ATEM 西日本支部事務局
大阪工業大学
井村誠研究室
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映画と英語(2006~)

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2018年12月1日

投稿者:田畑圭介(神戸親和女子大学)
タイトル:be willing toとbe ready to

近年の英和辞典では、各語の使い方に関する解説が充実しています。特に類似表現の使い分けの解説が非常に有用です。かつての英和辞典ではbe willing toという表現には「喜んで…する」という訳語が最初に掲載され、readyと同意語であると記されていました。しかしながら、現在の英和辞典ではbe willing toは、積極的に…しようとする強い意志は示さないと解説されています。

[be willing to do] <人が> …する意志[気]がある, …するのをいとわない(要望・必要性などに応えて行為を行うことを表し, readyほど強い積極性を示さない)
(ウィズダム英和辞典第4版)

話者がどれほど積極的なのかは、映像作品の実際の使用場面を確認することで明確に判断できます。be willing toが用いられている場面としてテレビドラマ『24』(24, 2001-2014)のワンシーンを取り上げてみます。ここでは、アメリカ合衆国の黒人大統領を目指しているDavidとその妻Sherry、また過去に殺人事件を犯してしまっている息子Keithが対話しています。

David: Listen to me.(よく聞きなさい)
Nobody’s defending what Keith did.(キースの行為をだれも擁護はしない)
He acted on the moment. It wasn't right.
(とっさのことだったが間違った行動だった)
That doesn't make you right for covering it up, or make me right for not being there.
(それをもみ消したお前(Sherry)も悪いし、そばにいなかった俺も悪い)
So we're all to blame.(だからみんなに非がある)
Keith: That's right, Mom. I’m willing to pay the price for this, even if it means going to jail.
(その通りだよ。僕は覚悟はできている。刑務所行きになってもいい。)
『24』(24, Season 1, Episode 19, 2001)

be willing toを用いているKeithは自身の過去が大統領を目指す父親にどれほどの迷惑をかけることになるか十分理解しています。そうした中でI’m willing to pay the price for thisと発言しており、「喜んで…する」状況ではありません。実際の映像では、大変重々しい空気が流れるシーンとなっています。「覚悟はできている」という日本語訳がKeithの心理を表すのに適切といえる場面です。

次にbe ready toの使用場面を見てみます。次のシーンは『デスパレートな妻たち』(Desperate housewives, 2004-2012)からのものです。上司Lynetteとその部下Stuとの対話です。映像では上司Lynetteに対して終始にこやかで積極的に受け答えしているStuの表情が印象的です。

Lynette: Hey, Stu. You busy?(ねえ、ステゥ。忙しい?)
Stu: Nah, just updating my blog.(いえ、ブログをアップしていただけです。)
Lynette: 'Cause I've got an important assignment for you.(実は大事な仕事を頼みたいの。)
Stu: Great! I'm ready to take on more responsibility around here.(やった!ここでもっと責任のある仕事をやりたかったんです)
Lynette: I applaud that.(すばらしいわ)<00:26:47>
『デスパレートな妻たち』(Desperate housewives, Season 2, Episode 8, 2005)

本映像ではStuのしぐさを通して、上司Lynetteへの積極的な応対姿勢が視聴者に伝わってきます。また本場面でのStuの表情の中にもbe ready toが表出する積極性が明確に表現されています。文字媒体ではなく、映像を通して英語表現を学習することで、各表現の本質的なニュアンスが感じ取れます。

be ready toと違い、be willing toはそれほど強い積極性は示さない表現であることがわかりましたが、willingはwillに-ingがついただけの表現だと考えると、willing =「…する意志がある」の語義が理解しやすくなります。


2018年12月1日

投稿者:蘒 寛美(京都産業大学)
タイトル:「いいですよ」のバリエーション

「いいですよ」という返答は、話し相手から依頼を受ける、許可を求められた際の合意の意思を示す、表現のひとつです。では、今回はそのバリエーションを見てみましょう。一般的に、英語でのその表現には以下のような英語表現が知られています。

You bet. / Okay. / Absolutely. / Definitely/ / Why not? / Be my guest. / Go ahead. / By all means. / Sure. / No problem. / Certainly. / It shouldn’t be a problem. / Not at all. / Yes, sir. / My pleasure.

映画の中での対話4例をあげます。映画の中には、 “Can I have your autograph?” “No, problem.”(「サインもらえますか」「いいですよ」)(『ティン・カップ』 (Tin Cup, 1996) ) のようにおなじみの “No, problem” という表現も出てきますが、他にも以下のような例が出てきます。

Eddie: Hey, fellas, can you give us a few minutes, please? (ねえ、みんな、少し時間くれないか?)
  Jordy: You bet. (いいよ)
  Eddie: Thanks. (ありがとう)<01:02:07>
  『15ミニッツ』(15 Minutes, 2001)

Man: Let me ask you something, John. (聞きたいことがあるんですが)
  John: Be my guest, Martin. (どうぞ、いいですよ)<00:10:08>
  『ビューティフル・マインド』(A Beautiful Mind, 2001)

Woman: Please, sir. Mind if I ask you a few questions? (2,3質問してもよろしいですか?)
  Steven: Not at all. (いいですよ)<00:52:21>
  『ダイヤルM』(A Perfect Murder, 1998)

Byron: May I have a word with you, please, William? I mean, Mr. President? (ウィリアム、少しお話ししてもいいですか?いや、大統領。)
  President: Certainly, Byron. (いいですよ、バイロン)<01:03:05>
  『ウォーカー』(Walker, 1987)

了解した場合の「いいですよ」には、日本語より多くのバリエーションがあります。例①は、「いいよ」「当然ですよ」「もちろん」などの意味があり、友人や近しい人に使えます。例②は、元々、お客になってください、という意味から生じて、「どうぞご自由に」という意味です。例③の “Not at all” は、否定の応答のように見えますが、依頼文に “mind” があり、「気にする」という意味ですので、気にしますか、と聞かれているのに対して、“yes” で返答すると、「はい、気にします」と断る意味になります。

また、こんなに多くの応答があるなかでも、丁寧さのレベルもあり、気をつけないといけません。
例① は、大変くだけた表現ですので、フォーマルな場面では避けたほうがよいですね。
一方、例④は、カジュアルな場面からフォーマルな場面まで使える表現です。大統領が使っているくらいですので、汎用性の高い表現です。はじめに列挙した例の “Certainly” .以降がフォーマルな場面で使えます。

お願い事をされたら、TPOを考えて使い分けるのがいいですね。


2018年11月1日

投稿者:角山照彦(広島国際大学)
タイトル:Poetic justiceを日本語に訳すと?-ドラマ『キャッスル』のセリフから-

英語には日本語に直訳しても意味がわかりづらい表現がありますが、poetic justice(詩的正義)もそうした表現の1つではないでしょうか。ジャネット・ジャクソンの主演映画やケンドリック・ラマーのヒット曲のタイトルにも使われていますが、いずれも『ポエティック・ジャスティス』とカタカナ表記のままであり、訳しづらい表現であることがわかります。今回は人気ドラマ『キャッスル/ミステリー作家のNY事件簿』(Castle, Season 2, Episode 3, 2009)のセリフを用いながらその意味を紹介したいと思います。

まず、poetic justiceの語源は、英国の歴史家トーマス・ライマーの著作The Tragedies of the Last Age(1678)に遡ります。善良な者は最後には救われ、邪悪な者は最後に罰を受けるよう演劇は描かれるべきだという主張の中で、彼はpoetic justiceという表現を用いました。そこから「文学作品、特に劇で、登場人物がその行為に基づいて受ける正当な因果応報の原理」という意味で使われるようになりました。

『キャッスル』では、主人公の作家キャッスルとベケット刑事がファッションモデルの殺人事件を解決した後、被害者のジェナに悪質な嫌がらせをしていたモデルのシエラとカメラマンのモンローについて、次のようなやり取りをします。

Castle: Well, what about Sierra? What about Wyatt Monroe? That doesn’t sound like justice.(じゃあ、シエラはどうなるのかい? それにワイアット・モンローは? 2人が罪を逃れるのは正義じゃないよ。)
Beckett: Well, I spoke with Teddy Farrow this morning. Now that he understands what those two did to Jenna, he’s gonna launch a very different kind of campaign. He’s gonna get them blackballed in the industry. No one will hire them again.(今朝テディ・ファロー(有名ファッションデザイナー)と話したわ。あの2人がジェナにしたことを知って、彼もまったく違う種類の運動を始めるらしく、2人を業界から追放するみたいよ。これでもう誰もあの2人を雇ったりしない。)
Castle: You mean poetic justice. Well, as a writer, I guess I can live with that.(つまり因果応報か。まあ、作家として、そういう結末なら受け入れられるかな。)<0:38:55>

DVDでは、吹き替え音声、日本語字幕共に「詩的正義」となっていますが、その意味が理解できるのはストーリーの助けがあってこそのように感じます。一般の視聴者には「因果応報」などのように訳した方がわかりやすいかもしれません。

因みに、冒頭に挙げた映画『ポエティック・ジャスティス/愛するということ』(Poetic Justice, 1993)では、主人公の名前がJusticeで、しかも詩人(poet)であるという設定ですから、タイトルには上記の意味以外にもさまざまな思いが込められていそうです。

そう考えると、翻訳とは本当に難しいものだと感じます。


2018年10月1日

投稿者:山内 圭(新見公立大学)
タイトル: 1本の映画も世界や人生を変えるのです!―映画『わたしはマララ』―

2014年に史上最年少でノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイ (Malala Yousafzai)さんを取り上げた映画『わたしはマララ』 (He Named Me Malala, 2015) を授業で使う上での利点をご紹介します。この映画は様々な点で学生に気づきを与えます。以下、具体的なセリフを挙げつつ、3つの点に分けてご紹介します。

①異文化理解
多くの学生にとってあまりなじみが深くないイスラム教の一端を知ることができる表現も出てきます。

Malala: Islam teaches us humanity, equality, forgiveness. (イスラム教は慈悲心や平等や寛容を説いている)<00:16:08>

Malala: But covering my face was something that made me feel like I was just hiding my identity, who I was. (でも私は顔を覆うと自分の本質を隠しているように感じる)<00:28:53>

②教育(のありがたさ、すばらしさ、そして自分たちが受けている教育)についてあらためて考える機会となる
この映画を教育系の学生に見せた時はもちろん、その他の専門の学生でも自分たちが教育を受けているというありがたみを再確認する機会となります。

Narrator: Education was a threat to them. Education gives you the power to question things. The power to challenge things. To be independent. (教育は彼らの脅威だ。教育は女性に疑問を抱かせ 挑戦する力を与え 自立させる)<00:55:26>

Malala: Put a lot of effort in your studies, okay. And when the teacher gives you homework, make sure do it on time, okay? (頑張って勉強を続けてね。宿題を出されたらすぐやるのよ)<00:56:04>

Malala’s father: Idream that one day I’ll go back and I will meet all my students, my people. That would be the greatest day, the happiest day of my life. (いつか故郷へ戻って教え子たちに会うのが夢だ。素晴らしい1日だろう。人生で1番幸せな日だ)<00:56:55>

Malala: It was school where I would see my friends every day. Where we would learn every day. It was school which was giving me hope which was building up my future. (毎日友達と顔を合わせた学校だ。毎日勉強した学校だ。学校で希望を与えられ将来の展望を描いた)<01:06:51>

③学生たちの人生へのアドバイス
私が最も重要視するのが、学生の人生へのアドバイスになる点です。この映画では、多くの学生たちと同世代である少女マララが語っているので、学生たちに与える影響は大きいと考えます。

Malala: It is so hard to get things done in this world. You try, and too often it doesn’t work. But you have to continue, and you never give up. (物事を全うするのは困難だ。努力してもなかなか成功しない。でも決して諦めずに続けていくことだ)<40:52>

Girl: Malala was a girl like us. She’s inspiring us. (同じ女の子として元気づけられる)<00:53:36>

Malala: There is a moment when you have to choose whether to be silent or to stand up. (人には決断する瞬間がある。沈黙を守るか声を上げるか)<01:07:40>

Malala: I chose this life. It was not forced on me. It was not told to me to live such kind of life. I chose this life and now I must continue it. (私が選んだ人生よ。この人生を歩むことを誰にも強制されていない。私が選んだ人生をこれからも歩んでいくわ)<01:22:46>

Malala: One child, one teacher, one book and one pen can change the world. (1人の子供、1人の教師、1冊の本、1本のペンが世界を変えるのです)<01:20:54>

ちなみに、最後に引用したマララの言葉はニューヨークの国連本部の書店の入り口横の壁に大きく書かれています。映画鑑賞後の学生たちの感想を読んでみても、教育のありがたみ、比較的平和な日本に生まれ育っていることへの感謝、男女の差や違いなど(この映画を見せているクラスは大抵女子学生の方が多い)、この映画がいろいろな意味で学生たちに影響を与えそうなことが予想できます。1本の映画が世界を、そして学生の考え方や人生を変える、これからもそんな映画を学生たちに紹介していきたいと思います。


2018年9月1日

投稿者: 深津 勇仁(学習院女子大学・非)
タイトル:『グラン・トリノ』に見る男らしさ

今回は、クリント・イーストウッド主演、監督作品で現代アメリカの諸問題を投影した 『グラン・トリノ』(Gran Torino, 2008)について男らしさの観点から見ていきます。

同作品は米国人としての誇りを胸に、フォードの自動車工として勤務したポーランド系アメリカ人の主人公コワルスキーと隣人のモン族のタオとスーの触れ合いを描いた作品です。

作品で、コワルスキーは庭仕事ばかりしているタオを男らしく見せるため様々な工夫を凝らします。彼の男らしさの定義では、1.仕事に就く、2.彼女を作る、3.車に乗る、の三点が必須条件です。以下は、コワルスキーがタオに建設業の現場責任者を紹介するにあたって、男らしい振る舞いをレクチャーするシーンです。

Kowalski: Course, I have to make a little adjustment and man you up a little bit.(もちろん少し調整を加えて男らしくしなきゃな)
Thao: Man me up?(僕を男らしく?)
Kowalski: Yeah. (そうだ) <01:12:45>

このman は名詞ではなく動詞で一般的な日本の学校英語ではあまり見なれない使い方ではありますが、男に磨きをかけるという意味で使われます。床屋でもタオの男磨きは続きます。

Kowalski: Yeah, just come in and say: “Sir, I’d like a haircut, if you have time.”(そうだ、入ってきてこう言え、もしお時間があれば散髪をお願いできないでしょうか、とな)
Barber: Yeah, be polite, but don’t kiss ass.(そうだ、丁寧に、だが媚びは売るなよ)
Kowalski: In fact you could talk about a construction job you just came from and bitch about your girlfriend and your car.(実際、いま終わったばかりの建設作業員の仕事や彼女の愚痴や、車について話せばいいんだ)<01:14:46>

このシーンでは、real man つまり「真の男」になるためのロールプレイが床屋と馴染み客のコワルスキー、そしてタオとの間で繰り広げられます。コワルスキーは、床屋での会話は仕事、彼女、車の話などをするとよいとタオに助言を与えます。次は、コワルスキーが顔なじみの建設関係の責任者にタオを紹介する場面を見ていきます。

Construction manager: You Speak English?(英語は話すのか?)
Thao: Yes, sir.(はい、もちろんです)
Manager: Were you born here?(アメリカ生まれか?)
Thao: You bet… (そうです)
Thao: Thanks, Mr. Kennedy.(ありがとうございます。ケネディさん)
Manager: It’s Tim. And what’s your name again?(ティムだ、名前をなんていった っけ?)<01:18:08>

このシーンでは、コワルスキーはタオに面接前のアドバイスとして、しっかりと目を見て、力強く握手することを伝えています。またこの場面で、タオは床屋で習得したポライトネスを踏まえた表現を使用しています。敬称であるSirを返事のあとにつけ、名字の前にMr.をつけることも忘れていません。コワルスキーの的確なアドバイスもあって、タオの顔つきや振る舞いが変わっていきます。次に、タオがユアをデートに誘ったことを告げたシーンの台詞を見てみましょう。

Sue: They’re taking the bus.(バスを利用するそうよ)
Kowalski: No, you can’t take the bus….(やめとけ、バスなんか)
Thao: You’d let me take the Gran Torino?(グラントリノを使わせてくれるのか)
Kowalski: Yeah, I’d let you take the Gran Torino.(そうだ、私のグラントリノを貸すよ)
<01:25:56>

この台詞からもわかるように、コワルスキーの価値観によると女性とのデートではバスよりも車を使用することが常識であるため、愛車をタオに貸すことまで申し出ます。このように同作品では、米国人の男らしさは立ち居振る舞いや話し方だけでなく、車や仕事、彼女の有無が重要であることが示唆されています。


2018年9月1日

投稿者:野中泉(東邦大学)
タイトル:『マイ・インターン』に見る間投詞の発音

今回は、『マイ・インターン』(The Intern, 2015) に見る間投詞の発音について二つ取り上げます。アン・ハサウェイがニューヨークのファッションサイトの社長・ジュールズを演じ、彼女の下にシニア・インターンとしてロバート・デ・ニーロ演じるベンが雇われます。怪演で鳴らしてきたデ・ニーロですが、この映画では定年後に慣れない業界で働く70歳の実直な紳士(ベン)をコミカルに演じています。

一つ目に紹介するpsstは、ベンの若い同僚であるジェイソンが、自分の思いを寄せる女性とベンが話しているのを見て、ベンの注意をひそかに引くために言った間投詞です。

Jason: Psst! Say something about me to her.(ちょっと!彼女に僕のことを話して)
Ben: (口だけ動かして:No, you have to do it.) (いいや、自分でやれ)<00:26:20>
『マイ・インターン』(The Intern, 2015)

psstは発音記号/ps(t)/からも分かるように、子音だけで成り立つ単語なので、母音をつけ加えないように発音することがポイントです。/p/は両唇音ですから、しっかり上下の唇を閉鎖して息をせき止め、すぐにその息を爆発的に吐き出しながら摩擦音/s/を作ります。最後の/t/は舌先を歯茎につけて吐く息をせき止めるだけにとどめ、/t/の発音をせずに終わらせます。psstは相手の注意をひそかに引くための間投詞です。目立たせずに、しかし確実に響かせるために、息を鋭く吐き出して高周波の/s/の音を作らなければなりません。ただの/s/だけでも良さそうですが、語頭で/p/の口構えをすることで、上下の唇で息がせき止められて口内の圧が高まります。その勢いで息を一気に解放させ鋭い摩擦音/s/が作られるので、/p/は必要なのです。さらに/t/が息のストッパーになってパタッと発音を終わらせることで、さらにインパクトのある音に仕上がります。

この強烈な息の音を確かめられる映画が他にもあります。『34丁目の奇跡』 (Miracle on 34th Street, 1994) では、デパートに現れたサンタクロースが、勝手に子どもにクリスマスプレゼントを安請け合いしそうになり、母親がサンタクロースを制するためにpsstを使う場面があります。

Mother: Psst! No. Psst! Can Mother have a word with Santa, please? (ちょっと!だめ。ちょっと!ママもサンタとお話しできますか)<00:18:55>

二つ目に紹介する間投詞は、急成長したジュールズの会社に外部からCEOを迎えるべきだと部下から進言され、不本意ながらもCEO候補者であるタウンゼントと面会した直後に、ジュールズがベンに言ったduhという語です。

Jules: You know if, uh, we disagree, he's the tiebreaker?(もしね、私とタウンゼントの間で意見の衝突があれば、決定を下すのは彼よね?)
Ben: Of course. He's the CEO.(そうですよ。彼がCEOですから)
Jules: Yeah. Duh.(そうよね。当たり前よね)<01:44:19>
『マイ・インターン』(The Intern, 2015)  

duhはわかりきったことを言われた場合などに使われる表現で、発音は/də/です。この場合、タウンゼントがCEOになれば、会社の経営に関する決定権が彼に移るのは当たり前だ、という意味でduhを使っています。/də:/と母音を長めに発音したり、イントネーションを変えたりすると、皮肉が込められることがあります。その良い例を『ミーン・ガールズ』 (Mean Girls, 2004) で聞くことができます。

Karen: I’m a mouse. Duh! <00:25:35>
『ミーン・ガールズ』 (Mean Girls, 2004)

ハロウィンでネズミの仮装をした女子高生のカレンが、友達から何の仮装のつもりかを尋ねられた時に、ネズミのつけ耳を指差して「見ればわかるでしょ!」の意味で放つ Duh! は、相手を小バカにしたようなイントネーションです。ぜひ映画を見て確認してみてください。


2018年8月3日

タイトル:「暑さ」を表す英語表現あれこれ
投稿者:山本五郎(法政大学)

この夏は記録的な猛暑です。観測史上最高となる摂氏41.1度を埼玉県熊谷市で記録し、その暑さは連日ニュースでも取り上げられています。暑さのせいで仕事や勉強に集中できない方も多いのではないでしょうか。

さて、この「猛暑」は英語でどのように表現するのでしょう。気象に関するニュースや新聞の見出しでは、heatwave(熱波)が目につきますが、会話などでよく用いられる他の表現をいくつか見てみましょう。

「暑い」はhotですから、「暑い日」はa hot dayです。「猛暑日」であれば、このhotに意味を強める単語を加えることで表すことができます。意味を強める英単語と言えば「とても」を表すveryや「本当に」を表すreallyが一般的ですから、a very hot dayやa really hot dayがまず思いつくでしょう。実際これらは「すごく暑い日」と言いたい時に最もよく用いられる表現です。暑さをさらに強調したいのであれば、「非常に、きわめて」を意味するextremelyを加えたan extremely hot dayという言い方で、尋常ではない暑い日を表すことができます。また、次の (1) のセリフのように、“It’s extremely hot!”(ものすごく暑いね)のような形で、「猛暑日」に限らずひどい暑さを表現することもよくあります。

(1) Alicia: It's extremely hot in here with the windows closed and extremely noisy with them open.(ここは窓を閉めているとものすごく暑くて、開けているとひどくうるさい)<00:31:28>
『ビューティフル・マインド』 (A Beautiful Mind, 2001)

また、extremelyの代わりに「沸騰している」を意味するboilingを加えてboiling hotとすれば、うだるような暑さを表現することができます。このboiling hotは、温度の高さだけではなく、(2) に見られるように期待の高さなどを表す場合にも用いられる面白い表現です。

(2) Quince: Two, possibly three, new and boiling hot prospects for merger. (2つか、ひょっとしたら3つ、新たな非常に有望な合併先がある)<01:28:58>
『ジョー・ブラックをよろしく』 (Meet Joe Black, 1998)

また、scorcherという「暑い日」そのものを表す便利な単語もあります。動詞のscorchは、「焦がす」という意味ですから、体や地面が焦げるような暑さを表して、What a scorcher today! 「今日はなんて暑い日だ」と言うことができます。上で述べたa hot dayの強調表現として、a scorching hot dayと言えば、じりじりと焼けるような暑い日を表すことができます。ギラギラした強い日差しを連想させますね。次の (3) では、砂漠の厳しい暑さを描写する際にscorchingが用いられています。

(3) Narration: One by one, they slowly perished under the scorching sun. ( 一人そしてまた一人と、彼らは焼けつく太陽の下で倒れた)<00:02:41>
『ハムナプトラ2 / 黄金のピラミッド』 (The Mummy Returns, 2001)

他に「暑い日」を表す単語としては、sizzlerがあります。こちらは名詞として用いるよりも形容詞のsizzling「とても暑い(熱い)」を使ってa sizzling summer(とても暑い夏)などの表現で使われることが多いようです。
まだまだ暑い日は続きますが、映画やTVドラマでリフレッシュしてa long hot dayを乗り切りましょう!


2018年8月1日

2つの語形を持つ動詞や形容詞
飯田泰弘(岐阜大学)

英語の単語には、同じ語源から複数の語形や意味が作られるケースがあります。今回はそのような語形の変化パターンを、動詞と形容詞でみてみましょう。

まず動詞の場合は、shineやhangがその例です。たとえば、中学・高等学校の英語教材によく載っている「不規則動詞変化表」では、shine「輝く」やhang「~を掛ける」の変化が、それぞれshine-shone-shone、hang-hung-hungと示されています。もちろん不規則変化の活用はこれで正しいのですが、忘れてはならないのは、shinedやhangedという規則変化の形も存在しているという点です。

shineの場合、「輝く」という自動詞用法の過去形や過去分詞形はshoneですが、「(靴など)を磨く」という他動詞用法の場合はshinedとなります。またhangの場合は、同じ他動詞用法でも意味による差が出て、「~を掛ける」という意味ではhungになりますが、「~を絞首刑にかける」という場合の語形はhangedです。たしかに日常生活では、両単語ともに前者の用法のほうが使用頻度は高そうです。しかし、shineやhangは「常に」不規則変化をする動詞だと覚えてしまうのは危険です。そうでないと次のような映画のセリフを理解できなくなってしまいます。

(1) Dickham: You’re a shined-up wooden nickel, Mr. Palmer. (君はメッキ塗装の偽物だよ、パルマー君)<01:27:33>
『ザ・ジャッジ 裁かれる判事』(The Judge, 2014)

(2) Narrator: The Iranian people took to the streets outside the U.S. embassy demanding that the shah be returned, tried, hanged.(イラン国民は米国大使館に押し寄せ、指導者を引き渡すこと、裁判にかけ、絞首刑にすることを要求した) <00:02:29>
『アルゴ』(Argo, 2012)

(1) では、「~を磨く」のshineの受身形としてshined-up「磨き上げられた」が出ており、(2) では「~を絞首刑にする」という意味でhangedが使われているのが分かります。

同様に、このようなケースは形容詞でも見られます。たとえば、名詞beautyを形容詞にするには、多くの人が接尾辞の-fulを付けたbeautifulを思い浮かべると思います。しかし実際には、接尾辞-ousをつけたbeauteousという形容詞もあり、beautifulが唯一の形容詞の形とは言えません。この2種類の形容詞を比べると、一般的にはやはりbeautifulのほうが使用頻度が高いようです。一方beauteousは、今では古語や雅語として扱われ、beautifulでは表しえないほどの魅惑的な美しさを際立たせたり、印象づけたりする場合に使用されるようです(参照:『英語接辞の魅力』西川盛雄、2013)。

この差は辞書の訳にもしばしば見られ、『ウィズダム英和辞典』では、beautifulが「美しい」、beauteousが「うるわしい」という訳があてられています。この日本語訳の区別からも、両者の微妙なニュアンスの差が感じられると思います。

実例としては、映画にもbeauteousが登場する次のようなシーンがあります。ここでは登場人物たちが、小説に登場する18世紀頃のイギリス人のマネをして会話をしているため、あえて少し古めかしく、堅い表現であるbeauteousを使っているものと予測できます。

(3) Heartwright: My, Miss Charming, what beauteous skin you possess.(チャーミング嬢、なんて美しいお肌をしていらっしゃるの)<00:29:54>
『オースティンランド 恋するテーマパーク』(Austenland, 2013)

このように、「より使用頻度が高い」などの理由から、片方の語形だけが学校で導入されたり、その結果、もう片方が単語帳のみでしか見ない語になってしまったりすることがあります。しかしながら、やはり複数の語形がある場合は、使用法を誤らないためにもそれぞれの語形に対する正確な理解が必要です。加えて、(3) のbeauteousのような映画のセリフにおいては、なぜあえてより日常的な語(ここではbeautiful)を使わなかったのかなど、話者の意図を読みとってみても面白いかもしれません。


2018年7月1日

投稿者:松田早恵(摂南大学)
タイトル:あなたのpreceptは何ですか?~『ワンダー君は太陽』で考える処世訓~

2018年6月現在劇場公開中の『ワンダー君は太陽』(Wonder, 2017)は、R. J. Palacioが著した児童文学Wonder(2012)を基にしています。主人公のオギーは、顔部がひどく変形した状態で生まれ、何度も手術入院を繰り返しました。そのため学校には通えず、母親からホームスクーリングを受けて育ったのですが、10歳のときにミドルスクール5年生に編入することになります。初めて通う学校で、文字通り特別(extraordinary)な存在となったオギーは、いじめ、友情、裏切りなどを体験するのですが、そこに英語を教える教員として関わるブラウン先生が非常に影響力の大きい存在として描かれています。子どもたちと初めて出会った日に、ブラウン先生はpreceptとは何なのかを以下のように説明します。

Mr. Browne: Precepts are rules for really important things. Like mottos. Or like famous quotes. Or like lines from a fortune cookie... Precepts can help motivate us. They can help guide us when we have to make decisions about really important things.(preceptsとは、とても大切なことのルールです。モットーや格言みたいな。あるいは、フォーチュンクッキーに入っている一節のような。preceptsは、我々をやる気にさせてくれたり、大事なことで決断を迫られたときに導いてくれたりします。)

そして、最初の「今月のprecept」として “When given the choice between being right or being kind, choose kind.”(正しくあることと親切であることの選択肢があるなら、親切であることを選びなさい)を紹介します。ブラウン先生は毎月異なるpreceptを提示し、生徒たちに「大事なこと」を考えるきっかけを与えます。映画はブラウン先生の「最後のprecept」で終わりますが、原作では最後の授業でブラウン先生は次のように言います。

It’s been a great year and you’ve been a wonderful group of students. If you remember, please send me a postcard this summer with YOUR personal precept…(p.288)(素晴らしい1年でした。あなたたちも素晴らしい生徒でした。もし覚えていたら、この夏、あなたたち自身が考えたpreceptを葉書に書いて送ってください。)

オギーと仲間たちは最終的にどのようなpreceptを送ったのでしょうか。そちらは本でご確認ください。

R. J. Palacioは、関連本として365 Days of Wonder: Mr. Browne’s Precepts(2014)やAuggie & Me(2015)も書いています。前者は有名人や生徒たちのpreceptsを1年分集めたものです。6月のpreceptsの中で個人的に好きなものを3つ挙げてみます。

June 2
Ignorance is not saying, I don’t know. Ignorance is saying, I don’t want to know. ―Unknown
(無知とは、知らないと言うことではなく、知りたくないと言うことだ。―作者不明)
June 8
The only person you are destined to become is the person you decide to be. ―Ralph Waldo Emerson(あなたがなるべき運命にある人というのは、あなたがなると決めた人だ。―ラルフ・ウォルドー・エマソン)
June 26
Life is not colorful. Life is coloring.―Paco(人生は色彩豊かなものではなく、色付けしていくものだ。―パコ)

皆さんの個人的なpreceptは何ですか?


2018年7月1日

投稿者:福井美奈子(京都産業大学)
タイトル:Ladies and Gentlemenは何処へ?

ニューヨーク州立都市交通局(MTA)は、2017年11月3日、Political correctnessを意識した措置として、車内放送などにおけるジェンダーに配慮した表現を使用することを職員に指令しました。これにより、今後はLadies and Gentlemenの表現を廃止するそうです。

ちなみに、ジェンダーフリーが意識されている一つの例として、TOEIC Listening & Reading Testが挙げられます。TOEICにおいては、Ladies and Gentlemenは2007年発売のTOEICテスト新公式問題集<Vol.2>に2度出現したのを最後に、以後一貫して公式問題集での出現はありません。

今回のMTAの措置については賛否両論あるようですが、Ladies and Gentlemen廃止の流れは、他の分野にも広まっていくのでしょうか。

映画ファンであれば、毎年誰もが「オスカーは誰の手に?」とワクワクすることでしょう。また、アカデミー賞授賞式のホストが誰であり、授賞式が始まるとともに登場するホストがどんなオープニングトークをするのかも注目すべき点です。というのも、このトークは、ホストのエンターテイナーとしての実力を示すとともに、その時々のアメリカの情勢や世論の反映を意識したものであるからです。そこで、この世界中が注目するアカデミー賞のオープニングでは、どのような呼びかけ表現が使用されているのかを調べてみました。

1989年から2012年の間にアカデミー賞授賞式を9回も務めたBilly Crystalは、1998年と2004年の授賞式で、下記のように発言しています。

1. Ah, what a night, ladies and gentlemen, best actor category is unbelievable(ああ、なんて夜なんだ、皆さん。主演男優賞候補はすごいメンバーだ)(YouTube: Billy Crystal Oscars Opening -- 1998 Academy Awards, 2011)
2. Good evening, everybody. (YouTube: Billy Crystal's Opening Monologue: 2004 Oscars,2011)
3. So, let’s get going, gentlemen. (YouTube: Billy Crystal's Opening Monologue: 2004 Oscars,2011)

 Billy Crystalは、ノミネートされた女優や男優を前に、1998年にはladies and gentlemenと呼び掛けているにも関わらず、2004年にはジェンダーフリーなeverybodyと呼びかけています。しかし、興味深いことに同じ相手に向かって約20秒後にはgentlemenと呼びかけており、揺れがあることがわかります。

今年度のアカデミー賞授賞式のホストであるJimmy Kimmelのトークでは呼びかけ表現が確認できませんでしたが、昨年度もホストを務めた彼のトークでは、どうでしょうか。

4. Congratulations, everyone, who’s nominated tonight(今夜ノミネートされた皆さん、おめでとうございます)(YouTube: Jimmy Kimmel’s Oscars Monologue, 2017)

同じくノミネートされた女優や男優を前に、呼びかけ表現にはeveryoneが使用されていました。このようなジェンダーフリー表現の使用が来年以降も続くのか、あるいはホストが代われば呼びかけ表現も変わるのか、今後も注目してみたいと思います。


2018年6月1日

投稿者:藤倉なおこ(京都外国語大学)
タイトル:“its own beauty” それぞれの美しさ

映画の舞台は緑が美しいイギリスの小さな町ヨークシャーです。町の婦人会のメンバーであるアニーは夫、ジョンを白血病で亡くしました。婦人会はジョンの想い出にと病院にソファを贈る計画をします。その資金集めのために彼女たちは、なんと前代未聞の自分たちの写真を使った中高年女性のヌード・カレンダーを婦人会で販売します。ヘレン・ミレン、セリア・イムリー、ジュリー・ウォルターズなどイギリスを代表する実力派女優が出演する映画、『カレンダー・ガールズ』(Calendar Girls, 2003)は、実話をもとにしています。実際のカレンダーは30万部を売り上げ、白血病研究のために多額の寄付がなされました。

ところで、なぜ中高年女性のヌード・カレンダーはセンセーショナルだと見なされるのでしょうか?それは若さにしか価値がない、若い姿しか美しくないのだとメディアなどにすり込まれた影響が大きいのではないでしょうか。テレビや雑誌などのあらゆるところにシワ、シミ、白髪を隠すための商品の広告があり、そのための方法はつねにどこかで取り上げられています。メディアは、いかに中高年の姿がみにくいものなのかを繰り返します。しかしそれでも年を重ねてシワが刻まれた表情がなんとも美しいと思ったことはありませんか?

亡くなったジョンが婦人会で行うはずだったスピーチ原稿にこのような一節がありました。

Chris: The flowers of Yorkshire are like the women of Yorkshire, every stage of their growth has its own beauty, but the last phase is always the most glorious, then very quickly they all go to seed.
(ヨークシャーの花はヨークシャーの女性に似ている。成長のそれぞれのステージにそれぞれの美しさがある。しかしなんと言っても最後に絢爛に咲き誇る。そしてその後はあっという間に枯れるのだ。) 〈00:19:00〉

人は生まれて子どもから青年、中年、高齢へと人生それぞれのステージが美しく、価値がある、しかも散りぎわが一番美しいとするこの言葉は深く心に響きます。寿命が延びて多くの人が「高齢者」になるまで生きる現代、知識、経験を蓄積した人生のこの時期に外見、内面にいろいろな意味で価値を見いだせないことは、自分にとっても不幸が待ち構えていると言うことです。年齢だけでなくお互いの特性を “its own beauty” (それぞれの美しさ)として尊重できる社会になればもっと幸せになれるのではないでしょうか。


2018年6月1日

投稿者:北本晃治(帝塚山大学)
タイトル:宗教的語りと科学的語り
 
ギャラップ社の行っている世論調査では、例年大多数のアメリカ人が神の存在を信じると回答しています。アメリカは、仮説の検討と証明に基づく科学技術の最先端をいく国ですが、各自の信仰においては、神の存在は科学的に証明されるものではなく、それを信じることが求められます。それでは彼らは、神の存在から始まる壮大な物語としての聖書の「宗教的語り」と、論理的、客観的分析を基にした「科学的語り」との間に、どのような折り合いをつけているのでしょうか。この点を考える上で大変示唆に富む映画として、『コンタクト』(Contact, 1997)があります。以下は、宇宙の知的生命体に関する気鋭の科学研究者、エリーと、彼女が強い好意を寄せている男性、パーマーとの会話です。パーマーは神を感じる絶対的体験をきっかけとして神学者となり、現在ではホワイトハウス(大統領)のスピリチュアルカウンセラーを務めるまでになっています。エリーはそんな彼の人となりには大きく魅かれてはいるものの、科学的思考が絶対の無神論者として、論戦を挑みます。

Ellie: I got one for you. “Occam's Razor.” Ever heard of it?(ひとついい?「オッカムのかみそり」って、聞いたことある?)
Palmer: “Occam's Razor.” Sounds like some slasher movie.(「オッカムのかみそり」、ホラー映画みたいだな)
Ellie: No, “Occam's Razor” is a basic scientific principle. It says all things being equal, the simplest explanation tends to be right one.(いいえ、「オッカムのかみそり」は基本的な科学の原理よ。それは、もしすべての事柄が同じなら、最もシンプルな説明が正しいとするものよ)
Palmer: Makes sense to me.(分かるよ)
Ellie: So what's more likely? An all-powerful, mysterious God created the universe then decided not to give any proof of His existence? Or that He doesn't exist at all and that we created Him, so we wouldn't feel so small and alone.(それじゃ、どちらがより妥当かな?全能の神秘的な神が宇宙を創造し、自分自身が存在するという証明はしないと決めたこと、あるいは、神は全く存在せず、私たち人間が自分たちがちっぽけで孤独な存在だと感じないように、神を創り出したということ)
Palmer: I don't know. I couldn't imagine living in a world where God didn't exist. I wouldn't want to.(分からない。でも、神の存在しない世界に暮らすことは想像できないし、そんなことはしたくもないな)
Ellie: How do you know you're not deluding yourself? I mean, for me I'd need proof.(あなたが自分自身を欺いていないって、どうやって分かるの。つまり、私には証明が必要よ)
Palmer: Proof? Did you love your father? Your dad, did you love him?(証明?お父さんのこと、愛していたかい?君のお父さん、彼を愛していた?)
Ellie: Yes. Very much.(ええ、勿論とても愛していたわ)
Palmer: Prove it.(それを証明してくれ)〈01:13:47〉

ここで、エリーは、全ての現象が同じなら、その説明はよりシンプルな方が正しいとする「オッカムのかみそり」という概念を持ち出します。「世界が存在する原因はそれ自身の存在を証明できない神なのか、それとも、それは人間の弱さゆえの幻想なのか?」この問いに対して、パーマーは、「分からない、でも、神のいない世界で暮らすことは想像できないし、したくもない」と答えます。前述のように、科学者で無神論者のエリーは、さらに「神が幻想でないとどうしていいきれるのか」と畳み掛け、その証明を求めます。ここで、パーマーは、「すでに亡くなってしまったあなたの最愛の父を、あなたが本当に愛していたという自明性を証明しろ」と言う意味をこめた発言“Prove it”で見事に切り返し、人間の根源を支える愛は(神と同様に)、存在証明という問題を超えた絶対的本質であることを暗に示します。この「科学的語り」“Prove it”を逆手に取った反駁には、エリーも言葉を継ぐことができませんでした。

この映画の中で、パーマーの言葉と物腰には一貫して、「神の存在そのものが愛であり、それは科学的には証明不可能であっても、私達の全身に満ちている。大切なことはそれに気づくことである。」というメッセージが込められているように感じられます。「科学的語り」の本質が考えることだとすれば、「宗教的語り」の本質は感じとることのようです。両者は時に鋭く対立しながらも、アメリカ人のアイデンティティのコアを形成する大きな動因になっていると考えられます。『コンタクト』は、これらの語りの矛盾とそれを突き抜けていく衝撃と感動を、エリーと一緒に追体験することのできる、大変貴重な映画だと思います。


2018年5月6日

投稿者:ルッケル瀬本 阿矢(京都大学)
タイトル:アメリカのママ友事情


子供を持つ女性の皆さん、「ママ友」と仲良くできていますか。特に、仕事をしている女性にとっては、仲の良い「ママ友」は子育ての上で大変心強い存在ですが、子供を持つ女性の中には、仕事と育児を両立する女性を批判する人もいるようです。それは世界共通のようで、例えばアメリカ映画にも、理解のない「ママ友」に悩む働く女性がよく描かれます。

例えば、『マイ・インターン』 (The Intern, 2015) では、会社の社長をしている主人公ジュールズが、専業主婦のママ友であるジェーンとエミリーに嫌味を言われている場面が描かれています。アメリカでは、ランチ会に持参する料理が手料理か出来合いの料理かできちんと「母親」をしているかいないかが評価されるようで、映画では保育園に持参する手料理についてよく描かれます。

Jane: “We’re doing a fiesta lunch next Friday, and we thought you could bring the guacamole. Uh, you probably won’t have time to make it, so you can buy it. Which is fine. Enough for 18.”(金曜日のランチ会、ワカモーレ持ってきてね。作る暇ないだろうから市販のでいいわ。18人分ね。)
Jules: “No, I can make it. It’s not a problem.”(作るわ。大丈夫)
Emily: “Great. Matt can bring it.”(よかった。マット[ジュールズの夫]に持たせて)
Jules: “Totally.”(そうね)<00:44:45>
『マイ・インターン』 (The Intern, 2015)

その後、車に戻ったジュールズは以下のように独り言を言います。

Jules: “It’s 2015. Are we really still critical of working moms? Seriously? Still?” (2015年だっていうのにまだ働くママを批判?)<00:45:42>
『マイ・インターン』 (The Intern, 2015)

ジュールズは、他の主婦たちから「どうせ仕事を優先して、料理なんかしないだろうから、買ってきたらいいわよ」と言われたように感じ、憤慨するのです。

ランチ会に持参する料理に関する悩みは、コメディ映画『ケイト・レディが完璧(パーフェクト)な理由(ワケ)』(I Don't Know How She Does It, 2011)にも描かれています。本映画の冒頭に、投資会社で働いている主人公ケイトが、幼稚園のバザーに持っていくお菓子を作れなかったため、出来合いのパイを潰して手作り風に細工をしている場面があります。他の母親に否定的な態度を取られ、子供が恥ずかしい思いをしないようにしたいという思いのもと、主人公のケイトが次のような発言をするシーンがあります。

Kate: Well, you know, I just... I just want Emily to feel proud of what she brings to the bake sale. I don't want her to feel different from the other kids because her mother has to travel for work, you know?(エミリー [主人公の娘]にはみんなに持たせても恥ずかしくないものを持たせたいの。母親が出張で忙しいからって子供に惨めな思いだけはさせたくない。)<00:01:02>
『ケイト・レディが完璧(パーフェクト)な理由(ワケ)』(I Don't Know How She Does It, 2011)

家族のために働く母親によって子供が惨めな思いをするのは本末転倒です。女性の社会進出が進んでいるアメリカでさえこの問題が存在することを考えると、なかなか簡単に解決できる問題ではなさそうですが、女性が活躍できるより良い社会を形成するためには、環境の異なる女性同士がいがみ合うのではなく、お互いが理解し合うこと、そして助け合うことが重要な鍵となりそうです。


2018年5月1日

タイトル:映画で学ぶ地球科学
投稿者:井村誠(大阪工業大学)

77万年以上前にはコンパスが南の方角を指していたなんて信じられますか?実はこの地磁気の反転(geomagnetic reversal)という現象は、45億年前の地球誕生以来、何百回も繰り返されてきたそうです。

地球の中心部は固体状の内核と液状の外核から成っており、外核では高温で溶けた金属が対流していて、これが地磁気を生じさせると考えられています。方位磁石のN極が北を指すのは、地球自体がいまは北極をS極、南極をN極とする巨大な磁石になっているからです。なぜ地磁気の反転が起こるのかよくわかっていませんが、核内部の対流の変化と関係があるのかもしれません。

もしも、いま地磁気が反転したらどうなるでしょうか?その「もしも」の世界を描いたSF映画が「ザ・コア」(The Core, 2003)です。ある日世界中で方向感覚を失った鳥の群れの異常行動や、電子機器の誤作動などが発生し、調査を依頼されたシカゴ大学のキース博士らは、地球内部の核の回転が止まって地磁気を不安定にしていることを突き止めます。

以下は、この異変についてキース博士が国防総省の幹部を前に説明をする場面です。

<00:23:49 – 00:24:14>
Dr. Keyes: Everybody on Earth is dead in a year. Let me explain why. Wrapped around the Earth is an invisible field of energy. It's made up of electricity and magnetism, so it's called, creatively enough, the Electromagnetic Field. It's where we get our magnetic North Pole and South Pole. It protects us from cosmic radiation. So this EM Field is our friend.(1年以内に人類は滅亡します。説明します。地球は目に見えないエネルギー場に包まれています。それは電気と磁気からできています。なのでそれを電磁場と呼んでいます。磁石が北を指すのもそのためです。電磁場は我々を宇宙線から守ってくれています。つまり電磁場は我々の味方なのです。)

この電磁場が崩壊しつつあることについてさらに説明を求められたキース博士は、フルーツバスケットから取り出した桃を半分に切って見せます(キース博士の説明の途中でコメントを入れているジムスキー博士は政府お墨付きの著名な地球物理学者)。

<00:24:36 – 00:25:36>
Dr. Keyes: The thin skin, that's the Earth's crust. That's what we live on. It's 30 miles thick. The meat here, call it the mantle. Forgetting all the funky transitions, its... uh, 2,000 miles thick. The core the peach pit in the center, that's a tricky one. There's two parts... the inner core and the outer core. Are you following me? The inner core is uh... it's a big solid chunk of iron, we think. And that's surrounded by the outer, and that is liquid.(桃の皮の部分を地殻と考えてください。我々が暮らしているのはこの50kmくらいの厚みの上です。桃の実の部分がマントルです。細かいことは抜きにして、まぁ約3,200kmの厚さです。そして種が地球の核にあたりますが、これが少しやっかいです。内核と外核という2つの部分からできているのです。いいですか?内核は巨大な鉄の塊だと考えられています。それは液状の外核に包まれているのです)
Dr. Zimsky: Yes, but most importantly, this liquid is constantly spinning in one direction. So a trillion, trillion tons of hot metal, spinning at a thousand miles an hour, so...(そして最も重要なのは、この液状の外核が常に一定方向に回転しているということです。1兆トンもの高温の金属が非常に速いスピードで。)
Dr. Keyce: So physics 101. Hot metal moving fast makes an electromagnetic field. This spinning liquid outer core is the engine... that drives the EM field. And that's where we have our problem.(物理の基本ですが。高温に移動する金属が磁場を作ります。この回転する液状の外核は電磁場を作り出すエンジンなのです。そこに問題があります)
Dr. Zemsky: This engine has stalled. The core of the Earth has stopped spinning.(エンジンが止まってしまった。地球の核が回転を止めてしまったのです)

桃の実を例えに使った説明は分かり易いですね。アナロジー(analogy:似通ったものを用いた例え)は非常に効果的な説得手法の1つであり、理系英語のプレゼンテーションにも役に立ちます。さて、果たしてこの重大危機を乗り越えることはできるのでしょうか?

つい最近、地磁気の反転を示す地層が千葉県で発見され、「チバニアン」と名付けられる見通しとなったというニュースがありました。正式に決定されれば、地質時代に初めて日本の地名がつけられることになります(讀賣新聞 2017年11月16日)。


2018年4月1日

投稿者:吉川裕介(近畿大学)
タイトル:レジスターと呼ばれる言葉の環境

昨今、インターネットで新聞を読んだり、料理のレシピを検索したりするのは当たり前になっています。今回は4月よりATEMがThe Association for Teaching English through Multimedia(映像メディア英語教育学会)に変更になったことを受けて、メディアを中心に言葉の使用環境について紹介したいと思います。

新聞の見出しやレシピ文、インターネット広告といった特定の集団や場面で使われる言葉の使用環境をレジスターと呼びます。このレジスターには特有の文法が存在し、通常とは異なった言葉のふるまいを可能にしています。例えば、John wiped the table clean.(ジョンはテーブルを綺麗に拭いた。)のように、原因と結果を単文で描写できる構文を結果構文と呼びますが、この構文は強い文字制限のある新聞の見出しなどで効果的に用いられます。しかし、(1) の見出しだけを目にして全ての人が記事内容を推測できるとは限りません。ここにレジスター特有の文法が働いています。

(1) Young forwards fire Liverpool to victory over Athletic.(若いフォワードらの得点でリバプールがアスレチックに勝利)
https://theworldgame.sbs.com.au/article/2017/08/06/young-forwards-fire-liverpool-victory-over-athletic

動詞fireは他動詞で「(得点を)入れる」という意味を持ちますが、(1) では本来の目的語the ballが顕在化しておらず、その代わりにLiverpoolが目的語位置に現れています。通常、このようなタイプの結果構文は自動詞、もしくは自動詞の中に目的語が意味として含まれている(drinkなど)場合に用いられます。しかし、(1) がこの制約に違反しているにもかかわらず適格とされるのは「新聞の見出し」というレジスターで使用されているからです。例えば、forwards、Liverpoolという名詞からサッカーの話だと類推できる人には、fireの後ろに省略されている目的語がthe ballであると補うことができます。また、類推できなくとも、記事内容を読むことで目的語を復元することが可能となります。このように、文字に限りのある「見出し」においては、通常では想像し難い因果関係を述べている場合でも、読み手が自身の経験に基づく知識や記事内容から、「足りない情報」を補うことで理解ができるのです。

次はレシピ文ですが、以下の指示文を見てください。

(2) Cut squid into rings(イカを輪切りにしましょう)

(2) は料理のレシピ文によく見る表現です。この文には「胴から内臓と足を引き抜く→骨を抜き、中を洗って、皮を剥ぐ→胴を横向にして切る」という手順が含まれています。つまり、レシピ文は慣習化した調理手順を読み手に補ってもらうことによって、端的な指示が可能となっているのです。その証拠に、料理をした経験のない読者の場合、この指示文に従って調理をすることは困難ですよね。同様に、料理のレシピで“Cut beef into rings”という指示があったらどうでしょうか。読者はどう切れば牛肉が環状になるのか一連の調理手順を想起することができないので理解できない文になってしまいます。このように、レジスターには特有の文法があり、その特性を生かして様々な表現を可能にしているのです。


2018年3月9日

佐藤弘樹:京都外国語大学・非
タイトル:現代に通じる「ハンナ・アーレント」の視点

戦争を扱う映画は無数にあります。国威発揚モノ、ヒーロー活劇モノ、反戦風刺モノ、などに分類できますが、今回取りあげる映画は2012年ドイツ・ルクセンブルグ・フランス製作の『ハンナ・アーレント』(Hannah Arendt)です。この映画は戦場を描いたものではありません。戦後、数年が経過してから逮捕されたナチの戦犯を裁く裁判を巡る実話です。

1960年代初頭、何百万ものユダヤ人を収容所へ移送したナチの戦犯アドルフ・アイヒマンが、逃亡先で逮捕されます。イスラエルで裁判が行われますが、この裁判を傍聴したレポートを、自身がナチスの強制収用所から脱出しアメリカへ亡命したユダヤ人である高名な哲学者のアンナ・ハーレントが、ニューヨーカー誌に発表します。彼女は、ユダヤ人指導者の中にナチに協力した者もいた事実を包み隠さず発表し、世界中から激しいバッシングを浴びることとなります。

そのバッシングの嵐は、勤務する大学からも退職を勧告されるほど吹き荒れたため、アーレントは学生たちを前に自身の見解を述べることにします。彼女はアイヒマンが公判で以下のように述べたことを紹介した上で、アイヒマンのような非人道性を、venality of evil(悪の凡庸さ)<01:38:34>と表現しています。

Hannah: Contrary to the prosecutions and assertions, (he said) that he had never done anything out of his initiatives that he has no intensions whatsoever good or bad, (and) that he had only obeyed orders.(起訴内容に反して彼は、自発的に行ったことは何もない、自分の意思は介在しない、命令に従っただけ、と主張しました)<01:37:44>

ナチスに限らず、戦争犯罪で訴追される多くの軍人が反論に使うこの手の常套手段は、実は、現代社会に通じるものがあります。それは、会社や学校で日常的に見られるものです。自分の意に沿わぬことや、疑問を持つ他者からの指示・命令に対して、「私が決めたことではない。」あるいは「私はただやるように言われただけだ。」といった言葉で、自分を納得させることはないでしょうか。

まして戦場において軍人への命令は絶対的なものです。命令に背けば命を失いことになりかねません。自分の命を賭して、許されざる行為である命令の非人道性を告発せず、唯々諾々とそれに従ったアイヒマンの心情をvenality(金銭ずく、金銭上の無節操、金で動くこと、賄賂のきくこと)という単語でアーレントは表現しました。これもまた、現代の拝金主義的風潮を、鋭く指摘するものです。

彼女は、人間が自分の頭で「ことの善し悪し」を考えることをやめてしまえば、普通の人々がいとも簡単に悪に手を染めることになり、「私に罪はない。」とその罪深さにも気付かないことへ、警鐘を鳴らし、最後にこの言葉で締めくくります。

Hannah Thinking gives people strength.(考えることで人間は強くなれる。)<01:42:36>

ろくにモノを考えずとも、快適な生活を送れる、便利なスマホやネット環境が生み出す現代社会の“思考停止状態”への警告と捉えるべきだと思います。


2018年3月1日

投稿者:衛藤 圭一(京都外国語大学・非)
タイトル:枕詞のように使われる英語の条件節

私たちが普段コミュニケーションを取る時には、直接的な物言いにならないよう「申し訳ないのですが」や「お言葉を返すようですが」などの枕詞を置くことがありますが、日本語だけではなく英語にも枕詞に相当する表現があります。一般的にはperhapsやI’m afraid などが知られており、通常は婉曲的、あるいは丁寧な響きを与えたり,話者の控えめな気持ちを表したりする際に使われます。たとえば、次の(1)は『ブリジット・ジョーンズの日記 きれそうなわたしの 12 か月』(Bridget Jones: The Edge of Reason, 2004)に出てくるセリフで、話者ダニエルがバルコニーからの夜空を一緒に眺めようとブリジットを控えめに誘っている場面です。

(1) Daniel: Perhaps you’d like to come up and have a little look? (よかったら、ちょっと寄って見ていかないか )
Bridget: I don’t think so. (やめとくわ)<01:04:29>

ここではperhapsを枕詞として使うことによって、相手に気を使いながら誘っていることがわかります。
また、英語では、こうした語句以外にも条件節が枕詞として機能することがあります。

(2) Ted: If I understand it correctly ... what means the most here is what’s best for our son. (もし私の理解が正しいければ,今最も大事なのは,何が息子にとって最善かということです)<01:27:32>
『クレイマー,クレイマー』(Kramer vs. Kramer, 1979)

条件節を枕詞として使う場合には主に二つの特徴が見られます。まず、主節に仮定法の助動詞を伴う点です。次の(3)では、仮定法のwouldと共に用いて一歩引いた感じを作り上げることで更に配慮しながら提案しています。

(3) Sugai: If you had time, I would explain what that means.(もしお時間がおありであれば、それがどういったことなのかを説明いたしますが)<01:39:30>
『ブラック・レイン』(Black Rain, 1989)

もう一つの特徴は、条件節の中に助動詞が生起するという点です。(4)では側近が大統領に進言している場面ですが、条件節の中に許可を表す助動詞mayを使うことで、更に控えめな姿勢を効果的に示しています。

(4) Mike: Mr. President, if I may speak frankly, I’m not sure that’s a good idea.(大統領、もし率直に申し上げてよろしいのでしたら、私にはそのお考えが御名案かどうかはわかりかねます)<00:21:04>
『24 -TWENTY FOUR- シーズンⅡ 第 15 話』 (24, Season 2, Episode 15, 2002)

なお、助動詞が条件節の中で使われる場合、主節が省略されて条件節のみで控えめな姿勢を示すことがあります。たとえば、(5)では許可を表す助動詞couldが条件節ifの中で使われていますが、主節が省略されており、条件節のみで控えめに要請しています。

(5) Ray: Mr. Mann, if I could just have one minute, please. (マンさん、1 分で結構ですので、もし可能でしたらどうかお時間をいただけないでしょうか)<00:47:12>
『フィールド・オブ・ドリームス』(Field of Dreams, 1989)

以上、映画における条件節の使用例を中心に、英語にも日本語と同じように枕詞と同等の表現が存在することを示しました。本コラム以外にも日英の類似点を扱った記事が過去のアーカイブにありますので、「もしよろしければ」是非ご覧ください。


2018年2月1日

投稿者:松井夏津紀(奈良工業高等専門学校)
タイトル:Dudeって何?

アメリカの映画やドラマを見ていると、dudeということばをよく耳にしませんか。今回は、このdudeということばの使い方について紹介していきたいと思います。

もともとdudeは1880年代にアメリカで生まれた、最先端のファッションに身を包む若者を嘲笑した表現だったようです。その後、いくつかの意味変化を経て、1990年前後にカリフォルニアのサーファーたちのことをdudeと呼ぶようになり、若者の間でdudeが流行したそうです。そして現在では、dudeは「男」(=a man, a guy)という意味を表すアメリカ英語のスラングになりました。

次のセリフは、テレビコメディーシリーズ『ママと恋に落ちるまで』(How I Met Your Mother, Season 1, Episode 12, 2005)で、自分よりイケてない友人が美人の彼女と結婚する結婚パーティーの場面でのセリフです。

(1) Barney: Man, you know something, Stuart's my new hero. If that dude can bag a nine, I gotta be able to bag, like, a sixteen.(スチュアートは俺のヒーローだ。奴でも9点だぞ。俺なら16点いける)<00:19:10>  

このセリフでは、dudeは「男」(=man)という意味で用いられ、“that dude”(あいつ)はStuartのことを指しています。また、次の例のように複数形でも用いられます。

(2) Randall: One guy can’t make it alone. That’s why I was with those dudes.(1人じゃ生きられない。だから奴らといた)<00:18:30> 
『ウォーキング・デッド』(The Walking Dead, Season 2, Episode 10, 2012)

では、dudeの他の使い方も見てみましょう。

(3) Lily: No, Ted. you don’t mess with a honeymoon.(新婚旅行の邪魔よ)
Marshall: Yeah, come on, dude.(そうだ、やめろ)<00:08:07>
『ママと恋に落ちるまで』(How I Met Your Mother, Season 1, Episode 13, 2005)

(4) Tara: What are you doing, dude?(何するの)<00:27:11>
『ウォーキング・デッド』(The Walking Dead, Season 5, Episode 10, 2015)

これらのdudeは呼びかけとして使用されています。ただ、このdudeはあってもなくても意味はほぼ変わりません。

 また、dudeには感嘆詞としての用法もあります。この感嘆詞としてのdudeはポジティブ、ネガティブ両方の気持ちを表すことができます。

(5) Glenn: Dude, you are such a buzzkill, man.(すっかりしらけちまった)<00:09:11>
『ウォーキング・デッド』(The Walking Dead, Season 1, Episode 6, 2010)

(6) Barney: Legendary! Dude, I am so excited that you’re single again.(伝説を作るぞ!シングルにお帰り)<00:00:18>
『ママと恋に落ちるまで』(How I Met Your Mother, Season 3, Episode 1, 2007)

例 (5) のGlennのセリフでのdudeは平坦に発音されていて、落胆を表しています。日本語の「あーあ」に相当する感じでしょうか。一方、(6) のBarneyの方は抑揚があるdudeで、喜びを表しています。このようにdudeはイントネーションによって、様々な気持ちを代弁することもできるようです。なお、(5) のように主語がyouの場合、dudeは気持ちを表しているとともに、相手への呼びかけとして用いられているとも考えられます。このように、dudeは呼びかけなのか、感嘆詞なのかあいまいなことも結構あるようです。

Dudeの使用は男性同士の会話において多いようで、異性間での会話では出現が少なくなるようです。また、dudeを使用するのは30代ぐらいまでで、「男っぽさ」や「クールさ」を強調する、ヨーロッパ系アメリカ人を中心に使用に身のタフな女性で、ドラマの中でLGBTであることを表明しています。このようなスラングは、辞書を引くだけではなかなか使用法のイメージがわかないことが多いと思われますので、是非、映画やドラマでどのような人物像のキャラクターが使用しているかを観察してみて、ことばの持つイメージを捉えてみてください。


2018年2月1日

投稿者:國友万裕(同志社大学・非)
タイトル:日本語タイトルにご用心!

日本でレンタルビデオが普及し始めたのは30年ほど前からです。それまでは映画は映画館で見るものでした。レンタルでこっそり借りるわけにもいかないので、当時は人目の多い繁華街の劇場に行かなくてはなりません。映画少年だった私がいつも困ったのは、変な邦題をつけられることでした。

例えば、『歌え! ロレッタ愛のために』(1980)という映画があります。これはシシー・スペイセクが実在のカントリーシンガー、ロレッタ・リンに扮してアカデミー賞主演女優賞を獲得した映画なのですが、原題はCoal Miner’s Daughter(炭鉱夫の娘)です。このタイトルの方が良かった気がするのだけど、当時の日本は何かにつけて、「愛」だ「恋」だという言葉をタイトルに多用していました。

例をあげればきりはありません。アン・バンクロフトとシャーリー・マクレーンがバレエに生きた女と家庭に入った女の友情と葛藤を演じたTurning Point(人生の転機)が『愛と喝采の日々』(1977)、リチャード・ギア主演の軍人の友情と恋愛のドラマAn Officer and a Gentleman(将校と紳士)が『愛と青春の旅立ち』(1982)、シャーリー・マクレーンとデボラ・ウィンガーが母娘役を演じたTerms of Endearment(親密な間柄)が『愛と追憶の日々』(1983)、アフリカを舞台にしたメリル・ストリープ主演の大河ドラマOut of Africa(アフリカから)が『愛と哀しみの果て』(1985)、シガーニー・ウィーバーが実在のゴリラ研究者ダイアン・フォッシーに扮したGorillas in the Mist(霧の中のゴリラ)が『愛は霧の彼方に』(1988)…。

こんな感傷的で的外れなタイトルでは友達に言うのも恥ずかしい。上にあげた映画はいずれもアカデミー賞を受賞、もしくはノミネートされた上質の映画だけに邦題がその質を下げてしまうような感じです。こういうタイトルをつけなかったら、お客さんが来ないと当時の宣伝の人は思っていたのでしょうか。

それから時代が流れ、最近では無理に邦題を付けるよりも、英語のタイトルのまま公開するケースが増えてきました。『ラ・ラ・ランド』『ムーンライト』『マンチェスター・バイ・ザ・シー』(いずれも2016)『ゲット・アウト』『ダンケルク』(いずれも2017)など、昨年日本で話題となった映画は原題そのままで公開になったものが多いです。

しかし、原題をそのままタイトルにする場合は、語呂がいいように変えてしまうというケースが往々にしてあります。昨年アメリカで絶賛された映画でThe Shape of Waterという映画があるのですが、これは日本ではtheを抜いて『シェイプ・オブ・ウォーター』で公開予定です。Three Billboards Outside Ebbing, Missouriは、『スリー・ビルボード』と単数形の邦題になります。

その一方で、英語タイトルとは言っても、原題とは違った英語にしてしまうものもあり、Arrivalは『メッセージ』(2016)、Hidden Figures(隠れた人々)は『ドリーム』(2016)というタイトルがつけられてしまいました。ちょっと難しめの英語だとわからない人もいるから、誰でも知っていそうな英語に変えてしまうことがあるわけです。また、邦題が必ずしも悪いわけではなく、Boyhoodを『6歳のボクが大人になるまで』(2014)にしたのは当を得てよかったと思います。

映画を観るときは、邦題だけではなく、原題も覚えるようにしましょう。そうしないと、外国の人と映画の話をするときに困ることになります。


2017年12月1日

投稿者:小林 翠(小野学園女子中学・高等学校)
タイトル:カタカナ言葉の力とは?―「オープンカフェ」とa sidewalk café ―

皆さんは普段使っているカタカナ言葉に注目したことがありますか。その多くは英語などの外国語をもとに作られたものですが、実際に英語ではそのように表現しないことが多いのは周知のとおりです。

カタカナ言葉の例として、気持ちいい秋空の下で楽しむ「オープンカフェ」があります。もし英語を話しているときに、「オープンカフェ」のつもりで an open caféと言ったら、「営業中のカフェ」という意味になってしまいます。英語では、a sidewalk caféといいます。この表現は映画『ローマの休日』(Roman Holiday, 1953)にも現れます。王女であることを隠して街を歩いているAnnが、アメリカ人新聞記者のJoeと話すシーンです。

Ann: I could do some of the things I've always wanted to.(ずっとやってみたかったことができるかも。)
Joe: Like what? (どんなこと?)
Ann: Oh, you can't imagine... I'd, I'd like to do just whatever I'd like, the whole day long! (あなたには想像もつかないことよ。何でもやってみたいことをするの。一日中!)
Joe: You mean, things like having your hair cut? Eating gelato? (髪を切ったり、ジェラートを食べたりすること?)
Ann: Yes, and I'd, I'd like to sit at a sidewalk café and look in shop windows, walk in the rain!(そう。オープンカフェに座ったりウィンドーショッピングしたり、雨の中を歩いたりしたい!)< 01:02:06 >

王女は常に注目の的ですので、開放的なオープンカフェで何となくコーヒーを飲むなど夢の夢です。身分を隠して街歩きを楽しむ王女のAnnにとっては、ただのan open café(営業中のカフェ)でなく、a sidewalk café(オープンカフェ)で飲むことが、とても大切なポイントなのです。

カタカナ言葉はそのまま使うと、正確に通じないことがあります。そのため、カタカナ言葉は英語を学習する上で邪魔で紛らわしいものだと思う人もいるかもしれません。しかし、本当に単なる厄介者なのでしょうか。

先ほどのa sidewalk café の例をもう一度見てみましょう。確かにsidewalkは「歩道」を意味しますが、屋根がなく、椅子やテーブルが歩道に出たカフェのことを、「歩道カフェ」と直訳したらどうでしょうか。それでは味気がなくて、オープンカフェの魅力が感じられませんね。日本語の「オープンカフェ」という言葉は、まさに「開放的(で気持ちいい)カフェ」という文字通りのイメージを彷彿させてくれます。

カタカナ言葉の存在は、確かに英語で会話するときに、混乱の種となることもあるかもしれません。しかし、「オープンカフェ」のように日本語話者のイメージを掻き立てるように巧みに作られた言葉もあることも事実だと思われます。


2017年11月2日

投稿者:田畑 圭介(神戸親和女子大学)
タイトル:like a broken record

Merriam-Webster’s Advanced Learner's English Dictionaryにlike a broken recordという表現の説明があります。He sounds like a broken record. はHe keeps saying the same thing over and over again.と同義になると解説しています。like a broken recordは、壊れたレコードのように(繰り返し同じことを言う)という意味です。broken recordを5億2千万語から成るアメリカ英語コーパスCOCA*のSpoken section**で検索すると、1990-1994では5回、1995-1999では5回、2000-2004では7回、2005-2009では10回、2010-2015では15回、の使用が検出されます。この使用回数の増加はbroken recordが日常に浸透してきたことを意味します。broken recordをテレビドラマのセリフを集めた筆者の自作コーパス(『フレンズ』(Friends)/『アグリー・ベティ』(Ugly Betty)/『デスパレートな妻たち』(Desperate Housewives)/『ロスト』(LOST)/『24』(24)/『プリズンブレイク』(Prison Break)/ 『ER緊急救命室』(ER)/ 『ドクターハウス』(HOUSE M.D.))で検索すると7例検出されます。そのうちの3例はドラマの中で30代の人たちが発話したもので、その他の4例はそれ以上の年齢の人たちが用いています。

Gabrielle Solis: Babies, babies, babies. Sound like a broken record. I just had miscarriage.
(子供、子供ってもう聞き飽きたわ。流産したばかりよ) <00:4:33>
『デスパレートな妻たち』(Desperate Housewives, Season2 Episode13, 2006)

Jack Shephard: Call me a broken record, but caves are natural shelter.
(同じことを繰り返すようだが洞窟は海岸より安全だ) <00:01:00>
『ロスト』(LOST, Season1 Episode7, 2004)

James "Sawyer" Ford: What's with you and "gettin' off the island"? (島を出るって?)
You're like a damn broken record. (何度同じことを繰り返すんだ)< 00:10:07>
『ロスト』(LOST, Season4 Episode12, 2008)

このフレーズはレコードの針が飛び、同じ部分が繰り返される様子から生まれていますので、レコードを聴いた世代の人たちの使用が想像されますが、Shakiraの 2014年のアルバム、『SHAKIRA.』には「Broken Record」という楽曲があり、I feel like a broken record. And I've told you 700 times. (まるで壊れたレコードみたい。もう700回も伝えたわ)と歌っています。CD世代の人たちの間でも理解され、使用されている状況がShakiraの歌詞から伝わります。COCAのSpoken sectionは報道番組からデータが取られているので、発話者の年齢層が比較的高い可能性がありますが、テレビ番組でbroken recordを発信していくことで、若い人たちへも浸透していくことが想像できます。レコード再生が繰り返される場面が想像しやすいこともbroken recordの比喩用法の一般化につながっていそうです。

*Davies, M. (2008-). The Corpus of Contemporary American English: 520 Million Words, 1990-present. URL: http://corpus.byu.edu/coca/
**Spoken section: (109 million words [109,391,643]) Transcripts of unscripted conversation from more than 150 different TV and radio programs (examples: All Things Considered (NPR), Newshour (PBS), Good Morning America (ABC), Today Show (NBC), 60 Minutes (CBS), Hannity and Colmes (Fox), Jerry Springer, etc).


2017年11月2日

投稿者:蘒 寛美(京都産業大学)
タイトル:映画にみる通信手段の変化のなかの携帯電話

今日では、コミュニケーションを取るための電子的手段として携帯電話やeメールは欠かすことができません。このような便利な時代は、いつ頃からはじまったのでしょうか。映画の中の伝達手段の変化を見てみましょう。

下の図は映画のセリフの中で多く見られた伝達手段を表す語を年代順に色付けしています。




ATEM 映画英語字幕データベースVer.3.0より集計

これらの伝達手段を表す語の中から、日常生活に不可欠な携帯電話を取り上げましょう。
携帯電話が1970年代から普及し始めたことは、上の図からも確認されますが、携帯電話の英語表現として、当初、mobile phoneが使われていました。2005年頃から、米国ではcell phoneと呼ぶようになり、現代では英国でもcell phoneが使用される傾向にあります。

今回は、cell phoneがどのような動詞を伴って使われているのかを見てみましょう。

Man: Someone’s calling on her boss’s cell phone. Carla, get us a lock on that call.(誰かが彼女の上司の携帯で電話している。カーラ、すぐに盗聴を頼む。)<01:04:34>
『追跡者』(U.S. marshals,1998)
* 携帯電話を使って電話することを、call on a cell phone と言っています。

Finch: The number that Strickland dialed is prepaid cell phone.(そのストリックランド氏が掛けた番号は、プリペイド携帯です。)<00:7:44>
『パーソン・オブ・インタレスト』(Person of interest, season 3 episode 16, 2014)
* 番号を打つことは、電話の形状が変わっても従来と同様に、dialを使っています。また、プリペイド携帯は、使い捨て携帯と同じで、多くの場合burner phoneと呼びます。

Man: They’ve activated their cell phone! (彼らは、携帯電話の電源を入れた!) <00:47:56>
『フェア・ゲーム』 (Fair game, 1995)
* 電話の電源を入れることをactivateと言っています。

最後に、「電話に出る」は、時代が変わっても“answer the phone”ですが、「電話を切る」の表現が電話機の形状が変わってきている関係もあって、hang upからget off, switch offに移行してきているようです。また、携帯電話が鳴るのを ring, beep, vibrate, chimeと表現しているものがありました。

今までの固定電話の時代とは違い、携帯電話には多くの機能が備わっている分、生起する単語も多いのが興味深いところです。


2017年11月2日

投稿者:奥村 真紀(京都教育大学)
タイトル:『日の名残り』にみる寂寥感

2017年のノーベル文学賞は、日本生まれの英国人作家、カズオ・イシグロ氏が受賞されました。日本でも大きなニュースになったので、目をとめた方も多いのではないかと思います。イギリスで最も権威ある賞の一つ、ブッカー賞を受賞した『日の名残り』(1989)はその代表作です。

『日の名残り』は1993年に映画化されています。1958年、主人亡き後のダーリントン・ホールを守る老執事、スティーブンスのところに、以前一緒に働いていたミス・ケントンから手紙が届いて、映画が始まります。昔は大勢の雇い人を抱えていたダーリントン・ホールにはかつての面影はなく、屋敷はアメリカ人大富豪のルイスの手に渡っています。その下で働くスティーブンスは、その手紙をきっかけに、栄光の時代を懐かしく思い出すのです。結婚生活がうまくいっていないとほのめかすミス・ケントンをもう一度ホールに呼び戻せるのではないかと期待しながら・・・。

狐狩りに興じ、多くの著名人が訪れた素晴らしい栄光の時代は、冒頭で「外の世界を見た方がいい」というミスター・ルイスに対して、スティーブンスが誇らしげに“In the past, the world always used to come to this house…”(かつては外の世界の方が、この館にやってきたものです)<00:06:12>というところにも表れています。大戦という国家の非常時にリーダーシップを発揮しようとするダーリントン卿に忠実に仕えようとするスティーブンスは、時としてそれに反発する同僚、ミス・ケントンに強いいらだちを覚えていました。ミス・ケントンは感情豊かな活き活きした女性で、反発しながらも彼らはお互いを次第に認め合っていきます。しかし時代は第二次世界大戦に向かい、次第にドイツへの友好を強めるダーリントン卿はナチスのシンパと目されるようになります。自分を抑え、それでも主人への忠誠を崩さないスティーブンスに業を煮やし、ミス・ケントンは他の男性と生きる道を選びます。そしてスティーブンスの思いは、ダーリントン卿の没落とともに灰燼に帰すのです。今の主人であるアメリカ人政治家のルイスが、大戦中に予言したように。

Mr. Lewis: Lord Darlington is a classic English gentleman of the old school.
Decent and honorable and well-meaning.(中略)But, excuse me, I have to say
this, you are, all of you, amateurs. And international affairs should never be
run by gentleman amateurs(中略)The days when you could act out of your
noble instincts are over(中略) You need professionals to run affairs, or
you’ll headed for disaster.
(ダーリントン卿は英国の伝統的な古典的英国紳士ですよ。上品で名誉を重んじる、善意にあふれた方だ。(中略)しかし、あえて言わせてください。あなた方は、全員がアマチュアだ。そして国際問題はアマチュアの紳士が扱うようなものであってはいけません。(中略)高貴な本能から行動されるのが良い時代は終わったのです。国際問題を任せる政治のプロがいなければ、破滅に向かうしかないのです。)<00:51:47>
『日の名残り』(The Remains of the Day, 1993)

過去の栄光は取り戻すべくもなく時代は移り変わり、時間を巻き戻すことができないことをスティーブンスは痛感します。強いイギリスの凋落とともに生きたスティーブンスも、最後には自らの老年を受け入れるしかないのです。それでも彼は残りの人生を生きていかねばなりません。原題であるThe Remains of the Day の秀逸さが感じられます。


2017年10月1日

投稿者:角山照彦(広島国際大学)
タイトル:authenticな素材の難しさ-ドラマ『グリー』のセリフから-

私は映画だけでなくTVドラマも積極的に授業で活用しています。ドラマもやはり教材用に作られたわけではないauthenticな素材ですから、十分理解するには英語の幅広い知識が必要とされます。今回は人気ドラマ『グリー』(glee, 2009)のシーズン1第3話からそうした用例を紹介します。

まずは皮肉です。高校教師ウィルが自分達のグループに関する新聞のレビューを読んで盛り上がっていたところに元同僚サンディが現れ、次のようなやりとりが行われます。

Will: “Buckle up, Ohio. Are you ready for a new musical sensation? You’d better be, because here come the Acafellas.” Yes!(「オハイオの皆さん、気をつけて。新たな音楽の台風への準備はできていますか。準備が必要ですよ。なぜならアカフェラス台風が直撃しますから」。よし)
Sandy: Oh, congratulations on your dead-tree valentine, gentlemen.(たくさん褒めてもらったみたいで良かったね)<0:16:22>

下線部分でなぜバレンタインが出てくるのか理解しづらいですが、これは紙でできたバレンタインカードを指しています。紙を作るために木を切り倒すことを資源の無駄使いと考える人もいますから、dead-treeにはそうした批判的な意味合いが含まれます。また、電子媒体ではなく紙媒体であることに対して古臭いという意味合いが加わることもあり、サンディは好意的なレビューを古臭いラブレターに例えながら「褒めてもらえて良かったね」と皮肉を込めて言っているのです。

次に、広い意味での教養が必要となる例です。メンバーに入れてほしいサンディは正装してウィルに次のように話します。

Sandy: I’m ready for my close-up, Mr. DeMille.(アップの撮影準備はできているわよ、デミル監督)<0:07:01>

姓がデミルではないウィルに向かってなぜMr. DeMilleと呼び掛けているのか不思議に思うかもしれませんが、このセリフの理解には往年の名画『サンセット大通り』(Sunset Boulevard, 1950)の知識が必要です。これは“Alright, Mr. DeMille. I’m ready for my close-up.”という女優ノーマのセリフから取ったもので、Mr. DeMilleとは著名な映画監督セシル・B・デミルを指しています。

最後は、諺の知識が必要となる例です。高校生パックがアルバイトでH夫人宅の清掃をしている場面で次のやりとりがあります。

Mrs. H: I need your help unclogging my bathtub drain.(バスタブの詰まりを取ってほしいの)
Puck: The proof was in a sexual pudding.(後ろ姿が俺を誘っていた)<0:24:49>

sexual puddingと言われてもピンときませんが、これは“The proof of the pudding is in the eating.”(プディングの味の良し悪しは食べてみないとわからない⇒論より証拠)という諺をもじったものです。「本当に魅力的かどうかは実際に体験してみないとわからない」と、パックはH夫人の性的魅力について言及しています。諺の知識がないと理解できないセリフでしょう。

このように、authenticな素材の理解には広範な知識が必要とされるので授業で扱うには難し過ぎるという結論になりがちですが、学生を引き付ける圧倒的な魅力は否定できません。うまく活用しようとすると授業準備にかなりの労力が必要ですが、それだけ見返りも多い素材です。


2017年9月7日

タイトル:王子様のいないシンデレラ物語
投稿者:藤枝善之(京都外国語大学・短期大学)

シンデレラ物語は一般的に、継母や継姉の悪意に堪え、王子様(Prince Charming)の力を借りて問題を解決し、最後にはめでたく王子様と結ばれる、というストーリーですが、今月採り上げる映画には王子様が登場しません。「今風のシンデレラ物語」には、自分で選択し、自分の力で幸せになる女性が主人公としてふさわしい、というメッセージが含まれているのかもしれません。では、仕事で苦闘している女性が観れば元気になれる映画、『プラダを着た悪魔』(The Devil Wears Prada, 2006) のあらすじと、私の好きな名台詞を紹介しましょう。

主人公のアンディは、大学を卒業してニューヨークで仕事を探しているジャーナリスト志望の女の子。たまたま面接を受けに行った一流ファッション誌RUNWAYで、編集長の第二アシスタントに採用されます。しかしそれは、これまで何人もの新人が犠牲になってきた恐怖のポストでした。編集長のミランダは、ファッション界に絶大な影響力を持つカリスマ的人物。部下には悪魔のように厳しく、アンディに対する指示も公私ごちゃ混ぜの無理難題ばかりです。おまけに、アンディのダサい服装に対して、第1アシスタントのエミリーを始め同僚の冷たい視線が…。それでも、ジャーナリストの職への足がかりにするため、アンディは我慢して仕事を続けます。しかしある日、自分の仕事ぶりについてミランダからさんざん嫌みを言われたアンディは、ついに切れて部屋を飛び出します。同僚のアートディレクター、ナイジェルに愚痴をこぼすと、彼は、「君は努力していない。泣き言を言っているだけだ」自分の甘さを悟ったアンディは、心を入れ替え、まずはこの職場にふさわしい衣服を身につけることにします。

ナイジェルの指南で見違えるほどファッショナブルになったアンディは、腰掛け気分を捨て、真面目に仕事に取り組むようになります。一方で仕事が私生活を圧迫し、恋人とも別れる羽目に。ミランダはパリコレに同行するアシスタントとしてエミリーの代わりにアンディを指名し、アンディは、パリ行きを楽しみにしていたエミリーにその決定を伝えます。煌びやかなパリの夜を満喫したアンディは、偶然、ミランダを編集長の座から降ろそうとする社内の「陰謀」を知り、必死でミランダに伝えようとします。結局、ナイジェルの転出・出世の夢が断たれるという副産物を伴って、ミランダ解任の危機は回避されるのです。

車の中でミランダは、アンディの努力を褒め、「あなたは私によく似ている」と言います。アンディが「私なら、ナイジェルにあんなことはできない」と言うと、「もうしたじゃない。エミリーに」 “I didn’t have a choice.”「あの時は仕方なかったんです」と反論するアンディにミランダは、 “No, no, you chose. You chose to get ahead. You want this life. ”「いいえ、あなたが選んだのよ。あなたが前に進むことを選んだ。あなたはこの生活を望んでいるのよ」<01:33:48>。アンディは、自分にとって何が大切かをもう一度考え、人生の選択をやり直します。ファッション業界を去るという形で…。

企業の底辺で頑張る女性を描いた『ワーキング・ガール』(Working Girl, 1988) と本作品を比較するのも面白いでしょう。どちらも助けてくれる男性はいますが、『プラダ』の方が男性の関わり方が小さくなっています。余談ですが、この映画の舞台であるファッション業界の常識からすると、アンディはかなり太っているらしく(主演のアン・ハサウェイはちっとも太っていませんが)、友人からglamazonと呼ばれています。これは、glamourとAmazonを繋ぎ合わせた造語。Amazonは、ギリシャ神話のアマゾン族に由来する単語で、大柄で力強い女性のことですから、glamour(魅力)と合わせると、「大柄で魅力的な女性」という意味になります。


2017年9月1日

タイトル:映画『タイタニック』に見るライフ・ヒストリー
投稿者:山内 圭(新見公立大学・短期大学)

私は将来介護士として高齢者のケアをすることになる学生たちに英語を教えています。今年度の授業では、福祉や健康科学についての英語を学びつつ、映画が高齢者理解に役立つ可能性を示しながら、映画『タイタニック』(Titanic, 1997)を観賞しました。この映画は、タイタニック号沈没を生き残った老婦人ローズが、タイタニック乗船時の激しい恋物語を回想するという枠組みとなっています。介護の対象となる方を、目の前にある「高齢者」の姿としてのみ見るのではなく、それぞれ「ライフ・ヒストリー」を持った人間であるということを忘れない介護者になるよう学生たちを常に教育していますが、まさにこの映画は、現在101歳の「高齢者」であるローズが、若い頃は美しく、激しい恋もしたということを描いています。学生たちの感想コメントからいくつか抜粋してみます。学生の感想からも映画の持つすばらしい教育力が垣間見られます。

 「映画をみているとさまざまな思いが浮かびましたが、最後に思ったことは、どんな人も過去にドラマがあるということです。」
 「これから僕達は、さまざまなドラマをもった方々を対象にそれぞれ仕事をしていくのですが、今回の映画を見て、我々がそのドラマの一部に参加させていただくので、責任をもってケアしていかなければならないなと思いました。」
 「その人の人生に何があったかという生活史に目を向けていきたいと思いました。」
 「人それぞれ生きてきた人生がある。
                                                      (引用中の下線は筆者による)

この映画の中では、人々は、限られた選択肢ではありますが、人生の最後の生き方(死に方)を選んでいます。学生の一人も「船の中から逃げずに死んでしまった人も、大切な人と最期を一緒にいることを選んでいて、すごい選択だと思います」とコメントを残しています。

「人生勉強」として見せた映画、ところどころに人生の教訓がちりばめられています。これから人生の航海に旅立つ学生たちには、直近の就職の選択も含め、様々な決断の場面があります。そのような学生たちに以下のようなセリフを贈りたいと思います。人生の中には、時に、一か八かの賭けが必要な場面もあるのです。

Jack: When you’ve got nothing, you’ve got nothing to lose. (取られて何を損する) <0:23:36>

Gracie: All life is a game of luck. (人生はギャンブルだ) <1:02:08>

Jack: I figure life is a gift. I don’t intend to waste it. You never know what hand you are dealt next. You want to take life as what comes at you. To make each day count. (人生は贈り物 ムダにはしたくない。どんなカードが配られても―それが人生。毎日を大切に。)
<1:02:47>

また、長い人生、絶望的な場面に遭遇することもあるでしょう。そのため、学生たちには以下のセリフも贈っておきたいと思います。

Jack: Promise me you will survive… that you won’t give up no matter what happens, no matter how hopeless. Promise me now, Rose. (「絶対に生き残る」と「何があろうと最後まで―あきらめない」と望みを捨てないで、約束をしてくれ。) <2:50:43>


2017年8月1日

タイトル:映画に見るVocal Fry(ボーカルフライ)
投稿者:野中 泉(東邦大学)

声に関する医学研究雑誌であるJournal of Voiceに発表された論文によると(http://www.jvoice.org/article/S0892-1997(11)00070-1/abstract)アメリカの女子大学生を中心にVocal Fryと言われる特徴的な話し方が流行しているということです。それは、単語や文の最後をきしむような(creaky)、しゃがれたような声で終わらせる話し方です。ブリトニー・スピアーズの ‘Oh baby, baby’で聴取できるような、喉を締めるような音声です。このような発声は目新しいわけではなく、Noam Chomskyがこのような話し方をすることは、ネット上で聴ける彼の音声からもわかります。元々は個人の発声の癖、あるいは、ひどい場合は dysphonia(発音障害)として言語治療の対象となるものでした。前述の論文において、Vocal Fryは ‘hoarse voice, creaky voice, strained phonation, and abnormally low pitch …’と定義されています。自分の音域を超えて高音を出そうとすると裏声になりますが、反対に音域を超えて低音を出そうとするとVocal Fry(フライパンでジュージュー焼くような音)になるわけです。

その例をふんだんに聞くことができる映画が『ミーン・ガールズ』(Mean Girls, 2004)です。次のセリフでは、すべての文末がVocal Fryで終わっています。

Regina: She’s so pathetic. Let me tell you something about Janis Ian. We were best friends in middle school. I know, right? It’s so embarrassing. I don’t even … Whatever. <00:32:58>

『ミーン・ガールズ』は高校生の話ですが、大学を卒業したばかりという設定の『プラダを着た悪魔』(The Devil Wears Prada, 2006)のAndyも時折、Vocal Fry を使用しています。

Andy: Oh, baby. You should see the way these girls at Runway dress. I don’t know what thing to wear to work. <00:11:18>

なぜ、今、アメリカの若い女性達がこのような話し方を coolでsexyと捉え、発音障害がないにもかかわらず意図的にこのような話し方をするのでしょうか。諸説のうちの一説を紹介しましょう。

20世紀初めにおいて社会に進出し始めた女性が、男性的な力や権力を示す話し方として、女性特有の高い声を抑える低音Vocal Fryを一部で採用するようになりました。次第に教養があり都会的でプロフェッショナルな女性である印象を与える話し方と捉えられるようになります。やがてブリトニー・スピアーズなどによって楽曲内で使われるVocal Fryや、キム・カーダシアンなどのセレブと言われる女性たちが多用するVocal Fryにメディアを通じて触れていくうちに、グループ内のアイデンティティ・マーカーとして若い女性の間で爆発的に使われるようになった、という説です。教養があり都会的でプロフェッショナルでありたいという願望とは裏腹に、Vocal Fryを用いる女子学生は、就職活動において経験のなさや自信のなさを露呈しているとみなされて採用されない、という現実もあります。また同じ女性でも、少し上の年代になると、Vocal Fryに対してアヒルの鳴き声(duck quacking)のようでイラつくとして嫌悪感を抱くようです。男性のVocal Fryはどう思われているのか、語尾上げ口調(upspeak)と同じように日本語でも流行するのか、などなど音声学的にも社会言語学的にも興味の尽きない現象です。


2017年8月1日

投稿者:三村仁彦(京都外国語大学・非)
タイトル:クセのある海賊が話すクセのある英語

この時期、映画館では洋画・邦画を問わず夏休み向けの大作が上映されています。その中から、今回は通算5作品目が公開中の『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズの英語を取り上げてみたいと思います。

作中ではJohnny Depp扮するつかみどころのない主人公、海賊Jack Sparrowを筆頭に、一癖も二癖もある個性豊かな人物が多く登場しますが、それに伴ってセリフ回しも非常にバラエティに富むものになっています。とりわけ、Jack Sparrowのライバルである海賊Hector Barbossaのセリフには味のあるものが多く、英語学の見地からも興味深いものがいくつも見られます。たとえば、第1作『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』では、BarbossaがヒロインであるElizabethに自身が呪われた経緯を語って聞かせるシーンがあります。ここでの彼は非常に情熱的な語り口で、己の経験をさまざまな表現技法を用いて描写するのですが、その中に以下のようなくだりがあります。

Capt. Barbossa: That's exactly what I thought when we were first told the tale. Buried on an island of dead, what cannot be found, except for those who know where it is. Find it, we did. (最初に話を聞いたとき俺もそう思ったさ。死の島に眠る、 その場所を知る者以外には見つからざる宝物。それをまんまと見つけた のさ、俺たちはな。)<00:56:56>
『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』(Pirates of the Caribbean: The Curse of the Black Pearl, 2003)

注目したいのは太字下線部で、語順が通常の英語のそれではないことがわかります。概説になりますが、これは元々のWe did [find it].という語順から、[ ]内の要素(=動詞句)を文頭に移動させることで得られたもので、この文法操作は英語学では動詞句前置(VP-Preposing)と呼ばれます。動詞句前置は一般に、先行する文脈の中に同一または同等の動詞句(ここではbe found)がある場合に2番目の動詞句(ここではfind it)に適用され、その動詞句の意味を強めるはたらきを持つとされています。これにより、上記のセリフではfind itが強められ、それまで誰も見つけることができなかった伝説の宝物を、自分たちは「見事に」発見したのだという意味合いを帯びます。通常のWe found it.のような事実を客観的に述べる文と比べて、非常に生き生きとした表現になっていることが感じられると思います。

上記のセリフのすぐあとでThere be the chest.(あったのさ、石櫃が)<00:56:58>と、古い英語の名残をとどめた表現(※)を用いたり、さらにその数十秒後にはCompelled by greed, we were, but now we are consumed by it.(欲望に突き動かされていたのさ、俺たちはな。だが今やそれで身を滅ぼしちまったんだ)<00:57:37>と、再び動詞句前置を含む文を発したりと、 Barbossaのセリフは英語学的な話題には事欠きません。もちろん、それ以外の観点から見ておもしろい表現も数多く見られます。前述のように、シリーズの最新作が現在上映されていますので、まだ観ていない方はBarbossaの英語に注意して観ると、何か新しい英語の発見があるかもしれませんね。

※Barbossaの出身地とされるWest Countryでは,400~600年代にかけてゲルマン人の一派であるサクソン人の言語の影響を強く受けたため,その地域の英語では古くからisの代わりにbeが用いられることがよくあった。


2017年7月1日

タイトル:日本語で表現しにくいless
投稿者:飯田泰弘(岐阜大学)

英語を日本語に訳す際、たとえ元の英文の内容が明白でも、直訳できないということは少なくありません。ここでは比較級lessについて見てみましょう。

量の「多い(much)」と「少ない(little)」の比較級は、それぞれ不規則変化形のmoreとlessになると学校で習います。それでは、次の命令文はそのまま日本語に訳せるでしょうか。

(1) Eat!
(2) Eat more!
(3) Eat less!

