映画文化 作品紹介 コラム

映画の文化:コラム2011

ー映画英語教育学会が推薦する映画と英語教育ー  

先生たちが独自の映画鑑賞力でコメントやエッセイを寄稿しています。


『グッド・ドクター 禁断のカルテ』 
原題:THE GOOD DOCTOR

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               (C)2010Tesuco Holdings Limited. All Rights Reserved.
               オーランド・ブルームが演じるマーティン・ブレイク研修医



■◇『グッド・ドクター 禁断のカルテ』―医師と患者のコミュニケーション◇■

塚田三千代
(映画英語教育学会・映画英語アナリスト・日本ペンクラブ会員)


登場人物たちの医療現場における行動と人間関係から、そこから見えてくる様々なイシュを直視してみよう。
本映画には多くの社会問題――医療の現場システムの是非、医師間の上下関係、感染病(敗血症)研究と抗菌抗生物質の投薬、患者モニタリング、精神分析・セラピー、医薬システム、セフタジディム、アシネトバクター、等々に関するソーシャル・イシュが埋め込まれている。医師と患者のコミュニケーションにも注視したい。

まず、医療現場での人間の位置関係を分析しよう。

【ブレイク医師の人間関係】

□マーティン・ブレイク研修医と職員
・看護師テレサにマーティンの指示は無視されたが、ダイアンの死後には、同情され支持される。
・雑用係りのジミーに辛らつなジョークで励まされる、後日、ドラッグを執拗に要求されるようになる。

□医師同士の位置
・先輩で同僚ダンに先輩の立場からアドバイスしてもらえる。
・上司のウェイランズ医師から、感染症専門医を志すなら’ビッグ・ピクチャー’を持て、と激励される。
・マーティンは化学と生物学を専攻して医師になっているのに、医療現場ではリサ看護師に見くびられる。
・敗血病専門家ハリソン医師から学会で発表する研究資料に、ダイアンの詳細な記録やメモの提出を求められる。

□患者ダイアンと医師の位置
・腎盂腎炎で入院中のダイアンは、病室から医師や職員たちの日常を観察している。自分の居場所は学校ででなく病院しかないことを知っており、ボーイフレンドとの縁をきり、銃犯罪の防止に役立ちたいと思っている。毎日、感じたことや、学んだ知識をジャーナルに記録する。新任医師への周囲からの冷遇に同情し、やがて彼を良い医師として信頼するようになり、心の底を打ち明ける。
・マーティンはダイアンが研修医としての自分の立場をわかり信頼してくれる良い患者だと思っている。感染症専門医になるために、彼女の治療を長く担当して、その治療データを感染症治療の研究資料にしようと考えている。

□精神科医師のセラピー
・セイラー精神医は、マーティン・ブレイク研修医の受けたショック――患者が手術後に他界した時のショックとその喪失感を取り除くためのセラピーをする。
セラピーはウェイランズ医師の誘導質問で始まり、セイラー精神科医の質問はマニュアル通りに行われる。
・マーティンは自分の部屋の壁を紺碧色に塗り替え、窓の外の海を眺めることで心を癒し、やがて研修期間が終り、薄青色の医師服着用が許され、ようやく日常の医療業務を行えるようになる。

上記の人間関係は映画の進行につれて明瞭になってくるが、それを追うだけなら、それはサスペンス映画でしかすぎない。本映画の真価は、登場人物たちが交わす会話の端々や前後に目配りし、言葉の断片を繋ぎ合わせて推測して初めて理解できるところにある。

つぎに、会話を通してコミュニケーションの様子を見てみよう。

【医師と患者の良いコミュニケーション】

ダイアンが骨髄の激痛もおさまって退院する頃に、医師マーティンがダイアンと交わした会話である。

上司のウェイランズ医師から、医師の役割は患者とのコミュニケーションが鍵だ(communication is key)と教示されたマーティンが、患者ダイアンとのコミュニケーションを大切にするのがよく伝わってくる場面である。

ダイアンが”No more helpful advice?”と尋ねた真意は、ボーイフレンドのリックと別れるのがいいかどうかを助言してもらいたかったからだ。しかし医師が答えないので、映画『カッコーの巣の上で』に登場する看護師の名前を引用して、「良い医師だって、ラチェット看護師に云うわ。これからはたぶん構わなくなると思う」と云ったのである。

それは、以前に彼女がリックとの別れ話を持ち出して、”You think I should break up with him?”(彼と別れるほうがいいと思う?)と医師の意見を聞いた時に、医師はロック歌手スティングを引用して”If you love someone set them free.”(愛しているなら自由にしてやれ)と、答えていた。このときのダイアンはスティングを知らなかったらしい。”Who?”と聞き返していた。本場面では、ダイアンは歌詞でなく映画セリフを引用して言ったのである。それを受けて、マーティンはお礼を云う。彼はこの映画を観ていたのであろう。ちなみに、この映画は『カッコーの巣の上で』(1975年製作)をさしており、その映画に登場する頑固な看護師の名前が”ラチェット”である。


多少のコミュニケーション・ギャップはあるとはいえ、医師と患者のコミュニケーション(communication is key)は、良い関係(good doctor vs. good patient)で順調に進んでいく様子が、下記のダイアンとマーティン(ブレイク研修医)の会話から窺える。


DIANE Hi. (おはよう)
MARTIN Hi. How are you feeling? (おはよう、気分はどう?)
DIANE Okay, I guess. What was the deal with that nurse?
  (いいと思うわ。あの看護師を追っ払ったら?)
MARTIN It was a misunderstanding. It’s okay. (誤解だったから大丈夫だ)
DIANE Shouldn’t she be fired or something for yelling at a doctor?
  (医師に向かって怒鳴ったり命令なんかしちゃいけないんじゃない?)
MARTIN Probably. But I don’t want to cause a fuss. 
  (たぶんね、だが騒ぎを起こしたくないんだ)
DIANE Am I cured? No more hospital? (わたし治った?退院なの?)
MARTIN No. (そうだよ)
DIANE No more helpful advice? (役に立つアドバイスはないの?)
DIANE I’ll tell Nurse Ratchett you’re a good doctor.
  (ラチェット看護師にいうわ。良い医者だって)
Maybe she’ll leave you alone. (たぶん構わないでくれるわ)
MARTIN Thanks. You’re a good patient. (ありがとう。良い患者だね)

