’ll cry come First of May.
(でも君と僕、僕らの愛は決して死なない。)
(でも、5月になれば涙が出るでしょうね。)

これも、if First of May comeという仮定法の条件節なのです。First of Mayはcomeの主語で、仮定法なので、三単現のsが付いていないのです。主語と動詞が倒置している理由も、条件節の文頭位置を、were it not forのように、疑問文の形式で表しているのです。これもifを用いないで仮定法の条件節を表現したものです。


2019年5月15日

ルッケル瀬本阿矢(立命館大学) 
アメリカ映画に見る仕事と育児の両立の現状

家事は「手伝う」べきでしょうか?それともパートナーと「シェア」するべきでしょうか?『男女共同参画白書』(2017)によると、第一子出産前後に就業を継続する割合は53.1%と、子供ができても仕事を続ける女性が増え続けています。また、内閣府が発表した「6歳未満の子供を持つ夫の家事・育児関連時間」(『平成28年社会生活基本調査』)によると、日本では妻が7.34時間、夫は1.23時間と、大きな差があります。これには、日本社会に根強く残る「性別によって役割を決める」という潜在意識とともに、日本社会が男性に家事や育児をさせる時間を与えないという問題もあると感じます。女性の社会進出が進んでいる今、性別関係なく、家事や育児は「シェア」するべきではないでしょうか。

読者の中には、男女平等社会が進んでいるアメリカではきっと世間の理解も進んでいるのではないかと思う方もいるでしょう。上記の内閣府の統計では、アメリカでは妻が5.40時間、夫が3.10時間家事に費やしているとのことです。実際、アメリカの家庭での男女の立場は、日本のそれよりは平等で、働きやすい環境にあるようですが、アメリカの映画にも、仕事と子育ての両立に悩む女性がしばしば描かれています。

例えば、『プラダを着た悪魔』(The Devil Wears Prada, 2006)では、編集長のミランダ・プリーストリーが、離婚を前に、以下のように嘆いています。

Milanda: Another divorce. Splashed across “Page Six.” I can just imagine what they’re gonna write about me: “The Dragon Lady”. “Career-obsessed”. (…) I don’t really care what anybody writes about me. But my… My girls, I just… It’s just so unfair to the girls.
(また離婚よ。『ページ・シックス』(ゴシップ記事)にでかでかと載るわ。私のことをどう描かれるか想像がつくわ。「ドラゴン・レディ」「仕事が命」(…)私の事を誰がどう書こうと私は気にしない。でも私の… 私の娘たちは、私は…あの子達は悪くないのに。)<01:21:44>

主人公のアンディは、もしミランダが男性だったら、このように世間から叩かれるだろうか?という疑問を持ちました。アンディは、“If Miranda were a man, no one would notice anything about her except how great she is at her job.(もしミランダが男だったら、すごく仕事が出来る人だという以外は誰も何も気にしないはずなのに)” <01:26:18>と話しています。他にも、『ケイト・レディが完璧(パーフェクト)な理由(ワケ)』(I Don't Know How She Does It, 2011)や『マイ・インターン』(The Intern, 2015)でも、仕事と家庭とのバランスに悩む女性が描かれています。

上記の3本の映画には、極端な単純化とステレオタイプ的描写も散見されるものの、子育て中の女性を取り巻くアメリカの環境を推測するには十分でしょう。このように、2000年代のアメリカ映画でも、子育てをしながら働く女性には見えない壁がいくつもあることが、頻繁に描かれています。子育てに奮闘する男性との映画として、『クレイマークレイマー』(Kramer vs. Kramer,1979)や『アバウト・ア・ボーイ』(About a Boy, 2002)などはありますが、そのような作品は、妻が出て行ったり子供と突然出会ったりという、「非日常」の仕掛けが設定されている事が大半です。一方、上記した映画の焦点は、キャリアを積みたい人間が結婚し、子供を持った時、男性よりも女性の方が多くの見えない壁にぶつかるという「現実」であり「日常」を描いたものであると言えるでしょう。