(1)は「食べなさい!」、(2)は「もっと食べなさい!」とすぐに訳せそうですが、(3)では少し戸惑うのではないでしょうか。(3)は「食べること」自体をやめるようには求めていませんので、否定の命令文「食べるな」にするのは難しそうです。その反面、動詞「食べる」を命令形にした「より少なく食べなさい」や「もっと少なく食べなさい」という訳も、どこか日本語として不自然な感じがします。おそらく、シンプルかつ自然な日本語は、動詞「減らす」を用いた「食べる量を減らしなさい」や「量を減らして食べなさい」などではないでしょうか。

このように、親が子どもに言いそうな(2)の英文に比べ、ダイエット中の友人に言えそうな(3)を日本語に訳す際には、少し余計な手間がかかってしまいそうです。おそらくこの原因は、日本語には「量や程度を増やすこと」を表すには「もっと」という便利な表現がある一方で、「減らすこと」を一言で表す語が無いからだと思われます。よって、(2)の場合は「食べなさい」に一言「もっと」を添えるだけでよい一方、(3)のlessの場合はもう少し別の作業が必要になるのです。
 では、この「ひと手間かかるless」をさらに映画のセリフで確認してみましょう。(4)は神様に語りかけるシーンです。

(4) Evan : Do me a favor. Love me less. <00:58:15>
                                           『エバン・オールマイティ』 (Evan Almighty, 2007)

Love me more! なら「もっと私を愛してよ!」とすぐ訳せそうですが、(4)のようにlessが出てきた途端、訳し方に困ってしまいそうですね。映画では、字幕が「お願い。愛を減らして」、吹き替えが「もっと少なく愛してください」となっており、やはり直訳のしにくさがうかがえます。

では、次の文はいかがでしょう?(5)では、アンテナをいろんな方向に傾けながら、より強く電波を拾える角度を探しています。

(5) Ramos : Okay, now move it back a little less. <00:24:36>
                                      『サブウェイ123 激突』(The Taking of Pelham 123, 2009)

ここでは、さっきのアンテナの向きの戻し方よりも「より小幅に」アンテナを動かすことを求めています。厳密に訳すなら「今度はそれを(さっきより)少ない幅で後ろに戻せ」などとなり、微妙なアンテナの角度調整がlessでうまく表現されています。では、最後に少し上級編です。次の会話のlessの訳はどうなるでしょうか?(6)はパーティでお酒を飲んでいるシーンです。

(6) Elsie : I don’t drink anymore.
Saul : Oh.
Elsie : I don’t drink any less, either. <00:27:51>
                                     『あなたが寝てる間に…』(While You Were Sleeping, 1995)

ここでは、ワインのおかわりを勧められたElsieがまず、「私はもう、これより多く飲むことはしないわ」(筆者訳)と断ります。しかし、それを聞いた相手がボトルを引こうとした瞬間、ニヤリと笑って「まぁ、これより少なく飲むこともしないけどね」(筆者訳)と、ジョークで返しながらグラスを差し出します。つまり「より少なく飲むことをしない」から、結局は「もっとお酒を飲む」という意味でlessを使っているのです。

このように、lessは直接的には日本語に訳しにくい英単語ではありますが、逆に言えば、このような表現の場合こそ、日本語に訳す側の腕の見せ所となります。lessを使った文を自分なりに訳してみて、そのあとで映画の字幕でチェックするのも面白いかもしれませんね。


2017年7月1日

タイトル:映画英語で学ぶ「はやい」を表す類義語
投稿者:山本五郎(広島大学)

「(動きが)はやい」を意味する英単語と言えばいくつ思い浮かぶでしょうか。中学校で学ぶ基本的な単語としては,fastやquickがあります。また,高校で学んだrapidやswiftが思い浮かぶ人も多いでしょう。日本語のカタカナ表記で定着している「スピード(speed)」の形容詞であるspeedyは,これらよりも少し語彙レベルが高い単語です。いずれも「はやい」を意味する形容詞ですが,それぞれの単語にどのような語法上の違いや特徴があるのか映画英語で見てみましょう。

最も一般的で様々な名詞と共に用いられるfastは,持続性や恒常性のある速さを意味することが多い単語です。例えば,二車線以上の道路での「追い越し車線(fast lane)」や,手軽にすぐ食べることのできる「ファストフード(fast food)」などが恒常性を表す典型的な例と言えるでしょう。また「速い車」は,a fast carと言います。車の性能について「速い(fast)」を用いますが,猛スピードでの走行中を意味するわけではなく,駐車中でもa fast carです。

Patrick: Do you have, uh, a good fast car available? (速くていい車はある?)<00:31:11>
                                      『メンタリスト: レッドライン』(The Mentalist: Redline, 2010)

Quickは,ある場面での瞬間的な動きが速いことを表す語で,持続性や恒常性は含意しません。特定の動作について一時的なすばやさを表す際に好まれます。

Maverick: If you don't mind, I'm gonna just take a quick shower. (君がかまわないんだったら,さっとシャワーを浴びるよ。)<00:43:46>
                                                       『トップガン』(Top Gun, 1986)

また,「はやく!」と相手を急かす場合に,Be quick!と命令文の形で用いることができるのも,quickの特徴の一つです。

Will: … meet us at Shipwreck Cove. (難破船の入り江で落ち合おう。)
Man: This way. Be quick. (こっちです。はやく。)<00:19:49>
             『パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド』(Pirates of the Caribbean: At World's End, 2007)

今回取り上げている形容詞の中で,quick以外のfast, rapid, swift, speedyは,通例Be …!という形の命令文で用いることはしません。これに加えて,quickは,「即座に考えること(quick thinking)」や「飲みこみがはやい人(quick learner)」など頭の回転や理解の速さを表す際にもよく用いられます。

Swiftは,quickと同じように瞬時の動作の速さを表しますが,頭の回転の速さに用いられることはあまりありません。「すばやい動き(swift motion)」や「迅速な行動(swift action)」のように,動きそのものを表す名詞と相性のよい形容詞です。
Rapidは,状態の変化を示す際に好まれ,「急激な変化(rapid change)」,「急激な拡大・膨張(rapid expansion)」,「急成長(rapid growth)」などの表現でよく用いられます。

Speedyは,本来であれば時間がかかるものを努力して早めるという意味が含まれること多いようです。例えば,「裁判(trial)」という単語は,「はやい」を表す形容詞とは相性があまりよくありませんが,speedyを伴って用いられることはよく耳にします。また,以下のように「回復(recovery)」もspeedyと相性がよい単語です。

Newscaster: We wish him a speedy recovery. (彼の早い回復を祈っています。)<01:43:14>
                                                 『ダークナイト』(The Dark Knight, 2008)

文脈の中でこれらの単語を見れば難なく意味を理解できそうですが,それぞれの特徴を理解し意識して使い分けるのは簡単なことではありません。語と語の組み合わせの相性に注意して,その場に応じた適切な表現が使えるようになりたいものです。


2017年6月4日

タイトル:やることリスト(things-to-do list)の功罪
投稿者:松田早恵(摂南大学)

スーパーに買い物に行く前にショッピングリストを作る人は多いと思いますが、無駄な買い物をしないためには効果があるようです。それはさておき、あなたはそれ以外でもやること(things-to-do)をリストにしますか?私の答えは、Oh, yes!です。

『ケイト・レディが完璧な理由(わけ)』(I Don’t Know How She Does It)は、2011年にアメリカで公開されたコメディ映画ですが、キャリアと家庭を両立させようと奮闘する主人公ケイト・レディをサラ・ジェシカ・パーカーが演じています。映画自体は特にお薦めではないのですが(失礼!)、ワークライフバランスを取ろうと苦心している同年代の女性には、共感できる部分もあるかと思います。

私が思わずウケてしまったのは、冒頭でケイトがベッドで「やることリスト」(things-to-do list)を考え始めて、寝られなくなるという場面です。まさしく「あるある!」だったからです。The New York Timesの映画批評(http://www.nytimes.com/2011/09/16/movies/i-dont-know-how-she-does-it-review.html)でも、この部分は“...the film visualizes Kate’s endless things-to-do list that gives her insomnia as an animated scrawl.”(映画は、ケイトを不眠症にさせるほどの切りのない「やることリスト」をビジュアルで見せています)と紹介されています。“animated scrawl”というのは、その場面で画面に順に(手書き文字で)アニメーション表示される、やることリストのことだと思われます。

最初の場面でのThings to do listは次のようになっています。
<0:05:25>
At night, I, like women all around the world, do the list:(毎晩私は世界中の女性と同じでリストを作る)
・Emily’s birthday party theme. Pirates or pop stars? (エミリーの誕生日パーティ。海賊系?アイドル系?)
・Things to buy: Paper towels, tooth paste, pork chops. (買い物リスト。ペーパータオル、歯磨き粉、ポークチョップ)
・Buy a present for Jedda’s birthday party. Find out Jedda: Boy or girl? (ジェッダの誕生日プレゼント。ジェッダって男の子?女の子?)
・Call the guy about the thing. (あの男の人に電話。)
・Make a play date for Emily with that kid that doesn’t bite. (噛まないあの子とエミリーの遊びの約束。)
・Refill the washer fluid in car. Wait a minute. Shouldn’t that be Richard’s list? Who am I kidding? Richard doesn’t have a list. (車の洗浄液の詰め替え。…ってリチャードの担当じゃないの?まさかね。リチャードはリストを作らないし。)
・Wax something, anything. (脱毛。どこでもいいから。)
・Call Richard’s mother and say hi or just email hi.(義母に電話。メールにするか。)
・Wash Ben’s teddy bear.(ベンのテディベアの洗濯。)
・Renew birth control pills.(避妊薬の調達。)
・Twinkies.(ツインキー。※クリーム入った廉価な小型のスポンジケーキ。)
・Ambien.(睡眠薬。)
・Hamster.(ハムスター。)
・Finish year-end fiscal summary. Oh, no. Start year-end fiscal summary.(会計年度の報告書を仕上げる。いや、取り掛かる。)
などなど。

この中では仕事関連は1つのようですが、これにさらに仕事のthings-to-doが加わると、もう頭はパニックになって、寝られなくなるというわけです。

しかし、色々な出来事が起こり、終盤でケイトは以下のように決心します。
<1:11:29>
My list.(私のリスト。)
Number one: Get my life together.(1番、生活を立て直すこと。)
Number two: Stop making lists.(2番、リスト作りを止めること。)

そして、(ネタバレしますが)それに応えるように、夫のリチャードがリストを披露します。
<1:20:16>
・Change the carpet on the stairs. I did that.(階段のカーペットを替えること。やった。)
・I got leotard for Emily’s ballet recital.(エミリーのバレエの発表会のためにレオタードを買った。)
・Ben’s speech therapy starts Thursday. It’s all set.(ベンのスピーチセラピーは木曜日に始まる。全て手配済み。)
・I got an Ab Roller. I’ll never use it. But maybe just looking at it will tone me up.(腹筋ローラーを買った。使わないけど、見てるだけで鍛えられるかも。)
・“Me and Kate” Yeah. That’s number one.(ケイトと僕。うん。これが1番だな。)

…ということで、家庭崩壊は免れたのですが、先ほどのThe New York Timesには、以下のような記述もあり、色々な意味で考えさせられました。

During much of the movie she behaves like a rat in a maze, hyperstimulated by constantly buzzing cellphones …(映画の大半で、ケイトは迷路の中のラットのようにふるまっている。ひっきりなしに鳴るスマホに振り回されて…。)

…とは言いながら、日曜日の朝5時からこの記事を仕上げようとしている私は、やはり「Things to do症候群」(勝手な命名ですが)に侵されているとしか言いようがありません。みなさん、リストに追い回されるのはほどほどにしましょう。自省


2017年5月4日

タイトル:『ゴースト-ニューヨークの幻-』(Ghost, 1990)「言語メッセージと非言語メッセージの文化的関係性」
投稿者:北本晃治(帝塚山大学)

コミュニケーションにおけるメッセージの意味を理解するためには、2つの重要な要素を考慮する必要があるように思われます。それらは、「言語・非言語」と「意識・無意識」の側面です。私たちは日常的に、他者に向かって意識的に言語を用いて、多様なメッセージを送っています。そして時には、そのようなメッセージが、自分の意図しない方向で解釈され、様々な誤解が生じるケースがあることも、誰もが経験するところでしょう。それは、意識的な言語使用は、必ず無意識的な非言語的余剰をともなうことに起因している場合が多いように思われます。前者に比べて、後者をコントロールすることは、大変困難です。「君の手助けがしたい」という表現でも、穏やかな優しい表情、声のトーンと、暗い表情と沈んだ声のトーンで発話される場合では、そのメッセージの解釈のされ方は大きく変わってくるでしょう。言語表現と非言語的余剰が同じ方向性を向いている場合は、メッセージは言語的意味通りに素直に解釈される可能性が高いですが、両者の間に齟齬がある場合、非言語的な側面が、言語的意味を規定することが多いように思われます。それはコントロールの効きにくい無意識的な余剰の方が、発話者の本音を暗黙裡に示していると考えられるからです。

しかしながら、この「意識的な言語」と「無意識的な非言語」に対するアプローチには、文化によって差があるようです。コミュニケーションにおいて、日本人は言葉の意味そのものよりも、その発話に伴う感情・感覚(気持ちの共有感、一体感という、より無意識的な非言語)を重視する母性原理を基調とする一方で、西洋人は、安易な感情・感覚的迎合よりは、言葉の意味やその論理性(意識的な言語使用)に拘る父性原理の影響が大きいということは、以前のこのコラムでも指摘しました。

この事を考える上で、大変参考になるシーンが、映画『ゴースト』の中にあるので参照してみましょう。殺されても、ゴーストとしてこの世に残ることになったサムが、恋人のモリーに迫っている危険を知らせるために、霊媒師のオダ・メイを通して、なんとか(死者と生者の間で)メッセージを伝えようとしている場面です。モリーはサムの声を直接的に聞くことはできず、オダ・メイがそれを伝えることになっているのですが、そこで、ちょっとしたことから、サムとオダ・メイの間で口論が生じます。

Molly: What I don’t understand is… why did he come back? (分からないのは、どうして彼が戻って来たかってことよ。)
Sam: I don’t know.(僕にも分からないさ)
Molly: Why is he still here? (彼はどうして、まだここにいるの。)
Oda Mae: He’s stuck. That’s what it is. He’s in between worlds. You know it happens sometimes, the spirit gets yanked out so quickly that the essence still feels like it has work to do here.(彼はこの世とあの世の間に挟まってしまったの。魂があまりに早く引き抜かれた為に、存在の核がまだここでやることがあると思い込んでいるのよ。)
Sam: Would you stop rambling? (いい加減なことを言わないでくれ。)
Oda Mae: I don’t think I’m rambling. I’m just answering her question. (To Molly)He’s got an attitude now. (いい加減じゃないわ。彼女の質問に答えているだけよ。(モリーへ向かって)彼は反抗的だわ。)
Sam: I don’t have an attitude. (僕は反抗的なんかじゃない。)
Oda Mae: Yes, you do have an attitude. (To Molly)We’re having a little discussion. (To Sam)If you didn’t have an attitude, you would not have raised your voice to me now, would you? (いいえ、そうだわ。〈モリーへ向かって〉私達ちょっと言い争いをしているの。(サムへ向かって)もしあなたが反抗的でなければ、そんなに怒鳴ったりはしないでしょう?)
Sam: Oh, goddamn it. Oda Mae. I didn’t raise…(畜生 (神に呪われろ)。オダ・メイ、そうじゃないって・・・)
Oda Mae: Don’t you goddamn at me. Don’t you take the Lord’s name in vain with me. You understand? I don’t take that. (神を冒涜するような言い方はやめて。我慢できない。)
Sam: Would you relax? (そんなに興奮するなよ。)
Oda Mae: No, you relax. You’re the dead guy. You want me to help you. You better apologize because I don’t take that from anybody. (いいえ、あなたのほうこそ、落ち着いて。あなたは死者で、私に助けてほしいのでしょ。謝りなさい。誰からもそんな言い方をされる筋合いはないわ。)
Sam: Oh, Jesus Christ! (いい加減にしろ。)
Oda Mae: That’s it. I’m leaving. (もういい。帰るわ。)
Molly: What are you doing? (どうしたの。)
Oda Mae: I’m leaving. Nobody talks to me like that. You understand me? Now, you’d better apologize. (もう帰る。そんな言い方は許せない。分かる?さあ、謝りなさい。)
Sam: I’m sorry. I apologize, okay? Now, would you sit down? Please? (ごめん。お詫びします。これでいいかい。さあ、お願いだから、座ってくれないか。)
Oda Mae: (To Molly)He’s apologized. (〈モリーに向かって〉彼、謝ったわ。)
<00:51:30>

モリーの質問に対して、勝手に講釈を垂れだしたオダ・メイに向かって、サムは勝手なことをべらべらとしゃべるなと声を荒げます。親切心から手助けしようとしているにも拘らず、サムの態度が生意気だと思ったオダ・メイは、「彼は反抗的だ」とコメントしますが、その言葉にサムはさらにイライラして、思わず、“Goddamn it!”(神に呪われろ=畜生)と口が滑ってしまいます。オダ・メイはあなたにそんな言葉をかけられる筋合いはないと、謝らなければ、さっさと帰ると言い出します。そんなことをされては、モリーに大切なメッセージを伝えられなくなると思って慌てたサムが、怒りを押し殺して、とりあえず謝るというのがこのシーンです。

ここで、サムは「お詫びの言葉」、“I’m sorry. I apologize, okay? Now, would you sit down? Please? ”(ごめん。お詫びします。これでいいかい。さあ、お願いだから、座ってくれないか。)を発しますが、この表現に伴う「非言語的余剰」には、怒気とあきれが含まれており、それはあたかも「いい加減にしてくれ、手のかかる女だなあ。ほらとにかく詫びてやるから、機嫌を直して仕事をしろ。」と言わんばかりの口調となっています。これに対して、オダ・メイは、モリーに向かってニッコリとしながら、“He’s apologized.”(彼謝ったわ)と言って、再び席につきます。日本人的感覚から行けば、「そんな態度じゃ、謝ったことにはならない、きちんと詫びなさい。」といいたくなるところなのですが、オダ・メイはすんなりとその言葉を受け入れています。ここには、両文化の「言語化」に対する価値づけの違いが表れているように思われます。「怒り(感情)」にも拘らず、お詫びを「言語化」できたことを評価するか、「言語化」よりも、「怒り(感情)」そのものが問題であると感じられるか・・・この点を意識しながらサムとオダ・メイとのやり取りに注目することで、普段は無意識的な「言語メッセージ」と「非言語メッセージ」との関係性に内在する文化差について、より深く考察するきっかけとなるように思います。


2017年5月4日

投稿者:藤倉なおこ(京都外国語大学)
タイトル:「ご注文は?」―接客英語

外国からの観光客が増えました。最近、学生がよく質問するのはアルバイト先で必要な接客英語 “Hospitality English”です。飲食店でアルバイトをしている学生がたくさんいます。例えば、「ご注文は?」というフレーズ。この表現が出てくるのはアメリカ映画、『ウェイトレス~おいしい人生の作り方』(Waitress, 2006)です。パイを焼くことが誰よりも上手な主人公のウェイトレス、ジェナはモラハラ夫からなんとか逃げ出したいと一生懸命にお金を貯めています。そんな矢先に妊娠していることがわかり、どうしても子供ができることを喜べません。アメリカ南部のダイナーを舞台に結婚、妊娠という女性の人生の大きな選択を問い直す物語です。主治医との恋愛、女性の同僚2人との深い友情を中心に描くコミカルな映画です。

ジェナがダイナーのオーナーである常連のジョーにから注文を取るシーンがあります。

Jenna: Hi, Joe. How are you doing my friend? What can I get you?
(こんにちは、ジョー。今日のご機嫌はいかが?ご注文は?)
Joe: Okay. I want two glasses of water. No ice. (水を二杯。氷なしで。)
Jenna: Two glasses. No problem (二杯ね。もちろん。)
Joe: Two glasses. (二杯だよ。)
Jenna: Right. (はい。)
Joe: No, ice. And I want the Bad Baby Quiche Pie with tomato on the side. On its own plate. (氷なし。それからバッド・ベイビー・キッシュ・パイ。トマトを付け合わせに。別の皿にね。)

Jenna: Is that everything? (ご注文は以上でしょうか?)
<0:14:45>

ファストフードやカジュアルなレストランで「ご注文は?」という表現は、“What can I get you?” が一般的です。ほかにはAre you ready to order? (ご注文はお決まりですか?)もう少し丁寧な表現として、May I take your order? (ご注文をお伺いしてよろしいでしょうか?)もあります。一通り注文を聞いたあとには、 “Anything else?” (ほかには?) または、“Can I get you anything else?” (ほかに何かご注文は?) “Would that be all?” (ご注文は以上でしょうか?) などを使います。

外国の人は注文する際に「氷なしで」、「別のお皿に」など様々なリクエストをすることがあります。日本で「おもてなし」ということばが流行っていますね。これは相手が必要としている「もの」や「こと」を提供する側が「察する」ことが大切なポイントの一つになっています。しかし、アメリカなどでは、サービスを提供する側が相手の要求を聞いてそれをかなえることを重視します。日本ではいかにお店に気遣ってもらったかが満足につながりますが、外国ではいかにかなえてもらったかが満足につながります。今や世界から観光客が集まる日本。お客様に満足していただくには相手の文化・習慣に合わせた接客が求められますね。


2017年4月1日

投稿者:井村誠(大阪工業大学)
タイトル:『ズートピア』に学ぶ警察英語

今回は2016年に公開されたディズニーアニメーション映画『ズートピア』(原題Zootopia)から警察英語を学んでみましょう。

Prey(草食動物)とpredator(肉食動物)が平和に共存する都市Zootopia(動物園zoo +理想郷utopia)で、ウサギで初めての警察官(bunny cop)となったJudy Hoppsですが、彼女がZPD(Zootopia Police Department)で割り当てられた仕事は、駐車違反の取り締まり(parking duty)。せっかく猛訓練を乗り越えて警察学校(police academy)を首席で卒業したというのに、まわりからはmeter maid(駐車違反専門の婦警さん)と呼ばれて軽んじられます。それでもめげずに頑張る彼女は、やがて町で起こっている謎の失踪事件の尻尾をつかむ(!)ことに。

そこでまずは署に応援を要請する場面を見てみましょう。

Judy: Officer Hopps to dispatch! <00:53:51>
  (こちらホップスより署へ、至急応援頼む!)
Judy: We have a 10-91! Jaguar gone savage! <00:54:13>
  (被疑者を確保!ジャガーが凶暴化してます!)
Dispatcher: Okay, we're sending backup! < 00:54:19>
  (了解、至急応援送る。)

ここで、”We have a 10-91!” というセリフがありますが、10-91は「被疑者連行(pick up subject)」という意味のコードです(Police 10 Codes:https://copradar.com/tencodes/ 参照)。ちなみに日本の警察用語にも「ホシ(=容疑者)」や「チャカ(=拳銃)」などがありますが、こういった業界用語のことをjargonといいます。

次に逮捕の場面を見てみましょう。

Police: Mayor Lionheart, you have the right to remain silent. Anything you... <01:08:53>

この後に続くのは、アメリカで容疑者を逮捕するときに必ず言わなければならないセリフで、「ミランダ警告(Milanda Warning)」と呼ばれます。それは次のようなものです。

① You have the right to remain silent. Anything you say can and will be used against you in a court of law. (あなたには黙秘権がある。あなたの供述は法廷であなたに不利な証拠として使われる場合がある。)
② You have the right to consult an attorney before questioning.(あなたには取り調べを受ける前に弁護人と相談する権利がある。)
③ You have the right to have your attorney present with you during questioning.(あなたには取り調べの際に弁護人の立ち合いを求める権利がある。)
④ If you cannot afford an attorney, one will be appointed for you at no expense.(もしあなたに弁護人を雇う経済的余裕がない場合は、無料で公設弁護人を付けてもらう権利がある。)
⑤ You may choose to exercise these rights at any time.(あなたはこれらの権利をいつでも行使することができる。)

このように映画を通して業界特有の言葉使いを学ぶのも面白いですね。

さて、この映画のメッセージは多様性(diversity)です。気が遠くなるほど動作が遅いナマケモノ(sloth)や思わず遠吠えに同調してしまうオオカミなど、Zootopiaではいろいろな動物が個性豊かに暮らしています。果たしてJudyと相棒のキツネNickは多様性の危機に瀕するZootopiaを救うことができるのでしょうか。元気の出る主題歌Try Everything (by Shakira)とともに心に残る作品です。


2017年4月1日

映画のメッセージを探してみましょう!―英語力アップのための秘訣―
担当:ルッケル瀬本 阿矢

皆さんは、なぜ映画を見ますか。リラックスするため、現実逃避するため、歴史を学ぶため、英語を学ぶため…色々な目的があるでしょう。今、「英語を学ぶため」と心の中で思った読者の皆さんに、私はまず、映画のメッセージ(thesis statement)を探すことをお勧めします。「英語を学ぶのに、映画のメッセージなんか関係ない。」すぐさまこのような返答が返って来そうです。ところが、実は大ありなんです。何故ならば、色々な映画の「肝」を考察することで、自分好みの映画を見つけることができる。そして、その映画を好きになることで、セリフの英語が頭に残りやすくなるからです。

例えば、『プラダを着た悪魔』(The Devil Wears Prada, 2006) を例に見てみましょう。この映画を利用した英語学習のための教科書が松柏社から出版されており、授業で本映画に親しんでいる学生さんも多いのではないかと思います。その際、英語だけに注意を向けていませんか。なんてもったいない!この作品に対するミクロな視点を、一度マクロな視点に変えてみましょう。本映画のメッセージはなんだと思いますか?

そう、それは、「仕事のために生きるのではなく、生きるために仕事をすること」、そして「仕事に忙殺されて自分を見失わないこと」ですね。本作品には、仕事に追われて夢を見失っている主人公のアンディに、親友のリリーが

“You know, the Andy I know is madly in love with Nate, is always five minutes early, and thinks, I don’t know, Club Monaco is couture. For the last sixteen years, I’ve known everything about that Andy. But this person? This glamazon who skulks around in corners with some random, hot fashion guy? I don’t get her.”i
 (あのね、私の知ってるアンディはネイトに夢中で、いつも5分前には来てた。それに、ブランドの服って言ったら…、クラブ・モナコくらいしか知らなかった。そのアンディのことだったら、ここ16年間のことなら何でも知ってるわ。でも、この人は?不特定のセクシーな業界男と、陰でこそこそやってる派手な女?そんな女、知らないわ。)

と責めて彼女から去ります。その直後に恋人のネイトが現れ、

“You know, I wouldn’t care if you were out there pole-dancing all night, as long as you did it with a little integrity. You used to say this was just a job. You used to make fun of the Runway girls. What happened? Now, you’ve become one of them.”ii
 (いいか、俺は君があそこで一日中ポールダンスをしていたって気にならない。君が多少なりとも誠実に仕事をしている限りはね。君はこれはただ金を稼ぐための手段だって言ってたじゃないか。『ランウェイ』の女たちを笑ってたじゃないか。どうしたんだよ?今じゃ、君はあいつらと同じだ。)

と言ってアンディとの恋人の関係を終わらせます。また、売れっ子フリーライターでプレイボーイのクリスチャンも、

“The wide-eyed girl, peddling her earnest newspaper stories? You, my friend, are crossing over to the Dark Side.”iii
 (お堅い新聞を売り歩いていた純朴な少女が?君、ダークサイドに堕ちたね。)

とアンディの変化を指摘し、最終的にアンディのボスであり、その自己中心的で独裁的な仕事ぶりで悪評の高いミランダまでもが次のように彼女を評価します。

“I never thought I would say this, Andrea, but I really… I see a great deal of myself in you. You can see beyond what people want, and what they need, and you can choose for yourself.”iv
 (こんなこと私が言うなんて思ってもみなかったことだけれど、アンドレア、でも私は…、あなたの中にすごく私自身が見えるのよ。あなたは人が望むものや必要とするものの先を見ることができ、自分自身のために決断することができる。)

つまり、仕事を始めた頃の思いやりに溢れるアンディから、出世のためなら何でもし、自己中心的に振る舞えるようになってきたと言われたことで、アンディはやっと目を覚まします。そして、ファッション業界の仕事に見切りをつけ、それまでないがしろにしていた恋人や友人のもとに帰っていきます。

筆者は、本作品を授業でも利用していることもあり、何十回と観賞してきました。それでもクライマックスでは涙腺が緩み、心が熱くなります。それは、この映画のメッセージが毎回胸にしみるからです。私は仕事に呑まれて自分を見失っていないだろうか、家族に辛い思いをさせていないだろうか、と。もちろん、生活をするためには仕事に精を出す必要がありますし、ある程度家族には我慢を強いらなければならないことも現実です。しかし、本当の「幸せ」のためには、仕事とプライベートのバランスを保つことが大切であり、仕事に振り回されて自分の一番大切なもの、つまり家族、恋人、友人、そして夢を見失ってはならないと、この映画を観るたびに肝に命じることができるのです。

もし皆さんが、大好きな映画を見つけることができたら、それはとてもラッキーです。なぜなら、その映画に対する前向きな気持ち、すなわち「好き」という気持ちが、英語学習にもポジティブに働くからです。本作品をもっと知りたいという気持ちが、セリフを一言一句覚えることまでも可能にします。該当の作品をより深く知りたいという気持ちによって、「勉強」を意識することなく、喜びまでも感じながら英語を学ぶことができるようになるのです。

今、読者の皆さんが「英語が嫌い」と思っているのなら、ぜひ色々な洋画を見てみてください。そして、映画に託されたメッセージを読み取って、心を打つ映画を一本でも見つけてみてください。そうすれば、自然とその作品を何度も観たくなるでしょう。登場人物がどんな英語を使い、どんな言い回しをして、そこにはどういう意味が背後にあるのか、その言葉のベースとなった文化はどんなものなのか、知りたくてたまらなくなるはずです。そうして喜びとともに覚えたセリフや文化的な知識は、必ず英語でのコミュニュケーションの中で役に立ち、スムーズな英会話のキャッチボールをするための助けとなるでしょう。
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i  McKenna, Aline Brosh, 神谷久美子, Kim R. Kanel. 『映画総合教材:プラダを着た悪魔』. 東京: 松柏社,2010, p.132.
ii  McKenna, Aline Brosh, 神谷久美子, Kim R. Kanel. 『映画総合教材:プラダを着た悪魔』, op.cit., p.133.
iii McKenna, Aline Brosh, 神谷久美子, Kim R. Kanel. 『映画総合教材:プラダを着た悪魔』, op.cit., p.140.
iv McKenna, Aline Brosh, 神谷久美子, Kim R. Kanel. 『映画総合教材:プラダを着た悪魔』, op.cit., p.147.

*和訳は、『映画総合教材:プラダを着た悪魔』(松柏社)の翻訳を参考にしました。


2017年3月1日

タイトル:あまり見慣れない構文だからと言って、稀有な表現とは限らない
投稿者:吉川裕介(昭和大学)


英語の構文にJB-X DM-Y構文と呼ばれる興味深い現象があります。あまり聞きなれない構文かもしれませんが、JB-X DM-Y構文とは(1)のような文を指します。この構文の意味としては「XだからといってYというわけではない」という一種の推論否定(inference denial)を表しており、聞き手の「期待通りのデータを得られた=データは正しい」という推論を否定する解釈となります。

(1) Just because the data satisfy expectations does not mean they are correct. (Hipert 2007)
(期待通りのデータが得られたからといって、それが正しいというわけではない)

この構文は、Just because… does not mean…と言うひな形を持ち、その頭文字をとったのがJB-X DM-Y構文の所以です。動詞はmeanのみならず、tell、imply、indicate、signなど様々な動詞に代用されます。

もうお気づきかもしれませんが、この構文の主語が一体どの要素なのかがこれまでの研究で議論されてきました。一つの考え方として、(2a)のようにthat節主語と同様にJust because節が文の主語として現れているという立場があり、もう一つは(2b)のように主語としてitやthatが現れることから、副詞節として捉える立場です。Hilpert (2007)によると、(1)のような主語のない用法は1950年代から使用を増やし、現代にかけて固定表現化してきていると指摘しています。したがって、(2b)のような使用が本来的であったが、次第に主語が省略される形も許容されるようになったと言えるでしょう。

(2a) [That the data satisfy expectations] does not mean they are correct.
(2b) Just because the data satisfy expectations it does not mean they are correct.

このような経緯から、JB-X DM-Y構文は口語的な(くだけた)表現であることがわかります。その証拠に、この構文は映画のセリフの中に頻出しており、決して稀有な表現ではないことがわかります。以下は『ダ・ヴィンチ・コード』(The Da Vinci Code, 2003)からの例です。

Leigh Teabing: Leonardo gives us the chalice.
 (レオナルドは杯を描いている)
Yes. Oh, and Robert, notice what happens...when these two figures change position.
(そう、ロバート、2人の位置を入れ替えるとどうなるか気づいたかね)
Sophie Neveu: Just because da Vinci painted it doesn’t make it true.
(ダ・ヴィンチが描いたからと言って、それが真実とは限らない)
Leigh Teabing: But history.....she does make it true.
(しかし歴史は…真実だと言っている)
<01:23:03>

これは主人公ロバートの旧友であるリー・ティービング卿が『最後の晩餐』に隠されたダ・ヴィンチの謎(コード)を解き明かす、物語の核心的な場面での発話です。ソフィーはJB-X DM-Y構文を使ってティービング卿の推論を否定しており、その新説に対して慎重な態度を示しています。それほど『最後の晩餐』にはソフィーにとっても信じがたい驚くべきメッセージが込められていたことがこの表現から伺えます。

このように、一見すると特異な構文も実は映画の中で効果的に使われており、ストーリーを深める一助となっているのです。

参考文献
Hilpert, M. 2007. Just because it’s new doesn’t mean people will notice it. English Today Vol. 23, 29-33.
Takahashi, H. et al. to appear. An Integrative Analysis of the just because-X-not-Y Construction in English. JELS Vol. 34.


2017年3月1日

タイトル:want 人 to do の構文をよろしく
近藤嘉宏 (京都外国語大学・非) 

少し前の国立教育政策研究所の調査によると、動詞+目的語+to do の語順を問う問題で中学3年生の正解率が30%であったらしい。実際、大学生でも普段の授業を見ているとこの構文を正しく使えている学生はあまりいない事がわかります。

題材とする映画は、『ジョーブラックをよろしく』(Meet Joe Black, 1998)で、Brad Pitt, Anthony Hopkins, Claire Forlani がそれぞれ独自の魅力を発揮しており3時間の長編です。 個人的にも特にお気に入りでこの映画の冒頭部分の珈琲ショップの場面は、授業でも扱うことが多い作品です。 ある朝、珈琲ショップで、ある若者がもし病気になったら診察してもらえるかなと、内科医である女性の関心を引こうとしていたのですが…。

場面1) 帰り際、珈琲ショップの外での若者と女性の会話 
Man: You know, I was thinking… I don't want you to be my doctor. I don't want you to... examine me and...
Woman: Why?
Man: Because I like you so much.
Woman: And I... I don't want to examine you.
Man: You don't? Why not?
Woman: Because I like you so much. <00:19:58>

男性: えっと、ちょっと考えていたんだけど、僕は君に僕の掛りつけの医者にはなってもらいたくないなって。君に僕を診察してもらうたくないんだ、そして…。
女性: なぜ?
男性: 君をとても好きになったから。
女性: じゃあ、私もあなたを診察したくないわ。
男性: 診察したくないんだ?なぜ?
女性: あなたをとても好きだから。   

want to doとwant目的語to doがセットになっていて、この構文の違いを理解し、練習するには適切な会話でしょう。フレーズごとに意味を確認した後、音読活動、Read&Look-up、暗唱まで練習し、二人でペアになり自然な発音、リズム、イントネーションで言えるようになるまで練習する事が必要でしょう。ただし、これだけだとwriting活動において、becauseを接続詞だと理解せずに、間違って使ってしまうことになるかもしれません。
そこで、

場面2) 父親の誕生パーティーで、別れを察知したスーザン(先ほどの会話のwoman)のセリフ
Susan: And you said that, uh, that you didn't want me to be your doctor because ... you didn't want me to examine you. Why, I got to examine you, after all. I could come with you. You want me to wait? You'll come back?  <02:23:49>
スーザン: そしてあなたは言ったわ。あなたは私にあなたを診察してほしくなかったから、あなたは私にあなたの医者になってもらいたくないって。でも、あなたを診察したけどね、結局。あなたについて行けるわ。 それとも私に待っていてほしい? 戻ってくるわよね? 

この一連のセリフのうち、You didn't want me to be your doctor because you didn't want me to examine you.が、今回ターゲットになる構文が入っています。映画の1場面を有効に使って、そこで使われている単語だけではなく、フレーズいや文章全体をスラスラ言えるようになるまで練習すれば、この構文も身につける事が出来るでしょう。


2017年2月1日

タイトル: ハリウッド映画の暗示するもの
投稿者: 佐藤弘樹(京都外国語大学・非、α-Station FM Kyoto パーソナリティー)

最近、映画の専門家のみならず映画好きの間で「近頃のハリウッド作品はネタ切れ・ネタ枯れではないか」という声をよく聞きます。それは興行収入にも如実に表れており、2016年の興行収入ランキングでは1位「君の名は。」(興収232億円)、2位「スター・ウォーズ フォースの覚醒」(興収116億円)3位「シン・ゴジラ」(興収81億円)等と邦画に圧倒されています。スター・ウォーズ フォースの覚醒は「スター・ウォーズ」シリーズ第7作品にあたり、固定客を見込んでのこの興行成績は惨敗といってもいいでしょう。

その原因は多岐に渡りますが、一つにハリウッド作品の発するアメリカ的メッセージに日本の観客が懐疑的な眼を向けはじめたことにあるような気がします。

ハリウッド作品におけるアメリカ的メッセージとは何でしょうか。それは一言で言えば「戦いによって勝ち取る個人の正義と自由」です。戦争映画のみならず恋愛映画もアニメ作品までもが「戦わなければ君の自由は侵される。君の権利は戦いによってのみ守られる。」というメッセージを発しているように思われます。英語のloser〈敗者〉という単語が、我々の想像以上に、強く意識され忌み嫌われる社会ならでは現象かもしれません。こうした映画に日々触れて「戦わねば」との刷り込みによってその国の「常識」が生まれるのでしょう。

ハリウッドは過去幾多の名作を世に送り出してきました。その功績は多としながらも、我々外国人がそうした作品に触れる際には自国文化との比較考量が不可欠であると考えます。


2017年2月1日

タイトル:相手にソフトな印象を与えるには―今思っていることを過去形で
投稿者:衛藤圭一(京都外国語大学・非)


私たちが普段相手に何か大変なことや面倒なことを頼むときに、あまりストレートにお願いすることはないですよね?よほど気の置けない関係でない限りは遠慮した言い方をすると思います。たとえば相手に何か聞きにくいことを質問するときには、「ちょっと聞きたかったんだけど」というふうに、今聞きたいことでも過去形を使うと思いますが、実は英語でも日本語と同じような現象が見られます。

(1) I was hoping you might be able to lend me some money.

(1)は過去進行形を使って相手にソフトな感じを与えようとして発話されています。お金を貸してほしいのが「今」であっても表面上は過去の形式になっていますから、「現在はそんな不作法なことは考えていない」という含みを残しています。このように現在時制から一歩距離を置くことで相手にも断る余地を与えていることになり,その分聞き手の意志決定を尊重した表現となっています。次の例はHarry がCho をパーティーに誘っている場面です。主節と従属節の両方で過去形の表現が使用されており、主節が進行形になることで、さらに一歩引いた感じを出しています。ここではjustと共起することで、できるかぎり押しつげがましい感じをなくそうとしているHarryの気持ちが表れています。

(2) "Harry Potter and the Goblet of Fire"『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』(Harry Potter and the Goblet of Fire 2005) <01:13:01 >
Harry: I was just wondering if maybe you wanted to go to the ball with me.
「もしかしたら僕とダンスパーティーに行きたいと思っていたのかな,なんて思っていたんだけど」

このように、英語で頼みごとをするときに相手にソフトな印象を与えたい場合は過去形を使ってみてはいかがでしょうか。
ただし次の(3)でもわかるように、上の(2)と違って仲の良い友人を単にパーティーに誘いたい場合に過度に丁寧な表現は適正に使用しないと、「皮肉」や「脅迫」や「慇懃無礼」な意味を表すことがあり逆効果になることがあるので、「どの相手に使うか」に注意することが必要です。

(3) I just wanted to ask you if you could possibly come to our party on Friday.


2017年 1月1日

タイトル: 映画の中に隠された記号
投稿者: 國友万裕(同志社大学・非)
 
今回は映画通の映画の見方を紹介したいと思います。

『ノッティングヒルの恋人』(Notting Hill,1999)は、大学の授業で見せやすく、大学生にもっとも受ける映画の一つです。これまで何度も授業中に見せてきて、その度に好評なのですが、今の若い学生たちは主演のジュリア・ロバーツの名前すら知らないですし、この映画の隠れた面白さに気づいていないのではないでしょうか。

イギリスのノッティングヒルの街角で、しがない本屋の店主ウィリアム(ヒュー・グラント)がうっかりハリウッド女優アナ(ジュリア・ロバーツ)の服にオレンジジュースをこぼしてしまい、彼女に着替えさせるために彼の家に誘う場面で、以下のような台詞が出てきます。

I’m confident that in five minutes we could have you spick and span and back on the street again…in the non-prostitute sense, obviously.<0:11:52>
(5分もあれば、君をきれいにして、道に立てるよ。それは、明らかに、娼婦という意味でではなく)

In the non-prostitute sense(娼婦という意味ではなく)は字幕では「へんな意味じゃない」と訳されていましたが、この台詞の意味は理解できたでしょうか。娼婦は街角に立つといわれますからそのことを言っているのですが、 映画通の人だったら、即座に『プリティ・ウーマン』(Pretty Woman, 1990)のことだとピンとくるはずです。『プリティ・ウーマン』は、ジュリア扮する娼婦が大金持ちの男性(リチャード・ギア)と出会い、玉の輿に乗るまでのシンデレラ・ストーリーですが、世界的な大ヒットなり、この映画でジュリアは大ブレイクし、一気にハリウッドで最も稼げる女優となりました。
 
映画の終盤、アナがウィリアムに求愛するために彼の本屋を訪れる場面、店の従業員であるマーティン(ジェームズ・ドレイファス)は映画のことに疎く、彼女に『ゴースト ニューヨークの幻』(Ghost, 1990)で共演したパトリック・スゥエイジはどういう人だったの? 彼は撮影中、そんなフレンドリーじゃなかったのかい?とアナに尋ねてしまいます。

Well, I’m sure he was friendly …to Demi Moore… who acted with him in Ghost.<1:43:36>
(おそらく、彼がゴーストで共演した、デミ・ムーアにはフレンドリーだったと思うわ。)

彼女が切れ切れにこの台詞を言っているところに彼女が彼の勘違いに気づいて、戸惑っているところが伺えますが、ここも映画通の人だったら思わず笑ってしまいます。『ゴースト ニューヨークの幻』は『プリティ・ウーマン』と同じ頃、世界的な大ヒットとなり、主演のデミ・ムーアもこの映画で大ブレイクしました。当時のマスコミでは、ジュリアとデミはライバルと見なされました。そのことを意識していることが映画ファンにはわかります。映画の作り手たちが、遊びの精神で映画ファンを楽しませる台詞を挿入していると言っていいでしょう。

ストーリー的に考えても、『ノッティングヒルの恋人』はいわゆる逆玉の話ですし、『プリティ・ウーマン』の逆バージョンと言っていいでしょう。『プリティ・ウーマン』を明らかに意識した作りとなっているのです。

映画は総合的なものなので、ストーリーを追うだけが映画を観る楽しみではありません。さりげないところにも面白さが溢れています。また美術、ファッション、音楽、地理、歴史など独自の視点で映画を見ていくと、様々な記号が隠されていることもわかってきます。
みなさんたちも、心に残る台詞、名前、事項、地名などが映画に出てきたら、ネットで検索してみてください。英語を学ぶだけではなく、その背景にあるものを知ることで、ますます映画を観ることは楽しくなるはずです。


2017年1月1日

タイトル: スラング使用と話者の自己像
投稿者: 松井夏津紀(京都橘大学・非)

スラングとは新語や丁寧ではない表現が含まれるインフォーマルなことばを指し、映画でも様々な例が観察されます。しかし、それらの表現を学習者がそのまま使ってしまうと思わぬ失敗につながることがあります。スラングを使用する意図としては、ある集団の一員であることを確認したり、仲間意識を強めたり、流行を意識していることを示したりと、話者の人物像を表すことが考えられます。学習者が英語を話す場合、文法的なミスの場合は「誤用」だと認識されますが、意図しない印象を持たれるようなスラング使用におけるミスは「誤用」とは思われず、ただ話者のイメージを損なう結果にもなり得ます。

スラングの中にも様々なタイプが存在し、口語表現として多くの母語話者に気軽に使われている表現や、若い年齢層の話者に好んで使われる若者ことばのような表現、またswear wordと言われる罵りのことばなども含まれます。学習者がslungと呼ばれる表現を使う際、その表現がどんなイメージを聞き手にもたらすかを把握せずになんとなく今どきの感じがするから、あるいはかっこよさそうだからという理由で気軽に使うと、間違った自己像を投影することになる場合があります。次の『ズーランダーNo.2』(Zoolander 2, 2016) に出てくるDon Atariという登場人物のセリフを見てみましょう。

You guys look so lame. I love it, dude.「そのくたびれた感じ最高だぜ!」〈00:23:31〉

“uncool”の意味で使われている“lame”というスラングですが、映画やドラマでも40代以下ぐらい年齢層の話者が使用している場面がよく見られます。若い層の英語母語話者なら口語表現として気軽に使う表現かと思われるかもしれませんが、大学生ぐらいの若い世代でもこの表現に抵抗を感じる英語母語話者も結構いるようです。“lame”を使わないという人の理由には、「中高生のようで子供っぽい感じがする」、「“lame”ということばを使う人が“lame”だと思う」などが挙げられています。“lame”を使わない人たちはスラングを使用しないのかというとそうではなく、同様の意味で“suck”や“shitty”などを使うことはあるようです。つまり、同じような意味を表す「スラング」と分類されることばでも、表現の選択により聞き手に与える話者の印象が変わってくるのです。

『ズーランダーNo.2』のDon Atariは若者言葉に分類されるようなスラングを多用する人物ですが、彼のような話し方をするとどのような印象を持たれるかという調査を行ったところ、「教育をうけていない人」、「頭が悪い人」、「失礼な人」という回答が多くみられました。学習者には、留学中などにスラングを覚えたがる人が多く、あまり深く考えずにスラングを使用することがあるようです。しかし、「スラング」=「若者っぽい」、「クールな感じ」とは一概には言えません。「日本語で話すと丁寧なのに、英語になると別人のように失礼な話し方になって驚いた」という経験をしたアメリカ人学生からの声もありました。「どのような場で」、「誰に対して」、「自分が投影したい自己像はどのようなものか」、などの使用の際の条件や目的がそのスラング自体と一致していない場合、意図せぬ印象を相手に持たれてしまう可能性があるということは認識しておいた方がよいでしょう。


2016年12月9日

タイトル: 不思議な涙と不思議な文
投稿者: 小林 翠(小野学園女子中学・高等学校)

今回紹介するのは、映画『インサイドヘッド』 (Inside Out, 2015) の次のシーンです。架空のキャラクターBing Bongが喜びのあまり大声で泣いて、その様子を不思議そうに他の2人が眺めます。Bing Bongの目からアメ玉の涙が次々と落ちてきたのです。

Bing Bong: This is the greatest day of my life!
「(泣きながら)今日はサイコーの日だ!」
Joy: Are you okay?
「大丈夫?」
Sadness: Hey, what's going on?
「これは?」
Bing Bong: I cry candy. <00:40:01>
「僕の涙はアメなの」

私たちが普段出くわすcryは、ほとんどの場合「泣く」という意味の自動詞として用いられます。しかし、この例ではcryの後にcandyが続き、cryは他動詞として用いられています。

他動詞といえば、典型的には、 “John kicked the ball.” のように、主語 (John) が目的語 (ball) に直接働きかける場合に使われます。この時、目的語は何らかの変化を被ります。例えば、ballであれば、蹴られた結果移動する、などです。

しかし “I cry candy.” は、他動詞の典型例とはかなり違います。まず、candyは最初からそこに存在していたわけではなく、そのためそもそも働きかけることもできません。むしろ、泣く (cry) ことによってcandyが作成されています。つまり、ここでのcryは作成動詞として用いられているのです。

作成動詞そのものは珍しくはなく、様々な動詞が作成動詞として用いられます。例えば、dig a holeにおけるdigです。実際に掘る (dig) という働きかけをする対象は地面 (the ground) です。しかし穴を目的語にしてdig a holeというと、「地面を掘って穴を作成する」ことを意味します。その他、bake a cakeにおいては、実際に焼く (bake) という働きかけをする対象は生地 (the batter) です。しかしケーキ (a cake) を目的語することによって、「生地を焼いてケーキを作成する」ことを意味します。日本語でも同様に「穴を掘る」、「ケーキを焼く」と表現しますね。これは、既に存在する目的語に直接働きかけるという典型的な他動詞の使い方とは違います。作成動詞は、動作の末出来上がるものを目的語にするというダイナミックなSVOの形をとるのです。

さて、”I cry candy.” に戻りますが、この例は作成動詞のダイナミックなSVOのVの位置にcryを当てはめた表現といえるでしょう。cryは普通自動詞として使われる動詞なので、当然ながら誰もがこの表現に驚きを隠せません。こんな表現を使わずにBing Bongは普通に “When I cry, candy comes out.” (泣くとアメが出てくるんだ)と言うこともできたはずです。しかし、「涙の代わりにあめ玉がでてくる」というこの奇抜なシーンにぴったり合う表現は、やはり “I cry candy.” の方だと思いませんか。


2016年11月1日

タイトル:"should" はアドバイス?
投稿者:蘒 寛美 (京都産業大学)

誰でも、人間関係を円滑に、または、作業を円滑に運ばせるために、アドバイス(助言)をしたくなるものです。その際によく使われる助動詞「should」をどう活用すればよいのかを他のアドバイス表現「had better」と比較して見てみましょう。

実に多くのネイティブスピーカーが頻繁にアドバイスをするときに、「should」を使うのを耳にします。しかし、多くの場合「You should ~」を文頭において表現すると、相手に直接的な威圧感を与えかねないので、それを回避するために、「perhaps, maybe, I think」を伴うことがほとんどのようです。

Perhaps you should keep that in mind before making sensational claims.(そんな感情的な申し立てをする前に、そのことを分かっておくべきだとおもうのですが。)『デイ・アフター・トゥモロー』(The day after tomorrow, 2004)<00:07:54>
Maybe you should let drive Dr. Rosen drive you to your mother’s. (Rosen先生にお母さんの家へ送ってもらった方がいいんじゃない。)『ビューティフルマインド』(A beautiful mind, 2001)<01:42:39>
I think that’s very selfish of you. You should be at the funeral. (自分勝手だね。葬儀には出たほうがいいよ。) 『オールウェイズ』(Always, 1989)<00:27:08>

一方「had better」が使用されるのは、上位から下位への厳しいアドバイスのために、耳にするのは稀です。

I think you had better go up there and see for yourself. (自分で見てきたらどうだい。)『アナライズーユー』(Analyze that, 2002)<00:10:15>

So we intend to pursue this matter until we have a full understanding on how it bears on the truth. I don’t know where this will lead us, but I’ll tell you two things: You had better be prepared for the prosecution’s resp0onse because he is going to be entitled to a great deal of latitude in answering.(そのことが、真実にどう関連するのかを、底的に追求したいのだが、どうなるかがわからないが、これだけは言っておく。検察側の反ばくに準備することだな。なぜなら検察側は、反論の自由があるから。)『推定無罪』(Presumed Innocent, 1990)<1:22:58>

これは、判事が被告側の弁護士に対して言った言葉で、口調もきついものです。内容からも非常に厳しい言葉であるのが伝わってきます。

約2年前のことです。アメリカのTVドラマ『パーソン・オブ・インタレスト』(Person of Interest, Season4, 2014)のあるエピソードで、銃撃戦になる前に男性が女性の同僚に 「you should better go.」と言って逃がしているセリフを耳にしました。私は銃に打たれたような衝撃をうけました。アドバイスとしては初めて聞く表現だったからです。その他に「should better」 が使われている映画は、「プラダを着た悪魔」にありました。ただし、この場合は、主語が「I」でしたが。

Well, there is one thing that’s new that I thought you might like, but…What about this? You don’t like it, I should better do this….(変わらないところもあるわよ。これはどうかしら?気に入らない?これにしたほうがいいかしら・・・)
『プラダを着た悪魔』(The devil wears Prada, 2006)

さて、このハイブリッドな「should better」表現は、アドバイスとしては、「should」や「had better」 より柔らかく聞こえるのでしょうか。ネイティブスピーカーに訊いてみました。

英国人女性:聞いたことがないですが、「had better」よりは柔らかく聞こえます。しかし、伝わるニュアンスは「should」とさほどかわらない。どれを使ってアドバイスされても厳しく言われた感じがします。
英国人男性:聞いたことがない。意味は通じるが、英語としては正しくないですね。
米国人女性:自分は使いませんが、使われているのを聞いたことがあります、ニュアンスは「had better」とよく似ています。どういった状況で、どういった相手に言うかによって伝わるニュアンスは変わってきます。アメリカ人は新しい言葉を作るのが好きですからね。

いずれの場合でも、どの言語でも同様ですが、アドバイスをするときには、相手、場面、口調などTPOもわきまえて使うべきですね。


2016年11月1日

タイトル:"check in on"
投稿者:田畑 圭介(神戸親和女子大学)

句動詞check in onは、現在出版されている主要な英和・英英辞典に記載のない表現です。この句動詞をCOCA*で検索してみると、check in onが177例、checking in onが63例、checked in onが37例、checks in onが11例、計288例が見つかります。COCAは約5億2千万語の大型コーパスなので、そのうちの288例は少ないように感じるかもしれません。
 TVsubtitles.net*から『デスパレートな妻たち』(Desperate Housewives, Season1-8, 2004-2012)、『ロスト』(LOST, Season1-6, 2004-2010)、『24』(24 TV series, Season 1-8, 2001-2010)、『プリズンブレイク』(Prison Break, Season 1-4, 2005-2009)、『ER緊急救命室』(ER, Season1-7, 1994-2001)、『ドクターハウス』(House M.D., Season1-7, 2004-2011)のセリフ群をダウンロードしてcheck(s/ed/ing) in onを検索してみると、それぞれ、2回、1回、2回、1回、5回、3回、の計14回の使用が確認できます。

『デスパレートな妻たち』(Season 5, Episode 20) <00:06:46>
So who can come by later and check on him? 
(後で誰か立ち寄って、彼の様子を見られない?)
(*この後、会話の参加者のいずれもが用事があって無理だと答える)
I'll ask Mike to check in on him.
(マイクに立ち寄って彼の様子を見てくれるようにお願いするわ)

check onが「様子[無事]を確認する」のに対し、check in onは「立ち寄って様子[無事]を確認する」の意味で用いられています。check in onを英和辞典に記載するとしたら、次のようになります。

check in on A (立ち寄って)A<人・事・物>を確認する,見てみる,A(の状態・進捗状況)を調べる.

もう一例、『24』(Season 2, Episode 6) <00:14:59>から示します。

I just wanna do what's best for my little girl.
(私はただ娘に最善を尽くしたいんだ)
Good. I'll check in on her at the end of my rounds. And, Mr Matheson, no cellphones in the hospital.
(わかりました。回診の最後に娘さんを見に寄ります。それからマシスンさん、病院内では携帯は使用できません)

この場面では医師が最後に病室に立ち寄ることを約束しています。

COCAでは次のようなインターネット上で立ち寄る例も見られます。

We have posted some new pictures and an update on the website so people can check in on her. (ウェブ上に新しい写真を載せてアップデートしましたので、サイトに立ち寄って彼女を確認できます。)

check in onは6つのテレビドラマで14回登場する表現ですので、各種の辞書に掲載してほしい表現といえます。

*Davies, M. (2008-). The Corpus of Contemporary American English: 520 Million Words, 1990-present. URL: http://corpus.byu.edu/coca/
*TVsubtitles.net. URL: http://www.tvsubtitles.net/


2016年10月1日

タイトル:医療系クラスに最適な映画『私の中のあなた』(My Sister’s Keeper
投稿者:角山照彦(広島国際大学)

授業で使う映画を選定する際、学生の専攻分野に関連した題材を選ぶと学生の興味、関心が一層高まります。本稿では、看護学部など、医療系の学生に最適な映画として『私の中のあなた』(My Sister’s Keeper, 2009)を紹介したいと思います。

本作品は、アメリカ人作家ジョディ・ピコーの同名小説に基づいて制作された医療ドラマであり、難病を患う姉ケイトに臓器を提供するドナーとして遺伝子操作によって生まれた11歳の少女アナが、姉への臓器提供を拒否し、両親を相手に訴訟を起こすというストーリーです。難病の子どもを抱える家族の葛藤を中心に物語は展開しますが、医療倫理の点から問題が多いとされるデザイナー・ベビーを扱っていますので、将来医療従事者を目指している学生には、医療のあり方について考えてみるよい機会となることでしょう。

アクティブラーニング(以下AL)が盛んに叫ばれる現在、映画を活用した授業においても、セリフの聞き取りなど従来から行われている演習に留まらず、ALを積極的に取り入れたいものです。溝上(2014)によれば、ALには書く、話す、発表するなどの「活動への関与」と「認知プロセスの外化」という2つの要素が含まれますが、映画の場面を活用しながら、「あなたがもし看護師だったら、こうした状況でどのように対処するべきでしょうか」などと問いかけ、ディスカッションやグループ発表をさせることで、この2つの要素を授業の中にうまく取り入れることができます。

外出したいと言い続ける末期患者に対してどのように接するべきか、病院が患者のためにダンスパーティを行うのはよいことなのかなど、医療に関する様々なトピックがこの映画の中には含まれています。また、登場する医療従事者は必ずしも全員が模範的な行動をするわけではありませんから、本来どうするべきなのか自分たちで考える機会が与えられます。例えば、尿検査を渋るケイトは担当看護師への腹いせとして尿の代わりにジュースをコップに入れ、それを看護師の前で飲み干してしまいますが、次のようなやり取りがあります。

Nurse: You ready?
Kate: All set. Oh, wait a minute. Looks a little cloudy, I think I should filter it again. Much better. What do you think?
Nurse: You are disgusting. And so are you! <0:33:43>
看護師: 尿は採れたの?
ケイト: ばっちりよ。あら、ちょっと待って。ちょっと濁っているから、もう1回ろ過するわ。この方がいい。どう思う?
看護師: 何て子なの。あなたもよ。

この看護師は怒って出て行ってしまいますが、“Kate plays a practical trick on her nurse, which makes her very angry. If you were a nurse, how would you react to such a patient?” と問いかけグループごとに発表をさせると、実に様々な答えが出てきます。また、全編を視聴し終わった後で改めてアナのようなsavior sibling(救いの兄弟)を作ることはよいことなのかどうか、医療従事者、親、そして子どもの立場からディスカッションさせると、学生一人一人が真剣に考えてくれ、ALの効果を実感させられます。

因みに、映画のラストでアナは次のように語りますが、映画ではデザイナー・ベビーの可否について明確な答えは出されていません。

Once upon a time, I thought I was put on Earth to save my sister, and in the end, I couldn’t do it. I realize now that wasn’t the point. The point was, I had a sister. She was fantastic. One day, I’m sure I’ll see her again. But until then our relationship continues. <1:44:24>
(その昔、わたしは姉を救うために生まれてきた。結局救うことはできなかったけど、今になって思うとそれは重要ではない。重要なのは、私には姉がいたということ。姉は本当に素晴らしい人だった。いつかまた会えると信じているけど、その時まで私たちの心はこうしてつながっている。)

正解のない問いについて学生一人一人が主体的に考えることこそALのポイントであり、学生にとって興味、関心が高い映画、そして、自身の専攻分野という2つの要素を有機的に組み合わせることでALをスムーズに導入することが可能となります。

【参考文献】
溝上慎一 (2014) 『アクティブラーニングと教授学習パラダイムの転換』 (東信堂)


2016年10月1日

タイトル: 『イエスマン “YES”は人生のパスワード』(Yes Man, 2008)
投稿者: 近藤 暁子(兵庫教育大学)

『イエスマン “YES”は人生のパスワード』は、離婚してから、仕事でもプライベートでもすべてのことにNoと言い続け、周りの人と関わることに背を向けてきた男が、あるセミナーをきっかけに、今までとは逆に、すべてのことにYESということで、人生が変わっていくという、BBCラジオディレクターだったダニー・ウォレス氏の実体験に基づいた映画です。

今回はこの映画に出てくる、人との関わりを避けていたNO MANだった頃の主人公カールのセリフから、誘いや依頼にNOと答えたい時や、誘いをすっぽかした時の様々な表現を紹介したいと思います。

1.親友が集まりに誘って来た時
Peter: We're all going out tonight.
Carl: Man, that sounds great. I wish I could join you. I'm just so jammed up. I'm totally off the grid, you know what I mean?
Peter: No, I don't at all. 
Carl: I got a bunch of stuff going on. There's this thing I gotta do. Any other night would've been great. Darn it to heck. <00:01:15>

誘いに対して、それに前向きな気持ちがあるが、参加できないことを伝えるのに、“that sounds great. I wish I could join you.” 「いいね。行けたらいいんだけど。」という表現はよく使います。そして、することがたくさんあって忙しくて、行けないけど、 “Any other night would've been great.”「他の夜ならいいのに」と言っているのですが、このような表現で、相手に対して行けなくて残念な気持ちを伝えることができます。ただ、具体的な理由を伝えず、ここまで言うとちょっと、白々しい感じがするかもしれませんね。

2.上司から仮装パーティーに誘われた時
Norman: I'm having a get-together at my place. It's a funny hat and-or wig party.
Carl: Oh, man! Sucks. I'm going to be out of town.
Norman: You don't know what day it is. <00:06:56>

これでは、行きたくないのがまるわかりですが、具体的な理由がない時に、この“out of town”「出かける」という表現は便利です。

3.親友の婚約パーティーをすっぽかした時
Peter: You missed my engagement party tonight.
Carl: Oh no. Oh shoot. You are kidding? That was tonight? I am so sorry. I totally gapped it. Listen, I'll make it up to you. I promise. I swear. You pick the day. Any day you want. We'll go out. We'll swashbuckle. <00:10:44>

「〜に埋め合わせをする」という “make it up to ~”という表現も、このような時によく使われる表現です。

このように、様々な誘いにとことんNOだったカールですが、ある啓発セミナーをきっかけに、すべてにYESと答えるという約束をすることになり、彼の人生は変わっていきます。そして、様々な出会いを経験し、恋人もできますが、最後のシーンで次のようなセリフがあります。

Carl: I thought if I said 'yes' to things and got involved with people sooner or later they'd find out I’m not enough. I didn't think I had anything to share. But now I know what I have to share is pretty huge. And I want to share it with you.(イエスって言って誰かと関わり合いになっても、いずれ相手に失望されるって思ってた。人と分かち合えるものはなかった。でも今はすごく沢山あるし、君と分かち合いたいんだ。) <01:34:18>

自分に対する自信のなさから、人に対して、そして、人生に対して消極的になってしまうことはあると思います。最近は、そのような人も増えているような感じがします。しかし、カールのように、まずYESということで、いろんな経験をし、人と出会い、チャンスを掴み、より豊かな人生にすることが出来るのではないでしょうか。

映画の原作者ダニー・ウォレス氏も、インタビューで日本の人へのメッセージとして、「YES MAN、YES LADYとなって、機会を受け入れて、毎日の生活の中にある可能性をつかみ取ってください。そして、その行いを、より良い人生にするために役立ててください。」(映画『イエスマン』原作者インタビュー! ハッキリとイエス・ノーを言えない日本人? - ガジェット通信より)

この映画の主演のジム・キャリーですが、映画の撮影で、実際にバンジージャンプ、ギター、韓国語の学習、飛行機の操縦に、「YES MAN」になって、自らチャレンジしたそうです。


2016年9月4日

タイトル:「主語はどこから?」
投稿者:平井大輔(近畿大学)

日頃、何気なく目にしたり、聞いたりした表現の中に、言葉の神秘に迫るヒントが隠されています。その裏側に隠れている原理を解明することこそ、自然科学に基づいた研究の楽しみです。今回は、映画のセリフに見られる数量詞の現象から、その一つを覗いてみましょう。

以下の映画のallに注目してみてください。

(1) GRACE KELLY: And I hope that you will all do the same in your own way... <01:28:54>
  「皆さんも各自で同じこと(努力)をしてください。」
                        『グレース・オブ・モナコ』(Grace of Monaco, 2014)
(2) CRASH DAVIS: The hotels all have room service. <0:45:27>
                        『さよならゲーム』(Bull Durham, 1988)

この二つのセリフに現れるallはそれぞれ何を修飾しているでしょうか?
はい。もうお分かりの通り、(1)ではwillの後、(2)では動詞haveの前にあるにもかかわらず、それぞれのallは主語のyouまたはThe hotelsを修飾しています。つまり、二つの文のallは共に主語を修飾し、書き換えるとすれば、およそ(3-4)のような意味になります。(1)や(2)のように、数量詞が被修飾語句から離れて修飾していることを、数量詞浮遊(Quantifier Float)と呼びます。

(3) all of you will do the same in your own way...
(4) all the hotels have room service.

(1-2)の事実は、生成文法理論に対して、ある非常に興味深い理論的示唆を与えてくれています。実は、(1-2)にみられるallは主語が元々どの位置にあったかを示す重要な例なのです。これを見る前に別の例も見てみましょう。

ある言語学者によると、英語のある方言ではwh疑問文で(5)のような例が観察されると紹介されています。

(5) a. What all did you get for Christmas?
  b. What did you get all for Christmas?

(5)では、allがそれぞれ別の位置に現れてきていますが、共にwhatを修飾しています。この事実は、whatとallはもともと(6a)のような[what all]のような複合体の構造を持ち、その後、(5a)ではallがwhatと共に、(5b)ではallが元の位置に残されて、whatのみが移動したと考えられています。

(6) a. (did) you get [what all] for Christmas (wh句の移動前)
  b. What all did you get for Christmas? (wh句の移動後 (=(5a))
  c. What did you get all for Christmas? (wh句の移動後 (=(5b))

つまり、allがgetの目的語位置に置かれていることから、疑問詞は元の位置と表面上現れている位置が異なり、移動したことになります。

この分析が正しければ、(1-2)は何を示唆しているでしょうか?一般に、英語の表面上の構造は以下のような構造をしています。

(7) [ 主語 [ 助動詞 [ 動詞 目的語 ]]]

(7)の構造を基にして、先に見たある要素にくっついているallが移動の際に元の場所に残されるという仮定を考慮すれば、(1-2)から主語は(8)のように動詞句内に主語が現れた構造を最初に構築し、その後(9)のような構造に派生した可能性があります。

(8) [動詞句 [主語 all] [動詞 目的語]]
(9) [ 主語 [ 助動詞 [動詞句 [ __ all] 動詞 目的語 ]]]
         ↑
    └───────────┘


(9)の構造からもわかるように主語は元々は動詞句内に存在していた可能性が考えられます。これは、動詞句内主語仮説( VP Internal Subject Hypothesis)と呼ばれ、現在の生成文法理論では広く受け入れられている仮説です。

みなさんの中には、allが「みんなで」という意味、つまり動詞句を修飾した意味になるのではないかと思う人もいるかもしれませんが、(10)のように動詞句を修飾する副詞(VP adverb)が動詞句の前に出てくることはありません。従って、allが動詞句を修飾するような機能は持つことができません。

(10) * The runner can fast run.

また、the hotels allがひとつのまとまった句ではないかと思う人がいるかもしれませんが、それも正しい分析ではありません。(11)のように主語の後にI thinkのような節を挿入すると、allは主語の直後に置くことはできないことから、主語を修飾するallが遊離し、動詞句内にあることになります。

(11) a. The men, I think, all left at dawn.
   b. * The men all, I think, left at dawn.

この仮説はその後の理論的な発展に様々な影響を及ぼしています。興味のある方は、Sportiche (1988)などを参照してみてください。また、同時にどのような位置にどのような遊離数量詞が現れるかを探すのも楽しいですね。

(参考文献)
Sportiche, Dominique (1988) “A Theory of Floating Quantifiers and Its Corollaries for Constituent Structure,” Linguistic Inquiry 19: 425-451.