註釈
(“Nurse Ratchett,” a reference to the abusive, manipulative nurse in the film,
One Flew Over The Cuckoo’s Nest.)
ラチェット看護師(Nurse Ratchett)は、映画『カッコーの巣の上で』(1975年製作)に登場する巧妙で口汚い看護師の名前。ケン・ケーシーのベストセラー小説の映画化で、州立精神病院での管理体制に反撥する人間の尊厳と自由を描いている。

→続:詳細はこちら


『グッド・ドクター 禁断のカルテ』 
原題:THE GOOD DOCTOR

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■◇『グッド・ドクター 禁断のカルテ』―良い医者の素顔◇■

清水 純子
(映画英語教育学会・慶応大学非常勤講師・筑波大学文学博士)

映画のタイトル『グッド・ドクター』(The Good Doctor, 2010)は逆説的意味を含んでいる。グッド・ドクターに見える男の物語なのか、良い医者になろうともがいた男の話か、あるいはグッド・ドクターなんてめったにいやしないよ、という意味なのか。映画のタイトルは、患者のために自己の欲望を殺して奉仕する人間味あふれた献身的医師を想像させるが、結末はその逆を行く。内科研修医マーティン(オーランド・ブルーム)は、患者思いの良い医師だった。マーティンを悪の道に転落させたのは、18歳の美しい患者ダイアン(ライリー・キーオ)への邪恋だった。退院後、マーティンはダイアンの家へ夕食に招かれるが、肝心のダイアンは同級生の恋人との逢引のために留守だった。マーティンは、ダイアンを取り戻すためには病気を再発させるしかないと思い込み、医師にあるまじき行為に手を染める。しかし、悪いことはできないもので、看護師ジミーにダイアンとの関係を感づかれてマーティンは脅迫される。そこでマーティンのとった行動とは・・・

この映画の怖いところは、マーティンが破滅しないところである。山崎豊子作『白い巨塔』の野心家の青年医師、財前五郎は、ミスを暴かれ、医者の不養生がたたって病に倒れる。この小説では、悪玉医師、財前五郎の失墜によって正義が健在であることが示されるが、『グッド・ドクター』のマーティンは、「良い医者」としての仮面をつけたまま、さらなる信望を得て、診療を続ける。「患者に死なれてはじめて一人前の医師になれる」という先輩の慰めと励ましの声に支えられて、マーティンは「良い医師」の階段をかけ上る。


SAYLER: It’s always hard to lose a patient.
WAYLANS: Especially the first time. You always question yourself. You wonder if you made mistakes. . . .if you missed
something, could you have been quicker. But these things happen. Accepting that is part of being a doctor.
.........................
DAN: Waylans has told me you’re not really a doctor.
SAYLER: ...until you’ve lost a patient.

セイラー:患者に死なれるのは、医者にはいつもつらいことだ。
ウェイランズ:特に最初の患者の場合はね。ミスを犯したのではないかと自分を責めるものだ。...でも、こういうことは医者である以上はしかたがないと受け止めなければならない。
(中略)
ダン: ウェイランズ先生が言っていたけれど、一人前の医者になるのには・・・
セイラー: 患者の一人ぐらい死なせなければならないって。


日本でも人気の好青年オーランド・ブルームが演じるマーティンは、神の手ではなく、悪魔の手先となって医療行為を継続することになる。汚れたマーティン医師と対照的なのが、無垢な患者ダイアンである。
マーティンを信じて眠る美女は、エルヴィス・プレスリーの孫娘ライリー・キーオが演じる。ライリーの瞼を閉じた美しい寝顔は、ウォルト・ディズニーのアニメ『眠れる美女』のオーロラ姫にそっくりである。ライリーの目をぱっちり開いた時の面差しが、どことなくエルヴィスを思わせるのも映画ファンのノスタルジアをかき立てる。エルヴィスから見て三代目のライリーは、アメリカのプリンセスと呼んでいい、媚びることのない、自然でノーブルな表情をたたえて、物質的豊かさと名声が人間に気品を与えることを証明する。

エルヴィスの魅力はアメリカの神話だが、ライリーはエルヴィスに似て非なる魅惑を放つ。ライリーの輝く金髪、死美人のように真っ白な肌、硬質で冷たげな寝顔は、ガラスの箱に納められた美しいビスク・ドールのようだ。クール・ビューティーの素質は、エルヴィスの妻(ライリーの祖母)プリシラ譲りか。そういえば、エルヴィスも本当は金髪だったと聞く。カムバックの漆黒の髪のエルヴィスではなく、『闇に響く声』King Creole (1958年)の頃のエルヴィスを見れば、「なるほど」とうなずけるかもしれない。

『グッド・ドクター』は、医師のモラルを問う社会派ドラマであるばかりでなく、話題満載のミーハー的興味も同時に満足させてくれるゴキゲンな映画である。


【映画情報】
2012年1月21日(土)銀座シネパトス他、全国順次ロードショー
配給:日活
公式サイト:http://good-dr.com/
Goo: http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD20293/index.html
(C)2010Tesuco Holdings Limited. All Rights Reserved.

|監 督:ランス・デイリー
|キャスト:オーランド・ブルーム 『三銃士 王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船』
       ライリー・キーオ   『ランナウェイズ』
       J・K・シモンズ   『スパイダーマン』 / タラジ・P・ヘンソン 『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』
       マイケル・ペーニャ  『クラッシュ』

■◇名画から選んだ美しい英語◇■

原島一男
(映画英語教育学会・ジャーナリスト・日本ペンクラブ会員)

映画の中で話されている情緒溢れるフレーズをそのまま紹介します。

『レボリューショナリ−ロード/燃え尽きるまで』 
原題:REVOLITIONARY ROAD

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I don’t know when I’ve ever had a nicer breakfast.
「こんなに楽しい朝食をしたのはいつだったろう」

専業主婦には満足できないエイプリル。コンピュータ事業に乗り出す会社で重要な地位に就くフランク。コンピュータの出現で大きく転換した1950年代アメリカ産業の動きの中で、個人としての夫婦一人ひとりの感性の違いがどんな結果をもたらすのでしょうか?