冒頭で紹介した統計によると、内閣府が調査した7カ国の中で、妻よりも夫が子育てや家事に費やす時間が上回っている国はありませんでした。女性の社会進出が重要視されているこの社会において、その原因を探り、社会全体でこの問題に真剣に取り組んでいくべきだと思います。もちろん、仕事にもっと取り組みたい女性がいる一方、家事に参加したくても休暇を取れずに苦しむ男性もいるでしょう。家事の分担も含め、それぞれの意志が尊重される社会を実現したいものです。


2019年5月1日

投稿者:吉川裕介(近畿大学)
タイトル:広告に使われる「結果構文」の不思議

皆さんが日ごろ目にする「街の広告」や「インターネット広告」には強い文字の制限があるのが一つの特徴で、原因と結果を単文で描写できる結果構文(例. John wiped the table clean. ジョンはテーブルを綺麗に拭いた。)が好んで用いられます。しかし、この結果構文が広告で使用されると、非常に興味深いふるまいを観察することができます。次の広告を見て見ましょう。

(1) Drive your engine clean Super Unleaded + (Mobil ad.)

これはMobil社の広告ですが、「車を運転して、エンジンを綺麗にしよう」と謳っています。しかし、一般的に私たちは「車を運転する」→「エンジンが汚れる」という因果関係を想定します。したがって、John drove his engine clean. のように主語Johnを補った文では因果関係が不可解で解釈しづらい文になってしまいます。では、なぜ(1a)は広告として成立しているのでしょうか?ここにレジスター特有の文法が潜んでいます。(1a)の結果構文の横にあるSuper Unleaded +に注目してください。これは高オクタン価ガソリン(ハイオク)のことを指しており、ハイオクに含まれる添加剤によってエンジン内部の洗浄効果が得られると考えられています。つまり、この広告を見た人はDrive your engine clean. だけではこの広告を理解することはできないものの、Super Unleaded +を想定することで初めて「Super Unleaded +を入れた車を運転して、エンジンを綺麗にしよう」という因果関係を認識できます。

次の文はYouTubeなどで流れるインターネット広告からの引用です。

(2) a. Eat yourself slim (https://www.youtube.com/watch?v=aZJmOyG4VXU
  b. Sleep your wrinkles away in 6-8 hours (https://ingridmadisonave.com/2017/11/23/sleep-your-wrinkles-away-in-6-8-hours/
(2’) a. ??Mary ate herself slim.
   b. ??Beth slept his wrinkles away in 6-8 hours.

(2a)は「食べて痩せよう」というインターネット広告ですが、通常の因果関係とは異なるため(2’a)は成立しません。しかし、ホームページの内容を読み進めていくと、The Montignac Method is a leading concept in the diet world. という記述があり、モンティニャック・メソッド(炭水化物を摂取する際に低GIのものを摂取することで、脂肪を増やす機会を減らす食事法)に基づいた食事をすることで痩せるということが分かってきます。これにより、「モンティニャック・メソッドに基づいた食事をすることで痩せよう」という因果関係を成立することが可能となります。

また、(2b)では「6-8時間の睡眠でシワを無くそう」という広告です。しかし、どのような睡眠をとるとシワが無くなることに繋がるのか理解できないため、(2’b)のように解釈ができません。そこで、広告を読み進めていくとWhen you wear a SiO SkinPad, you are, in essence, soaking your skin in healing hydration for six to eight hours every night.「SiO Skin Padを装着すると、回復効果のある水和反応に肌が6-8時間浸ることで顔のシワが無くなる」と解説されており、これにより「SiO Skin Padをつけて6-8時間の睡眠をとることでシワを無くそう」という因果関係が成立することが分かります。

このように、広告で使用される結果構文は、通常では成立しない因果関係が、宣伝する商品を想定することで初めて原因と結果が結びつくよう仕掛けられています。広告作成者はこの広告英語の特徴を巧みに利用し、読み手に広告商品を強く印象づけているのです。


2019年4月15日

投稿者: Ken Poon (Freelance)
タイトル: Teaching Culture Through Reality TV

As an educator, I’ve always been interested in incorporating media into the classroom. Media is incredibly powerful in its ability to tell a story or spread a message. Well-crafted media can grab our attention and hold it for minutes and even hours; something that many teachers wish they could do in their classrooms.