2016年9月1日

タイトル:人生の教訓にあふれる『リトル・マーメイド』
投稿者:山内 圭(新見公立大学・短期大学)

私は、2014年6月のこのコラムでもディズニー作品の『トイ・ストーリー』(Toy Story, 1995)を取り上げましたが、今回は、『リトル・マーメイド』(The Little Mermaid, 1989)を取り上げます。これもまた私が教えている新見公立短期大学幼児教育学科でよく使う教材です。27年前に作られたこの映画は、現在概ね20歳前後の学生たちの多くにとって、少女(少年)時代に観た映画です。子ども時代には、よくわからなかった映画の所々にちりばめられた意味が、青年期の今だからよくわかる、この映画を見てそんな感想を持つ学生が多くいます。

この映画は約84分の長さなので、90分授業で映画を見せる時には、途中で止めることはせずに、一気に見せます。映画からピックアップしたこれらの表現を次の授業で紹介します。

Life is full of tough choices, isn’t it? (どっちを選ぶかつらいとこだね) <00:42:40>

(If) you want something done, you’ve got to do it yourself. (こうなったら自分でやるしかない) <00:59:33>

Children got to be free to lead their own life. (子供に自由な生き方を選ばせるべきです) <01:15:54>

子どもの頃には現実味を持たなかったこれらの言葉ですが、これから進路選択や就職などを控え、人生の分かれ道にいる短期大学の2年生たちに与えるにはぴったりの言葉となります。

また、実際の授業では、時間的制約等でなかなかここまで展開することは難しいですが、この映画を契機にして、様々な方向への展開が可能となります。例えば、人魚というテーマから展開するとすれば、人魚が出て来る映画やドラマは数多くあります。その中での私のお薦めは、『スプラッシュ』(Splash, 1984)です。また、同じディズニーでは続編である『リトル・マーメイド 2』(The Little Mermaid 2: Return to the Sea, 2000)はもちろんのこと、『ピーター・パン』(Peter Pan, 1953)にも人魚が出てくるので、それらを関連づけて取り上げるのもいいでしょう。また、ジブリ作品の『崖の上のポニョ』(2008)と関連づけるのも面白いと言えます。

条件付きで人間になっている人魚アリエルがエリック王子に連れられて人間の世界を見て回る「デート」に出るシーンは、『ローマの休日』(Roman Holiday, 1953)を想起させますし、馬車のシーンは『バック・トゥ・ザ・フューチャー 3』(Back to the Future 3, 1990)のドックとクララのシーンを思い出させます。ボートに乗っている二人(アリエルとエリック王子)をキスさせようと、セバスチャンたちが歌う歌 “Kiss the Girl”の歌詞に出てくる ‘blue lagoon’からは一連のBlue Lagoonシリーズ(Blue Lagoon, 1948), (Blue Lagoon, 1980), (Return to the Blue Lagoon, 1991)への展開が可能です。また、アリエルが人間の町を見ている間、英国の人形劇 “Punch and Judy”が出てくるので、例えば、そこから同じく “Punch and Judy”が出てくる『シャレード』(Charade, 1963) への展開も可能でしょう。

他にも、荒れ狂う海の恐ろしさという観点からは、『白鯨との闘い』(In the Heart of the Sea, 2015)を関連させたり、エリック王子の宮廷を『レベッカ』(Rebecca, 1940)に出てくるマンダレイ邸と比較したり、カモメのスカットルをNHK教育テレビで放送された『リトル・チャロ』(2008)に出てくる渡り鳥のサリーなどと比較したりするのも興味深いと思います。

それから、ジャマイカ・ガニ(Jamaican crab)であるセバスチャンは、th音がd音に聞こえるジャマイカ英語の特徴をうまくとらえています。また、挿入歌の一つで名曲の “Part of Your World”の中には、言葉が思い出せない時の挿入句、「あれっ、何て言うんだっけ」との意味の “what do you call (th)em?”や “What’s that word again?”が出てきますが、会話中に連発するのはよくはないですが、実用的なフレーズとして教えてよい表現でしょう。

挿入歌と言えば、 “Under the Sea”もスバラシー(日本語の訳詞では、アンダーザシー、スバラシーと韻を踏んでいます)。この曲の歌詞に表れる、魚や海の生き物などに関する言葉遊びは、ただただ感服してしまいます。この歌詞を、シブがき隊の「スシ食いねェ」(1986)やスーパーマーケットの鮮魚売り場でかかっていて有名になった、全国漁業協同組合連合会中央シーフードセンターのキャンペーンソング「おさかな天国」(1991)との比較も私は授業で行っています。海に関する表現として一つ紹介しておきたいのは、 “Keep looking, leave no shell unturned, no coral unexplored.” (海藻の茂みをかき分けても捜し出せ) <00:57:16>です。地上でしたら、 “no stone unturned”と言うところですが、 “stone”が “shell”(貝殻)になっているところや “coral”(珊瑚)が使われているところがおもしろいわけです。

ということで、『リトル・マーメイド』は、人生の教訓など様々な要素にあふれるスバラシー映画です。


2016年8月1日

タイトル: スクール・オブ・ロックSchool of Rock 2003年
投稿者: 藤枝善之(京都外国語大学・短期大学)

良い教師とは、いったいどんな人なのでしょうか。私はこう考えます。自分が本当に好きなことを教えると同時に、それに関わる歓びを表現する人、できる人。なぜならその時、教師の情熱が生徒に伝わり、その情熱が生徒の心を動かし、生徒は教師が味わうその歓びに参加したくなる、と思うからです。私が高校生の時、数学の先生で、ある問題の解法の数式が「いかに美しいか」を熱を込めて語った人がいました。数式の意味そのものはさっぱり分かりませんでしたが、その先生が、どれほどその数式の「美」に魅了され、それに関わることの歓びを感じているかが、その無邪気な表情と語り口から伝わってきました。すると不思議なことに、私もその「美」を鑑賞し、先生が味わっている歓びを共有したくなったのです。そしてしばらくすると、大嫌いなはずの数学が、いつの間にか面白くなっていました。先生の情熱と表現力が、一人の生徒の嗜好を変えてしまったのです。

何か価値あるものを発見し、嬉しくなってその価値を他の人に伝えたい時は、自分が味わっている歓びを普通に表すだけではダメです。熱く表現しなければいけません。歓びの伝道者であるアーチストは、その意味で教師と似た立場にあると言えるでしょう。教育とは縁もゆかりもなかった落ちこぼれミュージシャンが、素晴らしい教師の資質を発揮する、という本作品は、私たち教師にとって学ぶことの多い、優れた「教育映画」になっています。

主人公のデューイは、ロック命の貧乏ミュージシャン。その無軌道ぶりが祟って、自分が結成したロックバンドを追い出された挙げ句、親友でルームメイトのネッドとその恋人から、滞納してきた家賃の支払いを催促されます。進退窮まったデューイは、家賃を稼ごうと、ネッドになりすまして名門私立小学校の代用教員に応募。首尾良く4年生クラスの担任を務めることになるのです。もちろん、ロック馬鹿のデューイに勉強を教えることなど不可能。生徒に延々と休憩を取らせてお茶を濁します。しかしあるとき、クラスの何人かが音楽の才能を持っていることに気付き、名案を思いつきます。こいつらとバンドを組んでロック・コンテストに出場し、がっぽり賞金を稼いでやろう…。

その日から、デューイによるロックの特訓授業がスタート。「コンテストで優勝すれば、ハーバード大学も夢じゃない」と言いくるめられた子供たちは、破天荒なデューイの「教育」によって生き生きと変わり始めます。おとなしく勉強するだけだった子供たちが、ロックを通して、自己主張する歓びに目覚めるのです。デューイが、教えたとおり正確にギターを弾く一人の生徒にこう言います。 “It’s perfect. But the thing is, rock is about the passion, man. Where’s the joy?”「完璧だ。しかしな、要は、ロックは情熱なんだ。どこに歓びがある?」<0:41:32>。そうです。自分が感じた歓びは、情熱を込めて表現しなければ人に伝わらないのです。私は、自分の授業がマンネリに陥って、惰性に流されそうになった時、デューイの台詞をまねて自分にこう言い聞かせることがあります。“The thing is, education is about the passion. Where’s the joy?”
デューイはまた、なかなかの励まし名人。歌唱力があるのに、太っていることを気にしてステージに出たがらない女の子に対して、「君の他にも体重の問題を抱えている人間がいるんだよ」。彼女が「誰?」と問うと、「俺だよ。でもな、ひとたび俺がステージに立って演奏し始めたら、人は俺を崇めるのさ。というのも…」 “… I’m sexy and chubby, man.”「俺は、セクシーなおデブさんだからな」<0:56:20>。このように、自信をなくした生徒の心をうまくほぐしながら、元気づけるのです。

結局、ロック・コンテストの前日にデューイの正体がばれ、彼は学校から逃げ出してしまうのですが…。

この映画で特筆すべきは、ジャック・ブラックの演技。いや、演技というより地でしょうね。彼のロックに対する情熱、ミュージシャンとしての技量、行動のクレージーさ、性格の無邪気さ。これらの要素のどれ一つ欠けても、この映画は成功しなかったでしょう。

さらに、この映画のDVDには思わぬ拾い物がありました。映画などの作品のタイトルは、しばしば冒頭の定冠詞が省かれます(例えば、Beauty and the Beast『美女と野獣』)。しかし、どんな基準で省かれるのかが分からず、長い間気になっていました。ところが、本作品のDVDの特典映像にその答があったのです。主演のジャック・ブラック曰く、「タイトルにtheの付く映画はコケる」。もちろんこれはジョークで、実際は、それぞれの好み以外に確たる基準はない、ということですね。


2016年8月1日

タイトル: 「重い」名詞句の処理に困った場合の対処法
投稿者: 三村仁彦(京都外国語大学・非)


先日、某大学で使用しているテキストに次のような一文がありました。

(1) But the conflict was not such as to make impossible the making of wonderful films.
(太字下線は筆者による)
「しかし、この対立は素晴らしい映画の製作を不可能にするようなものではありませんでした[この対立によって不可能になることはありませんでした。素晴らしい映画の製作が]。」

太字下線部が少々変わった語順になっていますが、これはもともとのmake the making of wonderful films impossibleという並びから、目的語にあたる 名詞句the making of wonderful filmsを文末に移動して得られたものです。このような文法操作は「重名詞句転移(Heavy NP Shift)」(※NPはNoun Phrase「名詞句」の略)と呼ばれ、概ね次のような効果があるとされています。

(2) a.「重い」名詞句を文末にまわすことで、文全体の流れをスムーズにする。
b. 移動された名詞句が談話の中での焦点となる。

重名詞句転移はいわゆる学校文法の枠の外側にある文法操作ですが、書き言葉・話し言葉を問わず実際の英語ではしばしば観察される現象であり、(3)、(4) のように映画のセリフに登場することも決して少なくはありません(※下線部は[  ] 内の要素が移動前に占めていた位置を表す)。

(3) I am honored to present to you [our esteemed governor and my beloved wife, Elreanor Samara Grant]. <01:16:48>
「それでは皆様にご紹介いたします。現職の州知事であり、私の最愛の妻でもある、エレノア・サマラ・グラントです。」
『ニック・オブ・タイム』(Nick of Time, 1995)

(4) Did Emily explain to you [the letter's significance]? <01:35:12>
「エミリーはあなたに説明しましたか?その手紙の重要性を。」
『エミリー・ローズ』(The Exorcism of Emily Rose, 2005)

重名詞句転移において興味深いのは、何が名詞句の「重さ」を決めるのかという点です。(3) のよう
に、多くの修飾語句を伴う名詞句が量的に「重い」とみなされるのは、見た目にも理解しやすく、異論のないところでしょう。しかし、(4) のように、修飾語句が少なくても、文脈上の理由でその名詞句が質的に「重い」場合には、重名詞句転移が可能となります。

前述のように、重名詞句転移は中学や高校で教わる(→学習する)ことは決してありませんが、英語をより深いレベルで楽しむためにはおさえておきたい(→談話の中で何に焦点が置かれているかという視点では知っておきたい)文法事項ではないでしょうか。この夏休み、映画を観ながら探してみると面白いかもしれません。


2016年7月1日

タイトル:Intrusive Consonant(嵌入子音)を伴うConsonant Cluster(子音連続)
投稿者:野中 泉(東邦大学)

street は語頭においてstr の3つの子音が連続します。子音をC、母音をVと表すと、CCCVCと1音節の語です。しかし、日本語の音節の基本的な型は子音+母音のCVパターンで成り立っていて、子音の連続は許されません。そこで多くの日本人学習者は、sとtの間にウを、tとrの間にはオを入れて、さらに語尾のtの後にもオを追加し、「ストリート」のように発音します。母音を子音の後に挿入して、CV-CV-CV-CVと組み替えると、日本語を母語とする者にとっては発音しやすくなりますが、4音節になってしまった発音は、もはやstreetとしてネイティブスピーカーには理解されません。しかし、彼らにとっても連続する子音は決して楽な発音ではなく、余計な音を挿入することで発音しやすくしていることはあまり知られていません。

『あなたが寝てる間に』(While You Are Sleeping, 1995) では、princeが「プリンス」ではなく「プリンツ」と発音されています。
(1) Lucy: And I know that someday I will find a way to introduce myself, and, and that’s gonna be perfect. Just like my prince. (いつかはなんとか自己紹介ができる、きっとうまく行くと信じていました。まるで王子様と出会うように。)
<00:04:21>

また、 『花嫁のパパ』(Father of the Bride, 1991)では、chanceは明確に「チャンツ」と聞こえます。
(2)George: If I ever wanted to get rid of Bryan MacKenzie, this was my chance. (ブライアン・マッケンジーを追っ払うなら、今がチャンスだ。)
<01:10:17>

なぜ、このような発音になるのでしょうか。 [m]、[n]、[l]などの有声子音から、無声の摩擦音あるいは破裂音に移行する際に、先行する有声音とホモオーガニック(homorganic:調音点を同じくする)な無声破裂音が挿入されています。前述の(1)の例では、prince [pri^ns]の[n]から無声の摩擦音[s]への移行部分において、歯茎音である[n]とホモオーガニックである無声破裂音[t]が挿入され、[prints]となります。元々ない音素が追加することで、子音から子音への移行を手助けし、発音を容易にしています。(2)においても同じく、[n]から[s]への移行をスムーズにするために[t]が挿入されて[tSA^ns]が[tSA^nts]へと変化しています。

ですから、sense [sens]はcents[sents]、tense [tens]はtents [tents]と結果的に同じに発音されます。その他、once、dance、answerはそれぞれ[wVnts]、[dAnts]、[AntsEr]と発音されます。[ns]以外にも、[ls]が[lts]に、[mt]が[mpt]になる例として、それぞれelseが[elts]に、dreamtが[drempt]になることが挙げられます。アメリカ発音においては、このような発音は標準音になっています。

最後にonceが[wVnts]に聞こえる良い例として、ホイットニー・ヒューストンの“All at Once”を是非聞いてみてください。これでもか、というほどリフレインされており、納得の例証です。https://youtu.be/rKUXK08E1ds


2016年7月1日

タイトル:映画英語で学ぶ「服」を表す類義語
投稿者:山本五郎(広島大学)

身の回りのありふれた物を英語で言いたい時に,似たような意味を持つ単語がいくつも思い浮かぶことがあります。例えば,日本語の「服」に当たる英単語にはどのようなものがあるでしょうか。

「服」を表す最も一般的な語はclothesです。基本的な単語ですが英語学習者が誤って/klouzɪz/と発音することがあります。clothesの発音は「閉める」を表すclose(/klouz/)と同じですから,音には気を付けたいものです。「服・衣類」を表す単語には,他にclothing, dress, wearなどがよく用いられます。今回はこれらの名詞を修飾する形容詞との相性や特徴的な表現に注目してみましょう。

clothesは様々な形容詞を伴って用いられますが, 制服・軍服などに対してcivilian clothes(平服・私服)という表現を耳にすることがあります。

(1) “Sergeant, why are you not in your uniform this evening?” (軍曹,今夜はどうして軍服を着ていないんだね)
“We've been ordered to wear civilian clothes this evening, sir.” (今夜は私服を着用しろという命令なんです)
『ミッション:インポッシブル』(Mission Impossible, 1996) <00:13:51>

またclothesはclean clothes(洗い立ての服)やstreet clothes(日常着・外出着)のように,どちらかといえば一般的な修飾語との相性がよいようです。

clothesと綴りの近いclothingも一般的に「服」を表しますが,少しかたい印象を与える単語です。protective clothing(防護服)やwarm clothing(防寒服)のように機能を表すような形容詞を伴うことが多いようです。

(2) “Aromatic polyamide.” (芳香族ポリアミド繊維)
“It's a synthetic fiber used to make bulletproof clothing.” (防弾スーツを作るのに使われる合成繊維です)
『CSIマイアミシーズン7 獄中からの呪い』(CSI Miami Season 7: Target Specific, 2009) <00:19:35>

dressは正装という意味では男女の区別なく用いることもありますが,やはり女性用の「ドレス」を指すことが多い単語です。an evening dressやa wedding dressのようにドレスの種類を表す語とよく用いられます。また色を伴うことが多いのも特徴と言えるでしょう。

(3) “I first saw her at Palantine Campaign Headquarters at 63rd and Broadway.” (はじめて彼女を見たのは63丁目の(次期大統領候補の)パランタインの選挙事務所だった)
“She was wearing a white dress.” (彼女は白いドレスを着ていた)
“She appeared like an angel.” (まるで天使のようだった)
『タクシードライバー』(Taxi driver, 1976) <00:10:20>

wearは特定の用途の服を表すような形容詞を伴うことが多く,formalやmaternityといった単語と相性が良いようです。またsportswear(スポーツウェア)やunderwear(下着)のように他の単語と一緒に複合語を作ることも多い単語です。

(4) “It's chief exports are textiles, footwear and rice.” ((タイの)主な輸出品は布地や靴や米だ)
『ハングオーバー!! 史上最悪の二日酔い、国境を越える』(The Hangover part 2, 2011) <00:19:45>

今回は「服」を表す類義語に注目して映画のセリフを紹介しました。特徴的な形容詞との組み合わせは絶対的なルールではありませんが,英語に多く触れていくうちに語と語のつながりの相性のようなものに気付くことも多いはずです。英語の語感を養うためにも,あまり選り好みせず様々な英語映画を観てセリフを楽しんでいきたいものです。


2016年6月13日

タイトル: feel ‘bad’とfeel ‘badly’-心理面をどう伝える?
投稿者: 横山仁視(京都女子大学)

S+V+Cに用いられる動詞(認識・感覚・状態・変化)の補語となる品詞は一般的に形容詞をとり、このことは、次の(1)から(5)をはじめ多くの映画の台詞でも確認できます。

(1) JANE: Don’t feel bad.(27 Dresses, 2008)<00:28:38>
(2) GEORGE: We live next door to each other, and I feel bad.(Erin Brockovich, 2000)<00:17:36>
(3) SCOTT: I just want to live my life and not feel bad about it.(Freedom Writers, 2007)<01:39:20>
(4) JEREMY: I feel real bad about this.(Indecent Proposal, 1993)<00:07:46>
(5) VINCENT: But don’t feel bad, we just met each other.(Pulp Fiction, 1994)<00:42:08>

しかし、(6)や(7)のように副詞をとる場合もあります。

(6) ANNE: Please don’t do this because you feel badly on my account.(Anne of Green Gables, the Sequel, 1988) <01:13:50>
(7) LAURIE: Don’t feel too badly, Jo.(Little Women, 1994)<01:23:10>

確かに、『ウィズダム英和辞典、3版』の見出し語‘feel’と‘badly’には次のような記述があります。

feel bad ((くだけた話)) 体調が悪い; いやな気分だ, 後悔している, 気がひける(精神状態を示す時はbadlyも見られる)
[[feel badly]] 気分が悪い; <<…を>>残念[気の毒]に思う<<about>>

学習者がとっさに自分の気持ちを伝える役割として使い分けを区別することは、いささか難しいのではないでしょうか。仮に発話者が抑揚に注意して、‘bad’に強勢を置き、長母音化して発音すれば、その人の心理面を前面に表すことはできるでしょうから。

この事象を理解する上で役に立つと思われる辞書を以下を紹介します。投稿者が学生時代に「辞書」というよりは「表現集」として愛読していたものにHarper Dictionary of
Contemporary Usage
があります。この辞書の特徴は、特定の語彙の用法について「正用法」なのか「誤
法」なのかについて境界線を引くことを狙ったものではなく、母語として英語を職業人として仕事の
中で日々使用している166人のインフォーマント(writer, radio and TV commentator, editor, linguist,
educator, journalist, historian, novelist, lawyer, poet, news correspondent, columnist etc.)にアンケート調査を
したもの編纂したものです。

用法の一つに興味深い設問がありますので、以下に紹介します。
(pp.61-62)。

When referring to your mental physical state, do you say, “I feel bad”?
Yes: 77%. No: 23%
“I feel badly”? Yes: 26%. No: 74%

以下が回答例ですが、bad/badlyに関わらず母語話者の表現のバリエーションに触れることができるのが英語学習者にとっては何よりも魅力ではないでしょうか。

・(rejecting “feel badly”) “And I feel terrible when someone else says it!”
・“ ‘Feeling badly’ is the mark of an inept dirty old man.”
・“I avoid both. I would simply say, ‘I don’t feel well.’ ”
・“Sometimes I use one, sometimes the other. When I feel really terrible, I say ‘bad.’ ”
・“I say ‘fee bad.’ You don’t feel ‘goodly,’ do you?”
・“I avoid the issue by saying, ‘I feel lousy.’ ”
・“ ‘Badly’ in this use seems a bit pedantic, but I would say, ‘I feel badly about letting you down.’ ”
・“Both sound awkward to me. I’d say, ‘I don’t feel well.’”
・“My sense of touch is good-so I don’t ‘feel badly.’ ”
・“I generally say, ‘I feel like death, awful, etc.’ But ‘bad’ is the answer to the question.”
・“I say ‘I don’t feel good.’ ”
・(voting “no” to both) “I particularize the symptoms. That’s much more impressive. ”
・(voting “yes” to badly) “But what I really say is ‘I feel terrible’ (or ‘lousy’).”
・“Yet ‘I feel poorly’ does distinguish between health and poverty.”
・(No to both) “I should say ‘I feel ill’ or ‘depressed.’ ”
・“I distinguish. Some situations seem to call for ‘bad,’ others for ‘badly.’ ”
・“ ‘Feel badly’ is a dainty-ism used by people who think ‘bad’ is too blunt and crude.”
“I use ‘I feel bad’ to express a physical condition, but ‘I feel badly’ to express an emotional response.”
 (下線は投稿者)
“If my tactile sense were so blunted that I felt badly, I’d feel po’ly about it.”
 (下線は投稿者)
“ ‘I feel badly’ is god-awful because it signifies an effort to be elegant by one obviously ignorant.”
 (下線は投稿者)
・“I’m sure I’d really say, ‘I feel lousy.’ ”
・“Neither. I’d say, ‘I don’t feel well’ or ‘I feel awful’-which in principle, I suppose, is the same as ‘I feel bad.’ ”

特に下線を引いた意見には興味深いものがあります。時代背景、発話者の人物描写からくる意図的な話術?を感じ取ることができます。ちなみに、COCA(Corpus of Contemporary American English、1990-2015年度で520million wds)では、feel ‘bad’が1707件、feel ‘badly’が152件ヒットします。

(参考辞書)
William Morris, Mary Morris (1985) Harper Dictionary of Contemporary Usage, 2nd ed.
NY: Harper & Row, Publishers. (ISBN: 0-06-181606-X)


2016年6月1日

タイトル: 時代特有のスポーツ事情を映画で学ぶ
投稿者: 飯田泰弘(大阪医科大学・非)

どこの国でも、国民がとりわけ熱狂するスポーツというものがあります。北米の場合、プロリーグを持つスポーツの中で最大の人気・規模を誇るのは、ベースボール(MLB)、バスケットボール(NBA)、フットボール(NFL)、アイスホッケー(NHL)の4つではないでしょうか。これらを題材とした映画も多数ありますが、今回は多くの日本人選手も活躍するベールボールについて取り上げます。

日本人選手のMLBへの門戸を広げた選手といえば、野茂英雄氏でしょう。数々の球団で輝かしい成績をおさめた彼は、メジャーデビューの1995年から新人王や奪三振王のタイトルを獲得。全米で一大旋風を巻き起こしました。1995年春まで史上最長のストライキを実施していたMLBにとって、彼の登場は野球人気復活に大きく貢献しました。

野茂氏の活躍は、90年代の映画の中でも確認できます。たとえば『ライアーライアー』(Liar Liar, 1997)は、まさに野茂氏の絶頂期に製作された映画で、舞台も彼が当時在籍していたドジャーズの地元、ロサンゼルスです。映画の中では、息子(Max)が父親(Fletcher)から誕生日プレゼントに野球セットをもらうシーンで、次のような会話があります。

(1) Max: Baseball stuff! (野球セットだ!)
  Fletcher: Baseball stuff! (野球セットさ!)
  Max: Cool! Can we play!? I’ll be Nomo. You can be Jose Canseco. Can we play that!? Can we play!?
  (最高!一緒にする!?僕はノモだよ。パパはカンセコだ。一緒にする!?) <00:11:41>

いかにも野球好きの親子の会話です。どこの国でも子供は「有名なスポーツ選手ごっこ」をしたがるようですが、その遊びに野茂氏の名前が登場するのがどこか嬉しいですね。当時、いかに彼がロサンゼルスで子供たちのヒーローだったかがわかります。また、親子が野球について話す別のシーンでも、当時のベースボール事情がわかるセリフがあります。

(2) Max: But I told them I’m playing tonight with my dad. So now they want to play with us. Is that okay?
  (今夜パパと野球するって言ったら、彼らも一緒にしたいって。いい?)
  Fletcher: Sure. The more the merrier.(もちろんさ。大勢の方がいい。)
  Max: Cool! Still wanna be Jose Canseco? (やった! パパはやっぱりホセ・カンセコやる?)
  Fletcher: Oh, yeah. Who else is gonna hit that famous Nomo slider?
  (当然さ。ほかの誰が野茂の有名なスライダーを打てるんだい?) <00:56:35>

野球好きのかたは、最後のセリフに違和感を持たれたと思います。そう、野茂投手が屈強なMLB選手から当時、三振をバッタバッタと取っていたのは「フォークボール」という縦に落ちる変化球を得意としていたからで、MLB選手たちも口をそろえて「手元でボールが突然消える」と言っていました。しかし当時のMLBでは、肘への負担回避のためフォークボールを投げる選手はあまりおらず、セリフではより知名度があり、同じ縦方向へ落ちる別の変化球「スライダー」という表現になっています。フォークボールをスライダーと誤認しているこのセリフからも、野茂氏の「フォークボール」がどれほど「魔球」であったかがわかります。(縦方向のスライダーでいま有名な選手は、ヤンキースの田中投手(マー君)などですね)

このように、映画ではその時代特有のスポーツの情報を得ることもできます。スポーツ好きのかたはそういう視点で映画を観ても面白いと思います。ちなみに何度も出ているホセ・カンセコという選手は、同じく90年代に活躍したホームランバッターで、昨年末、ジャスティン・ビーバーとの熱愛報道が出たモデルのジョージー・カンセコは、彼と元妻の間に生まれた娘です。


2016年5月1日

タイトル:『私の中のあなた』(My Sister’s Keeper, 2009)「メタファーに見る西洋的父性原理」
投稿者:北本晃治(帝塚山大学)

コミュニケーションにおいて、日本人が言葉の意味の整合性よりも、その感情・感覚による一体感を重視する母性原理を基調とする一方で、西洋人には、安易な感情・感覚的迎合よりは、言葉の意味やその論理性に拘る父性原理の影響が大きいということは、このコラムの中でも繰り返し論じてきましたが、今回は、メタファー(隠喩)の使い方の中にも、それが表れている例を見てみましょう。

まずは、映画の概要です。幼くして白血病を発症し、家族であっても、HLA(白血球の血液型)が異なるため、必要な手助けができないと宣告された夫婦とその子供達のことが描かれています。そして彼らは、医師の密かな勧めから体外受精の操作によって、それが適合するもう一人の子供を産んで、その子から必要な組織を提供させるという選択をします。

かくして生まれてきたアナは、幼い頃から白血病の姉、ケイトを救うために、何度も体の組織の提供を強いられるも、弁護士の職を辞して娘の面倒を見ることに専念する母サラと、消防士として活躍する父ブライアン、そして兄のジェシーとともに、愛情に包まれた家族の絆を築いて行っているように思われました。しかしアナが11歳になった時、姉のケイトが腎不全をおこし、腎臓の移植手術が必要になります。片方の腎臓を移植しなければ姉の死は確実なものとなるという時に、アナは両親を相手取って臓器提供を拒否する訴訟を起こすのでした。

実は、姉のケイトが大好きなアナは臓器提供も厭わなかったのですが、訴訟は、死が確実なものとなりつつある現状の中、これ以上の家族の犠牲とつらい治療から逃れ、やはり白血病で先に死んだ恋人テイラーの元への旅立ちを望むケイトの強い願いを実現したものだったのです。母サラは、ケイトを生かすためだったら、家族のどんな犠牲も仕方がないという母性超自我の持ち主です。母の自分への強い愛ゆえに、それに決して気持ちでは抗えないケイトが考え出した案が、アナによる訴訟だったのです。そして、訴訟の場において、それがケイト自身の意志によるものであることが露呈してしまった後も、サラの姿勢は変わりません。

様々なテーマが取り出せる、とても奥深い映画なのですが、はじめに述べたように、ここでは特に白血病を患った娘のケイトとその母サラとの間で交わされた最後の会話に含まれるメタファーに焦点を当てて、考えてみることにしましょう。その後、死期を悟ったケイトは、病室から家族をすべて帰し、母と二人きりになって以下のような会話を展開します。

Kate: You don't wanna talk?(話したくないの?)
Sara: Nope.(そうよ)
Kate: Are you mad at me?(私のこと怒ってる?)
Sara: I'm not mad at you, I'm just mad. You gotta get some rest, okay? You be strong for surgery.(あなたに怒っているわけじゃないわ。少し休みなさい。手術にそなえなきゃ。)

Kate: I made this for you.(これ、お母さんのために作ったの。)
Sara: What is it?(なに?)
Kate: It's everything. It's us. It was a good one, wasn't it? (すべてよ。私たちのこと。いい人生だったでしょう?)
Sara: The best.(最高よ。)
Kate: Remember that summer when I went away to camp? And I was so scared that I'd miss you guys.(私がキャンプへ出かけたあの夏のこと覚えてる? 私、家族と離れるのがとても怖かったの。)
Sara: Yeah.(そうだったわね。)
Kate: Before I got on the bus, you told me to take a seat on the left side, right next to the window, so I'd be able to look back and see you there.(バスに乗る前に、お母さんは、左サイドの窓際の席に座るように言ったわ。振り返ればお母さんが見えるからって。)
Sara: I remember.(覚えてるわ。)
Kate: I get the same seat now. It's gonna be okay. It's gonna be okay, Mom, I promise. (今も同じ席にいるわ。大丈夫だから。お母さん、大丈夫よ。約束するわ。) <01:33:10>

まずは、幼い頃からの自分と家族の交流を綴った感動的な手作りのアルバムを見せ、「いい人生だったでしょう?」と母に問いかけます。これには、母は、「最高よ」と答えるしかありません。そして、昔のキャンプへの旅立ちの思い出を持ち出して、それが母子の絆の強さを示すものであったことを確認した上で、「今も同じ席にいるわ」と死への旅立ちを母に認めさせるのでした。ここで、これまで決して折れることのなかった母も、感極まって泣き崩れてしまいます。ケイトはそれを抱き留めて「大丈夫だから」と、優しく慰めるのでした。母子の役割は逆転していますが、その絆と真の愛情とは何かが、稲妻のように表出した瞬間でした。

それでは、愛ゆえに相手を縛る母性超自我に囚われていたサラに、身体的納得を齎した、このキャンプと死への旅路を重ね合わせる「今も同じ席にいるわ」というメタファーは、一体どのような構造を持っていたのでしょうか。

キャンプへの旅路 死への旅路
娘がキャンプへ旅立つことは、その成長に必要である。 娘が死へ旅立つことは、その魂の安らぎに必要である。
見送ることは母の愛である。 見送ることは母の愛である。
バス左サイドの窓際の席:「母子の絆の強さ」と「分離の必要性」を両立、保障する場。 メタファー:今も同じ席にいるわ)今のこの病室=バス左サイドの窓際の席:「母子の絆の強さ」と「分離の必要性」を両立、保障する場。
母(家族)との別れを怖がっている娘。
母が娘を見守っているから娘は大丈夫。
娘との別れを怖がっている母。
娘が母を見守っているから母は大丈夫。

対照表のように、娘のケイトが用いた「今も同じ席にいるわ」というメタファーには、自らの死への旅立ちを見送ることこそが、真の母の愛であること、そして母は過去にそれと同型の事柄を、すでに実践に移した経験があること、今回は、かつて見守られた娘が、母を見守る立場へと大きく成長していること等を、母サラに認めさせる意味の連鎖が、見事に埋め込まれていることが分かります。成長の証としての言葉の行使が、母性超自我によって生じている母子一体の固着感を突き崩し、自律的な個をベースとした関係性を再定義する力を生み出しています。これはまさに、根拠に基づいた新たな意味を切り開く父性原理の機能だと言えるでしょう。

このように、訴訟の場はもとより、メタファー(隠喩)のレベルでも作用している父性原理を考えてみることで、西洋文化の本質的理解もさらに深まって行くものと思われます。


2016年5月1日

タイトル:『マイ・ブルーベリー・ナイツ』に見る比喩表現~失恋編~
投稿者:松田早恵(摂南大学)

『マイ・ブルーベリー・ナイツ』(My Blueberry Nights, 2008)は、ウォン・カーウァィ監督が豪華キャストを起用して撮影した初めての英語作品ですが、評価は賛否両論に分かれます。主演女優のノラ・ジョーンズ(エリザベス)や主演男優のジュード・ロウ(ジェレミー)よりも脇役のナタリー・ポートマン(レスリー)、レイチェル・ワイズ(スー・リン)、デビッド・ストラーザン(アーニー)の演技の方が際立っているとか、カメラワークが良くないとか、ストーリーが非現実的だなどの批判もありますが、主役の二人のやりとりには、人生哲学っぽいメッセージがちりばめられており、なかなか勉強になります。タイトルにも使われているブルーベリー(パイ)の比喩が面白いのでご紹介します。

ストーリーは、ニューヨークのレトロなカフェバーから始まります。ある晩そこにエリザベスが現れ、店主のジェレミーに自分の元彼が来なかったと尋ねます。毎日来ては同じ質問を繰り返すエリザベスに、ジェレミーは優しく対応します。その後しばらくして、エリザベスは元彼との合鍵をジェレミーに預け、今度は元彼が取りに来たかどうかをチェックするため毎晩カフェバーに通います。自分がなぜフラれたのかわからないと悶々とするエリザベスは、ジェレミーと次のようなやりとりを交わします。

ELIZABETH: Guess I’m just looking for a reason.
(別れの理由が知りたいだけなのかも。)
JEREMY: Well, from my observations, sometimes it’s better off not knowing, and other times there’s no reason to be found.
(僕が思うに、時には知らないほうがいい。それに理由が見つからないこともある。)
ELIZABETH: Everything has a reason.
(全てに理由があるわ。)
JEREMY: Hmm. It’s like those pies and cakes. At the end of every night, the cheesecake and the apple pie are always completely gone. The peach cobbler and the chocolate mousse cake are nearly finished, but there’s always a whole blueberry pie left untouched.
(パイやケーキみたいなもんなんだ。毎晩店を閉めるとき、チーズケーキとアップルパイは売り切れてる。ピーチコブラーとチョコレートムースケーキもほぼ完売。でもブルーベリーパイはいつも手付かずで残ってしまう。)
ELIZABETH: So, what’s wrong with the blueberry pie?
(ブルーベリーパイの何がいけないの?)
JEREMY: There’s nothing wrong with the blueberry pie. People make other choices. You can’t blame the blueberry pie. It’s just no one wants it.
(何も悪くない。お客が他の選択をするんだ。パイのせいじゃない。誰も欲しがらないだけで。)
<0:06:44>

“It’s just nobody wants it.”(誰も欲しがらないだけ)はグサッと胸に刺さりそうな気がしますが、このやりとりは、エリザベスをブルーベリーパイに例えた、ジェレミーなりの励ましです。“There’s nothing wrong with you. Don’t blame yourself.”(君は全然悪くない。自分を責めないで)というメッセージが込められていると言えます。実際、エリザベスは、この後棄てられそうになるブルーベリーパイを一切れ食べてみることにします。そして、それが案外美味しいことに気づくのです。

とはいえ、元彼への執着心はそんなに簡単に吹っ切れるものでもありません。エリザベスは、夜な夜な愛の古巣を道路から見上げては元彼の姿を探します。ある晩、窓際に彼の姿を見つけたエリザベスは、その後決定的な瞬間を目撃します。そして、ストーリーはそこから違う展開を見せ、エリザベスは傷心の旅に出るのでした。

<余談>
Jeremyの説明に対して「本当にそうなの?」という疑問が生じたので、「チーズケーキ、アップルパイ、ピーチコブラー、チョコレートムースケーキ、ブルーベリーパイという5種類の選択肢があったら、あなたは何を選びますか?」という質問を周りにしてみました。ピーチコブラーに馴染みの無い人には、ピーチパイのようなものだ(It’s like a peach pie.)と説明しました。回答者は、10代~80代の男54名、女性50名の計104名で、国籍は日本100名、アメリカ2名、オーストラリア1名、カナダ1名でした。

結果は、<1位>チーズケーキ:42名、<2位>チョコレートムースケーキ:27名、<3位>アップルパイ:22名、<4位>ブルーベリーパイ:7名、<5位>ピーチコブラー:6名でした。

ダントツはチーズケーキでしたが、2位はチョコレートムースケーキが意外と健闘してアップルパイを抜きました。概して男性からの人気が高かったようです。日本ではもっと人気が高いかと思ったブルーベリーパイですが、やはり…Not many people want it?


2016年4月1日

タイトル:「男女の役割の変化とともに表現も新しく」
投稿者: 藤倉なおこ(京都外国語大学)

“stay-at-home dad”という表現をご存知でしょうか?直訳すると「家にいるお父さん」ですが、アメリカ、カナダ、イギリス、そして日本でも最近、増えている「専業主夫」のことです。米国の調査会社Pew Research Centerによると、かつては男性が外で働かずに家にいる最も多い理由は、「病気または障がいがある」でした。しかし、「家族の世話をするため」という理由がここ20年で約4倍に急増しています。背景には夫よりも高収入の妻が出てきたこと、また積極的に育児に関わりたいという考える男性が増えたことがあげられます。

映画『マイ・インターン』(My Intern, 2015)のアン・ハサウェイ扮するジュールズは、ファッションサイトを運営する会社の最高取締役責任者(CEO)です。幼稚園に通う娘と専業主夫の夫と暮らしています。彼女の会社にシニア・インターンとしてやってきたのがロバート・デニーロ扮するベンでした。ベンは運転手として彼女を朝、車で迎えに行きます。その時、妻の洋服をクリーニングに出し、妻に幼稚園の行事に出席できるかをたずねる主夫である夫をベンは目の当たりにします。以下がその後の会話です。

ベン :“I read about these househusbands. It’s interesting how that worked just now.”(“househusband”については読んだことがあったよ。今のきみたちを見ていたらうまくいくものなんだなと思ったよ。
ジュールズ:“They actually prefer to be called stay-at-home dads.”(彼らは“stay-at-home dads”って言ってほしいと思ってるのよ。)
ベン :“Oh, sorry. I did not know that. Well, it’s very admirable. He’s a real 21st century father.”(それは失礼。知らなかったから。とても立派だと思うよ。まさに21世紀のお父さんってところだね)。<0:43:58>

かつて「主夫」には“househusband”という表現が使われていました。しかしそれには「就職できないで家にいるダメな夫」という偏見がつきまとっていました。まだ決して「主夫」に対する偏見がなくなったというわけではありませんが、最近では代わりに “stay-at-home dad”が使われ、男性にも女性にも使える “stay-at-home parent”という表現もあります。また、主婦についても“housewife”ではなく「主婦」にも「主夫」にも使える“homemaker”と表現されることが増えています。男性、女性の役割の変化とともに表現も変化していきます。


2016年4月1日

タイトル:『ブリッジ・オブ・スパイ』で学ぶ法律英語
投稿者: 井村誠(大阪工業大学)

『ブリッジ・オブ・スパイ』(Bridge of Spies, 2015)は、米ソ冷戦時代にFBIによって捕らえられたソ連スパイのルドフル・アベル(Rudolf Abel)の弁護を引き受け、後にソ連および東ドイツとの人質交換を成功させた弁護士ジェームス・ドノバン(James Donovan)の実話に基づく物語です。ドノバンの交渉術から法律英語を学んでみましょう。

まず、アベルの弁護にあたってドノバンは、合衆国憲法修正第4条(The Fourth Amendment)に基づいて、FBI が捜査令状(warrant)なしに家宅捜査(house searching)を行って押収(confiscate)した証拠物件(evidence, exhibit)が無効(inadmissible)であると主張します。しかしその申し立て(motion)は5対4の評決(verdict)により却下され、裁判は敗訴。ただ様々な圧力がかかる中で、ドノバンは将来の人質交換(prisoner exchange)の可能性を判事に直訴して、なんとか死刑判決を回避することに成功します。

その後実際にソ連側で米軍パイロットが捕らえられるという事件が起こり、CIAの依頼によりドノバンはパイロットのパワーズ(Francis Gary Powers)と、アベルの人質交換の交渉に駆り出されることになります。この時ドノバンは、パワーズのみならず、当時ベルリンの壁が築かれつつあった東ドイツで拘留されたアメリカ人学生プライヤー(Frederic Pryor)の救出にも成功します。いったいどうやってこのような困難な取引を可能にしたのでしょうか?

ソ連はアベルをソヴィエト市民として認めたくないために、東ドイツ経由で交渉を進めようとします。いっぽう東ドイツは共産主義国としての地位を確立するためにロシアに恩を売りたいという腹があります。ここに目をつけたドノバンは、いわば「三方良し」の形で相手を丸め込みます。以下は、ドノバンが1対2で人質を交換することについて、東ドイツの交渉相手に語った下りです。

<01:39:37>
Donovan: I'm not quite sure what the problem is if the arrangement satisfies two parties or three or four. What difference does it make?(何が問題なのかな?当事者がみな満足するならそれでいいじゃないか。)
<01:40:19>
Donovan: Now, tell me if I am describing this wrong. You have a kid, a university student, someone you know is not a spy, who's no threat to you. And in exchange for this person who is worthless to you, you play an equal part in an exchange between the Russians and the Americans.(もし間違ってたら言ってくれ。この大学生がスパイじゃないことは誰の目にも明らかだ。何の脅威にもならない人質を差し出すことで、君の国はソ連、アメリカと同等の役割を果たせるんだ。)

なお、法学英語については、法律の専門家による『新・シネマで法学』(野村進・松井茂記[編] 有斐閣)という本が参考になります。ご紹介まで。


2016年3月7日

タイトル: 形容詞nakedの新たな意味について
投稿者: 吉川裕介(昭和大学)

今回は形容詞nakedの新たな語義の獲得について紹介したいと思います。形容詞nakedをジーニアス英和辞典で引くと次のように定義されています。

 ①〈人が〉裸の、全裸の;〈体の一部が〉むきだしの(bare, nude)
 ②〈物が〉覆いのない、むきだしの(bare)
 ③〈目が〉めがねなどに頼らない
 ④〈感情・態度などが〉露骨な、あからさまな、ありのままの (G5, S.V. naked)

定義①と②から、nakedはbareやnudeとある程度意味が重複する点がうかがえます。定義③に注目すると、the naked eyeというコロケーションで生起し、「裸眼、肉眼で」という意味で用いられます。実際、nakedと共起する名詞をコーパスで調べるとeyeが圧倒的に頻出することからも、そのコロケーションの結びつきの強さが分かります。

ブルース・ウィリスが主演するSF映画『12モンキーズ』(Twelve monkeys, 1995)でもthe naked eyeという表現が作品中で使われています。以下は、真犯人(作品の性質上、名前は伏せてあります)が全人類の99%を滅ぼすことになる凶悪なウィルスを手にした際の台詞です。

The real culprit: There, you see? Also invisible to the naked eye. It doesn't... even have an odor.
真犯人:「ほらね、肉眼では見えない。匂いさえも…ない」
                                                   (Twelve monkeys, 1995)<02:00:25>

しかし、近年になって形容詞nakedが新たな意味で用いられるようになっています。The New York Timesからの例を見てみましょう。この例ではnakedが「加工しないで、生のままで」というrawの意味で使われています。このことは、nakedが「本来の」というoriginalの意味を帯びて使われ始めていることを表していると言えます。

The explosion of raw bars and dedicated oyster menus in Manhattan has sent a clear message: Sophisticates eat oysters naked on the half shell. Cooking is for people who wear pastels. (注釈:who wear pastelsは前のSophisticatesと対比しており、一般的な人々と解釈すると良いと思います。Sophisticatesは黒やグレーのような色合いの服を好んで着ていることに由来する。)
                                                   (The New York Times 2001/04/25)

この他にもnaked salad「ドレッシング等をなにもかけないサラダ」(plainの意)や、naked water「濾過した、不純物を取り除いた水」(pureの意)のような使用例が見られます。このような語義の拡張はnakedと他の同義語には観察されず、「本来のままの」という意味を中心儀にもつnaked固有の表現になっている点が非常に興味深いと言えます。

このnakedの新たな意味は、その使用域を広げている途上であることから、映画で共起例を発見することは難しいかもしれませんが、近い将来、映画でも使われるほど一般性の高い表現になっているかもしれませんね。


2016年3月4日

タイトル: Great は「素晴らしい」?!
投稿者: 近藤嘉宏(京都外国語大学・非)

Greatは、誰もが知っている基本語彙ですが、文脈から離れて意味を理解しようとしたり和訳をしようとすると殆ど不可能な作業になってしまいます 。状況に適した、文脈に沿った和訳も映画の一場面を使えばよりやり易くなるでしょう。 また、英語力を身につけるinputの方法の一つにオーラルインタープリテーション(近江誠元南山短期大学教授が提唱)があります。これは「意味というものは、言語の内部にすでに存在しているのは一部であり、多くはむしろその使用者(=語り手)が、特定の語り手を意識し、ある時と場所からある思いを込めて与えるものであるという言語パロール観という言語観」に基づいた方法です。(omi-academy.com/about/より)。つまり1)誰が、2)誰に、3)いつ、4)どこで、5)どういう理由で 6)何を、7)どのように、語っているのかを批判的に味読 し、その理解した事を朗読・音読によって表そうというものです。7)番目の項目には、ボディーランゲージのような非言語的な情報も要素の一つになります。この7つの項目を考えて音読・発話をしようというのがOral Interpretationであり、その点で映画は、理想的な教材と言えるでしょう。

『この胸のときめき』(Return to me, 2000)から次の例を見てみましょう。

(Meganが待合室が雑然としているのを見てAdamたちに)
Megan: "Adam, Martin, Dayton, what is that?"(アダム、マーティン、デイトン、あれは何?)
Tyler (Meaganの子供): "Cherry pop."(チェリーポップだよ。)
(子供がワインを飲んでるのを見て)
Megan: "Sophie, did you give him wine?"(ソフィー、あなた子供にワイン飲ませたの?)
Sophie: "Angelo..."(アンジェロよ。)
Megan: "Angelo, what are you doing to me?"(アンジェロ、何してくれてるの?)
Angelo: "It's... tranquilliser."(それは…鎮静剤さ。)
Megan: "Oh, that's great!(まあ、なんてこと。)
Angelo: “So sue me. They are drunk and disorderly.”(じゃあ、訴えてもいいぜ。あの子たちはもう酔っ  ぱらってはちゃめちゃになってるけどな。) <0:21:20>

ここでのgreat は文面だけで意味を理解するのは困難ではないでしょうか。上の7つの要素がほぼ不明だからです。状況は友人たちが病院の待合室で友人の心臓移植手術を待っている状況で時刻はすでに午前1時です。病院の待合室での会話で子どもは自宅で寝ているはずの時刻。cherry popだけでなくワインも飲んで起きている。そのような状況での発言。この発言の映像を見れば Meganのイントネーションや顔つきなどの言語以外の情報から彼女の発言の意図を読み取る事は簡単でしょう。試訳として「なんてこと」としましたが、「すばらしい」は当てはまらないにしても、「困るわね。」「何してるの。」「やめてよ。」などいくつか候補が出てくるのではないでしょうか。字幕では、「あきれた。」となっています。

Collins Cobuild English Dictionary(第7版) の見出し語greatの語義番号11には you say great in order to emphasize that you are angry or annoyed about something.と定義されており、この状況を説明しています。一方、語義番号10の定義には正反対の意味でyou say great in order to emphasize that you are pleased or enthusiastic about something. があります。全く正反対の意味を一つの単語が表すことから、意味を決定するには文脈を考慮することが大切であることを教えてくれています。そして、意味が理解できたらそれを実際に音読・発話してこれらの表現をまるごと身体の中に取り入れていこうというのが先に紹介したオーラルインタープリテーションです。実際に学生にこの部分を音読させると本当に意味が分かった上での音読なのかどうかすぐに分かります。こうした観点を授業に取り入れていくことはできるのではないでしょうか 。


2016年2月1日

タイトル: 映画プラトーンに見るアメリカ社会の宿痾(しゅくあ)
投稿者: 佐藤弘樹(京都外国語大学・非、α-Station FM Kyoto パーソナリティー)

数ある戦争映画の中でも、映画「『プラトーン』(Platoon, 1986)」は、その思想性とメッセージ性において傑出した作品だと思います。今から30年前の映画とはとても思えません。

1986年公開、オリバー・ストーン監督。場面はベトナムの戦場。主人公は大学を中退してベトナムに志願してやってきた若者クリス・テイラーと、歴戦のバーンズ軍曹とエリアス軍曹。

バーンズ軍曹とエリアス軍曹はことごとく対立し人間関係はこじれています。バーンズ軍曹は戦闘に勝利する事しか考えない冷酷無比な男。一方のエリアス軍曹は部下思いの優しい男。ある日、村民を虐殺しようとしたバーンズ軍曹をエリアス軍曹は身体を張って止めさせます。これにより二人の対立は決定的なものとなります。そして、斥候に出たエリアス軍曹をバーンズ軍曹は射殺します。

部隊が現場からヘリで撤収する際に、瀕死の重症をおったエリアス軍曹は敵に追われながら逃げてきますが結局敵に撃たれて戦死します。

生前、エリアス軍曹はクリスに「この戦争は負ける」と言い、こう語りかけるシーンがあります。

エリアス軍曹:We’ve been kicking other people’s asses for so long. I figure it’s time we got kicked.
「アメリカは長いこと他国に対して横暴だった。そのバチが当るころだ。」(<01:02:38-42>)

バーンズ軍曹によるエリアス軍曹殺害を疑ったクリスは彼に殺意を抱きますが、逆に組み伏せられてしまいます。その時、バーンズ軍曹はエリアス軍曹を非難して、こう語ります。

バーンズ軍曹:Now, I got no fight with any man who does what he’s told. But when he don’t, the machine breaks down. And when the machine breaks down, we break down.
「いい兵隊ってのは、命令どおりに動くもんだ。命令を無視すりゃ、軍隊は機能しない。そして、軍隊が機能しないと、兵士は死ぬんだ。」(<01:23:46-56>)

そして最後の大規模な戦闘が終結した後で、クリスは負傷したバーンズ軍曹を見つけ殺害します。

救援ヘリに乗せられたクリスの述懐です。

クリス:As I‘m sure Elias will be fighting with Barns for possession of my soul. I have felt like the child born of these two fathers.
「エリアスとバーンズは僕の魂を巡って戦いを続けるだろう。時として僕は自分があの二人を父として生まれた子供のように感じる。」(<01:54:36-49>)

この映画の中では一見エリアス軍曹は善玉でバーンズ軍曹は悪玉として描かれているように見えますが、バーンズ軍曹のセリフは組織論としては真っ当です。エリアス軍曹のようなセリフは組織が機能しているからこそ言えるセリフです。

アメリカ社会は激しい競争社会で、それを是としています。しかし勝者の影には必ず敗者がいます。loserという英語は我々日本人が思う以上にアメリカ人の嫌う言葉です。自分がいつかloserになるのではないかと怯えつつ、バーンズのように戦い続け、エリアスのように心を痛める姿こそが、アメリカ人の深層心理にあるように思えてなりません。

注:劇中で二人の階級はエリアスがSergeant Elias(エリアス軍曹)、バーンズはStaff Sergeant Barns(バーンズ曹長)となってますが、本稿ではわかりやすく二人とも軍曹としました。


2016年2月1日

タイトル: 「できた」にまつわる表現
投稿者: 衛藤圭一(京都外国語大学・非)

先日、今年度の大学入試センター試験が終わりましたが…「私は入学試験に合格することができた!」は英語で何と言うのでしょうか?私が高校生の時だったら I could pass the entrance exams ! と答えたと思いますが、この文のように「過去の1 回限りの成功」を言いたい場合にはcouldを使わずに動詞の過去形を使ってI passed the entrance exams!と言います。ちなみに、「できた」という点を強調したい場合には次のようにwas able to を使います。

(1) Breteuil: By doing so, I was able to employ one more bit of skullduggery. <01:33:22>
『マリー・アントワネットの首飾り』(The Affair of the Necklace, 2001)

(2) Maggie: We were able to restore blood flow to the heart with the operation but he developed a lethal arrhythmia and we were unable to resuscitate him. <00:13:53>
『シティ・オブ・エンジェル』(City of Angels , 1998)

ここでは(2)を見てみましょう。マギーは医者で、患者の遺族に手術の様子を語っている場面です。「血流を回復させることができた」という1回限りの成功を、was able toを使って強調しています。このように、「1 回限りの成功」を言いたい場合にはcould を使わないのが原則なのですが、次のような文では問題なく使えます。

(3) Will: Marcus was clearly really screwed up about it, and unfortunately, I couldn't think of anything to say that would be of the smallest value. <00:42:43 >
『アバウト・ア・ボーイ』(About a Boy, 2002)

(4) Renton: They reminded me so much of myself, I could hardly bear to look at them. <00:11:37> 『トレインスポッティング』(Trainspotting, 1996)

(3)と(4)の例でcouldが使える理由は、否定の文は行為の実現を前提としていないからです。その傍証として、次の例でもcouldを使うことができます。

(5) Ray: I was seventeen. That son-of-a-bitch died before I could take it back. <01:14:22>
『フィールド・オブ・ドリームス』(Field of Dreams, 1989)

(5)のbefore以下は、実際にその行為が達成されないことを表しているのでcouldを使うことができます。

今回、「できた」にまつわる表現としてcouldとbe able toの用例を映画から検証してみました。話し手の視点に注意しながら類似表現をうまく使いこなせたいものです。


2016年1月1日

タイトル:Oscarは誰の手に?
投稿者:國友万裕(同志社大学、嘱託講師)

この原稿がアップされる頃、アメリカでは、レオナルド・ディカプリオの新作『レヴェナント:蘇りし者』(The Revenant)がいよいよ封切りになっているはずです。毎年、12月になると、アメリカでは、来年のアカデミー賞(オスカー)を狙う賞が次々に封切られ、前哨戦となる数々の批評家賞も発表されますが、ディカプリオが一度もアカデミー賞を受賞していないことは、知っていますか。

今回の『レヴェナント:蘇りし者』も前評判は高く、今度こそディカプリオに主演男優賞をと言われていますが、まだわかりません。今年も強力なライバルはいて、『ブラック・スキャンダル』(Black Mass)のジョニー・デップが、彼のキャリアのベストパフォーマンスを見せていると伝えられていますし、デップもまだオスカーは受賞していないので、二大スーパースターの直接対決となる可能性もあります。そうなるとデップとディカプリオは、『ギルバート・グレイプ』(What's Eating Gilbert Grape、1993)で兄弟役を演じた仲でもあるので、兄役のデップの方に先に賞が行くかもしれませんね。現時点での主演男優賞(Best Actor in a Leading Role)の予想をいうと、下のようになります。

Will win(受賞するのは) レオナルド・ディカプリオ
Should win (受賞すべきなのは)マイケル・ファスベンダー『スティーブ・ジョブズ』(Steve Jobs)
Could win (受賞することもありうるのは)ジョニー・デップ

単純予想、強い期待感、実現性の低い可能性、など助動詞の用法の勉強になりますね(笑)。書き手(話し手)の心理的意味を正しく読み取ることも大切なことです。

オスカーは純粋に映画芸術を競う賞ではありません。かなり政治的な要因が含まれています。したがって、純粋に演技だけみて受賞すべきなのはファスベンダーであっても、これまでの実績から考えればディカプリオに分があるし、同じく実績のあるデップが逆転することもありうると思われます。ちなみにこうしたオスカーの予想は、Oscar Derbyと言われますが、本命はthe frontrunner、対抗はthe runner-up、穴はthe dark horseと言われます。中心となる語彙から関連する語彙・表現と増やしていくことも語彙学習の大切な視点です。

オスカーのサイトを見ているとハリウッドの政治の状況がよくわかります。またアメリカ独自の英語の表現もわかります。Awards Daily(http://www.awardsdaily.com/)というサイトを先日読んでいたら、 RoomBrooklynは主演女優賞(Best Actress in a Leading Role)では検討しても、girlishな映画だから、steak eaterが敬遠するから作品賞(Best Picture)は難しいと書かれていました。なるほど、過去の受賞作はsteak eaterが好むような男性中心の映画が多くて、女性が主役のものは確かに不利です。

ハリウッドはまだまだ肉食系男性の巣窟なのでしょうか。去年は、黒人女性監督による『グローリー 明日への行進』(Selma、2014)が監督賞(Best Director)のノミネートを逃して、差別と物議をかもしました。『ブロークバック・マウンテン』(Brokeback Mountain、2005)が作品賞を逃した時はゲイ差別と騒がれました。

やはり、ハリウッドはまだまだ白人異性愛男性(Straight White Men)の世界なのでしょうねー。とは言え徐々に揺さぶりはかかっています。果たしてこれからハリウッドはどこに向かっていくのでしょうか。

様々な映画の知識を積みながら、英語の勉強もできるので、ぜひ、皆さんも英語で書かれた映画のサイトを覗いてみてください。


2016年1月1日

タイトル:文頭・文末に使用される“right”
投稿者:松井 夏津紀(チュラーロンコーン大学)

形容詞のrightには、相手の言ったことに対して納得した、あるいは承知し20たという意味を表す間投詞的な文頭用法のものや、文末で付加疑問的に用いて、相手に話し手の発話内容を確認する用法があります。このようなrightは口語表現ですので、映画のセリフにも頻繁に現れます。

Jordan: Turns out you're completely off the hook, honey.(君は完全にシロだ)
Naomi: I know that already.(当然よ)
Jordan: Right. Exactly. Exactly. You never did anything wrong in the first place, right?
(そうだ。君は最初から関係ない)<02:40:17>
『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(The Wolf of Wall Street, 2013)

Jordanのセリフにある最初のRightは、日本語の「そうだ」に相当するもので、相手の発話内容に同意しています。文末のrightは、日本語の終助詞「だろ?」や「よね?」のように、相手に同意を求めるものです。

また、rightは、日本語の「あ、そう」のように相手の発話内容を受けるだけのときにも使われます。

Zero: … I was arrested and tortured by the rebel militia after the Desert Uprising.
(反乱軍に拷問されました。『砂漠の暴動』の後です)
Gustave: Right. Well, you know the drill, then. Zip it.(では慣れてるな。黙秘だ)<00:34:13>
『グランド・ブダペスト・ホテル』(The Grand Budapest Hotel, 2014)

このRightは、相手の発話に対する相づちで、特にその発話に関してコメントはせず、相手が話を続けたり、また自分が話題を変えたりするときに用いられます。このrightは、Yeah, rightやRight, yeah、またRight, okayのように、yeahやokayと共起することもあります。

文末用法のrightも、先ほどの例とは少し違った使われ方があります。

Eduardo: She said, "Facebook me and we can all go for a drink later," which is stunningly great for
two reasons. One, she said "facebook me," right? And then the other is, well, you know…
(「フェイスブックして。お酒でも」って。「フェイスブックして」って最高だな。
しかも…。)<00:46:35> 『ソーシャル・ネットワーク』(The Social Network, 2010)

このrightは、話し手の発話内容を相手に軽く確認するために使われていますが、話し手は相手からの返答を期待していないので、そのまま自分の話を続けています。日本語の上昇イントネーションの「よね?」や「じゃん?」も、相手からの返答は待たずにそのまま自分の発話を続けることがありますが、この文末のrightはこれらの終助詞と似ていて、相手の注意を促すときに使われています。

会話で何気なく使われているrightですが、様々な用法があって実に便利なことばですね。


2015年12月2日

タイトル:What do you got?
投稿者:田畑 圭介(神戸親和女子大学)

What do you got? は助動詞doと過去分詞形の動詞が共存する不思議なフレーズです。文法的には正しくないフレーズですが、AntConc*などのコンコーダンス*ソフトでコーパス*化した映画やテレビドラマのセリフ群を検索してみると、ある程度の頻度で使用されていることがわかります。たとえば『24』(24 TV series, Season 1-8, 2001-2010)では8シリーズ中16回用いられています。

Jack: This is Jack. <電話を受けて>(ジャックだ)
Chloe : Jack, its Chloe. (ジャック、クロエです)
Jack: What do you got? (何かわかったか)
Chloe : Saunders is telling the truth. (サンダースの言っていることは本当よ)
Rabens is in Los Angeles. (レイベンズはロサンゼルスにいるわ) (Season 3, Episode 23) <00:27:22>

ジャンルの異なるテレビドラマ『フレンズ』(Friends, Season 1-10, 1994-2004)でもWhat do you got?は10シリーズ中11回登場します。

Chandler: What do you got there, Monica? <大きな買い物袋の前にいるモニカに対して>(なんの買い出し?)
Monica: Stuff for the party. (パーティー用品よ) (Season 2, Episode 9) <00:14:10>

映画やテレビドラマを見ていると、何度か出くわすフレーズであり、使われ方で多いのがWhat do you got? とWhat do you got there? という言い回しです。時折登場するWhat do you got (there)? ですが、What did you get? とは何か違いがあるのでしょうか。

カナダ在住の英語話者の方にWhat do you got? についてたずねたところ、刑事物のドラマでよく見るとのことでした。「それでなんか掴んだか?」といった響きをもつ表現のようです。別の方も、刑事が密輸事件の証拠や犯罪者を探す場面を連想するとコメントしてくれました。(I imagine it being used by a detective seeking evidence or a criminal attempting to purchase contraband.) What did you get? との違いについては、前者の方は次のようにコメントしています。例えばお店から帰ってきて、家族が「何買ってきた?」というのはwhat did you get? で、相手が手に持っているものに対して「そこに何持ってるの」という意味でwhat do you got there? と言うとのことです。またWhat do you got? は疑惑の念が入っていることが多いフレーズとのことです。自分自身ではこのフレーズを使ったことはなく、日常的に人から言われることもないそうです。English Forums
(https://www.englishforums.com/English/WhatDoYouGot/vprhc/post.htm)によると、 What do you got? は決まり文句となっており、What do you have? のように解釈されると述べられています。日常的には用いられていませんが、映画やテレビドラマで時折耳にする言い回しとなっており、刑事ドラマから生まれた独特のフレーズだと推察されます。正用法と認められていないこうしたフレーズが映画・テレビドラマで用いられることがありますが、英語学習者は使用の際には注意が必要だといえます。

*AntConc::Laurence Anthony氏(早稲田大学)が開発したフリーのコンコーダンス・ソフトウェアー。
*コンコーダンス:コーパスデータから語彙項目ごとに抽出された語彙リスト。
*コーパス:言語学的研究を前提に収集された言語資料の集合体。


2015年12月2日

タイトル: 映画で学ぶ “The more you know, the better.” な話 (2)
投稿者:小林 翠(小野学園女子中学・高等学校)

投稿者は、2014年9月2日付けのコラム「映画で学ぶ “The more you know, the better.” な話」において、“The more … , the more …”の後半部がthe better のみから成る構文を取り上げました。そこでは、この “The more … , the better” 構文は、使用頻度が高く映画の台詞でもよく耳にすること、「前半部の比較級が示す程度に比例した、話し手の満足度合いの増加」を意味することを述べました。

この構文は、使われるシーンによって、次のような意味効果を聞き手に与えます。それは命令 (order)、要請 (demand)、依頼 (request)、助言 (advice) といった意味効果です。今回は前回の続編として、その中から命令的な効果と助言的な効果を与えるものを紹介します。

まず(1)は、誘拐犯のリーダーが誘拐した女性の解放場所を部下に指示するシーンで用いられた台詞です。

(1) Sean: Cut her loose right in the center of town. The more crowded the better. <01:27:23>
「彼女を街のど真ん中で放せ。混んでいれば混んでいるほどいい。
『ミッション:インポッシブル2』(Mission: Impossible II, 2000)

「混んでいる場所に放せ」とは命令していないものの、これを言われた部下は、もちろん混んでいる場所に放つことを意識することでしょう。命令する立場のリーダーが、「混んでいればいるほど満足度が高い」と告げたわけですから。つまり、命令を出す人物のセリフだからこそ、この “The more …, the better.” 構文は、「できるだけ混んでいる場所に放せ」という命令的な効果を持って理解されます。

次に(2)は、年配男性が恋に悩む少年に対して助言するシーンで用いられた台詞です。

(2) Daniel: Tell her everything. Sing to her. The sooner the better. Because you might not get another chance. <01:10:02>
「その娘に全て打ち明けるんだ。その娘に歌うんだよ。早ければ早いほどいい。だって次にチャンスがあるとは限らないだろ。」
『フォーエヴァー・ヤング 時を越えた告白』(Forever Young, 1992)

この年配男性は決して、「打ち明けるのが早ければ早いほど、自分の満足度が増加する」と言いたいわけではありません。助言する立場の男性がこれを言うのは、それ自体が「できるだけ早く打ち明けた方がいい」という助言として理解されることを期待しているからなのです。

皆さんは、何かをするように人に告げたり、助言したりしようとする時、どんな英語表現を思いつくでしょうか。動詞の命令形や、“You should ...” という表現を思いつく人は多いと思います。しかし、今回見たように、立場やシーンによっては、この“The more …, the better.” 構文もそのような意味効果を与えることができます。皆さんも是非、命令もしくは助言をしたい時に意識して、この構文を使ってみて下さい。


2015年11月1日

タイトル: 強いヒロインの姿
投稿者:奥村真紀(京都教育大学)

時代を超えて何度も舞台化や映画化が繰り返される小説は数多くあります。2012年に最新作が公開された、シャーロット・ブロンテの小説『ジェイン・エア』(Jane Eyre, 2012)もその一つです。当時無名の作家だったシャーロットから送られてきたこの小説を読んだ出版社の社長は、この物語のとりこになり、即決で出版を決意したと言われていますが、身寄りのない孤児ジェインが、逆境に耐え、自分で幸福をつかみ取っていくこの物語は、19世紀半ばに出版されてから、時代を超えて多くの人に愛されています。

孤児のジェインは、引き取られた先の家で虐げられ、慈善学校に追いやられます。つらい子供時代に耐えて教育を身に着けた彼女は、ひとりで生きていくために、当時ガヴァネスと呼ばれた良家の女家庭教師の職を探します。そして見つけた家庭教師先で、運命の出会いをするのです。相手は家庭教師先であるソーンフィールド館の領主、ロチェスター。身分違いの恋ですが、二人はひかれあい、愛し合うようになります。そして迎えた結婚式の朝。しかしその幸せな日には、恐ろしい秘密がジェインを待っていました。ロチェスターにはすでに妻がいて、しかもその妻は、当時の法律では離婚が認められない、狂人だったのです。

この二人がどうなるかは、小説や映画を見たことのない方のために伏せておきますが、この物語の大きな魅力の一つは、強いヒロインの姿です。19世紀という、女性にほとんど何の権利も認められていなかった時代に、ジェインは自分でも活躍できる機会を強く願います。ソーンフィールドに落ち着いたジェインは、外を見つめながら次のように言っています。

“I wish a woman could have action in her life, like a man.” (女性だって、男性と同じように、人生において活躍できればいいのに。)<00:31:42>

ここで使われている仮定法は、当時の女性が、男性とは違って人生においてほとんど活動できなかったことを逆説的に伝えてくれます。お金もなく、美貌もなく、身寄りもなく、当時の結婚市場ではほとんど価値のなかった女性ジェインが、自分の力で運命を切り開いていく物語を紡ぎあげていくのは、このジェインの自立を目指す心であり、現代のわれわれが見ても深い共感を覚える部分です。

ロチェスターに妻がいることを知った後、ジェインはどうするべきか思い悩みます。ロチェスターは心からジェインを愛していて、ジェインもロチェスターを愛しているにも関わらず、道徳的に、ジェインはロチェスターのもとを去らなくてはなりません。自分のもとにとどまってくれと嘆願するロチェスターを、涙をこらえながら拒絶するジェイン。彼は、身寄りのないジェインが自分と暮らしても、誰にも迷惑はかからないではないかとジェインを求めます。しかし、“Who would care?”(誰が気にするっていうんだ)<01:32:32>と言うロチェスターに対して、ジェインは“I would. I must respect myself.” (私が気にするのです。私は自分を大切にしなくてはならないのです。)<01:32:40>と断言します。弱い立場であるはずのジェインのこの強さ。彼女が時代を超えて、多くの人に勇気を与えてきたのは、彼女のこの強い心が人々に訴えかけてくるからなのでしょう。この映画に魅了された方は、今まで制作された映画を見比べてみるのも興味深いものです。


2015年11月1日

タイトル: 言葉が持つ多様な意味
投稿者: 濱上桂菜(大阪大学大学院・院生)

英語の単語1つを取っても、そこには多様な意味があります。例えば、秋が深まるこの季節。秋はアメリカ英語で “fall” ですが、“fall” にも、「落下」、「降雨量・降雪量」、「滝」など、落ちる (fall) ものに関する色んな意味があります。これらは辞書に記載されている意味なのですが、それが実際に使用される状況によっては、言葉は、辞書に載っていない意味までも持つこともあるのでとても興味深いものです。

例えば、次の『メン・イン・ブラック』(Men in Black, 1997) での警察官同士の会話を見てみましょう。警察官B(ウィル・スミス)は摩訶不思議な現象を目撃しますが、年配の恰幅のいい警察官Aは信じてくれません。耐えかねてBは挑発的な態度を取ります。それに対してAは怒って次のように言い放ちました。

警察官A:(怒って)If you were half the man I am...
    (直訳)「もしお前が俺という人間の半分だったら…」
警察官B: I am half the man that you are. (00:16:09)
    (直訳)「俺はあんたという人間の半分ですよ」

年配の警察官Aは仮定法を使っています。Bのことを自分の「人間の半分」であることを仮定する、つまりBのことを自分の「半分の人間」とも思っていないわけです。そこで、Bは「人間の半分」であることを積極的に認めています。これはどういうことなのでしょうか?

これには、AとBの「人間の半分」がそれぞれ何を意味しているのかがカギになります。実はここでは、Aは「人間の価値」、Bは「人間の体重」の話をそれぞれしているのです。Aは、Bのことを「自分の半分の価値もない」と考えています。そう言われてBは、自分のことを「(恰幅のいい)Aの半分の体重である」ことを嫌味で述べたのです。

もちろん、辞書で “man” を調べても価値や体重のことは記載されていません。このような意味は、実際の会話の流れの中で現れてきます。「人」(man) に関する何に話し手が焦点を当てているのかが問題になっているのです。このように、文脈によって言葉は多様な意味を持つことがありますので、本当に奥が深いですね。


2015年10月2日

タイトル:『パッチ・アダムス トゥルー・ストーリー』(Patch Adams, 1998)
投稿者:角山照彦(広島国際大学)

名優ロビン・ウィリアムズが不慮の死を遂げてからすでに1年以上が経ちましたが、今回は彼が実在の医師パッチ・アダムスをコミカルに演じた『パッチ・アダムス トゥルー・ストーリー』(Patch Adams, 1998)からセリフを紹介します。
この映画ではパッチが医学部に入学してから卒業するまでが描かれていますが、恋人のカレンが患者に殺されるという悲劇に見舞われた後、自責の念に駆られたパッチは崖の上に立って次のように語ります。

PATCH: So what now, huh? What do You want from me? Yeah, I could do it. We both know You wouldn’t stop me. So answer me, please. Tell me what You’re doing.
(それで今度は何なのですか?私の何が欲しいのですか?ああ、できますとも。あなたが引き止めないのは私もあなたも知っているはずです。だから答えてください。)<01:32:36>

Youが文中でもyouではなくYouと表記されていますが、これは一般の人ではなく、神のことを指しているためです。映画ではパッチは自殺未遂の果て、自らの意志で精神科に入院した後に医学部進学を志すという設定になっていますが、このセリフはロビン・ウィリアムズの悲報に接した際に真っ先に思い出したものです。また、“What now?” は、繰り返されるトラブルに関して使われる決まり文句で「今度は一体何なんだい?」というものですが、映画の場面があると使い方がよくわかります。単語の順番が逆になった “Now what?” も同じような意味で使われますが、これについては映画『タイタニック』(Titanic, 1997)にぴったりの用例があります。レオナルド・ディカプリオ演じる主人公ジャックがローズの婚約者キャルドンに次々と疑いをかけられる場面で次のようなやりとりがあります。

CALEDON: Two things dear to me have disappeared this evening. Now that one is back, I have a pretty good idea where to find the other. Search him. (私にとって大切な二つのものが今夜なくなってしまったんだ。そのうちの一つが戻ってきた今、もう一つはどこを探したらよいのか見当がつく。あいつを調べろ。)
MAN: Take your coat off, sir.(コートをお脱ぎください。)
JACK: Now what?(それで今度は一体何なんだ?)<01:45:35>

『パッチ・アダムス』に話を戻しましょう。卒業式のラストシーンでは、アンダーソン学長がclassという単語を「学級」と「階級」という2つの意味でうまく使い分け、次のような印象的なスピーチをしています。

Anderson: Well, today you go... from being students in a class to being members of a class… a very select class. You face the future with your heads held high... because you are now... doctors.(今日から君たちは、学級の生徒からある職業階級、それも選ばれた者だけが入ることのできる階級の一員になるのです。堂々と胸を張ってこれからの未来を歩んでください。なぜなら、君たちは今日から医師だからです。)<01:48:55>

私の授業では、毎回3分程度の場面をピックアップして日本語字幕なしで視聴させ、様々な演習を行うのですが、学生にclassの二つの意味を答えさせると、答えを探すのに結構苦労するようです。また、スピーチに続く場面でパッチがウォルコット学部長から卒業証書を受け取る際のセリフも凝っています。

WALCOTT: Well, I’m happy to see you’ve finally decided to conform.(さて、君がようやく体制に順応したのを見ることができて嬉しい限りだ。)
PATCH: More than you know, sir.(ええ、もちろんです。)

今までカジュアルな服装しかしてこなかったパッチが他の卒業生と同じように大学のガウンを着ていたため、ウォルコット学部長はconformという表現を使ったのですが、パッチはそれに対して “(I’ve conformed) More than you know.”(あなたが知っている以上に順応しましたよ)と答えています。ただし、実際にはガウンの下は何も身に着けておらず、医師の世界に順応しているわけではありません。パッチならではのジョークなのでしょう。


2015年9月23日

タイトル: スティーブ・ジョブズという生き方 〜Stay Hungry, Stay Foolish〜
投稿者: 近藤 暁子(兵庫教育大学)

アメリカで、いやおそらく世界で最も世の中に影響を与えた人物の一人であるスティーブ・ジョブズが2011年10月5日に亡くなって4年になります。この間、彼の伝記的作品がいくつか発表されていますが、今月もまた新たな彼の映画が公開されます。今回はこれまで発表されている作品やスピーチから、世界で最も偉大なイノベーターの生き方について考えてみます。
 
彼は、様々なメディアでも紹介されているように、とても変わったというか、人としては問題の多い人物で、多様性や独創性が評価されるアメリカにおいても、彼のエキセントリックな言動はなかなか受け入れられず、人とぶつかることが多かったようです。おそらくその真逆といってもいいかもしれない日本の社会では、彼は受け入れられなかったでしょうし、これほどの成功を得られていなかったかもしれません。

彼は、自分が良い人間であることよりも、人に影響を与えるようなより良いものを世に出すことが重要だと考え、人と違うことで世の中を変えられると信じていたようです。1971年から2011年までの彼の半生を描いた映画『スティーブ・ジョブズ』(Jobs, 2013)のセリフでそれが表現されています。

Steve Jobs: When you grow up, you tend to get told the world is the way that it is, and your life is just to live your life inside the world and try not to bash into the walls too much. But that's a very limited life. Life can be much broader once you discover one simple fact. And that is that everything around you that you call life, was made up by people that are no smarter than you. And you can change it. You can influence it. You can build your own things that other people can use. It’s to shake off this erroneous notion that life is just there, and you're just going to live in it, versus embrace it. Change it, improve it. Make your mark upon it. And once you learn that, you'll never be the same again.
<1:54:04>

彼は、自分と大して変わらない人間が作った世界におさまるのではなく、自分が変えていく、良くしていくことが大切であること、そして、変わり者、困ったやつと思われている人間が世の中を変えていく、他と違うからこそ、それができるのだと信じているのです。

Steve Jobs: Here's to the crazy ones. The misfits, the rebels, the troublemakers, the round pegs in the square holes, the ones who see things differently. They're not fond of rules, and they have no respect for the status quo. You can quote them, disagree with them, glorify or vilify them. About the only thing you can't do is ignore them. Because they change things - they push the human race forward. And while some may see them as the crazy ones, we see genius. Because the people who are crazy enough to think they can change the world, are the ones who do.
<1:57:20>

現アメリカ合衆国大統領のバラク・オバマも、彼が亡くなったときのコメントとして、こんな言葉を残しています。

“Steve was among the greatest of American innovators - brave enough to think differently, bold enough to believe he could change the world, and talented enough to do it…(中略)… Steve was fond of saying that he lived every day like it was his last. Because he did, he transformed our lives, redefined entire industries, and achieved one of the rarest feats in human history: he changed the way each of us sees the world.”
Barack Obama, The White House Blog, October, 5, 2011.

他人と異なることを気にせず、いやそれをむしろよしとし、そして毎日を最期の日であるかのように、真っ直ぐに懸命に生きたことが、世の中を変えるまでの偉業を成し遂げることにつながったのでしょう。

 スタンフォード大学の卒業式でのスピーチで、彼はこう学生たちに伝えています。

“Remembering that I'll be dead soon is the most important tool I've ever encountered to help me make the big choices in life. Because almost everything — all external expectations, all pride, all fear of embarrassment or failure — these things just fall away in the face of death, leaving only what is truly important. Remembering that you are going to die is the best way I know to avoid the trap of thinking you have something to lose. You are already naked. There is no reason not to follow your heart.” 
—Steve Jobs, Stanford Report, June 14, 2005.

多くの人は彼のようには生きられないかもしれません。しかし彼の「既存の枠組みで生きるな、他人が作ったものや考えにそって生きる必要はない、1日1日を最期の日だと思って、自分の心の声に正直に生きろ」という考え方は、私たちが後悔しない生を送るヒントになるのではないでしょうか。朝、鏡の前の自分にこう尋ねてみてはいかがでしょう。

"If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?"
—Steve Jobs, Stanford Report, June 14, 2005.


2015年8月21日

タイトル:『バック・トゥ・ザ・フューチャー』3部作で描かれていた現在・過去・未来について
投稿者:山内 圭(新見公立大学・新見公立短期大学)

映画ファンには周知の事実ですが、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(Back to the Future)3部作が描いた「未来」の時代の2015年がやってきました。この3部作の公開当時(1985, 1989, 1990年)に学生として映画館でリアルタイムに鑑賞した私は、特にPart 2で描かれる未来に興味を引かれました。宙に浮くスケートボードの「ホバーボード」(hoverboard)、人間が着用すると勝手にフィットする服や靴、店員ではなくTV画面が注文を聞くカフェ、映画『ジョーズ』(Jaws, 1975)の第19作およびその立体的広告など、将来はこんなものができるのかなとワクワクしながら観たものです。実際に「ホバーボード」や着用後に自動的にフィットする靴などが開発されたとのニュースを耳にしましたし、TV画面が注文を聞くカフェも似たようなものが存在していると思います。

このように、現在・過去・未来を主人公たちが移動するこの映画は、 過去にも思いを馳せるきっかけともなり、また今年2015年の世界が描かれていることから、私は、勤務校である新見公立短期大学の地域福祉学科(介護福祉士養成課程)の今年度の「英語」の授業で、この3部作(主に第1作)を教材として活用しました。ほとんどの学生が将来介護福祉士となり、高齢者を相手にすることになる地域福祉学科では、高齢者が生きて来た時代やその文化などを理解することにも力を入れています。私も英語教員として、できる限り学科の方針により沿って英語の授業を展開するのですが、今年度(前期)は、この3部作のおかげで、現在の高齢者が若者だった1955年の世界(アメリカ合衆国)を垣間見、時の流れで変わるものや変わらないものについて考え、ほんの些細な出来事でも将来に大きな影響を与えることがありえることを 学ぶことができました。

この映画では、時代を表すものとして大統領の名前が使われています。例えば、1985年の未来からやってきたと言うマーティに1955年のドクがこのように尋ねています。

Doc: Who’s president of the United States in Nineteen eighty-five?(1985年の合衆国大統領は誰だ。)
Marty: Ronald Reagan.(ロナルド・レーガンです。)
Doc: Ronald Reagan? The actor? Ha. Then who’s vice president? Jerry Lewis?(ロナルド・レーガンだって?俳優の?
じゃあ副大統領は誰だ。ジェリー・ルイスか?)<00:50:13>

また、1955年のシーンの中で、マーティが、1961年に大統領となるケネディ大統領の名を冠した道路の名前を言っても通じないという場面があります。

Marty: Wait a minute, a block past Maple that’s, uh, that’s John F. Kennedy Drive.(待ってよ、メイプルの1ブロック先
は、えーと、ジョン・F・ケネディ通りでしょ。)
Sam: Who the hell is John F. Kennedy?(ジョン・F・ケネディって、一体誰だ?)<00:46:56>

1985年にはヒルバレー市の市長になっている黒人のゴールディ・ウィルソンは、1955年には、まだカフェの掃除人をしていました。1985年からやってきたマーティに、あなたは市長になると言われ、市長に立候補しようと言っているゴールディに対して上司のルーは、次のように言っています。

Lou: A colored Mayor, that’ll be the day.(黒人の市長だと、それは楽しみだ。)<00:40:42>

2015年の世界では、バラク・オバマが初のアメリカ合衆国黒人大統領を務めています。でも『バック・トゥ・ザ・フューチャー』Part 2には、黒人が大統領を務めていることは、触れられていません。さすがのスティーブン・スピルバーグ監督もそこまでは予想できなかったのでしょうか?

そして、最後に最新ニュースです。Part 2でマーティがやってきた「未来」である2015年10月21日には、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』3部作が世界の人々に与えた影響を描くドキュメンタリー映画『バック・イン・タイム』(Back in Time, 2015)がアメリカで限定公開されるそうです(日本では公開されるのかどうは現時点では不明です )。


2015年8月16日

タイトル: 「小さなミスお日様」(Little Miss Sunshine, 2006)
投稿者: 藤枝善之(京都外国語大学・短期大学)


アリゾナ州に住むフーヴァー家の娘オリーヴは、ビューティ・クイーンに憧れる少々太り気味の小学生。父親のリチャードは、独自の成功論を提唱する講演家。祖父(グランパ)は、素行不良で老人ホームを追い出されたヘロイン常習者。兄のドゥエーンは、ニーチェに心酔し、沈黙を貫く変わり者。さらに、失恋のショックで自殺未遂騒動を起こしたゲイの叔父フランクも一家に加わることになり、母親のシェリルは、そんなアメリカ社会の縮図のような家族を何とかまとめようと苦慮しています。

そんな折り、オリーヴが全米美少女コンテスト地区予選で繰り上げ当選し、家族全員がおんぼろのミニバスに乗ってカリフォルニアのコンテスト会場に向かうことに。「負け犬」を軽蔑するリチャードは、自ら編み出した成功論を出版し、自分もベストセラー作家として「勝ち組」に入ることを目論んでいます。しかし旅の途中で、当てにしていた出版社から出版中止を言い渡され、なんと自身が「負け犬」になってしまうのです。そんなバスの中で、グランパが、落ち込んでいるリチャードに近づいてこう言います。

“Whatever happens, you tried to do something on your own, which is more than most people ever do.”「結果はどうあれ、お前は自分で何かをなそうとした。なかなかできることじゃないよ」<0:40:57>。そして、 “You took a big chance, and it took guts, and I’m proud of you.”「お前は勇気を持って大きなチャンスに賭けたんだ。そんなお前を誇りに思う」。挑戦した人の努力を認め、勇気を讃える-おしゃれな台詞より、こんな飾らない、気持ちのこもった一言が人の心を癒すのですね。リチャードはグランパに微かな笑顔で応えます。

このグランパ、なかなかの励まし上手。コンテストを明日に控えたオリーヴが、父親の影響から「負け犬」になることを極度に恐れて自信をなくした時に、こんな言葉で励まします。 “You know what a loser is? A real loser is somebody that’s so afraid of not winning, they don’t even try. Now, you are trying, right? ”「負け犬の意味を知ってるか?本当の負け犬は、負けるのが怖くて挑戦しない奴らのことさ。お前は挑戦してるだろ?」<0:45:25>。

この作品はアメリカン・ドリームの陰に焦点を当てています。rags to riches(極貧から金持ちへ)のアメリカン・ドリームは今や、単純に経済的成功のみを目的とし、失敗者を「負け犬」として軽蔑するという、短絡的な思想になっているようです。リチャードは、そんな価値観を唱道しながら自ら「負け犬」になるという皮肉なキャラクター。そのリチャードを中心とするフーヴァー家は、アメリカ社会のあだ花のような美少女コンテストに参加し、最後には、家族全員がステージで踊りまくってコンテストを台無しにしてしまいます。これは、アメリカン・ドリームの浅薄さに対する、一家なりのハチャメチャな異議申し立てだったのかも知れません。


2015年6月2日

タイトル: 固有名詞から動詞へ
投稿者: 三村仁彦(京都外国語大学・非)

次は『花嫁のパパ2(Father of the Bride Part II, 1995)』からのワンシーンです。

Dr. Brooks: Kids, you’re gonna have a baby.
George: Excuse me?
Dr. Brooks: Nina’s pregnant.
Nina: Oh, my God.
George: Pregnant? And who, may I ask, is the father?
Nina: George!
George: Don’t “George” me, you two-timing Mata Hari. I swear, we haven’t done it in six
week. <0:38:45-0:39:14>

注目したいのは下線部で、本来は固有名詞であるはずの“George”が動詞として用いられ、「『ジョージ』なんて(気安く)呼ばないでくれ」というような意味を表しています。このように、ある単語の形を変えずに、その品詞だけを変えて新しい単語を生み出す語形成の過程を英語学では「転換」(conversion)/「ゼロ派生」(zero derivation)と呼びます。転換にはさまざまなパターンが存在しますが、上記のように固有名詞を動詞化するのは登録商標が一般的で、たとえばHoober/hooverという動詞はアメリカの電気掃除機のブランド名に由来しており、「…に電気掃除機をかける」という意味を表します。最近では次の『メイド・イン・マンハッタン(Maid in Manhattan, 2002)』の例のように、検索エンジン名の“Google”が動詞として使われ、日本語の「ググる」と同じ意味を表します。

Marisa: You can Google it at school. <0:03:18-0:03:19>

しかし、『花嫁のパパ2』では個人のファースト・ネームが動詞化されており、固有名詞から動詞への転換は(適切な文脈があれば)比較的自由におこなえることがわかります。このような興味深い表現に出会えるのも、映画を観る楽しみのひとつです。

余談ですが、字面だけを見ると修羅場のように思えますが、『花嫁はパパ2』はコメディーですので、ここはむしろユーモアあふれる場面となっています(笑)。

下記の掲載原稿も併せてご参照ください。
2013年6月7日「形容詞由来動詞」
2011年6月5日「名詞から動詞への転移」


2015年6月2日

タイトル: 見えないものに目を向けてみよう!
投稿者: 平井大輔(近畿大学)

映画はそのシーンや前後のセリフから、様々な言葉の事例研究に活用できます。言葉には、発話の中に省略された部分があり、それが母語話者なら皆、ある一定の解釈を与えることがあります。そのような現象を起こしているメカニズムを詳しく研究するには、映画はとても面白い事例の宝庫といえるでしょう。興味深い事例の一つに、(1)のNedのセリフのような動詞句削除と呼ばれる例があります。

(1) Dewey: You called the cops? (お前が警察を呼んだのか?)
  Ned: She did. (彼女だよ。) <01:23:35> (School of the Rock: 2003)

ここでのNedのセリフは、“She did”で終わっていますが、その解釈は、(2)のように直前のセリフの動詞句にあたる“call the police”が省略されていることがわかります。

(2) She did (call the police).