APRIL: I thought you’d probably want a good breakfast today. I mean it’s a kind of an important day for you, isn’t it? ... what exactly do you think you’ll be doing?
FRANK: Well, of course I don’t really know much yet myself... that’s the thing... Knox may be getting ready to buy up one of these really big computers... only instead of mechanical parts, you see, it’s got thousand of little individual vacuum tubes... I guess it is sort of interesting, in a way. Of course I don’t really know much about it, beyond the basic idea of the thing.
APRIL: You always say that. I bet you really know a lot more about it than you think. You certainly do explain it well, anyway.
FRANK: Well, thanks. Guess I’d better be getting started. Listen, though, April, this was really nice. I mean it was a swell breakfast. Really.I don’t know when I’ve ever had a - a nicer breakfast.
APRIL: Thank you. I’m glad... I enjoyed it too.
FRANK: Then you don’t really... you don’t really hate me, or anything?
APRIL: No, of course I don’t. Have a good day.

エイプリル:「今日はきちんと食事をして行ったほうがいいんでしょ。あなたの大事な日だから。それで、どんな仕事になるの?」
フランク:「実は、ぼくにも、まだよく解らないんだけどね。会社(ノックス)が新型のコンピュータの導入を考えているらしい。メカニカルな部分だけでなく、何千という真空管を沢山使った大きなコンピュータ。ある意味で、興味あることなんだ。そういう動きであること以外はあまり解らないんだけど」
エイプリル:「あなた、いつもそう言ってるわね。でも、本当は、もっと解っているんじゃないかしら。あなたは、もっとうまく説明できるわ」
フランク:「いや、どうも。さあ、もう行ったほうがいいや。ねえ、エイプリル、この食事、とても良かったよ。すばらしい朝食だった。こんなに楽しい朝食をしたのはいつだったろう」
エイプリル:「あら、嬉しいわ。わたしも楽しんだわ」
フランク:(前日の口論を思い出して)「それで、それで、きみ、ぼくのことを憎んではいないだろう?」
エイプリル:「もちろん、憎んではいないわよ。行ってらっしゃい」

【映画情報】
2009年1月24日から丸の内ピカデリー1他、全国ロードショー
監督/製作:サム・メンデス 脚色:ジャステイン・ヘイス 原作:リチャード・イエーツ
公式サイト: http://www.r-road.jp/
配給:パラマウント ピクチャーズ ジャパン (c) 2008 DW Studios LLC. All Rights Reserved

『クロエ』
原題:CHLOE
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公式サイト:http://www.chloe-movie.jp/pc.html#
画像サイト:http://image.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%A8


■◇クロエ(Chloe)、フレーム侵入と流出◇■

清水純子
(映画英語教育学会・慶応大学非常勤講師・筑波大学文学博士)


『クロエ』(2009年)は、カナダの上流インテリ家庭に侵入した異分子クロエ(アマンダ・セイフライド)の物語である。クロエは、多忙な日々を送る医師キャサリン(ジュリアン・ムーア)が、大学教授の夫デヴィッド(リーアム・ニーソン)の性的状況を密かに探るために雇った娼婦である。キャサリンは、社会的成功と幸せな家庭の双方を手に入れたエリート女性である。しかし、中年にさしかかって、容色と性的アピールの衰えを自覚し、夫の若い女子学生との浮気に猜疑心をつのらせる。また溺愛してきた息子マイケルもガール・フレンドとのセックスに夢中になって自分から離れていく。キャサリンは、妻として母として自信を喪失し、空しさを隠しきれない。そんな時、キャサリンは、若く美しい娼婦クロエに夫を誘惑させ、夫のセックスを探る計画を思いつく。

Catherine: I think my husband will like you. What’s your name?
Chloe: It’s Chloe.
Catherine: My husband is cheating on me.
 キャサリン:夫はあなたのことを好きになると思うわ。お名前は? 
 クロエ:クロエです。
 キャサリン:あの人、私を裏切っているわ。

女子大生になりすましたクロエは、デヴィッドとのセックスを毎回キャサリンに赤裸々に、官能的に報告し、キャサリンは悲しみと同時に興奮を覚える。
『クロエ』は、2003年フランス・スペイン合作、アンヌ・フォンテーヌ監督、ファニー・アルダン、エマニュエル・ベアール、ジェラール・ドパルデュー主演の『恍惚』(Nathalie)のリメイクであり、前半はほぼ同じ展開をたどる。『クロエ』のオリジナリティが発揮されるのは、その後の展開である。キャサリンは、同性から見ても魅力的なクロエに衝動を覚え、二人は愛し合う。キャサリンを手中にしてエリート家庭侵入の足掛かりをつかんだクロエは、息子マイケルの誘惑にも成功する。一家全員と関係を結ぶことに成功したクロエに脅威を感じたキャサリンは、別れ話を持ち掛けるが、クロエは怒って応じない。阻害された環境から上昇しようとしたクロエは、キャサリンの拒絶によって再び強引に認知されたフレームの外に追いやられることになる。

『クロエ』が、映像の特徴を象徴的に巧みに生かしているのは、クロエの上流社会外への廃棄処分をクロエ自身の肉体の室内排出によって表現している点である。具体的には映画そのものを見て確かめていただきたい。映像は絵と同じくフレームの中で機能する芸術だということを『クロエ』は改めて認識させる仕掛けに作られているからである。

この映画のひねりは、クロエはしたたかな侵入者に見えて、実は無垢な娘であったことに見られる。『恍惚』と同じく、デヴィッドとの情事は、キャサリンの意を迎えるためのクロエの作り話であったが、『クロエ』では、クロエはキャサリンに恋してしまうところが違う。結局クロエは、努力にもかかわらず、一家の平安と秩序の回復のために利用され、棄てられた社会的弱者にふさわしい運命をたどる。しかし、映画はもうひとひねりする。夫と共にパーティのホステスをつとめるキャサリンの髪を飾るのは、クロエが自分だと思ってと贈った髪飾りであった。クロエ自身は上流家庭に侵入後、残酷に排除されるが、クロエの形見は愛した人に宿るのだ。

『恍惚』は、いかにもフランス映画らしい意表を突く、しゃれた作品だったが、『クロエ』もひねりをきかせた余韻の残る映画である。『クロエ』は、カナダ、フランス、アメリカの合作だが、ハリウッド製とは一味違う映画である。『クロエ』の甘く苦く、酸味と辛みの利いた洗練された複雑な風味を口のなかでころがして、じっくり味わいたい。