However, rather than using movies or fictional TV shows to teach language, I used a specific reality television show called What Would You Do. The reason I chose this show is because it is a reality TV show, where certain aspects of the show are unscripted.

The premise of the show is to show how ordinary people react to a recreation of very real scenarios. Several hidden cameras are placed in a location and one or more actors act out conflict that puts real people around them into a situation where they have to make a decision on whether they should help and who they should help.

Due to the non-scripted nature of the show, the real people often have very real reactions of joy, disgust, anger, and distraught. You can see every kind of reaction, from someone selflessly defending the victim, to others sticking up for the aggressors. We get to be a fly on the wall, watching objectively as real people deal with situations that are a very real part of our world.

The way I used this show was by choosing videos on the topic that I wanted to discuss with my students. In December of 2017, comedian Masatoshi Hamada of DOWNTOWN fame faced criticism for dressing in blackface. Many of my students saw no issue with what he did and felt that the criticisms were unwarranted.

I showed them an episode of “What Would You Do?” where a Caucasian woman berates the Asian nail stylist at a nail salon. The woman and the stylist are both actors, as are the other workers in the salon. However, the other customers who aren’t actors, react in disgust to the aggressor’s words. They are quick to rebuke her and defend the stylist.

At the end, I gave out a comment card asking students what they thought of the issue before and after the lesson, with most students showing a positive change in mindset afterwards. Seeing how real people react in these situations and give their thoughts on it at the end gave them insight and perspective that they may miss from the “show, don’t tell” aspect of many films.

The host of the show, John Quinones often asks provocative questions. For instance:

John: “A homeless man is denied service at a restaurant. What would you do if it happened in front of you?”

Throughout the lesson, I ask my students, “What would you do?” This question is powerful in that it gets the students to put themselves in the situation that they are watching and makes them question themselves and their behaviors. Also, as a good practice exercise, I have students create their own kinds of social situations, help them to write them out in English, then have them read their social situations to their classmates and ask, “What would you do?”

Using unscripted television shows, like “What Would You Do?”, allows us to show the visceral interactions and reactions to students that they may never have imagined. I believe through these realities, we can guide our students in not only understanding others, but themselves as well.


2019年4月1日

投稿者:倉田 誠(京都外国語大学)
タイトル:「remindの補文情報≒TOEIC L&R Testの正答!」

remindという動詞を「~を思い出させる、~に気付かせる」という辞書的意味のみで済ませていませんか?本稿ではremind sb that…のthat補文 (=that節) の見逃しがちな機能を取り上げます。辞書には明示されていませんが、remindのthat補文には些細な情報ではなく既知でありながらも情報価値が高い内容が含まれます。そしてthat補文の高い情報価値の内容がTOEIC L&Rテストという短い文脈内では設問にされる場合が多いことを例証します。

下記の (1) の文は「6か月の滞納がある」という受け手にとって既知の情報であるが肝心な内容を再度伝え、滞納分を支払うことを促しています。(2) の映画からの文例はリッチモンド高校のガリソン校長のセリフです。カーターコーチは地区大会で優勝したバスケットボール部の選手たちの学業成績が酷いと練習停止という異例の措置を取り、批判が噴出します。キャンパスでの記者会見でコーチに喧しく質問することをやめない記者陣に対して、校長が「授業中なので、お帰りの際はお静かにお願いします」と伝えます。

(1) We would like to remind you that your payment is six months overdue.(お支払いが6か月遅れていることをお知らせいたします)『ジーニアス英和辞典第4版』
(2) Principal Garrison: Thank you for your time, ladies and gentlemen. I'd like to remind you that classes are in session, so as you leave campus, please do so quietly. (記者の皆さん、お忙しい中ありがとうございました。お分かりと思いますが授業中ですので、お帰りの際はお静かにお願いいたします。)<01:27:00>
『コーチ・カーター』(Coach Carter, 2005)(太字と下線は筆者)