(2)にあるようなdidは学校文法では「代動詞」と呼ばれていますが、ここでみたように実際は「動詞+補語」まで含まれていることが分かります。では、なぜこのような解釈が可能になるでしょうか。言語学のある分野には、このメカニズムの解明に対して、大きく分けて二つの考え方があり、どちらが正しいか分析なのか依然議論が続いています。

その一つは、先行する要素と同じもの(call the police)が一度後続の文として形成された後に、音声的削除を受けているという考え方です。もう一つは、もともとdid以下は存在せず、先行する要素(call the police)がdidの後に、補われて解釈されるという考え方です。両者の共通点は、先行する文と後続のする文との間にある一定の同一性があればdid以下が現れていなくても良いという点であり、前者を統語的同一性、後者を意味的同一性という点から、(1)のような形と解釈が可能になっているとされています。このような例だけ見れば、この2つの分析がどちらも正しいように思えます。

しかし、他のセリフを見てみると、謎は一層深まります。(3)を見てください。

(3) I have a theory about women who are beautiful, 'cause you're beautiful...,
  who bury themselves under layers of crap, like you do.
  <00:29:01> (Passengers: 2008)

このセリフでは、like you doの後が省略されていますが、いったい何が省略されているのでしょうか。上でみた二つの分析の点から考えてみると、とりあえずbury themselvesが省略されているように思えます。では、それを補ってみましょう。そうすると、およそ(4)のように表されます。

(4) *like you do (bury themselves)

しかし、これでここでの意味をなすでしょうか。ここのセリフ内容は、「自分自身を隠す」と言う意味なので、同一要素として“themselves”が省略されていると考えても、先行する動詞句内のthemselvesが指す対象物(ここでは「女たち」)が補われていると考えてもここでの意味にはなりません。つまり、先行する“bury them(selves)”が補われたり、同一要素として削除されたりしているわけではない事が分かります。

では、どのようにして(3)の解釈は可能になっているのでしょうか。実は、このような現象は言語学の世界では永年研究されており、特に(5)のような文の解釈の曖昧さを巡っても、議論が続いています。(5)を見てみましょう。

(5) John loves his father, and Bill does too.

(5)では、(6)の「ジョンはジョンのお父さんが好きで、ビルはビルのお父さんが好き。」という解釈と(7)の「ジョンはジョンのお父さんが好きで、ビルもジョンのお父さんが好き」という解釈の2つの解釈が可能となります。つまり、 “his”が指すものが変わっています。これもとても興味深い現象ですね。ではまず、どのようなメカニズムがこれに関わっているのか見てみましょう。

まず(5)の2つの解釈を書き出してみましょう。すると、(6)と(7)のようになります。

(6) John loves his father, and Bill does (love his father) too.
(7) John loves his father, and Bill does (love him) too.

ある言語学者は、上記の例から(6)では(8b)のように、(7)では(9b)のように、それぞれ削除部分に要素が補われて可能になっていると分析しています。

(8) a. John loves his father, and Bill does (love his father) too.
  b. John loves x father, and Bill does (loves x father) too.
(9) a. John loves his father, and Bill does (love him) too.
  b. John loves his father, and Bill does (love his father) too.

その分析では、(8)において先行文のhisにあたる部分をxという文脈に応じて意味が変わる変数に置き変えます。その後、動詞句となるloveとx fatherの部分(live x father)が削除文の削除部分に補われ、(6)の解釈が可能になると考えられます。

この考え方は、先ほど見た(3)((10)として再掲)の解釈がなぜ可能になるのかという謎を解き明かす一つの答えになるかも知れません。つまり、先行する部分とまったく同じものが隠されているのではなく、(11)のように先行する動詞句の一部部分である “bury x-self”の部分が、you doの後に補われて、“bury yourselves”となる解釈が可能になっていると考えられます。これは、これまで提案されてきた分析を考え直す一つのステップになるかも知れません。

(10) I have a theory about women who are beautiful, 'cause you're beautiful...,
   who bury themselves under layers of crap, like you do.
   <00:29:01> (Passengers: 2008)

(11) women … who bury themselves … (bury x-self)
   like you do (bury x-self). (x = your)

削除に関する分析がどのようなものが妥当であるのかについては、まだまだ熱い議論が続いていますが、この問題を解決するには多くの事例の発掘が必要です。文脈や前後の内容のある映画こそが、何か解決の糸口を提供してくれるのではないかと、ワクワクしながら映画を観ると、映画はもっと楽しいものになりますね。


2015年5月1日

タイトル: 「空耳(そらみみ)」使ってリスニング―『34丁目の奇跡』(Miracle on 34th Street, 1994)
投稿者: 野中 泉(東邦大学)

『アナと雪の女王』(Frozen、2013)のおかげで、今やすっかり老いも若きも「レリゴー」の大合唱です。どうしてLet it go. がレリゴーになるのか、と英語の発音に関心が向かってくれると、英語の先生としては嬉しい限り。ところが一般の人は、これを空耳として楽しむ方向に走っています。「空耳」の本来の意味は、「呼ばれたと思ったが、空耳だった」のように、実際はなかった音や声が聞こえたように思うことを意味しました。しかし最近では、テレビ番組の影響で、外国語の歌詞や言葉が別の音声に聞こえてしまうことを「空耳」と称する傾向があります。YouTubeを見ると、 Let it go, let it go! を「えり子、左行こ」と聞こえると歌詞をふっている人がいたり、全編に日本語の空耳をあてている人もいます。日本人は空耳遊びが大好き。これを英語の発音練習に活かさない手はありません。

Let it goにおいては、letとitの間でリエゾンと弾音化が起こることによって、レリという発音になります。リエゾンと弾音化については、『映画で学ぶ英語学』(倉田誠編(2011)くろしお出版、pp.2-4)の詳しい説明をご参照ください。このリエゾンと弾音化のダブルの音変化は、日常会話で頻繁に聞かれますし、映画でもその例をたくさん聞くことができます。たとえば、『34丁目の奇跡』(Miracle on 34th Street, 1994)を見てみましょう。

(1)Susan: But Cole’s has to pay them back, plus interest. If they don’t sell a lot of stuff at
      Christmas, you can forget about it, pal.(でもコールズ(デパートの名前)はお金を返
      さなければいけないでしょ、利子をつけて。だからクリスマスに売り上げが少しだった
      ら、やっぱりおしまいよ。)<00:10:38>
      forgetとabout、aboutとitの間に、リエゾンと弾音化のダブル音変化が起きて、ファゲラバウリ と聞こえます。

(2) Susan: And that doesn’t thrill me at all.(そんなのちっとも面白くない。)<00:13:00>
      at all がアローと聞こえます。

(3)Cole’s is gonna make a lot of money.(コールズは売り上げを伸ばすでしょう。)<00:23:03>
      ロットオブからはほど遠いララブと聞こえます。

聞こえた通りに復唱したり、書き取ってみる、それはまさに空耳遊びです。例えば、a lot of を学生に聞こえた通り、カタカナ混じりでも良いから字に起こすように言うと、「アララ」と書いたりします。実際、それは「アロットオブ」よりはるかに元の英語に近い標記だと認められ、音声学的に耳は間違っていないことが証明されると、だんだんと自信をつけていきます。聞こえた通り素直に書き取るというのは、結構、動体視力ならぬ動体聴力が鍛えられるのです。

ところで私のカーナビは立ち上げた時に、 “Strada, car-navi station by Panasonic”という案内を流します。何回聞いても、この英語全体が「真っ赤な掃除機」としか聞こえないと言い張るのは、私の母です。このような人の場合は、音声学的にフォローの仕様がありませんね。

リエゾンとフラップのダブルの音変化を理解して、「空耳」のカラクリが氷解すると、リスニングが飛躍的に楽になります。同時に、理にかなった自然な発音へと変えることができます。半世紀前にビートルズの “Let It Be” が日本でも大流行して、誰もが「レリビー♫」と熱唱してきたにも関わらず、日本人の英語の発音改善にはつながりませんでした。今回、日本中を巻き込む二度目のチャンス到来を機に、レリゴー現象を深めていきましょう。

空耳から外国語に興味を持たせるために、私がきっかけとして学生に見せる動画があります。邪道だ、などと固いことは言わないでご覧下さい。『(サッカー)バーレーンの実況が日本語にしか聞こえない件』https://www.youtube.com/watch?v=-0jCWkM15ag


2015年5月1日

タイトル: 映画英語で学ぶ類義語
投稿者: 山本五郎(広島大学)

英語学習者にとって、似た意味を持つ単語の使い分けは簡単なことではありません。例えば、foodは誰でも知っているような単語ですが、類義語であるmeal, dish, cuisineとの違いを整理して理解できているでしょうか。映画のセリフを例に、それぞれの単語の特徴を見てみましょう。

Foodは、食べ物を表す最も一般的な語で、人間に限らず動物が食べるものなどにも幅広く使われます。

  (1) There's a bunch of food in the fridge.「冷蔵庫にたくさん食べ物があるわ」 (Contact, 1997) <0:20:43>
  (2) Mr. Perfect better be polite, otherwise I'll turn him into cat food. 「(未知の知的生命体をさして)
    Mr.Perfectが大人しくしてないなら、ネコのエサにしてやる」(The Fifth Element, 1997) <0:25:28>

食べ物全般に使える便利なfoodですが、朝食, 昼食, 夕食のように、特定の時間に座って食べる食事については、foodよりもmealを使います。

  (3)That meal began with green oysters from the Gironde followed by the sweetbreads, a sorbet.
    「その食事はジロンド産の緑牡蠣で始まり、膵臓、シャーベットと続きました」(Hannibal, 2001)<0:45:06>

またmeal は、beforeやafterを伴い、食前や食後を表す場合にもよく使われます。

  (4) Nothing like a smoke after a meal. 「食後のタバコに勝るものはないね」(Stand by Me, 1986) <0:42:14>

食事のことをさすmealとは違い、 dishは、main dish(主菜)やside dish(副菜)のように、食事の一品として皿に盛った特定の調理法による料理のことです。

  (5)My favorite dish is haggis. Heart, lungs, liver. You shove that all in a sheep's stomach, then you boil it.
   「僕の好きな料理はハギスだよ。心臓や肺やレバーを全部羊の胃袋に詰めて茹でるんだ。」
   (Arumagedon 1998)<0:37:02>

ちなみに、dishを使ったフレーズの一つとしてcasserole dish(キャセロール、調理用鍋)がありますが、これは、蓋のついた耐熱の容器をそのまま食卓に出す料理のことです。

最後に、cuisineは、特定の地域や文化の料理、また高級レストランの料理をさすときに使われることが多く、表現としては少しかたい印象の単語です。haute cuisine(高級料理)やregional cuisine(郷土料理)のような表現で使われるほか、FrenchやChineseのような国名を伴って料理の種類を表す場合にも使われます。

  (6)An incredible thing about Thailand is the amazing traditional cuisine.「タイで素晴らしいのは、びっくりするような
   伝統料理です」(Bridget Jones: The Edge of Reason, 2004) <0:57:56>

このように、一見似たような意味を持つ単語でも、それぞれに異なった意味と使われ方があることが分かります。語彙力を伸ばし英語の表現力に磨きをかけるためにも、類義語は各単語の意味を踏まえた上で、それぞれを関連付けて学習していくのがお勧めです。


2015年4月1日

タイトル: 「談話辞 “speaking of A”の英和辞典の記述と映画の台詞」
投稿者: 横山仁視(京都女子大学)

英語の語彙や表現を身につけるということはどういうことでしょうか。投稿者が学生の頃に、ポケット・・・という英和辞典や英和と和英が一冊になった、まさにポケットにしまえる程のハンディーな辞書を携行する学生が身近にいたことを記憶しています。さながら現代版モバイル/スマホというところでしょうか。こうした学生を見かけると、さぞかし活用法を熟知している英語の達人なのだろうなと思いました。しかし、このような辞書に書かれていたのは、形容詞であれば「・・・な」、副詞であれば「・・・に」などのような表面的な意味に留まり、話し手のどんな気持ちを聞き手に伝えようとしているのか、文脈と話し手の心理を記述した英和辞典はなかったと言っても過言ではない時代でした。こうした日本人の英語学習者の痒いところに手が届く辞書として、1988年に『ジーニアス英和辞典』が誕生しました。今では良く見かけるようなった記号(主語や目的語の選択制限を表す< >や語の使われ方や使用地域を表すスピーチレベル(  )など)を使った、英語を母国語としない日本人英語学習者にとっては画期的な辞書でした。

さて、本コラムでは、談話辞(discourse particle)の“speaking of A”について以下の5つの英和辞典の記述と映画の台詞を見てみましょう。総じて「Aのことだが[と言えば]」という和訳を与えることができるでしょうが、辞書によっては談話における機能面を全面的に記述するなど「使い方」を意識したものもあります。

辞書A: [about] O ((主に米))・・・のことだが、・・・と言えば
辞書B: Aと言えば
辞書C: ・・・の話と言えば: Speaking of baseball, which team do you think will win the pennant?
辞書D: ・・・と言えば: Speaking of dates, are you still seeing her? NAVI デートといえば、まだ彼女と付き合っているの?(❤「そういえば」というニュアンスで話題を変えるときなどに用いる➩NAVI表現11)
辞書E: [((まれ))about A[話題の導入]((話))(既出の内容に関連させて新しい話題を導入して)Aと言えば((1)文頭で. (2)Aは名/動名) Speaking of the report, when is the deadline?

もちろん英和辞典の記述は自然言語の中で使われている全ての用法を網羅し記述しているわけではありません。しかし、映画を観ると英和辞典には記述されていない興味深い台詞に出くわすことがあります。(本コラムでは、英和辞典に記載することを前提として(1)(2)を例示しているわけではありません。)

(1) CHUCK: And they go from that to the new hub up in Anchorage. It’s a perfect marriage between technology and
  systems management.
  (そこから始まって、今やアンカレッジにも新しいハブがある。技術の最先端だよ。テクノロジーとシステム・マネージメ
  ントの完全なる結婚だよ。)
  MORGAN: Speaking of marriage, Chuck, when are you gonna make an honest woman out of Kelly here?
  (結婚と言えば、チャック、君はいつケリーと結婚するつもりなんだ?)
  CHUCK: There it is!(ほらきた!)<00:15:31> (Cast Away, 2002)

(2) STEPHANIE: All right, here’s the difference between me and the goddess. She’s playing games to trick him into
  wanting her…
  (わかった。これが私と女神の違いね。彼女はオトコが彼女を欲しがるように引っかけるけど・・・)
  MARISA: And you’re what?(で、あなたは?)
  STEPHANIE: I’m working hard for the money. Speaking of which, you hand in your application? Management?
  (私はお金のために猛烈に働いている。そう言えば、申込書提出する?管理職の。)
  MARISA: Yeah. You know…What , what are you doing?(うん。それはね・・・な、何やってるの?)<00:25:06> (Maid in Manhattan, 2002)

(1)(2)とも、「既出の内容に関連させて新しい話題を導入して」使われていること分かります。しかしここで着目したい点はAの指す内容です。(1)は文字通りの「結婚」を意味しているわけではなく、テクノロジーとシステム・マネージメントの完全なる「結婚」(=融合)を指す比喩的な使い方をしています。また、(2)では、非制限用法の関係代名詞whichを使い、相手の話した全文を受けています。“speaking of A”が前文との関係でどのような使われ方をしているのかを知ることは大切ですが、Aにどんな意味を持った種類の名詞などがくるのかについても知ることも、対話のやりとりをスムーズに行う上で知っておくことも重要なことかもしれません。


2015年4月15日

タイトル: 気持ちを伝える複数形の表現
投稿者: 飯田泰弘(大阪大学大学院・院生)

日本のテレビやラジオのクイズ番組で解答者が正解すると、「おめでとう!」の意味で「コングラッチュレーション(Congratulation)!」という英語が流れるのを時々耳にします。厳密にはこれは誤りで、正しい英語は語尾に ‘-s’ を付けた、「コングラッチュレーションズ(Congratulations)!」としなければなりません。これには、congratulationが「祝いの言葉・気持ち」という名詞であることが関連しており、お祝いする気持ちの「多さ」を伝えるために「複数形」の ‘-s’ を付けるのです。これは、「感謝の言葉」を意味する名詞thankが、複数形でThanks!「ありがとう!」として使われることと同じで、映画ではこうした表現に常に ‘-s’ が付くことが確認できます。

(1) Richard : Actually, I bought her yesterday.(実は昨日、この船を買ったんだ。)
  Frank : Come on. Congratulations!(まさか。おめでとうございます!) <00:19:15>(The Terminal, 2004)

複数形にして気持ちを伝える表現には他にも、condolences「お悔やみの言葉」、greetings「挨拶の言葉」、wishes「希望の言葉」、goodbyes「別れの言葉」、regards「よろしくという言葉」、apologies「お詫びの言葉」などがあります。これらは、手紙やメールの最後にもよく添えられ、クリスマスカードにSeason’s Greetings「時候の挨拶」という文字を見た記憶がある方も多いのではないでしょうか。次の映画のセリフからもわかるように、こうした表現を使う際には ‘-s’ の存在を忘れないようにしてください。

(2) Please accept my sincere condolences for your father.
  (お父上に、心からのお悔やみを申し上げます。) <01:46:50> (2012, 2009)
(3) Greetings from Tikrit.(ティクリートからの挨拶だ。) <00:20:47>
  『FBI-失踪者を追え!- 第2シーズン第17話』(Without A Trace, Season2, Episode17, 2004)
(4) Hey, I’m filming goodbyes for Rob.(ねぇ、ロブへのはなむけの言葉を撮ってるんだ。)<00:13:45>(Cloverfield, 2008)
(5) He sends his regards.(彼がよろしく言っといてくれって。)<00:20:08>
  『FBI-失踪者を追え!- 第1シーズン第8話』(Without A Trace, Season1, Episode8, 2002)

ちなみに、こうした名詞の複数形表現を強調するときは、その気持ちが「かなり多い」ことを伝えることになります。例えば、thankには「動詞」と「名詞」の2つの用法がありますが、動詞のThank you.の場合はThank you very much.という形をとりますが、名詞の場合はThanks a lot.やMany thanks.という形が使われます。しかし、Thank you.もThanks.も似た意味を持つ頻度が高い表現であるため、おそらくこの2つの「混同」により生まれたと思われるThanks very much.という表現もあります。本来very muchは名詞を修飾しないため、この表現は文法上の誤りなのですが、日常会話では非常に多く見られます。

(6) Viktor : I’m afraid from* ghosts. (僕は幽霊が怖い。)
  Frank : Okay, thanks very much. (わかった。もういい、ありがとう。)
  Viktor : I’m afraid from Dracula. (ドラキュラだって怖い。) <00:47:15>
  Frank : Thanks a lot.(もういい、ありがとう。)(The Terminal, 2004)
*afraid fromはここでは英語非母語話者の発言であり、afraid ofの誤用だと考えられる。

これに似た表現として、Thanks awfully.「どうもありがとう」という表現が載っている辞書もあります(『ウィズダム英和辞書』など)。これも本来、副詞awfullyは名詞を修飾しないという点で文法的に誤った表現なのですが、もとはThanks.とThank you.とが混同されたことが考えられます。
言葉というものは生き物であり、最初はみんなが(文法的に)変だと認識していた表現でも、年月を経て徐々にその言語に定着するということはよくあります。まさに言葉は時代の鏡と言えます。このような現象は、日常生活で使う頻度が高い表現になればなるほど起こりやすく、Thanks very much.やThanks awfully.もその一種と考えられます。


2015年3月1日

タイトル:『シックス・センス』(The Sixth Sense, 1999)―「沈黙」と「嘘」を巡って
投稿者: 北本晃治(帝塚山大学)

映画『シックス・センス』は、死者の亡霊が見えることを自らの超能力というよりはむしろ「怪物性」と考え、そのことを、家族(母)を含む誰にも話せずに苦しんでいる少年コールの物語です。コールとその母リンとの間では、以下のような興味深い会話が食卓を囲んで交わされます。

Lynn: I saw what was in your bureau drawer when I was cleaning.…You got something you want to confess?…The bumble bee pendant. Why do you keep taking it?…It was grandma’s…What if it broke? You know how sad I’d be.
(お掃除のとき、あなたの机の引き出しを見たわよ。何か告白することはないの?蜂のペンダントのことよ。どうしていつも移動させるの?おばあちゃんのよ。壊れたら私がどんなに悲しむか知ってるでしょう?)
Cole: You’d cry, ’cause you miss grandma so much.
(おばあちゃんへの思いで、ママ泣いちゃうよね)
Lynn: That’s right.
(そうよ。)
Cole: Sometimes people think they lose things and they really didn’t lose them. It just gets moved.
(何か無くしたと思うとき、実はそうじゃなくて、勝手に物が動くときがあるんだよ。)
Lynn: Did you move the bumble bee pendant?(蜂のペンダント動かしたのはあなたよね。)
Cole: Don’t get mad. (怒らないで。)
Lynn: So who moved it this time?…Maybe someone came in our house, took the bumble bee pendant out of my closet, and placed it nicely in your drawer?
(じゃあ、誰が動かしたの?誰かがそのペンダントを私の戸棚からあなたの引き出しへとご丁寧に移動させたとでも言うの?)
Cole: Maybe. 
(たぶん。)
Lynn: I’m so tired Cole. I’m tired in my body. I’m tired in my mind. I’m tired in my heart. I need some help. I don’t know if you noticed, but our little family isn’t doing so good…I mean, I’ve been praying, but I must not be praying right. It looks like we’re just gonna have to answer each other’s prayers. If we can’t talk to each other, we’re not gonna make it. Now tell me, baby, I won’t get mad, honey. Did you take the bumble bee pendant?
(もういい加減にしてちょうだい。身も心も疲れ切っているんだから。うまくいくように、ずっとお祈りはしてるけど、ちゃんとできてないみたい。家族が信じ合えなかったら、やってはいけないわ。怒らないから言ってちょうだい。あなたがペンダントを動かしたのよね。)
Cole: No.
(違うよ。)
Lynn: You’ve had enough roast beef. You need to leave the table.・・・Go!
(もう夕食はいいから、自分の部屋へ戻りなさい。早く行って!)
<01:00:55>

ここで話題となっている蜂のペンダントは、すでに亡くなったおばあちゃん(リンの母)形見として、リンがとても大切にしているものです。それが何度もリンの部屋から消えた後コールの机の引き出しから見つかるので、母子二人暮らしの中で、それを移動させているのは当然コール以外にありえないとリンは考え、コールに問い詰めます。コールがどぎまぎしていると、リンは上の会話のように、ペンダントの大事な理由を説く一方で、コールの話すペンダントが移動した理由の憶測的な説明には、全く耳を貸しません。さらに、コールが黙っていると、「誰かが家へやって来て、私の戸棚からあなたの引き出しに、ご丁寧に移動させたとでもいうの?」と皮肉まじりに畳み掛けます。真実を語ることのできないコールは「たぶん・・・」と言葉を濁すだけでした。コールが怒られたくないため嘘をついていると確信しているリンは、仕事で身も心も疲れ切った自分が求めているのは、嘘のない家族の信頼関係であり、怒るつもりはないことを強調して、ただ素直に認めてくれることだけを願いつつ再度確認します。これに対して、沈黙の後、コールは“No.”(自分が動かしたんじゃない)答え、結果リンの怒りを買って、食事を切り上げて自分の部屋へ戻るように命じられるのでした。

さて、このシーンでは、「沈黙」と「嘘」を巡る欧米文化に特徴的なコミュニケーションのあり方が指摘できるように思われます。すなわちそれは、相手の「沈黙」(言語化されない部分)は無意味であり、それに積極的、主体的に介入、言語化して、相手に何らかの認識を迫ろうとする姿勢と、「嘘」を極力排除しようとする態度です。リンはコールの返事に至る「沈黙(躊躇)」に活発に働きかけて、「嘘」の無い家族の信頼関係の重要性という認識を求めます。しかしながら、実はペンダントを移動させたのは、すでに亡くなっているおばあちゃん自身であり、コールはそのことを話せずにいます。真実を語れば、自分が「怪物」だと思われ、母の愛を失うかもしれない、そう考えるコールは最終的にただ、前述のように“No.”とのみ答えます。

ここでコールがとった選択は、状況を知りようもない母に「嘘だと思われても」決して「嘘をつかない」姿勢でした。結果的にそのことで母は傷つきます。このような状況では、人間関係を言葉の意味よりも重視する日本文化的発想では、場をまるく納めるために「嘘も方便」として活用する場合も多いのではないでしょうか。自分が移動させたことにすることによって、母との信頼関係は保たれ、亡霊が見えるという秘密も話さずに済むのですから。

では、コールはどうして母との円満な人間関係よりも、言葉上の真理を優先させたのでしょうか。新約聖書ヨハネ伝冒頭には、「始めに言葉ありき」という一節がありますが、キリスト教的文化圏では、言語化するという行為が、どこかで神への宣誓となるという無意識的プレッシャーが存在するように思われます。“I swear to God,・・・”(神に誓って)という常套句は、その意識的現れです。勿論「悪意のない嘘(White Lie)」のように他人への配慮等で使われる限定的なものはありますが、自らの行為や信念等に関する「嘘(Lie)」は、それだけで神に背く行為となり、悪人でもない限り、比較的広い範囲で妥当する日本的な「嘘も方便」は通用しにくいものと考えられます。会話の中で、リンは「祈り」について言及していますし、コールが何度も教会に出入りしている様子からも、宗教の重要性が分かります。このように、母との直接的なやり取りを超えて成立する神との関係性(宗教的モラル)を想定することで、人間関係を重視する日本人的感覚では一見不可解なコールの言葉の真実への強いこだわりにも、より納得のいく説明がつくように思われます。


2015年3月1日

タイトル:『ウォールフラワー』~「壁の花」は女性だけじゃない?~
投稿者:松田早恵(摂南大学)

『ウォールフラワー』(The Perks of Being a Wallflower, 2013)は、同名のヤングアダルト小説(Stephen Chbosky著、2009年)を映画化したものです。主演男優をローガン・ラーマン、主演女優をエマ・ワトソンが演じています。

「壁の花」というと、日本語では女性のイメージで、実際に『デジタル大辞林』(http://www.daijisen.jp/digital/)でも「パーティーなどで、会話の輪から外れている女性。もともとは、舞踏会で、踊りに誘われず壁際に立っている女性をいった語」と定義されています。しかし、Longman Dictionary of Contemporary English(http://www.ldoceonline.com/)によると、“someone at a party, dance etc who is not asked to dance or take part in the activities”となっており、女性限定ではないようです。

主人公のチャーリーは幼少期のトラウマを抱えている16歳の男の子。中学の最後にもさらに追い討ちをかけるような出来事を経験します。それでも、新しく高校生活をスタートするにあたって何とか友達を作りたいと思うのですが、なかなかうまくいきません。そこで、とにかく「普通に」していることに徹して、残りの「1,385日」を何とか目立たぬようにやり過ごすことにします。そんな折、ふとしたことをきっかけに上級生のグループと知り合い、様々な初体験をすることになります。以下は、初めてのパーティで彼らに受け入れてもらえたときの会話です。

PATRICK: Hey, everyone! Everybody! Everyone…raise your glasses to Charlie.
(みんな、チャーリーに乾杯だ。)
CHARLIE: What did I do?
(僕が何をした?)
PATRICK: You didn’t do anything. We just want to toast our new friend. You see things. And you understand. You are a wallflower. What is it? What’s wrong?
(何もしてないよ。新しい友達に乾杯したいだけだ。君は観察して、理解している、壁の花だ。何だ?どうした?)
CHARLIE: I didn’t think anyone noticed me.
(誰も僕に気づいていないと思ってた。)
PATRICK: Well, we didn’t think there was anyone cool left to meet. So come on, everyone. To Charlie.
(もうカッコいい奴はいないと思ってた。さあ、みんな、チャーリーに乾杯!)
EVERYONE: To Charlie.
(チャーリーに!)
SAM: Welcome to the island of misfit toys.
(はみ出し者の島にようこそ。)
<0:25:49>

この映画での「ウォールフラワー」は男子のチャーリーだったのです。仲間のおかげで「ウォールフラワー」状態から脱したチャーリーでしたが、その後もやはり色々な出来事が起こり、チャーリーの青春はup & down(high & low?)を繰り返します。でも、最後に彼が行き着いた結論は…。

CHARLIE: But right now, these moments are not stories. This is happening. I’m here, and I’m looking at her. And she is so beautiful. I can see it. This one moment when you know you’re not a sad story, you are alive. You stand up and see the lights on the buildings…and everything that makes you wonder. And you’re listening to that song on that drive...with the people you love most in this world. And this moment, I swear, we are infinite.
(でも今は、この瞬間は思い出なんかじゃない。現在進行形だ。僕はここにいて、彼女を見ている。なんて美しい。わかったんだ。この瞬間、僕は悲しい思い出なんかじゃなくて、生きている。立ち上がり、ビルの明かりや心震えるものを眺めながら。世界で最も愛する人たちとあの曲を聴いていると…この瞬間こそ、絶対に、僕らは無限だ。)
<1:37:34>

「僕らは無限だ!」などとは何と青春なのでしょう!そして、そう思えた瞬間はきっと彼の中に永遠に生き続け、一生涯彼を支えることでしょう。これからも頑張れ、チャーリー!


2015年2月1日

タイトル: 「ハリウッド文化と認知症」
投稿者: 藤倉なおこ(京都外国語大学)

ベビーブーマー世代が高齢になりアメリカでも認知症がメディアでもとりあげられるようになりました。日本映画は『恍惚の人』(1973)をかわきりに患者の症状、苦悩、家族に重くのしかかる介護の現実を描いてきました。一方、アメリカでは認知症を扱った映画は、主に2000年以降に登場します。しかしそれらはラブ・ストーリーやファンタジーの形をとっていて、映画を通じて患者、介護者の現状が人々に理解されることはなく、誤った認識さえ植えつけているかもしれません。

『マイ・ファミリー・マイライフ』(The Savages, 2007)は、アメリカ映画の中では、現実に近い当事者の姿を描いています。父親が認知症を発症し、突然引き取らなければならなくなった兄妹の物語です。

“Don’t make me out to be the evil brother who is putting away our father against your will. We’re doing this together, right?”(お前の望みに反して父親を入所させる悪い兄にしたてないでくれよ。これはオレたちふたりですることだろ。)
<0:24:55>

これは父親が入る高齢者施設を探す兄のセリフです。高齢者の大半は、自宅で最期まで生活したいと思っています。家族は本人たちの意志に反して施設に入所させることに罪悪感を持っています。映画の兄もこれが最善なのだと自分を納得させようと懸命なことがこのセリフからも垣間見えます。

米国の高齢者は、大半が施設で暮らしているという印象はありませんか?実はそうではありません。多くの自宅にいる高齢者を家族、友人、近所の人たちが支えています。米国アルツハイマー協会のレポートには、こうした人たちによる無償の介護は、全米で年間177億時間に上り、「2012年度のマクドナルドの総収益(278億ドル)の8倍」に相当するとしています。労働者が介護に時間を割かれる実態は、アメリカの経済に大きなマイナスです。

アーノルド・シュワルツネッガーのかつての妻、マリア・シュライバーが主催するNGOが発行する報告書は、「認知症は、女性の問題である」と書いています。男性介護者は増えていますが、アメリカでも妻、娘、嫁、孫が介護の大半を担っています。また患者にも平均寿命が長い女性が多いのが現状です。

アメリカ映画で、認知症の現実がなかなか描かれないのは、それが女性を中心にした問題だからということが一つの原因かもしれません。ハリウッド映画製作の意思決定に携わる人たちのほとんどはいまだに男性です。今後、より多くの男性が認知症や介護に直面することで、現実が描かれ始めるかもしれません。

さらには、日本とアメリカの文化の違いもあるかもしれません。日本には「しかたがない」という表現に代表されるように人生の困難を受け入れ、その中でなんとか努力し生きていく姿に人々は共感します。一方、米国は良くも悪くも「あらがう」文化だとはいえないでしょうか。困難には常に立ち向かい、解決し、人生を切り開く姿が共感を得ます。今のところ認知症に有効な治療法はありません。病気の進行をただ見守りながら苦労するしかない家族と病気を受け入れることしかない認知症患者の姿は、アメリカ人には受け入れがたいのかもしれません。しかし今後は、ラブ・ストーリーやおとぎ話とはかけ離れた当事者の現実を伝える映画も必要なのではないでしょうか。


2015年1月3日

タイトル: 死ぬまでにしたい10のこと
投稿者: 近藤嘉宏(京都外国語大学・非)

箇条書きに簡潔に書く力をアップさせるのに役立つ活動を、(1)『死ぬまでにしたい10のこと』(My Life Without Me, 2003)と(2)『最高の人生の見つけ方』(The Bucket List, 2007)の2つの映画の場面から考えてみましょう。

一つ目の映画は、二人の娘を持つ女性が余命数カ月と宣告され自分の人生を見つめなおして、カフェで一人で珈琲を飲みながら「死ぬまでにしたいことリスト」を書き綴ります。自分のいなくなった後の人生をしっかりと設計しておくというものです。少し重い感じがするなら、Things to do before I graduate. や Things to do before the next birthday. などに変えることもできるでしょう。

1. Tell my daughters I love them several times a day.(娘たちに一日に何回か愛してると伝える。) 
2. Find Don a new wife who the girls like.(Donに娘たちが気に入るような新しい奥さんを見つける。) 
3. Record birthday messages for the girls for every year until they’re 18.(娘たちが18歳になるまで毎年誕生日のメッセージを録音しておく。) 
4. Go to the Whalebay Beach together and have a big picnic.(ビーチに一緒に行って、ピクニックをする) 
5. Smoke and drink as much as I like.(好きなだけ煙草を吸ってお酒も飲む)
6. Say what I’m thinking.(自分が考えていることを口に出していう) 
7. Make love with other men to see what it’s like.(別の男性とつきあって、どんなものかを確かめる)
8. Make someone fall in love with me.(誰かに自分に対して恋に落ちさせる) 
9. Go and see Dad in jail.(刑務所にいるお父さんに会いに行く) 
10. Get some false nails ( and do something with my hair ).(付けづめをして、髪の毛にもなにかする)<00:24:10>

この10カ条の男性版が二つ目の映画です。ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンの二人の名優が演じています。余命数カ月と診断され病院で同室になった二人がリストに従って行動します。言うまでもなく、タイトルの The bucket list は、A list of things to accomplish before one's death.の意味です。コピルアク(この映画にも出てくる希少な珈琲)でも飲んでいるつもりでリストを書いてみてはどうでしょうか。

1. Witness something truly majestic.(本当に威厳のある景色を見る)
2. Help a complete stranger for the good.(全く知らない人を善意で助ける)
3. Laugh until I cry.(泣くほど笑う)
4. Drive a Shelby Mustang.(シェルビー・マスタングを運転する)
5. Kiss the most beautiful girl in the world.(世界最高の美女とキスをする)
6. Get a tattoo.(タトゥーを入れる)
7. Skydiving.(スカイダイビングをする)
8. See Rome.(ローマを観光する)
9. See the pyramids.(ピラミッドを見る)
10. Visit Stonehenge.(ストーンヘンジを訪れる)<00:33:40>

ジャック・コルソンの力強い台詞 “We could do this. We should do this.” に私達にも実現できそうな気がしてきます。


2015年1月3日

タイトル: Erin Brockovich に学ぶ論争のレトリック
投稿者:井村誠(大阪工業大学)

Erin Brockovich(Universal Pictures 2000)は、1993年に米国カリフォルニア州で実際に起きた公害訴訟事件をもとに作られた映画です。主人公のエリンは、3人の子供をかかえるシングルマザーで失業中。必死で職探しをするもままならず、おまけに自動車事故に遭って怪我をする始末。しかしそのことがきっかけで、弁護士事務所で働くことになった彼女は、PG&E社(Pacific Gas and Electric Company)の工場廃液による土壌汚染で、地域住民の健康が損なわれていることを発見し、これが全米訴訟史上最大規模の3億3千万ドルの和解金を獲得する訴訟に発展します。まさにアメリカン・ドリームを地で行くサクセス・ストーリーですが、何と言ってもこの映画の見所は、主演ジュリア・ロバーツが演じるエリンの強烈な個性と、圧倒的な弁舌力です(この映画で彼女はアカデミー賞主演女優賞を獲得しました)。ではここで、エリンの論争テクニックに学んでみましょう。

次は、訴訟を避けて事態を穏便に済ませようと和解金の提示にやってきたPG&E社の顧問弁護士たちに向かってエリンが弁舌をぶちまけるシーンです。

Ms. Sanchez: Let's be honest here. Twenty million dollars is more money than these people have ever dreamed of.
Erin: See, now that pisses me off. First of all, since the demurrer we have more than 400 plaintiffs. Let's be honest. We all know there are more out there. They may not be the most sophisticated people, but they do know how to divide. Twenty million dollars isn't shit when you split it between them. Second of all, these people don't dream about being rich. They dream about being able to watch their kids swim in a pool... without worrying that they'll have to have a hysterectomy at the age of 20... like Rosa Diaz, a client of ours... or have their spine deteriorate like Stan Bloom, another client of ours. So before you come back here with another lame-ass offer... I want you to think real hard about what your spine is worth, Mr. Walker... or what you might expect someone to pay you for your uterus, Ms. Sanchez. Then you take out your calculator... and you multiply that number by 100. Anything less than that is a waste of our time. By the way, we had the water brought in special for you folks. Came from a well in Hinkley.

(注)demurrer 妨訴抗弁(弁護側が裁判を回避するために行う異議申立て) hysterectomy 子宮摘出手術 spine 脊椎 uterus 子宮

弁舌の中でエリンは、まず第一に(first of all)、弁護側が示した和解金(2千万ドル)は、膨大な被害者の数で割ると雀の涙にもならないとこきおろし、第二に(second of all)、被害者は金儲けが目当てなのではなく、普通に健康な暮らしがしたいのだと言って、個々の具体的な症例をあげて、相手の過失責任の重大さを強調し、結論として(so)自分たちの臓器の値段を計算して、それを100倍した金額を下回るような和解金は問題外であると言って、被害者の立場に立って親身に物事を見ようとしない弁護団を非難します。さらに極めつけは、エリンの弁舌の波状攻撃にうろたえて、目の前のグラスの水を飲もうとした女性顧問弁護士のサンチェスに「ところでその水は、あなた方のためにヒンクリー地区の井戸水を特別に取り寄せたものよ」と、とどめを刺しているところです。冗談であったにせよ、六価クロム(hexavalent chromium)が含まれているかもしれない水を、彼女が飲めるわけはありません。

さて、このErin Brockovichを題材とした大学英語教科書を、2015年に金星堂より上梓する予定です(井村誠・中井英民・松田早恵・山本五郎 著/Damien Healy・Matthew Caldwell 英文校閲)。Erin Brockovichは題材そのものの教育的価値が高く、授業で使える様々な状況会話が満載です。よろしければ一度、お試しください。


2014年10月14日

タイトル:「今、何時?」
投稿者:松井 夏津紀(チュラーロンコーン大学、タイ王国)

英会話学習の広告などで「“What time is it now?”は恥ずかしい英語、ネイティブスピーカーは使わない」というような見出しを見たことがないでしょうか。日本語の「今、何時ですか。」に対応する英語は“What time is it now?”だと思っていた人も少なからずいることでしょう。また、このフレーズを使ったことがある日本人も結構いるのではないでしょうか。今まで使っていた“What time is it now?”は、実は恥ずかしい英語だったのかとがっかりしていたときに、ネイティブは“Do you have the time?”を使うと習い、二度と“What time is it now?”は使うものかと思った人もいるのではないでしょうか。

確かに“What time is it now?”は、時間を尋ねるときに最もよく使われる表現ではありません。しかし、絶対に使用できないというわけではなく、文脈によっては使用が可能な表現です。また、“What time is it now?”が稀にしか使うことのない表現だからと言って、“What time is it?”も同じようにあまり使わない表現かというとそうではなく、これは次のように映画の台詞にも普通に使われている表現です。

Counselor: What time is it?(何時だ?)
Laura1: Two o’clock. Almost two o’clock.(2時よ。もうじき2時。)
Counselor: AM or PM?(午前?午後?)<00:01:25>
『悪の法則』(The Counselor, 2013)

これは一緒に寝ていた恋人同士が目を覚ましたという場面での会話です。ここでは時間を聞くときに“What time is it?”が使われています。“What time is it?”は親しい間柄で時間を尋ねるときの自然な時間の聞き方で、このような場面で“Do you have the time?”という質問文が使われると不自然になります。“Do you have the time?”は丁寧な印象を与える表現で、恋人同士や夫婦間で使うようなものではないようです。ですから、外で知らない人に時間を聞くときには適切な表現になるようです。

ネイティブが使う英語という触れ込みでいろいろな表現を学ぶ機会はネットの普及により更に増えたと思われます。しかし、「どんな場面でどのように使うのか」を知らないと、せっかくのネイティブが使う表現もノンネイティブのおかしな使い回しになってしまうので、その点は気をつけたいところです。


2014年10月14日

タイトル: 「映画と文学」
投稿者: 國友 万裕(同志社大学、非)

私が初めて大学の教壇にたったのは、1993年のことでした。私はまだ20代で不安でいっぱいでした。その年、私が使ったテキストはSplendor in the Grass(金星堂)でした。

これはウィリアム・インジというアメリカの劇作家の原作によるもので、ウォーレン・ベイティとナタリー・ウッド主演の映画『草原の輝き』(Splendor in the Grass, 1961)のシナリオです。この年のアカデミー賞の脚本賞を獲得しています。当時はまだ映画のテキストは少なかったのですが、私は、元々映画マニアで、映画の知識を生かしたくて、このテキストを選んだのです。

高校生同士の恋愛を描くものなのですが、アメリカの性というものについて考えさせてくれます。高校生のバッドとディーニーは愛し合っていて、彼女への欲望を抑えられない彼は彼女にセックスを求めようとします。しかし、性的な規律の厳しい母親の影響もあり、身持ちの固いディーニーは、彼の気持ちに応えることはできません。結局、性欲を抑えられないバットは、ファニタという別の女の子と関係をもってしまいます。そのことでディーニーは傷つき、気がふれてしまいます。

精神病院から退院した彼女は、病院で知り合った医師と結婚することになり、バットに再会しに行くのですが、バットにも妻と子供がいます。あれだけ愛し合い、苦しんだ二人だったのに、もう今となっては遠い青春の一ページ。やはり青春の恋は儚いものなのだなあとしみじみ切なくなります。

二人の狂おしいまでの思い、青春期の心の揺れが主役の二人の瑞々しい演技で描かれ、学生たちも関心をもって読んでくれましたし、映画も楽しんでくれました。おそらく、この映画は今の若い人が見ても、それなりに感動するものがあるはずです。

タイトルのSplendor in the Grassはイギリスのロマン派詩人William Wordsworthの次の詩からとられたものです。

Though nothing can bring back the hour
Of splendor in the grass, of glory in the flower;
We will grieve not, rather find
Strength in what remains behind.

(訳)草の輝くとき、花美しく咲くとき、再びそれは帰らずとも嘆くなかれ。その奥に秘められし力を見いだすべし

本当に映画のテーマにぴったりの名詩です。

最近は文学を勉強する人が少なくなってきましたが、スコット・フィッツジェラルド原作の『華麗なるギャツビー』(The Great Gatsby, 2013)など、有名な文学作品の映画化はいまでも盛んですし、映画の一説には有名な詩や小説からの引用がたびたび出てきます。

これから文化の秋です。皆さんたちも、映画だけでなく、時には文学に親しんでみてください。


2014年9月2日

タイトル: 映画で学ぶ “The more you know, the better.” な話
投稿者: 小林 翠(大阪大学大学院博士後期課程)

私たちは高校で、次のような “The 比較級…, the 比較級~.” という構文を学習します。

(1) The more expensive the hotel, the better the service.

(1) は、ホテルの値段に比例して、ホテルの接客の質の高さが増加することを表しています。しかし、この構文は後半部が the better のみから成る (2) のようなタイプがあります。

(2) The sooner you start practicing, the better.

(2) は、練習開始までの時間の短さに比例して、話し手の満足度が高くなることを意味します。(1) のように後半部の the betterに主語などが後続する例では、better が示す度合いは様々ですが、(2) のように後半部が the better のみの例では、better が示す度合いは常に「話し手の満足度合い」になります。また、この後半部が the better のみから成る “The more … , the better.” は使用頻度は高く、映画の台詞でもよく使われています。

(3) Buzz:I could’ve stopped him.
  (私があの少年を止めていれば。)
  Woody:Buzz, I would love to see you try. ( … )
  (バズ、そんなに言うならぜひとも止めてもらいたいものだよ。)
  Bo Peep:The sooner we move, the better. < 00:24:25 >
  (早くここから引っ越したほうがよさそうね。)

(3) は『トイ・ストーリー』(Toy Story, 1995)共起例で、おもちゃ同士の会話です。これは、仲間のおもちゃを壊して面白がる少年を、おもちゃたちが見ている場面で用いられています。そして “The more … , the better.” 構文が、少女人形 Bo Peep の台詞で使われています。「おもちゃたちが少年から離れるのが早ければ早いほど、話し手(Bo Peep)の満足度が増加する」ことを表し、「できるだけ早く引越することがBo Peep にとって望ましい」ということを意味しています。

(4) June:Why can’t we just land at an airport?
  (空港に着陸しないの?)
  Roy:No, no. That wouldn’t be a good idea. They’ll be waiting for us.
  (それはまずい。奴らが待ち伏せている。)
  June:What do you mean, waiting for us? Who?
  (何のこと?奴らって誰?)
  Roy:I think, the less you know the better. < 00:16:20 >
  (奴ら(追ってくる敵)のことなんて知らない方が身のためだ。)

また、(4) は『ナイト&デイ』(Knight and Day, 2010)からの引用です。Roy(CIA所属のスパイ)が敵に追われ、飛行機を空港外で着陸させようとしている場面で、RoyとJune(事件に巻き込まれた飛行機に同乗している一般女性)が操縦室内で交わす会話です。そして、Royの台詞の中で “The more … , the better.” 構文が用いられ、「Juneが敵について知らなければ知らないほど、話し手(Roy) の満足度が増加する」ことを表しています。つまり、「June が敵のことをできるだけ知らないことが、Roy にとっては望ましい」ということを意味しているのです。

このように、後半部が the better のみから成る “The more … , the better.” 構文は、常に「前半部の比較級が示す程度に比例した、話し手の満足度合いの増加」を表します。

“The 比較級…, the 比較級~.” は馴染みのある構文ですが、“The more … , the better.” については、意識している学習者は少ないかもしれません。映画の台詞には、こうしたちょっとした話し手の心的態度を表している表現によく気付かされることがよくあります。映画の台詞にこうした意味合いを探してみてはいかがでしょうか。


2014年8月14日

タイトル: シェイクスピアを知っていますか?
投稿者: 奥村真紀(京都教育大学)

NHKの朝ドラ「花子とアン」が大人気だそうです。誰もが知っている『赤毛のアン』の翻訳者である村岡花子の物語ですが、実は随所に『赤毛のアン』のエピソードがちりばめられ、物語を知っている読者は、『アン』の物語のパロディとして、朝ドラを楽しむことができるようになっています。パロディとは広い意味では、一つの作品からその要素を取り出して、別の作品に使うことを指します。アカデミー賞で七部門を受賞した『恋に落ちたシェイクスピア』(Shakespeare in Love, 1998)は、シェイクスピアのロマンスを描いたフィクションですが、シェイクスピアの作品のパロディが全編にわたって出てきます。

新進気鋭の劇作家ウィルは、『ロミオとジュリエット』を執筆中。(余談ながら、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』では、ヒロインのジュリエットが13歳という設定なのはご存知でしょうか。当時、女優が舞台に立つことは風紀上の理由で固く禁じられており、声変わり前の少年が女性役を演じていたため、そのような設定になったと言われています。)この映画では演劇好きの貴族の娘、ヴァイオラが変装してジュリエットの役を射止めることに成功します。ウィルはそれに気づくものの、黙認。二人の間には次第に恋が芽生えていきます。ウィルはヴァイオラへの愛に基づいて、『ロミオとジュリエット』を素晴らしい名作に書き上げ、二人はそれを舞台で演じます。しかし、運命は身分の違う二人を引き離してしまいます。ヴァイオラは、親の命じるがままに貴族の男性と結婚し、アメリカへ移住することになるのです。彼女を失ったウィルは失意のうちにも、エリザベス女王の求めに応じて次の作品を書き始めます。そのヒロインの名前はヴァイオラ。そして『十二夜』の執筆が始まっていく、というストーリーです。

運命によって引き裂かれる恋人たちというテーマは『ロミジュリ』そのものですが、それ以外にも随所にこの作品は『ロミジュリ』の有名な場面やせりふを使っています。例えば、有名なバルコニーのシーン。

Viola: Romeo, Romeo…a young man of Verona. A Comedy by William Shakespeare.
   (ロミオ、ロミオ、ヴェローナの若者。ウィリアム・シェイクスピア作のコメディ。)
Will: My lady!(お嬢さま!)
Viola: Who is there?(誰なの?)
Will: Will Shakespeare!(ウィル・シェイクスピアです!) <00.29.33>

その時、ヴァイオラの乳母が彼女を室内から呼び、『ロミジュリ』そのもののシーンが繰り広げられます。

Viola: Anon, good nurse, anon! …Master Shakespeare? 
(今行くわ、参ります!・・・シェイクスピアさま?)<00.29.44>

シーンとしては、他にもウィルとヴァイオラが初めて愛を交わす場面も『ロミジュリ』のパロディになっています。

『ロミジュリ』だけではなく、ほかのシェイクスピアの劇や詩も他用されており、ウィルがヴァイオラに贈る愛の詩も、シェイクスピアの有名なソネット(愛をテーマにした14行の詩)です。

Viola: “Shall I compare thee to a summer’s day? Thou art more lovely and more temperate.”
(「あなたを夏の日にたとえようか?あなたはもっと愛らしく、もっと穏やかだ。」)<00.36.21>

欧米では誰もが知っているシェイクスピアの作品。背景知識が少しあれば、もっと映画を楽しく・深く鑑賞することができるでしょう。


2014年8月14日

タイトル: “I should see a doctor” で元気になりましょう!
投稿者: 濱上桂菜(大阪大学大学院・院生)

暑い日が続きますが、皆さん、体調を崩していませんか?体の具合が悪く、お医者さんの診察を受けることを、私たちは「病院に行く」と表現しますが、実は、これは不思議な表現です。「病院に行く」というのは、文字通りに解釈すると「病院という建物に向かう」ことを意味するだけのはずですが、実際には、「診察を受ける」ことも意味するからです。

この点では、「病院に行く」に相当する英語の表現 “see a doctor” も同じですが、英語の方がもっと興味深いかもしれません。そもそも、「see + 目的語(人)」で、「誰々を見る」つまり「誰々に会う」ことを意味し、さらに“see a doctor” のように目的語に職業を表す人がくると、「お医者さんに会う」つまり「お医者さんに診てもらう」ことを意味するからです。

映画『噂のモーガン夫妻』(Did You Hear About the Morgans?, 2009)に次のシーンがあります。

あるクリニックの待合室で夫婦が待っています。夫は両目が腫れていてとても苦しそうです。見かねた妻が受付の女性に話しかけます。

妻:Is it gonna be much longer? Because my husband is very uncomfortable.(もっと長くかかりそうですか?夫がとても苦しがっていて…。)
女性:[待合室の夫の方を見て] Oh, Lord in heaven. Oh, yeah. Oh, look at him. He's a mess. He should see a doctor.(あら大変。あぁ本当。彼見てよ、大変ね。医者に行くべきよ。)<00:41:41>(下線は投稿者)

そう言って、女性は大声で笑います。そして “Laughter really is the best medicine.” と加える始末です。

何がそんなに面白かったのでしょうか。もちろん、クリニックに来ているのに「医者に行くべき」という助言をするという皮肉的なユーモアも関係していますが、それだけではなさそうです。

“see” には、「見える」という意味があるので、“see a doctor” も「お医者さんが見える」ことを意味することもあるのです。よって、女性の台詞には、「お医者さんが見えるべきね/見えるはずよ」という意味にもなるわけですが、実は夫はそんなことができるはずもありません。なぜなら、両目が腫れてほとんど前が見えないからです。(実際に、女性の発言が聞こえたとき、夫は顔を上げ、途方に暮れた様子をしています。)“see” が多義であるからこその面白いシーンですね。

それでは、もしもあなたが体調を崩しているならば、 “I should see a doctor.” と言って高らかに笑いましょう! Because laughter really is the best medicine!


2014年7月8日

タイトル: コメディドラマの活用『モダンファミリー』
投稿者: 角山照彦(広島国際大学)

近年はレンタルDVD店でも海外ドラマのコーナーが目立つようになってきましたが、英語授業での活用におけるドラマならではの利点について述べ、続いてアメリカの人気コメディドラマ『モダンファミリー』(Modern Family)からの活用例を紹介したいと思います。

まず、映画と比較してドラマの場合、卑語や性的なシーンが含まれていないため、安心して授業で使える点が利点として挙げられます。また、コメディの場合、一般に1エピソードが20分程度と短く、かつ、コマーシャルブレイクの関係でうまく前半、後半とに分けられていますので、授業で扱いやすいと言えるでしょう。1回の授業で10分程度の場面を扱うとすれば、2回の授業で1エピソードをカバーすることができます。映画の場合は、その長さをどう扱うか、どこで区切るかでいつも頭を悩ませるところです。

さて、『モダンファミリー』は、会社経営者ジェイ・プリチェットを中心に、彼の再婚した妻と連れ子、そして、ジェイの2人の子どもとその家族の姿を描いたコメディです。3家族の話が同時進行していくため流れはスピーディですが、脚本が秀逸で毎回うまくハッピーエンドにまとめられています。ジェイが再婚した妻は親子ほど年の離れたコロンビア人ですし、2人の子どものうち、息子ミッチェルは同性婚をしたゲイで、生後間もないベトナム人を養子にもらったばかりなど、いかにも現代のアメリカを反映した設定となっています。

シーズン1のパイロット版では、機内で乗客の“Look at that baby with those cream puffs.”という発言を耳にしたミッチェルがひどく怒って、他の乗客に向かって大声で説教を始めるという場面があります。授業では字幕なしで場面を見せた後、ミッチェルがなぜ乗客の発言に激怒したのかをグループで考えさせています。cream puffにはシュークリームという意味の他、「女々しい奴、意気地なし(a weak or timid person)」という意味があり、ミッチェルは自分とパートナーのキャメロンのことをcream puffsだと言われているように誤解したため腹を立てたわけですが、実際には娘のリリーがシュークリームを手にしていたというおちがついています。英文を見ただけでは、「シュークリームを手にした赤ちゃんを見て」と「見て、ゲイが赤ちゃんを連れているわ」の両方に解釈できますが、一つの単語が話者によって別の意味に受け取られることを学生に考えさせる演習として利用しています。シュークリームを英語だと勘違いしている学生もかなりおり、辞書でいろいろ調べながら正解にたどり着くまでの間、授業は大いに盛り上がります。ちなみに、日本語のシュークリームはフランス語のchou à la crème(クリーム入りのキャベツ)がなまったもので、皮の形がキャベツに似ているところからこの名があるようです。また、ミッチェルは、“Hear this. Love knows no race, creed or gender. And shame on you, you small-minded, ignorant few…”(よく聞けよ。愛は人種も宗教も性別も超える。心の狭い恥知らずめ)と、キャメロンに制止されるまで説教を続けてしまうわけですが、受験勉強で覚えたshame on youが実際に使われているのを初めて見たと驚く学生もいます。

「字幕がなくても大いに笑える、セリフを詳しく調べると、様々な気づきがある」。これが、『モダンファミリー』を授業に活用する大きな利点でしょう。ドラマは授業でもっと活用されるべき素材だと思います。


2014年7月8日

タイトル: 『フライド・グリーン・トマト』(Fried Green Tomatoes, 1991)
投稿者: 近藤 暁子(兵庫教育大学)

1930年代の閉鎖的なアメリカ南部の田舎町を舞台にしたこの映画は、その当時のアメリカが抱える社会問題(人種差別、女性差別、家庭内暴力)にふれつつ、ウィットに富んだ、時には痛快な表現とともに、女性の友情・生き方を考えさせてくれます。

この映画では、自身の見た目や自分に無関心な夫に悩み、自分に自信を失っていた中年女性エヴリンが介護施設で暮らす老女ニニーとの出会いをきっかけに、前向きに自分らしく生きる女性へと変化していく様子が描かれています。主人公エヴリンはニニーとの会話の中で、更年期の悩める中年女性の複雑な気持ちが次のように表現されています。

Evelyn: I'm too young to be old. And I’m too old to be young. Maybe I’m just going crazy. <00:53:10>

そんなエヴリンですが、ニニーとの交流や更年期の治療で自信を持ち始めます。ある時、若い女性二人に駐車場を横取りされるのですが、次のようなウィットに飛んだ台詞で彼女たちをギャフンと言わせてしまいます。

Evelyn: Excuse me. I was waiting for that space.
Girl #1: Face it, lady, we're younger and faster.
―横取りした若い子の車に自分の車で何度もぶつけて移動させるエヴリン
Girl #1: Stop it!
Girl #2: What are you doing? Are you crazy?
Evelyn: Face it, girls, I'm older and I have more insurance. <01:18:30>

もう女性として若くはないことを認める一方、老いを受け入れるにはまだ早いという、難しい時期の中年女性をキャシー・ベイツはとてもリアルに演じています。女性同士の友情をメインテーマとして描いたこの映画は、ニニーの次の台詞で締めくくられています。年齢を重ねてきた人だからこそずっしりと重いことばです。

“You reminded me… about what the most important thing in life is. Do you know what I think it is? Friends. Best friends.” <02:03:21> (人生で何が一番大事かお陰で思い出したわ。なんだか分かる?友達よ。いい友達。)

参考までに、実は、原作で多少異なり同性愛が描かれていたようです。今日では決して珍しいテーマではありませんが、この映画が公開された20年前にこのテーマを映画で扱うにはまだ早かったのかもしれません。


2014年6月11日

タイトル: ブロークバック・マウンテン(Brokeback Mountain、2005)
投稿者: 藤枝善之(京都外国語大学・短期大学)

自分でも押さえがたい激しい恋情、欲望のことを英語でpassionと言いますが、原義は「pass(苦しむ)+ ion(こと)」で、「(キリストの)受難」という意味はその延長線上にあります。本作品のキーワードは、まさにこのpassionかもしれません。なぜならそこには、人を一途に愛することの苦しみと受難が、世間の目を欺いて生きる同性愛カップルを通して、鮮やかに描かれているからです。

1963年、ワイオミング州。二人の貧しい若者が、ある夏、ブロークバック・マウンテンに放牧された羊の管理をする仕事に就きます。陽気で人懐っこいジャックと無口で無愛想なイニス。初対面の二人でしたが、単調で厳しい山のキャンプ生活で苦楽を共にするうちに、友情が芽生え、それはまもなく男同士の禁断の愛に変わります。退屈極まりないはずの山の暮らしは、二人にとってパラダイスに。しかし、同性愛がタブーのこの時代。夏が終わると彼らは、当然のようにそれぞれの生活に戻っていきます。

山を下りて、二人は別々に家庭を持ち、子供を設けます。しかし4年後に再会すると、押さえていた恋情が堰を切って溢れ、それからは互いに逢瀬を待ち焦がれるようになります。その一方、妻に自分たちの関係を目撃されたイニスは、数年後に離婚。ジャックも、妻との関係は「電話で事足りる」ものに変わっていきます。こうして彼らは、20年に渡って密かに関係を続けるのです。

しかし、1年にたった数回の逢い引きは、かえって逢えない時間の欲求不満を募らせます。そんな苛立ちが頂点に達したある時、二人は激しく口論します。頻繁に逢えないことを責めるジャックに対し、イニスは、仕事をしなきゃ食えないと反論します。イニスが「他にいい知恵でもあるのか」と訊くと、ジャックは、「前に言ったじゃないか」彼はかつて、家庭を捨てて二人で牧場を経営することを提案していました。しかしイニスは、ゲイに対する社会的制裁を恐れて賛成しなかったのです。「二人でいい人生を送れたのに。俺たちの居場所を持てたのに。お前が拒否したんだぞ。今俺たちにあるのは、ブロークバック・マウンテンの想い出だけじゃないか」そしてジャックは、吐き捨てるようにこうつぶやきます。 “I wish I knew how to quit you!”「いっそお前と手を切れたら」この言葉はイニスの胸をえぐります。彼は絞り出すような声で、“Why don’t you … Why don’t you just let me be, huh? It’s because of you, Jack, that I’m like this. I’m nothin’. I’m nowhere.”「そうしてくれ。そうして俺を楽にしてくれよ。俺がこんな人間になったのは、お前のせいだぞ、ジャック。俺は屑だ。負け犬だ」<01:48:02>。血を吐くような魂の叫び。俺はもう堪えられない、とイニスは膝をつきます。このイニスの台詞は原作にはないものですが、許されない愛に捕われた男の、身も世もない切なさ、辛さをよく表しています。ジャックは、去りゆくイニスの車を見送りながら、ブロークバック・マウンテンで過ごした幸福な時を回想します。しかし、彼らがその幸福を手にすることは二度とないのでした。

2006年の第78回アカデミー賞で最も注目を集めたのが本作品でした。結果は、監督賞を始め3賞受賞。しかし作品賞が授与されなかったことについて、「ゲイに対する差別だ」とアメリカで抗議の声が挙がりました。原作は、1997年にアニー・プルーが雑誌に発表した同名の小説。ペーパーバックで実質53ページの短編ですが、二人の「隠れゲイ」の人生ドラマを過不足なく描いています。読めば映画と同様、いやそれ以上に切ない余韻を味わえること請け合いです。


2014年6月11日

タイトル: 『トイ・ストーリー』は英語表現のおもちゃ箱
投稿者: 山内 圭(新見公立大学)

私が教えている新見公立短期大学(岡山県新見市)には、幼児教育学科があります。授業では、保育士や幼稚園教諭を目指す学生たちに合わせて、英語圏の子ども文化を紹介することも目標の一つに掲げています。そんな中で、ディズニー作品を取り上げることがしばしばあります。CD付の簡約絵本を読み進め、その後、英語音声日本語字幕で映画作品を観ます。映画作品を途中で止めてリスニングをするなどということも時々しますが、ストーリーの流れを妨げることのないように気をつけています。そのディズニー作品の中でもよく使うのが、『トイ・ストーリー』(Toy Story、1995)です。この映画の上映時間は81分ですので、90分間の授業で見るには出席を取ったり感想を書かせたりする時間も考慮すれば、何とか時間内に収めることのできる教材です。時間が許せば、次の授業で、特に解説したいシーン、リスニング練習をしたいシーンを取り上げます。

この映画は、1回の授業時間内にぴったりなだけではなく、解説したいシーン、リスニング練習をさせたいシーンも多くあり、授業で扱うにはうってつけの作品と言えるでしょう。例えば、次のシーンの解説をしてあげると学生たちはとても興味を示します。Woodyに気を寄せるBo Peepが、Woodyに対して

I’m just a couple of blocks away.(いつでも誘って)<00:05:46>

と言っています。日本語の「いつでも誘って」だけではわかりませんが、 この英語の表現は「私はほんの数ブロック(区画)だけしか離れていない」という時に使う表現です。そして、このシーンのWoodyとBo Peepの間には、文字通り“a couple of blocks”(3つの積み木)が存在します。男女の間が「積み木3つ分」だったら、かなり接近しているということです。ここで私がよくする話が、学生時代に見た『処刑ライダー』(The Wraith、1986)で耳にした“I’m just a phone call away.”(電話一本ですぐ来るよ)です。そして、この表現はさらに、たとえばコマーシャル等で「私たちは電話一本ですぐに駆けつけますよ」との意味で“We are just a phone call away.”などと使われています。しかし、昨今の学生は電話世代ではなく、ラインなどのSNS世代です。では、「私たちがライン(Line)で繋がっているということを言いたい時に、“We are just a line away.”と言えるだろうか」と質問を投げかけたりもします。(実際、私自身はまだこのような表現に出会ったことはありません。でも、近い将来、出会う可能性はあると思っています)。

一方、この映画の冒頭部分では、Woodyが“moving buddy”を見つけたか、とおもちゃたちに呼びかけています。この“moving buddy”も、この映画特有の表現で、引っ越しでの仲間のおもちゃの紛失を避けるために、2人(つ)一組になって、お互いにいることを確認し合うための「相棒」を表しています。この表現に関連する情報として、Moving Buddyという名前をつけている引っ越し会社があるなどという話をすると、学生たちの好奇心を駆り立てたこともありました。Woody自身の、引っ越しを通じて得た「相棒」(moving buddy)はBuzz Lightyear(“Lightyear”と言う語が天文用語の「光年」であるので、またそこで解説をしたくなってきてしまいます…)であると言えます。

『トイ・ストーリー』は、さまざまな視点から学生の興味をそそることのできる情報が詰まった、まるで「英語表現のおもちゃ箱」のような映画なのです。


2014年5月8日

タイトル: シャイア・ラブーフはラバフ!?
投稿者: 山口美知代(京都府立大学・文学部)

最近英語の固有名詞の読み方について考察する機会があり、俳優の名前のカナ表記について思いをめぐらしていました。きっかけは、2014年のアカデミー賞で『それでも夜は明ける』(12 Years a Slave)で主演男優賞にノミネートされたChiwetel Ejioforのカナ表記について、ツイッターなどで話題になったことでした。

この俳優の名はこれまで「キウェテル・イジョフォー」とカナ表記されるのが一般的でしたが、どうやらChiwetelの最初の母音は[k]ではないようです。といっても、ナイジェリア出身(イボ人)の両親を持つ彼の名前は、英語圏においても綴りから発音が自明な名前ではありません。Radio Times誌によるとCHOO-it-tell EDGE-ee-oh-forと発音するそうですから、カナ表記すると「チューイテル・エジーオフォー」となります。一方、Empire誌はCHOO-wet-el EJJ-i-oh-forだと書いており、「チューウェテル・エジオフォー」となるでしょう。いずれにしても、Chiがキでなくチュであることは確かなようです。

そもそも英語のchの綴りはカ行の子音ではなくチの子音で読むことのほうが多いわけですから、Chiwetelが最初に「チ」ウェテルではなく「キ」ウェテルになったこと自体不思議な感じがしますが、最初のカナ表記決定にはどのような事情があったのでしょうか。

Chiはイボ語で守護神を表し、イボ人の名前にはよく用いられます。現代アフリカ文学の父と呼ばれたチヌア・アチェベ(Chinua Achebe)の名前チヌアのchiにも見られます。ですから、Chiwetelのイボ族ルーツを考えれば、最初の音がキでなくてチであることは迷う余地がなかったともいえるでしょう。

しかしながら、固有名詞の読みというのはやはり理屈や知識では測れない部分が多いのも事実です。『マンマ・ミーア』などで人気のあるアメリカの女優Amanda Seyfriedの姓は、日本では「セイフライド」と記されることが多いですが、本人はインタビューで、「サイフレッド」であると言っています。しかし同時に彼女の妹は「サイフリード」と言うとも述べているのですから、もうここまでくるとお手上げです。

『トランスフォーマー』シリーズで人気のシャイア・ラブーフ(Shia Labeouf)も、本人が話している動画サイトをみると、「ラブーフ」ではなく「ラバフ」のようです。

俳優名のカナ表記について、音引きの有無など細かいところにこだわるのはあまり意味がないと個人的には考えていますが、それにしても、カナで流通している名前と実際の英語での発音があまりにも違うのも考えもの。悩ましいところです。


2014年4月17日

タイトル: 朝とmorningと映画英語
投稿者: 飯田泰弘(大阪大学大学院・院生)

みなさんは中学で英語を習い始めたころ、eveningとnightの区別で戸惑った記憶はありませんか? 日本語の「夕方」や「夜」や「晩」と同様に、はっきりとした時間での区切りがない表現は使い分けが難しいようです。また、「朝」は何時からでしょうか?3時ですか、それとも4時でしょうか?日本語で「朝の2時」と言うには少し違和感があるでしょうし、逆に「夜の(深夜の)5時」という表現も、どこか変な気がします。やはりここでも、「夜(深夜)」と「朝」の境目にすこし戸惑ってしまいます。

英語のmorning。誰もがこの語の意味は「朝」であると自信を持って答えられそうですが、それではみなさん、a.m./p.m.という便利な表現を使わず、「午前2時」は英語でどう表現しますか?これ、実はmorningを使い、“2 o’clock in the morning” と言います。(欧米ではあまり24時間制を使わないので、「午前2時 = 2 o’clock」とするだけでは少し不十分です)深夜とも言えそうな「2時」にmorningを付けることに不安を感じる人もいるかもしれませんが、実際の映画の例でmorningの使い方を見てみましょう。

まずはnightの確認から。例えば深夜0時をまわる直前の23時台。これは日本語でも「夜の11時」がしっくりくるように、 nightを付けた“11:00 at night” で大丈夫なことが、『FBI失踪者を追え!(Without A Trace, 2002)シーズン1、第8話』のセリフからわかります。

(1) Mr. Rey : What do you mean, how am I doing, man? It’s 11:30 at night. <00:08:35>
 (調子はどう、じゃない もう夜の11:30だぞ)

では日付が変わって4:30はどうでしょう?これは、『JFK(JFK, 1991)』で夫に起こされた妻が眠そうに言うセリフからも、morningを付けて「朝の4時半」とすることが確認できます。

(2) Liz : Honey, it’s 4:30 in the morning! I have 5 kids who’s gonna be awake in an hour. <00:32:29>
  (あなた、朝の4時半よ  5人も子供がいてもう起きてくるのに)

4時台はmorningを使えることを確認したうえで、ようやく問題となる微妙な時間帯、2時と3時ですが、実は英語ではこれらの時間にもnightやmidnightではなく、morningを付加して表現できるのです。

(3) Stacey : It’s 2:00 in the morning, and you don’t know me this well. <01:20:09>
     (夜中の2時よ 赤の他人同然なのに)『マーキュリー・ライジング(Mercury Rising, 1998)』
(4) Sam : That’s Rita. Hi! It’s 3:00 in the morning. Hi! <01:07:08>
     (リタだ! 夜中の3時なのに )『アイ・アム・サム(I am Sam, 2001)』

映画のセリフで使われているということは、実際の会話でもこれらの表現が問題なく使えるということです。ここで、気になった方は是非もう一度 morningを辞書でひいてみてください。すると、「朝」以外にも「午前」という記述が見つかると思います。つまり、この場合厳密には深夜0時をまわった瞬間、たとえ辺りが真っ暗でもmorningになるということです。

このように、かなり親しみのある単語ではあるものの、「morning = 朝」だけでは困ってしまう表現があるということが、映画の何気ないシーンから見てとれます。ちなみに、上の例(3)、(4)の対訳からもわかるように、映画ではそれぞれ「2:00 in the morning = 夜中の2時」、「3:00 in the morning = 夜中の3時」という字幕になっています。ここにも「朝の2時」という訳が奇妙に聞こえてしまわないようにという、字幕翻訳者の配慮が感じられます。


2014年2月10日

タイトル: 『ヒューゴの不思議な発明』~映画の中に見つけた映画の歴史~
投稿者: 松田早恵(摂南大学)

ヒューゴはパリの鉄道駅の時計台で暮らす少年です。孤児になったことを周囲に知られないようにしています。時計台からは駅の構内が見下ろせ、そこには、おもちゃの売店を出しているおじいさん(パパジョルジュ)とそこに通う少女(イザベル)がいます。

ヒューゴは、父が遺した機械仕掛けの人形(automaton)を直そうと躍起です。automatonには亡くなった父からのメッセージが込められているように思えるのです。そんな中、あることをきっかけに、ヒューゴはおもちゃの修理を手伝うことになり、ヒューゴと少女とおじいさんの不思議な関係が始まります。おじいさんは自分の過去を封印しようとしますが、automatonを直すためには、ヒューゴはおじいさんの秘密を知る必要があるのです。

HUGO: Everything has a purpose, even machines. Clocks tell the time, trains take you places. They do what they're meant to do, like Monsieur Labisse*. Maybe that's why broken machines make me so sad, they can't do what they're meant to do. Maybe it's the same with people. If you lose your purpose, it's like you're broken.(全てに目的がある。機械でさえも。時計は時を知らせ、列車は人を運ぶ。ムッシュラビスのようにみんな果たすべき役割があるんだ。だから壊れた機械を見ると悲しくなる。役目を果たすことができなくて。人間も同じだ。目的を失ったら、壊れたみたいになってしまう。)
ISABELLE: Like Papa Georges?(パパジョルジュみたいに?)
HUGO: Maybe we could fix him.(直してあげられるかも。)
ISABELLE: Is that your purpose? Fixing things?(それがあなたの目的?直すことが?)
HUGO: I don't know. It's what my father did.(わからない。お父さんはそうしていた。)<01:18:42>                         

*Monsieur Labisse:イザベルやヒューゴに本を貸してくれる本屋の店主で、「良い家に本を」をモットーとしている。

そこに、パパジョルジュの過去を忘れていなかったもう一人の人物が現れ、ストーリーは新たな展開を見せます。最後には、パパジョルジュの奥さんも説得に加わります。

MAMA JEANNE: Georges, you've tried to forget the past for so long, but it has caused you nothing but unhappiness. Maybe it's time you tried to remember.(ジョルジュ、あなたはずっと過去を忘れようとしてきた。でもそれはあなたを不幸にしただけ。そろそろ思い出してもいいんじゃない?)<1:33:30>

パパジョルジュの正体とは?実は、映画史に大きな業績を残した(実在した)人物なのです。映画の中には、彼の作品も盛り込まれているので、当時の貴重な映像を見ることができます。

この映画は、ブライアン・セルズニック(Brian Selznick)著The Invention of Hugo Cabret(邦訳は『ユゴーの不思議な発明』)が基になっていますが、原作は、文章だけではなく、作者自身が描いたというモノクロの絵が独特の語りをしています。全525ページ中284ページが作者の絵で、最初から45ページまでは絵のみで文章がありません。ページを繰るごとに遠方から徐々に近づいて行く様は、まるでカメラのクロースアップを見ているかのようです。映画では冒頭の部分になります。Internet Movie Data Base (iMDB) によると、このシーンの撮影には、技術的にもかなり苦労したようです。

The opening track shot of the city ending at the train station was the very first shot designed and it took one year to complete. It required 1000 computers to render each frame required for the shot.
(参照:http://www.imdb.com/title/tt0970179/trivia?ref_=tt_trv_trv)

パリの町並みと一緒に是非お楽しみください。


2014年1月18日

タイトル: ドキュメンタリー映画」「911」で学ぶ星条旗についてのトリビア
投稿者: 山本 五郎(広島大学)

アメリカの星条旗には、白6本と赤7本の合計13本の横線がありますが、これはアメリカが独立した時の入植地の数を表しています。また、50個の星印は現在ある州の数を表しています。星の背景である青は「正義」を表し、赤と白はそれぞれ「勇気」と「真実」を表しています。映画『911』(THE 911、2002)を観ることで、国旗についての文化知識(cultural literacy)を得ることができます。

2001年9月1日にアメリカで起こった同時多発テロを生々しく記録した『911』では、テロ攻撃の後、消防署で半旗を掲げています(<1:36:24>)。これは弔意(ちょうい)を表す習慣で、大統領が死亡した際などに行うものです。この「半旗」とは、ポールの中ほどの高さまで旗を掲げることを表します。日本でも同様に反旗を掲げて弔(とむら)いの意を表すことがあります。例えば、8月15日の終戦記念日には官庁で半旗が掲げられることになっています。

アメリカの国旗はテロによって倒壊した世界貿易センタービルの瓦礫撤去作業の現場でも重要な役割を果たしました。ビルが倒壊した「グラウンド・ゼロ」から見えるビルの壁面に巨大な星条旗が掲げられ、それを見た作業員から歓声と拍手が沸き起こったのです。映画のナレーションでは次のように語っており、星条旗がアメリカ国民の心のよりどころになっていることがよく分かります。

“Some of the guys hiked up the stairs in a building near a site, but not to put out a fire or rescue civilians. They made the climb to lift our spirits.”
「(復旧作業をしていた)何人かが(倒壊)現場近くのビルの階段を上りましたが、それは消火活動や人命救助のためではありませんでした。士気を上げるために(国旗を持って)ビルを上がったのです。」<1:45:58>

名詞のspiritは、「心、精神、霊魂」などの意味がありますが、lift one’s spirits で「元気を出す、士気を上げる」という成句です。星条旗を掲げてテロ攻撃の被害から立ち直るためにアメリカ国民は団結して力を合わせたのです。また、その後、対テロの姿勢を明確に打ち出した当時のブッシュ政権の支持率は急上昇しました。オバマ大統領も毎年9月11日には演説を行っています。テロを乗り越えて得たものは、“a people more united than ever before”「これまで以上に団結した国民」であると述べています。


2014年1月18日

タイトル: 映画で学ぶESP
投稿者: 井村誠(大阪工業大学)

『エリン・ブロコビッチ』(ERIN BROCKOVICH、2000)は、アメリカの電力会社PG&E社(Pacific Gas and Electric Company)がもたらした公害による健康被害をめぐって実際に起きた住民訴訟を題材にした映画ですが、この映画を通して、私たちは法律や医療などの分野で使われる英語を学ぶことができます。

ここでは原因物質となった六価クロム(hexavalent chromium)がどのような化学物質なのか、エリンがUCLAの毒物学者(toxicologist)から聞き出している場面を取り上げてみましょう。

Toxicologist: What kind of chromium is it?
Erin: There's more than one?
Toxicologist: There's straight up chromium, does all kind of good things for the body. Chrom three, which is fairly benign. Then there's chrom six, hexavalent chromium... which, depending on the amounts, can be very harmful.
Erin: Harmful, how? What would you get?
Toxicologist: With repeated exposure to toxic levels, God, anything really... from chronic headaches and nosebleeds to respiratory disease... liver failure, heart failure, reproductive failure... bone or organ deterioration, plus, of course, any type of cancer.
Erin: So, that stuff, it kills people.
Toxicologist: Yeah, definitely. Highly toxic, highly carcinogenic. It gets into your DNA too. So you pass the trouble to your kids. It's very, very bad.
Erin: What's it used for?
Toxicologist: A rust inhibitor. Utility plants use piston engines. The engines get hot. They run water through them. Chromium's in the water to prevent corrosion.