【映画情報】
英題: CHLOE
製作年: 2009年
製作国: カナダ/フランス/アメリカ
日本公開: 2011年5月28日

(TOHOシネマズ シャンテ ほか)
上映時間: 1時間36分
配給: ブロードメディア・スタジオ/ポニーキャニオン
カラー/ビスタサイズ/ドルビーデジタル


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(c)2010 Winter's Bone Productions LLC. All Rights Reserved.
10月29日(土)TOHOシネマズ シャンテ他全国ロードショー
公式サイト:http://www.wintersbone.jp/
公式サイト:http://www.wintersbonemovie.com/ (英語)

『ウインターズ・ボーン』 原題:WINTER'S BONE 


横田安正
(演出家・翻訳家・外国語教育メディア学会会員)


女流監督デブラ・グラニクが原作者ダニエル・ウッドレルと共同脚色した作品。米サンダンス映画祭でグランプリを獲得したほか数多くの賞を授与され、今年のアカデミー賞では作品賞、主演女優賞など4部門でノミネートされた。


ヒルビリー地域と蔑称されるミズーリ州南部オザーク山地の貧しい村、ほとんど光が射さない鉛色のよどんだ空と森のもと、息をのむ残酷なストーリーが進んでゆく。17歳の少女リー(ジェニファー・ローレンス)は突然父親が失踪、精神を病む母親と12歳の弟、6歳の妹をかかえ1家を支えている。父親は覚醒剤製造の罪で警察に追われているらしい。保安官の話しでは父親は自宅と土地を担保に保釈されており次の裁判に出頭しなければ家と土地は没収されるという。リーは必死の覚悟で父親捜しを始める。


ここでは村ごと麻薬の密売で生計を立てているらしい。父親は監獄暮らしの過酷さに負け官憲に秘密をばらしたという噂が広まっている。掟破りは絶対に許されない。恐らく村人に殺されたのかもしれない。父親捜しに乗り出したリーは様々な妨害にあう。ただ1人彼女を助けるのは叔父のティアドロップ(ジョン・ホークス)、彼自身も麻薬患者である。リーはついに3人の女性に捕まりリンチを受ける。女性に対する暴力は女性によってなされるのが村のルールらしい。顔がはれ上がり、口も利けないほどボコボコにされてもリーは父親捜しを諦めない。しかし、このリンチがあたかも彼女のイニシエーションであったかのように村人は少しずつ優しくなってゆく。ある夜2人の女が訪れ父親の死体がある現場に案内するという。ここでなぜこの映画のタイトルが「ウインターズ・ボーン(冬の骨)」なのかが分かる。父親の両腕の骨を官憲に差しだせば彼の死が確認され家の没収は免れる、という村人の最後の優しさ(?)なのであった。彼の死体は沼の浅瀬にあった。電気鋸で父親の2本の腕の骨を切り取るのだ。1本では死んだことにならないという。おぞましいエンディングである。


アメリカ映画で白人の貧困をこれほど赤裸々に描いた映画は稀である。その意味でこの作品は世界の注目を浴び多くの賞が授与されることになった。描かれるのは顔をそむけたいような貧困の恥部だが、主人公のリーは毅然として困難に立ち向かい1家を守る。この健気さをジェニファー・ローレンスが見事に演じ切った。彼女の味方になるただ1人の親族を演ずるジョン・ホークスは気味悪い麻薬常用者の内に秘めた優しさを好演している。胸を締め付けるような息苦しさのなかで、一条の光は17歳の少女の命をかけたタフな生き方、ど根性である。


ヒルビリーと呼ばれる人たちは口を余り開かずに喋るため英語はかなり聴きづらい。字幕がないと分からない箇所が多かった。


この映画では日本のフジフィルム社のフィルムが使用されているが陰鬱な雰囲気をよく出している。フジフィルムは寒色に強く、暖色系のコッダク・フィルムとは対照的。近ごろはフジフィルムを使う作品(ポランスキー監督のゴーストライターなど)が増えてきたのは嬉しい傾向である。




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(C) 2010 MVLFFLLC. TM & (C) 2010 Marvel Entertainment, LLC and its subsidiaries. All rights reserved.
10月14日(金)丸の内ルーブル他全国拡大3Dロードショー
公式サイト:http://www.captain-america.jp/
2011年アメリカ映画、パラマウント・ピクチャーズ・ジャパン配給

『キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー』  


谷川建司
(映画英語教育学会・早稲田大学客員教授・映画ジャーナリスト)

1970年代に蘇った『スーパーマン』シリーズ、1980年代末からエッジを走り続ける『バットマン』シリーズ、そして2000年代最大のヒット・シリーズとなった『スパイダーマン』など、アメコミを原作とする映画群は、マーチャンダイジングの展開やブロードウェイでの劇化などの広がりを見せつつ、ますますビッグビジネス化してハリウッドの稼ぎ頭となっている。

  それを可能にし、また若い世代の映画ファンに支持させている最大の要因は、CGなどの技術的な進歩と、3D映画の流行に端的に現われているような映画館という空間のアトラクション化の流れだろう。

 ど派手なアクション・シークエンスの数々や、CGによって可能となった“今まで見たこともないアングルからの映像”の蔓延を、“最近の映画は派手なだけで肝腎のドラマ部分が薄っぺらだ”とか、“CGの画面は奥行きがなくて作り物っぽいし、昔ならお金と知恵と工夫を駆使して作り上げていた特殊撮影をコンピュータ画面上で安価な代用品として間に合わせているだけだ”といった批判的言説で憂いることは簡単だ。だが、その時々の観客に最も支持され、高水準の興行収益を生み出す映画こそが、長い目で見ればやはり“いい映画”なのだ、という見方も出来る。

  『キャプテン・アメリカ』は、マーベル・コミックスのヒーローたちの中でも最も早い1941年3月に登場した、いわばスーパー・ヒーロー物の原点であり、満を持しての映画化だ。しかも、3Dでの公開。ここは斜に構えて冷ややかにお手並みを拝見するのではなく、素直にわくわくしてヒトラー率いるナチスを相手に超人的な活躍を示す元祖ヒーローの活躍を楽しみに見るというのが、映画ファンとしては正しい接し方だろう。