ATEM会員の有志で作った「資格英語研究グループ」がTOEICの新形式テストの公式問題集5冊と旧形式テストの公式問題集6冊に掲載されている計11冊(22テスト)を調査した結果、45回のremindの生起を確認しました。つまり1テストあたり2回は出現する動詞であり、特にPart 3, 4, 7に頻出します。内容を精査すると、TOEIC L&Rテストでのリスニングやリーディング問題の字数の限られた談話文脈内でremind sb that…のパターンが使われると、補文内の情報が焦点化されます。TOEIC L&Rの問題作成者もそのような点を狙ってきます。(3) と (4) はPart 4のモノローグから抜き出した2例の当該文と正解の選択肢ですので、お手持ちの公式問題集でも詳細部分をご確認ください。

(3) We remind you that no photography is permitted during the play.(念のため申し上げますが、上演中は写真撮影は許可されておりません)(TOEICテスト新公式問題集Vol.6, Test2, Part 4:太字と下線は筆者)

モノローグの終盤に (3) の文が生起し、2つ目の設問に What does the speaker request that the listeners do? があります。下線部の情報を聞き取っていれば、難なく正解の選択肢の (B) Refrain from taking picturesを選べるという例です。

(4) And finally before we break up for today, I want to remind you that it's the end of the month, so your sales reports are due tomorrow.(最後に散会する前に、月末ですので売上報告書は明日が提出期限であることをお忘れなく)(公式TOEIC Listening & Reading問題集4, Test2, Part 4:太字と下線は筆者)

同様にモノローグの最後に (4) の文が生起しますが、3つ目の設問にお約束のようにWhat are the listeners reminded to do tomorrow?という設問があります。これも補文内の下線部の情報を理解できれば、Submit sales reportsという選択肢を簡単に選べます。

このようにTOEIC L&Rテストでremind sb that…という形式が出るとその補文の内容が問われるというパターンが頻発します。これ以外にもTOEIC L&Rテストには設問につながる情報の流れを理解する要素があります。リスニングではI’m calling because [about]…(お電話をしたのは~)の後の情報は話の中心になるので設問になる可能性が極めて高く、リーディングではPlease note that…(~にご注意ください)という表現の後の情報は要注意です。

これらの知見を前掲の研究グループが開発した、“An Amazing Approach to the TOEIC L&R Test”(成美堂)に満載しました。このテキストはTOEIC L&R テストのデータを活用して編んだものです。他にもTOEIC L & Rで頻発する談話標識を散りばめていますので、是非ご一読ください。


2019年3月1日

投稿者:松井夏津紀(京都外国語大学・非)
タイトル:新語mansplainingの用法から見える社会問題

女性の社会進出が進んでいる現代でも、日本を含め未だに男性中心社会の国が多く、女性を一括りにして男性より劣っていると考える風潮が残っているようです。先日、ある大手企業で働く友人(女性)が「mansplainingって知ってる?うちはmansplainingが蔓延してる職場。この単語、使わせてもらう!」と言ってきました。

mansplainingは最近、頻繁に使われている語ですので、ご存知の方も多いかと思いますが、portmanteau word(かばん語)、或いはblend(混成語)と呼ばれる複数の語の一部を組み合わせて作られた語(代表的なものではsmoke + fogからできたsmog )で、manとexplainからできています。mansplainingは「男性が相手の女性を見下して(無知であると決めつけて)上から目線で解説をすること」という名詞で、2008年からインターネット上で使用され始め、2018年にはThe Oxford English Dictionaryに動詞のmansplainが新語として載りました。