要するにクロム(chromium)という金属(Cr 原子番号24)は、単体や三価の化合物の場合は問題ないが、六価の化合物になると極めて強い毒性(toxic)と発癌性(carcinogenic)を持ち、chronic headaches(慢性頭痛)や、nosebleeds(鼻血)、respiratory disease(呼吸器系疾患)、liver failure(肝不全)、heart failure(心不全)、reproductive failure(生殖障害)、bone or organ deterioration(骨や内臓の破壊)、癌(cancer)などを引き起こすというわけです。

因みにhexavalentのhexaはギリシャ語で数字の6を表す言葉(例:hexagon=六角形)、valent /véɪlənt/はラテン語源で原子価(ある原子が何個の他の原子と結合するかを表す数)を意味する言葉valenceの形容詞形です。クロムは非常に錆びにくいという性質を持っていて、問題の六価クロムは、PG&Eでタービンなどの錆防止剤(rust inhibitor)として用いられたものです。日本国内にも、化学工場の跡地などで高濃度の六価クロムが土壌に大量に残留している場所がまだ多く残っているそうです。


2013年12月17日

タイトル: 世界は命令文で出来ている
投稿者: 近藤 嘉宏(京都外国語大学・非)

学生が英語に対して拒否感を持っていたり、自ら壁を作って音読などに参加しようとしない場合に私が取り入れているのは、James J. Asherによって提唱されたTotal Physical Response(以下TPR)という手法です。これは、命令文を使い、実際に動作をさせることによって初級者に語彙を定着させようと意図されたもので、工夫の仕方によっては幅広い応用が考えられます。通常はまず教師がやってみせてから、学習者に実際にやらせるという方法を取ります。 それに加えて、実際にその文が使われている映画の1場面を使えば、その語彙と意味を理解するのに役立つと思われます。 英語の学習に使えそうな場面をいくつか紹介します。

スティーブン・セガールが出演している『エグゼクティブ・デシジョン』(Executive Decision, 1997)では、テロリストが飛行機に仕掛けた精密な爆弾の起爆装置を解除しようとする場面で、「行動する人」が爆弾には素人のCahillで、「命令する人」が軍関係者のCappyという設定です。あまりの緊張にCahillは上手くワイヤーを切ることができません。

Cahill: I can’t do it. I can’t breathe.(俺には出来ない。息が出来ない。)
Cappy: Just relax. I’m right here. Close your eyes.
      (リラックスして。私はここにいる。目を閉じて。)
Cahill: Why?(なぜ?)
Cappy: Just close your eyes. Take a deep breath. Now open your eyes, and cut the blue wire.
    (いいから目を閉じて。 深呼吸して。 さあ目を開けるんだ、そして青いワイヤーを切るんだ。)<01:35:00>

『ベスト・キッド』(The Karate Kid, 2010)では、武術の達人であるMr.Hanが黒人の少年Dreに武術を教える前に、基本の動作を身体に染み込ませる目的で単純な命令文を用いて練習させます。ジャケットを脱いだり着たりという単純な動作を繰り返し要求する場面です。

Mr.Han: Pick up your jacket. Hang it up. Take it down. Put it on.
    (ジャケットを拾い上げて。それを掛けるんだ。おろして。それを着て。)
Dre: I’ve already did all this. Can you just tell me why I’m doing this?
(僕はもう全部やったよ。なぜこんな事をしなきゃならないのか理由を言って。)
Mr. Han: Take it off. Hang it up. Take it down. Put it on the ground. Pick it up.
Hang it up. Take it down. Put it on. Take it off. Put it on the ground. Pick it up.
Hang it up. Take it down. …
    (脱いで。掛けて。それをおろして。地面に置いて。拾って。かけて。おろして。
着て。脱いで。地面に置いて。拾って。掛けて。おろして・・・。)<00:57:40>

この2つの場面で、命令された方は、なぜそんなことをしないといけないのかよくわからず、Why? と疑問を投げかけています。普段の授業ではこんなことを言われなくても済むように、しっかり事前の説明をしておきたいものです。

最後に、『THIS IS IT』(2009)では、Michael Jacksonが、当時はまだ新人のギタリストOriantiがソロでギターを弾いている時の台詞です。リハーサルを途中でやめさせて、もっと高い音を出すよう要求する場面があります。

Michael: Just hit the highest note. It’s time for you to shine. And hit a high, long one.
It’s your time to shine. We’ll be right there with you. <01:18:30>
(一番高い音を出して。君が輝く時なんだから。高くて長い音を。君が輝く時だ。
僕達が君と一緒にいるんだ。)

英語は確かに難しく、苦手だと感じている学生もいるでしょう。しかし、この3つの場面からは、教師が一緒にいるから一緒に練習し、英語を練習することによっていつか最高に「輝く時」を見つけてほしいというメッセージを学生に発信し続けていきたいものです。


2013年11月12日

タイトル:「時間を無駄に過ごす」意味を内包する構文
投稿者:吉川裕介(佛教大学・非常勤講師)

英語には、John slept the afternoon away.(ジョンは午後を寝て過ごした)という表現があり、これをtime-away構文と呼びます。time-away構文の構造的な特徴として、目的語には時間を表す名詞句(time phrase)が現れ、さらに不変化詞awayが後続します。また、awayが目的語より前に置かれることもあります。このような構造を取ることで、これまでtime-away構文には「無駄に過ごす(waste)」という構文的意味(constructional meaning)が内包すると考えられてきました。では、実際に映画に使われるtime-away構文の用例を見てみましょう。

次の例は、『理由』(Just Cause, 1995)からの一例です。校長先生のConklin先生が「女子学生たちが道路の隅でゲラゲラとうわさ話に花を咲かせ、午後を無駄に過ごすことがないように...」という台詞の中にtime-away構文が使われています。確かに、動詞while「暇をつぶす」が使われていることから、構文的意味がよく出ている例だと言えます。

Miss Conklin: We always have a teacher here at 3:00 to make sure the boys don’t get into horseplay or the girls just while away the afternoon gossiping and giggling on the corner. <00:29:34>

一方で、必ずしも「無駄に過ごす」意味が表出しない例も見られます。『ロスト・イン・スペース』(Lost in Space, 1998)の例を見てみましょう。John Robinson博士一家が新天地を目指して宇宙へと旅立つことになり、その記者会見での一幕です。「乗組員はコールドスリープ状態で10年間眠り続けたまま目的地へと向かいます。」という発言からも分かるように、無駄に過ごしている解釈は見られません。

John: My crew will sleep away our 10-year journey there in suspended animation. <00:05:51>

実は、time-away構文に現れる不変化詞awayは「消失(vanishment)」の意味で使われており、「乗り組み員は寝た、その結果として、10年間が過ぎ去った」という因果関係が成立します。これにより、「(示された)時間が何をして過ぎ去ったのか」が焦点となるため、活動時間が寝て過ごされた際には「無駄」という解釈が含意し、John danced the night away.のように非活動時間がダンスをして過ぎ去った際には「楽しく」という解釈になります。

映画の用例を通してtime-away構文について紹介しましたが、映画のシナリオライターが意識的に書いた台詞をひも解くことで、言語の本質に別の角度から接近でき、その意味でも映画英語は非常に有効であると言えます。


2013年10月14日

タイトル: 映画と時代性
投稿者: 佐藤 弘樹(FM京都α-stationパーソナリティー、京都外国語大学・非)

3Dをはじめ最近の映画技術の進歩には目覚しいものがあります。おそらく今我々は、かつての無声映画からトーキーへの大変革期に相当する、2Dから3D映画への移行期の真っ只中にいるのだと思います。

実写と見間違うほど精巧なコンピューター処理画像に慣れた学生たちの目には、アナログ時代の往年の白黒名画はかえって新鮮に写るらしく、おおむね評判がいいようです。それはとりもなおさず、映画の名場面は主題(メッセージ)と名台詞(言葉)があってこそ際立つものだからともいえるでしょう。

映画『素晴らしき哉、人生』(It’s a Wonderful Life, 1946)はジェームズ・スチュワートとドナ・リード主演のフランク・キャプラ監督による作品です。全編130分に及ぶ、当時としては長尺の映画だがその3分の2以上が、善良な主人公ジョージ・ベイリーの半生に当てられています。

しかし順風満帆に思えた彼の人生も8,000ドルの会社資金を紛失して暗転し、彼は人生に絶望し自殺しようと思いつめます。そんな彼に自殺を思いとどまらせる役目を負ったのが、二級天使クラレンス。クラレンスはジョージに彼の存在しないもう一つの世界を見せます。次はそのときのクラレンスのセリフです。

Clarence: “Each man’s life touches so many other lives.”
(一人の人生はその他大勢の人生に影響を与える。) <01:57:46>

そしてジョージは考えを改め、物語はハッピーエンド(happy-ending)を迎えますが、この映画がヒットした背景にはやはり公開年1946年が深く関わっていると思います。

作品中にも登場するV-E Day(第二次世界大戦ヨーロッパ戦勝記念日1945年5月8日)やV-J Day(第二世界大戦対日戦勝記念日1945年9月2日)を経てアメリカは戦勝国となるものの、庶民の間では気がつけば夫が・父が・兄弟が・親戚が・友人が・知人が戦死し、自分の将来をはかなんで自殺者が後を絶たなかった時代でした。そんな時代に、この映画は「苦しくてもしかし、人生は生きるに値する世界」であることを示そうとしたのだと思います。

映画は現実の世界から離反した夢物語ではない。例えそう見えたとしても(そう見えればむしろ映画としては成功なのですが)そこにはエンターテイメント興行としてのビジネス上の計算があり、また輿論誘導の大きな役割を担っているといえるでしょう。ましてネットもツイッターも存在しない時代の映画は、今よりはるかに大きな影響力を持っていたといえるでしょう。

巷間で言われる3S政策(Screen=映画、Sports=プロ・スポーツ、Sex=性産業)によって、大衆の目を政治に向けさせない愚民政策が実在するのか否か知る由もありませんが、多くの「イケメン」俳優がかっこよく軍服に身を包んで颯爽(さっそう)と登場する映画が急に増えたのは2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件以降であることにお気づきの方も多いでしょう。

この映画を単なる“元気になれるハリウッドの1作品”とみるに留まらず、アメリカの近代史における“戦後処理政策”の一環と見るのはうがち過ぎでしょうか。


2013年10月14日

タイトル: メトニミー表現 “a Honda” にみるハリウッド映画の日本車像
投稿者: 小林 翠(大阪大学大学院博士後期課程)

次の会話は、映画『ウソツキは結婚のはじまり』(Just Go with It, 2011)からの引用です。キャサリンの台詞 “I drive a Honda.” に注目してみましょう。

この映画は、独身の美容外科医ダニー(Danny)と、彼の病院の助手でありシングルマザーのキャサリン(Katherine)によるロマンティック・コメディです。キャサリンは、旅行先で偶然、大学時代の友人で天敵のデブリン(Devlin)と出会います。見栄を張りたいキャサリンは、デブリンに自分がシングルマザーであることを隠し、ダニーと結婚していると嘘をつきます。以下の会話は、その後、キャサリンが実は自分はシングルマザーであるとデブリンに告白する場面での台詞です。

Katherine: I was never married to him. All a big lie that I made up.(夫じゃない。全部ウソなのよ。)
Devlin: Why?(なんで?)
Katherine: Cause I couldn't stand the thought of you knowing the truth.
(あなたに事実を知られたくなかった。)
Devlin: Really?(そうなの?)
Katherine: So, yeah, I'm a single mother. I have two kids that I love more than anything in the world. I drive a Honda. Still have dial-up internet. (…) And I work for Danny. I’m his assistant. That's it.
(実はシングルマザーよ。世界一かわいい子供が2人。????。ネットは電話回線。(…)仕事はダニーの助手。以上。)<01:44:07>

キャサリンの台詞 “I drive a Honda.” における a Honda は、メトニミー(metonymy:換喩)表現といいます。メトニミー表現とは、例えば「やかんが沸騰している。」における「やかん」のことです。「やかんが沸騰している」と言っても、実際に沸いているのは「やかん」ではなく「やかんの中の水」です。しかし「やかんの中の水」を指すために、私たちは隣接関係にあるもっと際立った「やかん」を言葉として用いることができます。この台詞では、会社名 Honda が、その会社の製品、つまり「Honda製の車」を指しているのです。

では、”I drive a Honda.” という台詞は、単に、ホンダ車を所有していることを伝えたいだけなのでしょうか。ここでは、自分の人生が全てうまくいっている訳ではないことを表すために、その一例として、この台詞を述べていることが予想されます。つまり、「ホンダ車を所有している」という台詞は、「お金持ちではない」ということを意味しているのです。この台詞から、残念ながら、北米の人々は「Honda 製の車」は大衆的というイメージを持っている、といった文化的側面も見てとれるのではないでしょうか。

さらに、北米の人々は、「Honda 製の車」だけでなく日本車全体に対して、経済的で賢いが個性に欠けるというイメージを持っているのかもしれません。このことは、その車に乗って登場する人物の役柄から垣間見ることができます。

例えば、『イン・ハー・シューズ』(In Her Shoes, 2005)では主役の姉の婚約者(弁護士)が、『抱きたいカンケイ』(No Strings Attached, 2011)では主役エマに好意を持つ同僚(医師)が、それぞれトヨタ「プリウス」に乗って登場します。彼らには共通して、真面目で賢いが野性味に欠け、異性からはあまり魅力的に映らないという特徴が見られるのです。

一方、欧州車には日本車と逆のイメージがあるのでしょう。上に挙げた『抱きたいカンケイ』では、主役男性アダムはBMWに乗っています。エマに好意を持つもう一人のさえない男性が、プリウスに乗っているのとは対照的です。このように、主人公(特に男性)が欧州車に乗っている映画はたくさんあります。欧州車(に乗る人)は、欠点はあっても強い魅力を持つという共通性があるようです。

しかし、日本車も負けてはいません。『マイノリティ・リポート』(Minority Report, 2002)ではLEXUS が未来(2054年)の車として登場しています。やはり日本人の私としては、今後のハリウッド映画に、経済的で賢いだけではなく魅力のある象徴としてもっと日本製の車が登場することを期待せずにはいられません。


2013年9月12日

タイトル: 「映画と英詩(その3)」
投稿者: 福田京一(京都外国語大学)

映画『今を生きる』(Dead Poets Society, 1989)は、高校生に詩をとおして生きる意味を教えるキーティング先生と生徒の心の交流の物語です。今回もこの映画からウォルト・ホイットマン(Walt Whitman)の詩 “O Me! O Life!” を取り上げます。

先生は最初の授業で、突然 “O Captain! My Captain!” [リンカーン大統領に捧げた哀歌(elegy)の一行目]と唄い出します。そして、その続きを知っている者はいるかと尋ねます。しかし、誰も返事をしません。この時点で、先生はこの学校の教育に大事な何かが欠けていることを悟ります。

医学、法律、経営、工学は生きるために必要な尊い学問であることを先生は認めた上で “But poetry, beauty, romance, love; these are what we stay alive for.”(「だが詩や美しさ、ロマンス、愛こそは我々の生きる糧だ」と生徒に熱く語ります。そのとき、説明のためにホイットマンの詩を朗読するのです。

  “O Me! O life! Of the questions of these recurring; / Of the endless trains of the
  faithless – of cities fill’d with the foolish; / What good amid these, O me O life? /
  Answer. / That you are here – that life exists, and identity; / That the powerful
  play goes on, and you will contribute a verse.”(「私よ 命よ 幾度も思い悩む疑問
  / 信仰なき者の長い列 愚か者に満ちた都会 / 何の取り柄があろう / 私よ 命よ
  / 答え・・・それは君がここにいる事 命が存在し自己があるという事 / 力強い劇
  が続き 君も詩を寄せる事ができる」字幕翻訳=杉浦美奈)

朗読のあと、生徒の方に向かって、“What will your verse be?”(「君たちはどのような詩を作るつもりか?」)と問いかけます。

「信仰なき者」とは特定の宗教への信仰をなくした人ではなく「自己信頼(self-reliance)」を失った人のことを指しています。ホイットマンは南北戦争に従軍し、数々の苦い経験をし、また近代化が進むなかで自己と命の意味を見失っている多くの人を見たのです。そして彼自身がそのような一人でもあったのです。このような状況のなかで自己と命が作り出す「力強い劇」の演者になって、詩を紡ぎ出す人に戻りたいと願うのです。もちろん、読者に、すべての人に呼びかけているのです。

なお、キーティング先生の朗読では、2行目に続く4行半が原詩から省略されています。興味ある方は、『草の葉』(Leaves of Grass)に所収の “O Me! O Life!” を参照してください。とても良い詩です。


2013年9月12日

タイトル: 『ハッピー・ゴー・ラッキー』に学ぶ究極のポジティブ思考
投稿者: 松田早恵(摂南大学)

英語のことわざに“Laugh and the world laughs with you; weep and you weep alone.”があります。要は、「ハッピーにしていれば自然と周りに人が集まり楽しく過ごせるが、暗いと誰も寄りつかない」というような意味なのですが、今回は、不機嫌だろうが鬱屈していようが、どんな人にも分け隔てなく接する、超ポジティブな女性の話しを紹介しましょう。

主人公のポピーは30歳独身の小学校教師です。友人のゾーイとフラットを借りて住んでいます。いつもハイテンションで、見知らぬ人にもニコニコ話しかける彼女。本屋の無愛想な店員さんに無視されてもメゲルことなく、ちょっと不気味なホームレスのおじさんの(よくわからない)話にも真剣につきあいます。しかしその愛想のよさゆえに誤解を招き、後に厄介なことになったりすることも…。

いつもユラユラと体を揺らしていて(ちょっと酔っ払いっぽい?)、ヘラヘラ笑っているようにも見えるポピーですが、クラスの男子児童の変化を見逃さずすぐに的確な対応をしたり、運転指導を受けている教官(かなりネガティブな性格)を明るく励ましたりと、とても感受性が豊かで優しい人なのです。とにかくいつも一生懸命周りの人に関わるポピーを、ゾーイは心配しながらも温かく見守っています。

二人でボートに乗っている最後のシーンでは、次のようなやりとりが交わされます。

ゾーイ:You could give up being too nice. Seriously, you can't make everyone happy.
    (いい人でい過ぎるのを止めたら?本当のところ、皆を幸せにすることはできないんだから。)
ポピー:There's no harm in trying, though, is there? Bring a smile to the world.
    (やってみても害にはならないでしょ。世界を笑顔にすることを。)
(中略)
ポピー:You keep on rowing and I'll keep on smiling.
    (あなたは漕ぎ続けてね。私は微笑み続けるから。)

そして、今日もポピーは、周りの人たちを巻き込んで、“Stay Happy!”と愛想をふりまくのです。


2013年8月14日

タイトル: 女性のあるべき姿は「良妻賢母」―意外と保守的なアメリカの女性像―
      (『50歳の恋愛白書』The Private Lives of Pippa Lee 2009)
投稿者: 藤倉 なおこ(京都外国語大学)

Pippa Lee: So... it's official, nobody needs me anymore.
(もう公式に誰も私を必要としていないわね)<01:15:51>

上のセリフはこの映画の主人公である50歳のピッパ(ブレイク・ライヴリー)が、心臓まひで脳死を宣言された夫を前につぶやくことばです。「もう公式に誰も私を必要としていないわね。」というせりふには、夫と子供につくすことを人生の最優先にしてきたピッパの人生が表れています。「良妻賢母」という表現がこれ以上ないほどピッパにはあてはまります。

アメリカは男女平等が進んでいる国だと思ってはいませんか?しかし実はまだまだ女性には、良妻賢母としての姿が最優先に求められます。現在のアメリカ国務長官、ヒラリー・クリントンに対して選挙演説中に “Iron my shirt!”「俺のシャツにアイロンをあてろ!」というヤジが飛んだことは良く知られています。ヒラリーは全米で最も優秀な弁護士100人にも選ばれるほどの実力を備えた女性です。ビル・クリントン前大統領のファースト・レディ、連邦上院議員も8年務めています。そうした資質を備えた聡明な彼女でもやはり女性は家族を最優先させるべきなのです。

(参照)
http://www.youtube.com/watch?v=jsocCWiLh3s
http://thecaucus.blogs.nytimes.com/2008/01/07/iron-my-shirt/

現在のファースト・レディ、ミッシェル・オバマもハーバード・ロースクールを卒業した優秀な弁護士です。しかし選挙運動中、靴下を脱ぎっぱなしにする夫に対する不満を語ったために、夫を批判しすぎだ、しゃべり過ぎだと非難され、その後、彼女はやさしい夫の姿を語ることに専念します。バラク・オバマが大統領就任後もメディアがもっとも取上げたのは、ホワイトハウスに移り住んだ家族が快適に過ごせるように気を遣っている様子でした。そんな彼女が現在、取り組んでいるのは、「アメリカの子供達の食生活の改善」です。母としていかに子供達の健康を守るかを考えているという姿を前面に出し、ホワイトハウスの庭に家庭菜園を作ったことが大きな話題になりました。いくら優秀な弁護士であっても、あくまでも夫と子どもに尽くす良妻賢母が求められるのです。

さて、ピッパはその後どうなったのでしょうか。タイトルから予想してみてください。キアヌ・リ―ヴスがこの映画に出演しています。中年女性の恋愛映画はあまりありませんが、ぜひお薦めの映画です。


2013年8月14日

タイトル: ラーメンは世界を映す小宇宙―『タンポポ』(Tampopo 1985)と『ラーメンガール』(The Ramen Girl 2008)から英語を学ぶ
投稿者: 中井 英民(天理大学)

職業柄、常に教材となる映画を探していますが、時には日本映画を選ぶこともあります。日本語の表現が英語ではどのように訳されるのか、英語字幕を使って学ぶことができるからです。そこで今回取り上げるのは、伊丹十三の脚本・監督によるコメディー『タンポポ』(1985)です。

『タンポポ』は、伊丹十三監督のデビュー作『お葬式』(1984)に続く第2作ですが、今観ても大変面白い映画です。男の子と2人で暮らす未亡人タンポポ(宮元信子)が営む、はやらないラーメン屋を、流れ者のダンプの運転手ゴロー(山崎努)が繁盛店にするというのがプロットですが、西部劇の名作『シェーン』のパロディになっています。ラーメン以外にありとあらゆる食べ物が登場するこの映画は、日本でもグルメブームのきっかけとなりました。

伊丹監督の第3作『マルサの女』(1987)に比べれば、日本では大ヒットとはなりませんでしたが、海外での評価は高く、特にアメリカでは日本映画の興行成績歴代2位を誇ります(第1位は『Shall We ダンス?』)。私は、この映画の影響を受けて日本語や日本文化に興味を持ったというアメリカ人を、直接的にも間接的にも何人も知っています。また現在のアメリカのラーメンブームのきっかけにもなりました。

映画では冒頭のシーンで、ラーメン道を究めた達人(大友柳太朗)がラーメンの食べかたの極意を語ります。<00:03:40>

First, observe the whole bowl. Appreciate its gestalt, savor the aromas. Jewels of fat glittering on the surface. Shinachiku roots shining. Seaweed slowly sinking.
(最初はまずラーメンをよく見ます。どんぶりの全容をラーメンの湯気を吸い込みながら、しみじみ鑑賞してください。スープの上に無数にきらめく油の玉、油に濡れて光るシナ竹、はやくも黒々と湿り始めた海苔)

から始まり、老人はゆっくりラーメンの表面を箸でなで、おもむろに麺を食べ始めます。

Finally start eating the noodles first. Oh, at this time, while slurping the noodles, look at the pork. Eye it affectionately.
(さて、いよいよ麺から食べ始めます。この時ですね、麺をすすりつつも、目はあくまでもしっかりと焼き豚に注いでおいてください。これも愛情のこもった注ぎかたです)

その後老人は、しなちく、焼き豚、麺と味わいながら、最後にスープをすすります。(Then he sipped some soup.)

この場面からは、slurp (up) the noodles(麺を音を立ててすする)やsip the soup(スープを吸う)など、日本文化を説明するのに必要ですが、(マナー違反のため)英語教材ではあまり見かけない英語表現が学べます。(マナー違反ではありませんが、「風呂につかる」(soak in a hot bath)なども、日本文化を投射しているculture-specificな表現の一つです。)

さて、もう一つの映画『ラーメンガール』(2008)は、伊丹作品『タンポポ』へのオマージュですが、こちらは完全なハリウッド映画です(『タンポポ』主演の山崎努が今度はラーメンの達人役で登場)。主演のブリタニー・マーフィー(『17歳のカルテ』『シン・シティ』2009年没)以外の主要人物は、西田敏行、余貴美子など日本人ばかりですが、視点はしっかりアメリカ人のものです。この映画の台詞は半分が英語ですが聴き取りやすく、リスニング教材に使えます。この映画から一つだけ興味深いシーンを紹介します。

日本の証券会社で働くアビー(ブリタニー)は、同僚の書いた「トイレ故障中、流さないで下さい」のステッカーにある英語、Out Of Order. Please don’t flash the toilet.のflashをflushにマジックインクで訂正します。<00:14:22>

日本人には分かりにくいジョークですが、アメリカ人ならクスリと笑うところでしょうか。というのも、flushなら「トイレを流す」ですが、flashなら「○○を露出する」になるからです。flush /ʌ/ とflash /æ/の発音の違いは、とても大きいのです。あー、ラーメンが食べたくなってきた。(笑)


2013年8月14日

タイトル: 映画で見る略語の面白さ―InitialismとAcronym
投稿者: 飯田泰弘(大阪大学大学院・院生)

映画の利点のひとつは、書き言葉ではなかなか見られないくだけた表現を知ることができることです。たとえば英語には、頭文字のアルファベットのみを並べ、もともと長かった語を短縮することがあります(Unidentified Flying Object → UFO)。この略語表現はその読み方によって2つのタイプに分けられ、ひとつは「USA → ユー・エス・エー」のように個々のアルファベットを分けて発音するタイプ(イニシャリズム: Initialism)です。これは長い組織名、政府機関名、医学用語などを短縮する場合によく見られます。

(1)『ハンコック (Hancock 2008) 』
Man at a meeting: NFL? NBA? MLB?(アメフト? バスケ? 野球?)
Ray: Soccer.(サッカーです)
Man at a meeting: MLS? Which team?(MLSか?どのチームだ?)<00:08:46>

参照 NFL: National Football League「ナショナル・フットボール・リーグ」
NBA: National Basketball League「ナショナル・バスケット・リーグ」
MLB: Major League Baseball「メジャー・リーグ・ベースボール」
MLS: Major League Soccer「メジャー・リーグ・サッカー」

(2)『ザ・シューター/極大射程(Shooter 2007)』
Alourdes: Cooperating agencies, ATF, NRO, places that don’t even have initials.
(火器局や偵察局、そして略語が存在しない秘密の局までもが協力してるわ)<00:49:35>

参照 ATF: The Bureau of Alcohol, Tobacco, Firearms and Explosives「アルコール・タバコ・火器及び爆発物取締局」
NRO: National Reconnaissance Office「アメリカ国家偵察局」

(3)『特攻野郎Aチーム THE MOVIE(The A-Team 2010)』
CIA Agent: You realize she’s DOD.(彼女は国防総省の女ですよ)
Lynch: I don’t care if she’s G-O-D. Do it.(彼女が神(GOD)だろうと構わん。やれ)<01:05:43>

参照 DOD: Department of Defense「国防総省」

(4)『プリズン・ブレイク シーズン1、エピソード22(Prison Break 2005)』
Police Officer: Apartment 236. Possible overdose. Likely DOA.
(アパート235号室。薬物過剰摂取で、到着時死亡の疑い)<00:36:19>

参照 DOA: Dead on Arrival「到着時死亡、即死」

頭文字を使ったもうひとつのタイプは、「NASA → ナサ」のように、頭文字の集合体を1単語として読むもの(頭字語:Acronym)です。

(5)『イーグル・アイ(Eagle Eye 2008)』
Thomas: Find the Sergeant at Arms. Tell him you have a POTUS 111.
(警備局長を捜して。「ポータス・トリプル・ワン」と伝えろ)<01:38:31>

参照 POTUS: President of the United States「アメリカ大統領」

これら頭文字を使った表現は、なにも固有名詞がほとんどというわけではありません。たとえばASAP(as soon as possible「できるだけ早く」)のような決まり文句の略語、数字を入れた表現、また時には語尾変化の-edを付けてあたかも一般動詞のように使うこともあります。

(6)『Mr. & Mrs. スミス(Mr. & Mrs. Smith 2005)』
Jasmine: The target’s name is Benjamin Danz, AKA “The Tank”.
(ターゲットはベンジャミン・ダンズ、通称「タンク」)<00:29:25>

参照 AKA: also known as「通称、またの名を」

(7)『ノウイング(Knowing 2009)』
Store clerk: Same thing happened with Y2K.(2000年問題の時と同じだね)<01:36:01>

参照 Y2K: year 2000「西暦2000年」

(8)『アメリカを売った男(Breach 2007)』
Gene: Get dressed. You’ve been TDYed.(着替えろ。配置換えだ)<00:07:10>

参照 TDY: temporary duty「暫定職務」

ちなみに余談ですが『メン・イン・ブラック(Men in Black, 1997 』の中に、逃げる犯人をようやく捕まえた警官が、NYPD(New York Police Department:ニューヨーク市警)の警官バッジを見せ、語呂合わせで犯人を怒鳴りつけるシーンがあります。ここでの日本語字幕は、なかなかの名訳だと思いませんか。

(9) J: Do you see this? N.Y.P.D.! It means I will knock your punk-ass down!
(これが見えるか? NYPDだ!意味は「(N)逃げる(Y)野郎は(P)パンチで(D)ドツく」だ!)<00:10:47>

PTA(Parent-Teacher Association)やATM(Automated[Automatic] Teller Machine)など、日本でもよく見られるこれらの略語。ペットボトルの「ペット」(PET: polyethylene terephthalate)やレーザー・ビームの「レーザー」(laser: light amplification by stimulated emission of radiation)も、元の語が短縮された表現であることはご存じだったでしょうか。すこし暗号のように聞こえるこれら頭文字の略語表現ですが、みなさんもよく聞く略語の元の語を調べてみると、意外に興味深い発見があるかもしれませんよ。


2013年7月24日

タイトル: 超越者と西洋的自我(『フィールド・オヴ・ドリームス』Field of Dreams 1989)
投稿者: 北本 晃治(帝塚山大学)

アイオワ州の田舎町、36歳の妻子ある農夫に聞こえた3つの天の声。この映画では、主人公レイ・キンセラの過去と現在が、その3つの声によって徐々に紡がれていく様子が、野球というスポーツを軸として感動的に描かれています。今回は、特に物語の最後に描かれている「西洋的自我」の特徴について考えてみたいと思います。まずはその前に、気になる3つの声についても見ておきましょう。

① If you build it, he will come.「お前がそれをつくれば、彼が来る」<00:04:27>
② Ease his pain!「彼の苦痛を癒せ」<00:34:11>
③ Go the distance!「やり遂げろ」<00:54:15>

①は、とうもろこし畑を刈り取って野球場をつくれば、今は亡き往年の名メジャーリーグ・プレーヤー、シューレス・ジョー・ジャクソンが現れるということ。
②は、かつて若者を鼓舞しリーダーシップを発揮していたにもかかわらず、現在は社会的批判を浴びて傷心の隠遁生活をおくるピューリッツァー賞作家、テレンス・マンの苦痛を癒すこと。
③は、メジャーリーグで1イニングだけ守備について現役を引退した無念のマイナーリーグプレイヤー、アーチー・グラハムを探しだし、その夢をかなえること。

3つの天の声は以上のことを表していることが次第に明らかとなっていきます。そしてこれらをやり遂げたレイ達に向かって、ゴーストのジョー・ジャクソンが、とうもろこし畑の先にある「冥界」を見に来ないかと誘うのでした。しかし、誘われたのは、テレンス・マン一人だったのです。レイは招かれていないことが分かり、その理不尽さに腹を立て、ジョーに向かって次のように言うのでした。

Not invited? What do you mean I’m not invited? That’s my corn out there. You guys are guests in my corn. I’ve done everything I’ve been asked to do. I didn’t understand it, but I’ve done it. And I haven’t once asked what’s in it for me.「(俺は)招かれてないだって。どういうつもりなんだ。それは俺のとうもろこし畑だ。君たちはそこのゲストにすぎない。俺は言われたことはみんなやったんだ。訳が分からなくとも、ちゃんと実行したんだ。俺にとって何の得があるのかを尋ねもせずにな。」
<01:30:53>

これに対してテレンス・マンは以下のように釈明します。

Ray, there’s a reason they chose me just as there’s a reason they chose you in this field.「レイ、この畑で君が選ばれたのに理由があるように、私が選ばれたのにも理由があるんだ。」<01:31:29>

この後、彼は自分が野球に興味がないと言って嘘をついていたことを告白します。そして、「冥界」を見た後、それらのことを本として出版することで、この野球場とその不思議な出来事について多くの人々に知らしめることを約束します。このようにしてテレンス・マンは自らが選ばれた理由の正当性と、その結末がレイにとっても、今後この野球場を人々の心のオアシスとして一般公開する上で大いに役立つことを、訴えかけます。

さて、これらのシーンでレイの怒りを鎮め、納得へと導いたものは、「正当な言語的理由づけ」であったことが分かります。一方で「嘘」を正し、もう一方で「本を書く」、すなわち文字化によって経験を一般共有できる情報へと変化させることが、“What’s in it for me?”「自分の得は?」というレイの個人的な問題を溶解させ、納得へと導きました。これらの交流には、たとえ死者という「超越者」が相手であっても、出来事の理不尽さに対しては、あくまでも自己の視点から意識的、言語的な明確化を求める「西洋的自我」の特徴がよく表れていると思います。これは自らと何等かの関連を感じる死者などの超越的存在に対して、一方的な願い事をすることはあっても、議論を挑んだりすることはまずあり得ない日本人の文化的慣習とは明らかな対照をなすものでしょう。

この映画では、このような出来事に対する意識的、言語的納得の先に、レイがこれまで抑圧してきた亡き父との関係が焦点化され、3つの天の声の根源的意味が1つに重なり合う感動のクライマックスへと一気に進んで行きます。この納得のあとの言葉を超えた感動体験については、映画を是非観てください。


2013年7月24日

タイトル: ジェンダーと英語
投稿者: 國友 万裕(同志社大学・非)

私事で恐縮なのですが、私はジェンダー(男らしさ・女らしさ)の視点から映画を見てきました。2年ほど前に、このテーマで、『マッチョになりたい!? 世紀末ハリウッド映画の男性イメージ』(彩流社)という本を出版することができました。この本を学生に紹介すると、「先生、マッチョになりたいんですか(笑)?」と言われます。「筋トレのプログラムを作ってあげましょうか」と冗談で言われたこともありました。「細マッチョ」という言葉がすっかり定着してきたせいでしょうか。私はこの本のなかで、「マッチョ」という言葉を精神・肉体・地位・能力・性格など様々な意味で使っているのですが、今の若い世代は、マッチョというと、「肉体的な」マッチョに特化して考えているようです。

おそらく、日本の若い世代は、性格的にマッチョな男性は「肉食系」、社会的にマッチョな男性は「勝ち組男性」、性格的に優しい男性は「草食系」と区別しているようです。「おねえ系」という言葉も流行っていますが、この言葉は私には定義できません。必ずしも、ゲイの人を指すわけではなく、また必ずしも仕草や言葉が女性的な男性を指すわけでもないようです。わりと恣意的に使っているみたいですね。

性同一性障害を扱った映画で有名な作品の一つに『ボーイズ・ドント・クライ』(キンバリー・ビアーズ監督、1999)があります。女として生まれながら男として生き、最終的には惨殺されてしまう実在の人物を、当時は無名だったヒラリー・スワンクが演じ、いきなりアカデミー賞主演女優賞に輝きました。

この映画のオープニングの場面。男装をしている主人公ブランドン(ヒラリー・スワンク)と男性の間で以下のような会話が交わされます。

男性: Now, if you was a guy, I might even wanna fuck you.
ブランドン: You mean if you was a guy you might even wanna fuck me.

Fuckという言葉は、映画などでは頻出する卑語で「性交する」という意味であることは言うまでもありません。この場面で、この男性はゲイで、男装したブランドンに、「あなたが男だったらつきあってもいい」という趣旨のことを言っていることがわかります。一方でブランドンは、「お前が男(ここでは異性愛)だったとしても、俺くらいのイケメンの男だったらつきあってもいいんだね」と返しているのです。

これが字幕では次のように訳されています。

男性: あんたが男ならヤッてもいい
ブランドン: 俺は男だよ。あんたは違うけど

面白いですね。アメリカの場合も、queer(同性愛者), faggot(男の同性愛者), effeminate(女々しい) など、同性愛者や男性的でない男性を侮蔑する様々な表現はあります。しかし、アメリカの場合は、一人称は一貫して「I」です。日本では、同一性障害やジェンダーの問題で悩んだ経験のある人のなかには、男性なのに、自分のことを「俺」とか「僕」と言えなくて、逆に、女性なのに「私」と言えなくて、苦しい思春期を送った人は多いのですが、アメリカではこの問題は起きないでしょう。男も女も一人称が一緒ですから。日本では、とりわけ、男性の場合は、状況によって、「私」「僕」「俺」と一人称が変わりますが、私が字幕を読んでいて、翻訳者の人に感心するのは、その人のキャラクターやコンテクストに合わせて、この3つの一人称を使い分けているところです。人物を理解していなければ、不似合いな一人称となってしまいます。

ジェンダーを研究していると、こうした些細な点にも興味深い英語と日本語の違いを発見することがあります。自分独自の視点を持って映画を観てみることで、思わぬ発見に遭遇し、それは英語と日本語のみならず、アメリカと日本の文化の違いの問題にもつながっていることがわかります。


2013年7月24日

タイトル: 人生の楽しみ方-「『雨に唄えば』(Singin' in the Rain 1952)」
投稿者: 田中 美和子(京都ノートルダム女子大学・非)

『雨に唄えば』は、サイレントからトーキーに移る時代を背景に、俳優ドンが成功する舞台裏が描かれたミュージカル映画です。ドンを演じるジーン・ケリーが、雨の中、唄を唄いながらタップダンスを踊る場面はあまりにも有名です。日本では、東山紀之さんがドン役で舞台化されたり、また宝塚歌劇団では二度も演目に選ばれました。

人気とお金は手に入ったが、本当にしたい仕事ではなく、ゴシップも本物の恋ではなかったドンは、ある夜ファンから逃げるうちに知らない女性の車に乗り込みます。そして、相手のことを何も知らずに恋に落ちてしまいます。その恋は、相手キャシーが新人女優だとわかった後も続き、唄も踊りも上手な彼女とミュージカルを作ることになります。

キャシーをアパートまで送り届けた後、有名人のドンはタクシーも断り、夜の雨の中、一人で歩き始めます。まるで踊るような軽い足取りで。それは、売れなかった頃の、元気のよい、昔のドンを見るようです。

ドン: Doo-dloo-doo-doo-doo-doo-dloo-doo-doo-doo-doo-doo-... <01:07:50>

弾む心を抑えきれず、遂には土砂降りの中、さしていた傘をたたみ勢いよく肩にかつぎ、タイトルナンバーを歌いだします。ドンがとても若々しく見えてくる瞬間です。

ドン: I'm singing in the rain(雨のなか唄を唄うよ)
   Just singing in the rain(ただ雨のなか唄うんだ)
   What a glorious feelin'(なんて素敵な気持ち)
   I'm happy again(また僕は幸せになれた)<01:08:10>

そして、舗道でタップを踏みながら歌いだし、あのダイナミックなダンスシーンが始まります。この後の数分間は、ジーン・ケリーの独擅場。数万トンのお水を降らせて作った水溜りの中を、タップを踏み鳴らしながら、縦横無尽に踊りまくります。その踊り方は、体から余分な力がすっかり抜けていて、生きていること(雨にぬれること)が楽しくてたまらない、という爽快な様子です。最後に、ドンは通りかかった人に自分の傘をあげてしまい、自分は意気揚々と雨の中を去っていきます。幸せなドンには傘は不要だったのです。生きることは楽しいことだ!土砂降りの雨の夜でも傘などいらないよと、有名なこのシーンを通して、ドンが教えてくれているようです。


2013年6月7日

タイトル: 形容詞由来動詞(deadjectival verb)
投稿者: 中山麻美(名古屋学院大学)

2011年6月5日にアップされた田中先生の名詞由来動詞と類似する現象に、形容詞由来動詞というものがあります。これは名前の通り元の形容詞の意味を引き継いだ動詞です。動詞化される際、「転換」(ゼロ接辞ともいう)と「派生接辞」の2つの方法があります。「転換」による形容詞由来動詞には、clear, empty, thin等があり、形容詞のスペルは変えずに動詞化しています。一方、「派生接辞」によるものには、en-rich, modern-ize等があり、形容詞に接辞が付加されて動詞として用いられます。今回は私たちが日常生活で頻繁に耳にする形容詞が多く使用されている「転換」による形容詞由来動詞にスポットをあててみます。

(1) Nancy is a calm person. (ナンシーは穏やかな人です)
(2) Calm down, Nancy! (落ち着きなさい、ナンシー!)

(1)と(2)をみてください。(2)は形容詞であるcalmが動詞に転換し、downの意味と相まって「落ち着かせる」という句動詞になっている例です。その形容詞がどのような状態を示しているかを知っていれば、容易に意味を推論できます。では形容詞のemptyが転換され使われている例を、映画『エターナル・サンシャイン』(Eternal Sunshine 2004)からみてみましょう。

Dr. Mierzwiak: CD's you may have bought together, journal entries. We want to empty your home. We want to empty your life of Clementine.
「一緒に買っただろうCDや日記の書き込み。あなたの家も消し去りたいんだ。あなたの人生からクレメントを消すんだ。」<00:28:58>

この映画では記憶を消す手術を施す会社のドクターがemptyという形容詞由来動詞を使っています。「空っぽである」という形容詞を使うことで、全て記憶が抹消されたという臨場感を出しています。ちなみに、この映画は最後にストーリーのどんでん返しがあるので、是非観てみてください。


2013年5月15日

タイトル: “You were a trout.” ― あなたはマス、注文者、それとも…?
投稿者: 濱上桂菜(大阪大学大学院・院生/京都外国語大学・非)

映画のストーリーの中で登場人物が面白い話をしているシーンは、観ている側にとっても興味深いものです。しかし、字幕だけ見ていても、何が面白かったのかが解らない時があります。面白いに違いないのに、その面白さがわからない…というのは少し残念ですよね。そこで今回は、次の「登場人物が笑うシーン」から、英語のちょっぴり面白い話をしたいと思います。

次の会話は、『お買いもの中毒な私』(Confessions of a Shopholics 2009)の中で、ルークがアリシアという女性の注文を確認しているシーンです。

ルーク: Oh, Alicia, remind me. Were you a salmon or a trout?
     (アリシア、どうだったかな。君はサーモンだった?マスだった?)
レベッカ: You were a trout.
     (あなた(=アリシア)はマスでしたよね)<01:00:00>

レベッカの最後の台詞を受けて、同席していた他の女性が声を殺して笑います。そして、レベッカは自分の発言が誤解を招くものだったと気付き、複雑な顔をする…。なぜこのような事になったのでしょうか。もちろん、日本語の意味だけではそれを知ることはできません。

実は、“trout” は「小言をいうおばさん」という意味で使われることがあります。つまり、レベッカが「あなたはマスでしたよね」と言うつもりで発言した “You were a trout.” は、「あなたは小言をいうおばさんでしたよね」とも解釈できる文だったわけです。しかもこれは、若いレベッカが年上の恋敵(アリシア)に対して言った言葉だったので、ますます意味深な発言になってしまいました。

ここでもう1つ英語として面白いのは、“You were a trout.” と言うだけで「あなたはマスを注文した人だ」と意味することができる点です。学校で習った関係代名詞を使うなりして、“You are the person who ordered ...” などと複雑な文を言わなくてもいいのですから少し驚きですね。注文したものがテーブルに来たとき、日本語でも「僕は鰻丼」とか「私はカレーライス」などの鰻文(unagi sentence)と呼ばれる表現法を用いますが、今回の英語の表現もそれと一緒です。

これには、認知言語学でいうメトニミ―(metonymy、換喩)という現象が関わっています。メトニミ―とは、意味のずれが起こる現象のことです。レストランで注文した料理を待っている時には、“a trout”「マス」に関して、その種の魚以外に様々なことが連想されます。マス料理、マス料理がのったお皿、マス料理を作る人、マス料理を注文した人、マス料理を食べる人、等々です。そこで今回は “a trout” が、この注文の確認というシーンにおいて、魚の「マス」の意味から「マス料理を注文した人」の意味にずれて用いられ、そして同時にその意味にずれて理解されているわけです。(笑いを押し殺していた女性は、違う意味にも聞き取れたみたいですが…。)

このように「あのシーンでどうして笑っていたのかな?」という純粋な疑問を出発点に英語表現の背後にある意味を調べてみると、面白い発見がたくさんあります。最近ではDVDで英語字幕を容易に調べることができますから、皆さんも面白そうなシーンを見つけたら是非その奥に潜む意味を調べてみてはいかがでしょうか。


2013年5月15日

タイトル: 「未来進行形の意味とは?」
投稿者:上田聖司(大阪府立花園高等学校)

日本では春は新しい学年が始まる季節です。高校1年生の英語の授業では、この時期に文型や時制など基本的な文法の学習から始まることが多いので、文法用語に慣れていない1年生にとっては頭の痛い時期でもあります。高校では「時制」は基本的な文法事項として位置づけられていますが、意味が微妙で理解するのが難しい形もあります。

「未来進行形」という形を知っていますか。形は「will + be + 動詞のing」で、意味は「~しているでしょう」と未来のある時点での進行中の動作をあらわすと学習します。1本の映画の中に1度は使われているといっていいほどの未来時制の表現です。2009年にアカデミー作品賞を受賞した『スラムドッグ$ミリオネア』(Slumdog Millionaire 2008)には、次のような台詞があります。

Jamal: She's alive isn't she?(彼女は生きてるんだろ?)
Arvind: More than alive. She's on Pila street. They call her Cherry.
(ちゃんと生きてるさ。ピラ通りに住んでる。チェリーって呼ばれてるよ)
Jamal: Thanks.(ありがとう)
Arvind: I'll be singing at your funeral.(君の葬式できっと歌うことになるよ)< 00:53:59>
     ※注 映画ではヒンズー語です。

最後のArvindのセリフに未来進行形が使われています。高校で学習する通りに訳すと、「君の葬式で歌っているでしょう」となります。そうすると、悪党たちに殺されるかもしれないという危険を冒してまで、Latika(Cherryという名で働いている)という女の子を必死に捜そうとするJamalに対する忠告としては何か物足りません。Arvindにすれば、Jamalの葬式なんて考えたくもないはずです。でも、葬式で歌を歌うことが想像できるくらい、Latikaを探すことが危険なのだと、Jamalに言いたかったのです。

未来進行形のもう一つの意味として、「当然の成り行き」(matter of course)があります。『ナイト・ミュージアム』(Night At The Museum 2006)で、Ben Stillerが演じるダメお父さんLarryは、博物館での警備中に思いもよらない恐ろしい目に遭います。この仕事は無理だと前任者であるCecilに伝え、警備の制服を返却し、挨拶する場面で次のように言います。

Larry: So thank you very much, and, uh, I left my uniform in the office, and I will be seeing you.
    (そんなわけで、お世話になりました。え-と、制服は事務所においておきましたから。またどこかでお会いしましょう) <00:42:16>

ここでも最後に未来進行形が使われています。Cecilとはもう会うはずもないのに、「あなたとあっているでしょう」はおかしいですね。意思の力でそうしなくても、きっと会うだろうという表現をとることで、話し手の意思と無関係であるという印象を与え、丁寧な響きにしています。

『メイド・イン・マンハッタン』(Maid in Manhattan 2002)では、上院議員候補のクリス(レイフ・ファインズ)は、マリサ(ジェニファー・ロペス)と恋に落ちますが、実はマリサがホテルの従業員であることがわかります。身分を考えない行きずりの恋…。選挙戦にも影響を与えかねないスキャンダルに発展しかけます。取材陣がざわめく中を側近のJerryがあせりながら言います。

Jerry: We will not be taking any questions right now.
    (今は、質問をお受けできないかと思います)<01:27:47>

Jerryは、We won’t…と言いかけてから、この台詞に修正しています。話し手の意思がはっきり出ないという未来進行形の効果をうまく利用しながら、記者たちに対して「質問は受けません」ときっぱり言うのではなく、控え目な表現にしています。

未来進行形は、すべての未来表現の中でも特徴を説明するのが最も難しいと言われます。未来をあらわす表現のなかで使用頻度が一番高いのはwillです。次に現在形、be going to do、be …ingと続き、未来進行形は一番低いのですが、最近では口語表現でよく使用されるようになってきたそうです。だからこそ、映画の中でよくみかけるのかもしれませんね。ストーリーを考えることで、未来進行形の微妙な意味を理解するきっかけをつかむことができるのです。


2013年5月12日

タイトル: 映画で史実と英詩を学ぶ(『Vフォー・ヴェンデッタ』(V For Vendetta, 2006)
投稿者: 河野弘美(京都外国語短期大学)

映画の中には様々な学習要素が含まれていますが、『Vフォー・ヴェンデッタ』(日本2006年公開)では、17世紀の英国で実際に起きた事件が内容の中核となっているため、映画を通して英国の歴史を知ることができます。映画の冒頭では、英国で長く親しまれている詩が紹介されます。その詩は、英国伝統行事(北アイルランド等の一部地域では実施されていませんが)の一つである11月5日の「ボンファイヤー・ナイト」あるいは「ガイ・フォークスナイト」に関連したものです。「ボンファイヤー(bonfire)」とは「大きな焚き木」という意味ですが、この日、英国の多くの町では沢山の花火が上がります。日本とは違い、英国では花火が冬の風物詩となることも、冒頭の詩をきっかけに理解することができます。映画の冒頭の詩をここで紹介しましょう。

Remember, remember, the fifth of November, (忘れるな、忘れるな、11月5日を)
Gunpowder, treason and plot.(火薬陰謀事件を。)
I see no reason why gunpowder treason, (どうしてその陰謀と反逆を)
Should ever be forgot! (忘れてよいのか!)

まず、物騒な内容の詩が紹介され、その後に“I know his name was Guy Fawkes and I know in 1605, he attempted to blow up the Houses of Parliament.”(彼の名前はガイ・フォークス。1605年に国会議事堂の爆破を狙ったのを私は知っている。)と続き、史実の説明が加えられていきます。映画を見るまで「ガイ・フォークス」という名を知らなかったとしても、この映画を通して、英国の歴史を知ることができます。

史実とは別の学習要素としては、冒頭で紹介されている詩を通して英詩の特徴を知ることが出来ます。それは「音の響き」で、日本語の詩ではあまり見ることのできない特徴です。英詩の多くは、各行の最後(あるいは最初)の語が他の行の語と同じ音で終わる(始まる)、すなわち「韻を踏む」要素が取り入れられています。「Remember~」の詩には、2行目と4行目の最後の語(2行目「plot」、4行目「forgot」)が同じ音で終わる脚韻が踏まれています。一方、1行目と3行目では一行内で複数の韻を踏む語があります。1行目では「ber」で終わる語がリズミカルに3回登場し、3行目では「reason」と「treason」の語尾の音が呼応しています。

『Vフォー・ヴェンデッタ』にはその他にも英国の社会や文化を理解することのできる情報が沢山散りばめられています。原作コミックや英国の歴史を学習した後に再度鑑賞することで一層内容を深く楽しむことができるでしょう。


2013年4月6日

タイトル: 相づちになる-ly副詞
投稿者: 松井夏津紀(チュラーロンコーン大学)

相づちはコミュニケーションを円滑に行うという大切な役割を担っています。相づちには、相手の話を聞いているという合図や相手の話を促進する合図もあれば、同意、驚き、疑いなどの感情も表すものもあります。日本語話者は英語話者と比べると、相づちを打つ回数が2倍近くになるという研究もあります。そのような日本語からの影響で、日本人が英語を話すとき、相づちの回数が多すぎて相手の発話をさえぎってしまうこともあるようです。円滑なコミュニケーションを行うための相づちですが、逆にコミュニケーションの妨げなることもあります。

英語は日本語と比べて相づちの回数が少ないとはいえども、英語においても相づちはスムーズな会話を行うために有効な手段です。では、英語の相づちには、どのようなものがあるでしょうか。短い相づちの、“Uh-huh.”、“Yeah.”、“Okay.”、“Wow!”、“Really?”などがすぐに思い浮かぶのではないでしょうか。また、文タイプの相づちでは“I see.”、“I agree.”、“You’re right.”、“I don’t think so.”などがあります。これらの相づちは初級や中級の学習者にも馴染みがある相づちだと思われます。しかし、このような相づち以外で、英語では-ly副詞が相づちの役割を果たすことがあります。

Let’s get out of here. /Absolutely. <00:31:11> 『ラブ・アゲイン』(Crazy, Stupid, Love 2011)
Yeah, we should… / Totally. Totally. <00:09:53> 『抱きたいカンケイ』(No String Attached 2011)
You don’t wanna ruin it with ads because ads aren’t cool. /Exactly. <01:09:48>『ソーシャル・ネットワーク』(The Social Network 2010)

Absolutely は日本語の「そうね」、totally は「そうよね」、exactly は「そう、そう」に近いと思われます。しかし、exactly は少し違う用法の相づちとしても使われます。

Who does that? /Exactly. <00:09:12>『遠距離恋愛~彼女の決断~』(Going the Distance 2010)

こちらのほうは“Who does that?”という文に対しての賛同の“Exactly.”ですが、前述の「そう、そう」のexactlyではありません。実は、この疑問文は質問ではなく「そんなこと誰もしない」という反語の意味で使われています。ですから、このexactlyは「そうでしょ」(=「そんなこと誰もしないわよね」)という相づちに対応すると考えられます。

他にも相づちとしても使える-ly副詞には、apparentlycertainlydefinitelyfinallyhopefullypreciselyseriouslyなどいろいろなバリエーションがあります。“Uh, huh.”や“Yeah, yeah.”や“Really?”に加えて、もう少し詳細な情報を伝えられる-ly副詞を英語話者はどのように使っているか、映画を観ながら「ちょっと気の利いた相づちリスト」を作っていくと、会話をするときに役に立つこと間違いなしです。


2013年3月20日

タイトル: 語彙の再登録(re-entry)
投稿者: 小野隆啓(京都外国語大学)

人間の脳内には、その人の母語(native language)の語彙部門(lexicon)というものがあります。そこには、その言語の語彙項目(lexical item)(=単語)の音韻・形態・統語・意味情報が納められています。この心内辞書(mental lexicon)は固定した静的なものではなく、日々の経験などで変化する柔軟なものです。古くなって一般には用いられなくなった語彙項目は、アクセスされることが徐々になくなっていきいつかは不活性な、つまり用いられることのないものになってしまいます。その一方では、新しい語彙項目が形成され心内辞書に登録されるものも出てきます。例えば、「iPS細胞」とか、TPP、PM2.5などというような語彙項目は少し前の我々の心内辞書には登録されていませんでした。

新しい語彙項目は心内辞書に登録されるわけですが、言語にはすでに登録されていた語彙項目が別の項目として再登録(re-entry)されることがあります。例えば次の例を見てみましょう。映画『ワーキングガール』(Working Girl, 1989)からのセリフです。

(1) Tess: No lunch. I got speech class. <0:03:03>
  (昼食はいいわ。話し方教室があるの。)

これは映画の出だしの部分で、主人公のTessと友人のCynがStaten Island Ferryを降りてくるところでの会話です。ここで奇妙なのは動詞gotです。gotはgetの過去形であることは明白ですが、この場面ではどうしても過去形ではなく、現在形の意味にしか解釈できないのです。DVDの日本語字幕では『昼休みは"話し方教室"よ』となっています。gotなのに、なぜ現在形なのでしょう?

最も容易に推測されることはI have got speech class.のように、実は過去形ではなく現在完了形のhaveの省略だとすることでしょう。確かにそう考えるのが良さそうです。

ところが、そうだと簡単に結論づけることもできないのです。同じ『ワーキングガール』の中に次のようなセリフが出てきます。

(2) Turkel: You know, you have to remember, you're up against Harvard and Wharton graduates. What do you got, some night school ... some secretarial time on your sheet? <0:06:10>
  (忘れるなよ。君はハーバードやウォートン卒の奴らを相手にしているんだぞ。君は履歴書ではせいぜい夜学と秘書の経験だろ?)

ここでは、what do you gotとなっています。gotが過去形の動詞なのならばwhat did you getとなるはずのところですね。でもそうなっていないし、意味的にも過去ではあり得ないのだから、やはりこのgotはgetの過去形とは考えられません。現在完了形の過去分詞のgotとも考えられません。gotという新しい「現在形の動詞」なのです。

同様の例が映画『ツインズ』(Twins, 1988)にも次のように出てきます。

(3) Vince: But, Al, I'm desperate, Al! I mean, what do you got? You got anything for me? <0:09:54>
  (アル、とにかく必死なんだ。アル、何とかしてくれ? いい物ないか?)

この場合もdo you gotになっていて、過去形のgotではなく、意味的にも現在を表すgotなのです。

この現象は、現在完了形のhaveが省略されたというだけではなく、gotというgetの過去形の動詞が、現在形の意味を持って心内辞書に再登録されたと考えるべきでしょう。英語母語話者の心内辞書には普通のgetと、それとは別の、getの過去形ではないgotという語彙項目が登録されているということになるのです。

このような現象は他にもあります。次の例は同じく『ワーキングガール』からのものです。

(4) Tess: Um, Mr. Alagash is on the phone. He's real, real anxious to talk to you. <0:04:41>
  (アラガッシュさんから電話です。とっても話したがっておられます。)

本来なら形容詞を修飾するのは副詞ですから、really anxiousとなるべきところですが、realとなっています。これもrealという形容詞と、realという別の副詞が心内辞書に登録されているのです。最近の日本語の「すごいおいしい」という表現と同じです。本来なら「すごくおいしい」ですね。日本語の心内辞書にも再登録が起こっているのです。


2013年3月6日

タイトル: サルが言葉をはなせたら?!(『猿の惑星:創世記』Rise of the Planet of the Apes 2011)
投稿者: 藤本 幸治(京都外国語大学)

人間と他の地球上の生物の最も大きな差はことばを操る能力の有無です。人間に最も近い存在といわれるチンパンジーですら、彼らの見せる驚くべき認知能力にも関わらず、人間のようにことばを操ることはできません。

しかし、もし将来彼らが人間と同じようにことばが理解でき、使用できるようになったとしたらどうでしょうか。映画の世界でも、この将来起こりうるかもしれない話を紹介しています。それが、今回紹介する『猿の惑星:創世記』です。

あることから、科学者である主人公ウィルは実験室のチンパンジーのシーザーを自宅に持ち帰ります。彼は新薬の影響を受け脳に驚異的な進化を遂げることになります。そして、ついに人間と話をするようになっていくのです。

もし猿が人間のことば(英語)を話すとしたら、最初に発することば(品詞)やそれを含んだ構文はどのようなものでしょうか。実は、映画でシーザーが最初に発することばは、mommyやdaddyのような名詞ではないのです。彼はあることば(結構難解な構造や意味を持ちます)に反応して、自身の初めてのことばを発します。彼に向けられたことばは次のようなものです。

Take your stinking paw off me, you damn dirty ape! <01:13:00>
命令文               感嘆表現(主語)

人間あるいは、人間に値する動物が存在とするとしたら、そのことばの発芽は、喜びや興味関心でなく、時に抑えきれない感情がことばを生み出させるのかもしれませんね。真実のほどはさておき、劇中、彼は自身に浴びせられた酷いことばに何というのでしょうか。ぜひ、実際に観て確認してみてください。

劇後半、仲間とともに人間と袂を分かとうとするシーザーに、かつてのご主人、ウィルが次のように語りかけます。

Please come home. If you come home, I’ll protect you. <01:34:42>
命令形        従属節(条件節)  主節

これに対してのシーザーの答えには、驚かされます。見事に英語の構造を保って話すのです。

Cesar is home. <01:35:07>(英語の規範的文型はSVO)
 S V C

いわゆる第2文型ですね。かつて文法偏重だと批判された中学校1年生の英語の教科書は、I am a boy.やThis is a pen.のような文が初めに使われていたことを思い出します。しかし昨今では、How are you?とかWhere are you from?などの文がコミュニケーション英語の名のもとにいきなり使用されているのです。

この映画は、環境破壊が叫ばれる現代において、人間と自然界や他の動物との関係を再考させられるのと同時に、ヒトの言語の起源や言葉の習得と発展という点でもいろいろと考えさせてくれる映画です。あなたが生まれて初めて話したことばや文、覚えていますか?無意識に達成される言語獲得の謎を改めて実感しますね。


2013年3月6日

タイトル: 比喩表現“like peas and carrots”(『フォレスト・ガンプ 一期一会』Forrest Gump 1994)
投稿者: 山内 圭(新見公立大学)

昨年11月、調査と校務のためニューヨークを訪問しました。マンハッタンのタイムズ・スクエアの近くのホテルに宿泊し、夕食をどこで食べようかと歩いていると目に入った看板に“Bubba Gump Shrimp Co.”の文字が書かれていました。これは、映画『フォレスト・ガンプ 一期一会』にちなんだレストランに違いないと思った私は、早速店内をのぞいてみると、映画にちなんだグッズが数多く売られていました。そこで私はエビのカクテルとテンプラとフライがセットになった料理を食べました。食事の際、ウェイトレスがテーブルにやってきて、映画『フォレスト・ガンプ』にちなんだトリビアクイズを出題し、それに正解できたらキャンディをもらえました。

さて、この映画『フォレスト・ガンプ』では、比喩表現“like peas and carrots”が印象的に次のように3度にわたって使われています。

From that day on, we was(sic) always together, Jenny and me, like peas and carrots.
(その日から僕らは豆と人参のようにいつも一緒) <00:14:18>

Jenny and me was just like peas and carrots again.
(ジェニーと僕はまた豆と人参に) <01:07:20>

It was like olden times. We was like peas and carrots again.
(僕らはまた昔のように“豆と人参”になった) <01:46:52>

いずれも主人公のトム・ハンクス演じるフォレストと幼馴染のジェニーが仲睦まじくなったという場面で使われています。

映画を見た当時(1995年)、この表現を知らなかった私は、いろいろな辞書をあたってみましたが、掲載されている辞書はありませんでした。そこで、当時普及し始め、自分でも使い始めて間もないインターネットの検索機能でこの表現を検索してみました。そうしたら、自分のガールフレンドを自慢するホームページで使われていたり、友人として馬が合うという意味で使われていたり、物の組み合わせがぴったりだというような意味で使われていたりと、さまざまな文脈で使われていることがわかりました。

自分のガールフレンドを自慢することでこの表現を使っていたジョージア州の男性がメールアドレスも公開していたので、私は思い切って、その男性にメールを送り、この表現を映画『フォレスト・ガンプ』から得て使っているのかどうか尋ねてみました。すると、数日後、彼から返事がきたのです。彼も見知らぬ日本人からこのような質問メールが来たことに驚いたようでしたが、この表現は彼の祖母も使っていたということ。この表現は、アメリカ南部料理からきているそうで、豆だけ煮てもおいしいし、人参だけ煮てもおいしいのだが、両方を一緒に煮ると相乗効果でなお一層おいしくなるというところから、二人でいるとお互いのいいところが引き出され楽しさが倍増するというような意味であることを見知らぬ私に親切に教えてくれたのでした。

それまでは、わからない英語表現がある場合、辞書等で調べたり、手近な英語母語話者に尋ねたりするしかなかったのですが、インターネットを使えば、瞬時にして用例も得られるし、場合によっては見知らぬ人にも尋ねることもできる、なんと素晴らしい仕組みができたのだろうと感動したことを今でも覚えています。今ではインターネットやコーパスで検索することが当たり前になってしまいましたが、この映画のこの表現で私はまさにインターネットの素晴らしさに魅了されてしまいました。

マンハッタンのBubba Gump Shrimp Co.のエビ料理、とてもおいしかったです。このレストランで興味深かったのは、ウェイトレスやウェイターにテーブルに来てほしいときには“Stop, Forrest, stop”の表示を、ウェイトレスやウェイターに用がないときには、 “Run, Forrest, run”の表示を出しておくことになっていることでした。また、メニューが卓球のラケットの形をしていたりと、映画『フォレスト・ガンプ』ファンにとっては本当に楽しめるテーマ・レストランでした。


2013年2月4日

タイトル: 映画を活用した仮定法の指導(『シャレード』Charade 1963)
投稿者: 角山照彦(広島国際大学)

『シャレード』(Charade 1963)は、オードリー・ヘプバーンがケーリー・グラントと共演したコメディタッチのおしゃれなサスペンス映画です。サスペンスの帝王アルフレッド・ヒッチコック監督の作品を彷彿させるようなサスペンスの連続で、「ヒッチコックが作らなかった最もヒッチコック的な作品」と評されることもあります。ちなみに、この作品は、制作当時著作権者の表示が欠落していたためにパブリックドメイン(公共資産)となったもので、パブリックドメイン映画としてはかなり新しい部類に入るものです。

一般に映画はリスニングや英会話の教材として捉えられることが多いですが、教材としての可能性はそれだけにとどまるものではなく、多くの学習者が苦手とする英文法を指導するための教材としての活用も考えられます。例えば、本作品の中には、次に挙げるように、仮定法の例文として活用できそうなセリフが数多く含まれています。

If I had a quarter of a million dollars, believe me, I’d know it!
(もし25万ドル持っているとしたら、絶対に知っています)<0:24:20>
Supposing I had it, which I don’t, do you really think I’d just hand it over to you?
(仮にそれ [=25万ドル] を持っているとしても、俺がお前に渡すと思うのか)<0:54:26>
I wish I knew.
(全く知りません)<1:22:00>
If I were you, I wouldn’t stay in pajamas.
(私ならパジャマのままではいませんよ)<1:22:26>

映画の場面を踏まえた上でこれらの例文を確認すると、学生にも現実の状況とは違うという仮定法の基本がよく理解できるようです。特に2番目のセリフではwhich I don’tと現実とは違うことを補足していますからなおさらです。

上記のような単文のセリフも役に立つのですが、ヘプバーン扮する未亡人レジーナと友人の子どもジャン・ルイがホテルの部屋の中で盗まれた25万ドルを探す場面では、次のように仮定法がふんだんに使われた一連のやりとりがあり、さらに様々な活用法が考えられます。

REGINA: Now, if you had a treasure, where would you hide it?
(ねえ、もしあなたが宝物を持っていたら、どこに隠す?)
JEAN-LOUIS: I would bury it in the garden.
(僕なら庭に埋めるよ)
REGINA: That’s swell, but this man doesn’t have a garden.
(いいわね、でもこの人にはお庭はないの)
JEAN-LOUIS: Oh, neither do I.
(ああ、僕もだ)
REGINA: You don’t? Well, if you had to hide it in this room, where would you put it?
(そうなの?じゃあ、この部屋の中に隠さないといけないとしたらどこに隠すかしら?)
JEAN-LOUIS: Up there.
(あの上だよ)<1:05:36-1:05:54>

授業では、仮定法の部分のみ日本語として提示しておき、英作文をさせてから場面を視聴して確認しますが、多くの大学生がかつて習ったはずの仮定法の基本的な用法で苦労をします。また、確認が終わった後は、部屋の中が大写しになった場面で映像を一時停止させ、学生たちに自分だったらどこに隠すかという会話をQ&A形式のペアワークでさせます。短い場面を活用しながら、英文法を中心に、英作文、リスニング、スピーキングと総合的な演習ができるのが映画活用の醍醐味と言えるでしょう。

果たしてジャン・ルイの言ったように、箪笥の上に25万ドルは隠されているのでしょうか?DVDで是非確認してみてください。


2013年2月4日

タイトル: 英語の句動詞で超効率的英語学習!
投稿者: 倉田 誠(京都外国語大学)

英語の語彙の大半を占めているものに、アングロサクソン系の語彙とラテン語系の語彙があります。今回は前者と後者の動詞表現を比較しながら、前者に属するput togetherという句動詞にスポットを当て、その汎用性の高さ(用途の豊富さと便利さ)を提示します。

(1) a. Max put together the machine last year.
  b. Max assembled the machine last year. 「機械を組み立てる」
(2) a. Max put together the book last year.
  b. Max compiled the book last year. 「本を編集する」
(3) a. Max put together the music last year.
  b. Max composed the music last year. 「音楽を作曲する」

まずラテン語系の動詞で書かれている(1b)、(2b)、(3b)から見ましょう。(1b)のassembleは機械や家具系の目的語を従える場合が多く、「組み立てる」と意味になります。(2b)のcompileは本のような印刷物系の目的語と相性が良く、(3b)のcompose も音楽や詩文などの目的語の「形を整える」という意味です。つまり、(1b)、(2b)、(3b)の動詞に対する目的語は限定されている場合が多いので、動詞と目的語を入れ替えることは難しいと言えます。一方、(1a)、(2a)、(3a)のput togetherというアングロサクソン系の句動詞は、目的語が機械や印刷物でも、音楽や詩文であっても、何の問題なく文を成立させることができます。実はput togetherの意味は無色透明に近く、「<バラバラの状態のもの>を組み合わせる」という極めてルースな意味のみで目的語と融合し、文の意味を決定づけます。その結果、辞書で見るとこの句動詞は多義性が高いように見えますが、実は汎用性が高いというのが正確な表現なのです。この点を映画の例で実証してみましょう。(4)は映画『ロッキー』(1976)からのセリフです。

(4) Paulie: I don’t get married because of you! You can’t live by yourself!
       I put you two together! And you…and don’t you forget it, you owe me! < 01:27:33>

酒に酔ったポーリーが妹のエイドリアンとその夫のロッキーに向かって、「俺がお前ら2人を結びつけてやったんだ」と叫んでいるシーンです。2人の男女を組み合わせるという意味ですが、ラテン語系の硬い表現ならconnectで置き換えが可能です。次に(5)のようなput the two togetherというセリフが『ワーキング・ガール』(1988)にもあります。

(5) Trask: The impulse. What led you to put the two together? < 01:42:54 >

ここでのthe twoは2つの会社を指しますので、ロッキーの例とは違い「合併させる」という意味になります。ラテン語系の語彙ならmergeという難しい動詞が相当するでしょう。

またこの句動詞は新聞のような書き言葉で使われることも少なくありません。(6)はThe Japan Times onlineの2012年9月7日の記事の冒頭部分です(下記URL①を参照)。

(6) Osaka Mayor Toru Hashimoto formally announced Thursday that he will head the new political party he is putting together for the next general election while concurrently serving as mayor of the nation's third-largest city.

橋下徹大阪市長が国政選挙に向けての新党を作ることを表明したという内容ですが、目的語が下線部のthe new political partyですので、「結成する」という意味になります。この後続文脈では、同様の内容がcreateというラテン語系の動詞で表現されていますので、ご確認ください。

更に、TOEICTest公式サイトのサンプルのリーディング問題(下記URL②を参照)にもput together a contract(契約書を作成する)が使われており、誤答と結びつくように編まれています。併せてご確認ください。

put togetherのみならず、アングロサクソン系の句動詞表現は汎用性の高さが特徴ですので、うまく利用すると英語学習を一石二鳥どころか一石十鳥にも効率化できます。

参考サイトのURL
①http://www.japantimes.co.jp/text/nn20120907a2.html
②http://www.toeic.or.jp/toeic/about/tests/sample07.html


2013年2月4日

タイトル: 話し手の視点と和訳(2)
投稿者: 横山仁視(京都女子大学)

投稿者は2011年6月5日付けのコラム「話し手の視点と和訳」と題して、「単純な言い回しでも、発話状況と対人関係を考えることは、話し手の「心的態度」を伝える大切な視点である」ことを述べました。

今回は続編として、『バーレスク』(BURLESQUE, 2010)のオーディションの場面から、次の下線部分のセリフの和訳を考えてみましょう。

TESS: What is she doing?(何やってるの?)
SEAN: I think she’s auditioning.(一人オーディションだ)
TESS: Hey, Dave, cut it!(ちょっと、デーヴ、止めて!)
ALI: Hold on a second, I can do this.(ちょっと待って、私も踊れます)
TESS: And I think it’s sweet that you think you can.(その勘違いぶり、可愛いと思うけど)
ALI: Tell me what you’re looking for.(どうすればいいか言ってください)
TESS: Someone who can do the routine.(ちゃんと踊れる子を探してるのよ)
ALI: Excuse me? I’m talking to you!(???)<00:32:20>

オーディションは、テス(シェール)にとって看板ダンサーとなる逸材を発掘することができずに残念なものに終わってしまいます。そこに、ウェイトレスとして働いている主人公アリ(クリスティーナ・アギレラ)が会場の音に誘われるようにやってきて、オーディションが終了するやいなや思わずステージに駆け上がり踊ってしまいます。テスに制止され相手にされず、逆にその場を立ち去ろうとしているテスにアリが言うセリフです。ここでは、次の3つの点を考えてみましょう。

(1) 現在進行形(「今まさに私は(あなたの目の前で)…という行動をとっている」)
(2) talk toの意味(「(一方的に)…に話しかける」)
(3) ノンバーバル的な側面(話しかけられているのに、背を向け対話することを断ち切ろうとする姿勢)

これら3点を考慮すれば、「私は今こうしてあなたの目の前であなたに話しかけているのよ →(対話する姿勢を示さず背を向けられる)→ 無視しないで」と読み解くことができます。仮に、最後のセリフの前にト書きとして「テスはアリの問いかけに答えようとせず、背を向けその場を立ち去ろうとする」とあれば、実際に映像を見なくても文字上のみで判断してアリの気持ちを和訳にすることもできるでしょう。

映画のセリフを和訳することは状況依存によるところが大きいと言えます。平易なセリフであっても、誰が誰にどんな気持ちを伝えているのかを適切に読み解くことが大切です。文法や語彙がどう関わることで「コミュニケーションが成立しているのか」を垣間見ることのできるシーンです。

(『バーレスク』のあらすじ)
この映画の見所は、ミュージカル・エンターテイメントとアメリカン・ドリーム(トップダンサーとしての地位を勝ち取る)を実現する爽快サクセス・ストーリーです。特に新旧の歌手クリスティーナ・アギレラとシェールの歌唱力と表現力の共演は、まるでライブハウスそのものです。アリは、アイオワの田舎町でウェイトレスとして働いている女性です。歌って踊れる歌手になる夢を抱いてロサンゼルスにやってきます。都会に出てくるもダンサーとしての仕事もなく、テスの店でウェイトレスとして働き始めます。先輩ダンサーたちが豪華な衣装に身をまとい華やかな舞台で舞う姿に、ウェイトレスとして働くことに満足できないアリは、店のオーナーのテスにステージに立たせてくれるよう懇願します。そんな時、妊娠したバックダンサーのニックの代役として歌うチャンスが巡ってきます。アリの才能に嫉妬するニックは、本番中にマイクのジャックを抜く嫌がらせをしますが、逆にこれが裏目にでてしまいます。マイクなしでもホールに響き渡るアリの圧巻な歌唱力とダンス・テクニックは、テスのみならず会場の皆を納得させ、一躍「バーレスク」のスターダムに躍り出ることになります。しかし、そこには新たな問題が…。


2013年1月1日

タイトル: 『コーチ・カーター』 Coach Carter 2005
投稿者: 藤枝義之(京都外国語短期大学)

「学生」という言葉は、英語のstudentと同様、もともと「努めて学ぶ者」という意味。そう理解した上で周囲を見渡すと、名前だけの学生のなんと多いことでしょうか。いや、嘆いている場合ではないかもしれません。それは、本来の学生を充分育てていない、私たち教育者の責任でもあるのですから。

カリフォルニア州北部の町でスポーツ店を営むケン・カーターは、母校リッチモンド高校からの依頼を受け、かつて自分が所属したバスケットボール部のコーチに就任します。カーターは高校時代、数々の輝かしい記録を残した伝説のプレーヤーでした。貧困と組織犯罪が蔓延する町の環境を反映して、今のバスケットボール部は、ラフプレイや喧嘩が日常茶飯事という、荒んだ弱小チームに成り下がっていました。

カーターは、部員が守るべき約束を盛り込んだ契約書を作って部員と保護者にサインを求めます。曰く、「GPA3.2以上の成績を収めること」「授業には必ず出席し、最前列に座ること」「試合当日にはネクタイを着用すること」など。部員は反発し、退部者も出ますが、カーターの厳しい特訓によってチームは生まれ変わり、連勝街道を驀進する…。と、ここまではスポ根ドラマのパターン通りですが、その後、映画は意外な展開を見せます。

カリフォルニア州選手権に向けて快進撃を続けていたある日、カーターは多くの部員の学業成績が基準点以下なのを知り、激怒します。成績が上がるまで練習はさせないと体育館の扉に鍵をかけ、部員を図書館に集めて勉強させることに。このロックアウトは大きな波紋を呼び、カーターは批判の嵐に曝されます。部員の親たちは、「貧しくて未来のない子どもから人生最高の晴れ舞台を奪うな」「子どもがNBAのプロになるチャンスをつぶすのか?」と激しく反発。しかしカーターの言い分はこうです。今が部員たちの人生のピークではない。NBAに入ることは難しくても、バスケットボールの実績とある程度の学業成績があれば、奨学金を得て大学に進学できる。そうすれば将来に大きな可能性が広がり、犯罪に手を染めなくても自立して生きていけるはずだ-。

結局、教育委員会の裁定でロックアウトが解除されることになります。コーチを辞任する決意を固めたカーターが荷物を取りに体育館に向かうと、すでに扉の鍵は開けられていました。不審に思いながら中に入ったカーターは、目を瞠ります。なんと、部員たちが全員、机と椅子を持ち込んで勉強しているではありませんか。部員の一人が言います。「俺たち、成績が上がるまでバスケットはやらない」

その後、学業成績の目標を達成したチームは、練習を再開。カリフォルニア州選手権の決勝まで進みますが、惜敗します。残念だった、とカーターは落ち込む部員たちを慰めます。「しかし君たちは王者のようにプレーした。決して投げ出さなかった。王者は胸を張るもんだ」。そして、部員たちの成長を讃えてこう言うのです。

 “I came to coach basketball players, and you became students. I came to teach boys, and you became men.”「私はバスケットボール選手のコーチに来たが、君たちは学生になった。私は子供を教えに来たが、君たちは大人になった」
<1:48:52>

この台詞は、Iとyouが対比され、cameとbecameが韻を踏んで、心地よいリズムを作っていますね。
これは教育の意味を問い直す、良くできたストーリーだ、と思うでしょ? ところが驚くなかれ、すべて実話だそうです。もちろんコーチ・カーターも実在し、メーキング映像で温厚そうな笑顔を見せています。


2013年1月1日

タイトル: レクター博士のレトリック(『羊たちの沈黙』The Silence of the Lamb 1991)
投稿者: 井村誠(大阪工業大学)

『羊たちの沈黙』(The Silence of the Lambs 1991)は、その年のアカデミー賞主要5部門を制したサイコ・ホラーの最高傑作ですが、主人公である食人鬼(cannibal)のレクター博士(Dr. Hannibal Lecter)の名を一躍有名にしました。今回は、この天才的な精神科医でもあるレクター博士の巧みな会話のディスコースから、人の心を翻弄する言語技術の一端を垣間見てみたいと思います。

猟奇的な(psychotic)連続殺人犯(serial killer)を追うFBIは、犯人の手掛かりを得ようと、FBI実習生のクラリス(ジョディ―・フォスター)を、精神病院に隔離されているレクター博士(アンソニー・ホプキンズ)に面会させます。そこでクラリスは逆に精神分析され、自分の生い立ちや、つらい過去の心の傷などを全てえぐり出されるような強烈な心理的揺さぶりを受けます。まずは、初対面のシーンから。

Dr. Lecter: Good morning.(おはよう)
Clarice: Dr. Lecter, my name is Clarice Starling. May I speak with you?(レクター博士、私はクラリス・スターリングといいます。お話ししてもいいですか?)
Dr. Lecter: You’re one of Jack Crawford’s, aren’t you?(君は、ジャック・クロフォードの部下だね)
Clarice: I am. Yes.(そうです)
Dr. Lecter: May I see your credentials?(身分証明書は?)
Clarice: Certainly.(はい、ここに)
<0:12:32-0:12:47>

きちっと居住まいを正し、クラリスの来訪を待ち受けていたレクター博士は、自分から「おはよう」と声をかけます。この時点で、クラリスは早くも「先」を取られ、最初からインタヴューする側とされる側の立場が逆転し、あたかも医者と患者のようなポジショニングが設定されます。また身分証明書を示させ、クラリスが未だ実習生の身であることを明らかにすることによって、圧倒的な力関係を明確にしています。

Dr. Lecter: Sit, please. Now then, tell me. What did Miggs say to you? “Multiple Miggs” in the next cell. He hissed at you. What did he say?(どうぞ、お掛けなさい。さて、ミグズが君に何と言ったか、教えてくれるかい。隣の房にいる多重人格のミグズだよ。君に何か囁きかけていただろう?)
Clarice: He said, “I can smell your cunt.”(「お前のアソコが臭うぞ」と)
Dr. Lecter: I see. I myself cannot. [smelling the air] You use Evyan skin cream. And sometimes you wear L’Air du Temps. But not today.(そうか、僕には臭わない。[空気の臭いを嗅いで] 君はエビアンのスキンクリームを使っているだろう。そして時々レール・デュ・タンをつける。今日はしてないがね)
<0:13:44-0:14:34>

この僅か二言三言のやりとりで、クラリスは身も心も素裸にされてしまいます。ただ、クラリスがこの相手を辱めるような(embarrassing)質問に正直に答えたことによって、レクター博士は、ある意味でクラリスと信頼関係(rapport)を築き得ることを感得し、少し協力してやろうかという気になります。さて、この後もさらにやりとりは続きますが、心の中を全て掴み取られてしまったら…クラリスが危ない!


2012年12月25日

タイトル: 英語で授業・最初の挨拶編
投稿者: 近藤嘉宏(京都経済短期大学・京都成章高校 講師)

高校での授業は、大抵は「起立・礼・着席」という号令で始まります。着席の前に「お願いします」が入る場合もあります。最初から日本語で授業に入ると、突然英語に切り替えるのは難しいと感じることもあります。では最初から英語でやってみようということになると、「起立」は“Standup”、「着席」は“Sit down” はよいとして、「礼」は“Bow”ということになるのでしょうか?

こうした挨拶は、映画やドラマではどのように表現されているのでしょうか?連続ドラマ『Terminator: The Sarah Connor Chronicles Vol.1 Episode 1』でのある高校での教室の始まりのシーンです。このドラマにはTerminatorが登場しますが、あのシュワルツネッガーのTerminatorとは異なるストーリーです。

[Bell rings. A new teacher comes in.]
A teacher: Mr. Fergson is ill today. My name is Cromatie.
A student: Is that your only name, like Madonna?
A teacher a: Madonna? Why? No.
[Students laughing]
A teacher: Let’s take attendance, then. Marie Booeye.
A student b: Here!
A teacher: Donald Chase.
A student c: Here! <00:17:20-00:17:35>

生徒とのやり取りはあるものの、日本での慣習的な表現に相当するものは見当たりません。筆者が担当する短大の授業では、“Let’s take attendance, then.”(では出席を取りましょう)はすぐに活用できる教室英語の表現ですので、受け答えの表現の一つである“Here!”の発音練習をしてから、授業に取り入れています。
また、次の『Roswell星の恋人たち Season1-1』でも、慣習化した表現は使われず授業が始まります。

[Bell rings. A new teacher comes in.]
A teacher: Hi, I’m Kathleen Topolsky. I’ll be substituting for Mr. Singer, who’s out sick for a few days.
A student a: I hope he’s seriously ill.
A teacher: The infamous Roswell, New Mexico. Before we get down to work, let me just ask.
Does anyone here believe in aliens? <00:06:25-00:06:40>

なお、映画Dead Poet Society(『今を生きる』1989)では、「起立」という号令はないものの、教師が教室に入ってくると生徒たちはサッとすばやく立ち上がり、教師が一言“Sit.”と発言し、生徒が着席する場面があります。
特定の場面を取り上げ比較してみることで、それぞれの文化スタイルを垣間見ることができます。


2012年12月12日

タイトル:ドキュメンタリー映画で学ぶ教養知識-遺伝子組換え作物について-
投稿者: 山本五郎(広島大学)

映画は、英語学習にはもちろん、文化的な側面を学ぶ教材としても非常に魅力的です。特に、娯楽作品にはない臨場感で問題に迫るドキュメンタリー映画は文化教養を学ぶのに格好の素材と言えます。今回は、アメリカの食品産業の実態に迫った『フード・インク(2008)』から、遺伝子組換え作物(GM food)について学んでみましょう。ちなみに、GMはgenetically(遺伝子的に)modified(変更された)の頭字語表現です。

映画では、遺伝子組換え作物が現在の農業で普及している例として、モンサント社が取り上げられています。<01:06:22~>モンサント社は、ベトナム戦争で使用された枯葉剤などを作った化学薬品会社で、現在ラウンドアップという除草剤を製造しています。1996年に遺伝子組み換えによってこの除草剤に耐性をもつ大豆が出回るようになりました。当時は全体の2%だった耐性大豆が2008年には90%を超えるほど広まったのです。この大豆の特許を持つモンサント社からの圧力で、農家が遺伝子組み換えではない大豆を栽培することが難しくなっている様子が紹介されています。<01:12:03~>

さて、最近よく耳にする遺伝子組み換えの農作物にはどのような種類があるのでしょうか?『フード・インク』で取り上げられていた大豆は除草剤耐性作物です。除草剤は、植物が成長するために必要なアミノ酸を合成する酵素の働きを阻害するものです。除草剤の効果に対して耐性のあるタンパク質を生成できるように遺伝子を組み替えたものが除草剤耐性の作物です。

害虫抵抗性作物は、作物を食べた害虫を殺してしまうものです。昆虫の消化管を破壊するたんぱく質がある細菌から見つかっており、この殺虫性のたんぱく質を植物内で生成できるように遺伝子を組み換えたものです。作物の茎などに入って中を食い荒らす害虫を農薬散布によって死滅させるのは簡単ではありませんが、この害虫抵抗性の作物の中では害虫が生き残ることができないため被害がでません。害虫抵抗性の組換えはトウモロコシやジャガイモなどで開発されています。

疾病抵抗性作物は、植物に感染して害を及ぼすウイルスに由来するたんぱく質を組み入れたものです。ウイルスからたんぱく質を遺伝子的に導入した作物は、ウイルスに感染しにくくなるのです。ハワイで生産されるパパイヤの半分以上はこの疾病抵抗性の遺伝子組換え作物です。

『フード・インク』では、遺伝子組換え作物(GM food)の他に、Food and Drug Administration(食品医薬品局)の頭字語であるFDA、diabetes(糖尿病)やfood poisoning(食中毒)のようなキーワードからbushel(ブッシェル:トウモロコシ50ポンド[約22.7キロ])という穀物計量の単位まで、様々な語彙を学習することもできます。映画をきっかけにして教養知識も語彙もどんどん深まっていきますね。

より幅広い知識を映画を通して身に付けたい方は、『見て学ぶ アメリカ文化とイギリス文化 映画で教養をみがく』(SCREEN新書、2012年12月)をご一読下さい。


2012年11月5日

タイトル:リスニング・発音教材としての映画主題歌
投稿者:三村仁彦(京都外国語大学 非常勤)

映画には主題歌が付き物ですが,それらの中には作品と同様に大ヒットしたものも少なくありません。例えば,セリーヌ・ディオン(Celine Dion)が歌う『タイタニック(Titanic)』の『マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン(My Heart Will Go On)』や,ホイットニー・ヒューストン(Whitney Houston)が歌う『ボディガード(The Bodyguard)』の『オールウェイズ・ラブ・ユー(I Will Always Love You)』などは,映画そのものは観たことがなくても,曲は知っている,聴いたことがあるという人も珍しくないのではないでしょうか.