  映画の出来は悪くない。第二次世界大戦中という時代設定もあまり嘘っぽくは見えないし、キャプテン・アメリカに選ばれるスティーブ・ロジャースという男の成長物語としても真実味を感じさせる。
 だが、あえて一点だけ不満を挙げるならば、キャプテン・アメリカの相棒バッキーの存在感が薄く、また呆気なく退場させてしまっている点にはがっかりした。

 今回の映画版は、『キャプテン・アメリカ』単独でシリーズ化するのではなく、次回作は『アイアンマン』などほかのスーパー・ヒーローたちと競演する『アベンジャーズ』だとのことだから、第二次世界大戦中の話は一回限りで完結させて、あとは氷付けになった彼を現代に蘇えらせて他のスーパー・ヒーローたちと同時代に活躍することの整合性をとればそれでよいのだろう。……だが、その昔、ピーター・フォンダとデニス・ホッパーが『イージー・ライダー』で自分たちのことを“キャプテン・アメリカとバッキー”と名乗っていた(ホッパーがそう名乗るシーンが二箇所あるが、版権の都合でバッキーからビリーへとホッパーの役柄の名前を変えざるを得なくなり、アフレコで修整した)くらい、原作でのバッキーは文字通りキャプテン・アメリカのサイドキックであり、バットマンとロビンのコンビ同様の名コンビだったのだ。


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ⓒ2011 Constantin Vertein GmbH.
2011.10.28 全国ロードショー
配給:GAGA  公式サイト:http://34.gaga.ne.jp/    東京国際映画祭オープニング作品

『三銃士』 ー王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船ー
原題:THREE MUSKETEERS

塚田三千代
(映画英語教育学会・映画英語アナリスト・日本ペンクラブ会員)


映画の原作は、Alexandre Dumas(1802-1870)の小説のD'Artagnan で、発表当時から大人気であった。原作の映画化は、1921年、1948年、1973年、...、2011年へと、何年かに1度は製作されて、TVでも上映されるので、子供から大人までお馴染みである。
今回の作品がこれまでの作品と唯一違うところは、3Dで製作されていることである、さらにタイトルの副題:'王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船’から推測できるように、レオナルド・ダ・ヴィンチの遺した飛行船設計図に基づいて建造した飛行船を、CG技術で見事に登場させた。これは従来の『三銃士』作品では観れなかった醍醐味である。


'映画の眼' || 次の諸点であろう

史実を基に「三銃士」の世界に隠された秘話を、イマジネーションを巧みに、8台の3Dカメラで撮影した2D、3D映像。
バッキンガム公爵+三銃士+ダルタニアンVS.ロシュフォールがダ・ヴィンチの設計といわれる飛行船で空中対決。
ミレディの早業アクロバット
ドイツの世界遺産ヴェルツブルグのレジデンツ、他
19歳のダルタニアンが同世代のルイ13世に恋の手ほどきをする。
印象的なセリフ:「一人は皆のために、皆は一人のために」(”One for all, all for one.”
フランス語は、”Tous pour un, un pour tous." )。これは三銃士たちの合言葉だが、ラグビーではチームプレイの精神協力性を示す言葉として使われる。
品格のある短いフレーズで聞き取りやすい標準英語。フランス語も。一部に罵声語が出現する。オーランド・ブルームの発音はイギリス英語、その他の俳優は主としてアメリカ調の英語。



プロット/粗筋

時代は17世紀、ルイ13世治世下のフランス。父母に見送られて故郷を去って、パリに出た無鉄砲で荒気なダルタニアンが三銃士と出会って、共に同志としての活躍が展開する―――。

 貧相な馬に乗ったダルタニアンが、偶然にもフランス最強の“三銃士”こと、アトス、ポルトス、アラミスの3人に出会う。その事の成り行きで、ロシュフォール隊員と決闘することとなり、4人で40人を打ち負かす。これが街中の評判となって、ダルタニアンと三銃士は、若きフランス王、ルイ13世の宮殿に呼ばれることになった。
 その頃、宮中では、ヨーロッパの覇権を争う野望と陰謀がうずまき、権力に野心をいだくリシュリュー枢機卿が、若き国王ルイ13世の背後で策略を練っていた。枢機卿はアンヌ王妃を陥れるために、国王が王妃に贈ったダイヤの首飾りをミレディに盗ませる。
 5日後の国王主催の舞踏会で、この首飾りをつけて国王と踊らなければならないアンヌ王妃。この窮地を救うために、侍女コンスタンスは首飾りを取りもどして欲しいと、ダルタニアンに頼む。コンスタンスに恋心を寄せるダルタニアンは、首飾りを取り戻すためにロンドンへ渡る決意をする。
 この陰謀はやがて全ヨーロッパ世界を巻き込む戦争になる、と予測したのは三銃士。彼らもダルタニアンに同行することになる。
 そして、ダルタニアンと三銃士は”One for all, all for one.”、仏語は、”Tous pour un, un pour tous”を合言葉にして、 4人で力を合わせ、知恵と剣、勇気と友情をもって立ち上がることを誓い合う。一方、イギリスのバッキンガム公爵も同じことを考えていた。このバッキンガム公爵を演じるのが、オーランド・ブルームである。―――



さて、彼らとバッキンガム公爵 VS. リシュリュー枢機卿――枢機卿の策略下で動くロシュフォール隊長との対決はいかなる方向へ…?そして、盗んだ首飾りを独り占めしようと企む二重スパイのミレディは…?17世紀流のハイテク飛行船同士の決戦の行方は…?―――というように、推理の楽しさ、驚愕、奇抜千万な映像が繰り広がる。会話は状況に応じて罵声も飛び出すとはいえ、ほどよく品があり、総体的には上質で品格のあるエンタテインメントに仕上がっている映画だと言える。



■◇映画『三銃士』のコメント◇■


横田安正
(演出家・翻訳家・外国語教育メディア学会会員)


荒唐無稽のextravaganza。ここまで徹底すれば立派なもの。拍手を送りたい。

この映画を観るまえNETで海外の批評を調べたがどれも酷評揃いだった。「もし文豪アレクサンドル・デュマがこれを見たら自殺しただろう」とか「この三銃士は詐欺だ。平板で空疎。終わり方を見ると続編がありそうだが“泣けてくる”」といった調子。