では、mansplainingが使われているコメディードラマのセリフを紹介したいと思います。

Erlich: There is a grotesque gender imbalance in the VC field right now. I can help you navigate the toxicity of this male culture which is encroaching on our feminist island. I mean, for instance, there's something called mansplaining? Have you heard about this?(ベンチャー・キャピタル(VC)の世界は男社会。俺は解毒剤になる。女の園を囲い込む男どもへのね。男の解説(マンスプレイニング)って言葉を知ってる?)
Monica: We know what mansplaining is.(知ってるわ)
Erlich: Mansplaining is when a man will condescendingly explain something to a woman that she already knows.(マンスプレイニングとは、女性が知ってる話を男が偉そうに説明すること)
Monica: …
Laurie: Mr. Bachman, we have work to do.(私たちは忙しいの)<00:02:54>
『シリコンバレー』(Silicon Valley, Season 4, Episode 7, 2017)

この会話は、男性のアーリックが投資会社経営陣のモニカとローリーに自分を雇うように交渉している場面のものです。アーリックは、この会社は女性が多いので自分が入社すると男社会と調和が取れるとモニカたちを説得しています。そこで、彼はmansplainingという語を取り上げて、女性に偉そうにする男性がまだ多いということを言おうとします。アーリックはmansplainingを知っているかとモニカたちに尋ねますが、「知ってるわ」と答えるモニカのことばを遮って、mansplainingについて解説を始めます。モニカもローリーも、アーリックがまさにmansplainingをしてくるのでうんざりします。この場面では、アーリックが女性たちに無意識にmansplainingをしてしまうところが笑いのポイントになっています。

また、別のコメディードラマ『ビッグバン★セオリー ギークなボクらの恋愛法則』(The Big Bang Theory, Season 12, Episode 5, 2018)では、学者のシェルドンが同じ大学に勤める学者の妻エイミーに対して次のような発言をする場面があります。

Sheldon: Oh, then perhaps you don't understand. See, mansplaining is when a man explains things to a woman like she’s stupid.”(ああ、君はわかってないんだね。mansplainingっていうのは男が女に対して、バカ相手に説明するみたいに物事を解説することなんだよ(筆者訳))

すでにmansplainingの意味を知っているエイミーは、シェルドンのmansplainingぶりに呆れてことばが出てきません。シェルドンもアーリックと同じように、自覚なしにmansplainingをしてしまっているのです。

上記の2つのセリフはわかりやすい形でmansplainingを皮肉って笑いにしている例ですが、mansplainingによる性差別の「被害者」は女性だけとは限りません。男性の場合、普段の何気ない発言に対して、相手の女性が「それはmansplainingです!」と訴えれば、たとえ「冤罪」であっても、性差別主義者のレッテルを貼られてしまうかもしれません。差別問題は根深く複雑ですので一言では語れませんが、mansplainingによる性差別の「加害者」とされる側も「被害者」とされる側も、mansplainingだと判断{した/された}発言に対して、なぜmansplainingとみな{せる/される}のか、客観的に観察する姿勢が必要ではないでしょうか。まずは「女だから無知なはずだ」とか「男だから女の私を無知だと思っているはずだ」というような主観的な固定観念にとらわれないように注意したいものですね。


2019年3月1日

投稿者:國友万裕(同志社大学・非)
タイトル:映画で学ぶ社会の変遷

筆者は、昨年、ある大学で『百万長者と結婚する方法』(1953)という映画を教材として使いました。マリリン・モンローの主演で、お金持ちの男を見つけて、玉の輿に乗ろうと思っている3人の女性を描くコメディの古典です。この映画が作られた当時は、女性は仕事をするよりも、お金持ちの男と結婚することが人生のゴールという考えが根強かったことを思わせる表現がたくさん出てきます。一つ例を挙げてみます。

Schatze: To be specific about it, nothing under six figures a year.(具体的にいうと、年収が10万ドルない人は問題外よ)<00:16:04>

figureという言葉は色々な意味がありますが、ここでは「数字」という意味で使われています。したがって、under six figuresで年収が6桁以下の人という意味になるのです。この映画の原題はHow to Marry a Millionaireで、ほぼ、原題を直訳した邦題がつけられたと言えます。