これらの主題歌を注意深く聴くと,(当たり前と言えば当たり前なのですが)そこにはさまざまな英語の「音変化」が観察されます.例えば,以下は映画『アルマゲドン(Armageddon)』の主題歌,『ミス・ア・シング(I Don’t Want To Miss A Thing)』(演奏はエアロスミス(Aerosmith))の冒頭の一節ですが,わずか40秒ほどの間に連結(linking),同化(assimilation),脱落(elision)という,主だった音変化3つがすべて現れています.

※スラー(‿)は連結,下線( )は同化,かっこ( )は脱落を表す.
I coul(d) stay awake jus(t) to hear you breathing
Watch you smile while you are sleepin(g)
While you’re far‿away an(d) dreamin(g)
I coul(d) spen(d) my life in thi(s) sweet surrender
I could stay lost‿in this moment forever
Every momen(t) spen(t) with you is‿a moment‿I treasure

このような音変化は,もちろん映画本編の中でいくらでも確認することができますが,印象に残るメロディーと共に取り込めるぶん,見方によっては主題歌のほうが素材としては優れていると言えるかも知れません.また,曲に合わせて歌詞を口ずさめば,自然とそこに含まれている単語や慣用表現が覚えられますし,個々の音に集中して発音を真似ることができれば,イントネーションと発音の向上にもつながります.あとは(これは英語学習とは何の関係もありませんが(苦笑))音程さえ正しく取れれば,カラオケで歌って,拍手喝采を浴びることも夢ではないでしょう(笑).

最近の映画は一本一本の時間が長く,大作になると3時間を超えるものも今では珍しくなくなってきています.しかし,主題歌を聴くだけならば,5分もあればお釣りがきます.手軽にリスニングと発音の勉強に取り組むには,映画の主題歌はもってこいの教材ではないでしょうか.


2012年11月5日

タイトル:映画の場面からway構文の意味を探る
投稿者:吉川裕介(佛教大学 非常勤)

英語にはJohn made his way through the crowd.(ジョンは人ごみをかき分けて進んだ)という表現があり、これをway構文と呼びます。これまで、言語学では多くの研究者がこのway構文を分析し、構文自体に「困難性」(difficulty)が意味として含意されると言われてきました。しかし、興味深いことに他動詞makeを使ったway構文に共通してこの「困難性」が観察されるかというと、そうではないようです。

映画Dreamer: Inspired by a true story 『夢駆ける馬ドリーマー』(2005)は、牧場経営と競走馬のトレーナーをしているベンと「ソーニャドール」という一頭の馬との奇跡の復活を描いた作品です。その中で、競馬の実況中継のコメンテーターに次のような台詞があります。

COMMENTATOR: They (racehorses) make their way around the first turn and head onto the backstretch. <00:52:17>
COMMENTATOR: They make their way around the far turn. <00:52:39>

競走馬の集団がカーブに差し掛かる際にway構文が使われていますが、どちらも困難性が観察される場面ではありません。この場合のway構文は、競走馬が集団となってゆっくりとカーブを曲がって行く動きに焦点を当て、経路を聞き手の頭に競走馬のたどる経路を想起させている表現方法だと考えられます。このように、映画の場面を通して特定の構文を観察することは、その構文自体の特徴まで映像化されることから、非常に有効と言えるでしょう。


2012年10月9日

タイトル: 映画のセリフに見るアドバイス表現
投稿者: 近藤暁子(奈良工業高等専門学校)

友達などに「~したほうが(しないほうが)いいよ」という時に、よく日本人英語学習者は"You should (not) ~", "You had better (not) ~" という表現を使っているのをよく耳にしますが、これらの表現は強い感じに受け取られることがあります。実際のネイティブの会話ではそれらの代わりに"You (don’t) want to ~"や"You might (not) want to ~"などが多く使われています。

"You don’t want to (wanna) ~" は直訳すると、「あなたは〜したくない」という意味になるのですが、「~しない方がいいよ」といった感じでアドバイスをする意味でよく使われる表現です。トム・ハンクスの代表作、「Forrest Gump」でフォレストがジェニーにプロポーズするシーンでこの表現が出てきています。

Forrest Gump: Will you marry me?
Forrest Gump: I'd make a good husband, Jenny.
Jenny Curran: You would, Forrest.
Forrest Gump: But you won't marry me.
Jenny Curran: You don't wanna marry me.
Forrest Gump: Why don't you love me, Jenny?
Forrest Gump: I'm not a smart man... but I know what love is.

ここでは、プロポーズを断るのに、ジェニーはいろいろな問題を抱えている私なんかと結婚しないほうがいいわよという気持ちでこの表現を使っています。

さらにもっとやんわりと相手にアドバイスしたい時は"You might (not) want to ~"を使ってみるといいのではないでしょうか?この表現も直訳すると「~したい(したくない)かもしれない」となるのですが、こちらも「~したほうがいいかもしれませんよ」ぐらいの感じで控えめに相手にアドバイスするときに使える表現です。ジュリア・ロバーツ主演の「エリン・ブロコビッチ」で法律事務所の上司から服装のことについて指摘されるシーンでこちらの表現が使われています。

Ed Masry: In a law firm you may want to re-think your wardrobe a little.
Erin Brockovich: Well as long as I have one ass instead of two I'll wear what I like if that's all right with you. You might want to re-think those ties.

法律事務所ではエリンが着ていたような派手な服装は合わないと指摘されたのに対し、少し控えめ表現を使って上司のネクタイの趣味を指摘しています。

今回はアドバイスの表現として"You (don’t) want to ~"や"You might (not) want to ~"を紹介しましたが、アドバイスをする相手や状況に応じた様々な表現を身につけることはより円滑なコミュニケーションに役立つでしょう。


2012年10月9日

タイトル: Are you a morning person?
投稿者: 小林 翠(大阪大学大学院博士後期課程)

次の会話は、映画 ”Hitch” 『最後の恋のはじめ方』 (2005) のとある場面の一部です。最後の Sara のセリフに出てくる a morning person はどんな意味なのでしょうか。

この映画は、モテない男性を指南するデート・ドクター Hitch (Will Smith) と、ゴシップ記者 Sara (Eva Mendes) によるロマンティック・コメディです。他人の恋愛は得意でも自分の恋になるとまるでダメな Hitch ですが、彼女と出会って恋に落ちます。そしてまた、男に興味が無く仕事の虫であった Sara も、徐々に彼に惹かれていくという話です。引用場面ですが、そんな二人が 2 回目のデートの後、彼女のアパートでお互い語り合い朝を迎えます。しかし、Sara が起きた時に Hitch はいません。Sara はそんな自分に失望し、一人落ち込んでいます。そこへ、朝から元気に朝食を買いに出ていた Hitch が戻ってくる。そんなシーンでの会話です。

<01:10:24>
Sara: Hi. I thought you left.
Hitch: Well, I did, but then I came back with breakfast. I figured it was the least that I could do. I didn’t know what you were drinking... so I got a grande cap, a latte, an Earl Grey tea... and something with ”chai” in the title.
Sara: Tea for me.
Hitch: Tea. Yes! I was hoping you’d say that.
Sara: Oh, God. You’re a morning person, aren’t you?

いかがでしたか。この a morning person という表現は、「朝派の人」や「朝型の人」といった意味で使われています。
ところで、「…派(型、主義、好き)の」という意味はどこから出てくるのでしょうか。 この意味は、morning にも person にもありませんよね。これは、a morning person という固まりになった時、はじめて現れる意味なのです。また、a morning person にはこの他にも a cat person (ネコ好きなネコ派の人)や a night person (夜更かしをする人)やa breakfast person(朝食を抜かない人)といった類例があり、「X 派(型、主義、好き)の人」という意味で用いる [ a (n) + X(名詞)+ person ] は生産性の高い表現です(早瀬2002 : 13)。このような「部分の総和以上の意味が全体に生じている表現」や「高い頻度の型」のことを、認知言語学では構文 (construction) と呼んで、文レベルのもの(移動使役構文、二重目的語構文など)とも連続的に扱い、分析します。

以上のように、[ a (n) + X(名詞)+ person ] は「X 派(型、主義、好き)の人」という意味で使われている慣習的で生産的な表現(構文)です。皆さんもぜひ、このような表現を映画やドラマの中から見つけてみてくださいね。

(参考文献)
早瀬尚子 (2002)『英語構文のカテゴリー形成 認知言語学の視点から』勁草書房


2012年10月9日

タイトル: 映画で学ぶ「be supposed to」
投稿者: 衛藤圭一(京都外国語大学 非常勤)

映画を観ていると、音声と英語字幕の不一致に気付くことが少なくないと思います。たとえば以下で取り上げる be supposed to は、英語字幕では should で書き換えられる場合が多く、辞書や文法書を見ても be supposed to = should という等式があるように見受けられます。しかし、be supposed to は動詞 suppose の受身形に由来していることから、should と異な り「~だと考えられている、~だとされている」という意味を表します。この意味が be supposed to の中核であるため、「実現されるはずのことが、実際にはそうならない」という「反事実」の意味合いを含みます。"Rain Man" 『レインマン』(1988) <00:52:59>では次のようなセリ フが観察されます。

Raymond: There’s supposed to be eight fish sticks. There's only four.
「フィッシュ・スティックは8本あるはずのに、4本しかない。」

この「反事実」の意味は、下に挙げる"Ghost"『ゴースト』(1990) <01:08:58>の例が示すように、but節が後続することでさらに顕著になることがあります。

Carl: I thought you were gonna come into the bank and sign those papers.
「君は銀行に行ってあの書類に署名をするんだと思っていたよ。」
Molly: Well, I was supposed to, but I didn't have time.
「ええと、その予定だったけど、時間がなかったの。」

類義語とされる2つの表現が実は相当に違うというケースはよくありますが、学校文法で重点的に取り上げられることはそれほど多くはありません。こういった「盲点」に興味を持たれた方は、『映画で学ぶ英語学』(くろしお出版)を一度手にとってください。思わぬ発見があるかもしれませんよ。


2012年9月11日

タイトル: 英詩と映画 (その2)
投稿者: 福田京一 (京都外国語大学)

映画Dead Poets Society (『今を生きる』1989) はヴァーモント州にある名門私立高校の生徒たちに、キーティング先生(Robin Williams)が詩を通して人生の意味を教える青春映画です。

先生は言葉と思想の力を信じています。彼自身の母校である学校で、かつて”Dead Poets Society”を作って、夜、森の洞穴に集まって詩を朗読して、名門大学に合格するために勉強を強いられる寄宿舎生活に抵抗した経歴を彼は持っています。会はソロー(Henry D. Thoreau)のWalden (1854)の一節(“I went to the woods because I wished to live deliberately, to front only the essential fact of life, and see if I could not learn what it had to teach , and not, when I came to die, discover that I had not lived.”)の朗読から始めるというもので、彼は生徒にその会について話し、同じ会を再興させます。

教室内でも外でも、シェイクスピア、テニスン、ソロー、ホイットマン、フロストなどの詩が朗読される。なかでも最初の授業で朗読されるヘリック(Robert Herrick , 1591-1674)の“To the Virgins, to make much of Time” の一節は映画のテーマを語っています。

 “Gather ye rosebuds while ye may/Old Time is still a-flying:/And this
  same flower that smiles to-day/To-morrow will be dying.”

この詩は、乙女に若くて美しいうちに結婚するよう促す内容ですが、そればかりか、悔いある人生を送らないように生き方を変えてはどうかと読者に語りかける詩でもあります。17世紀の英詩の多くに「今をいきろ“carpe diem”」 (Seize the day)という主題が認められますが、とりわけこの詩は、単純な韻律(meter)と押韻(rhyme)、それに効果的な頭韻(alliteration)とあいまって、すばらしい叙情詩になっています。生徒たちが、心に恐れとともに喜びを美しく語りかける詩に、そして先生に心奪われたのももっともなことでした。

蛇足ながら、黒沢明『生きる』(1952)のテーマもまた同じです。「いのち短し、恋せよ少女/朱き唇 褪せぬ間に/明日の月日はないものを」(吉井勇作詞・中山晋平作曲「ゴンドラの唄」)を雪降る夜の公園でブランコに揺られて歌う渡辺課長(志村喬)に涙しない人はいないでしょう。


2012年09月11日

タイトル: 「数」を意味する表現を味わおう
投稿者: 飯田泰弘(大阪大学大学院)

効率よく英単語のボキャブラリーを増やしていくには、接頭辞や接尾辞が持つ共通した意味を理解すると有効的です。この種の便利なものに、「数」を表す接頭辞があります。例えば、単語の最初にmono-やuni-がつけば「1」を表し(例:monorail「モノレール」やunicorn「一角獣」)、「2」はbi-(例:bilingual「2カ国語の」)、「3」はtri-(例:tripod「カメラの三脚」)といった具合です。

これを活用すると、cycle「輪」が2つあるのがbicycle「自転車(二輪車)」で、1つになるとmonocycle/unicycle「一輪車」、3つだとtricycle「三輪車」になることがわかります。またスポーツの二種競技(biathlon)、三種競技(triathlon)、五種競技(pentathlon)、十種競技(decathlon)という単語もセットで覚えられることに、ロンドン五輪の陸上中継を見ていた方などはお気づきになったのではないでしょうか。(penta-は「5」、deca-は「10」を意味します)

angle「角度」が3つあるのがtriangle「三角形、楽器のトライアングル」。ならば、この名詞の後ろに接尾辞の-ateをつけて動詞にすると、triangulate「三角法で測定する」となり、『バイオハザードⅢ』(2007)では主人公の巨大なパワーを察知した後、彼女の行方を捜す研究者が、“Triangulate. Find her location.” 「三角法で彼女の居場所を測定しろ」<00:41:37> と述べる場面でも、これを確認することが出来ます。また、『ボーンズ シーズン1 エピソード4』(2005)で登場する台詞、

Temperance: You have excellent definition in your biceps and triceps.
「あなたの二頭筋と三頭筋は、すごくよく発達してる」 <00:25:31>

からは、身体の「二頭筋」がbiceps、「三頭筋」はtricepsという単語であることが分かり、さらに、

Booth: We got a love triangle. Quadrangle, octangle, whatever.
「ここには三角関係だか、四角関係だか、八角関係だかがあるようだ」<00:38:06>

という台詞からは、どろどろとした人間関係が、数を表す接頭辞でうまく表現されていることが味わえます。(quad-/quart-は「4」を、octa-/octo-は「8」を意味します)

みなさんもぜひ、こういった「数」の表現を映画の中で探し、英語学習においても活用してみてくださいね。


2012年08月10日

タイトル: 『オレンジと太陽』に見る理想の上司
投稿者: 松田早恵(摂南大学)

『オレンジと太陽』は、マーガレット・ハンフリーズの実体験を著した『からのゆりかご―大英帝国の迷い子たち』(原題:Empty Cradles)を基にした映画です。イギリスノッテインガムでソーシャルワーカーとして働くマーガレットの元に、ある日突然、オーストラリアから来たという女性が「私が誰なのか探して欲しい」と現れます。調べを進めるうちに、「ある時期、イギリスの施設の子どもたちが、大きな船に乗せられてオーストラリアへ強制移民させられていた」らしいことがわかります。マーガレットは、オーストラリアへ聞き込みに出かけるのですが、あまりにも多くの人たちが同じような経験を持っていることを知って愕然とします。腰を据えて調査をする必要があると判断したマーガレットは、本国に戻って上司(ちなみに、女性です)に掛け合います。<0:29:00>

上司:Well, as you know, Rita’s filled me in with what you’ve been up to. I’ve read your report.(リタから話は聞いたわ。報告書も読ませてもらった。)
マーガレット:Look. I とjust want to say that I have kept on top of my case load and I went to Australia in my own time that was my annual leave.(やるべき仕事はきちんとやっています。オーストラリアへは自分の年休を使っていきましたし。)
上司:Well, I think that was appalling.(それがひどいと思うのよ。)
マーガレット:What? What is?(え?何がですか?)
上司:That you had to use your own holiday to pursue this.(自分の休暇を潰して調査に行くなんて。)
マーガレット:Oh.(あら。)
上司:I’m taking this to the social services committee. Tell me what is it you want to do?(この件は委員会に上げるから、何がしたいのか教えて。)
マーガレット:Well, uh, the people that I’ve met, they want to find a record of who they are. They just want to know where they came from.(私が会った人たちは、自分が誰であるのか記録を探したがっています。自分がどこから来たのかを。)
上司:What do you need?(何が要る?)
マーガレット:Time. Time to find their families.(時間。彼らの家族を探す時間が欲しいです。)
上司:How long?(期間は?)
マーガレット:Well, a year?(1年くらい?)
上司:How about two?(2年でどう?)
マーガレット:Yes, that would be…(そうしていただけると…。)
上司:I’ll make a recommendation to the committee.(委員会に推薦するわ。)
マーガレット:So, are you talking about me working on this full-time?(フルタイムで調査してもいいのですか?)
上司:That is what you want, isn’t it?(それが希望なんでしょ?)
マーガレット:Yes, yes, it is.(は、はい。そうです。)
上司:Now, how are we going to fund you properly? We are going to raise your profile to try and get some public funding and we need donations. Have you thought about going to the press?(どう予算を工面しましょうかね。認知度を上げて公的資金と寄付金を獲得しなくちゃね。マスコミは考えた?)

余分なことは一切聞かず、即座に前向きな決断を下す上司の格好いいこと!面談にかかった時間はわずか1分23秒です。「こんな上司が欲しい~!」と思ってしまいます。マーガレットは、このように職場の理解と、さらには優しい夫の協力を得てオーストラリアで孤軍奮闘するのですが、妨害や脅迫もあって精神的に追い詰められてしまいます。人々の信頼を裏切ることになるのでしょうか?それとも困難を乗り越えて任務をやり遂げるのでしょうか?

児童の国家的な強制移民は1970年代まで続き、13万人が海を渡りました。中には、強制労働を強いられたり虐待を受けたりした子どもも多かったようです。歴史上の汚点として隠されてきたので、イギリス政府が正式に事実を認め謝罪をしたのは、2010年になってからのことでした。


2012年08月10日

タイトル: 映画で学ぶthere構文
投稿者: 平井大輔(近畿大学)

中学や高校で、以下のような文を学んだと思います。

(1) There is a dog in the garden. (1匹の犬が庭にいる。)
このような文を “There構文”と呼び、「存在」の意味を表す文として、英作文の勉強もした人も多いでしょう。非常によく登場するこの構文ですが、ここで使われている動詞については、あまり知られてなく、be動詞しか使えないと思っている人も多いようです。しかし、映画を見ていると (2)のような英語も出てきます。

(2) Edward: There did exist rumors of creatures in these woods.「この森には、化け物がいるっていう言い伝えがあったんだ。」<01:11:24>--- The Village (2004)
ここでは、be動詞の意味に似た存在を表すexistが動詞に使われています。しかし、こればかりではありません。その他にも、(3)のような例 があります。

(3) Jack: But global warming is melting the polar ice caps and disrupting this flow. Eventually, it will shut down, and when that occurs, there goes our warm climate. 「温暖化で北極と南極の氷が溶け、海流が乱れている。いずれ、流れが止まるだろう。そうすると、温暖な気候も消えてしまう。」<00:07:03> --- The Day after Tomorrow (2004)
ここでは、移動を表すgoが使われ、「消える」言う意味になっています。
ここでご紹介したように、このthere構文で使われる動詞は、be動詞ばかりではないのですね。このタイプには、大きく分けて2つあり、 exist, live, remainなどの存在を表すものと、appear, come, happen, startなどの「出現・移動」を表す動詞が使われます。

これらの構文は、be動詞を用いた場合と同様に、聞き手に対して新たな情報を提示するのが特徴です。映画を見ていると他にもさまざまな動詞が現れます。ストーリ性のある映画だからこそ、これらの構文が多く見られます。ほかにもどのような動詞が あるか、映画を見ながら探してみましょう。


2012年07月07日

タイトル: アカデミー賞のスピーチ
投稿者: 國友万裕(同志社大学 非常勤)

非常勤講師を始めて、もうすぐ20年になります。その間、ほとんど毎年、映画を教材に使ってきました。これまで様々な映画を学生と見てきたわけですが、一番学生に受ける映画と言われれば、『クレイマー、クレイマー』ということになります。これは1979年の映画ですから、学生たちが生まれる以前につくられた映画なのですが、どこの学校で見せても、学生たちは吸い込まれるように見ていますし、裁判の場面やフレンチトーストの場面などではすすり泣きが聞こえます。家族をテーマにした映画なので、若い人たちにも心に迫るものがあるのでしょうか。

いまさら説明するまでもないかもしれませんが、『クレイマー、クレイマー』は子供の養育権をめぐって離婚した両親が争う映画で、社会現象ともなりました。この年のアカデミー賞では、作品賞・監督賞の他に父親役のダスティン・ホフマンが主演男優賞、母親役のメリル・ストリープが助演女優賞を獲得しました。アカデミー賞と言えば、メリル・ストリープは、女優賞の最多ノミネート記録保持者。今年、『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』で、ついに3度目の受賞を果たしたことは記憶に新しいところです。

今年の授賞式で、壇上に上がった彼女は、“When they called my name, I had this feeling I could hear half of America going, ‘Oh no! Oh come on, why her? Again!’”(私の名前が呼ばれた時、アメリカの半分の人は、「オー、ノー、また彼女!?」と叫んでいるでしょう)とジョークを飛ばしました。『クレイマー、クレイマー』で受賞した時の彼女の第一声は、“Holy Mackerel!”(直訳すれば「聖なるサバ」ですが、「まあ、これはたいへん」という意味なのだそうです。

つくづくアカデミー賞の授賞式を見ていて感心させられるのは、ハリウッドのスターたちのスピーチの上手さ。堂々と仲間や家族への感謝の言葉を述べ、しゃれたジョーク、かすかな涙で、洗練された最高の授賞式を盛り上げます。ああいう場面を見せられると、つくづく日本人はかなわないなあと思ってしまうのです。まあ、アメリカは子供の頃から、そういう教育を受けているからなのでしょうが、こういう時に日本人とアメリカ人の文化の違いを思い知らされます。皆さんたちも、一度、じっくり授賞式を見てみるといいですね。日本人にはわからないジョークも出てきますが、アメリカを知る勉強になります。


2012年07月07日

タイトル: 家族関係と個人主義
投稿者: 北本晃治(帝塚山大学)

家族内で最も基本となるのは、「夫婦間の関係」でしょうか、それとも「親子間の関係」でしょうか。もちろん両方とも重要なのですが、文化によってその力点の置き方が異なるようです。ケストナーの名作児童文学『ふたりのロッテ』を現代風にアレンジした映画『ファミリーゲーム』では、この夫婦間の問題と親子間の問題の関連性が、西洋的な個人主義の視点から見事に描かれています。

この映画の主人公、双子のアニーとハリーは、二人の生後すぐに離婚した母(エリザベス:有名ファッションデザイナー)と父(ニック:大ブドウ園経営者)に一人ずつ引き取られ、それぞれロンドンとカリフォルニアでお互いの存在を全く知らずに育ちます。しかし11歳の時に、米国メイン州で開かれたサマーキャンプで偶然二人は出会い、事情を知った双子の姉妹が両親を再び結びつけようと奮闘するというのが、物語のあらすじです。

ここには家族の関係では、個人対個人の夫婦関係がまず大前提であり、子供との親子関係はそれに従属させられるという西洋的価値観がよく現れています。ですから、子供達も「私たちのためにもとに戻って!」などと甘いことは一切いいません。ただひたすら両親の関係性の修復へと様々な策略と努力を繰り広げていきます。

娘たちの計らいで二人きりで食事をする機会を得たニックとエリザベスは以下のような会話を展開しています。

Elizabeth: So, you've done fantastically well, your dream of owning your own vineyard actually came true.
Nick: Well, what about you? You were always drawing on napkins and corners of newspapers. Now, you're this major designer.
Elizabeth: We both actually got where we wanted to go.
Nick: Yeah, it's great.
<1:38:30>

大ブドウ園経営者と有名ファッションデザイナーになるというそれぞれの夢がかない、二人は互いがたどり着くべき場所に至った現実を讃え合います。が、それは夫婦関係を解消し、生まれたばかりの幼い双子を引き裂いてでも実現されなければならない、個に内在する自己実現の衝動だったのです。

さらに、話が別れの日の出来事に及んで、以下のような会話が続きます。

Elizabeth: We were so young and we both had tempers. We said stupid things and so I packed. Got on my very first 747 and you didn’t come after me.
Nick: I didn’t know that you wanted me to.
Elizabeth: Well, it doesn’t really matter anymore. So let’s just put a good face on for the girls and get the show on the road, huh?
Nick: Yeah, sure. Let’s.
<1:40:03>

若気の至りから言い合いになり、それが原因で家を飛び出した妻と、それを追いかけようとしなかった夫。再会して、「君が追いかけてきてほしかったなんて知らなかった」というニックに、エリザベスは「もう今さらどうでもいいじゃない」と返します。そして子供達の策略をうまくやり過ごして、それぞれの家に帰ることを確認し合います。

この後、物語は紆余曲折をへてロンドンへと帰ったエリザベスとアニーを、今度はニックとハリーがしっかりと追いかけて行って、ハッピィエンドを迎えますが、この「追いかける」という行為が可能となったのは、夫婦がそれぞれ個として満足のいく自己実現をすでに果たしていることが前提としてあるように思います。以前に経験した離婚へと発展した「短気から生じた言い合い」とは、実は夫婦間の表層の問題であり、その深層にはその後の個別の経過が物語っているように、「個人の自己実現」と「家族というユニットの維持」に関する文化的優先順位が、色濃く反映していたと考えることができるでしょう。


2012年06月08日

タイトル: ドキュメンタリー映画から学ぶ文化と英語-「ハレクリシュナ」、It’s a drag.など
投稿者: 中井英民(天理大学)

昨年(2011年)、マーティン・スコセッシ監督による元ビートルズ、ジョージ・ハリソンの記録映画、「Living In The Material World」が公開されました。この映画は彼らビートルズのリバプールなまりの英語が楽しめ、また1960s, 70sのポップカルチャーを学ぶことができる逸品だと思います。

作品では、ビートルズとして成功したジョージがお金について語ります。We found that money wasn’t the answer. We had lots of material things (中略)(and) we still lacked something. And that “something” is the thing that religion is trying to give to people.〈part1.00:51:10〉その後ジョージは物質社会に疑問を持ち、インド哲学に傾倒していきます。のちに彼はハレクリシュナ教(正式には宗教ではない)に入信し、ハレクリシュナを連呼する曲、My Sweet Lordをヒットさせます。この時代から、guru(導師)、mantra(マントラ)、karma(カルマ、業、宿命)などのヒンドゥー語源の語彙が英語に頻繁に現れるようになります。ジョージは2001年、肺がんにより58歳で死にますが、遺言により彼の遺灰はガンジス川に撒かれたようです。(昨年死去したアップルのCEO、スティーブ・ジョブズ氏の有名なスタンフォード大学卒業式でのスピーチにも、You have to trust in something — your gut, destiny, life, karma, whatever.とkarmaという語が登場しますし、大学を中退した貧しい時期には月1回、ハレクリシュナ教の寺院でただのご飯を食べるのが楽しみだったとの話も出てきます。また、その後ジョブズ氏が日本の禅に傾倒していったことからも、彼もまた、1960s, 70sの文化の中で青春を過ごしたことが伺えます。)

英語としては、この作品の中でジョージは何度となく、It’s a drag.という表現を使っています。dragとは、「つまらない(退屈な)もの(人)」、今で言う「ウザイこと(やつ)」にあたります。昨年、Lady GagaのBorn This Wayがヒットしましたが、歌詞の中の、Don’t be a drag, just be a queen.は、「ウザイやつにはなるな、クイーンになれ」のような意味ですが、drag queen(女装趣味の男性)を使った言葉遊びでもあります。(ところが我々日本語話者には、dragとdrugの/æ/と/ʌ/の区別が難しく、YouTubeで一番アクセスが多かったこの歌の日本語訳つきのサイトでも、かなり英語ができると思われる投稿者がこの部分を、「麻薬はだめよ」と誤訳しています。)

さて、It’s a drag.で思い出すのは、1988年制作のジョン・レノンの生涯を描いた記録映画、「Imagine」です。彼は、1980年、ニューヨークで撃たれて死ぬ直前のインタビューでこう答えています。

Here I am now. How are you? How's your relationship going?(中略) Wasn't the '70s a drag?" Let's try and make the '80s good. I still believe in love, peace, (and) positive thinking.
While there's life, there's hope. (中略) ...and I consider that my work won't be finished until I'm dead and buried. I hope that's a long, long time. 〈01:32:21〉
(やぁみんな、元気かい。70年代はひどかったよね。80年代はいい時代にしようよ。僕はまだ愛や平和やポジティブ・シンキングを信じているよ。僕の仕事は僕が死んで墓に入るまでは終わらないし、それはずっと、ずっと先のことだと思う。)

人の一生は分からないものです。私も今日一日を大事に生きて、学生からHe’s a drag.とは言われないように頑張りたいと思います。


2012年06月08日

タイトル: ハリウッドじゃ、女優は21歳でなきゃね。 『デブラ・ウィンガーを探して』(2003年)
投稿者: 藤倉なおこ(京都外国語大学)

タイトルは、有名なアメリカの映画評論家、ロジャー・エバートの言葉です。ハリウッドでは、女優が年齢を重ねると仕事が減ります。製作される映画は圧倒的に若い女性を出演させる映画が多いからです。シワがあるような女性をスクリーンで観たい?ということです。『デブラ・ウィンガーを探して』(2003年)は、女優のロザンナ・アークエットが自分のキャリアについて抱えている悩み、不安をほかの女優はどう考えているのかを35人の女優たちにインタビューしたドキュメンタリーです。

若い女優が好まれるのは、映画製作者が圧倒的に男性であるということも大きな原因の一つです。メラニー・フリフィスは"People started to ask me when I was like 35, ‘Are you worried that you're not going to work anymore?’ I was like what are you talking about?”「35歳のころ、いろいろな人に『もう仕事がないかもしれないって心配にならない?』って聞かれ始めて、まったく何を言っているのよと思ったわ」と怒りを語ります<00:30:45>。アメリカは「老い」=「衰え」ととらえる傾向が顕著です。外見はもちろんのこと内面も年齢による「老い」に価値を見出すことは、非常に少ないといえるでしょう。これは、欧米の中でもアメリカに顕著な傾向です。インタビューの中でイギリス出身のトレーシー・ウルマンは、「アメリカの30代の女性がボトックス注射でシワをのばそうとすることや整形手術をすることは本当に恐ろしい」と語っています。イギリスのケイト・ウィンスレット、エマ・トンプソン、レイチェル・ワイズの3名は、「美容整形反対同盟」を組みました。彼女たちはハリウッドの女優たちが体を傷つけてまで若くみせようとすることに反対しています。アメリカのフェミニスト、ナオミ・ウルフは、その著作「美の神話」で、およそほとんどの人が成りえない基準の美しさは、アメリカの女性は自己嫌悪におちいらせ自尊心を奪い、美容整形、ダイエット産業と連動するメディアをとおして、どんどん強固なものになると書いています。

アメリカを代表するメディア産業、ハリウッド。男性が今でも圧倒的多数を占める業界で、年齢を重ねた女優は今後どうなるのでしょうか。ハリウッドの映画製作にかかわる男性たちを評したウーピー・ゴールドバーグのウィットに富んだことばが勇気を与えてくれます。 “Longevity is everything. We have outlasted most of the people that used to hire us.” 「長生きすることがすべてよ。私たちを雇ったほとんどの人たちよりも私たちはずっと長くハリウッドにいるわ。」<00:52:01>。そもそも女性の寿命は男性よりも長いのです。年齢を重ねた女性たちが、ハリウッドを動かす日がそのうちに来るのかもしれません。


2012年06月08日

タイトル:映画で学ぶ「Go+ing構文」
投稿者:中山 麻美(立命館大学 非常勤)

学校文法では、スポーツや気晴らしを目的とした「~しに行く」というイディオムは go+ing の形が用いられ、ing の部分には娯楽系の動詞がくるのが一般的であると教えられています。この規則は動詞 Go の中核的な意味から説明することができます。動詞 Go は、「(視点から)離れる」という意味です。つまり、主語が現在いる視点から離れた場所に移動することを表します。

ここでは、映画 Jack Frost 『ジャック・フロスト パパは雪だるま』(1998) <01:11:29>に出てくる以下のセリフを例に挙げ、Goの中核的な意味に迫ってみましょう。

Gabby: I'm going to go caroling with Mrs. Wilkins and some other neighbor ladies.
   「ウイルキンスさんやご近所の奥様とクリスマス・キャロルを歌いに行くのよ。」

ジャック・フロストの例でも分かるように、クリスマス・キャロル(讃美歌)を歌いに行くのは、話し手の日常的視点から離れて行う行為なので、動詞 Go と相性が良いと言えます。

反対に日常生活から離れて行わない行為、例えば cook (料理する)、study(勉強する)
などは、動詞Goの中核的な意味に合わず、go cooking や go studying などと表すことができません。

このように学校文法ではあまり教えてくれない英語学をもっと知りたい人には、『映画で学ぶ英語学』(くろしお出版)を読んでみることをお勧めします。


2012年05月05日

タイトル: 移動方向を表す単語について
投稿者: 濱上桂菜(京都外国語大学 非常勤)

up, down, in, out, across, in(to)などは、中高では副詞的な意味があると教えられる方向を示す表現です。今回は、映画“Finding Nemo”『 ファインディング・ニモ』(2003)を使ってこれらの表現の活用方法を少し考えてみましょう。方向を示す表現を使用しようとする時に、一般的な英語学習者はgoやcomeなどの単純に移動を表す動詞を最初に思い浮かべるのではないでしょうか。

(1) We go out…and back in. <00:06:41>
「出て…もう一度入る。」

しかし、方向を示す表現は、移動の様態を色濃く表す他の動詞と用いることも多々あります。

(2) Now swim up the tube and out. <00:49:58>
「じゃあ泳いでチューブを上がって、出るんだ。」

(1)の例のgoとは違い、(2)のswimの類の動詞はどのような方法で移動するのかも表し、その後に起こるupとoutがその方向性を明確に表していることがわかると思います。注目していただきたいのは、(2)では、動詞は1つですが、日本語で表現するときは、「泳いでチューブを上がる、そして泳いで出るんだ」というように、「上がる」「出る」というもう一つの動詞を補って表現する必要があります。よって、(3)の例では、日本語では次々と動詞rollを補って、方向表現を前から順番に解釈していかなければいけません。

(3) “Then we’ll roll ourselves down the counter, out the window, off the awning, into the bushes, across the street, and into the harbor!” <00:39:34>
「それから転がってカウンターから降りて、窓から出て、日よけから離れて、茂みに入り、通りを横切って、そして港に入るんだ!」

今回挙げた移動方向を表す単語はそれぞれなじみ深いものですが、英語学習者の多くの方には、移動動詞以外の動詞と組み合わせたり、副詞的表現のみを連続で使ったりする発想にはなかなか至りません。また英語と日本語では表現方法に少なからず差があることにもなかなか気がつきません。皆さんも次回から映画をご覧になるときは、ぜひ、これらの方向を表す表現がどんな風に用いられているのかチェックしてみてくださいね。


2012年05月05日

タイトル: ハリウッド映画の中の日本人
投稿者: 上田聖司(八尾翠翔高校)
 
「日本人がハリウッド映画の中でどのように描かれているか?」この問いは日本人として興味のあるところです。みなさんはハリウッド映画の中の日本人俳優というと誰を思い浮かべますか。「ラストサムライ」(2003)を皮切りに「バッドマンビギンズ」(2005)をはじめ、アカデミー賞視覚効果賞の「インセプション」(2011)にも出演している渡辺謙は最も名の知られた日本人でしょう。「ラストサムライ」で渡辺はトム・クルーズと堂々と英語で話しています。

”Many of our customs seem strange to you. The same is true of yours.”<0:43:08>
「日本人の習慣はお前には奇妙に思われるかもしれない。だが、お前たちの習慣にも同じことがあてはまる。」

”Not introducing yourself is considered extremely rude, even among enemies.” <0:43:27>
「自己紹介しないのは、非常に失礼なことと思われる、たとえ敵同士であっても…」”Nathan Algren.”「ネイサン・オルグリンだ。」

このシーンでは、当初、渡辺のゆったりした口調がオルグリン役のトム・クルーズの早口な話し方とかみ合っていないように感じられますが、最後には渡辺の答え方がトム・クルーズの速さにあってくるように仕組まれています。渡辺は、このあと、”Sayuri”(2007)(原作はArthur Golden “Memories of a Geisha)にも出演していますが、彼の英語は、タイミング、感情移入ともにすばらしい出来を見せています。

80年代にブームを起こし、最近ではウイル・スミス制作のリメイク版もあるThe Karate Kid(1984)では、日系2世のコメディアンPat Moritaがミヤギ老人という日系人を演じています。中村雅俊らが出演するアメリカ映画American Pastime(2007)でも、ミヤギ老人と同様の日系人収容所生活を経験する日系人の生活が描かれていますが、日系人たちが英語と日本語を切り替えながら話す「コード・スイッチング」と呼ばれる話し方がそのままセリフとしてでてきます。ハワイ生まれの日系人俳優Seth Sakaiとアメリカ人たちのやり取りです。

”Will you get that ball for us?”「ボールを取ってくれないか。」
”Oh, sorry. No English.”「すみません。英語わかりません。」
”Get the ball, pick it up, throw it back here.”「ボールを取って、拾い上げて、投げ返してくれよ。」
”Ano, eigo wa damedesu. kusokurae.”<0:34:05>「あのう、英語はダメです。くそくらえ。」

Seth Sakaiが演じる老人は明らかに英語が話せるのです。でも、アメリカ人のいいなりになるのがいやでわざと日本語で返事をしています。実際のコード・スイッチングは、文や単語の単位だけでなく、語幹と語尾変化の間でも見られ、詳しい研究がされています。(東 照二 「社会言語学入門」 研究社 1997)

アメリカ映画の中の日本人といえば、”Breakfast at Tiffany’s”(1961)でMickey Rooneyが演じる眼鏡に出っ歯、カメラが印象的な「ユニヨシ」がステレオタイプですが、渡辺謙やテレビドラマ”Heroes”(2006-2010)のMasi Okaの活躍で日本人がハリウッド映画で、「奇異・特異」な存在ではなく、日常的で普段の存在になってきているように思われるのです。

(参考)
- 村上由美子 「イエローフェイス」 朝日選書 1993
- 洋画・洋楽の中の変な日本人・がんばる日本人 by Mr.Yunioshi
- http://www.yunioshi.com/index.html (accessed on 30th April, 2012)


2012年05月05日

タイトル: 映画で学ぶ「コックニー」
投稿者: 田中美和子(京都ノートルダム女子大学 非常勤)

かつては粗野で無教養な印とされた「コックニー」と呼ばれる地域英語は、価値観や社会の在り方とともに変化し、新しい付加価値が与えられるようになってきました。以前、ロック歌手が意図的にコックニーで話して、あたかも労働者階級の出身のようなポーズをとっていましたし、またサッカーの花形選手が、隠そうともせずコックニーでインタヴューを受けています。近年、BBCにも標準英語を話さないアナウンサーがいるそうで、それは関西の地方局に関西弁で堂々と話すアナウンサーがいるのと、少し似ていると思います。ここでは、今でもロンドンを訪れると必ず耳にするコックニーを、昔の映画の中に見てみたいと思います。

『マイ・フェア・レディ(My Fair Lady)』(1964)は、ロンドンの街角の花売娘イライザが、ヒギンズ教授によって仕込まれてレディーになるという物語です。ヒギンズ教授は、コックニーを話すイライザに、六ヶ月で「公爵夫人として通用する英語」を身に付けさせます。では、イライザの発音矯正のため、ヒギンズ教授の授業で用いられたフレーズを、2つ取上げてみましょう。コックニーでは、[ei]の代わりに[ai]と発音します。その母音矯正の練習文です。

(1) HIGGINS: The rain in Spain stays mainly in the plain.<1:04:08> 
(ELIZA: The rine in spine sties minely in the pline.)

また、コックニーには、発音が難しい子音を、より単純な他の音に替えたり、脱落させたりする傾向があります。2つめのフレーズは、語頭の[h]の脱落を矯正するものです。イライザの台詞では、本来必要な語頭の[h]が脱落し、不必要な[h]が挿入されています。

(2) HIGGINS: In Hertford, Hereford, and Hampshire, hurricanes hardly ever happen. <1:05:03>
(ELIZA: In ’ertford, ’ereford, and ’ampshire, ’urricanes ’ardly hever ’appen.)

イライザは、息の出方をバーナーの炎の揺れで、口の形を鏡にうつして確認し、何度も反復練習をします。そして最後には、美しい英語を身につけ幸せになることが暗示されます。

方言とは面白いものだと思います。関西弁では、ペットショップの前の会話で、「あれ、ちゃうちゃうちゃう?」「え~、ちゃうちゃうちゃうんちゃう?」というのがありますが、関西出身の方は、意味がおわかりですよね。


2012年04月02日

タイトル: コメディー映画のツッコミどころ
投稿者: 成田修司(京都外国語大学他 非常勤)

アメリカのコメディー映画にはその非現実性に目を見張るものが沢山あります。もっと平たく言うと、よくぞここまで馬鹿馬鹿しい映画を作るものです。例えば『僕らのミライへ逆回転』(2008)は、レンタルビデオ店が商品のビデオを誤って全部消してしまったために、店員が自分で映画を取り直すという、いわゆる「ありえねー」設定になっています。その中でもアルファベットの特質を活かした笑いの取り方を見てみましょう。

店主のフレッチャーは留守の間、従業員のマイクに店を託します。出発の日に駅まで見送りに来たマイクに彼は、(友人の)「ジェリーを店に入れるな」と忠告するタイミングを逃します。思い出したのは列車が走り出してからです。ドア越しに声は伝わらないとわかると、水滴で曇っている窓ガラスに指でこう書きます。

KEEP JERRY OUT <0:11:25> 

ところがホームのマイクはガラスの反対側から普通に読もうとしています。我々観客のツッコミどころはここです。この場合逆方向に読まなければいけない事に、マイクが気づかないはずありません。店に戻ったマイクはフレッチャーの文字を紙に何枚も書き出しますが、PEEK YOUR EDGE TUO(お前の端も覗け)<0:11:38>等、ナンセンスな解読しかで
きません。(字幕は先に出た「ジェリー立ち入り禁止」をもじって、「リージェ・イリタ・キンタ」となっています)結局マイクは解読に失敗し、「フレッチャーは字が書けない」という結論に達します。なんでやねん!

その夜マイクとジェリーは発電所を破壊しに出かけます。フェンスにかけたハシゴを登った瞬間に警備員が巡回に来て、二人は動きを止めます。この時ツナギ服に描かれたカモフラージュの絵柄が、ハシゴ段の位置やフェンスの網目・DANGER HIGH VOLTAGEという掲示板が半分など、細部まで背景と完璧に一致します。そうです!次のツッコミどころはここです。こんなツナギを用意するには周到な下調べと、相当な手間暇が必要です。この服を用意したジェリーは「たまたま」このタイミングで見回りに見つかる事を、どうして最初から知っていたのでしょうか?

そして動きを止めている間マイクの目に「たまたま」フェンスのKEEP OUTの掲示板が入ります。そこで先程書いたメモの1枚をポケットから取り出して裏がえすと、KEEP JERRY OUT<0:15:31>と読めるではありませ んか。ここにもツッコミましょう!何で同じ単語が都合よく目の前にあるんですか?だいいち、さっき着替えた服に、どうしてこのメモが入っているんですか?しかもテキトーに何通りにも書いたのに、どうしてこの1枚はこんなに裏から読み易いんですか?それから油性ペンで書いたとして、ここまではっきり裏写りするんですか?

どうでしょうか?この映画全体に見られるこの「あり得なさ」はリアリズムの失敗ではなく、いくつ見つけられるかという観客への挑戦です。コメディー映画を語学教育の素材として見る時にセリフの表面的な意味にとらわれ過ぎて凝ったシーンを見逃す、なんてことはないようにしたいものです。実際私もこのコラムを書くため何度も見直して初めて気づいたシーンが沢山あります。ここぞという「ボケ」を見つけたら、みんなでツッコミを入れるのも映画の楽しい学習方法の一つではないでしょうか。


2012年04月02日

タイトル: ハリウッド映画で耳にするヘブライ語
投稿者: 松井夏津紀(チュラーロンコーン大学(タイ王国))

ハリウッド映画界にはユダヤ系の映画監督や俳優が多く存在します。映画やドラマでも登場人物がユダヤ系である設定はめずらしくありません(Sitcom “Friends”の主要人物6人の中でもRossとMonicaがユダヤ系という設定でした)。そのため、映画やドラマの中でユダヤ教の伝統行事であるBar mitzvah(男子が13歳になったときに行われるユダヤ教のユダヤ教の伝統行事であるBar mitzvah(男子が13歳になったときに行われるユダヤ教の成人式、女子の場合は12歳でBat mitzvahが行われる)の場面やユダヤ教の結婚式の場面が見られることもあります。欧米ではユダヤ系の人はめずらしくありませんので、自らがそうでなくても、ある程度ユダヤの文化や習慣などに馴染みがある人が多いようです。例えば、子供のころユダヤ系の友人のBar mitzvahに呼ばれたことがあるというような人もいるでしょうし、kippa(敬虔なユダヤ教徒の男性かぶる小さな帽子)をかぶっている学生を大学のキャンパスで見かけることもあるでしょう。また、クリスマスシーズンにはクリスマスではなく、Hamukkah(ハヌッカー祭)を祝うというようなユダヤ教の年中行事の存在も知っているでしょうし、humus(中東で食べられるヒヨコ豆のペースト)のような食べ物にも馴染みがあるでしょう。

登場人物にJewishが出てくる映画やドラマの中では、宗教行事の場面が出てくるだけではなく、ヘブライ語を耳にすることもあります。Bar Mitzvahやユダヤ教式の結婚式の場面で、Mazal tov! (=Mazel tov /má:zl tó:v/ Congratulationsの意)という祝いのことばを聞いたことはないでしょうか。また、乾杯のときのLehaim! (=Lechaim /ləxá:jɪm/ Cheersの意) という表現はどうでしょうか。Sabbathのようなヘブライ語からの借用語として入ってきて変化したものではなく(ヘブライ語ではתשַׁבָּ “shabbat”)、現代ヘブライ語で使用されている語彙や表現も映画で使われていることがあります。

アダム・サンドラー主演のコメディー「エージェント・ゾーハン」You Don’t Mess with the Zohan(2008)は、主人公がイスラエルの諜報員という設定ですが、この映画ではヘブライ語の単語が混じった英語やヘブライ語風にアレンジしたことばや中東アクセント風に発音された英語が満載です。

Zohan:Danny, that looks good. You’re gonna be a hit at your bar mitzvah.〈00:02:42〉

のように、bar mitzvahのような英語の辞書でも見られる語も出てきますが、次のような完全なヘブライ語も出てきています。

Zohan:It's all b’seder. 「大丈夫だ」〈00:22:47〉

B’sederは all rightやOKという意味のヘブライ語ですが、このような簡単なヘブライ語は、「ありがとう」ということばが日本語だと認識できる欧米人がいるように、ユダヤ系の人々が身近な存在である欧米人ではb’sederがヘブライ語だと認識できる人も少なくないかもしれません。「エージェント・ゾーハン」は極端な例ですが、Jewishの文化や習慣、また英語にも入ってきているヘブライ語の多少の知識があれば、ハリウッド映画の詳細を更に楽しむことができる機会が増えるのではないでしょうか。


2012年04月02日


タイトル: 「日本語字幕翻訳と英語」
投稿者: 河野弘美(京都外国語短期大学)

『トレインスポッティング』は2008年にアカデミー監督賞を受賞したイギリス人監督ダニー・ボイルの大ヒット作品です。本作はスコットランドで破滅的な人生を送っていた若者達が方向に迷いながらも未来に向かって一歩一歩進んでいく話です。傷つきながらも成長を遂げる若者を後押しする内容のため、人生の岐路に立つイギリス人大学生の部屋には『トレインスポッティング』のポスターが今も昔もつきものです。そんな『トレインスポッティング』のオープニングを飾る主人公レントンのセリフは本作を代表するセリフで、現実逃避しながら生きている若者への強いメッセージとなっています。そのセリフを紹介しつつ、日本語字幕翻訳に隠された匠の技を2つ紹介しようと思います。

Choose life. Choose a job. Choose a career. Choose a family, choose a XXX big television, choose washing machines, cars, compact disc players, and electrical tin openers.
Choose good health, low cholesterol and dental insurance. Choose fixed-interest mortgage repayments. Choose a starter home. Choose your friends.<00:00:34>

(翻訳) 人生で何を学ぶ? 出世、家族、大型テレビ、洗濯機、車、CDプレイヤー、電動缶切り。健康、低コレステロール、医療保険、固定金利の住宅ローン、マイホーム、友達。

本作を見るたびに最初のセリフChoose life.を「人生で何を学ぶ?」とした日本語字幕翻訳家の素晴らしさに感激します。choose lifeは「人生を選ぶ」あるいは「人生は選択だ」と翻訳してしまうところですが、そこは字幕翻訳家という職業がある由縁。本作を通して「人生を理解」してゆく主人公の成長が示唆されているかのごとく意味深い翻訳になっています。
日本語字幕翻訳上のルールに1秒間4文字という一般的なルールがあります。そのルール泣かせな本作のオープニングは、短時間に多くの言葉が詰め込まれています。もちろんすべてを日本語字幕にすることは出来ません。そこで、本作ではchoose の翻訳が省かれ、a job とa career が「出世」に生まれ変わり、蔑み語と「電動缶切り」が省略され、「医療保険」の「医療」が字幕上省略されています。

上記2点以外にもまだまだ多くの字幕翻訳技術が隠されていますが、最初のわずか数十秒の間に字幕翻訳家としての腕の見せ所が多く存在する作品にであうと映画の内容以上に字幕翻訳技術も勉強でき大変得をした気分になります。


2012年03月05日

タイトル: 新しい夢物語―『魔法にかけられて』のハッピー・エンディング
投稿者: 奥村真紀(京都教育大学)

古今東西、おとぎ話は「みんな幸せに暮らしましたとさ、めでたし、めでたし」という言葉で終わります。でも、それはあくまでもおとぎ話。現実の世界は、そんなに甘くありませんよね。

美しいジゼルはおとぎの国で、一目で恋に落ちた王子様と次の朝に結婚しようと約束します。まるでおとぎ話のよう!しかし、おとぎ話の常道で、王子様には意地悪な継母がいて、彼女は魔法の井戸にジゼルを落としてしまいます。ジゼルが落ちてきたのは何と現代のニューヨーク。幸せな結婚を夢見ていたジゼルが出会う人たちは、現在のアメリカの離婚率からは当然ですが、離婚経験者や調停中のカップルばかり。ジゼルは最初、離婚と聞いて思わず泣き出してしまい、周りの人からあきれられてしまいますが、彼女の前向きな素直さや楽観主義は次第に周りの人々にいい影響を与えていきます。
一方、おとぎの国では、ジゼルを助けようとした王子様が、彼女を追いかけて井戸に飛び込んでしまいます。王子様がジゼルを見つけるかもしれないと思うと魔女はいてもたってもいられず、腹心の部下のナサニエルに、絶対に王子様にジゼルを見つけさせてはいけないと命令します。彼は次のように返事をします。

Nathaniel: He shan’t, Your Majesty! I swear it! (絶対にさせませんよ、女王様。誓います。)<0:37:23>

未来をあらわす助動詞 shall は、このように二人称・三人称を主語にすると、「私は彼(彼女、あなた)に 0させる」(否定形は「させない」)という話し手の意志をあらわす表現になります。同じ映画で、ジゼルを食べようとする怪物トロルが走っていくのを止めようとする王子様の言葉もこの使い方です。

Prince Edward: You shall not prevail, foul troll! (お前には勝たせないぞ、ずるいトロルめ!)<0:05:39>

おとぎの国でただひたすら愛を信じてきたジゼルは、現実の世界では王子様ではなく、現実主義者のロバートを愛していることに気づきます。自分の気持ちを知ったジゼルはもう、助けを待っているお姫様ではありません。魔女にさらわれたロバートのために敵に立ち向かい、彼と力を合わせて魔女をやっつける、自分の意志を持った女性になっているのです。80年以上に渡って夢物語を届けてきたディズニーは、今までのおとぎ話を適度にパロディー化しながら、このような現代の新しいヒロインを21世紀に作り出したのです。


2012年03月05日

タイトル: 映画の日本語字幕と吹き替えについて
投稿者: 佐藤弘樹(FM京都α-stationパーソナリティー・京都外国語大学 非常勤)

映画『フォレストガンプ』(1994)は、アカデミー賞の作品賞をはじめ、監督賞(ロバート・ゼメキス)、主演男優賞(トム・ハンクス)を含む6部門受賞に輝き、当時 Gumpism (フォレストガンプ的人生観)なる新語まで生まれ、本編中に何度も登場する以下の台詞は流行語になりました。

Life is like a box of chocolates. You never know what you’re going to get.
「人生はチョコレートの箱のようなもの。食べてみるまで中身はわからない」 <00:03:38 >

世の人々が、ちょうどバブル経済がはじけて、行く末を見失いかけた時にこうした映画が登場するのも単なる偶然とは思えない気もします。

さて、洋画の日本語字幕は、最初から終わりまでそれだけを読んでも内容が理解できるように作られているといわれ、必ずしも個々の英文の正確な翻訳とはいえない場面があります。この映画「フォレストガンプ」の後半で、エビ釣り漁船の船長となったフォレストをベトナム戦争時代の上官だったダン中尉が訪ねる場面が出てきます。ダン中尉はベトナムの戦場で瀕死の重傷を負いフォレストによって助け出されますが、両脚を切断し車椅子の生活を余儀なくされています。場面は船で港に戻ってきたフォレストを車椅子のダン中尉が岸で出迎えます。二人のやり取りをまずは日本語の字幕で見てみましょう。

<01:32:17>
フォレスト:「ダン小隊長! こんな所で何を!」
ダン:「海で運試しをしたくてね」
フォレスト:「脚がないのに?」

少し意味が不明瞭でしょうか。続いて日本語の吹き替えを見てみます。

フォレスト:「ダン中尉!どうしたんですか」
ダン:「いや、ちょっとデッキを歩いてみたくてね」
フォレスト:「脚がないのに歩くんですか?」

日本語字幕よりは分りやすくなりましたが、英文は以下の通りです。

Forrest : “Lieutenant Dan, What are you doing here?”
Dan : “Well, thought I’d try out my sea legs.”
Forrest : “Well, you ain’t got no legs, Lieutenant Dan.”

ここでは sea legs の訳し方がポイントになっています。sea legs は「ゆれる船内をよろけずに歩く能力」という意味から「船に慣れること」という意味です。つまりダン中尉はフォレストの船の乗組員になるために彼に会いに来たのですが、彼にはその言葉の意味がわからずlegsだけに反応してチグハグなやり取りになっているわけです。英語がわかれば映画は二倍楽しめるというわかりやすい一例でしょうか。


2012年03月05日

タイトル: インドと英文学
投稿者: 荘中孝之(京都外国語短期大学)

映画の中で詩や小説の一節が使われるのは、めずらしいことではありません。例えばピューリツァー賞にも輝いたインド系アメリカ人作家、ジュンパ・ラヒリ原作の映画『その名にちなんで』(The Namesake, 2006)には、次のような場面があります。アメリカで博士号取得を目指すインド人青年アショケとのお見合いの席で、同じくインド人のアシマは、父親に勧められて英語ができることを示すため、ある詩の一部を暗誦します。それはイギリスのロマン派詩人ウィリアム・ワーズワースの代表作、「水仙」(“The Daffodils”, 1804)の冒頭です。

I wander’d lonely as a cloud
That floats on high o’er vales and hills,
When all at once I saw a crowd,
A host of golden daffodils,〈00:08:40〉

おそらく彼女は学校で、英語や英文学の教育をしっかりと受けてきたのでしょう。しかしそこにはちょっと複雑な背景があります。

ご存知の通りインドは、20世紀半ばまで長らくイギリスの植民地でした。もちろんインド人はもともと英語が話せませんし、キリスト教徒でもありませんし、英国の風俗や習慣も知りません。そこでイギリス人は1835年、「野蛮で劣った異教徒を文明化する」ため、英語を使って英文学を学ぶことをインド人に義務付けたのです。しかしその頃、本国イギリスではまだ英文学の教育は行われていませんでした。彼ら自身が学ぶべきはギリシャやローマの古典であり、自国文学など学問に値しないと見なされていたのです。つまり英文学とは19世紀前半のインドにおいて、植民地支配の一端として誕生した学問であったのです。その後、大英帝国は人口の増大や貧困層の拡大、移民の流入といった様々な要因によってあえぐことになります。そこでようやく「イギリス生まれの野蛮人を再文明化する」ために、インドで確立した英文学がイギリスに持ち込まれることになったのです。それはインドで英文学教育が始まって以来、半世紀近く経過した頃でした。それからさらに一世紀以上たった今、映画を使って懸命に英語を学び教える我々も、また違ったかたちで植民地的構造の中に取り込まれているのでしょうか。


2012年02月07日

タイトル: need/wantの後に続く要素
投稿者: 小野隆啓(京都外国語大学)

動詞の補部(complement)、つまり目的語の位置にどのような要素が現れるかは、その動詞によって決まっています。高校の英文法で学ぶ、finishの後には動名詞(gerund)、つまり~ing形が来て、decideの後には不定詞(infinitive)が来ると習います。一般にneedやwantの後には不定詞が続くと思われていますが、~ing形が来ることがあります。しかも、単に~ing形が来るのではなく、まるで “Jane is tough to please.”「ジェーンは喜ばせるのが難しい」などの難易構文(tough-construction)のように、~ingの部分には他動詞が現れ、意味的にその目的語となる要素が、文全体の主語になるという構文があります。以下の例は、Harry Potter and the Chamber of Secretsに出てくるもので、「あの魔法の杖は取り変える必要がある」という意味です。

(1) That wand needs replacing, Mr. Weasley. <0:47:00>

主語であるthat wandはreplacingという他動詞の意味上の目的語です。まるで、replacingの目的語が移動してneedの主語になったように思わせる構文です。ですので、この構文の~ingの位置に出てくる動詞は、他動詞でなければなりません。このような構文を遡及的名詞構文(retroactive nominal)と言います。

この構文を取る動詞には、needの他に、want, use, merit, bearなどがあります。以下にその例を示します。

(2) a. My smart phone wants repairing.
  b. My room needs a thorough picking up.
  c. John could use a good looking at.
  d. These ideas merit some working on.
  e. This problem bears a good deal of thinking about.

(2b, c, d, e)などからもわかるように、この構文の~ing形は、名詞であるので、それを修飾する形容詞などが付くことができます。また、(2c, d, e)などから分かるように、前置詞の目的語が主語の位置に現れてもいいのです。難易構文とよく似た特質を持った構文です。


2012年02月07日

タイトル: 映画で学ぶ「隣接応答ペア」
投稿者: 横山仁視(京都女子大学)

英語の会話力を身につけたいと考えている学習者にとって映画のセリフは、コミュニケーション能力育成のための格好の材料と言えます。今回は、「隣接応答ペア(adjacency pair)」に着目してみましょう。これは対話を成立させている組合せの最小単位を表し、一般的に連続(隣接)して起こる一対の対話のことを指します。

映画のセリフを見ていると、私たちが中学・高校で学習した形式的な応答の仕方とは異なった表現に出会うことがよくあります。実際のコミュニケーションのやり取りにおいては、必ずしも私たちが学校で習った言い回しが使用されるとは限りません。逆の見方をすれば、相手の表現に対してこういう返答もあるのだという表現の豊かさを映画のセリフは教えてくれます。つまり、対話を成立させるための術(バリエーション)が隠されているのです。次の『ユー・ガット・メール』(1998)の台詞(1)(2)(3)のA-Bは一対のペアであり、対話の最小単位を作っています。

(1) A: My dad gets me all the books I want.(欲しい本はパパが全て買ってくれるの)
  B: Well, that’s very nice of him.(優しいパパね) <00:25:30>
(2) A: Do you still want to meet me?(今でも私に会ってみたいと思ってる?)
  B: I would love to meet you. Where? When?(ぜひ会いたいよ。それで、どこで、いつ?)<00:57:55>
(3) A: And I’m so honored that you’d want to be with me because you would never be with anyone who wasn’t truly worthy.(こんな僕を選んで付き合ってくれて光栄に思う。だって君はつまらない人間は相手にしない人だから)
  B: I feel exactly the same way.(そんな、私のほうこそ光栄に思ってる)<01:20:55>

AとBの話者が隣接応答ペアのルールを守りながら、会話が一定の方向へと進展するためにお互いが協力していることがわかります。別の見方をすれば、一定の会話が成立するには、話し手と聞き手がお互いに協力し合うことが必要であり、そこには会話が成立するために隣接応答ペアという最小単位が存在しなければならないとも言えるかもしれません。

映画のセリフを通じて、相手のセリフにはYes / Noやuh-huhだけではなく、会話が次へとつながるように、短くても文章で返答できる会話力を身につけたいですね。


2012年02月07日

タイトル: 映画『カーズ』
投稿者: 藤本幸治(京都外国語大学)
 
本作品は、うぬぼれ屋の天才レーサーが田舎町での暮らしを通して、愛や友情の大切さに気づく様を描いたアニメーション。擬人化された車のキャラクターたちが活躍します。

近年、若者に車が売れないそうですね。公共交通機関が発達した日本では当然の事かもしれません。もちろん、憧れるような車を作れないメーカーにも問題があると思います。フェラーリやポルシェは、すぐには買えなくても「いつかはきっと」という夢を持たせてくれた時代が、かつてはありました。

この映画では、レーシングカーのマックィーンですら、”Holy Porsche!! She’s gotta be from my attorney’s office.”<00:33:43> と言って、サリー(ボルシェ911 カレラ)には感嘆します。(ポルシェは日本では医者の車のイメージという日米の差を示すおもしろい台詞ですね。)サリーも劇中で自らをこう讃えます。I create feelings in others they themselves don’t understand.”<01:47:30> (they以下の節は、feelingsを修飾するのでしょうか、あるいはothersなのでしょうか?!)

子どもの頃に憧れたミニカーも大人になると、どんどんとその憧れが消え失せていきます。夢を見る事の大切さを伝えるからこそ、Disneyの映画はかくも広く、世界中の多くの人々に愛されているのだと思います。

便利さだけでは、人は幸せになれない。それと引き換えに大切な何かをあなたは失っていませんか。映画『カーズ』はそんな問いを私たちに投げかけています。

”Spero che il tuo amico si riprenda. Mi dicono che siete fantastici.”
(I hope that your friend recovers. I was told that you are fantastic)<01:46:50>

フェラーリにこう言われてはたまりませんね。Luigi と Guido のリアクションも最高です(笑)!いや~、わかるなあ、その気持ち。


2012年01月01日

タイトル: 文末焦点と句動詞の語順
投稿者: 倉田 誠(京都外国語大学)

「文末焦点の原則」とは、情報的にウェイトを持つ要素を文末に置く操作を指します。この操作は句動詞のような目的語と不変化詞(副詞)の語順が入れ替え可能な表現にも頻繁に見られるものですが、注意が必要な点もあります。
(1a)と(1b)の2つの文は学校文法では同じ意味と教えられますが、実は(1a)は文末にあるa flowerに焦点があり、(1b)は不変化詞のbackに焦点があるという意味で違いがあります。この焦点化された語句の違いにより、その前後の文の適格性に差が生じる場合も多々あります。

(1) a. Max brought back a flower. 「マックスは一輪の花を持って帰ってきた」
  b. Max brought a flower back.
(2) a. *Max brought back it.  (*は不適格な文を指す)
  b. Max brought it back.

例えば、直後に“Oh, yes, I know which one it was.”という花に言及する返答をスムースにつなげられるのは、(1a)のみとなり、不変化詞backに焦点がある(1b)につなげると違和感を残します。また(2)は花を代名詞のitに置き換えたものですが、(2a)の文が不適格なのは、文末の位置に情報価値が低いとされる代名詞のitが来ているからです。このような句動詞の文末焦点の例は、映画でも多く見られ、基本的に例文(1)と(2)同様の原則に沿っています。下記は『レインマン』“Rain Man”(1988)からのセリフです。

Charlie: It’s not important. What matters is who I’m with.「場所なんてどうでもいい。誰といるかが問題だ。」
Dr. Bruner: You have to bring him back, Mr. Babbit. Do you understand me?「バビットさん、彼を連れて帰ってきなさい。わかったかね?」<00:40:38>

太字下線の動詞(bring)+代名詞(him)+不変化詞(back)という語順が示すように、情報価値の高くない代名詞には焦点はなく、不変化詞backにあるのが理解できますね。ただし、この原則には次のような反例のように思えるものもあります。『A.I.』“Artificial Intelligence”(2001)からの動詞(bring)+不変化詞(back)+代名詞(her)という興味深い例です。

Blue Fairy: Dearest David, when you are lonely, we can bring back other people from your time in the past.「デビット、寂しい時には、過去からお母さん以外の人を甦らせてあげますね。」
David: If you can bring back other people, why can’t you bring back her?「他の人を生き返らせることができるのに、なぜママだけはダメなんだ!」<02:05:30>

上記の(2a)の例と矛盾しているようですが、文末の代名詞のher(母を指す)に並々ならぬ強勢を置いていることがわかりますので、是非DVDをご確認ください。
句動詞の文末焦点の結論としては、音声的に強勢を置くことで、通常は情報価値が低いはずの代名詞であってもその情報価値は上がり、例外的に文末焦点の位置に持ってくることができるのですね。


2012年01月01日

タイトル: son of a bitch の複数形
投稿者: 井村誠(大阪工業大学)

スウェアリング(罵り言葉)のひとつであるson of a bitchは、文字どおりには「淫乱な女(メス犬)の息子」という意味ですが、「最低な野郎」のような意味の名詞、あるいは腹立ちまぎれに「ちくしょう!」と叫ぶときの間投詞として、映画ではかなりよく耳にする言葉です。さて、この言葉の複数形はどうなるのでしょうか?次はThe Rainmaker(パラマウント1997)からの一節です。

Rudy: The insurance company made an offer to settle.
Mrs. Black: What kind of offer?
Rudy: $75,000. They figure that's what it's going to cost to pay their lawyers to defend the case.
Mrs. Black: Oh, son-of-a-bitches think that they can just buy us off huh?
Rudy: That's exactly what they think.
<00:47:43>

保険金が支払われなかったために充分な治療ができず、息子を白血病で失ったMrs. Blackは、保険会社を訴えます。弁護士のRudy(マット・ディモン)は、保険会社が示談に持ち込もうとしていることを告げますが、それに対してMrs. Blackは、「あの連中は、私達を買収できると思ってるのね」と答えます。ご覧のとおり son of a bitch の複数形は sons of a bitch でも、sons of bitches でもなく、son-of-a-bitches となっています。ひとかたまりの語句ですから、ハイフンでつなげて語尾に-sが着くわけですが、その前に不定冠詞の a があるので面白い語形になっています。(なお、同じ映画の中で sons of bitches という形も使われています。)

これに関連して面白いのが、ジョニー・ディップの出世作でもあるEdward Scissorhands(20世紀フォックス 1990)です。ハサミ(scissors)は通常複数形で用いますが、シザーハンズという名前の中では単数形になっています。複合語の中で単位が単数形で用いられることにも似ていますね(例:an 828 meter building)。

タブー語や罵り言葉の語法について興味のある方は、『英語のスウェアリング』(高増名代著 開拓社 2000)や『思考する言語(下)』(S. ピンカー著、幾島幸子・桜内篤子訳 NHKブックス 2009)などをご参照下さい。


2011年12月06日

投稿者: 藤枝善之(京都外国語大学・短期大学)
タイトル: 家族の思い チャーリーとチョコレート工場 Charlie and the Chocolate Factory(2005年)

生きていく上でお金が大切なのは言うまでもありません。最低限のお金がなければ、空腹を満たすことさえできないのですから。しかし、家族の誰かが生活のために夢を、千載一遇のチャンスをあきらめようとしていたら?自分は飢えてでも愛する者の夢を叶えさせてあげたい-それが家族の思いというものではないでしょうか。

イギリスの町はずれに住むバケット家は、絵に描いたような貧乏一家。小学生のチャーリー、父、母、二組の祖父母が、今にも倒れそうなボロ家で身を寄せ合うようにして暮らしています。夕食は一皿のキャベツスープだけという生活。育ち盛りのチャーリーは、毎日お腹が空いて仕方ありませんでした。

そんなチャーリーの何よりの楽しみは、もうすぐやってくる誕生日。この日には、お菓子作りの名人、ウィリー・ウォンカの板チョコを買ってもらえるのです。そのウォンカのチョコレート工場はこの15年間人の出入りがないのに、世界的人気商品を毎日出荷しているという不思議な工場でした。ある日、驚くべきニュースが新聞のトップを飾ります。ウォンカ氏が、謎に包まれたそのチョコレート工場に、ゴールデン・チケットを引き当てた5人の子どもを招待するというのです。世界で5枚しかないその金色のチケットは、ウォンカの板チョコの包み紙の中に隠されています。各地で次々に発表される当選者たち。しかし、年に一度しかチョコレートを買えないチャーリーがその幸運を手にする可能性は、まずありません。しかし何ということでしょう、チャーリーは最後のゴールデン・チケットを引き当てるのです!喜びに沸くバケット一家。しかし、いざチョコレート工場に行く準備をという段になって、チャーリーが言います。「やっぱり行かない。500ドルでチケットを買いたいという人がいたんだ。家にはお金が必要でしょ」一瞬、みんな黙り込んでしまいます。その時、ジョージおじいちゃんがチャーリーを傍らに呼び寄せ、おもむろに言って聞かせます。

“There’s plenty of money out there. They print more every day. But this ticket… there’s only five of them in the whole world… and that’s all there’s ever going to be. Only a dummy would give this up for something as common as money. Are you a dummy?”「お金なんてものは、世の中にたんとある。毎日印刷されとる。しかしな、このチケットは、この広い世界にたった5枚しかないんじゃ。これから印刷されることもありゃせん。お金みたいなありふれた物のためにこれを手放すなんて、バカじゃ。お前は、そのバカか?」<0:32:30>

祖父が孫に与えた励ましの言葉。貧乏の辛さをおくびにも出さず、「お金なんてありふれた物」と、毅然と言い放つところが素敵です。

本作品の原作はロアルド・ダールが1964年に発表した同名の児童小説ですが、映画では家族愛というテーマを強調する新しいエピソードが加えられています。ウィリー・ウォンカが子どもの頃、父親の愛を充分受けられなかったためにトラウマを抱えるという設定や、最後にチャーリーの手引きでウィリーが父親と和解するという話は、原作にはありません。また、今回採り上げたシーンも映画のオリジナルです。ティム・バートン監督は、この映画で理想の家族像を描きたかったのでしょう。


2011年12月06日

投稿者: 吉川裕介(佛教大学 非常勤)
タイトル: 様々な強意表現

たとえば、The children broke the vase into pieces.「子供たちが花瓶を粉々に壊した」のような文は、「行為と結果」を表し、このような構文は結果構文と呼ばれます。今回は、この構文を使って行為の甚だしさを強調する使い方を紹介します。まず、レイ・チャールズの伝記映画である『Ray/レイ』(2004)のとある場面を見てみましょう。

Billy: I’m gonna have to put some glasses before he scares somebody half to death. (サングラスをかけさせないと。客をひどく怖がらせてしまうぞ。) <00:05:55>

これは幼少期に視力を失ったレイに対するセリフです。結果を表す述語to deathは実際に死に至る解釈にならず、動詞scareの程度を強調する強意句として用いられています。普通、恐怖のあまり実際に死に至ることはまずありえません。日本語では「死ぬほどびっくりしたよ!」などの表現に相当します。様々な動詞に付けることができ、場合によっては大好きな人にI love you to death!(めっちゃ好きや!)と言うこともできます。他にも、『南極物語』(2006)に使われている強意表現で次のようなものがあります。

Jerry: Now that you scared the hell out of me, can we go home? (ホントに冷や冷やしたよ。さぁ帰ろう) <00:29:44>

このthe hell out ofという表現も強意句の一種で、本来の「地獄」という意味は擦り切れてしまっています。興味深いのは、表現規制に厳しいことで知られるディズニーの映画でもこのような一見すると下品と思われる表現が使用されていることで、このthe hell out ofという表現が日常的に使われていることを物語っていますよね。このような強意表現を意識することで、日頃の会話に一つパンチの効いたアクセントを付け加えることができるのではないでしょうか。
このような表現は『映画で学ぶ英語学』(くろしお出版)にたくさん掲載されていますので、是非ご一読下さい。


2011年12月06日

投稿者: 藤倉なおこ(京都外国語大学)
タイトル: 原作と映画 ――The Notebook, 2004(邦題:「きみに読む物語」)

映画を観た後、「原作と違う!」と思ったことはありませんか?ここで紹介する映画は、原作では自立し毅然と自分の人生の最期をまっとうした女性が、映画では夫に依存する悲劇のヒロインとして描きかえられてしまった例です。

映画、The Notebookは、2004年にアメリカで公開されヒットしました。同名の原作は米国の作家、ニコラス・スパークスのデビュー作です。小説、The Notebookは小さな町の高齢者施設に入所している80歳を超えた男性が、同じく入所している79歳の女性のもとに毎日かかさずNotebookに綴られた物語を読み聞かせに通っているというところから始まります。物語はある男女の十代からの恋愛、出会い、別れ、再会が描かれています。小説の最後で実は男性とその女性は夫婦で、物語は彼らのことを綴ったものだということが明らかになります。女性の名前はアリー、男性はノア。アリーはアルツハイマー病でノアが夫であることを忘れてしまっています。

小説のアリーは聡明で自信に満ちた有名な画家です。彼女はアルツハイマー病と診断されてからも毅然としています。夫に迷惑をかけないために施設への入所を決め、Notebookを綴りました。病気で記憶をなくしてもこの物語を読み聞かせてほしい、きっと二人のことを思い出すからとNotebookを夫に託します。しかし、映画のアリーは病気になすすべもなく、ただノアから庇護される弱い女性として描いています。

小説ではアリーの最期にノアがキスをすると アリーは“Oh, Noah … I’ve missed you.”「ノア、会えなくてさびしかったわ。」とやさしくささやき、ノアを自分の愛する夫であると認識します。Notebookを読み聞かせてくれたら、“… in some way I will realize it’s about us. And perhaps, just perhaps, we will find a way to be together again.”「二人のことだと思い出すわ。そしたらきっと、きっとまた二人が一緒になれる方法を見つけ出せるわ」と約束したとおり、アリーはノアの腕の中に戻ってきます。それは、“intelligence, confidence, strength of spirit, passion”「知性、自信、精神の強さ、情熱」のすべてを備えもったアリーが自ら手にした彼女の人生の完結でした。

しかし、映画は違います。映画のアリーは、最後までただ夫に依存する弱い妻です。そしてノアは、どこまでも“patriarchal”「家父長的」な守護者として描かれています。映画ではノアがアリーの病室を訪ねこのような会話が交わされます。

Allie: I didn’t know what to do. I was afraid you were never going to come back.
「どうしたらいいかわからなかったの。あなたがもう二度と戻ってこないかもしれないと思って怖かったわ。」
Noah: I’ll always come back. 「必ずきみのそばに戻ってくるよ。」
Allie: What’s gonna happen when I can’t remember anything anymore? What will
you do? 「何も思い出せなくなったら、どうなるのかしら。あなたはどうする?」
Noah: I’ll be here. I’ll never leave you.” 「ここにいるよ。きみを絶対に一人にしない。」

なぜこのように原作と映画は違っているのでしょうか。映画、The Notebookをヒットさせるためには、観客に最も親しみがあり、最も受け入れやすい「メロドラマ」に仕立てる必要があったのでしょう。映画でノアは守護者、アリーは恐ろしい「老い」に翻弄される美しい犠牲者です。アリーの苦しみと老いの衰えを強調し、その末路の悲惨さを女性はみんなこうなるのだとでも言うように映像で伝え、より劇的に犠牲者となるアリーを描いています。小説のように自立した高齢の女性が毅然と最期をまっとうし、夫は自らの老いにもとまどいながら彼女の傍らにいるというのでは、ヒットしないということなのでしょう。たとえそれがベストセラーであったとしても。しかし、ここで危険なのは映画製作者が意図的にアリーという女性を加工し、その過程で単純な“ageist”「高齢者差別的」 かつ “sexist”「性差別的」な女性高齢者のステレオタイプにはめ込んでいることです。こうして商業的な成功のために時に映画は、女性や老いについての人々の偏見をそのまま定着させ、広げ、存続させる役割を果たしてしまってはいないでしょうか。


2011年11月04日

投稿者: 横山仁視(京都女子大学)
タイトル: 「動き」と「方向性」を表す前置詞と副詞

前置詞や副詞が動詞の後に付くことによって、その動詞に「動き」と「方向性」を与えることがあります。特にこれらが映画のセリフや小説に使用されると、読み手や聞き手が、人や物の移動をリアルな映像としてイメージすることができます。

以下は、映画『アポロ13』(1995)のあるシーン。宇宙飛行士が月面着陸前の宇宙船内を移動している場面です。
(1) JACK: Well, folks, let’s head on down to the lunar excursion module. Follow me. Now, when we get ready to land on the moon…Fred Haise and I will float through this access tunnel…into lunar module. <00:47:30>
(それでは続いて着陸船の中を案内しましょう。こっちだよ。月面着陸の準備が整うと、フレッド・ヘイズと僕はこのトンネルを抜けて着陸船の方へ移動します。)
(2) JACK: Okay, we’ll head back up the tunnel now and back into the Odyssey. <00:48:23>
(それじゃ、そろそろトンネルを抜けて、オデッセーに戻りましょうか。)

(1)では、今いる船体(オデッセー)から浮遊してトンネルを通り、別の船体(月着陸船)へと入っていく「動き」を、また(2)はその帰り道の「動き」を表しています。この二つの台詞を聴くと、ある場所から新しい場所へ宇宙飛行士がどのように移動するのかを、リアルなイメージとして思い描くことができますね。


2011年11月03日

投稿者: 中山 麻美 (立命館大学・非常勤講師)
タイトル: 助動詞doの強調用法 

学校文法では、助動詞のdoは原形動詞(主動詞)の直前に置かれて、その主動詞の行為を強調することがあると説明され、そのようなdoは「強調のdo」と呼ばれます。しかし実際は、動詞の行為を強調するのではなく、直前に出てくる文章の否定的な意味を打ち消し、動詞の表す事実を強く主張する役割があります。

ジュリア・ロバーツ主演で実話に基づいている『エリン・ブロコビッチ』(2000)の映画に出てくる助動詞doの働きを実際に見てみましょう。離婚し、貯金も尽きかけたエリン・ブロコビッチが強引に弁護士事務所のアシスタントとして働き始めることになります。そして大企業の工場が有害物質を垂れ流しにしている事実を突き止めます。その後遺症に苦しむ住民たちに訴訟を起こすよう説得し、ついに問題の大企業と交渉の場を持ちます。訴訟に持ち込ませないように和解金を提示してくる大企業の顧問弁護士に向かって発せられたのが、以下のエリンの言葉です。

Erin: They may not be the most sophisticated people, but they do know how to divide. 
「この人たちは教養は大してない人たちかもしれないけど、割り算の仕方くらいは知ってるわよ。」<01:22:33>

その提示された金額が十分なものではなく、エリンは怒りをあらわにします。彼女は住民のことを無知だと思っている弁護士の心理をうまくつき、住民は和解額が不適切であることはお見通しだと断言します。素晴らしい交渉戦術です。つまり、この文では助動詞のdoを使い、butの前の文に含まれた否定の意味を打ち消し、事実を強く浮き立たせているのです。またこの強い肯定の意味は音声的にも現れており、助動詞のdoを文中で最も強く発音されます。この助動詞のdoを映画の中で見つけることができたら、話し手の心の動きが分かり、さらに台詞の奥行きを感じることができるでしょう。
このように学校文法ではあまり教えてくれない英語学をもっと知りたい人には、『映画で学ぶ英語学』(くろしお出版)がお勧めです。


2011年11月03日


投稿者: 中井英民(天理大学)
タイトル: 「映画、インビクタスに見るWorld Englishesの一例」

2011年10月に行われたラグビー・ワールドカップは、ニュージーランドの優勝で終わりましたが、1995年のラグビー・ワールドカップは、南アフリカで開催されました。この大会での同国の優勝を描いた感動作『インビクタス』(クリント・イーストウッド監督)では、アパルトヘイトの終焉直後に選ばれた黒人大統領のネルソン・マンデラ氏が、これまでの差別と抑圧の歴史を乗り越え、黒人に白人と団結することの大切さを訴えます。

黒人で占める国家スポーツ評議会は、アパルトヘイトの象徴だった白人中心の南ア、ラグビーチームの名前とチームカラーの廃止を決めますが、マンデラ大統領が乗り込み、見事な演説で黒人たちに怨讐を乗り越えようと説得します。

This is no time to celebrate petty revenge. This is the time to build our nation using every single brick available to us. (今は卑屈な復讐を果たす時ではない。使えるレンガはすべて利用して、我々の国家を築く時なのだ。)
<00:43:28>

さて、「国際語としての英語」の発音を研究するジェニファー・ジェンキンス氏は、「もはやアメリカやイギリスの英語を真似る必要はない」とし、英語のリズムと考えられてきた「強勢リズム」を否定し、「音節リズム」でも良いと述べています。事実World Englishesの研究では、アフリカで話されている多くの英語は「音節リズム」をとると報告されています。「インビクタス」ではこの南アフリカ英語の(少し間延びしたように聞こえる)特徴を、マンデラ大統領を演じた俳優、モーガン・フリーマンが見事に再現しています。映画を通じて様々な「世界の英語たち」にも親しんでみてください。


2011年10月07日

投稿者: 福田 京一(京都外国語大学)
タイトル: 「英詩と映画」

映画の重要な場面でしばしば詩が使われる時があります。60年代初めアメリカの高校生の愛と性を扱ったElia Kazan監督の青春映画の傑作Splendour in the Grass(『草原の輝き』1961年)では、表題にもなっています。作中、愛するBud(Warren Beatty)が級友の女性にこころ移りしたのを知ったDeanie(Natalie Wood)は授業中、物思いに沈んでいるとき、突然先生から指名されて、William Wordsworth,"Ode on Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood"の次の一節を読まされます。

"Though nothing can bring back the hour / Of splendour in the grass, of glory
in the flower;/ We will grieve not, rather find / Strength in what remains behind;"

そして、詩人は "splendour in the grass"と"glory in the flower"によって何を表現しているのか、と質問されます。Deanieは混乱しながらも、やっと次のように答えます。

"Well, I think it has some…. Well, when we're young, we look at things very
idealistically I guess, and I think Wordsworth means that…that when we grow
up… that we have to forget the ideals of youth, and find strength…"

彼女は、失恋の痛手を乗り越えねばならないというせっぱ詰まった思いをこの一節の中に読み込んだのでしょうか。だから、ここの"Strength"は、おそらく"strength to accept things as they come"と続けるつもりではなかったのでしょうか。とにかく、彼女はここで心神喪失の状態になり、それ以後精神病院で1年半を過ごすことになります。

病気が癒えた彼女が結婚を前に、Budとの気持ちを整理するために彼に会いに行きます。結婚をして、牧場で働く彼とその家族に会って何もかも納得したDeanieは、帰りの車の中で友人Hazelから,"Deanie, honey, do you think you still love him?"と尋ねられます。それに対して、彼女は何も言わず、心の中で"Though nothing can bring back…"とつぶやくのです。このラストシーンでの"Strength"は何を意味するのでしょうか。Wordsworthは生きる力とか勇気を言っているわけではありません。では、苦しみを乗り越えて、いま新たな生活に旅立つDeanieは、数年前に教室で読んだこの一語に同じ意味を見いだしていたのでしょうか。さて、皆さんはどう考えますか。

ちなみに、この映画の台本は劇作家William IngeがKazanのために書き下ろしたものです。Ingeは友人の質問のあと、詩のつぶやきではなく、次のように続けています。

  D: I don't know. He's a totally different person to me now.
  J: What do you mean?
  D: I'd always worshipped Bud like he was a god. But all this time he's been
   a man, hasn't he? Like other men all over the world, trying to get along.