でもこの映画はアレクサンドル・デュマの古典文学を映画化したわけではない。ストーリーの骨組みだけを頂いて3D効果を最大に生かした奇想天外な映画を作っただけの話しなのだ。しかし、古今東西、映画評論家といわれるインテリさんたちは映画を映画として評論するのではなく文学的コンテクストで評価を加えるのが普通である。荒唐無稽な作品に出会うと、「こんな作品を褒めたら知性を疑われる」と思うのか無視するか酷評するかのどちらかだ。ジャパン・タイムズの映画欄も三銃士は取りあげていない。蜷川幸雄が「十二夜」を歌舞伎スタイルでロンドン公演を行ったときも一流新聞の評論は冷ややかなものだった。歌舞伎的extravaganzaは単なるドタバタ劇としか映らないらしい。「この秋刀魚はいい秋刀魚ですか?」と聞かれ「これは鯛ではないのでダメな魚です」と答えるようなものである。

酷評のなかには「登場人物の雑多なアクセントには辟易する」というのがあった。たしかに俳優たちの出身地はイングランドのほかウクライナ、オーストリア、デンマーク、アイルランド、ウエールズ、アメリカなど多士済々だ。これは私も同感だ。とくにアメリカ英語はとても目立つのでヨーロッパを舞台にした時代劇には相応しくない。ただ興行上どうしてもアメリカの俳優を使わざるを得ないようなのだ。

主役の若いダルタニヤン(ローガン・ラーマン)はギンギンの米語、2重スパイの美女ミレディ(ミラ・ジョヴォヴィッチ)はウクライナ出身だがギンギンではないもののアメリカン、役柄からいうとしっくり来ない。

なにはともあれ、監督・製作ポール・アンダーソンのサーヴィス精神には恐れいった。レオナルド・ダヴィンチの設計図によるという飛行船だ。2つの巨大飛行船によるパリ上空で空中戦、レトロな砲撃の応酬なので却って迫力がある。

飛行船.jpgⓒ2011 Constantin Vertein GmbH.
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大聖堂に不時着してからダルタニアンが宿敵ロシュフォール隊長と繰り広げる目もくらむ屋上での斬り合いは私のような高所恐怖症の心胆をまんまと凍らせてくれた。こういう映画は理屈なしに楽しめば良いのである。




■◇映画英語と私◇■

英国映画でイギリス英語を ―女優ジュディ・デンチと出演作品ー


横田安正 
(演出家・翻訳家・外国語教育メディア学会会員)

私は高校生のころからBritish Englishが世界でもっとも美しい言語の1つと考え英語の勉強にいそしんできました。フジテレビを定年退職してからは母校早稲田大学ESSの英語劇のインシトラクターを務めています。それもあってか3年前、一介の演出家であった私はなぜか英語の先生と認められLET(外国語教育メディア学会)という立派な組織の1員となってしまいました。自分でも信じられない変身です。
LETの先生方、学生諸君と接して分かったのは日本人の大多数はアメリカ英語に慣れ親しんでおり私のようにブリティッシュに准ずるのは体感的にいうと5%にも足りないということです。肩身が狭いというのが実感です。それで却って私は意地になり英国英語の勉強に励むようになりました。毎朝5時半からのBBC World Newsを聴き、イギリス映画は欠かさず観るようにしています。
イギリスの俳優のなかで私が最も尊敬するのがJudi Denchです。彼女の英語の美しさといかなる役柄にも的確に反応できるprofessionalismには頭がさがります。凜とした発声とエロキューションは聞くたびに鳥肌が立つほどの衝撃が走ります。


『アイリス』 2001)
イギリスを代表する作家アイリス・マードックの生涯を描いた作品。彼女の小説は「砂の城」、「切られた首」、「ブラック・プリンス」など私も若い時時分よく読んだものです。作家・哲学者としての卓越した知性と自信をジュディ・デンチは完璧なアーティキュレーションとエロキューションで示しました。母校でのチャリティ講演「教育の重要性について」では聴く人の背筋をしゃんと伸ばさせる威厳と知性に満ちていました。
Education doesn’t make you happy nor freedom. You don’t become happy just because you are free, if you are. Or because we’ve been educated, if we have. But education may be the means by which we realize we are happy. It’s in our eyes and ears.
その才女がアルツハイマー症にかかり、次第に言語を失い、記憶を無くしていく姿が哀切に描かれ、それを支える文芸評論家の夫ジョン・ベイリーの献身ぶりが強調される構成になっています。
映画の後半、ジュディ・デンチは言葉はまったく発せずうつろな表情だけの演技で、世界最高の英語を操る女優には可哀想そうな状況となりましたが、前半の完璧なQueen’s Englishがその落差を鮮やかに浮かびあがらせているのです。
Human beings love each other in sex, in friendship and when they are in love and cherish other beings―humans, animals, plants, even stones.
これは演説をしめくくる、やや内省的に述べた言葉です。若い時分、奔放な愛情生活を送ったアイリス・マードックのルーツがここにあります。


『恋におちたシェイクシピア』(1998)と 『プライドと偏見』(2005)
前者ではクイーン・エリザベス1世を後者では大金持ちの貴族キャサリーン夫人を演じていますが、周りを圧倒する威厳と完璧なアーティキュレーションで精彩を放っています。
クイーン・エリザベス1世役では第71回アカデミー助演女優賞を授与されました。ジュディ・デンチは芸術界のノーベル賞といわれる「高松宮記念世界文化賞」の映像・演劇部門で2011年度受賞を果たしました。
私はフジテレビを定年退職したあとずっと「世界文化賞」の翻訳を担当していますが、彼女のインタヴューを翻訳する機会に恵まれました。「あの役の出番はほんの一寸だったので驚きました。でも発表前そばにいた夫が私に“司会のロビン・ウイリアムズに昨晩会ったのだけど脈がありそうだよ”ささやいたのが本当になってしまいました」と述べています。
このインタヴューは「世界文化賞」の受賞者に内定した人がかならず1時間ほど質問に答えるものです。完璧な英語を話すジュディ・デンチなのでさぞ理路整然とした答えが返ってくるものと期待していたのですが、実際のジュディ・デンチはアドリブは苦手らしくシドロモドロの返答ぶり、却って私はファンになりました。