ところが、21世紀の映画を見ていると、原題とはまったく関係がないのに、How to(方法、やり方、仕方)のような日本題名が付いているものが多いことに気づきます。ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンの主演の『最高の人生の見つけ方』(2007)という映画をご存知でしょうか。この映画の原題は The Bucket Listで、末期癌の老人たちを描くコメディですが、bucket listとは、「死ぬまでにしたいことのリスト」という意味です。アメリカは余命宣告をはっきりしますから、余命が限られている人たちのなかにはbucket listを作っている人が実際に存在するのでしょう。

また、マイケル・ダグラスとダイアン・キートン主演の『最高の人生のつくり方』(2014)という映画もありました。この映画の原題はAnd So It Goesで、老年男女のラブストーリーです。and so it goesとは、「まあ、仕方がない」という意味です。筆者は以前、ある先生から「断念することは獲得することだ」という言葉を聞いたことがあるのですが、人間、歳をとってくると「仕方がない」と諦めることが多くなります。それは挫折というのではなく、自分の限界を知ること、人生を知ることであり、一つの成熟なのです。これと似た表現で、That’s life(それが人生というものさ)や、 Life goes on(辛いことがあっても、人生は続いていくんだよ)といった言葉を日常生活の中で時々耳にします。人生なんて絵に描いたようにうまくいくものじゃないから、頑張ろうと相手を励ます時に使うようです。

他にも『最高の人生の選び方』(The Open Road, 2009)、『最高の人生のはじめ方』(The Magic of Belle Isle, 2012)、『最高の家族の見つけかた』(The Hollars, 2016)など、How to系の邦題がつくアメリカ映画は、お年寄りを主人公にしているものが多いです。最初の『最高の人生の見つけ方』がヒットした影で、こういうタイトルのものが増えたのでしょうが、この背後には老齢化社会があります。「人生100年時代」とも言われる現代では、お年寄りがどう老後を過ごし、どう終活をしたらいいのかが深刻な社会問題となっています。本屋さんに行けば、同じようなタイトルのHow to本をたくさん見つけることができるはずです。老い方を模索している人は多いことが、「~の(し)方」というような映画の邦題に反映されているのではないでしょうか。

もっとも、21世紀になって20年近くが過ぎ、最近はHow to本よりも、教養書の方に人気が移ってきたという話も耳にします。政治、歴史、哲学、音楽、宗教など、幅広い教養を重視する世の中になり、それは多少、これからの邦題にも影響をもたらすかもしれません。


2019年2月1日

投稿者:衛藤圭一(京都外国語大学・非)
タイトル:特定の含みをもつ間接表現

かつて筆者は「間接的な言い方を好む日本人と違って、英語話者はストレートに自分の意見を述べる」と思い込んでいました。しかし、実は彼らも自分の意見をストレートに言わずに、聞き手に真意が伝わるよう間接的な言い方をすることが少なくありません。たとえば、次の例では、テーブルに腰をかけて話をする娼婦のヴィヴィアンに、そのテーブルで朝食を取っていた実業家のエドワードがこんなセリフを言っています。

(1) Edward: There are four other chairs here.(ここには、僕が座っている椅子以外に4脚もあるよ)<00:31:42>
『プリティ・ウーマン』(Pretty Woman, 1990)

表面上エドワードは「他にも椅子が4脚ある」ということを伝えていますが、このセリフを通してマナーに疎い彼女に伝えたいのは「不作法にテーブルに腰をかけてはだめだよ」という忠告です。

このように、英語話者も会話に含みを持たせることがありますが、以下では文脈に関係なく特定の含みをもつ間接表現を3つ紹介します。まずは下の (2) をご覧ください。

(2) Amos: Thought she could pull the wool over my eyes. Well, I wasn’t born yesterday. (俺の目を欺くことができると妻は思ったんだ。やれやれ、俺は昨日生まれたケツの青いガキじゃないんだぞ)<00:14:59>
『シカゴ』(Chicago, 2002)

アモスは「昨日生まれたのではない」というセリフを通して、「(これまで生きてきた経験から)俺の目は節穴じゃないぞ」という真意を伝えています。この表現は見くびってほしくないという気持ちを伝えるときに用いられます。
さて、次の例はいかがでしょうか。