私は、Kazanがこれを詩に変更して良かったと思っています。


2011年10月07日

投稿者: 三村 仁彦(関西学院大学大学院研究員、京都外国語大学・非)
タイトル: 「動画サイトで楽しむスターのインタビュー」

このコラムを楽しみにしておられる皆様には、お気に入りの俳優・女優が、少なくとも一人や二人はいらっしゃることでしょう。そういったお気に入りのスターのインタビューが、今はYouTubeなどの動画サイトで手軽に視聴することができます。出演した作品の裏話はもちろん、スクリーン上では見られない素顔を垣間見ることができ、ファンとしては嬉しいものです。

もちろん、そこで話されている英語はウィットに富むものも多く、英語学習者にとっては、生きたフレーズを学ぶうえでの有効な手段の一つと言えるでしょう。また、英語学の観点から見ても、興味深いものも少なくありません。

下記はイギリス人女優Emma Watsonが、アメリカのトークショーに出演した際の抜粋です(動画はリンク先へ)。Harry Potter作品のシリーズを通して主要キャラクターのHermione Grangerを演じている彼女は、以前アメリカの有名大学に在籍していたことがありますが、その当時に経験した、ちょっとした「言葉の壁」について話してくれています。

YouTube(http://www.youtube.com/watch?v=EtM_ILeTzQw

<0::53>
You know, I find day-to-day there are things that I'm unable to communicate. I really needed a, uh, what I would call a plaster, the other day. I was bleeding, quite heavily. And, uh, I was running around, saying, "Wait guys, please. I really need a plaster. I really need a plaster," and they just … had no idea what I was talking about. And, uh, honestly it took five or six minutes to work out that what I wanted was a Band-Aid.(斜字体は筆者)

<試訳>
そうねえ、「うまく伝えられない物事がある」って毎日思い知らされるわ。つい先日のことだけど、私がplasterって呼ぶものがすぐに必要になったの。ひどく出血してしまってね。だから走りまわって、「みんな、ちょっと待って。plasterが必要なの。plaster持ってない?」って言ったわ。でも、みんな私が何を言ってるのかさっぱりわからないの。おおげさじゃなく、私がほしいのはBand-Aidだってみんなが気づくのに5~6分かかったのよ。

アメリカ英語とイギリス英語では、音声や語彙の面で異なる部分があるという事実はよく知られています。後者については、米/英で「一階」がfirst floor/ground floorであったり、「エレベーター」がelevator/liftであったりすることが有名ですが、「バンドエイド」がBand-Aid/plasterと異なっていることはあまり知られていないのではないでしょうか。ちょっとしたことではありますが、こういった知識を、世界的なスターの口を通して学べるのは、一映画ファンとしても、一英語学習者としても刺激的で嬉しいものです。インターネットが生活の一部となっている現代では、楽しく英語を学べる手段として、このような動画サイトを利用するのもよいのではないでしょうか。

ちなみに、上記の動画では、もうひとつのエピソードが紹介されています。やや大人向けの内容になりますので、ここで詳細を明かすことは控えさせていただきますが、興味のある方はぜひリスニングにチャレンジしてみてください。

なお、こういった動画では、当然字幕などはついていないのが普通です。視聴して楽しむには、ご自身のリスニング力のみが頼りとなりますが、そこにまだ自信のない方は、よく知っている映画が話題になっているインタビューから始めてみてください。背景知識が助けとなって、聴き取りが比較的しやすくなりますよ。


2011年09月13日

投稿者: 飯田 泰弘(大阪大学大学院博士後期課程)
タイトル: 「映画で学べる様々なニックネーム」

映画の中では、特定の地域に付けられた様々なニックネームを聞くことができます。たとえばアメリカのニューヨーク市にはBig Appleという愛称があり、シカゴの場合はWindy Cityという愛称を持っています。また、ロサンゼルスはCity of Angelsとも呼ばれ、『バイオ・ハザードⅣ アフターライフ』(2010)では、壊滅状態になったロサンゼルスの街を見た主人公が "City of Angels…."<00:29:16>と嘆くシーンがあります。

ここで余談ですが、「ロサンゼルス(Los Angeles)」という名前は、スペイン語でthe angelsを表すlos angeles に由来していますので、この都市名の場合は「天使(angel)」の複数形の語尾が、特別に-esになることに注意してくださいね。ですから、数年前にアナハイムからロサンゼルスに本拠地を移したMLB球団の「ロサンゼルス・エンジェルズ(The Los Angeles Angels)」のスペルでは、都市名の方はAngeles、チーム名の方はAngelsと、語尾が異なっています。MLB中継を見るときは是非チェックしてみてください。

さて、地域だけではなく、その地域出身の人々を指すニックネームも映画では確認することができます。この種の有名なニックネームとしては、インディアナ州出身の人を指すHoosierというものがあります。このニックネームの語源には諸説あるのですが、『ザ・ホワイトハウス シーズン4 エピソード1』の会話でも確認することができます。ここでは、政府の職員であるトビーが、地元の少年にHoosierが何を意味するか尋ねています。

Toby: What's a Hoosier? 「フージャーって何のことだ?」
Tyler: A Hoosier is someone from Indiana. 「フージャーというのはインディアナ州の人のことだよ」<00:36:18>

では、国のニックネームとしてDown Underというものがありますが、これはどの国を指すかご存知でしょうか?そう、答えは南半球にあるオーストラリア(またはニュージーランド)です。しかし『アナライズ・ユー』(2002)では、イタリア系マフィア役のロバート・デ・ニーロが、 Down Underの意味がわからず、"Down under what?"「何の下?」と聞き返してしまいます<00:49:49>。

映画を見る際には、その物語がどの国や街を舞台としているかにも注目して見てみると、その地域独特の言い回しや表現を知ることができて楽しいですよ。


2011年09月13日

投稿者: 近藤 嘉宏(京都経済短期大学・非、京都成章高校・非)
タイトル: 「映画と英語と多読」

知的障害のため7歳程度の知能しか持たない父親のSamが一人娘のLucyにベッドで物語を読み聞かせている場面 (I am Sam. 00:18:05) 。

Sam: And I will eat them here and there. I will eat them anywhere. I do so…I do so like green eggs and ham. Thank you, thank you, Sam-I-am.
Sam: One more time?
Lucy: Yeah.
Sam: Okay. Green Eggs and Ham by Dr. Seuss. And I will eat them here and there. I will eat them anywhere. I do so…I do so like green eggs and ham. Thank you, thank you, Sam-I-am. One more time?
Lucy: Daddy, it's my first day of school tomorrow. I don't want to be too sleepy.

読む力を上げるのに効果がある方法の一つに、多読(extensive reading)がある。この場面で取り上げられているGreen Eggs and Ham by Dr. Seuss も有名なリーディング入門用の絵本である。Lucy の父親思いの性格が、この場面から見て取れる。

この場面のすぐ後で、少しレベルの高い本を読み聞かせようとするが、Samには難しすぎて読めない場面がある。私たちも自分のレベルにぴったり合った、または自分のレベルよりも少し上のレベルの本に挑戦し続けることが、練習を続けていく秘訣だと分かる。この場面でも、Lucyの父親思いの優しい気持ちに触れることができるので、ぜひ自分で確かめてほしい。

映画を観て面白いと思ったら、そのシナリオを読んでみよう。いっそう面白さが倍増することだろう。スクリーンプレイ社から多くのシナリオが詳しい解説付きで出版されている。 そのシナリオが少し難しいと感じたら、多読用のgraded readerを読んでみよう。初級レベルから段階的に様々な種類のものが発行されている。Rain Man(Penguin Readers Level 3 1200 headwords)やTitanic!(Level 3)などいろいろな映画のリライト版が出版されている。映画が好きになり同時に英語力も向上し、一石二鳥である。それでもまだ少し歯がたたないと感じる人には、Just like a movie(Cambridge English Readers Level 1)、Does he love me?(Foundations Reading Library 300 headwords)、Goodbye, Mr Hollywood(Oxford Bookworms Library Stage 1)がお薦め。このレベル1やStarterレベルの��にとても面白いものをたくさん見つけることができる。


2011年09月12日

投稿者: 北本 晃治(帝塚山大学)
タイトル: 「『レオン』における"No women, no kids."を巡って」

映画『レオン』(1994)では、タイトルそのものとなっている主人公のレオン(ジャン・レノ)は、迅速、確実に仕事をこなすニューヨークで一番の「殺し屋」です。現場に登場すると、彼は開口一番、"No women, no kids."と高らかに宣言して、何らかの人間関係の泥にまみれた野郎どもを、あっという間に次々と射殺して、さっさと姿をくらましてしまいます。そのスピードと迫力に私たちは思わず息を呑んで引き込まれてしまうのですが、 この"No women, no kids."というのは、レオンの職業上の倫理コードで、女子供に対する殺しの依頼は受けないし、現場でも絶対に殺さないという意味の宣言となっています。この言葉は、「殺し」という非情の世界にありながら、レオンの心根の優しさを示すもので、どのような依頼でも受ける普通の殺し屋とは一線を画すものであることを意味しています。

さて、ここまでが映画の中で表面から見える"No women, no kids."の意味なのですが、ここに隠された意味を探ってみましょう。

この映画の主要な登場人物は、レオンの他にあと3人います。それは、飲食店を装いながら、レオンに殺しの仲介を行っているトニー(ダニー・アイエロ)。家族を皆殺しにされて、レオンのアパートに助けを求めてやって来る少女マチルダ(ナタリー・ポートマン)。麻薬捜査官でありながら実は麻薬中毒者で、マチルダの家族を平気で殺すなど、職権を乱用して甘い汁を吸っているスタンスフィールド(ゲイリー・オールドマン)です。

レオンは成り行き上、偶然マチルダを助け、奇妙な共同生活に入っていきます。そして、レオンが殺し屋だと知ったマチルダからの「(依頼されれば)誰でも殺すのか?」との質問に、"No women, no kids. That's the rules." <00:37:40>と答えています。ここではそれ以上の詳しい説明はありませんが、この言葉は映画の展開を考える上で大変重要な鍵となっています。

それは、"No women, no kids."「女子供は殺さない、関わらない」というモットーで仕事をしてきたレオンのもとを訪れたのが、正に、「女でかつ子供」のマチルダだったからです。そしてその結果、レオンは直観的に敬遠していた麻薬捜査官のスタンスフィールドと関わりを持つことになり、自らの命と引き換えに、マチルダの願い(家族の仇を討つ)を実行することになります。

ここでレオンとスタンスフィールドのそれぞれの特徴について見てみましょう。

(レオン)
1.悪の組織(殺し屋)の中の善人
2.女、子供(未来の命の可能性)は殺さない。
3.ミルク(母子一体感、全能感の象徴:体を養う液体)を飲む。
4.トニー(殺しの仲介人)に利用されている
5.マチルダに愛されている
6.スタンスフィールドに殺される

(スタンスフィールド)
1.善の組織(警察)の中の悪人
2.女、子供でも、命乞いする者を殺すことに悦びを覚える。
3.麻薬(母子一体感、全能感の象徴:体を蝕む粉末)を飲む。
4.トニー(殺しの仲介人)を利用している
5.マチルダに憎まれている
6.レオンに殺される

どうでしょうか?まるで陰陽の大極図のように、両者が全く正反対の相対する存在であることが分かるでしょう。

レオンにとっての"No women, no kids."とは、職業上の倫理コードであるのと同時に、「女」で象徴される感情の世界と、「子供」で象徴される未来の明るい可能性とは関わらないことで、非情の殺し屋の世界で生きていくための「安全弁」ともなっていたのですね。「感情」に流されたり、「未来の明るい可能性」を夢見ていたのでは、決して勤まらない「仕事」だというわけです。この映画の面白いところは、その避けて通ってきたものが、まるでベートーベンの「運命」のように、マチルダとなってあちらからノックして舞い戻ってきたこと。そしてその結果、自らの影であるスタンスフィールドとの出会いが必然のものとなったというところにあるように思います。レオンはそのことで、これまでのような、直観的に可能な仕事のみを選択しクールに立ち回る有能な殺し屋ではいられなくなり、「他者の死」と「自らの死」が重なり合う究極の危機へと追い込まれていってしまいます。悲しい結末ではありますが、孤独のなかで暮らしていたレオンにとって、自分の命よりも大切な愛すべき存在を見つけられたことは、何よりの救いであったことでしょう。

皆さんもこの映画を通して、これまで当たり前として考慮することのなかった自らのコード(取り決め)や、不意に自分の人生に働きかけてくる人や物事の隠された意味について、改めてじっくりと考えてみられてはいかがでしょうか。

尚、この映画の関連事項を『元気がでる! 映画の英語 ~この台詞で人生が変わる~』(藤枝善之編著、近代映画社、2009年)にも書いておりますので、よろしければ、そちらの方も合わせてご一読下さい。


2011年08月13日

投稿者: 平井 大輔(近畿大学)
タイトル: 「動詞の用法を変える接頭辞out」

"The Hours"『めぐりあう時間たち』(2002)に、以下のような表現が出てきます。

Laura: It's a terrible thing, Miss Vaughan, to outlive your whole family.
(ヴォーンさん、家族に先立たれるのって、辛いものですよ。)

このセリフの中で、outliveという動詞が使われています。この単語を分解して見ると、その面白さが分かります。outliveは、2つの部分に分解することができます。すなわち接頭辞の"out"と元来の動詞"live"です。皆さんご存知の通り、liveは本来そのあとに直接目的語を取らない自動詞です。だから、

*She lived her mother.

という英語は文法的ではありません。しかし、接頭辞outを自動詞liveに付けることによって、自動詞が他動詞化され、outlive ~は「~よりも長く生きる」という意味になるのです。

このoutは、非常に比較的生産性が高く様々な自動詞につけることができます。他にも、"Stand by Me"『スタンド・バイ・ミー』(1986)にも同様の例がみられます。

Gordie: You only outweigh him by 500 pounds, fat ass!" <00:29:00>
(お前は、アイツより500ポンド太っているだけじゃないか、このデブ。)

outがweighに付いて「~よりも重さがある」という意味になっていますね。


2011年8月5日

投稿者: 井村 誠(大阪工業大学)
タイトル: 「Phatic Communion(交話機能)」(GRAN TORINO 2008)

親しい間柄での挨拶や、軽妙な会話のやりとりは、しばしば字句どおりの意味を失って、もっぱらお互いの関係がつながっていることを確認する働きを担っていることがあります。人類学者のマリノフスキー(Bronislaw Kasper Malinowski 1884-1942)は、このようなことばの儀礼的あるいは社交的使用をphatic communion(交話機能)と名付けました。

グラン・トリノ(ワーナー 2008)でWalt(クリント・イーストウッド)が、馴染みの散髪屋で髪を切ってもらった後に、主人のMartinと交わす会話はこんな具合です。

Martin: There. You finally look like a human being again. You shouldn't wait so long between haircuts, you cheap son of a bitch.(ほーら、ようやくまた人らしく見えるようになったろ。あんまり間を空けんなよ、このドケチ野郎。)
Walt: Yeah. Well, I'm surprised you're still around. I was always hoping you die off and they'd get somebody in here who knew what the hell they were doing. Instead you just keep hanging around like the doo-wop dago you are.(ああ、しかしおめぇもよくまだ生きてんな。早ぇとこくたばっちまって、誰かもうちーとまともに仕事ができる奴が替わってくれりゃいいのによ、まったく。いつもぶらぶらしやがって、このイカれたラテン野郎。)
Martin: That'll be ten bucks, Walt.(お代は10ドルだ、ウォルト。)
Walt: Ten bucks. Jesus Christ, Martin. What are you, half Jew or something? You keep raising the prices all the time.(10ドルだと?おったまげたな、マーチン。いったい何モンだ?ユダヤ人のなりそこないか?いっつも値上げばっかりしやがって。)
Martin: It's been ten bucks for the last five years, you hard-nosed, Polack son of a bitch.(5年間ずっとかわってねぇよ、この石頭のポーランド野郎。)
Walt: Yeah, well, keep the change.(まぁいいや、釣りはとっとけ。)
Martin: See you in three weeks, prick.(3週間後にまたな、おたんこなす。)
Walt: Not if I see you first, dipshit.(気が向いたら来てやるよ、クソガキ。)
Martin: (chuckles)(クスクス笑う)
DVD Time <00:30:56>~<00:31:36>

言葉は悪くても、二人が互いに信頼し合っていることが伝わってきます。この映画には、他にもスウェアリング(罵り言葉のスラング)や、移民に対する侮蔑的呼称がたくさん出てきます。移民の国アメリカを理解するには、必見。


2011年08月05日

投稿者: 松田 早恵(摂南大学)
タイトル: 「運命の人―Twilightシリーズの中の刻印」

かつて、ある芸能人が発した「会った瞬間ビビビッときた」という言葉が流行語になったことがありますが、4巻からなる「トワイライト・サーガ」シリーズの3作目『エクリプス』(2008)にはさらに強い「運命のビビビッ」が出てきます。それが、"imprint"(刻印)と呼ばれるもので、人狼(shape-shifter)であるジェイコブ・ブラックが原作では次のように説明しています。

It's not like love at first sight, really. It's more like... gravity moves... suddenly. It's not the earth holding you here anymore, she does.... You become whatever she needs you to be, whether that's a protector, or a lover, or a friend. Stephenie Meyer (2008) Eclipse Chapter 8, p.176
(一目惚れとは違うんだ。突然引力がシフトするというか・・・地球にではなくて彼女に引っ張られる。自分は、保護者だろうが、恋人だろうが、友達だろうが、彼女が求める通りのものになる。)

一方、映画『エクリプス/トワイライト・サーガ』(2011)では、以下のようなセリフになっています。

Jacob: Imprinting on someone is like... like when you see her, everything changes. All of a sudden, it's not gravity holding you to the planet. It's her. Nothing else matters. You would do anything, be anything for her. <00:22:45>
(誰かにインプリントするっていうのは、彼女を見た瞬間に全てが変るっていうことなんだ。突然、引力にではなく彼女に繋ぎとめられる。他のことはどうでもよくなる。彼女のためなら何でもするし、何にでもなれる。)

ある種、動物的本能とも言える(狼なので当然か・・・)この「ビビビッ」とその後の無償の愛(selfless love)、永遠なる忠誠(eternal loyalty)を皆さんはどう思われますか?

最終的に、ジェイコブは誰に"imprint"するのでしょうか?最終章の『ブレーキング・ドーン』は、『ハリーポッターと死の秘宝』のように前編・後編に分けて公開されるようです(日本公開は未定)。それまでに結末がお知りになりたい方は、是非Breaking Dawn (Stephenie Meyer, 2010)をお読みください。


2011年07月19日

投稿者: クレイグ・スミス(京都外国語大学)
タイトル: "Shane and Non-Verbal Communication: creating a place for reflection"

The film Shane is a monumental Western movie in many ways. The script was a wonderful tool for Shane's actors. It is true that the words of the script are very important, but it is much more than the words of Shane which capture the hearts and minds of its viewers. We do not say we 'listen' to films; we say that we 'watch' films. The words are brought to life not only by the actors' speaking skills but also by their expressive body language, one type of non-verbal communication. The sets, the lighting, the costumes, the camera work, and the ways scenes are planned by scriptwriters and directors are among the many aspects of non-verbal communication which help us understand film stories. There is a well-known actors' maxim: 'Don't just say it. Show it.'

Joey, the young son of a farming couple, is the principal observer of Shane. Joey is our representative and we watch the film through his eyes. Indeed, in every scene observers are present on the sidelines but we are always especially aware of Joey, a child in the midst of learning some very important lessons about his society. He listens to the words of the adults but most importantly he watches carefully, and critically, every detail of what they do. Indeed, Shane, to an unusual degree, is energized by observation, and thus, the film's non-verbal communication is rich.

The first and last scenes frame the film's message with Shane's arrival and departure in a similar setting and in a similar manner. The Teton Mountains that the telephoto camera lens bring in close and high above the actors symbolize the permanence and power of the natural world and man's temporary fragile presence. However, our main interest is in our own place in the world and Joey dominates both scenes as Shane's interactive observer.

In the first scene Joey's father, Joey's mother, and Joey who calls attention to Shane, all silently watch Shane's long slow arrival. The parents' domestic tasks and dress, typical of their farming roles, contrast with Shane's apparently aimless travel on the open range and his cowboy clothing. Shane's life style is highlighted when we see him framed by the antlers of a deer. There is a suggestion that although he may be free for the time being, he is a hunted man.

Shane greets Joey by pointing out the central, not marginal, and active, not passive, role of Joey as observer.

Shane: Hello boy. You were watching me down there for quite a spell, weren't ya?
Joey: Yes, I was.
Shane: You know, I like a man who watches things going around. It means he'll make his mark some day.

As Shane says, Joey's understanding of his society does grow and the last scene is more about Joey than Shane. As Shane rides away, probably seriously injured, into the mountains, Joey's face fills the screen and Shane confirms Joey's personal growth and his readiness to take part in his family's life as well as his parents' need for Joey's support:

Shane: You go home to your mother and father and grow up to be strong and straight. And, Joey... take care of them, both of them.

Shane seems to be saying that he will never return because his help as a sort of unofficial policeman will no longer be needed. In a regulated society it is clear that policemen only use their guns in a very controlled manner to protect society. Shane's role as a gunslinger is not as clear. In response to Joey's admiration of his skill and achievements with his gun, Shane makes an ambiguous comment:

Shane: A gun is as good or as bad as the man using it.

This meaning of this statement is shown in non-verbal terms in the climatic shoot-out scene. The actors Alan Ladd and Jack Palance who play the two gunslingers, look so similar that they appear to be two aspects of a single character. Indeed, they seem more like brothers than enemies. They are dressed in similar fashion, and they move in similar ways with almost identical timing and skill. At first, it is not even clear which man wins the gunfight.

Moral ambiguity defines their roles as killers. Shane may be a reluctant killer but the killing has gravely wounded his own spirit and he has sacrificed the chance to have a family life like Joey's. Both men are strong silent cowboys who do not talk of their past, nor of their future. They are men of few words with gravelly voices, who rely mainly on non-verbal communication. By revealing in words no more than the slightest suggestions of their feelings, we can see in their actions the essence of their manliness.

Shane is a movie that does not just happen to its viewers in the way a roller coaster ride happens to its passengers.
Shane provides an opportunity for its audience to participate in the making of its meaning. Non-verbal communication sets the slow thoughtful pace of the film in its scenes which are like portraits of the society it describes.

Watching Shane with its quietness and opportunities for sustained concentration gives us time to reflect on important aspects of life. We are distracted, and at times overwhelmed, by some films which have more information than we can take in comfortably. It seems socially useful to immerse ourselves in a movie like Shane that allows us enough space and time for reflection.

Shane creates a place of stillness in its non-verbal communication that encourages its audiences to think seriously about making responsible decisions in a world that sometimes seems scary and unmanageable.


2011年07月03日

投稿者: 倉田 誠(京都外国語大学)
タイトル: 「映画における性差撤廃の表現」

世界各国で差別のない言語表現(political correctness: PC)に変えようという動きが活発になってきています。英語の性差に関する表現もその一つであり、初期は男女に別々の職業名を与える、ジェンダーフェアーな表現方法(例:chairman⇒chairman & chairwoman)に治まろうとしました。しかし後に、男女に関係なく使える、ジェンダーフリーな表現方法(例:chairman⇒chairman & chairwoman⇒chairperson or chair)に移行させようという動きになり、現在もマスメディアを巻き込んだ言語工作が行われています。そのような表現方法の移り変わりに関する興味深い一例が、"13 Going on 30"『13 LOVE 30 サーティンラブサーティ』(2004)という映画に観られます。ジェンダーフェアーな職業名を使って、マットが彼女であるウェンディーを知人に紹介しようとすると、ウェンディーが間髪入れず、ジェンダーフリーな職業名でマットの表現を訂正しているシーンです。

Matt: Wendy's an anchorwoman.「ウェンディーはアンカーウーマンなんだ。」
Wendy: Anchorperson. I do the weather for WWEN in Chicago.「アンカーパーソンって言ってよ。私、シカゴのWWENでお天気コーナーを取り仕切っているの。」<00:45:03>

ご存じの通り、アメリカを筆頭に英語圏の国々では20世紀後半から性差別を廃し、男女の平等性を職業名に反映させる努力を始めました。しかし、英語の場合は一筋縄ではいかない場合も少なからずありました。というのは、英語の職業名の多くは-manという男性を表しているように見える接尾辞(例:anchorman、businessman、cameraman、chairman、congressman、policeman、etc)を伴っていたからです。語源的には、この-manは男性の意味ではなく、「人間の総称」として用いられていたのですが、社会からの反発は強く、ジェンダーフリーな表現にするために、-personや他の形式(例: policeman→police officer, fireman→fire fighter, cameraman→photographer)への変更を余儀なくされてきました。そんな一例が"Random Hearts"『ランダムハーツ』(1999)という映画に観られます。国会議員であるケイが脅迫してきている相手に釘を刺そうとするシーンでのセリフですが、表現がcongressmanやcongresswomanではありません。また中立的と思われがちなcongresspersonでもなく、他に類を見ないa member of Congressというジェンダーフリーな表現方法です。

Kay: Do you know what happens when a member of Congress accuses you of harassment?
「国会議員が嫌がらせ行為であなたを訴えたら、どういうことになるか分かっているの?」<01:01:50>

実は、この『ランダムハーツ』には、このジェンダーフリーなa member of Congress以外にも、ジェンダーフェアーなa congresswomanも<00:31:51>で出てきます。社会言語学的な性差の表現にご関心がある方はご覧ください。

このような英語学の諸分野に関する実例が『映画で学ぶ英語学』(くろしお出版)には、満載です。またこの本は『英語教育』(大修館書店)9月号の書評コーナーでも扱われる予定です。乞う、ご期待!


2011年07月03日

投稿者: 山本 五郎(広島大学)
タイトル: 「映画で語彙学習」

映画を観ていると「ん?今のなんて言った?」ということがよくあります。そんな時は英語の音声特徴や語彙表現などを学ぶ絶好のチャンス。気にせずにストーリー全体を楽しむのも大切ですが、時には集中して英語力を伸ばしたいものです。今回は語彙に注目してセリフを2つ選んでみました。どちらの表現もさらっと分かればかなりの実力です。

Arthur: Son, we done here, so why don't you go find your mommy, a'ight?(もうここはこれで終わりだ、ママを探しに行ったらどうだ、わかったか?)
Evan: I don't know where she is.(どこにいるか分からないんだ)
Arthur: Good, that's just great.(よし、そりゃよかった)
Uh, cops show up around six. Tell them you're AWOL.(6時ごろ警察が見回りにくる。AWOLだって言っとけ)
They'll send you back where you come from.(警察が来たところへおまえを連れ戻してくれるよ)
---August Rush(2007)『奇跡のシンフォニー』<Ch.9. 00:30:43>

もう一つ見てみましょう。

Fairy Godmother: You'd better have a good reason for dragging us down here, Harold.(ちゃんとした理由があってこんなところに呼び出したんでしょうね、ハロルド)
King: Well, I'm afraid Fiona isn't really warming up to Prince Charming.(申し訳ないんだが、フィオナはチャーミング王子のことはあまり乗り気じゃないようだ)
Prince Charming: FYI, not my fault.(FYI、僕のせいじゃないよ)
Fairy Godmother: No, of course it's not, dear.(もちろん、そうじゃないわ)
---Shrek 2(2004)『シュレック2』<Ch.13. 01:02:11>

AWOL(エイウォル)とFYI(エフ ワイ アイ)の意味はとれたでしょうか。AWOLは、「無断欠席、無断外出」を意味し、もとはabsent without leaveからできた単語です。Be動詞+AWOLやgo+AWOLのような形で使います。FYIは、「ご参考までに」という意味で、もとはfor your informationです。セリフの例にもあるように通例文頭で使います。

これらのように、構成する単語のかしら文字を並べて作った単語のことを頭字語と呼びます。英語では、AWOLのように一つの単語として発音するものをacronym(アクロニム)、FYIのように各アルファベットを一つずつ読むものをinitialism(イニシャリズム)と呼びます。

頭字語は別段珍しいものではなく、scuba(スキューバ)、radar(レーダー)、laser(レーザー)などもアクロニムです。DVD、CDなどのイニシャリズム は日本語にも浸透していますね。それぞれどんな単語から構成されていてどういう意味を持つのか興味がある方は英和辞書で調べてみてください。

ちなみに、もともと頭字語ではないのに後付けで単語を集めて頭字語のような意味を持たせたものを、作り方が逆ということでbackronym(バックロニム)と呼ぶことがあります。例えば、自動車メーカーのFord社は創設者であるヘンリー・フォードの名前からついていますが、これに'First on Race Day (レースの日は一番)'や'Fix or Repair Daily(毎日修理)'のような単語を当てはめるものです。

映画のセリフで聞き慣れない単語はひょっとしたら頭字語表現なのかもしれませんね。セリフの中でどのような頭字語が使われているのかもう少し見てみたい方は、『映画で学ぶ英語学』(倉田誠編・くろしお出版)をご一読下さい。


2011年06月05日

投稿者: 石川 弓子(大阪大学)
タイトル: 「副詞と比較級が同時に表れる文」

比較級を作る時は、動詞の語尾に-erをつけます。例えばsmartの場合、(1a)のようにsmarterになることは中学校で習いますね。比較級にしたい語が長い時は、(1b)のように、その語の直前にmoreを挿入することもまた、中学校で習うことです。

(1) a. John is smarter than Bill.
  b. John is more intelligent than Bill.

では、下記の(2)の文を比較級にする時はどうすれば良いでしょうか?

(2) John is amazingly smart.

答えは2通りあります。1つ目は「賢さ」を比較する方法で、(3a)のようにsmartに-erをつけます。もう1つは「驚くべき賢さ」を比較する方法です。この場合、 (3b)のようにamazingly smartを1つのまとまりとみなし、intelligentの場合と同様に、前にmoreを挿入します。

(3) a. John is amazingly smarter than Bill. (驚くほどに、ジョンはビルに賢さで勝っている。)
  b. John is more amazingly smart than Bill. (ビルも驚くほど賢いが、ジョンはそれ以上に驚くほど賢い。)

また、(3a)はジョンの方が賢いことしか述べておらず、ビルが賢いか否かは分かりませんが、(3b)は、和訳が示すように、両者が驚くほど賢いという意味を含んでいます。

では、次のセリフは(5a)、(5b)のどちらを意味するか考えてみましょう。

(4) Harry Potter and the Goblet of the Fire 『ハリーポッターと炎のゴブレット』(2005) <00:40:17>
  Rita: So tell me, Harry,… about to compete against three students,... vastly more emotionally mature than yourself... (セリフが長いため一部省略)「ねぇ、ハリー、自分よりずっと情緒的に成熟している3人の(年上の)生徒と競争することについて、どう思っているのか話してよ。」

(5) a. 情緒的面では、ハリーよりも競争相手の成熟度が勝っている。
  b. ハリーも情緒的に成熟しているが、競争相手の方が情緒的な成熟度が勝っている。

emotionally matureにmoreが付いているので、答えは(5b)です。emotionally maturer(またはemotionally more mature)であれば、(5a)の意味になります。ハリーは過酷な経験を通じて、同級生よ��も情緒的に成熟していると思われるので、ハリーと競争相手の双方が情緒的に成熟しているという意味を含む表現がしっくりきます。

では、次のセリフは何を比較しているのでしょうか?

(6) G.I. JANE 『G.I.ジェーン』(1997) <00:03:07>
Reporter: And what about those that say women aren't suited for all jobs, they're physically weaker?
「女性が(軍の)仕事に向いていないと言われているのは、身体的に(男性よりも)弱いから ですか?」

weakが比較級になっているので、「弱さ」を比較しています。このセリフは裏を返すと「男性は身体的に頑強なので、その仕事に向いていると考えられている」ことを意味しているため、「(女性だけではなく)男性も身体的に弱い」という意味を含むmore physically weakに置き換えると、矛盾が生じます。

このように、比較級と副詞が同時に表れている文を解釈する時は、注意が必要です。このような言葉の謎に興味を持たれた方は、是非『映画で学ぶ英語学』(倉田誠編・くろしお出版)をご一読下さい。


2011年06月05日

投稿者: 田中 美和子(京都ノートルダム女子大学・非)
タイトル: 「名詞から動詞への転移」

英語の名詞由来の動詞(denominative verb)は、名詞がその形のまま動詞として用いられます。このように、名詞が形を変えずに動詞に転換するという現象は、他の言語にはあまり見られない英語の特徴だと言えるでしょう。

例えば、telephone (=give a call)「電話をする」、fax (=send a fax)「ファックスを送る」、email(=send an email)「メールをする」、また最近ではGoogle(=search for information on Google)やFacebook(=contact on Facebook)も動詞として使われるようになりました。
これらの表現は映画の台詞にも見られます。『メイド・イン・マンハッタン(Maid in Manhattan)』(2002)と『40男のバージンロード(I Love You, Man)』(2009)から、見てみましょう。

Ty: Why did they break up? (なぜ別れたの?)
Marisa: Who? (だれが?)
Ty: Simon and Garfunkel. (サイモンとガーファンクルだよ。)
Marisa: You got me. You can google it at school. (さあね。学校でネット検索してみたら。)
--- Maid in Manhattan : <00:03:18>

これは、マリサが息子のタイを学校へ送っていきながら、親子で交わす会話です。ここからは、小学生たちが日常的にインターネットで調べ物をしていることもわかります。

次は、留守録を再生させる場面です。仕事関係のメッセージの中に混ざって、友人からの個人的なメッセージが流れます。

Tag: Best of luck with Sydney, if you're not still together, you can Facebook me. (シドニーとお幸せに。もし別れたら、僕にフェイスブックで連絡して。)--- I Love You, Man : <01:31:14>

フェイスブック(Facebook)はソーシャル・ネットワーキング・システム(SNS)の1つで、実名を使って交流するという特徴があります。

そして今、京都市環境政策局では"DO YOU KYOTO?"を合言葉に、エコ活動の輪を広げていくプロジェクトを行っています。KYOTOが、京都議定書に因み、「環境にいいことをする」という意味の動詞として用いられているのがわかりますね。


2011年06月05日

投稿者: 横山 仁視(京都女子大学)
タイトル: 「話し手の視点と和訳」

映画『ユー・ガット・メール』(1998)に次の対話があります。イタリック体の箇所はどんな和訳が考えられるでしょうか。

ウェイター:  Can I get you something?
キャスリーン: No, no. He's not staying.
ジョー:  Mochaccino, decaf, nonfat.
キャスリーン: No, no. You are not staying.
ジョー:  I'll stay here until your friend gets here. Gee, is he late? <01:01:55>

ジョー(トム・ハンクス)とキャスリーン(メグ・ライアン)はインターネットのチャッ���������知り合います。ジョーのハンドルネームはNY152で、キャスリーンはa shop girl。ジョーは全米チェーンのFox書店を経営する社長の御曹司。一方、キャスリーンは親の代から続く街角にある小さな書店の店主です。お互いに同棲相手がいますが、チャットを通じて恋に落ちて行きます。そして、お互いに会ったことのない二人はとうとう喫茶店で待ち合わせをすることになります。上記の対話は、ジョーがキャスリーンにバッタリ出会ったふりをし、空いている席に座ろうとするシーンです。

文法的にも語彙的にも何も難しいものはありません。ここで考えて欲しいのは次の3点です。
①主語、つまり、誰が誰に言っているセリフなのか。
②話し手の気持ちを考える。
③stayの意味を考える。

最初のキャスリーンのセリフはウェイターに、2つ目はジョーに言っているセリフです。キャスリーンが待ち合わせをしている相手は、今、目の前にいるジョーではなくチャット相手の別の男性です。そんな人と待ち合わせをしているキャスリーンにとっては、ジョーは邪魔な存在です。今すぐにでも帰って欲しいと思っているはずです。そうしたキャスリーンのジョーに対するイライラした気持ちが感じ取れるはずです。また、動詞stayに対して「彼は滞在していない」「あなたは滞在していない」と和訳する人はいないでしょう。場所を表す副詞句がありませんね。つまり、stayにはto remain in a place rather than leaveの意味があることを知ってさえいればいいのです。

ここでは、キャスリーンの視点から、「この人すぐ帰るから」「帰ってちょうだい(このまま居座る気なの?)」、と和訳に気持ちを反映させる工夫をしたいものです。
映画のセリフを和訳することは、状況依存によるところが大きいと言えます。コミュニケーション・ギャップが生じてしまう理由は、誤った文法や語彙の取り違え、不正確な発音といったことだけによるものではありません。読み手や聞き手は、書き手や話し手の気持ちを正しく理解することで初めてコミュニケーションが成立するのです。そのためには、平易な英文であっても、誰が誰にどんな気持ちを伝えているのかを意識することが大切です。文法・語彙はその人の気持ちを代弁してくれる役割を担っているのです。


2011年05月23日

投稿者: 藤枝 善之(京都外国語短期大学)
タイトル: 「『シェーン』が表す思想」

西部劇の名作『シェーン』。この映画は、第26回(1953年度)アカデミー賞において作品賞などの主要部門の受賞は逃しましたが、半世紀を経た今日では、映像文学として当時の受賞作以上に高い評価を得ています。何よりもまず、その人物造形が巧みです。登場人物それぞれのキャラクターが際立っているだけでなく、本作は、彼らを通して、アメリカ人が持つ典型的な思想のいくつかを垣間見せてくれるのです。2010年12月28日の本欄のコラムで、この映画の粗筋と「暴力」に対する思想を紹介しました。今回は、「時代」に対する考え方を見ていきます。

この映画の基本的思想は、開拓農民たるジョーが代弁しています。

JOE: This is farmin' country, a place where people can come and bring up their families.(ここは開拓地だ。誰でも入植できて家族を養える土地なんだ)

ジョーは、政府を全面的に信頼し、無条件で開拓を「良きもの」と見ています。また、西部は常に変化し、進歩するという素朴な発展史観の持ち主でもあります。時代の変化を基本的に良しとするその考え方は、アメリカの国民思想とも言えるでしょう。世界は進歩し、時代は良き方向に変わっていく。その流れを妨げてはならない。だとすると、シェーンたちガンマンは歴史の流れを妨げる邪魔者でしかありません。この映画はシェーンにどんな役割を与えているのでしょうか。それは、自らを犠牲にして新しい時代を招き入れる「殉教者」ではないでしょうか。ちょうど、キリスト教のイエスが、旧約から新約へ時代を転換させるために十字架の上で犠牲になったように。

映画の終盤、シェーンはライカー一味と対決しますが、その時の遣り取りには、真に名台詞と言える珠玉の言葉が並びます。

SHANE: You've lived too long. Your kind of days are over.(お前は長く生き過ぎたんだ。お前の時代は終わった)
RYKER: My days? What about yours, gunfighter?(俺の時代が? そういうお前はどうなんだ?)
SHANE: The difference is, I know it.(お前と違って、俺は分かっているよ)

ライカーとシェーンは、共に腕っ節を頼りに自分の力で西部を生きてきた、同じ種類の人間です。しかし、そんな時代は終わった、とシェーンは言います。自分の時代の終焉を理解しつつ、さらにそれを徹底的に終わらせるためにシェーンは突き進みます。対決にかろうじて勝利したシェーンは、ジョーイに別れを告げます。一緒に家に帰ろうと懇願するジョーイにシェーンは言います。

SHANE: A man has to be what he is, Joey. You can't break the mold.(人には器がある。それを壊すことはできないんだ)

いくら新しい時代の価値観を理解していたとしても、一度殺人に手を染めれば流れ者から定住者への、またガンマンから農民への変身は不可能に近く、また新しい時代を招く歴史の流れを邪魔することになりかねません。この台詞は、時代に合わせて自分を変えていけない不器用な男の悲哀を表すと共に、シェーンに時代の殉教者としての役割を全うさせようという、この映画の「思想」を語っているのかも知れません。

藤枝善之(ATEM理事・関西支部長)


2011年05月07日

投稿者: 藤本 幸治(京都外国語大学)
タイトル: 「アンストッパブル」に考えるtoo…to構文」

So that 構文(A)とtoo…to~構文(B)の書き換えは、高校英語の定番。そこで、例文AをBに書き換えてみましょう。

A. Tom spoke so fast that I could not understand him.
B. Tom spoke too fast to understand.

となりますね。皆さんも不思議に思ったことはありませんか。Bではなぜ目的語のhimを削除しなければならないのか?これは、to understandという述語の前に音声形式を持たない主語が存在していると考えられるからです。たとえば、Tom is too young to drink.という文の場合、これは実は単文ではなく、複文なのです。そして、各述部が示す若いのも、お酒を飲むことが出来ないのも各々の主語のTomとなりますね。では、Bに主語を入れるとどうでしょう。あら不思議、

C. Tom spoke too fast for me to understand him.

と言うことができるのです。ところが主語を入れないと、to understandの主語は音声形式を持たない主語となってしまい、Tomを示してしまいます。そうTom understands himという解釈になり、himはTom以外の人を指してしまいます(cf. Tom understands himself.)

では、さらに、例文Cでhimを削除することは出来るのでしょうか?

時速100キロ以上で走る超大型の無人貨物列車、早く止めないと大事故になってしまう!そこに立ち向かう勇気ある二人の男たちがいた。実話に基づく映画『アンストッパブル』の劇中この不慮の暴走列車事件を伝える速報テレビニュース!

"The engineers, they say, made an error in controlling the train. Before leaving the locomotive, he intended to apply the independent brakes. And by the time he realized his mistake, the train was going too fast for him to climb back on."

さて、どうしてこのような省略が可能なのでしょうか。彼らが電車を止めるが先か、あなたがこの答えを見つけるのが先か!?「アンストッパブル」に考えてみましょう。


2011年05月07日

投稿者: 上田 聖司(大阪府立八尾翠翔高等学校)
タイトル: 「『ドリームズ・カム・トゥルー』2006から学ぶ語彙学習法」

単語の中には、よく使用される語とそうでない語がありますが、ある研究によると、2000語程度の英文の単語を平均すると、そのうち50%から75%くらいが各英文中で一度しか使われていないそうです。つまり、使用頻度の低い単語のほうが圧倒的に多いのです。したがって個々の単語の記憶をするよりも、学習方法に焦点をあてたほうが効率よく学ぶことができると言えます(I.S.P.Nation,1990)。

『ドリームズ・カム・トゥルー』(Akeelah and the Bee)は全米スペルコンテストで黒人の女の子が勝ち抜いていくストーリー。映画の中では主人公AkeelahがLarabee教授や周りの人たちに助けてもらい、苦労しながらスペルを覚えていくシーンがいくつも出てきます。単語カードで覚えるだけでなく語源から覚えたり、縄跳びでタイミングをとりながらなめらかにスペルを言う練習をしたりします。

Akeelahのコーチ役、Larabee教授の部屋には、Marianne Williamsonの次のような言葉がかかっています。"Our deepest fear is not that we are inadequate."「われわれが一番恐れるのは自分の無力さではない」 "Our deepest fear is that we are powerful beyond measure." 「一番恐ろしいのは、われわれが計り知れない力をもっているということだ」。"We ask ourselves 'Who am I to be brilliant, gorgeous, talented and fabulous?" 「頭脳明晰にして華麗、才能にあふれ驚嘆の人物に自分はなれるのだろか」。 "Actually, who are you not to be?" 「実際、なれないわけがない」。 "We were born to make manifest the glory of God that is within us. " 「われら自身の内なる神の栄光を世に示すために生まれたのだから」。(00:40:28- 00:40:58) 

そしてコンテスト当日、最後の問題となります。それは、"pulchritude"(容姿端麗)という語。Akeelahは語源とともに答えます。 "It's derived from the Latin word 'pulcher,' meaning beautiful, isn't it?"(その語は、ラテン語の美しいという意味のpulcherに由来する語ですね)"P-U-L-C-H-R-I-T-U-D-E, Pulchritude."(00:46:56-00:47:15)

この物語は、現在のアメリカの貧困、格差、教育などの問題を背景にしながらもお互い切磋琢磨しながら育っていく子供たちを描いた佳作となっています。また、シナリオを元に書かれた同名のペーパーバック(NewmarketPress, 2006)もありますので、興味のある方はご一読下さい。


2011年04月09日

投稿者: 松井 夏津紀(Chulalongkorn University, Thailand)
タイトル: 「映画の台詞でもよく耳にする描写述語」

英語では形容詞句や名詞句を使って、文の主動詞が表す行為に伴う主語や目的語の一時的な状態を表すことができます。このようなS+V(+O)+A/N構文は描写構文と呼ばれ、A/Nの部分は主動詞に対して二次述語(描写述語)と呼ばれます。描写構文の描写述語は、意味的に様態を表す副詞に似ています。しかし、様態副詞が主動詞の表す行為が「どのように」行われたのかという様態を表すのに対し、描写述語は行為が「どのような状態で」行われたかという状態を表します。例えば、 "Matt drove a car drunkenly."という様態副詞を用いた文ではMattが実際に酔っているかどうかということは問われず、ただ酔っ払い運転みたいな運転をしたということが述べられます。一方、 "Matt drove a car drunk."という描写述語を用いた文ではMattが実際に酔っているということが含意されます。

描写構文は特別な構文ではなく会話でも非常によく見られる構文で、映画の台詞にもよく出てきています。『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(2008)の主人公ベンジャミンは老人として生まれ、年を取るにつれて若返っていくのですが、ベンジャミンは "I was born old." <00:49:37> という台詞を使って自分が生まれたときの様子を語っています。この台詞ではoldという形容詞が使われていますが、描写述語に名詞句が使われているものもよく耳にします。例えば、『キル・ビル2』(2004)では、 "Superman didn't become Superman. Superman was born Superman." 「スーパーマンはスーパーマンになったんじゃなくて、スーパーマンとして生まれたんだ。」<01:46:10> というSupermanが描写述語になっているユニークな例も見られます。

次に、『トロピック・サンダー 史上最低の作戦』(2008)の例を見てみましょう。俳優のTuggが、自分が知的障害者を演じたとき、普段の生活でも常にその役になりきっていたというときの台詞で「歯を磨くときでもバスに乗るときでもそうなりきっていた」というものです。

I mean, I brushed my teeth retarded, I rode the bus retarded. <00:42:21>

通常、retardedは一時的な状態にはなり得ませんが、Tuggが演技派の役者であるという背景があるので、この構文が成り立っています。一方、この台詞に対して同業者のKirkは 次のような台詞を言っています。

You went full retard, man. Never go full retard. You don't buy that? Ask Sean Penn, 2001, I Am Sam. Remember? Went full retard? Went home empty-handed. <00:44:10>

「お前は完璧にやりすぎた。完璧に演じちゃだめだ。"アイ・アム・サム"のショーン・ペンに聞いてみろ。見ただろ?完璧に演じて、手ぶらで帰宅だ。」とempty-handedを使って、ショーン・ペンが何の賞ももらえなかったということを表しています。描写構文を使うと長々とした複文でなくすっきりとそのときの様子が表せます。

描写構文のその他の例は、構文や現象を映画の台詞に出てくる例を挙げて説明した『映画で学ぶ英語学』(倉田誠 編、くろしお出版)という本の中でも挙げています。書店でお見掛けになられたら、是非、お手にとってご覧ください。


2011年04月05日

投稿者: 河野 弘美(京都外国語短期大学)
タイトル: 『選挙』(『Campaign』) 2007年 監督:想田和弘、「英語字幕で英語の学習」

まもなく統一地方選挙が始まります。行方が大いに気になるところでありますが、選挙というと思いだす映画があります。それは『選挙』(『Campaign』)です。『選挙』は日本が舞台の日本語の映画ですが、2007年2月開催のベルリン国際映画祭を皮切りに海外での評価が高く、多言語による字幕が作成され多くの国で上映されてきたすぐれた邦画です。日本の題名は『選挙』ですが、海外では『Campaign』として知られています。

『選挙』はその名の通り選挙の裏事情をリアルに映し出したドキュメンタリー映画です。ナレーションが一切使用されていないため、日常生活上で見聞きする実際の行動や会話が映画の素材となっており、視聴者が理解しやすい設定となっています。日本語を聞きながら耳にした表現は英語でどのように言うのだろう?という疑問が即解決できるのが英語字幕のいいところであり、邦画の英語字幕を英語教育に大いに活用できる利点であると思います。

本編の内容はさかのぼること2005年、主人公の山内和彦氏が当時の小泉首相率いる自由民主党からの要請をうけ川崎市の補欠選挙に突如立候補し、素人が初めての選挙戦に挑む話です。東京都民であった山内氏は急きょ神奈川県川崎市へ引っ越し、市議会議員の立候補者名簿に名を上げます。山内氏のように選挙地区とは無関係だった人が立候補することを「落下傘候補」(字幕:parachute candidate)といい、映画の中でも山内氏が自分のことをそう呼んでいます。山内氏の応援をしにかけつけた自民党の大物政治家の「大物」を英語字幕ではbig-shots、「改革を進める」という表現の英語字幕はI'll advance reform. や I'm committed to reform.と、政治にまつわる英単語やフレーズが全編を通して学べます。

また、政治の世界で使用されている伝統的な言葉の一例として、候補者の奥さんのことを「妻」(字幕:wife)とは呼ばず「家内」(字幕:housewife)と呼び、日本語と字幕英語をそれぞれ照らし合わせながらそれぞれの単語の微妙な意味の違いを理解することが可能となります。

上記以外にも、政治に関連した沢山の有益な英語の表現や単語が『選挙』の中につまっているので、英語字幕を付けてぜひ観賞してみてください。


2011年04月03日

投稿者: 成田 修司(京都外国語大学他・非)
タイトル: 「意図的誤解によるユーモア・センス」

海外の映画やドラマを観ていると、相手の言葉を誤解したふりをして、わざと文脈にそぐわない応答をすることがあります。例えば次のシーンは、1987年に始まったアメリカの古典的ホームコメディ「フルハウス」です。コメディアンのジョーイを好きになったコリーナは、彼に恋人がいるか探りを入れます。

Corinna: Joey, . . . Your girlfriend must adore you.(あなたの彼女はあなたにゾッコンね)<ep8. 14:12>
Joey: Oh, I don't have a girlfriend. (いや、彼女なんかいないよ)
Corinna: You're not seeing anybody? (付き合ってる人いないの?)

ここでジョーイはbe seeing someone(特定の異性と付き合う)という慣用表現を無視して、わざと「会う」と文字通りに解釈します。
Joey: Well, sort of. I'm seeing the dentist next Wednesday.(まあ、いるかな。水曜日に歯医者と会う)
もちろん資格試験的に考えると、このような「とんちんかん」な応答ではイカンとされています

ジョーイらしいユーモアにすぐ気付いたコリーナは、合わせて話を進めます。
Corinna: Well, if things don't work out between you and the dentist, maybe you and I could get together.
(じゃあ、もし歯医者との恋がダメになったら、私達がデートしましょう)

この殺し文句にメロメロになったジョーイは、これ以上じらし切れなくなります。
Joey: Well, Dr. Hoffman's pretty cute, but he is married. So pick a time.
(ホフマン先生はとても可愛いけど、彼は結婚してるんだ。だからいつでもOKだよ)

歯医者は男だから、既婚未婚の関わらず恋愛対象にならないというのがこのジョークの「オチ」。ここはつまり「僕も君が好き」と言っているようなものです。感情をそのまま伝えるだけが生きた英語ではなく、むしろこんな笑えるセリフにこそ語学を学ぶ醍醐味があります。真面目過ぎるとしばしば批判される日本人が取り入れたい会話テクニックの一つです。

これ以外にもユーモアの手法は多様ですが、特に「フルハウス」等のテレビシリーズは1話の実質20分にエッセンスが凝縮されて、お手本となるウィットの効いたセリフを探すのに事欠きません。


2011年03月05日

投稿者: 佐藤 弘樹(FM京都α-stattionエアーパーソナリティー、京都外国語大学(非))
タイトル: 「I don't know.」

1988年の映画『レインマン』は、アカデミー賞主要4部門(最優秀作品賞・監督賞・主演男優賞・オリジナル脚本賞)を獲得した珠玉の名作であるのみならず、自閉症を世に広く知らしめた功績でも特筆されるべき作品です。

物語は、事業に失敗して破産寸前のチャーリー(トム・クルーズ)が、父親の死をきっかけにそれまで存在すら知らなかった自閉症の兄レイモンド(ダスティン・ホフマン)と徐々に心を通わせていくふれあいを描いたヒューマンドラマです。

この映画の中で自閉症のレイモンドは I don't know. (初出<00:23:04>、これ以降も何度も出てきます)というセリフを何度も繰り返します。

彼のこのセリフは、短く平板で文全体の抑揚は無視して発音されます。その違和感を、日本語訳の吹き替えでは「わかんない」と表現しています。(字幕では「わからない」となっています。)この簡単な英語 I don't know. を日本語に訳す際には無数の日本語が考えられますが、「わからない」「わかんない」「わからん」「わかりません」「わからないです」「さぁね」等の中で、子供の幼さを感じさせるのは「わかんない」であり、成人男性がそれを連発する事によって作中の人物描写をより精緻なものにしていると思います。

また、一人称代名詞の I もチャーリーは「俺」、レイモンドは「僕」、チャーリーの恋人スザンナは「あたし」と吹きかえられています。「わたし」ではなく「あたし」という女性言葉であることに注目したいですね。

邦画の傑作「寅さんシリーズ」で寅さんは自分の事を、冒頭の自己紹介では「わたくし」(生まれも育ちも葛飾柴又)と言い、ふだんは「俺」「あっし」「おいら」を使い分け、マドンナに恋すると「僕」に変わります。こんな芸当ができるのも、人称表現が多彩な日本語ならではの事であり、相手が赤ん坊でも大統領でも、先生でも先輩でも後輩でもみんな You で済んでしまう英語では You がどのニュアンスで発話されているかを考えながら映画を見るのも日本語と英語両方の勉強になるでしょう。

ちなみに、アニメ「クレヨンしんちゃん」では、母親は自分のことを「ママ」と呼ぶのに対して、しんちゃんは自分の事を「おいら」と言います。この落差の可笑しさを英語で表現するのは至難の業ですね。


2011年03月05日

投稿者: 奥村 真紀(京都教育大学)
タイトル: 「英国国教会と女王の苦悩ー『エリザベス』」

英国のエリザベス女王の父王を描いた映画、『英国王のスピーチ』がアカデミー賞を受賞し、また4月にはウィリアム王子の結婚式も予定されていて、何かと話題に上がっている英国王室。現在のエリザベス二世も人気のある女王ですが、今から500年くらい前の女王、エリザベス一世は英国では大変人気のある女王の一人です。1998年にアカデミー賞にノミネートされ、衣裳デザイン賞を受賞した『エリザベス』は、英国の繁栄の基礎を作ったこの女王を描いた映画です。

時は16世紀。英国王ヘンリー八世の離婚問題が原因���、王は英国で信仰されるべき宗教を、ローマ法王を中心とするカトリックではなく、英国王を中心とする英国国教会にすると定めます。しかし、ヘンリー八世の亡き後、王位を継いだのは女王メアリ。真っ赤なカクテル、「ブラディ・メアリ」の名前のもとになった女王ですが、彼女のお母さんは熱心なカトリックだったので、彼女も熱心なカトリック教徒で、国教会の信徒を弾圧します(その激しい弾圧から、カクテルの名前「流血のメアリ」がついたと言われています)。しかし彼女には子どもがなく、女王の周りでは跡継ぎをめぐる陰謀が渦巻いています。周りから、王位継承権を持つ腹違いの妹、エリザベスは国教会派の人物なので始末するべきだと説得されたメアリは、エリザベスを呼びつけます。<00:17:31>

E: Madam, you are not well. (陛下、お加減がすぐれないのですね)
M: They say this cancer will make you Queen-but they are wrong! Look there! It is your death warrant. All I need do is sign it!(みんな私のこのできもののせいでお前が女王になると言うのだよ。でもそうはさせない!ご覧!お前の死刑許可証があるわ。私は署名するだけでいいのよ)
E: Mary, if you sign that paper you will be murdering your own sister.(メアリ、あなたがその書類に署名されたら、自分の妹を殺すことになるのですよ)

最初、従順な臣下として、「陛下」と呼びかけるエリザベスが命の危機に際し、姉である女王を「メアリ」と名前で呼んでいることが、その距離感を絶妙に表していますね。その後、メアリに「もし自分が死んだら、カトリック教徒を保護して欲しい」と頼まれたエリザベスは次のように言います。<00:17:53>

E: When I am Queen, I promise to act as my conscience dictates, (エリザベス:女王になったら、私は自分の良心が命じるままに行動します)

"If?"ではなく、"When?"を使っていることに注目。メアリの死と自分の即位が、条件ではなく、近い未来に確実に起こるとエリザベスが確信していることが分かります。

英国国教会を国教として定め、絶対君主として栄光を築いたエリザベス一世。その時代の光と闇を描きながら、国王として生きることを選ぶ一人の女性の栄光と苦悩を見事に表現した、素晴らしい映画です。


2011年03月05日

投稿者: 荘中 孝之(京都外国語大学)
タイトル: 「イカとクジラ The Squid and the Whale(2005年)」

ねえ君、希望なんか全くないなんて言わないでおくれ。僕たち一緒だと立っていられるけど、バラバラになったら倒れてしまうんだよ。
Hey you, don't tell me there's no hope at all. Together we stand, divided we fall. <00:06:03>
ウォルト(ジェス・アイゼンバーグ)

偶然聞いた歌が、「今の自分の気持ちを代弁してくれている」、と感じた経験はおそらく誰にでもあるでしょう。この映画に登場する青年ウォルトも多分、そんな風に思いながらこのフレーズを、あるメロディに乗せて歌ったのです。しかしそれにはちょっと問題がありました・・・。

これはある家族の物語です。ウォルトは父バーナード、母ジョーン、そして弟のフランクと、ニューヨークの隣、ブルックリンに暮らす一見ごく普通の高校生。しかしこの家族、どこか変です。父は"元"人気作家で、母は"今"人気作家。そして夫婦のあいだはすでにぎくしゃくしており、二人はある時、ついに離婚を決意します。

でもそれからがまた大変。バーナードとジョーンはjoint custody、つまり二人で共同して親権を持つ方法を選びます。ウォルトがそのことを友だちに話すと、それを聞いた彼が"Joint custody blows. . . . It's miserable."(共同親権は最悪だよ。あれは惨めだね。)と言うように、子供たちはそれから親の勝手な都合に振り回されていきます。

弟のフランクはそのストレスからか、幼くして酒に走り、学校で問題を起こし、父親に反抗します。兄のウォルトは恋人にも、そして母親にも素直になれません。親の離婚で一番傷ついているのは子供たちなのです。そんな時ウォルトの学校で、あるコンテストか開かれます。そこで彼は両親を前に、自分で作ったものだと言って、上記のフレーズが含まれた曲を、どちらかというと陰鬱なメロディに乗せて歌うのです。

ウォルトはコンテストで見事優勝し、賞金の100ドルを手にします。そしてその歌を聞いた誰もが皆「いい曲だったよ」と褒め称えます。ところが両親は後日学校に呼び出され、それがイギリスのロックバンド、Pink Floydの曲であることがわかったと告げられます。これはplagiarism、剽窃や盗用と呼ばれる行為で、教育の現場でなくとも絶対に許されないことです。

当然賞金は返さなければなりませんし、ウォルトは精神的に問題ありということで、カウンセラーのところへ行くよう勧められます。しかし"Can you feel me?"(僕を感じる?)"Would you touch me?"(僕に触れてくれないか?)"Can you help me?"(僕を助けてくれよ?)というフレーズが繰り返されるこの歌は、ウォルトの痛ましい魂の叫びでもあったに違いありません。

ちなみに"Together we stand, divided we fall."という部分は、"United we stand, divided we fall."(団結すれば立ち、分裂すれば倒れる。)という諺をもじったものです。その諺も元々は、John Dickinson(1732-1808)というアメリカの政治家がアメリカ独立戦争を鼓舞するために作ったThe Liberty Songの一節、"By uniting we stand, by dividing we fall."に由来します。ウォルトはこのフレーズを歌いながら、家族も一緒だとなんとかやっていけるけど、バラバラになってしまったらお終いじゃないか、と両親に訴えたかったのかもしれません。


2011年02月07日

投稿者: 近藤 暁子(奈良工業高等専門学校)
タイトル: 「Aging is Growth」

アメリカで最も影響力のある女性の一人オプラ・ウィンフリーが原作に感動して映像化したTuesdays with Morrie(1999年)には生きること、死ぬこと、人を愛すること、人生をどう生きるかについて考えさせてくれる多くの名言が散りばめられています。その中から、教え子のミッチからの若い時に戻りたいと思わないかという問いかけに答える場面があります。

Morrie: Aging isn't just decay, you know. It's growth. <00:27:00>
「年をとるってのはただ衰えていくことじゃないんだよ。成長することなんだよ。」
Mitch: How come nobody ever says 'Gee I wish I were old'?
「じゃあどうして誰ももっと年をとったらいいのになんて言わないのかな。」
Morrie: Because this culture worships youth. Me, I don't buy it. I've had my time to be 22, This is my time to be 78.
「だって、世間はなんでも若いのがいいって思ってるだろ。私はそれは全くいいことだと思わないね。22才の時もあった。でも私は78才の今を生きてるんだからね。」
Mitch: So, you were never afraid of getting old?
「じゃあ年を取ることは怖くないの?」
Morrie: Oh, the fear of aging. You know what that reflects you, Mitch? Lives that haven't found meaning.
「あぁ、老いへの恐怖のことかい。ミッチ、何がそれを表しているかわかるかな?それってのは人生の意味を見つけられないことなんだよ。」

世の中、何でもかんでも若いことが美しい素晴らしいと賞賛され、逆に老いることのネガティブな面ばかりが取り上げられる傾向にあります。人々の思考もそのようにコントロールされていますが、年を取ることは成長すること、そして若いときは良かった、若い時に戻りたいと思うより、生きている今の時間を意味のあるものにすることが大事だとモリー先生は説いています。彼は年を重ねることは学ぶ機会を得る事ととらえて人生を楽しむことが大事だと、そして人生に目的があり意義を見出せるなら年を重ねることのポジティブな面を享受できるのだと教えてくれているのではないでしょうか。


2011年02月07日

投稿者: 飯田 泰弘(大阪大学大学院博士後期課程)
タイトル: 「声にならないおもしろさ―看板の文字にもご注目!―」

映画のセリフ が英語を深く学ぶ上で役立つ 素材になることは言うまでもありませんが、映画に登場する看板や標識にも、非常におもしろい ものがあります。ユーモアを利かせたものとして日本でも、踊った赤ちゃんの絵の横に「赤ちゃんがのっています」と書かれた車のステッカーを見かけますが、『リーサル・ウェエポン4』(1998)では、激しいカーチェイスの後、犯人の車と同じく大型トレーラーと衝突した主人公の車の前には、このカーチェイスのオチとして次のようなステッカーが映ります。

If you can read this, you are TOO close!
(この文字が読めたら近づきすぎ!) <01:17:20>

また同じ看板表現でも、時代設定が昔の映画ではその時代を反映する表現が出てきます。日本語の別れのあいさつ、「さようなら」が「左様ならば」に由来しているのと同じく、英語のGood-by(e)という表現は、God be with you「あなたに神のご加護がありますように」という表現から来ています。GodがGoodになり、beがbになり、withが消え、youがy(e)になったということです。ここで、なぜyouがy(e)という表記になるかというと、昔の英語では「あなた」が「ye」だった時代があるからです。つまり、God be with yeだったということですね。

映画『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』(2003)、主人公のジャック・スパロウがある港に入港するシーン。彼が到着した港の入り口には、ミイラになった海賊が3体つり下げされており、「海賊たちよ、この港に来るとこうなるぞ」という見せしめがなされています。そして、その下にあるのが次の文字が書かれた看板です。

Pirates Ye Be Warned
(海賊たちへの警告) <00:09:37>

海賊が幅を利かせている時代が舞台の映画ですから「あなた、お前」にあたる単語としてyeが使われていてもおかしくないですよね。Good-byeの最後のeの存在が確認できる、おもしろいシーンだと思います。今や、映画のセリフ はすぐ手に入る便利なサイトやソフトがある時代ですが、「音」にならない看板などの表現は、ぜひ 、映画をスクリーンのすみずみまで観ながら味わってみてください。
時代を反映するといえば、よくハリウッド映画は近未来を予言すると言われます。10年以上前の映画『ディープ・インパクト』(1998)には(1970年代以降のハリウッド大作ではおそらく初めて)黒人の大統領が登場し、近い将来の米国大統領像を予感させますが、その大統領が地球に隕石の衝突の可能性を初めて発表した際、大騒ぎになったテレビ局では次のようなセリフが出てきます。

Paris, London, Tokyo, Tel Aviv. I want everybody.
(パリ、ロンドン、東京、テルアビブ。全てに連絡して) <00:28:24>

一方、『ディープ・インパクト』から約10年後の映画『サロゲート』(2009)では、人間の生活を全て代行してくれる人型ロボットが米国で一斉に停止した際、テレビのアナウンサーはこう述べます。

Paris, London, Beijing, all reporting the same thing.
(パリ、ロンドン、北京からも同様の報告が届いています) <01:23:52>

この10年間で、ハリウッドが見る主要都市の優先順位では、東京が北京にぬかれた、とうがった見方をしてしまうのは私だけでしょうか?


2011年02月07日

投稿者: 倉田 誠(京都外国語大学)
タイトル: 「話をすり替える談話辞 speaking of A」

会話の談話の流れや方向性を決める第一の要素はその発話の内容ですが、その方向性をクリアに示す標識のようなものがあります。そのようなことばの標識を「談話辞」と呼びます。例えば、文中に"by the way"と出てくると、それまでの情報の流れが完全または多少変わるのだなと、聞き手は判断しますね。今回はそのような談話辞の1つである、"speaking of A"に焦点を当ててみます。

多くの学習英和辞典には、"speaking of A"という談話辞は「Aのことだが、Aといえば」という意味が載っているだけで、使い方の記述は全くありませんので、なかなか使いこなせないですね。でも実は、"speaking of A"という談話辞は、相手の発話情報の一部を利用して、新たなトピックに転換させる時に使う「話題のすり替えの標識」なのです。Cast Away 『キャスト・アウェイ』(2000)<00:15:33>で具体例を見ましょう。主人公のチャック(トム・ハンクス)は、婚約者のケリー(ヘレン・ハント)の実家で彼女の親戚とクリスマスディナーを食べます。その場で、チャックは彼が勤務する世界最大の宅配会社である、Federal Express社の最新技術管理システムについて雄弁に話をします。チャックの話し相手は、ケリーの叔父のモーガン。姪のケリーと結婚しないチャックに少し焦��感を覚えていたモーガンは、チャックが流暢な話の中で、「融合」という意味でmarriageという語を使った瞬間に、原義である「結婚」の話題にすり替えます。Chuck: It's a perfect marriage between technology and systems management.「それは技術とシステム管理の完璧な"融合"です。」 Morgan: Speaking of marriage, Chuck, when are you gonna make a honest woman out of Kelly?「チャック、"融合"といえば、いつになったらケリーと"いっしょに"なってくれるんだ?」姪の幸せを願う叔父モーガンの機転がきいた話題転換術ですね。

上記のような英語学の様々な知見を映画の用例で説明する、『映画で学ぶ英語学』(くろしお出版)という本をATEM関西支部の有志で書きました。全国の大手の書店に陳列されていますので、お手にとってご覧ください。


2011年01月13日

投稿者: 小野 隆啓(京都外国語大学)
タイトル: 「二重目的語と前置詞」

英語には、動詞の後に2つの目的語が現れる構文があり、二重目的語構文と呼ばれます。これは、中学校の英文法で学ぶことで、基本五文型で言うとSVOOの第4文型です。例としてはgiveのような動詞がよく上げられ、John gave me a book.の ような文です。この間接目的語meを前置詞句で置き換えると、John gave a book to me.のように前置詞toが出てきます。では、次の例はどうでしょう。

Malfoy: You lost me my servant! <02:25:22>

この英文は映画Harry Potter and the Chamber of Secretの最後の方に出てきます。ハリーがうまく策を使って、ドビーという奴隷のように扱われていた召使いエルフをマルフォイ家から救い出した後で、激高したマルフォイ氏がハリーに向かって言う言葉です。この場合のmeは前置詞を伴わせて書き換えるとfrom meになります。つまりYou lost my servant from me. で、「きさま、俺様から召使いを奪っkqwqwkたな」のような意味です。

giveで作られる二重目的語構文を前置詞toを用いた与格構文(Dative Construction)に変換することを与格交替(Dative Alternation)と呼びますが、この言い方をすれば、上のlostの場合は、奪格交替(Ablative Alternation)とでも呼ばれるものです。このような交替に は、ほかにも前置詞forで交替させる受益者交替(Benefactive Alternation)があります。例えば、Cut me some.という例文です。一見、この文は変な意味に思えませんか?「私を 切る?someの意味は「少し」?」。この文の場合、隠れている前置詞はforなのです。Cut some(piece of cake)for me.の意味になります。ほかには、前置詞withで交替 させる随伴格交替(Comitative Alternation)があります。例えば、She played John three games of chess.のような例文です。この場合のJohnはwith Johnの意味で、「彼女はジョンとチェスを3ゲームした」というような意味です。二重目的語の間接目的語、前置詞を思い浮かべてもらうと、結構興味深いものがあります。


2011年01月06日

投稿者: 井村 誠(大阪工業大学)
タイトル: 「『次へ渡す』(Pay It Forward)」

恩を受けたら、恩返し(pay it back)をするのが普通ですが、その代わりに他の恵まれない人たちや、助けを必要としている人たちに救いの手を差し伸べるというアイデアはいかがでしょうか。

両親は離婚、母親はアル中、「世の中なんか最低だ!(The world sucks!)」と思っている少年の心をとらえたのは、社会科の先生が言った「世界は変えられるかもしれない」という言葉でした。シモネット先生は、生徒たちの1年間の課題として黒板に次のように書きました。

"Think of an idea to change the world --- and put it into ACTION!"
(世界を変えるアイデアを考えてみよう-そして、それを行動に移せ!)<00:10:11>

この課題に対して、トレバーが考え付いたのが、Pay It Forward(次へ渡す)というアイデアです。トレバーは、クラスのみんなに次のように説明します。

Trevor: That's me. And that's three people. And I'm going to help them, but it has to be something really big...something they can't do by themselves. So I do it for them...then they do it for three other people. That's nine. And I do three more....(ここに僕がいて、他に3人の人がいます。僕は3人の役に立つことをします。でもそれは何か大きなことでないといけない…彼らが自分ではしようにもできないことです。だから僕がそれを彼らのためにしてあげて、そして彼らはまた別の3人の人に同じようにする。そうすると9人になります。そしてまた3人にやれば…)<00:33:04>

こうしてトレバーは、彼の周りにいる人たちを助けようとしては失敗を繰り返しますが、「小さな勇気で世界が変わる」というメッセージは少しずつ広がっていきます。

この感動的な作品Pay It Forward(2000年、Warner Bros.)と楽しいNight Museum (2006年、Twentieth Century Fox)を併せて2本の映画を題材とした大学英語教科書STEP UP WITH MOVIE ENGLISH(金星堂、2010)を、昨年刊行しました。英語の苦手な学生が(1)興味を持ち(Intriguing)、(2)やる気を出し(Motivating)、(3)学習習慣を身につける(Habit-forming)ための工夫が凝らしてあります。どうぞご参照ください。
→出版物の案内


 2010年12月28日

投稿者: 藤枝 善之(京都外国語短期大学)
タイトル:  「『シェーン』の名台詞を味わう」

映画『シェーン』は、"Shane! Come back!"のセリフで有名な西部劇の名作です。その対訳本(ATEM関西支部の有志が訳と解説を担当)が、先日スクリーンプレイから出版されました。ここでは、その中に出てくる名台詞の一つを味わってみることにしましょう。

ワイオミングの山裾の荒野を馬で旅する男、シェーン。彼はある農地を横切ろうとしてそこで生活するジョー・スターレットとその妻マリアン、息子のジョーイと知り合います。スターレット一家と開墾に従事する他の入植者たちは、大規模な牧場を経営するライカー兄弟とその手下から様々な嫌がらせを受けていました。シェーンは請われるままに、しばらくスターレット家に滞在して農作業を手伝うことになります。ある日、シェーンが銃の扱い方をジョーイに教えていると、銃声を聞きつけたマリアンがやってきて非難します。それに対してシェーンは、

SHANE: A gun is a tool, Marian. No better and worse than any other tool, an axe, a shovel, or anything. A gun is as good or as bad as the man using it.(銃はただの道具だよ、マリアン。斧やシャベルなんかと同じだ。使う人によって良くも悪くもなる)

マリアンは、"We'd all be much better off if there wasn't a single gun left in this valley, including yours."(あなたのものを含めて、もし銃が一つもなければ、この土地はもっと暮らしやすくなるでしょうに)と言うほど徹底した平和主義者なのですが、暴力を使って開拓農民を追い出そうとするライカー兄弟の企みに対してはなす術がありません。結局は、彼女が望む平和を実現するためにシェーンの暴力が必要になります。自らの危険を顧みず、ライカー兄弟と対決して射殺したシェーンのおかげで、開拓村の平和が確保されるのです。すなわち平和は、自らを犠牲にするヒーローの正当な暴力によって獲得されるわけです。銃と暴力とヒーローに対するアメリカ人の考え方が垣間見えるシーンではないでしょうか。


2010年12月03日

投稿者: 平井 大輔(近畿大学)
タイトル: 「本当の主語は?」

映画『ハリー・ポッターと賢者の石』(2001)に以下のようなセリフが出てきます。

(1) Oliver: Quidditch is easy enough to understand. <01:03:44>

このセリフは、ハリー・ポッターにQuidditchという競技の説明をしてる時に出てくるもので、「クイディッチのルールは分かりやすい」という意味で使われています。しかし、この英文の主語は何でしょうか? 英文をみれば、Quidditchであることは簡単に分かるのですが、意味をよく考えてみると本当にそうでしょうか? 意味上では、Quidditchは、不定詞節内の他動詞understandの目的語であり、(2)のような文とほぼ同じになります。

(2) It is easy enough to understand Quidditch.