『ラベンダーの咲く庭で』 (2004)
時は1936年。ヨーロッパではナチズムの勃興で歴史的な転換期を迎えていたが、イギリス、コーンウォールの海岸で老姉妹ジャネット(マギー・スミス)とアーシュラ(ジュディ・デンチ)は静かな生活を送っていた。そんなある日浜辺に打ち上げられた異国の青年を発見、2人で介護することになる。これがドラマの発端。姉と違い男運に恵まれなかった妹のジュディは何年も心の奥にしまっていた感情が沸き起こり年甲斐もなく若い男に恋慕してしまうのだ。しかし男がヴァイオリンの天才と分かってからドラマは急展開、思いがけない方向に進んで行き、ジュディは切ない恋心を胸に秘めたまま別れを告げるのだった。

初老の女性が孫の歳にも満たない若い男性にいだく恋心。これは難しい役です。デンチは老女が少女に変身する可愛くも残酷な一瞬を見事な演技力で示しますが、それは言葉の面でも表れます。青年の前で時折り声が裏返ったような甲高い調子になるのです。これは簡単には気付かれないほどの微妙な匙加減、これ見よがしでないところが見事です。ジュディ・デンチは「言葉の魔術師」、完璧なエロキューションを保ちながら役に従い、口のあけ方、母音の伸ばし方などに微妙な変化をつけ「役を喋る」のです。これは大変な職人技と言わなければなりません。


『あるスキャンダルの覚書』 (2006)
ロンドン郊外の労働者階級の子供たちが通う中学校で歴史を教えるバーバラ・コヴェット(ジュディ・デンチ)は定年間際で独身、厳格な指導方法で同僚から一目おかれているものの決して好かれてはいない。そこへ美術を教える美人で金持ちの新人教師シーバ・ハート(ケイト・ブランシェット)が赴任してくる。シーバに惹かれた孤独なバーバラは巧みに近づき親交を深めて行く。シーバの一挙一投足に目をくばり日記に書きとめるようになる。さらにシーバが15歳の教え子とセックスしているのを目撃したバーバラはそれを千載一偶のチャンスとして利用、シーバを支配しようとする。筆者はイギリスの階級制に詳しくはないが金持ちで美人のシーバが中の上としたらバーバラは中の下といったところか。バーバラの劣等感と優越感の奇妙な交錯のもと、彼女の歪んだ性癖と狂気をはらんだ欲望が徐々に露になっていく。

ここでもデンチの英語は見ものです。
どこから見てもジュディ・デンチの端正なアクセントに微塵の乱れもないように聞こえます。しかし映画を見終わっていつものデンチの英語とは違うことが耳底に残るのです。それは先述した階級の問題です。彼女は実に細かい微調整を重ね、庶民階級の人間を演じているのです。もちろん彼女の英語は労働者階級の子供たちの英語とは雲泥の差があります。
しかし、通常演ずる王族、貴族、哲学者、作家、上級官僚などの英語とは明らかに異なっています。

イギリスの労働者階級の英語には私たちには殆ど聞き取れないコクニーのほかEstuary English(河畔英語)というのがあります。テームズ川沿いに広がった労働者階級の英語です。伝統的に官憲に職務質問された場合、口を大きく開けないでムグムグといった感じで答えるのでコクニーほど分かり難くはないものの独特のアクセントが生じたといわれてます。1番わかり易いのはサッカーの貴公子ベッカム選手の英語でしょう。
この映画でデンチは微妙なニュアンスでエスチュアリー・イングリッシュのかすかな臭いを出しているのかも知れません。私の分析は正しくないかも知れませんが、ジュディ・デンチが巧みに庶民の女性を演じ、「役を喋って」いるのは確かです。

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配給:日活 ⓒ2010 John Wells Productions

『カンパニー・メン』  原題:The Company Men


堤龍一郎
(映画英語教育学会・目白大学講師・日本映画ペンクラブ会員)

舞台は米国の不況が深刻化した2008年のボストン。ボビー(ベン・アフレック)は同市に本社を構える一流総合企業GTX社の販売部長を務める37歳。年収は12万ドル、妻子と豪邸に住み、高級車を乗り回し、余暇にはゴルフに興じ、人も羨む裕福な生活を送っている。ところがある日、いつものように早朝ゴルフをしてから出社すると、彼には非情な解雇通告が待っていた。勤続12年、若くして販売部長にまで抜擢されたボビーだったが、頼りにしていた造船部門の重役ジーン(トミー・リー・ジョーンズ)も出張で不在、抗う間もなく一瞬にして無職の身になってしまう。退職時に手にしたのは、12週間分の退職手当と再就職支援サービスパッケージのみ。順風満帆だったボビーの生活は一転し、家族が路頭に迷う危機に直面してしまうのだった。

 今作の物語には2つの柱がある。ひとつは、2008年に起きた不況を背景に、「会社は社員よりも株主に対して責任がある」という作中の台詞が物語るように、アメリカの冷徹な企業カルチャーや雇用形態などの社会システムの表象。もう一つは、一家を経済的に支える大黒柱というアイデンティティを突然失った人の生き方、家族、親族や友人との絆、守るべきは何なのか、ボビーを含め次々とGTX社からリストラされる仲間たちの生き様が色濃く描かれる。社会的地位を一瞬にして奪われた男たちの選択の物語とも言えるだろう。絶望の淵に立たされたとき、一番大切にすべきは何なのか、というアメリカ社会に根付く観念的な回答が垣間見れる。

 近年、『ツリ―・オブ・ライフ』(2011年、アメリカ映画、監督テレンス・マリック)など、一昔前の古き良きアメリカ社会や精神性の回顧をテーマとする作品が増えており、映画界でもひとつのトレンドとなっている。映像技術を全面に押し出した映像エンターテイメント作品が多い中、『カンパニー・メン』もまた昨今の潮流にのった作品のひとつだろう。


【映画情報】
2011年9月23日 東京・ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて全国ロードショー
上映時間:1時間44分
アメリカ映画
配給:日活
監督・脚本:ジョン・ウェルズ
主演:ベン・アフレック/トミー・リー・ジョーンズ/ケビン・コスナー/クリス・クーパー
http://companymen-movie.com/(公式HP)


sub_01.JPG_rgb.jpgother_cut_01.JPG_rgb(少女たち).jpgmain_01.JPG_rgb.jpg
配給:角川映画 ©2011「日輪の遺産」製作委員会
原作:浅田次郎「日輪の遺産」(1997)
8月27日よりロードショー