(3) McClane: Who do you think you are, lady? Hilary Clinton?(何様だと思っているんだ、そこの女?ヒラリー・クリントンとでも思っているのか?)<01:12:28>
『ダイ・ハード 3』(Die Hard: With a Vengeance, 1995)

(3) では、クラクションを鳴らしながら車を追い越した女性に対して、マクレーンがやじを飛ばしています。彼のセリフは文字通りには「あなたは自分自身を誰だと思っているのか」という意味ですが、相手の傍若無人な振る舞いを批判する時に用いられます。また、(3) は疑問文として機能していないという点も特筆すべきですが、以下の例も疑問文でありながら相手に質問を投げかけているわけではないという点にご注目ください。

(4) Elliott: What are you waiting for? Let’s go!(何を待っているの?さっさと出発しようよ!)<01:36:41>
『E.T.』(E. T.: The Extra-Terrestrial, 1982)

(4) の文は文字通りには「何を待っているの」ですが、エリオットはグズグズしている兄にすぐに出発するよう促しています。このように、What are you waiting for? は相手の行動を促す時に用いられます。

これらの表現を覚えておくと、間接的に述べられていても相手の真意をすぐ把握できるようになりますので、ぜひご参考にしてください。


2019年1月1日

投稿者:小林 翠(小野学園女子中学・高等学校)
タイトル:進行形と相性の良い「比較級and 比較級」

英語には (1) のような「比較級 and 比較級」といった形式の表現があります。

(1) It is getting darker and darker.

(1) は暗さの度合いが次第に増えていくことを表し、「だんだん暗くなってきている」という意味になります。(1) の例のように、「比較級 and 比較級」は動詞の進行形と共に使われることが多いですが、このことは映画やドラマの台詞でも度々観察されます。

(2) Uncle Crenshow: The Little family’s getting bigger and bigger.(リトル家は増え続ける)< 00:17:24 >
『スチュアート・リトル』(Stuart Little, 1999)

(2) は、小さな白いねずみのスチュアートを養子として引き取ったリトル夫妻が、リトル家の親戚一同に彼を初お披露目するシーンです。リトル夫妻が新しくスチュアートを迎え入れることで、リトル家の規模がどんどん大きくなっていくことを意味しています。

 次の (3) はドラマ『フレンズ』(Friends, Season 1, Episode 17, 1995) で用いられた台詞です。

(3) Rachel: Every day, you are becoming more and more like your mother.(あなたはあなたのママに似てきてるわ)< 00:10:49 >

(3) は、レイチェルが友人のモニカとケンカをしているとき、モニカが自分の母親の嫌味なところを嫌っていることを知った上で、「だんだんお母さんに似てきている」という捨て台詞を嫌がらせで言ったセリフです。

進行形は、ある時点において動作や状態などが進行していることや、まだ継続中であることを意味するものです。そのため、「ますます~/どんどん~」という段階的な変化を表す「比較級 and 比較級」が進行形と共に使われることが多くなると考えられます。進行形と「比較級 and 比較級」は意味的に「相性が良い」のです。このように、「比較級 and 比較級」は進行形と相性が良いため、共に用いられる動詞が状態動詞でも進行形で使われることがあります。

次の (4) は映画『ムーラン・ルージュ』(Moulin Rouge, 2001) で用いられた台詞です。

(4) Satine: Every day I’m loving you more and more.(日々に高まるあなたへの愛。抑えられぬこの気持ち)< 01:48:31 >

(4) は、花形踊り子のサティーンが舞台上から曲に乗せて、作家であるクリスチャンに向けて思いを伝えるシーンで用いられています。本来、loveのような状態動詞は進行形になりません。しかし (4) は、loveが「比較級 and 比較級」と共に進行形で用いられ、日に日にあなたへの愛が高まっていくということを意味しています。

ほかにどのような動詞と一緒に使われるかなどに注目しつつ、映画で「比較級 and 比較級」の表現を探してみましょう。