つまり、「Quidditchが簡単」なのではなく、「Quidditchを理解することが簡単」なのです。このような文の形容詞には、難易を表す形容詞や快・不快を表す形容詞が現れ、難易構文(tough-construction)と呼ばれ、ちょっと特殊な構文なのです。

さらに、『エターナル・サンシャイン』(2004)ではこの構文に似た文で、(3)のような文もあります。

(3) Mary: That was beautiful to watch, Howard, like a surgeon or a concert pianist or something.(鮮やかな手さばきね。外科医とか、ピアニストみたい。)<01:09:24>

この場合、beautifulなのは英文の主語である"That"で、(2)のようにitを主語にした文には書き換えられません。このような構文には、話し手の主観をあらわす形容詞が現れます。映画には、このような構文が多く出てきます。


2010年12月03日

投稿者: 横山 仁視(京都女子大学)
タイトル:  「マリアンの心理を読み解く未来進行形-『シェーン』(1953)」

この映画の舞台は緑麗しいワイオミングの高原です。ジョー・スターレットは仲間世帯とともに開拓農民として妻マリアンと息子ジョーイの3人で暮らしています。ある日、旅人シェーンがこの地を訪れ、一家の元で生活を始めることに。そして、かねてより利害の反する牧畜業者ライカーとその一味たちとの間で繰り返される土地をめぐるもめごとに巻き込まれていきます。

次はマリアンが夫のジョーに言ったセリフです。難解な語彙もなく、日常的にごく普通に使われる表現です。しかし、マリアンがこのセリフをどんな気持ちをこめて発話したのかを考えると、彼女の心の内を覗いてみたくなります。

MARIAN: Joe…Hold me. Don't say anything. Just hold me tight.(ジョー、私を抱きしめて。何も言わずに、強く抱きしめて。)<00:47:40>

この場面は、シェーンとジョーがグラフトンの酒場でライカーの手下たちを相手に大暴れをした後、家に戻り傷の手当てをマリアンにしてもらっているシーンに続いています。マリアンはシェーンに対する気持ちの高まりを断ち切るかのように、寝室から様子を見に出てきた夫のジョーに「何も言わず、強く抱きしめて。」と言います。一人息子のジョーイは「母さん、僕、シェーンのことが好きなんだ。シェーンのことが父さんと同じくらい好きなんだ。いいよね。」と子供らしい素直な純真な気持ちを母マリアンに打ち明けます。こうした純朴な気持ちを伝えることができる子供らしさとは対照的に、大人として、それも夫をもつ身として理性を保とうとする毅然としたマリアンの切ない気持ちが伝わってくる場面です。「私が愛してるのはジョー、あなただけよ、愛してるわ。」と言わんばかりに、シェーンに惹かれる心の揺れを断ち切るために、夫への愛を自らに言い聞かせる手段としてこのセリフが代弁していると言えるのではないでしょうか。マリアンのシェーンへの気持ちを表しているセリフはこのシーンに始まったことではありません。それは次のセリフにも表れています。

MARIAN: He'll be moving on one day, Joey. You'll be upset, if you get to liking him too much.(ジョーイ、シェーンはこの土地からいなくなる人なの。シェーンのことが好きになったら、別れが辛くなるだけよ。)<00:30:05>

実は、このセリフは「ジョーイ、シェーンのことをあまり好きにならないでね。」と母マリアンが息子のジョーに諭している場面に続いています。シェーンは近い未来にこの土地を離れて行く人。それは彼の意志ではなく何らかの都合で。そう思いたいマリアンの気持ちを自ら無意識に使い分けた未来進行形と単純未来形が彼女の辛い心理面を表している場面です。ジョーイへの忠告が実は自分自身への警告でもあったのかもしれません。

ATEM関西支部有志執筆による名作映画完全セリフ集『シェーン』(2010年11月30日発売、株式会社フォーイン、スクリーンプレイ事業部)が発売されました。是非、上記シーンを映像と音声を通してマリアンの心の内を読み取ってみてください。
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2010年11月12日

投稿者: 倉田 誠(京都外国語大学)
タイトル: 「英語に『班長』が使われる!?」

普段の日常生活にあふれるカタカナ英語を見ていると、英語が一方的に日本に流入しているような印象を受けますが、逆に英語化している日本語も少なくありません。sushi(寿司), sumo(相撲),geisha(芸者)など日本の文化を代表するような語句はもちろん,Sony(ソニー),Toyota(トヨタ),Nintendo(任天堂)のような国際的な日本企業名も英語でそのまま使われています。また、意外な単語が借用語として英語に受け入れられているケースも少なからずあります。中でも興味深い例の1つとして"Dinosaur" 『ダイナソー』(2000)<00:29:32>で見られる次のセリフに注目してみましょう。Eema: Kron, the herd's head honcho.「クローンさ、この群れのリーダーなの」このセリフでは草食恐竜の群れを率いるリーダーのことを「班長」と呼んでいます。おもしろいですね。スペリングは米語的にアレンジされていますが、まぎれもなく、あの「班長」なのです。このhoncho という借用語は、何も珍しい表現ではなく、"24 Season 5 Episode 10"(2006)<00:38:17> でも、Christopher: So who is the honcho over at CTU now?(現在のCTU のキャップは誰だ)のように使われています。

皆さんも英語のleader, head, captain, chairperson, boss, president等の単語の同義語として、このhonchoを加えてお使いください。

ATEM関西支部は執筆活動が盛んな支部です。上記のコラムは、2010年12月刊行予定の『映画で学ぶ英語学』(くろしお出版:倉田誠監修)の中に掲載されている囲み記事"That's a Take!"の一部を修正加筆したものです。ちなみに、この囲み記事は、ATEM関西支部の新役員でもある山本五郎先生と倉田の共同執筆です。
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2010年10月17日

投稿者: 田中 美和子(京都ノートルダム女子大学・非, 京都橘大学・非)
タイトル: 「人生の楽しみ方―"Summertime"『旅情』(1955)と"Eat, Pray, Love"『食べて、祈って、恋をして』(2010)」

『旅情』は、キャサリン・ヘップバーン演じる独身のアメリカ人女性ジェーンが、イタリアのヴェネチアで、骨董屋の主人レナートと恋に落ちる話です。一番の見所は、ヘップバーンの演技の絶妙さでしょう。真面目で、プロテスタント的なジェーンは、男性と話す時は、とても不器用な様子で、見ている側の笑いを誘います。でも、恋が始まってからは、美しく輝きだし、まるで別人のようです。ペンションの女主人フィオリーニは言います。

フィオリーニ: In Italy, you sit down to eat, and you eat a meal. In Paris, you sit down and what do you eat? A sauce. And in America, Mr. Bac, Mac, whatever it is, he sits down and what does he eat? Pills, only pills.(イタリアでは本物の食事ができるわ。フランスはソース。アメリカでは、錠剤だけでしょ。)<00:18:47>

つまり、食べることは生きることなのですから。栄養剤だけではつまらない。人生の楽しみ方についてのイタリア人からアメリカ人へのメッセージです。

『食べて、祈って、恋をして』(2010)でも同じです。ニューヨークに住むバツイチのリズは、イタリア・インド・インドネシアへと旅行をします。健康な食欲を失っていたリズは、かの地イタリアではみごとに食べ物と恋に落ちます。美味しそうなナポリのピザをぺロリと食べ、"I 'm having a relationship with my pizza."(ピザと付き合っているの)と言い放つシーンは圧巻です。アメリカ人は、50年たっても、人生の楽しみ方はイタリアで学びたいようです。


2010年10月13日

投稿者: 藤枝 善之(京都外国語短期大学)
タイトル: 「シェーンは死んだのか?」

シェーンとライカ一味との対決場面ではほとんど傷らしい傷も受けずにシェーンが勝利し、ジョーイ少年に別れを告げて馬で悠然と去っていく-これが映画『シェーン』のラストシーンを観た筆者の最初の印象でした。しかし、西部劇ファンの間では「シェーンは深手を負っている」との説が以前から囁かれていたようです。某雑誌によると、映画評論家の白井佳夫氏はその説を友人の脚本家、倉本聡氏から聞き、1983年夏に「シェーン」のビデオが発売されるやいなや、問題の場面を何度もチェックしたそうです。その結果、 映画を観た時には見逃していた以下の事実が分かったと言います。「この決闘でシェーンが左肩の、それも心臓に近い部分を撃たれたのは確かです。 というのは、この後でジョーイ少年が『血が出てる。 けがをしたんだね』という場面が出て来るんです」「ラストシーンを子細に見ると、シェーンの左手がだらりと下がり、深手を負った様子がよくわかる。 おまけにシェーンが向かって行く先は、画面を止めてみると、十字架の並んだ墓地なんです」。この白井説を一歩進める形で展開しているのが、映画『交渉人』の主人公クリスです。彼は、シェーンが馬に乗って山に向かう時にはすでに死んでいる。シェーンが馬上で前屈みになって、ジョーイの呼び声にも振り返らないのがその証拠だ、と言います。さて、シェーンはライカ一味とのガンファイトで撃たれたのでしょうか?そして、馬上のシェーンは本当に死んでいるのでしょうか? このシーンのシナリオを見てみると、「シェーン、危ない!」とジョーイが叫んだ後、"Shane turns quickly, ducks behind the bar and shoots Morgan who falls through the rafters to the saloon floor. Shane walks out of the bar."とあり、シェーンが撃たれたとは書いていません。しかしその後、ジョーイが "It's bloody! You're hurt!"と言っているので、シェーンはどこか撃たれたのでしょう。しかし、撃たれた部位は白石が主張する左肩ではなく、腹部だと思われます。映画では一瞬、敵に撃たれたシェーンが腹を押さえて前のめりになるシーンが映るのです。しかも原作には、"I noticed on the dark brown of his shirt, low and just above the belt to one side of the buckle, the darker spot gradually widening."「ベルトの留め金の上横にある点、彼のシャツの焦げ茶色よりもっと濃いシミがだんだん拡がっていくのに僕は気づいた」"The stain on his shirt was bigger now, spreading fanlike above the belt, . . ."「今や彼のシャツに付いたシミは、ベルトの上の所で扇のように拡がってさらに大きくなっていた」と書かれているので、間違いないでしょう。では、馬上のシェーンは生きているのか、死んでいるのか? これは明確な手がかりがないので、観る人の想像に任せるしかないようです。


2010年08月26日

投稿者: 中井 英民(天理大学)
タイトル: 「Dyslexia(難読症)を知っていますか? In Her Shoes(『イン・ハー・シューズ』、2005)とThe Reader(『愛を読む人』、2008)」

米国Time誌(2003年9月8日号)のカバーストーリー、「Dyslexia(難読症)を乗り越える - ようやく科学が解明したこと」から、Dyslexiaについて驚愕の事実を知りました。本誌によると、一部の人たちの脳では、文字→音韻転換→単語認識→自動化→文の意味理解、というプロセスがうまく働かないことからDyslexiaがおこるそうです。英語のような綴りと発音が一致しない言語では極めて顕著で、なんとアメリカの小学生の最大20%がDyslexiaであると報じています。日本の場合は「カナ」という音韻とほぼ一致する音節文字があるおかげで、Dyslexiaの率は小学生の1%程度だと紹介しています。Dyslexiaは知能と関係がなく芸術的な才能を持つ人に多くいるそうで、例えばDyslexiaを克服したトム・クルーズがDyslexiaの子どもたちの支援活動をしていることは有名です。

さて、映画『イン・ハー・シューズ』は、弁護士をする賢いけれど生きるのが不器用な姉(トニー・コレット)と自由奔放だけれど頭が悪く社会の落ちこぼれの妹(キャメロン・ディアス)の和解の物語です。また生きることが難しい違ったタイプの二人が、それぞれの幸せを見つけていく物語です。この映画を観るときDyslexiaのことが分かっていなければ、苦悩する妹マギーの心情を本当に理解することはできないでしょう。マギーは姉と喧嘩して家出し、それまで存在を知らなかった祖母の働く養老院に転がり込み、そこで退職した盲目の大学教授にDyslexiaであることを見破られます。彼から読むことを学んだマギーは、自信にあふれた新しい自分へと再生していきます。

老人: …, you might as well read to me.((それなら)私に本を読んでくれ)
マギー: I'm kind of a slow reader.(読むのが遅いの)
老人: Perfect. I'm a slow listener.(構わん。私は聞くのが遅い)
マギー: (読み始める)The …art …of …losing …(あきらめて)You know, I should just get back to work. (仕事があるから)
老人:What is it, dyslexia?((どうしたんだ)読書障害か?)<01:13:25>
(訳は字幕のまま。カッコ内は投稿者加筆)

第81回アカデミー賞(2009年)で主演女優賞を受賞したケイト・ウインスレットが出演した『愛を読む人』でも、Dyslexiaは物語の中心となるテーマでした。第二次大戦直後のドイツで、15歳のマイケルは年上のハンナと恋に落ち情事を重ねます。8年後、法学生となったマイケルが傍聴した裁判で見たのは、戦時中ナチスに加担した罪を問われるハンナでした。彼女は自分の「秘密」を隠し通すため、罪を認めてしまうのです。文字が読めないことがいかに大変なことで、その「障害」に苦しむ人が多く存在することを知れば、これらの映画をより深く鑑賞することができるでしょう。


2010年08月04日

投稿者: 佐藤 弘樹(FM京都α-stationパーソナリティー、京都外国語大学(非)
タイトル: 「映画は時代と供に」

映画『ランボー/最後の戦場』には次のセリフが出てきます。

John Rambo : Live for nothing, or die for something. Your call. (無駄に生きるか、何かのために死ぬか。お前が決めろ。) <00:48:35>

シルベスター・スタローン主演の1982年『ランボー』は、1985年の『ランボー/怒りの脱出』、1988年の『ランボー/怒りのアフガン』、2008年『ランボー/最後の戦場』まで合わせて4作作られましたが、このシリーズは映画が世の風潮を受けて作られ、実社会の反映であることを証明しています。

最新作「ランボー/最後の戦場」が、娯楽映画としては描写がリアルすぎるのも、イラクやアフガニスタンでの対テロ戦争を遂行するアメリカ国民が、戦争を悲惨な現実として捉えていることに他ならないと思います。

第1作の『ランボー』」の原作はデヴィッド・マレルの小説『一人だけの軍隊(First blood)』です。原題のFirstは第一級、bloodは兵士を意味し、映画中では"draw first blood"「相手に先に出血させる」というランボーのセリフがあります。

当時のベトナム帰還兵に冷たいアメリカ社会への警鐘と言う社会的メッセージを込めて作られましたが、興行的には中規模のヒットに終わり、以降非現実的な超人が大暴れする漫画的な作風へと変わっていきます。

最新作『ランボー/最後の戦場』はミャンマーMyanmarが舞台になっていますが、映画の中ではビルマBurmaという旧国名が使われます。つまり現軍事政権を認めない立場を映画の中で表明しているわけです。日本政府はいち早く軍政を承認しましたが、国の呼び名一つをとってもYour call(お前の決断)であるわけです。


2010年07月20日

投稿者: 倉田 誠(京都外国語大学)
タイトル: 「頭韻は文学のみの技巧ではない!」

頭韻(alliteration)という技巧は文学や詩の世界のみではなく、私たちの身の回りに散在しています。同じ音を一定間隔で連続させると、口調の良さと耳触りの良さが生まれ、聞き手の記憶に残す効果があります。ディズニーキャラクターのMickey Mouse & Minnie MouseやDonald Duck & Daisy Duckはその好例ですし、PCのCMコピーの"Intel Inside"や"Kit Kat"というチョコレートの名前は頭から離れませんね。また、ことわざの"Money makes the mare to go."「地獄の沙汰も金次第。」や"It takes two to tango."「喧嘩両成敗」を始め、金言といわれる表現には頭韻を使ったものが多いのです。

この頭韻の技巧は、英語の直喩表現にも少なからず使われています。その一例を下記の映画のセリフで観察してみましょう。"Patch Adams"『パッチ・アダムス』(1998)では、主人公が天使の恰好で、ある入院患者の前に登場するシーンがあります。患者の前で「死」に関する語句を羅列し、最後に直喩表現でしめます。直喩表現以外の単語も見事なくらいに、全てが「d音」で統一されています。Patch Adams: "…deceased, demised, departed and defunct. Dead as a doornail."「没する。隠れる。他界する。死滅する。つまり、不帰の客となる。」<00:50:57>

dead as a doornail以外でも、blind as a bat「���く見えていない」、cool as a cucumber「とても冷静な」、 fit as a fiddle「ピンピンとした」、good as gold「とても親切な」、green as grass「鮮やかな緑の」、 mad as a March hare「とても乱暴な」なども全て映画のセリフとして確認されている直喩表現です(ATEM関西支部映画英語データベース)。皆さんも英会話で上記のような直喩表現を使えたら、proud as a peacock「とても誇らしげな気持ち」になれますよね。

2010年9月25日(土)に開催されるATEM関西支部大会(於:近畿大学)では、このような「映画と英語学」のインターフェースのみならず、「映画と文化」についても様々な興味深い情報を入手できます。乞うご期待!


2010年06月30日

投稿者: 西川 眞由美(摂南大学)
タイトル: 「イギリスから見たアメリカ--『ムッソリーニとお茶を』(Tea with Mussolini、1998米)」

第二次世界大戦前夜のフィレンチェが舞台のこの映画は、マギー・スミスやジュディ・デンチなど女優陣の豪華さとフランコ・ゼフィレッリ監督が作り出す映像の美しさで私たちを魅了してくれます。また私生児ルカと彼を深い愛情と教養を持って育てる英国婦人達の心温まる物語としても名作ですが、イギリス人のアメリカに対する複雑な思いも垣間見ることができます。

例えば、戸外でアフタヌーンティーをしているときに、富豪のアメリカ女性のエルサが豪華な車で現れると、元英国大使の未亡人へスターは、 "Americans."(アメリカン人め)<00:21:31>と言ってため息をつきます。また、エルサが幼いルカに大きなクリームパフェを食べさせているのを見て、"Look at that ridiculous American monstrosity they've given the child. . . They can even vulgarize ice cream."(なんて巨大なものを子供に与えるのかしら. . . アイスクリームまで俗悪化してしまうのね)<00:24:04>と非難するのです。

一方で、収容所のラジオからアメリカ参戦のアナウンスが聞こえた瞬間、彼女達は肩を抱き合って喜び、安堵します。「これで大丈夫、アメリカが救ってくれるわ!」と言わんばかりに。その後、近くのホテルに移った彼女らは自分達のホテル代を払ってくれているのはエルサであることを知ります。私生児ルカの養育費を払っているのも、実はエルサだったのです。

度重なる大戦の後、大英帝国として世界を君臨したイギリスが、圧倒的な経済力を誇るアメリカに覇者の座を譲りました。その若く稚拙な文化を軽蔑しながらも、エネルギーに満ち溢れた新しい強大国アメリカの力を頼らざるを得ない複雑な気持ちを、素敵なLady達が英国の誇りとともに見事に見せてくれる映画です。


2010年05月01日

投稿者: 藤倉 なおこ(京都外国語短期大学)
タイトル: 「トスカーナの休日 ―新しい「家族」のかたち―」

この映画の原作「イタリア・トスカーナの休日」は、ダイアン・レイン演じる主人公のフランシスが、イタリアで築いた新しい「家族」にささえられながら離婚の傷心から立ち直る物語です。

作家のフランシスは、夫の浮気が原因で離婚します。「いつかまたきっと幸せになれるよ。」という弁護士の言葉など耳に入りません。彼女を見かねた親友パティは、自分とレズビアンのパートナーが行くはずだったトスカーナ行きのチケットを譲ってくれます。そしてフランシスはトスカーナで築300年の家を衝動買いするのです。この家で結婚式をしたい!この家に家族が欲しい!という彼女。家の改修に来たポーランド移民の個性派ぞろいの3人組。工事の合間、フランシスは彼らに腕によりをかけて手作りの料理をふるまい、家族のように大きなテーブルを囲みます。隣の大家族はオリーブの収穫に彼女を招待し家族同然に食卓に受け入れます。彼女のすさんだ心は癒されていきます。

そこに妊娠したパティが現れます。人工受精で妊娠したものの結局、パートナーに去られてしまったのでした。パティ、赤ちゃん、フランシスと一緒に暮らし始めます。

一方、改修に来た内の一人は隣の娘と恋に落ちるのですが、彼女の親に移民で家族がいないような男に娘はやれないと結婚を猛反対されます。するとフランシスは、"I'm his family!"と誇らしげに父親の前で宣言します。少年はフランシスの家で盛大な結婚式を挙げます。

家族とはいったいなんでしょうか。"family"の語源はラテン語の"familia"(家の使用人)です。一緒に暮らす者という意味で、そもそも血縁関係はありませんでした。この映画は、必ずしも血縁で結ばれていなくても、そこには家族のような関係が存在しうるということ、新しい「家族」のかたちを教えてくれます。


2010年03月22日

投稿者: 近藤 暁子(奈良工業高等専門学校)
タイトル: 「The Pursuit of Happyness(『幸せのちから』)にみるアメリカ」

実在の人物をもとに描かれたこの映画の主人公クリスはホームレスから投資会社を立ち上げ億万長者になるという、アメリカンドリームを実現しました。彼を成功に導いた最大の理由は、どんなに絶望的な状況にあっても、死に物狂いで努力したこと、自分の可能性を信じたこと、これにつきます。

タイトルのThe Pursuit of Happynessはアメリカ独立宣言の「The pursuit of happiness(幸福の追求)」のもじりで、それが示されているクリスのつぶやきに以下があります。

"It was right then that I started thinking about Thomas Jefferson on the Declaration of Independence and the part about our right to life, liberty, and the pursuit of happiness. And I remember thinking, how did he know to put the pursuit part in there? That maybe happiness is something that we can only pursue and maybe we can actually never have it. No matter what. How did he know that?"(この瞬間に私はトーマス・ジェファーソンのことを考え始めた。彼は独立宣言書にこう書いた。人間には生きる権利、自由になる権利、幸福を追い求める権利があると。このとき私は思った。なぜ彼は幸福にだけ追い求めると加えたのか。もしかしたら、幸せとは追い求めることしかできないものなのかもしれない。実際に手に入れることはできないのかもしれない。どうやっても。彼はなぜそれを知っていたのか。)<00:31:17>

「この国には幸福を求める権利は与えられていても、幸福は保証してもらえるわけではない。」アメリカンドリームというよりも、アメリカ資本主義に対してどのように考えるかというメッセージがあるように感じられます。能力のあるもの、チャンスをつかめるものにはすばらしい国なのでしょう。でもすべての人間が幸せになれることを約束してくれる国ではないのです。でもそれに気づいていない人が少なくはないのではないでしょうか?


2010年02月13日

投稿者: 北本 晃治(帝塚山大学)
タイトル: 「意味解釈における文脈と文化」

このシリーズの一番初め(2006年05月08日掲載)に、藤枝先生が『タイタニック』の中で、船が沈没した後に展開されるジャックとローズの対話を取り上げて解説しておられますが、ここでは、同じシーンからジャックのせりふの方に焦点を当てて、再度考えてみたいと思います。

ジャックは、自らは海水の中にありながら、船の破片の上にローズを上がらせて、海水の直接的な冷たさから彼女の身を守っています。ローズは、周りの人々が息絶えてしまった様子に"It's getting quiet."と力なくつぶやきますが、ジャックはこの言葉に鋭く反応して、次のように言うのでした。"It's just gonna take them a couple of minutes to get the boats organized. I don't know about you, but I intend to write a strongly worded letter to the White Star Line about all this."(あと数分でボートの準備が整うからね。君がどうするかは知らないけれど、僕は、今回の件について、ホワイトスターライン社に強い抗議文を書くつもりだ。)<02:49:43>

文の意味はそれが置かれている文脈によって大きく変化します。ここでジャックは、ローズを何とか救いたいという一心から、気力の失せかけたローズを懸命に励まそうとしています。しかし、救命ボートへの言及は分かるとしても、瀕死の状態から船会社へ「抗議文を書く」というところは、普通に考えればジャンプが大きすぎるように思われます。するとこの言葉には、言外の意味があると考える必要があります。それは指摘した文脈「ローズの気力への刺激」ということになるでしょう。ここでは、生存後のビジョンの提示⇒それを示す強さとユーモア(余裕)が自分にはある⇒自分の言葉を信じてがんばれ!という言葉とその発信源への信を促すジャックの意図があり、そのことはこの後に続く一連のセリフの中にも見て取れます。

それでは、その始まりがどうして船会社へ「抗議文を書く」ということになるのでしょうか。このような状況で第一に考えるべきこととしては、日本人的感覚ではかなり違和感があるところでしょう。ここで作用しているのは、人間間の関係性においては、それが愛であれ、要望であれ、抗議であれ、それらをきちんと言葉にして相手に伝えることが重要であるとする、その文化的文脈であるということに気づくことが大切です。日本文化では、人間関係における表立った言語的対立を回避し、一体感や全体性に向けた「包む作用」に価値が置かれがちですが、神の裁きは、物事の是非を切り分けるための明確な言語化(つまりは「切断作用」)の後にやってくる、という西洋的価値観が理解できれば、このような文化差から生じてくる「違和感」も、納得されるものとなってくるように思います。


2010年01月24日

投稿者: 倉田 誠(京都外国語大学)
タイトル: 「What's X doing here? 言外の意味しかない構文的イディオム」

What's X doing here?という表現は、変数Xの部分に無生物主語が代入されるという風変りな構文的イディオムです。表面上は「Xがここで何をしているのですか」という疑問文ですが、話し手が「本来あるはずのないXがここにある」と考えていることから、「Xが邪魔である→どけろ!」といった意味が生じます。更にストレートにいうと、この表現を用いると文字通りの解釈はなくなり、上記のような命令文の意味のみが相手に伝わるのです。2例ほど映画からのセリフをご紹介します。1例目は"Ghost"『ゴースト』(1990)<00:08:40>からのシーンを取り上げます。主人公のMollyが、同棲中の恋人Samに向かって、"Sam, what's this chair doing here?"(サム、この椅子はここで何をしているの?)と発しています。Mollyはこのように発話することで、自分が苛立っていることを表しているだけではなく、Samにその椅子を間接的に片付けてくれと伝えています。またこの構文は"Titanic"『タイタニック』(1997)<02:07:34>にも"What's this luggage doing here? Get rid of it!"(トランクなんか載せるな!邪魔だから、どけろ!)というセリフで登場しています。タイタニックが沈みつつあるシーンで、数が限られた救命ボートに自分の荷物を載せた乗客に向かって放った、客船乗務員の怒りにあふれた表現です。矢継ぎ早にGet rid of itも付け加えていますね。

ご存じの方も多いと思いますが、ATEM関西支部は執筆活動が盛んな支部です。実はこの項目は少し形を変えて、「英語学と映画」をモチーフにした近刊本(くろしお出版)に掲載されます。新進気鋭の関西支部会員である衛藤圭一先生と私、倉田が担当しています。乞うご期待!
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2009年10月11日

投稿者: 平井 大輔(近畿大学)
タイトル: 「目に見えないものが見える!!」

映画Field of Dreams(『フィールド・オブ・ドリームズ』)(1989)には次のセリフがあります。

Ray Kinsella: Something's going to happen at the game. I don't know what. But there's something at Fenway Park. I got to be there with Terence Mann to find it out.
(この試合で何かが起こるんだ。何かわからないけど。しかし、フェンウエイパークで何かあるんだ。それを観にテレンス・マンとそこへ行かないといけないんだ。)<0:43:50>

このセリフで非常に興味深いのが、冒頭の"Something's going to happen at the game. I don't know what."というセリフです。我々はこのセリフをどのように理解しているでしょうか? "what"の後ろに何か見えますか?

実はこのあとには省略されている英語があるのです。この文を省略せずにすべて書き出すとすれば、以下のように理解していることが分かります。

Something's going to happen at the game. I don't know what is going to happen.

ただ単に"what"で終わっているのではなく、意味的にはそのあとに上のような文が続いていることを私たちは(少なくとも英語母語話者は)正しく理解しているのです。このように、言葉には目に見えているものだけが存在するわけではないのですね。それを理解できる力ってすばらしいですね。

映画は、このような省略されている英語を発見し、そこに何が隠されているのかを考える機会を与えてくれる最高の材料でもあるのです。映画で言葉力を試してみませんか?


2009年08月24日

投稿者: 横山 仁視(京都女子大学)
タイトル: 「表現のcultural literacyを知る楽しさ」

アメリカ英語をよく観察してみると、今日でも使われている表現の中には北米先住民の習慣を色濃く残しているものがあります。

bury the hatchet (=forget old differences and make peace)「仲直りをする、和睦する、戦いをやめる」はその一例です。この表現はアメリカ先住民の戦いの習慣を反映しているもので、敵が戦うことをやめる印として、トマホーク(北米先住民の戦闘・狩に用いる石[鉄]おの)を文字通りに地中に埋めたと言われています。対照的な表現にdig up the hatchet (=argue about an old disagreement)「古いけんかを再び始める」があります。また、turn down (=reject)「(申し出など)を断る」もまた興味深い表現で、その由来は植民地時代にさかのぼります。当時、恥ずかしがり屋の若い男性が女性に求婚する際に"courting mirror"「求婚用の鏡」(ガラスの上に装飾を施した18世紀の木枠つきの小型鏡で、求愛の習慣的贈物だったことからこう呼ばれる)の鏡の面をテーブルの上にして置き、相手の女性がその鏡を覗き込みほほ笑むと求愛を受け入れたことを表し、逆に、鏡を裏返しにすると求愛を断ったとされています。

こうした表現は映画の台詞にも見られます。『ワーキング・ガール』(1988)と『評決』(1982)から見てみましょう。

TESS: Look, you, maybe you can fool these guys with this saint act you've got down, but do not ever speak to me again like we don't know what really happened. You got me?(いい加減にしてよ。もっともらしい口きいて、他の人は騙せても私には効かないわよ。何が人生は積極的につかむよ。)
KATHARINE: Tess, this is business. Let's just bury the hatchet. Okay?(テス、これはビジネスよ。済んだことは忘れましょう。いいわね。)
TESS: You know where you can bury your hatchet? Now get your bony ass out of my sight!(忘れるもんですか。消えてよこのギスギスだぬき。)---Working Girl: <01:39:11>

KEVIN: We've been going for four years, now. See, four years my wife has been crying herself to sleep. What they did to her sister!(4年面倒を見ている。4年だぞ。女房は4年間泣き暮らした。姉があんなことに。)
GALVIN: Look, I swear to ya, I wouldn't turn down the offer if I thought I couldn't win the case.(分かってくれ。私には勝つ自信がある。)
KEVIN: What do you mean, what you thought? I am a working man, trying to get my wife out of town. Now we hired you and I am paying you!(自信だと?俺は安月給取りだが、正規にあんたを雇った。)---The Verdict: <00:49:00>

2009年9月26日(土)に帝塚山大学(学園前キャンパス)で開催されるATEM関西支部第7回大会では、このような言語や文化に関する情報交換も盛んに行われますので、是非ご参加ください。


2009年06月13日

投稿者: 倉田 誠(京都外国語大学)
タイトル: 「悪くなるdevelopについて」

日本人英語学習者の多くが正しく使えていない動詞の一つにdevelopがあります。この動詞は古フランス語起源で、語源はde(脱却させる)+velop(筒)というものです。中学校で習うenvelope「封筒」という単語がen+velopから造られていることは、想像に難くないでしょう。英和辞典等ではdevelopは「<能力・産業など>を発達させる、発展させる」や「<資源・産業など>を開発する」という意味が強調されていますので、「何かをよくする」という意味の動詞であると誤解している日本人学習者が多いようです。しかしながら、developには「<病気>を発病する」という悪くなる用法や「<フィルム・写真>を現像する」という善悪という尺度では測れない用法もありますね。そこで再度語源の意味を「筒状(velop)のものから出す(de)→見えない状態から見える状態にする→顕在化させる」と認識すると、「善悪にかかわらず、何かが際立つ」という中核的意味になります。上掲の「<フィルム・写真>を現像する」という意味は、現像液につけると文字通り「被写体が浮き出てくる」というイメージが出ますよね。ちなみに、現像液はdeveloperといいます。developの意味的ロジック通りですよね。

下記は「悪い方向」に顕���化しているdevelopの用��ですので、��考に���てください。スペース��関係上、���回は3例しか上げられませんが、2009年9月26日(土)に帝塚山大学で開かれるATEM関西支部大会では、このような英語学に関する情報交換も盛んに行われますので、乞うご期待!

Deep Blue Sea 『ディープ・ブルー』(1999)<00:05:17>
Susan: 200,000 men and women develop Alzheimer's each year.(20万人の人々が毎年、アルツハイマー病を発症しているのよ。)

Big Daddy 『ビッグ・ダディー』(1999)<00:43:52>
Julian: Layla, if you don't come over to Sonny's apartment tonight…there's a good chance I'll develop a stutter. P-P-P-Please don't do this to me. (ライラ、今晩ソニーのアパートに来てくれなかったら、僕は吃るようになってしまうと思う。どっ、どっ、どっ、どうかそんな目にあわさないでくれよ。)

The American President 『アメリカンプレジデント』(1995)<00:44:41>
Leo: But you've spent a lot of time over the years telling me the trouble with the environmental lobby is that we don't understand the fundamental truth that politics is perception. This is a bad time to develop ignorance.(君は環境陳情の工作をする上で、政治上の臭いものに蓋をするようではだめだと力説してきたじゃないか。今回のことも蓋をしていてはだめだよ。)


2009年01月09日

投稿者: 松田早恵(摂南大学)
タイトル: 「幸せの尺度」

『ウェイトレス~おいしい人生のつくりかた』(Waitress)には様々な人生模様が描かれています。主人公のジェナは、自己本位で暴力的な夫アールから逃れたいと思っているのですが、結局彼の言うことには逆らえず、"Absolutely."(その通りよ)を連発します。そして、不運にもアールの子どもを妊娠してしまうのです。そんな彼女に優しく接するのが、新しく着任してきた若き産婦人科医、ポマター先生です。お互いに家庭があるとは知りつつ、2人はどんどん魅かれ合っていきます。

そんなある日、ジェナはウェイトレス仲間のベッキーと店長カルの不倫現場を目撃してしまいます。自分のことを棚にあげてベッキーを責めるジェナ。でもベッキーにはベッキーの思いがあります。ベッキーには寝たきりの夫がいるのですが、夫と別れること=見捨てることはできないと言うのです。

ジェナは店長カルに次のように聞きます。

JENNA: Are you happy? I mean you call yourself a happy man?
(あなたは幸せ?自分のことを幸せだって言える?)
CAL: Well, if you're asking me a serious question, I'll tell you. Happy enough. I don't expect much. I don't give much. I don't get much. I generally enjoy whatever comes up. That's my truth.(真面目に聞いてるんなら答えてやるよ。十分幸せだよ。期待もし過ぎず、与えることももらうこともほどほど。大抵、成り行き任せを楽しんでいる。それが俺の本音さ。)<01:05:38>

一方、もう1人のウェイトレス仲間ドーンは、第一印象が悪かった(ストーカーされていた)相手との結婚を決めます。

DAWN: He got to me…He's so passionate. He writes me these spontaneous poems…He's not pretty, but he grows on you…I've found someone who loves me to death and I AM happy.(気持ちが届いたのよ。すっごく情熱的で、即興の詩を作ってくれるの。男前じゃないけど、段々好きになってくるのよ。私のことを死ぬほど愛してくれる人を見つけて、私はし・あ・わ・せ!)<00:58:00>

いろいろな生き方に触れて、ジェナ自身も自分の人生を見つめ直します。赤ちゃんが生れた日、ジェナが下した決断とは?ネタばれするので、後は映画でご確認くださいね。

※余談:このDVDにはPie Recipe Book(パイ5種のレシピブック)が付いていたのですが、私が是非作ってみたいパイは、Falling in Love Chocolate Mousse Pie(恋するチョコレートムースパイ)です。Earl Murders Me Cause I'm Having an Affair Pie(不倫でアールに殺されるパイ)もおいしそうですが、材料のブラックベリーがちょっと日本では手に入りそうにないかもしれません。


2008年10月16日

投稿者: 小野 隆啓(京都外国語大学)
タイトル: 「Thisの意味のThat」

『ハリーポッターと賢者の石』(Harry Potter and the Philosopher's Stone)の中に次のような会話のシーンが出てきます。

Harry: Hagrid, what exactly is that?
Hagrid: That? It's. . . .
Ron: I know what that is! But, Hagrid, how did you get one? <01:39:48>

このシーンは、Hagridがドラゴンの卵を暖めて孵化させようとし、そろそろかえる頃なので机の上に卵を置きます。Harry, Ron, Hermioneの3人は机を囲み、卵は彼らの目と鼻の先にあります。そのような状況で上のセリフが出てきます。この中のHarryとRonのセリフの中の二つのthat、日本語に訳してみるとどうしても「あれ」ではなく、「これ」と訳さないと日本語の場合おかしいですね。「ハグリッド、これって一体なーに?」、「僕これが何か知ってるよ。でも、ハグリッド、どうやって手に入れたの?」のようになりますね。つまり、使われているのはthatなのに意味的にはthisなのです。

同じ映画の中の終わりの方にも、同じ用法のthatが出てきます。これは、ハグリッドが一角獣(unicorn)の血を指ですくって、それをHarry達に見せているところで出てきます。

Harry: Hagrid, what is that?
Hagrid: What we're here for. See that? That's unicorn blood, that is. …<01:44:40>

Harryのセリフのthatはここでは「あれ」でもなく「これ」でもなく、「それ」が一番しっくり来ます。「ハグリッド、それなーに?」でしょう。でも、その後のハグリッドのセリフの中にあるthatは、ハグリッド自らがその指に一角獣の血をつけているのですから、「おれたちゃ、ここに何しに来たんだ?これが見えないか?これは一角獣の血だぞ。」のように「これ」でないとおかしくて「あれ」や「それ」ではだめですね。

これらの例からthatにthisの意味を表す用法があることがわかります。thatは空間的に遠くにあるものを指す場合に使われるのが一般的です。でも、thatには「心理的に遠いものを指す」場合があるのです。上の例はどちらも「空間的にはthisの範囲にあるが心理的に遠い存在」なのでthatが用いられているのです。ドラゴンの卵も一角獣の血も、たとえそれらが目の前にあっても、そんなものは今までHarryは全く見たことも聞いたこともないので心理的に遠い存在なのです。そのためたとえ空間的にはすぐ近く、手の届くような位置にあってもthatが用いられているのです。

『プラダを着た悪魔』(The Devil Wears Prada)の中のthatも同じです。
(⇒7月19日掲載の「話題化(topicalization)」(倉田誠先生)をご参照ください!)

Nigel: Who's that?(これ、誰?)
Emily: That I can't even talk about.(話す気にもならないわ。)<00:04:58>

最初のNigelのセリフはAndyのすぐ隣で発せられたものです。すぐ隣ですから、日本語なら当然「これ」を用いますからthisを用いる所だと思いますよね。ところが実際にはthatになっているわけです。ファッション界の先頭を行く雑誌Runwayで勤務するNigelにとってAndyの服装は全くファッションとは言えないようなひどいものに映ったのでしょう。なので自分とは「心理的に遠い」存在だということでthatを使っているのです。

この「Thisの意味のThat」は、一般の辞書の中にも書いてあるものもあるのです。ですが、上のようなしっくり来る例が示されておらず、やはり距離的に遠いもののことしか出てきていません。映画の英語、やはりとても役に立つ教材だと言えますね。(以上のことを知れば、最初に紹介したセリフのハグリッドの応答、"That? It's. . . ." の部分のThat?となっていること、特に疑問詞が付いていることの意味もわかってくるはずです。日本語訳ではその微妙な感覚は消えてしまっています。どうぞ、考えてみてください。)


2008年10月02日

投稿者: 石川 保茂(京都外国語短期大学)
タイトル: 「『ニューヨークの恋人』 Kate & Leopold」

おかしな研究者スチュアートは時空の裂け目をついに発見し、1876年のニューヨークにワープします。しかしそこで生粋の英国紳士レオポルドに不審な行動を見とがめられ、あとを追われて橋から落下します。一人で現代のニューヨークに戻ってきたはずが、なんとレオポルドまで一緒に。アパートの階下に住む「元」恋人のケイトが出入りして、レオポルドを彼女の仕事の企画に起用、大当たりとなります。まさに絵に描いたような紳士的行動をとるレオポルドに、いつしかケイトは魅かれ、レオポルドもケイトに魅かれていきます。しかし、現代になじめないレオポルドとケイトの仲はぎくしゃくし、その傷心を抱いたままレオポルドは過去の世界へと帰ってしまいます。レオポルドのおかげもあって念願の昇進を果たしたケイトは、いよいよその発表パーティの就任挨拶の時を迎えます。しかしケイトの弟チャーリーが、1876年の写真にケイトが写っているのを発見し、チャーリーとスチュアートはケイトに、レオポルドのいる過去に行くよう説得します。でもスチュアートのことばを信用していないケイトは全く耳を貸しません。その時に「元」恋人のスチュアートが何とかケイトをレオポルドの世界に行かせようと、ケイトに向かって言ったのがこのセリフです。

STUART: Maybe I was supposed to find you help your guy Leopold.
(本当の恋人レオポルドを君が探し出せるように助けるのが、僕の運命だったと思うよ)

決して幸せとは言えなかったケイトと「元」恋人スチュアートの仲。しかしこの二人の恋人関係がなければ、ケイトとレオポルドもまた結ばれることもなく、二人の人生は平行線のままで交わることはなかったのです。人生とは、何と異なもの、粋なものなのでしょう。


2008年09月11日

投稿者: 井村 誠(大阪工業大学)
タイトル: 「心に刻みたいセリフ『ロッキー・ザ・ファイナル』(2006)」

Rocky: It ain't about how hard you hit. It's about how hard you can get hit andkeep movin' forward.<01:03:34>

人生にとって大切なことは、どれだけ打つかではなく、どれだけ打たれるかということであり、そして打たれても、打たれても、前へ進もうとすることである… 『ロッキー・ザ・ファイナル』を観ていて、素直に感動した言葉です。It's about ~は、口語英語によく見られる表現で、しばしばIt's not about ~. It's about ~.のように対句で用いられ、「肝心なことは~ではなくて、~だ。」のような意味になります。前置詞aboutの面白い用法のひとつですね。60歳を過ぎてなおも闘おうとするロッキーを息子のロバートは止めようとします。しかしそれは父への思いやりからではなく、自分が笑いものにされるのが嫌だったからです。そんな息子へ放った父の言葉は、やっぱりロッキー・パンチ!

Rocky: I'll tell you something you already know. The world ain't all sunshine and rainbows. It's a very mean and nasty place. And I don't care how tough you are, it will beat you to your knees and keep you there permanently if you let it. You, me, or nobody is gonna hit as hard as life. But it ain't about how hard you hit. It's about how hard you can get hit and keep movin' forward. How much you can take and keep movin' forward. That's how winnin' is done!


2008年09月01日

投稿者: 奥村 真紀(京都教育大学)
タイトル: 『結婚の可能性-Miss Potter-』

皆さんがおそらく一度は目にしたことのある『ピーターラビット』の絵本は、20世紀初頭の英国で、ビアトリクス・ポターによって生み出されました。当時、良家の女性が結婚もせずに仕事をもつのははしたないことと見なされていました。婚期を逃しかけている娘に、次々とお見合いを押しつけてくる両親をふり切りながら、彼女は自分の絵本を出版してくれる出版社を見つけ、その編集者ノーマンと次第に親しくなります。ノーマンには同じく独身の姉、ミリーがいて、ビアトリクスは彼女とオールドミス同志の親しみを深め、何でも打ち明けられる親友となるのです。そして、彼らを招いたクリスマス・パーティー。突然のノーマンのプロポーズに驚きつつ、自分の愛に気付いたビアトリクスは返事をする前にミリーを見つけて相談します。ノーマンと自分が結婚してしまったら、ミリーが一人になってしまう、と気遣うビアトリクスに対し、ミリーはこう言います。

You have a chance for happiness, and you're worrying about me? I wouldn't worry about you, if…if someone came along who loved me and whom I loved. I'd trample my mother.
(あなたは幸せになるチャンスを得たのに私のことを気にしているの?私はあなたのことなんか気にしないわよ、もし・・もし私を愛してくれる人がいて、私がその人を愛してい���ら。ママだ���て踏みつけて行くわ。)

ミリーの使う仮定法は��彼女が置かれ���いる状況がどれほど厳しいかを如実に表しています。出生率や戦争その他で「女が余っていた」この時代、小説や映画にたくさん出てくるオールドミスになる女性は珍しくありませんでした。幸せを得ようとする親友と別れる時のミリーの寂しげな顔が、彼女の内面をよく語っています。


2008年08月19日

投稿者: 坂本 季詩雄(京都外国語大学)
タイトル: 「『ホートン、ふしぎな世界のダレダーレ』と日本文化」

2008年7月12日に公開された映画『ホートン、ふしぎな世界のダレダーレ』は、Horton Hears a Who!という絵本を原作としています。実はこの作品は日本文化と繋がりを持っているのです。

配給会社、日本二十世紀フォックス社は、プロモーションで何とかこの作品をもり立てようとしました。その現れの一つがスースとこの作品と日本の繋がりの強調です。同志社女子大教授だった中村貢氏が、1953年に京都を訪れたドクター・スース夫妻をもてなしました。そして、配給会社がこの点を宣伝に利用したのです。こうして、この映画のパンフレットには、原作が「ドクター・スースが日本を訪れた際に中村氏と出会い、また日本の文化に接するうち、彼独自のイマジネーションが大いに刺激され、その結晶として生まれた」と記されることになったのです。

確かな証拠はないですが、 "A person's a person, no matter how small"(どんなに小さくても、ひとはひと)という、この作品でのキーフレイズは、日本文化との関連性を感じさせます。ホートンは小さな世界 "small speck of dust"(ほこりのかけら)に住むWho達(ダレダーレ達)に気がつき、彼らの存在をジャングルの住民に知らせます。彼の声に最初は誰一人耳を傾けませんでしたが、ダレダーレ達自身が大声を上げて存在をジャングルの住民に分からせるのです。日本へ来る前、自作『5000本の指』の映画化がうまくいかず、落ち込んでいたドクター・スースが、戦後間もない元敵国日本の異質な文化に触れて、新作Horton Hears a Who!のインスピレーションを得たとしてもふしぎはないように思われます。当時日本は国際社会に復帰しようとがんばっていたのです。スースや彼の作品については、私たちの訳した『ドクター・スースの素顔、世界で愛されるアメリカの絵本作家』彩流社刊に詳しいので、もっと知りたい人は読んでみて下さい。

残念だったのは、このようなスース作品が、公開初日に筆者と共に鑑賞したのが30人そこそこだったことです。『ホートン、ふしぎな世界のダレダーレ』を見ましょうと、私が大声を上げなければならないのです。


2008年07月19日

投稿者: 倉田 誠(京都外国語大学)
タイトル: 「話題化(topicalization)」

『プラダを着た悪魔』(2007)の最初の方のシーンで、主人公のアンディーがRunway社というファッション雑誌社に面接を受けに来ます。その場で、次のような短い会話があります。

Nigel: Who's that?(これ、誰?)
Emily: That I can't even talk about.(話す気にもならないわ)<00:04:58>

この会話ではナイジェルの使った指示代名詞のthatを、エミリーが自分のセリフの中では、目的語の位置から文頭位に移動させる「話題化」(topicalization)というおもしろい技法に変換しています。この会話技法は先行文脈における情報を旧情報としてとらえ、目的語に相当する語句を前置することによって、会話の流れをスムーズにする効果があります。このシーンでは、社風に全く合わないファッションで面接に来たアンディーの隣で、ナイジェルがいぶかしげに口パクで"Who's that?"と言っています。それに対して、エミリーが指示代名詞thatをそのまま文頭に使い、"That I can't even talk about."と即答することにより、ナイジェルの懐疑的な気持に同調する意図を示しています。言うまでもなく、エミリーの台詞の一般的な語順は"I can't even talk about that."というものです。

それにしても真横にいるアンディーを指差して、ナイジェルが使う"Who's that?"は学校で習った指示代名詞thatの用法からは少し外れますよね。これについてはスペースの関係もありますので、次稿を担当される小野隆啓先生(京都外国語大学)にバトンタッチしたいと思います。乞うご期待!


2008年06月08日

投稿者: 田中 美和子(京都ノートルダム女子大学・非、京都橘大学・非)
 タイトル: 「米国の街頭保険(streetsurance): F・コッポラ『レインメーカー』(1997)」

豊かだと思われている国アメリカには、日本のような国民皆保険制度がありません。そのため多くのアメリカ人は、個人で民間の医療保険に加入します。このようなアメリカの状況が『レインメーカー』の依頼人ブラック一家の存在によって表現されます。ちなみに、タイトルのレインメーカー(rainmaker)とは,主人公の弁護士Rudyが所属事務所に「お金の雨を降らせる人」であるという意味で用いられています。民間の医療保険に加入するブラックさんの息子Donny Rayが白血病を発病しました。本来なら保険金で十分な治療ができるはずなのに、いろんな口実で何年も支払い拒否にあい、その間に病状はかなり進行してしまいました。事情を聞いたRudyの同僚Deckは、それは典型的な「週掛帳面型保険詐欺(debit insurance scam)」だと言い放ち、次の様に説明します。

Deck: The blacks call it "streetsurance."(黒人たちはそういうのを「街頭保険」と呼んでいるよ。)<00:07:08>

「街頭保険(streetsurance)」とは、戸別訪問で保険を売り、毎週その家を訪問しては掛け金を直接徴収する保険を指します。特に、教育を受けていない低所得者層の人たちを対象にすると言われており、保険金の請求に対して保険会社はとにかく支払い拒否をし続けるのです。堤未果『ルポ 貧困大国アメリカ』(2008)やM・ムーア『シッコ』(2007)にもありますが、民間の医療保険はカバーする範囲をあらかじめ狭く設定している上に、街頭保険と同じように理由をつけては支払い拒否をするため、中流階級にも医療費がかさんで自己破産する人が珍しくないそうです。


2008年05月14日

投稿者: 藤枝 善之(京都外国語短期大学)
タイトル: 「神を証人として誓う。私は二度と飢えない!As God is my witness, I’ll never be hungry again! - スカーレット・オハラ(ヴィヴィアン・リー)」

『風と共に去りぬ』(1939年)

舞台は南北戦争直前のアメリカ南部。主人公のスカーレットは、ジョージア州タラで大農園を経営するオハラ家の娘です。ある時、自分が思いを寄せるアシュレーがメラニーと結婚すると聞き、あわてて愛を告白しに行きますが、結局、振られてしまいます。たまたまその告白の場に居合わせたのが、社交界の不良男、レット・バトラー。これが二人の運命の出会いでした。北軍の南部侵攻が始まった頃、メラニーが出産します。彼女の世話をアシュレーから頼まれていたスカーレットは、乳飲み子と病気のメラニーを抱えて途方に暮れます。スカーレットたちは、レットの助けで、北軍の砲撃で炎上するアトランタをかろうじて脱出。馬車で生まれ故郷のタラを目指します。タラへの旅の途中で、愛郷心に目覚めたレットが突然、敗色濃厚な南軍に加わることを決意します。別れ際にスカーレットを強く抱きしめ、愛の告白をするレット。彼が去った後、スカーレットは、恨めしさと心細さで泣きながら、南軍兵の死体が散乱する道を馬車で進んでいくのです。やっとの思いでタラに帰ってみると、幸い家は焼かれずに残っていました。しかし頼りにしていた母は前日に病死。父はそのショックで抜け殻のようになり、屋敷は北軍の略奪で荒れ放題でした。そんな中でスカーレットは、家族や使用人たち、メラニーとその子どもを養っていかねばなりません。絶望と空腹に苛まれ、早朝農園に出たスカーレットは、荒れ���畑の中から泥まみれの大根を掘り出し、夢中でかぶりつきます。しかし、たちまち胸がむかついて吐き出し、惨めさに打ちひしがれます。ひとしきり泣いた後で彼女はゆっくり立ち上がり、天に拳を突き上げて、運命に挑戦するかのようにこう宣言するのです。

“As God is my witness… As God is my witness, they’re not going to lick me. I’m going to live through this, and when it’s all over, I’ll never be hungry again. No, nor any of my folks. If I have to lie, steal, cheat or kill. As God is my witness, I’ll never be hungry again!”
(神を証人として…神を証人として誓う。私は負けない。私は生き抜く。そしてその闘いが終わったら、私は二度と飢えない。そう、私の家族も。たとえ、嘘をつき、盗み、騙し、殺さなければならなくなっても。神を証人として誓う。私は二度と飢えない!)

この台詞にはGodという言葉が何度か出てきますが、信仰を持つ人にありがちな、神に頼り、神にすがるという態度は微塵も窺えません。この、自分だけを頼りに逆境を乗り越えようとするスカーレットの毅然とした姿勢は、恐慌の傷跡が残るアメリカ国民や、敗戦から立ち直れないでいる日本国民を大いに励ましたのです。特に、終戦7年目に本作品が公開された日本では、多くの人が戦中・戦後の飢えや焼け野原の体験を重ね合わせて泣きました。まさにこのシーンが、日本の高度経済成長の一つの原動力になったのかもしれませんね。


2008年03月03日

投稿者: 松田 早恵(摂南大学)
タイトル: 「『プリティ・プリンセス2:ロイヤルウェディング』の中のお伽話」

『プラダを着た悪魔』のアン・ハサウェイ主演のプリンセスシリーズ第二弾では、Rapunzelというおとぎ話(のパロディ)が登場します。原作は魔女によって高い塔に閉じ込められた美女Rapunzelのお話で、塔には高いところに窓が一つあるだけなので魔女は下から次のように呼びかけます。

Rapunzel, Rapunzel, let down your hair, so that I may climb the golden stair.
(ラプンツェル、ラプンツェル、髪を垂らしておくれ。その金のはしごを登るから)

ある日、たまたま通りかかった王子(Prince Charming)がそれを見て、魔女の居ない時に同じように呼びかけてみます。王子は無事に塔に登り、必然的に2人の間に愛が芽生えます。『プリティ・プリンセス2』では、明日他の人と結婚することになっているミア(アン・ハサウェイ)のところにニコラス(クリス・パイン)がやってきて、窓の下から次のように呼びかけます。

Rapunzel, Rapunzel, with hair so fine. Come out your window, climb down the vine.
(ラプンツェル、ラプンツェル、美しい髪の人よ。蔦を伝って下りてきておくれ)

それに対するミアの答えはこうです。

The feat you ask, dear sir, isn't easy. And I won't respond to that line. It's far too cheesy.
(そんな離れ業は簡単じゃないのよ。それに、そのセリフには答えられないわ。ダサすぎて)

でもそこに居合わせた友人のリリー(ヘザー・マタラーゾ)はミアの本心を見抜き、次のように聞きます。

Do you want a regular bachelorette party with 12 screaming girls or do you want a stroll in the moonlight with your almost-Prince Charming?
(キャーキャーうるさい女の子たち12人と普通の「独身さよなら」パーティがしたいの?それとも「ほぼ王子様」と月夜の散歩がいいの?

そして、結局ミアは蔦を伝って下りていくのですが、これがなかなかうまく行きません。そこで一言。

This really is more romantic in books.
(これって本当に本の方がロマンティックだわ)


2007年09月12日

投稿者: 中井 英民(天理大学)
タイトル: 「男女間の友情はあり得るか?『恋人たちの予感』より」

シカゴ大学を卒業したばかりのサリーとハリーは、仕方なく同じ車でニューヨークまで行きますが、二人の相性は最悪でまったく意見が合いません。まずはこの映画のテーマである「男女間の友情はあり得るか」でもめます。

Harry: Men and women can't be friends because the sex part always gets in the way.
(男と女はセックスが邪魔して、友達にはなれないんだ)

Sally: That's not true. I have a number of men friends and there's no sex involved.
(そんなことないわ。私にはセックスが絡まない男友達がたくさんいるわ)

Harry: No, you don't. You only think you do.
(いやいないね。いると思っているだけさ)

この映画では、その後二人の間に恋愛感情やセックス抜きの友情が何年間も続くのですが、でも結局は・・・。さて男女間の友情について、あなたはどう思いますか。私はいまも昔も、異性の親友はできると信じていますが。

この映画からもう一つ、よく聞く議論を紹介します。ハリーは親友のジェスに「性格のいい子だよ」とサリーを紹介しようとしますが、「だったら、その子は美人じゃないんだろう」とジェスは言い張ります。

When someone's not that attractive, they're always described as having a good personality.
(そんなに美人じゃない女性のことは、いつでも「性格がいい」って表現されるんだよ。)

男でも女でも、「外見と気立て」は両立しないのでしょうか。


2007年06月30日

投稿者: 奥村 真紀(同志社大学・非、京都女子大学・非)
タイトル: 「「理想の愛」とシェイクスピアのソネット」

古いものを愛し、伝統を重んじることで知られているイギリス社会においては、古典的文学作品もまた愛されています。2007年3月に行われた調査では、イギリス人が「この本なしでは生きていけない」と思う本のトップに、19世紀の女性作家ジェイン・オースティンが選ばれました。また、イギリスの誇る大詩人シェイクスピアの作品も時を超えて愛されています。ジェイン・オースティンの『分別と多感』は『いつか晴れた日に』という邦題で映画化されていますが、分別に富んだ姉エリノアと、感受性の強い妹マリアンがそれぞれに愛と幸せを求める物語です。自己抑制のできるエリノアが我慢強く待つことで愛を得るのに対し、愛こそがすべてだと信じるマリアンは一目惚れした男性に裏切られ、絶望のさなかで、かつて彼と一緒に暗唱したソネットをつぶやきます。

"Love is not love/ which alters when it alteration finds, Or bends with the remover to remove:"
(相手が心変わりをしたからといって変わったり、相手が心を移せば自分も移すような、そんな愛は愛ではない)

これをつぶやく激情的なマリアンを演じるのは『タイタニック』のケイト・ウィンスレット。傷ついた表情が秀逸です。映画で暗唱される、ネイティブの読む美しい英詩のリズムを堪能してみてください。

"To be or not to be; that is the question"(生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ)

これはハムレットのセリフですが、シェイクスピアのセリフはリズミカルでとても美しく、新聞や本のタイトルにもよく引用されます。ソネットというのは14行で書かれる愛の詩のことで、シェイクスピアはソネットの名手としても非常に有名です。17世紀に書かれたシェイクスピアのソネットは、21世紀のみなさんの理想の愛にも通じるものがあるのではないでしょうか?みなさんは、分別に富んだエリノアと多感なマリアン、どちらに共感しますか?


2006年05月06日

投稿者: 井村 誠(大阪工業大学)
タイトル: 「Boot Camp Song」

アメリカ映画では、軍隊の訓練で、隊列を組んで大声で歌いながら走っているシーンがよく出てきますよね。前から気になっていたのですが、いったいどんな内容の歌を歌っているのでしょうか?

リチャード・ギア主演の『愛と青春の旅立ち』(An Officer and a Gentleman, 1982 Paramount Pictures)から、字幕を拾ってみました。

Flying low and feeling mean(低空飛行でぶちかまそう)
Spot a family by the stream(川のほとりに親子連れ)
Pickle a pair (Pick up a pear?) and hear them scream(ナシの実拾って悲鳴をあげた)
'Cause napalm sticks to kids(おれの落としたナパーム弾)

Family of gooks are sitting in a ditch(溝の中に親子連れ)
Little baby's sucking on momma's tit(ママの乳吸う赤ん坊)
Chemical firms don't give a shit(爆弾相手を選ばない)
That napalm sticks to kids(ナパーム一家を皆殺し)

明らかにベトナム戦争を茶化したものですが、なんともひどい内容ですね。軍隊では頑強な精神(grim determination)を鍛えるために、わざと汚い罵り言葉が多用されるようです。

Lift your head and hold it high(頭を上げて胸を張れ)
The best in the regiment is running on by(精鋭小隊のお通りだ)

これなら勇ましい内容で、ジョギングしながら歌っても問題なさそうです。


2007年05月06日

投稿者: 石川 保茂(京都外国語短期大学)
タイトル: 「 「山羊的」な男を求めて:『ノッティングヒルの恋人』から」

「山羊的」男はなかなか見つかりません。「ライオン的」男があまりに幅をきかせるので自立たないのですが、「山羊的」男は決して内気なだけではないのです。人生の大事なポイントで,周りの意見を聞き自問し熟考します。

『ノッティングヒルの恋人』の女性主人公アナとの仲が悪化し落ち込むウイリアムに、友人のマックスが「完璧な」彼女を紹介した時も、

WILLIAM: ...to find someone you actually love, who’ll love you, the chances are always minuscule.(愛せる人や愛してくれる人を見つけるにはチャンスは奇跡に近いんだ)

と言ってアナとの出会いを大切にします。では、「奇跡」とは何でしょうか。

ANA: ...and what am I doing with you?(一体私はあなたと一緒に何やっているのかしら)

二人の出会いは奇跡なのか、なぜ二人に起こったのか。恋人ならば皆この問にとらわれ、考え続け、そしてわからないのです。それでも答が欲しくて、まるでそこに答があるかのように相手の瞳を見つめます。そして二人はお互いの瞳の奥にそれを探し続けて一生を送るのです。

奇跡的な出会いが今街のあちこちで起きているはずです。あなたも街に出かけてみませんか。


2007年01月02日

投稿者: 元山 千歳(京都外国語大学)
タイトル: 「Brokeback Mountain (2005):パスしていいんですか」

「これ、ほんとにハリウッド映画なんだろうか」って、EnnisとJackのセックス・シーンを見たとき、ついつい口から出そうになった。Basic Instinct(1992)でセックス・シーンは主流ハリウッド映画公認になってしまったけど、男同士ってことになると話はちがう。1963年のワイオミング州、夏のブロークバック・マウンティン、羊番として雇われたカーボーイ同士の愛の物語だ。そのときだけの事として関係が終わっていたら問題はなかった。巷に戻った二人は、妻子がいるにもかかわらず山での思いを断ち切れない。Ennis家の階段脇で、歯茎から血がでそうなほどキスしあう二人を、思わず見て呆然とするEnnisの妻Alma、そのひきつった表情を見て「これはヤバイ」と背筋を寒くするボクら。とにもかくにもアカデミー監督賞のAng Leeは伝統と前衛の一線を<パス>してしまうことで知られていて、この映画にも、西部劇を<パス>し"gay cowboy movie"などというサブ・ジャンル名がつけられてしまったりする。ご存じのように英語の<パス>にはpass out(生と死の一線をパスする)やpassword(敵と味方の一線をパスするコトバ)などなどあるが、この映画における決定的英語は、事故で亡くなったJackの実家を訪れたEnnisに苦々しく吐く父親のセリフだ。Jackのヤツは連れ合いと別れてここで牧場をやりたがってたようだけど、そんなことは通用しないよ、と父親は言う。映画の英語はこうだ:

But, like most of Jack's ideas . . . never come to pass.

「マイッタ」って感じなんだけど、ともあれ、ときにゲイはへトロとして<パス>されて生活していることもある。だけど二人は同性愛者だと知られている。建国の頃、アメリカで同性愛は死刑か去勢にあたいする罪だったし、19世紀後半にあってそれは病気あるいは狂気だった。マサチューセッツ州をのぞきアメリカではまだ同性愛結婚は違法だ。Passover(過越祭)が思い起されもするが、<パス>かどうかはときに命にかかわる。厳しいメッセージを投げかける『ブロークバック・マウンティン』、アカデミー作品賞の最終審査に<パス>してもよかったのに。


2006年12月21日

投稿者: 朴 真理子(近畿大学)
タイトル: 「字幕で楽しむ英語」

『招かれざる客』では、白人女性ジョアナと黒人男性ジョンが恋に落ち、両家の両親に結婚の許可���求めます。ジョンの両親をジョアナ宅に呼び寄せはしたものの、異人種間の結婚は世間の大きな反感を買う(『音読したい、映画の英語』(P213「禁じられた結婚」参照)ということもあり、両家の両親の中でも、特にジョアナの父は「急ぎすぎではないか。」と訝り、結婚に急ぐ二人にブレーキをかけようとします。その後に続いたのが次のやりとりです。

ジョアナの母: I would like Ms. Drayton to see the view.(お母様に景色を見て頂きたいわ。)
ジョアナの父: View? What the hell are you talking about? What view?(景色?一体何の話だ?)
ジョアナの母: From the terrace. Before it get too cold.(テラスからのですわ。寒くなってくる前に見て頂きたいの。)

ジョアナの母には、結婚に不賛成気味の父親達から離れて、テラスに場所を移し、母親同士で率直な意見交換をしておきたいという気持ちがあったのでしょう。しかし、実際には、映画の日本語字幕では、次のとおりに訳されています。

ジョアナの母:「お母様の意見は?」
ジョアナの父:「何の意見?」
ジョアナの母:「お庭のよ。見ていただける?」

同じviewという語を「意見」と解釈し、また、I would like to see Ms. Draton's view. であるかのように訳されているため、字幕からは、ジョアナの母親の繊細な配慮も、また、それに気づかない父の状況も伝わりにくくなっています。映画の味わい方のひとつとして字幕の意味に注意をしてみるのも楽しいのではないでしょうか。


2006年12月07日

投稿者: 藤枝 善之(京都外国語短期大学)
タイトル: 「明日に向かって撃て! Butch Cassidy and the Sundance Kid 1969年(アメリカ」)

舞台は、19世紀末のアメリカ西部。この映画は、ノスタルジックなセピア色の映像で幕を上げます。

数人の男が酒場でカード・ギャンブルに興じています。口ひげを蓄えた精悍な顔つきの男が一人勝ちをしている様子。「大した腕だな。この俺様でもお前さんのイカサマは見抜けねえよ」と、向かいの席のメーコンという男が、銃を腰にゆっくりと立ち上がります。「その金を置いて出て行きな」そこへ、愛想のいい中年男が近付いてきて、「今、出ていこうと思ってたところさ」と、口髭の男を連れ出そうとします。小声で、「やつは銃を抜くぞ。見てみろ、早撃ちに自信ありそうだ」中年男の説得はさらに続きます。

BUCH: I'm over the hill, but it can happen to you.(俺はもう若くないが、お前もそうだろ)
「ありがたいご忠告だな」

とうそぶく口髭男に、

BUCH: Every day you get older. Now, that’s a law.(人間毎日年を取るんだ。それが定めってもんさ)

中年男は、一触即発の両者を何とか取りなそうとしますが、結局あきらめます。「もうどうなっても知らねえぜ、サンダンス」

この「サンダンス」という名にメーコンの顔色がさっと変わります。それもそのはず、「サンダンス」といえば、西部中にその名を轟かせている早撃ちのガンマン、サンダンス・キッドに違いありません。そして相棒の中年男は、悪名高い銀行強盗団「壁の穴」を率いるブッチ・キャシディ。恐怖に包まれたメーコンは戦意を失ってしまいます。その直後、メーコンの目の前で見事なガンさばきを披露したサンダンスに、ブッチが言います。「だから俺達もう若くないって言ったろ」

この映画は、盛りを過ぎた無法者が、頑丈な金庫、列車、自転車などが象徴する時代の波に弾き出されて破滅していく姿を、叙情的な映像と音楽で描きます。主人公は「明日に向って」生きているつもりが、実は明日から拒絶されているのです。ブッチのセリフにあるover the hillは、「最盛期を過ぎて」という意味ですが、主人公が年齢的に もう若くないことを表しているだけでなく、彼らのライフスタイルそのものが時代から取り残されつつあることをも暗示しています。ユーモアと共にしみじみとした哀愁を感じさせますね。


2006年11月16日

投稿者: 東郷 多津(京都ノートルダム女子大学)
タイトル: 「クリスマス!といえば『あなたが寝てる間に』」

日本ではハロウィーンが終わると一足飛びにクリスマスがやってきます。師走でもないのになんだか11月から落ち着きません。ところでアメリカではクリスマスの定番の映画といえば、『素晴らしき哉、人生』、『34丁目の奇跡』、『クリスマス・キャロル』などがありますが、私のお気に入りの映画はこれです。

本物のクリスマス・ツリー、デコレーションした家、エッグノッグ、家族の名前入りの靴下、玄関の宿り木の下で男女がキスをするという習慣、そして家族写真。日本ではカップルで過ごす印象の強いクリスマスですが、欧米では家族��過ごす休日です。

クリスマス当日の仕事を押しつ��ら���た天���孤独���Lucyは、その朝、幸運��もあこがれの白馬���王子Peterから「メリー・クリスマス」と声をかけられますが、喜んだのもつかの間、ひったくりにあった彼は線路に落ち昏睡状態に陥ってしまいます。そして、命の恩人のLucyはなんとPeterの婚約者として家族に受け入れられてしまいます。ついに真実を話すLucyの言葉は家族の大切さを教えてくれます。

LUCY: I might have saved your life on the tracks that day. But you know what? You really saved mine. You allowed me to be a part of your family, and I haven't had that in a really long time. And I just didn't want to let go of that.(あの日線路であなた(ピーター)の命を助けたかもしれないけど、ねぇ、わかる?本当に助けられたのは私だったの。あたなは私を家族の一員にしてくれた。ずっとなかったから、手放したくなかったの。)<01:34:29>


2006年11月07日

投稿者: 西川 眞由美(摂南大学)
タイトル: 「皮肉と人間性―『Lion King』のScar」

映画では、登場人物の人間性を表す方法として特定の言語使用を用いることがあります。たとえば、『Lion King』に出てくるScarの皮肉発話はその典型的な例です。ScarはPride Landsに君臨する王Mufasaの弟として生まれ、自分より優れている兄に強い劣等感を抱いています。Mufasaには王位継承者の息子Simbaがいるのですが、ずるがしこいScarは常に自分が王座につく機会をねらっています。こんなScarの複雑な気持ちは、頻繁に出てくる彼の皮肉発話によく現れています。例えば、Mufasaに自分の息子Simbaが次の王になると宣言された場面で、内心では嫉妬で煮え繰りながら次のように言って王にへつらいます。

SCAR: Ohh, I shall practice my curtsy.(ひれ伏す練習をしよう。)<00:06:16>

さらに、幼いSimbaから彼が次の王になることを聞いた時にも、Scarは次のように心にも無いはなむけの言葉を述べます。

SIMBA: I'm going to be king of Pride Rock.(僕ね、王様になるんだ。)
SCAR: {Sarcastically} Oh goody.(良かったな。)<0:12:17>

偉大な王Mufasaを恐れるハイエナ達に、自分のことを仲間呼ばわりされ、自分への尊敬の念に欠けるその言葉に失望しながら、Scarは次のように言います。

SCAR: {Sarcastic} Charmed.(光栄だ。)<0:27:21>

このように、『Lion King』では、MufasaとSimbaの正義感に満ちたまっすぐな性格が彼らの誠実な言葉で表されているのに対し、屈折したScarの性格をその皮肉発話がうまく表していると言えるでしょう。


2006年10月12日

投稿者: 田中 美和子(京都ノートルダム女子大学・非)
タイトル: 「スーパー・チーフ号~星の列車」

映画『ローマの休日』(1953)で、ジョーは、ポーカーを終えて家へ帰る途中、セプティミウス凱旋門で眠り込んでいるアン王女に出会います。夜空と古代ローマ遺跡フォロ・ロマーノの美しい白い建物とを背景に、ジョーがタクシーをとめてアン王女を送っていこうとする場面です。

Princess Anne: It’s a taxi.(タクシーだわ)
Joe: Well, it’s not the Super Chief.(安いから安心して)<00:21:23> 

ジョーのセリフは、DVD字幕で「安いから安心して」と訳されていますが、文字通りの意味からは随分離れていますね。ジョーの言う“the Super Chief”とは、一体何でしょうか。

アンは王女なので、おそらく一般のタクシーには乗ったこともないのでしょう。タクシーを見て、少し声をあげて興味津々な様子です。ジョーは、この時、まだ彼女が王女であることを知りません。

ジョーの言った「スーパー・チーフ号(The Super Chief)」とは、シカゴとロサンジェルス間のサンタフェ鉄道を走る豪華寝台列車のことで「星の列車(Trains of Stars)」とも呼ばれ、凄い人気があり、全盛期は1950年代までとされています。「星の列車」とは日本語で言えば「銀河鉄道」と言ってもよいでしょう。豪華な寝台列車にはロマンチックなイメージがあり、「安いから安心して」のように値段にだけに触れているのではありません。当時の憧れの的であったスーパー・チーフ号ではありませんよ、と言ったのです。日本語にするなら「そうさ、銀河鉄道というわけじゃないよ」など、列車のイメージを使った表現はどうでしょうか。

字幕では、限られた文字数で意味を伝えなければならないため、思い切った意訳がなされ、時には、それがセリフの解釈を狭いものにしています。字幕に頼らず、1つ1つセリフを解釈すると、映画をもっと深く味わえると思います。


2006年10月10日

投稿者: 佐藤 弘樹(FM京都α-stationエアーパーソナリティー /京都外国語大学(非))
タイトル: 「トムクルーズとラストサムライ」

ハリウッドスターの売り物は演技と醜聞(スキャンダル)とも言われる。最近、メディアを騒がせたトムクルーズもその一人。TVでの奇行と新興宗教の擁護発言からパラマウント映画が契約打ち切りを発表した。彼には学習障害(LD : learning disability)、失読症(Dyslexia)があり、出演作品のセリフは人に読んでもらって暗唱したとも言われている。彼が擁護発言を繰り返したのが、LDを克服するために学習したといわれる新興宗教のサイエントロジー(Scientology)である。また、彼はTVトークショーに出演してカウチソファーの上で飛び跳ねるなどの奇行も目立った。このため jump the couch で「自制心を失って言動の見境がなくなった状態の決定的瞬間」という新語が流行ったりしたという。

現実社会では奇行の目立つ彼も銀幕ではさすがの名演技を見せてくれる。
アメリカ日本ニュージーランド合作のラストサムライ(2003)は、日本を舞台に日本人と武士道を偏見なく描いたハリウッド作品として注目を集めた。この中で渡辺謙が演じた「勝元」がこんなセリフを口にする。

Many of our customs seem strange to you. The same is true of yours.
(異国のしきたりは奇妙に思える、互いにな。)<00:43:11>

明治初期にこれほど流暢な英語を操る武士が実在したかどうかはともかくとしても、欧米文化と日本文化を優劣で描く事の多いハリウッド作品にあっては出色の台詞といえないだろうか。また今となっては現実社会と銀幕社会のしきたりの違いからバッシング(bashing)を受けるトムクルーズを諌める勝元のセリフとも聞き取れる。


2006年09月05日

投稿者: 横山 仁視(京都女子大学)
タイトル: 「ことば遊び -文字通りの意味と比喩的な意味-」

単語には、文字通りの(literal)意味と比喩的な(figurative)意味の両方の使い方があるものが数多くあります。この映画にもそうした単語が多く使われています。次は、APOLLO 13(1995)の映画の1シーンで、アポロ13号の打ち上げを見るために駆けつけたクルーの妻同士の会話です。

MARILYN: You're not just about to pop, are you?(急に産気づかないでね)
MARY: I got 30 days till this blast-off.(こっちの発射はあと1ヶ月よ)<00:30:15>

popという単語には「<物が>ポンと鳴る;飛び出す;はじける」という中心的な意味があり、自動販売機にお金を入れると品物が下の取り出し口からポンと勢いよく出てきたり、a pop-up book(飛び出す絵本)のようにページをめくると絵が浮き上がり飛び出す様子を表します。一方、blast-offは「(ロケットなどの)打ち上げ、発射」という意味を持つ単語です。この場合、この2つの単語にこうした使われ方があることを知らなくても、画面を観ていれば状況から何を言っているのか判断することは決して難しいことではありません。ついでに、rocketという語幹を含むskyrocketは「(価格などが)急上昇する」という意味があり、The trade deficit has skyrocketed. やskyrocketing inflation(Longman Exams Dictionary: Your Key to Exam Success, 2006)のように使われます。touch downの句動詞も「<航空機などが>着陸する;(ボールを)タッチダウンする」の他にも実際の海外のメディアでは「<台風などが>上陸する」といった状況にも使われているのを耳にしたことがあります。

意味が比喩的に使われているセリフを探しながら映画を観るのも、表現力を増やす上で面白いものです。


2006年09月05日

投稿者: 坂本 季詩雄(京都外国語大学)
タイトル: 「"May the force be with you!"の意味を考えてみる」

6話あるスター・ウォーズ・サーガ全編に登場するのは、ロボットのコンビ、R2-D2とC-3POと不可思議な力「フォース」です。『エピソードV、帝国の逆襲』において、ルーク・スカイウォーカーはフォースを体得するため、ジェダイ・マスター、ヨーダの元で訓練を受けます。ヨーダはフォースが善悪両面を持っていること、フォースが全ての物質と人の間に生じるエネルギーであることをルークに伝えます。

サーガ全体を構想したジョージ・ルーカスは「宗教に関心を持たなくなった若者に、このフォースを"スピリチュアリティー"として考えてもらいたい」と言っています。東洋系の賢者の風貌のヨーダが語るフォース観には東洋思想の匂いがします。ルーカスはグローバライズしている現代では、様々な価値観を受け入れるのは当然で、そういう価値観に従いスター・ウォーズ・サーガを描いたとも語ります。さらにキリスト教的価値観だけでなく、仏教思想も取り入れたと認めています。

「色即是空、空即是色」という仏教の根本思想では、あらゆる物質的現象はとどまることなく移り変わり滅びるという過程にあるのだから、物事に拘泥せず、変化を自然な出来事として受け止めるように教えているようです。ルークも彼の父、ダース・ヴェイダーも愛する人の死を運命として受け入れなかったために、フォースのダーク・サイドに囚われました。フォースのライト・サイドにこだわり、紛争解決のため「交渉人」として奔走するヨーダ達、ジェダイも暴力的衝突しか生み出せません。現在、宗教的価値観の違いにより引き起こされる、世界各地で頻発する暴力の背景にも同じものがあるように思えます。

"May the force be with you!"という言葉にどのような意味を見出せるのか、と考えながらサーガを見直すのも厳しい残暑の一興です。


2006年08月07日

投稿者: 小野 隆啓(京都外国語大学)
タイトル: 「a lotとthe lot」

Harry Potterシリーズもすでに第4作のHarry Potter and the Goblet of Fireまで映画が完成し絶大な人気を集めています。原作者のJ. K. Rowlingの英語はとても興味深い英語の側面を浮き彫りにしてくれます。

例えば、第1作のHarry Potter and the Philosopher's Stoneの中で、HarryとRonがHogwarts行きの列車の中で初めて会って話している途中に、車内販売の魔女がやってきてAnything off the trolley, dears?とHarryとRonにたずねます。Ronはランチを持っているのでNo, thanks. I'm all set.と答えます。でも、実はお菓子を買いたいのですが、Ronは7人兄弟の6番目。お小遣いは大切に使わなければなりません。なので、お菓子を買うのを我慢します。その表情をじっと見ていたHarryは次のように言います。

Harry: We'll take the lot.

さて、このthe lotという表現、どのような意味で使われているのでしょうか?a lotであれば中学、高校で習いますから「多くの」という意味で、上のHarryのセリフは「いっぱいちょうだい」という意味になりますね。でも、ここはthe lotなのです。a lot ofで「多くの」の意味になることは、単に覚えますね。わざわざlotを辞書で引いて意味を確認した人はほとんどいないでしょう。でも、lotは「一山」とか「ひとかたまり」の意味なのです。a lot of applesは「一山のリンゴ」なので、そこから「多くのリンゴ」となったのです。すると、the lotと言うと、「その一山」と言うことになります。trolleyを見ながら「その一山、ちょうだい」と言うことは、結局「全部、ちょうだい」と言うことになります。つまり、Harryは買い占めてしまったのです。

この英語の部分、音声で聞くとthe lotと言っているのかa lotと言っているのか、かなり聞き分けるのが難しいところです。でもnative speakerはちゃんとthe lotと聞いていて、意味も「前部ちょうだい」だと思って見ていて、われわれ外国人はa lotだと思って聞いていて、意味も「たくさんちょうだい」だと思って見ているわけです。解釈が違っていても映画全体の理解に支障はありません。でも、native speakerと違った解釈をしているなんて、なんか、しゃくですよね。


2006年08月06日

投稿者: 倉田 誠(京都外国語大学)
タイトル: 「映画におけるカメレオン動詞のdo」

Bodyguard(1994)で、大統領のボディガードを専門としてきたフランクがレイチェルという超一流黒人歌手の護衛を依頼され、"I don't do celebrities."と言って断ります。「芸能人の護衛は引き受けない」という意味ですが、どうしてそんな意味になるのでしょうか?実は英語のdoという動詞は「カメレオン動詞」で、主語や目的語が持つ特色を吸収して意味に反映させる機能を持つのです。つまり、上記の文はフランクがボディーガードであることが前提で成り立つ文なのです。このdoのカメレオン的な振る舞いを満喫できる映画にMrs. Doubtfire(1996)があります。家政婦の面接シーンで下記のようなdoを使った表現が、応募してきた女性の口からマシンガンのように飛び出してきます。しかし、これらは家政婦さんという前提がなければ意味不明ですよね。

"I don't do laundry. I don't do windows. I don't do carpets. I don't do bathtubs. I don't do toilets and I don't do diapers. I don't do washing. I don't do basements. I don't do dinners. I don't do reading."
(洗濯はお断りです。窓拭きも、じゅうたん掃除もお断りです。風呂掃除も、トイレ掃除も、オムツ交換もお断りです。皿洗いも、地下室の整理も、夕食作りもお断りです。本の読み聞かせもお断りします。)

という意味です。応募してきた女性には「仕事をする気があるのか」と突っ込みたくなりますが、動詞doの「カメレオンパワー」を楽しむには最高のシーンでしょう。


2006年08月06日

投稿者: 奥村 真紀(ケンブリッジ大学客員研究員)
タイトル: 「ハリー・ポッターとイギリス英語」

全世界的に大ヒットしている、J. K.ローリングの「ハリー・ポッター」シリーズ。映画ももちろん大成功を収めていますが、英語をよく聞いてみると、少し耳慣れないところがあるかもしれません。舞台がイギリスに設定されているため、私たち日本人が義務教育で習ってきたアメリカ英語とは違う、イギリスの発音を聞くことができるのです。もっとも顕著なのが主人公、Harry Potterという名前の発音。アメリカ英語で発音すると、[o]は「ア」の音に近くなり、さらに強い母音と弱い母音に挟まれた[t]の音がlの音に近くなるので、ハリー・「パラー」のように聞こえます。しかしイギリス英語では「ポター」とはっきり聞こえてきています。

また、それぞれの登場人物が話している言葉もよく聞いてみてください。聞き取りやすい人物と、聞き取りにくい人物がいると思います。(例えば優等生のハーマイオニは、劣等生のロンよりもずっとわかりやすい英語を話すのが分かるでしょうか。)比較的バラエティの少ないアメリカ英語に比べて、イギリスではそれぞれの人が、出身地や階級に応じた英語を話します。BBC英語と呼ばれる、いわゆる標準語を話す人は国民全体の2%にすぎず、イギリスで生まれ育った生粋の英国人は、少し話しただけで相手の出身地域がだいたい推測できるそうです。日本と同じように方言が根付いているのです。そしてみんな自分たちの話す英語にとても誇りを持っています。最近ではBBCでも純粋な標準語はほとんど聞かれなくなりました。               

発音だけでなく、単語や綴りもイギリスとアメリカではいろいろ違います。「ブリジット・ジョーンズ」や、「ハリー・ポッター」のシリーズで、是非イギリスの英語を聞き、文化に触れてみてください。

余談ですが、ロンドンのキングズ・クロス駅9と3/4番線にはカートが刺さっていて、いつも観光客が絶えません。


ロンドンキングズクロス駅


2006年07月06日

投稿者: 石川 保茂(京都外国語短期大学)
タイトル: 「『キューティブロンド』に見られる英語」

この映画は20代の女性を中心に話が展開しますので、恋愛や大学生活に関する表現が多く見られます。まず恋愛に関する表現です。

good enough for you (あなたにふさわしい)
steal back (恋人を取り返す)
break up (別れる)
dump(恋人を捨てる)
the one(本命)

などが使われています。大学生活に関する表現は、やっとの思いで合格したハーバード大学大学院の入学オリエンテーションで、エルが受付の男子学生に言うセリに、立て続けに出てきます。

ELLE : Social events, you know, mixers, formals, clambakes, trip to the Cape. (社交行事ですよ。たとえば、合コン、ダンスパーティー、バーベキューパーティー、岬への旅行とかですよ)

このように、私たちが無意識のうちに使っている語句には、実は「言葉のジャンル」があるのですね。この映画の名せりふなど、詳しくは、『音読したい、映画の英語-心に響く珠玉のセリフ集』(株式会社フォーイン、スクリーンプレイ事業部/http://www.screenplay.co.jp/books/isbn4-89407-375-7.html)で解説されています。どうぞご覧ください。


2006年06月29日

投稿者: 井村 誠(大阪工業大学)
タイトル: 「I am Sam に学ぶ発信英語」

ネクタイの結び方を、英語で言えますか?
愛娘Lucyの養育権をめぐる裁判に出廷する前夜、弁護士のRitaは、別れた主人のスーツをSamに着せます。驚くかな、スーツはジャスト・フィット。でも、Samはネクタイの結び方を知りません。RitaはSamの後ろへまわって、優しくネクタイを結んであげます。

SAM: I wasn't exactly sure how to tie this. Does it look bad?
RITA: No. Very, very good.
RITA: Uh, cross over once. And loop this around. And up inside of the neck. And then pull up on the skinny part.
SAM: Oh. Yeah.

このRitaのセリフですが、わずか4つのセンテンスで完璧に手順を説明しています。

1. Cross over once.(クロスさせて)
2. Loop this around.(輪をつくるようにまわして)
3. Up inside of the neck.(首の内側から上に通して [今度は外側で下に通し])
4. Pull up on the skinny part.(細い方を持って、結び目を上に引き上げれば出来上がり。)

この簡潔な説明の順序と、絶妙な前置詞の使い方には、舌を巻きますね。この結び方はplain knotと呼ばれる最も簡単な結び方ですが、他にもWindsor knotなどの結び方があります。詳しくは、http://www.studioselfit.com/os/point.shtml などを参照してください。


2006年05月08日

投稿者: 横山 仁視(京都女子大学)
タイトル: 「載せたかったもう一つの名セリフ in The Bridges of Madison County

『音読したい、映画の英語』(スクリーンプレイ社)に一押しで選びたかったセリフがある。『マディソン郡の橋』(1995)のロバート役のクリント・イーストウッドの次のセリフだ。Robert: "I'll say this once. I've never said it before. But this kind of certainty comes but just once in a lifetime."(一度だけ言う。初めて言う言葉だ。これは生涯に一度の確かな愛だ)<01:46:55>


確かに声に出して読めば、音のつながりもよく一度で暗記してしまえる流れるようなリズムだ。中学生英語で十分、声に出して読みたくなる、パンチのきいた感情が凝縮されたセリフだけど、現実の世界ではなかなか恥ずかしくて声に出しては伝えられない・・・映画の名セリフとはそういうものなのかもしれない。ちなみに、あと2箇所気に入っているセリフがある。同じくロバートのセリフとフランチェスカ役のメリル・ストリープのセリフだ。

Robert: "…I look through the lens of my camera and you're there. I start to write an article and I find myself writing it to you. It's clear to me now…that we have been moving towards each other…towards…those 4 days, all of our lives."(カメラをのぞくとあなたが見える。記事を書き始めるとあなたを想って書 いている。僕らはあの4日間のために-お互いに出会うために生きて���たのす)<00:06:05>

Francesca: "I can't make an entire life disappear…to start a new one. All I can do is try to hold on to both of us…somewhere inside of me. You have to help me."(新しい人生のために過去を消し忘れろと言うの?心の中の私たちを支えに生きてくわ。分かってちょうだい)<01:44:50>

まるでラブレターのオンパレードだ。でも、英語学習の基本は、セリフや語彙を暗記して、教室外の現実の社会状況の中でそれらを実際に使用してみようとさせる気を起こさせる英語に出会えるかが大切かも!?


2006年05月08日

投稿者: 倉田 誠(京都外国語大学)
タイトル: 「映画の"let...go"」

日常会話や映画でよく用いられるlet~goという動詞句の意味を煎じ詰め(せんじつめ)ましょう。goの基本的意味は「(現在地点から)離れる」です。またletは「その動きを妨げない」です。この2つを合わせた意味的イメージだけでとらえると目から鱗(うろこ)です。一部の映画で検証しますね。まず『トップガン』(1986)では、事故で死んだ相棒グースの亡骸(なきがら)を放さないマベリックに、水中処理兵が"You've got to let him go, sir."(放してください)といいます。その直後の場面では、落ち込んでいるピートに、主任教官のバイパーが同じ文で"You've got to let him go."(奴のことは忘れろ)といいます。邦訳は「放す→忘れる」と変わっていますが、イメージは同じですね。後者の「忘れる」という意味での用法が『キャスト・アウェイ』(2000)にも出てきます。無人島での四年余の孤独との闘いから逃れてきたチャックに対して親友のスタンが、「ケリーは飛行機事故で君を亡くしたと思っていたのだよ」という意味のセリフが"Chuck, Kelly had to let you go."となっています。そうかと思うと、『ファミリー・ゲーム』(1998)では離婚した父親に対して、双子の娘の1人が「あんなに素晴らしいママとどうして別れたの」という意味で、"I don't know how you ever let her go."といっています。また『ロッキー2』(1979)ではロッキーと再試合したいというチャンピオンのアポロに、トレーナーが"Let it go! You're the champ!"(やめておけ、チャンプはお前だ)と反対します。更に『めぐりあう時間たち』(2002)では、エイズに苦しむリチャードが恋人のクラリッサに、 "But now you have to let me go."「もう死なせてくれ」といいます。最後に『クレーマー・クレーマー』(1979)では、主人公テッドの業績不振に業(ごう)を煮(に)やした社長のジムが、"Yeah, I'm letting you go, yes."(ああ、君には辞めてもらうよ)といいます。let~goは文脈によってコロコロと意味が変わるように見えますが、イメージは「その場から~を離れさせる」だけでOKです!このような表現の検索にはスクリーンプレイ社の「映語犬サク」が便利ですので、一度使ってみましょう。


2006年05月08日

投稿者: 藤枝 善之(京都外国語短期大学)
タイトル: 「"I love you." in Titanic」

映画『タイタニック』の終盤、主人公のジャックとローズの間で次のような興味深い会話が交わされます。タイタニックが沈没し、二人は羽目板につかまって、海を漂います。ジャックは、冷たい水に沈みそうになりながら、「僕は、船会社にこの事故について抗議文を送るつもりだ」などと言ってローズを励まします。寒さと疲労で意識が遠くなっていくローズが言います。

ROSE: I love you, Jack.

表向きは「愛してるわ、ジャック」ということですが、実は裏の意味があるんですよ。それは、「さよなら、ジャック」。次のジャックのセリフを読めば、それがよくわかります。

JACK: Don't you do that. Don’t you say your good-byes. Not yet. Do you understand me?(そんなこと言うな。サヨナラなんて。まだ言っちゃダメだ。わかるね?)

英語圏の国(特にアメリカ)のカップルや親子は、日常生活の中で、別れ際によく“I love you.”と言います。日本の夫婦なら朝、「行って来るよ」「行ってらっしゃい」と言う場面でも、アメリカの夫婦は “I love you.” こんな文化なので、ジャックはすぐに、その裏の意味を悟ったのですね。では、特に別れ際でもないのにあなたがアメリカの異性から “I love you.”と言われたら? これは愛の告白? 喜ぶのはまだ早い。たんに「ありがとう」程度の感謝を表していることも多いのです。言葉と文化は表裏一体。切り離して学ぶことはできませんね。