『日輪の遺産』  英訳題名 THE LEGACY OF THE SUN  



山本澄子
映画英語教育学会・立正大学名誉教授・日本ペンクラブ会員

2011年3月、地方名士の金原庄造(八名信夫)が息を引き取る。息子(北見敏之)や孫(麻生久美子)を前にして妻、久枝(八千草薫)は一冊の古い手帳を大事そうに開いて語り始める。

同じ頃、カリフォルニア州に暮らすマイケル・イガラシ(ミッキー・カ―ティス)は回顧録の出版を前に取材を受けている。1945年8月以降、イガラシ(三船力也)はダクラス・マッカーサー(ジョン・サべ―ジ)の傍らで、終戦直後の日本の様子を目の当たりにしていた。
終戦直前、1945年8月10日近衛第一師団の真柴少佐(堺雅人)と東部軍経理部の小泉中尉(福士誠治)が陸軍省の大臣室に呼ばれる。そこには阿南陸軍大臣(柴俊夫)始め軍のトップが顔を揃えている。二人は敗戦の色濃い日本の戦後復興のため、時価900億円の財宝を隠匿する極秘任務を命ぜられる。
(現在の貨幣価値では約200兆円)山下将軍がマニラから秘かに持って帰ったものである。二人には運転手兼護身係として望月庄造(中村獅童)が加わる。三名は時おりの伝令に従って行動する。

大臣室で話が一段落した時、東部軍司令官、田中静壱(山田明郷)は突然窓を開け、夏の日差しに向かい大声で All the world’s a stage,  And all the men and women merely players;”
と叫ぶ。 シェイクスピアの『お気に召すまま』第2幕第7場 
原文はまだまだ続く。

They have their exits and their entrance; And one man in his time plays many parts, His acts being seven ages. At first the infant, Mewling and puking in the nurse’s arms;

人間世界はすべて舞台ですよ。そうして男 女はみんな役者なのですね。それぞれが出たり入ったりして、一人で何役も勤めます。一生は先ず7幕がお決まりです。始めは誰でも赤ん坊で、乳母に抱かれて泣いたりよだれをたらしたり。

人生のサイクルを語るのだがこの田中の短い引用は、これからの物語を暗示するようだ。シェイクスピアの云う7幕の人生と女学生の鉢巻きの「七生報国」との間に、不思議な結び付きを感じないだろうか。

その頃、東京の森脇女学校の学生は勤労奉仕の工場で草むしりをしている。そこへ特高に連行されていた野口先生(ユースケ・サンタマリア)が釈放され戻ってくる。翌11日から財宝は弾薬箱に入れられ、武蔵小玉駅に運ばれる。
級長の久枝(森迫永依)、スーちゃん(土屋太鳳)、元気なマツさん(遠藤恵里奈)、サッちゃん(松本花奈)など20名の女学生と野口先生が召集された。
腕力よりも純粋な心が選ばれたのか。何も知らずに「お国のため」とばかりに
財宝の隠匿を手伝う女学生たちがようやく辛い任務を終える頃、非情な命令が軍部からくる。その時真柴、小泉、望月たちのとった行動は、そして女学生や野口先生たちの行方はどうなったのだろうか。

物語の中で自分たちを励ますために学生たちが笑顔で元気よく歌う軍歌に心が痛む。あの壊滅的な打撃から復興して70年目の日本。奇しくも2011年3月以来、この国は新たな打撃、復興の道を辿らなくてはならない。この作品には「世界の中の日本」として歴史を再考し、襟を正し、勇気を持って新しい出発への思いが込めらている。(2011.7.26)

『127時間』  原題:127 Hours

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(c)2010 Twentieth Century Fox


すぐれた技術をもつアルピニストでさえ、避けきれなかった想定外の落石事故に遭ったとき――その生と死の臨界状況から、「生きて戻りたい」という強い欲望ゆえに生還した実在の人がいる。その名は、青年登山家アーロン・ラルストン(ジェームズ・フランコ)だ。人間存在の本質とは…を問う 。
これまでの作品で明らかなように、監督ダニー・ボイル映画の魅力は、事実をリアルすぎるイメージに映像化するところにある。――その究極は、本映画のクライマックス・シーンとなっている。

 ブルー・ジョン・キャニオンの大自然は、身のすくむような峡谷と幾層にも重なりあう岩肌との対比が極限の美しさに達する。――大自然のなかの人間は一粒の微粒子のようなもので、そこに埋没してしまいそうだが、生還しようとする本能はもの凄く力強いものだと伝わってくる。

 大自然の冒険に一人で出かけるときは、万一にそなえて家族や友人たちとの連絡を忘れないようにという教育的な映画でもある。2011/6/5)

塚田三千代映画英語教育学会・映画英語アナリスト・日本ペンクラブ会員



【映画情報】
2011年6月 全国ロードショー
上映時間 1時間34分
監督:ダニー・ボイル、脚本:ダニー・ボイル&サイモン・ビューフォイ
主演:ジェームズ・フランコ
原作: アーロン・ラルストン 『奇跡の6日間』(小学館刊)
http://127movie.gaga.ne.jp/
http://www.127hoursmovie.com/ (英語)



『英国王のスピーチ』  

原題 THE KING'S SPEECH
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(c) 2010 See Saw Films. All rights reserved. 

吃音症(stammer)を克服し、第2次世界大戦開戦の際に見事なスピーチを成し遂げ、国民の心を掴んだ英国王ジョージ6世(現エリザベス女王の父)を描いた感動ドラマ。

Storyline

It tells the story of the man who became King George VI, the father of Queen Elizabeth II.__________


【映画情報】
ゴールデン・グローブ賞:主演男優賞受賞
(米)アカデミー賞:作品・監督・主演男優・オリジナル脚本賞受賞
監督 トム・フーパー
出演 コリン・ファース /ジェフリー・ラッシュ/ヘレナ・ボナム=カーター
制作 2010年/イギリス=オーストラリア 配給 ギャガ
URL http://kingsspeech.gaga.ne.jp/




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